表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

九節『望むことはただ一つだけ』

「――。」


 流れていく景色の中、車内の僅かな振動による音だけが静寂の中に響いていた。

 鵺が日葵を逃した直後、彼の内に眠るアヤカシを由来とするであろう巨大な神秘の気配が一瞬膨れ上がってすぐに消失した。きっと日葵の痕跡を隠すため、自身を囮にして『旭』と接敵したのだろう。


 彼が一晩にしてどのようにあそこまで戦えるようになったのか、それは日葵が知るところではなかった。だがソレはあくまで、鵺がアヤカシの力の一端を借り受けて行使しているだけに過ぎない。

 決して彼が『恐ろしいもの』と同等の力を得ている訳ではない、本気の『旭』を相手にいつまでも保つモノではない事は分かりきっている。


 だがそれはきっと、彼自身も承知の上だった筈だ。それでも尚、あるかも分からない可能性を信じて日葵を逃がそうとしている。日葵を逃し切るために、今も尚戦っている。


「鵺とは話した?」


「……うん。初めて、怒られて……それで、喧嘩、した」


「そっか、どうだった?結構言うだろ、あいつ」


 気落ちした様子のままの日葵を元気づけるためか、どこか軽い口調で問いかけてくる敦也に、こくりと頷きで返す。その返答を受けてケラケラと笑った敦也は、ハンドルを片手にカーナビのモニターを操作した。

 ソレは既に起動状態にあった彼の携帯との接続操作だったらしく、僅かなノイズの後にモニターには「通話中」の文字が浮かび上がる。下に記載された名前は奏、という一文字。


『――もしもし、聞こえる?日葵ちゃん』


「……奏?」


『良かった、無事そうね。言いたい事は色々とあるけど……まだそんな場合でも無さそうだし、手短に済ませるわね』


 恐らくは日葵らが敦也と合流する更に前、元から彼女との通話は繋がっていたのだろう。先程の騒ぎはある程度通話越しに聞こえていたらしい、もはや聞くことも無いと覚悟していた2人の声に、僅かに目尻に涙が浮かぶ。


『きっと散々鵺から言われたでしょうけど、私も当然日葵ちゃんに怒ってる。事情は知らないけど、何となく察しは付くからね――私達の為に自分を犠牲に、なんて思ってるなら、お門違いもいいところよ』


「……っ」


『言いたいことはそれだけ――敦也、これから何処に逃げるつもり?』


「このまま高速に乗って大阪から出る。そのまま関東……いや、出来るなら東北まで直行するかな。鵺も言ってたけど、今回の事案はこれまでのとは本当に規模が違う感じがする……用心するに越したことはなさそうだ」


『分かった、朝の新幹線で私もそっちに合流する。向こうの知り合いに話は付けるから、着いたらそこで匿ってもらって』


「流石お嬢様、顔が広いね」


 何処か慣れた様子すら感じられる二人に、日葵は目を白黒とさせながら呆然とする。そんな彼女の様子にミラー越しに気がついたのか、ハンドルを握ったままの敦也が僅かに苦笑した。


「実はこういう事、初めてじゃないんだよ」


「え……?」


「昔、鵺が失踪したことがあってさ。本人から聞いた話じゃ、『体質』を使ったバイトが原因だって聞いたけど……懐かしいな」


 今となってはいい思い出だよ、と付け足した敦也は笑っているが、そんな程度の話では済まないであろう事は察しがつく。


 きっとソレは、彼の中の『恐ろしいもの』に端を発するモノだ。あれほどの強く根を張っている――言い換えれば、宿主として気に入っているらしい鵺が危険に晒されたとなれば、あの怪物が顔を出してこない筈がない。

 そうなれば、事態は混迷を極めた事だろう。きっとソレは敦也の言うように、今まさに起きているこの騒ぎにも引けを取らないような大事だ。


「他にも細かい騒ぎを挙げたらキリがないし、今回も含め、その度危ない橋を渡ってるなんて承知の上だ。これは意地の話なんだよ。僕らが、僕ら自身に胸を張れる自分でいるための」


「意、地……」


「そう。だから、どうか遠慮しないでくれ。それがきっと、他のどんな選択より――誰も幸せにならない、最悪の顛末だと思うから」


 彼らは、普通ではないのだ。

 聞いた限り、幼い頃から『恐ろしいもの』を宿して育ってきた鵺と共に育ってきた彼らは、幾度も非日常の中に囚われてきた筈だ。その原因は間違いなく鵺にあって、一度は命を落としかねない事態もあった事だろう。


 だがそれでも、彼らは未だ鵺と親友であり続けている。鵺と共に在ることがいかに危険であるか理解していても、それでも彼と共にあり続けようとする。

 鵺が怒っていたのも無理はない。彼らが日葵を見捨てる筈がないと、親友達を愚弄するなと、そう憤るのも当然の事だった。


「そろそろ高速に乗るよ。日葵ちゃん、しばらく降りれないからその覚悟だけは――」


 と、事前に通告しようとした敦也は不意に言葉を止める。訝しげに目を細めた彼が覗き込むのは、車のバックミラーだった。

 その意図を確かめるべく振り返って後ろを覗き込んだ日葵の目に映ったのは、数台の黒塗りの車だった。ヘッドライトによる強い逆光と、夜闇に紛れているせいもあって車内までは見えない。だが、この距離まで近づけば分かる。


 ――極限まで押し殺された『神秘』の気配が。


「……っ、追っ手!」


「はは、ドラマかよ……っ!」


 叫ぶと同時、敦也は深くアクセルを踏み込んで高速に突入する。背後から追随する形で追ってきた車も同様に速度を上げて、ピッタリと後ろに張り付いてきた。

 いや、それだけではない。先頭を走る車は走行中だというのにも関わらずドアを開け放って、中から黒スーツの男が身を乗り出していた。その片手には、やはり抜き身の日本刀。


 間違いない、『旭』の追っ手だ。金糸雀という男や四辻という少女こそ乗ってはいないようだが、あまりにも発見が早い。

 ――不意に、日葵らが乗る車上から鈍い音が響いた。


「っ、な……!?」


 続いてぎゃりぃっ、という酷い音を立てながら、天井が大きく引き裂かれる。続き、神秘によって力を高められた脚が、無理矢理にこじ開けられた穴を押し広げるみたいに天井を踏み抜いてきた。 


「嘘だろ……っ!」


「――っ、離れてっ!!」


 咄嗟に身を捻り、渾身の神秘を込めて車上の男を蹴り飛ばす。咄嗟に防がれはしたものの車体からは弾き出すことに成功し、襲撃者は高速の路上に振り落とされた。

 だが下っ端とはいえども彼らもアヤカシ狩り、その程度では足止めにすらならない事を日葵は理解している。叩き落とされたその男もさも当然みたく自分の足で走り始めて、すぐに隣まで迫ってきた。


「このびっくり人間ども……!」


「私が引き剥がす……っ、そのまま走って!」


 息巻いたは良いが、正直望み薄であるとは薄々感じていた。日葵にも神秘が使えない訳ではないが、神秘を使う限り彼らの追跡は振り解けない。

 となれば、神秘の使用は最低限に留めて逃げ切る必要がある――そして当然、そんな事は不可能だ。先ほど鵺がしたように別の大きな神秘で誤魔化せば万に一つの可能性はあるだろうが、今この場に居る神秘を持つ存在は日葵のみ。


 やはり、逃げ切るなど不可能だ。このままでは日葵だけに留まらず、敦也にまで危害が及ぶ事は想像に難くない――。


「――!敦也!!」


 背筋に走った悪寒を受けて、咄嗟に運転席に座る敦也を引っ張り出し、跳躍する。直後に天上から飛来した巨大な稲光が車を焼き焦がして、続く衝撃波が宙に浮いたままの二人を大きく煽った。

 風圧に押されるまま二人して高速脇の欄干に衝突し、地面に叩きつけられる。肺の空気を搾り出されるような衝撃に息が詰まって、少しの間満足に呼吸もままならなかった。


「……大丈、夫……?」


「――、ぐ、ぁ」


 神秘による身体の保護がある日葵とソレがない敦也とでは、今の余波だけでも受ける影響は大きく異なっている。頭から僅かながらも出血していた彼は、とても満足に動けるような状態には見えなかった。


「……っ。ごめんね、敦也」


 爆発の衝撃で破けてしまったらしい彼のシャツの一部を切り取って、出血元を強く縛る。彼らの目的は敦也ではない以上、目立たない場所で寝かせておけば狙われることはない筈だ。


 それよりも、今の雷は間違いなく金糸雀のモノ。未だ姿は見えないが、それはつまり既にこちらに攻撃を加えられる射程圏内には居る、ということ。


「鵺……っ!」


 足止めに残った筈の少年の名を叫びながら、欄干を飛び越えて隣接しているビルの屋上に転がり込む。こうなった以上、もはや神秘の出し惜しみを考えている猶予はない。


「――っ、あ!?」


 一瞬の明滅と共に視界が真っ白になって、全身を灼熱の感覚が包む。痛覚すら一瞬で焼き切れるほどの衝撃に襲われて、宙を跳んでいた日葵の肉体が瞬く間に焼き焦がされた。


 が、1秒と経たずに黒焦げの体だったモノは、ビデオを逆回しするみたいに『日葵』のカタチを取り戻していく。

 日葵の肉体に刻まれた不滅の神秘、それが日葵の肉体に訪れた死を察知し、命を再構築したのだ。即座に意識を取り戻した日葵もまた慣れた様子で体勢を立て直し、ビルの外壁を蹴って更なる跳躍を重ねる。


 もはや墜落じみた速度で路地裏に突っ込んで、衝撃によりぐちゃぐちゃにへし折れた全身を再生させながら非常階段に逃げ込む。雷に物理的な破壊力は存在しない以上、建造物の裏に隠れれば一先ずは凌げる筈だ。


「……どう、しよう」


 当然、それも一時的なこと。日葵がここに逃げ込んだ事など向こうも分かりきっている、実際に踏み込まれてしまえばそれまでだ。与えられた猶予はほんの僅か、数分と保つモノではない。

 考える。この状況を打破する手段を、方法を模索する。生きてここから逃げ切る方法――この先の未来に、命を繋げる方法を。


 だが、いくら考えたって現実という壁はあまりに高い。


「わかんないよ……つぐみ……っ」


 不可能だ。今仮にここから逃げ仰せたとして、『旭』は既に日葵の神秘の気配を掴んでいる。時間はかかれど、彼らは必ず日葵に辿り着くだろう。

 鉄柵に背を預けて、ズルズルと力なく座り込む。これまでのように、のらりくらりと躱して生きることはもう出来ない。それもこれも全て、目先の幸福に目が眩んで、欲を出したのが原因という辺りが目も当てられない。


 やはり、あのヘリポートで潔く死んでおくべきだったのだ。半端に未練を引きずって欲を出して、その結果がこれだ。結果として何の成果を得る事もなく、無為にみんなを巻き込んで朽ちるだけ――いや。


「……まだ、引き返せる……?」


 今からでも、まだ遅くはない。鵺が今も戦っているとすれば、まだ間に合う。今すぐにでも投降すれば、彼の命は助かるかもしれない。

 最初から無理な話だったのだ。それを鵺たちの優しさに甘えて、ここまでズルズルと逃げ続けてしまったのが全て間違いだった。ありもしない希望にすがりつく事の空しさなど、ずっと見せつけられてきた筈だったのに。


 震える体に鞭打って、手すりを支えに立ち上がる。簡単な事だ、外に姿を晒して投降の意を示す……そうすれば、最悪の事態だけは避けられるかもしれない。

 選択肢などもはや残されてはいなかった。やるべき事など決まっている、後はそれを実行に移すだけ。ただ、その通りに動く、だけ――。


 その、筈だったのに。


「……ぁ、あ」


 踵を返そうとした足がピタリと固まって、動こうとしなかった。今ここですべき事など分かり切っている筈なのに、次の一歩が踏み出せない。自分の考えを無視して、この体は全然言うことを聞いてくれない。

 まるで、考えに背いて体が勝手に動いてしまった、あのヘリポートでの一幕の真逆だった。


 ――“何が充分だ、何が満足しただ、大嘘ばっかり並べやがって。”


「だめ。だめ、なのに」


 脳裏に、少年の言葉がリフレインする。まるで責めるような、しかし他の誰よりも優しい叱咤が、日葵の心を揺り動かしている。


 ――“それは、君が他の誰もと同じように、当たり前に与えられる筈だったモノだ。”


「わた、しは」


 少年が口付けた荒唐無稽な言葉の数々、鵺が根拠もなく並べ立てたあまりにも脆い希望。とても信じるに値しないような、まるで夢物語のような、虚しいだけの嘘言の筈なのだ。

 分かっている。そんな事は不可能だと、夢みるだけ無駄な未来だと分かり切っているのに、それでも。


――“覚悟してろ、日葵。お前はこれから、この二週間なんて比にならないくらい。”


――“抱え切れなくてどうにかなっちまうくらい、幸せになるんだ。”


「……死にたく、ない」


 それらの言葉はまるで呪いのように、全てを投げ出してしまおうとする日葵の心を捕らえて、離そうとしない。

 一度溢れ落ちてしまえば、もう止まらなかった。これまでにせき止め続けてきた本音が僅かな綻びから流れ込んで、理性と建前で塗り固めてきた感情の栓を決壊させる。

 頭の奥で一度は夢想した未来が、空想として切り捨ててきた筈の願いの数々が、溢れ出すモノに引き摺られて顔を出してくるのだ。


「まだ、生きていたい」


 自分自身でもうるさいくらいに、胸の奥が叫んでいた。自分でも止めようのないくらいに、この現実に抗おうとしていた。例えそれが最悪の結末を招く結果になるやもしれないと理解していても、それでも。


「一緒にいたいよ、鵺」


 鵺が示した世界に、彼が語った未来に。彼女がこの先の未来を、彼と共に歩んでいけるなんていう馬鹿らしい夢想に。

 日葵は、どうしようもないくらいに恋焦がれてしまっていたのだ。


「……っ!」


 不意に膨れ上がった神秘の気配に顔を上げて、半ば反射的に非常階段を飛び出す。一瞬遅れて閃いた黄金の軌跡が非常階段をなぞって、その骨組みがまるで紙切れみたく細切れにされていた。

 そこに居たのは、黄金のソレを含む二振りの日本刀を構えた少女だ。華奢な体に見合わぬ技量と出力で全てを薙ぎ倒す、日葵のための処刑人――名は、四辻雛菊。


 一瞬の不安が、心に影を落とす。鵺が足止めを担っていたはずの彼女が今ここにいるという事実、そして未だ姿を見せない鵺に、どうしたって最悪の事態が脳裏をよぎった。

 だが、鵺に灯された心の熱が、そんな弱気な想像を余さず溶かしていく。竦んでしまいそうな日葵の背を押して、今にも崩れ落ちそうだった足を奮い立たせる。まるでここに居ない筈の彼が、日葵を支えてくれているような気すらしていた。


「――約束、したから」


 鵺は必ず迎えにいくと言った。だから絶対に生き延びろと、そう日葵に言い含めていた。ならば信じるだけだ。彼は必ず迎えにきてくれる、日葵に出来ることは……否、日葵が目指すべき勝利条件は、ただ一つ。


 どんな手を使ってでも生き残る。その場しのぎでも直接の解決にならなくても、何だって構わない。雛菊の振るう黄金の太刀は、確かに日葵を完全に殺し得る。だが、それさえ避ければ何度死んだって問題ないとも考えられる筈だ。


 ならば、例え何回死んでも構わない。何十回死んでも、何百回死のうとも、もはや構いはしない。死んで、死んで、死に続けて――それでも。


「あきらめ、ない……っ!」


「――ッ、ふ」


 天を仰ぐ。頭上から飛来する二刀の執行者を前に、日葵は自身の体の中で溜め込んだ神秘を爆発させた。

 それは殆ど、自殺行為と言って差し支えないモノだった。大きく日葵の体を吹き飛ばす程の神秘の暴発は、その衝撃によって彼女の四肢を大きく抉り取る――が、それは彼女に限り、一切の悪影響になり得ない。


「あ、が」


 自らの頭蓋の添えた指先から放たれた『神秘』によって、日葵は自身の脳をぐちゃぐちゃに挽き潰した。一瞬の苦悶の声に続いて少女の肉体は即死という結果を迎え、しかしその瞬間に傷だらけの四肢ごとその全身がまっさらに回復する。


 あまりに狂気に満ちたその行動に、空を切った刀を引き戻した少女の表情に僅かな驚きが浮かんだ。いくら死なないとはいえ、決して苦痛を感じない訳ではない。


 それは二百年という時間が彼女に植え付けた狂気。死なないという特殊すぎる状況下で日葵が嫌でも身につけざるをえなかった、本来、人が至ってはならぬ筈の『肉体の死』への恐怖の克服だった。


「っ、づ、ぁあ……っ!!」


 日葵は決して武人ではない。戦う者ではない。だが『死んでも生き残る』というただその一点に於いて、日葵ほどの経験を持つ者はいない。


 半ばから削り取られた非常階段を飛び越えて、上階へと走る。階下からは既に触れるもの全てを切り刻むかという程の殺気が膨れ上がって、今にも日葵の首を切り落とさんとその牙を剥いていた。

 機動力では勝ち目がない。数秒と経たずに追い付かれるのは目に見えている――この状況を脱するための一手が必要だ。


「お願い……っ、今ぐらいは、言うことを聞いて……!」


「――何を。」


 日葵を中心にして、莫大な神秘が膨れ上がる。それは彼女自身が制御下に置くものではない。むしろ必死に抱え込んでいた荷を捨て去ったような、そんな感覚。

 それはつまり、神秘ならざる『呪い』――かつて彼女の身の内に宿った、積層し続けた無数の無念。二百年前に日葵が不死と成り果てたその日、数多の人々の命を奪い去った畏るべき『災禍』の種。


「私は、ここに居る……!欲しいって言うんなら、来て!!」


「……まさか」


 振り撒かれた『災禍』は膨れ上がる。破滅を呼ぶ兆しは声高にその存在を主張し、そして。


『――避けろや四辻ィ!!』


「……っ!」


 咄嗟に左へと跳んだ雛菊の足跡を辿るように、背後から姿を現した巨躯のアヤカシの牙が空を切った。すぐに離れた四辻の後を追おうとでもしたのだろうそのアヤカシは、直後に落雷にてその全身を焼き焦がされ焼失する。


 だが襲撃は止まらない。大小さまざま、無数のアヤカシの群れが日葵の放つ『災禍』の気配を手繰って、この場にまでやってきたのだ。


『気ィつけろ。こいつ、わざと餌撒いてアヤカシ共を集めよった』


「判断を求めます」


『お前は変わらず災禍を追え。雑魚は俺が出来る限り散らしたるが、お前を考慮に入れてチマチマと削れる規模とちゃう――何とかして凌いで斬れ。やれるやろ』


「受諾しました」


 無線機越しに無茶を言い出す金糸雀に何ら不満を吐く事なく了承の意を返した雛菊は、二刀を再び正面に構え直す。

 直後、再び雷鳴が夜闇を強烈な閃光で照らし出した。幾重にも枝分かれする雷霆はその一筋一筋に破壊の威を伴って、ビルに群がる魑魅魍魎を瞬く間に焼き焦がしていく。幾重にも草の根の様に分かたれた雷撃は、辺り一帯にその輝きを行き渡らせていた。


「っ、あ……!」


 それは日葵も例外ではなかった。雛菊の方と同様に襲い来るアヤカシらの襲撃をやり過ごしながら逃走を図る少女ごと、稲光はその全てを焼き焦がす。

 依然、ただの神秘では日葵を殺せない。だがそれでも、雷撃は日葵の動きを一瞬止めるには十分過ぎるほどだった。未だ激しい稲光が視界を焼くその中、二刀を閃かせた剣士はさも当然みたく駆け抜ける。


「来な、いで……!」


 収縮して言うことをきかない筋肉を通し、物理法則の影響を受けない神秘の力だけで身を押し出して、黄金の刀が身を裂く寸前に何とか体を退避させる。

 だが一撃を避けただけだ。近寄る間がない分、次はもっと速い――そう身構えて視線を上げたその瞬間に、腹部に灼熱みたいな感触が走った。


「……ご、ぼ」


 黄金の刀が、深々と日葵の腹に突き刺さっていたのだ。

 腹の奥から湧き上がってくる血が、何とか堪えようと口を押さえた日葵の手の端からこぼれ落ちていく。雛菊は尚も手を緩める事なく更に踏み込み、その根元まで刀を貫通させたかと思えば、血に濡れた刀身をぐりん、と九十度捻った。


 『それ』だけはさせてはならないと、溜め込んだ神秘を日葵の体内で爆発させる。伴う衝撃波は日葵の肉体ごと雛菊の体を大きく吹き飛ばして、互いの距離を無理やりに引き剥がした。


 砕け散った四肢はすぐに消滅し、新たな日葵の体が再構築される――だが。


「……っ。い、ぁ……!」


 黄金の刀によって貫かれた腹部。その傷だけは、待てど暮らせど全く再生の兆候を見せなかった。

 これが神秘を切り裂く神秘、不死殺しの刀。この刀に斬られてしまえば、日葵は常人と同じように容易く死に至る。死から蘇っても尚癒えぬこの傷が、何より雄弁にその事実を示していた。


 痛い、痛い、痛い。これまでは死ぬまでの一瞬、或いは傷が癒えるまでの僅かな間を耐えるだけの事だったそれが、苦痛が終わる兆しを失った事で永遠にすら感じられた。


「っ、う、ぅぅぅ……っ!!」


 激痛を堪えて涙目になりながら、必死に階段を駆け上る。あまりの痛みに足取りは覚束なかったが、それでも神秘を纏って少しでも負担を抑えながら、可能な限り早く、一段、また一段と。


 上階にアテがある訳でもなかった。当然、策がある訳でもなかった。ただ眼前に繋がる道がそこしかなかったから駆け上るという、ただそれだけのこと。

 今すぐにでも、崩れ落ちてしまいたかった。だがそれは許されない、日葵自身が決して許さない。


 突如として、一陣の風が吹いた。

 屋上へとたどり着いた日葵を迎え入れるように、何かドス黒い力の波が真正面から吹き付ける。それ自体が何かの影響を及ぼす訳ではなかったが、その風に僅かに残る残滓が語りかけてきているような気がした。


 ――“約束だ、日葵。”


「やく、そ、く……!」


 眼前に立ち塞がるアヤカシを討ち払って、進む。耳に残る少年の言葉を頼りに、その約束だけを支えにして、一歩。また一歩と。


「……ごめんなさい、それは叶わない」


「っ、あ――。」


 日葵の背後から、黄金の刀身がその胸を貫いていた。

 ゆらゆらと体をよろめかせた日葵は、遂に限界を迎えたように近場にあった室外機に倒れ込む。彼女の瞳よりもより昏い血が傷口から零れ落ちて、彼女の足元に血溜まりを形成していた。

 確認するまでもない、致命傷だ。日葵は間も無く、その永い人生に終わりを迎える事となる。だが――。


「……」


 雛菊は妥協をしない、風前の灯火と成り果てた日葵の眼前にまで歩みを進めて、その黄金の刀を大上段に構え直す。


 既に、集った周辺のアヤカシは遠方から届く雷霆によって消し炭になった後だった。更に集う影こそあるものの、今この瞬間を覆す決定要因には到底至らない。運命は今、決しようとしていた。


「……いや、だよ」


「――。」


「死にたく、ない……!!」


 既に死に至る傷をその身に受けながら、日葵は自身の肉体が片端から砕け散るのも厭わずに『神秘』の力を暴発させていく。

 力の指向性も定まってはいない、その殆どが攻撃としても成立していないような、ただの自傷行為に等しい抵抗。今やその出力も弱々しく、二刀の少女の歩みを阻むほどの脅威はどこにもない。


「――っ、あ」


 黄金の一振りが、全ての神秘をねじ伏せる。荒れ狂う力の奔流を一太刀で鎮めてみせた少女は、日葵の眼前でその切先を高く掲げた。

 紅い瞳が、月明かりを受けて輝く黄金の刃を捉える。もはや言の葉を紡ぐ余力すら危ういのか、命を奪い去る一刀を前にしても日葵は如何なる言葉を口にする事もなかった。

 しかし。


「――?」


「……っ!!」


 微かな音が響くと同時、恐ろしいまでの反応速度で黄金の刀が振るわれた。


 狙うは雛菊自身の背後、不意に感じられた何らかの気配へと向けて。しかし閃いた一刀は、虚しく空を切るのみ。

 バッと弾かれたみたいに振り返った雛菊の瞳に映ったのは、意識を手放した日葵の側に屈み込む一人の女の姿だった。腰ほどにまで伸ばした長い黒髪と、大きな丸型サングラスから覗く蒼い瞳が印象深い。


「……神秘の気配が、無い?」


 だが何より印象的なのは、彼女から一切の神秘が感じられない事だ。

 日葵がそうであったように、別にただ神秘を覆い隠すだけであればそう難しい事ではない。だがそうすれば人間はただの人間、今のようにまるで瞬間移動にすら見える挙動など出来る筈もない。


「……貴女は」


「邪魔してごめんよ。でも、このくらいのズルは許して欲しいな」


 再び二刀を構え直す雛菊に対し、女は両手を挙げて『戦う意志はない』とでも言うように示す。微かに眉を顰めて女を睨みつけた雛菊に対し、彼女は掲げた手をポケットに仕舞い込んでどこか不気味な微笑みを浮かべた。


 突然の闖入者。その真意を測り兼ねたように首を傾げた雛菊へ、サングラスの女はジェスチャーで雛菊へと無線を取るよう示す。


「……?叔父さま?」


『雛菊、聞こえるかい?』


 無線機の声の向こうからは、慣れ親しんだ叔父の声が届いていた。一瞬緩んだ気を引き締めるように眼前の女の姿を捉えようと探るが、しかしその時には女の姿はない。

 一体何のつもりだったのか。微かに残る困惑は胸に仕舞い込んで、無線機から届く棟梁の声に耳を傾ける。


『十条篝の名の下、火急の命を下す。よく聞くんだ』


「……!」


 続く十条の言葉に、雛菊は微かに目を見開いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ