プロローグ『暁月 鵺という人間について』
以前、某小説ブランドの大賞に出すため執筆した作品になります。そのままお蔵入りにするのも勿体ないので、こちらで公開させていただきます。
プロローグからエピローグまで全12話、毎日18時投稿ですので、ご興味があればどうかお付き合い下さい。
煌びやかなパレードが、日も暮れて暗くなった園内を鮮やかに彩っている。
道を行く人々の熱狂が、夢中になった子供達の歓声が、もう終幕に差し掛かった今という時間を未だ夢の中に居るのだと錯覚させていた。
頭上を通るジェットコースターからはどこか楽しそうな悲鳴が弾け、筐体を飾るライトアップは残光を引いて、施設の影へと瞬く間に消えてすぐに見えなくなる。
数多の夢と希望の光に彩られて、真っ白な髪に七色の虹を映した少女は、眼前の往来に向けたその真紅の瞳を瞬かせていた。
「――きれい」
ポツリとそう呟いた少女の口元に、僅かな微笑みが浮かぶ。元を辿ればお節介な友人らの思いつきではあったが、彼女の様子を見ればそれが正解であったのは今更疑いようがない。
出会ってから未だ一月足らず。突如として鵺の前に姿を現した、怪異と神秘の只中にある少女。眼前に広がる等身大の幸福の形を目の当たりにして、彼女はただ見惚れているみたいにその場で立ち尽くしていた。
「日葵ちゃんー!鵺ー!早くしないと、お土産巡りきれないよー!」
「待った待った。せっかく楽しそうにパレード見てるんだから、邪魔しちゃ悪い。お土産は次の機会でもよくないかい?僕らは年パスあるんだし」
「それがね……実は期間限定のグッズ、ちょうど今日までで……」
「そういう魂胆か……僕が付いて行くから、それでいいだろ?」
少し離れた先でそんな会話を交わす旧友らが、『また後で』といったジェスチャーを取って人混みの奥に消えていく。了承の意を返して向き直れば、そんな彼らの様子に気付いた様子もないまま、少女はぼうっと光の行進を眺めていた。
「日葵?」
未だ夏は真っ只中、日が暮れようが蒸し暑さは残って消えていない。パレードには水鉄砲を交えた納涼イベントも含まれているようで、中でも家族連れの小さな子供達は喜んで水浸しになっては笑っている。
少女の視線はパレードだけでなく、そんな彼ら彼女らの笑顔にも向けられているらしかった。
「……きれい。本当に、きれい」
「――。」
少女の目尻からつぅっと、一筋の雫が伝っていた。
自分自身、自覚はなかったのかもしれない。涙を拭う素ぶりもないままに視線を釘付けにされた彼女は、ぽたりと落ちたそれが首元を濡らして初めて、自身の身に起きた変化に困惑した様子で目元を拭った。
友人から口酸っぱく『持ち続けるように』と言われていたハンカチを咄嗟に引っ張り出して、彼女に手渡す。
少し目を丸くした少女はハンカチに視線を落とすと、わずかに逡巡してからその意図を察したのか、受け取ったそれを広げて顔を覆った。
彼女の事情を全て理解しているわけではない。何か思うところがあったのだろう、そっとしておくべきかと身を引いたところで、不意に袖を引っ張られるような感触に阻まれた。
「……座れるところに行くか?」
「――ううん、大丈夫」
そう断った少女が握る手に、ほんの僅かな力が籠る。無理をしているのかとも一瞬考えたが、それはきっと違う。
この光景をもっと眺めていたい、ただそれだけの事なのだ。
こちらにもうここを離れる意思はないと察したのか、袖を握っていた指先がするりと落ちて、だらりと下げられた鵺の手へと僅かに触れた。
「……!」
「――。」
その感触を辿るように、しかしどこか遠慮がちに、か細く真っ白な手が鵺の指先を握る。僅かに驚いて彼女の表情を見るが、未だ彼女の視線はパレードに囚われたままだった。
きっと、彼女自身無意識の行動。指先に触れた人の温もりをつい辿ってしまった、ただそれだけの事。
だがそれは同時に、人の温もりに飢えた彼女の、今にも凍えてしまいそうに震える心の発露だった。
「――?」
握られた指を一度解いて、その小さな手を包むように握り返す。不思議そうにこちらに目を向けてきた彼女は握られた手にその視線を落とすと、また遠慮がちに、ぎこちない手つきで手を握り返してくる。
何度か探るように、試すようにその感触を確かめた少女は、しばらくの間何も語ることなく瞬きをすると、やがてどこかホッとしたような表情で笑った。
それは夢が醒めるまでの僅かな時間、絶えない苦痛と終わらぬ恐怖の最中で垣間見た蜃気楼。瞬きの間に消えてしまうような、現実逃避とすら捉えられるまやかしが如きモノ。だが。
――例え幻に等しいものだとしても、それは間違いなく、少女に希望を齎すには十分な熱であった。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
「あ、起きた」
パチリと目を開く。寝起きにしては妙に冴えた目で眼下のテーブルに置かれたスマートフォンを覗けば、寝ていたのは時間にして十分前後といったところか。
眠るつもりはなかったのだが、自分でも気付かぬ間に疲れが溜まっていたのだろうか。隣に座っていた一組の男女が、珍しいものを覗き込むような顔でこちらの方へ視線を向けている。
「……講義は?」
「今さっき終わったとこ。珍しいじゃん、鵺が講義中に寝落ちとか。休み前の最終日だからって気でも抜けた?」
「自分でもビックリだ、いつぶりだろうな」
一時期入っていた夜中の短期バイトの都合で夜型の生活は一度経験した事があるが、どうにも自分には合わなかったのか大きく調子を崩してしまったのは記憶に新しい。生来の『体質』の影響もあって可能な限り夜間の活動は避けたいというのもあるが、そもそもとして自分にはそういう生活は合っていないのだろう。
兎も角、様々な事情が混み合っている都合で、暁月鵺は同年代には珍しい程度には健康的な生活を送っていた。
「またなんか変なものでも見たの?」
「いや、そういう訳じゃない。まぁ、なんか妙な夢は見たような気はするんだけど……忘れた」
眠っていた間に何か夢を見ていたような感覚だけは残っているが、内容はからっきし。ありがちな事だが頭が起きていくにつれ、夢の残滓はまるで初めから何もなかったかのように急速に引いていくのだ。
「ふーん……まぁいいや。それでさ、今度のユニバの日程どうする?」
「ん、結局のとこ奏は行けんのか?親御さん、しばらくは家に居るんだろ?」
「あっくんも一緒にいるから大丈夫だって言って、無理やり納得させてきた。大事にしてくれてるのはわかるけど、いい加減大学生にもなったんだから娘を信じてほしいよね」
「それで納得してくれたんだろ?話が通じないとかならまだしも、納得してくれてるんだから、いい親御さんじゃないか」
鵺の隣にいる男にベッタリとくっついた少女――そしてくっつかれている当人であるところの永嶋奏と柊敦也は、小学校時代からの腐れ縁とも言える2人だった。
中学の頭から交際を始めたかと思えば半年もせぬ内に別れ、かと思えばすぐに付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返して、そして大学に入った今はベタベタにくっ付いて離れる気配がない。
鵺の視点としては小学校時代から敦也と意気投合して、そこにいつの間にやら敦也にべったりくっついている奏も必然的に混じってきて……というのがなり行きだ。
心配性な奏の両親を擁護するスタンスの敦也に対し、奏は頬を膨らませて全面的に不満を主張する。これはまた痴話喧嘩が始まる予兆だ、話を進めておくべき話題が早々に流れてしまうのも厄介なので、慌てて横から軌道の修正に入った。
「分かった分かった。それで、話戻すけど日程だよ。いつなら行けて、逆にいつがダメなんだ?」
「とは言っても夏休みだし、いつでも大丈夫なんじゃない?あ、でもあっくんはバイトもあるか」
「土日はかなり厳しいね。水曜あたりはシフト開けやすいけど、どう?」
敦也のバイト先は、大阪・難波近辺にある飲食店。かなり観光客も集まりやすい立地ということもあって、休日での忙しさは容易に想像できた。流石にそこに予定を入れるのは無謀だろうし、基本的には敦也に合わせる形になるだろう。
幸い、鵺も今はバイトからは離れている。奏はそもそも家がかなり金持ちなこともあって、バイトなどする理由がない程度には金銭面に関してかなり甘やかされているらしかった。
「分かった、じゃあ休みに入ってから最初の水曜だから……8月4日とか?」
「あ、そういや8月の頭って、なんか設備のメンテナンスとかでいくつかアトラクションが停止してるとかアナウンスされてなかったっけ」
「え、うわホントじゃん。え〜……どうする?伸ばす?」
「俺は別に構わない。特に休み中の予定もないし、お前らが行きたい日に合わせるよ」
スマートフォンで公式サイトを覗き、しかめっ面を覗かせる奏にそう宣言して、視線を窓の外へと向ける。
7月ももう終わり、夏の暑さはピークを迎え始めていた。窓から差し込んでくる日差しはジリジリと肌を焼き、冷房の効いたこの講義室にいて尚も汗がじわりと額に浮き出てくる。
夏という季節は人の心に、大小、善悪を問わず様々な影響を及ぼす。それは例えば夏特有のレジャーに対する高揚であったり、酷暑の中に晒され続ける事への辟易だったりと様々。
暁月鵺は、夏という季節が嫌いだった。
「――ぁ」
「ん、どうしたの?鵺」
「待て奏、動くな」
視界の端に僅かに映り込んだ、僅かな歪み。楽しそうに話す奏の後ろへと密かに迫っていた、夏のソラに揺れる陽炎の如き微かなそれを、鵺の眼は逃さなかった。
突然の鵺の言葉に、しかし慣れた様子で従う奏は、その場でぴたりと動きを止めて目を瞑る。その横で何かを察したような様子で一歩身を引いた敦也は、少しの距離を保って奏を見つめていた。
奏の背に、僅かな間隔を空けて手を翳す。指先に触れるどこか冷えたような感触に意識を集中させて、一息にその手を握り込んだ。
「……っ、ふ――!」
ほんの一瞬、背筋に悍ましい感覚が走った。
とはいえそれも瞬きの間ほどのこと、すぐに怖気は初めから無かったもののように消え失せて、気付けば手の中の冷えた感触も薄れている。
気付けばため息を吐いていた。無意識に苛立ちと疲労を含んだそれを合図に、大人しく動きを止めていた奏がパチリと目を開ける。
「ありがと、またなんか居た?」
「ちょっとした妬みの類だよ。ほっといたら、足の小指をどっかの角にぶつけるぐらいの不幸には化けたかもな」
「うっわ、地味にやだ」
――夏は、その身を焼く暑さを僅かでも和らげようと寒気を感じさせる、いわゆる怪談が流行る季節でもある。
怪談、即ちオカルト。大衆がその非日常の存在を強く意識する時期が――そして、大衆の認知によってそれらの悪意が活発に膨らむ季節が、鵺にとっての『夏』という季節の認識だ。
というのも、鵺は幼い頃から、いわゆる霊感と呼ばれるものが人一倍強かった。
まだ7歳にも満たない頃、鵺自身には殆ど覚えがないが、家族旅行で富士山の登山に連れて行かれた事があったらしい。それ自体はなんの問題もなく済んだのだが、問題はその後日に起きた。
家族の宿泊するホテルで、突如として鵺は行方をくらました。自分でもそれが何故なのか、どこに行っていたのか、記憶は残っていない。
その3日後、偶然にも別件で富士の樹海に足を踏み入れた捜索隊によって、森の中で意識を失った状態の鵺が発見された。不思議なことに、経過した日数に反して衰弱の様子は全く見られず、搬送先の病院では数時間で目を覚ましたという。
両親曰く、鵺が不思議なものを見えると主張し始めたのは、ちょうどその頃からだそうだ。
「そっか、もう本格的に夏だもんね。『そういうの』も出てき始める頃合いか」
「面倒な事にな。敦也、気をつけてやれよ」
「分かってる、注意は払ってるつもりだよ」
奏の家が実のところかなり名の知れた家だという点。加えて奏自身、端麗な容姿と大抵のことはやろうと思えば出来てしまう性質もあって、彼女は人からの恨みや妬みを買いやすい。
一つ一つは取るに足らない些細な感情の発露であっても、積み重なればそれは立派な呪いになる。
とはいえ、それも先ほどのような些細な不幸を呼ぶ程度の微かなものだ。例えその悪意を感知できなくても、当人や周辺の人間が気をつけてさえいればやり過ごせる程度。
加えて鵺のように、それを明確に捉える事のできる霊感があれば、霊媒師の真似事くらいは出来てしまうらしい。ただ。
(――?)
違和感。
喩えようのない違和感。なんとも言い表し難い、しかしどこか強烈なズレを残すような違和感が、胸の奥に引っかかっていた。
「……」
「鵺、今日はよくぼーっとしてんね。本当に疲れてるんじゃないの?」
「え、あぁ……悪い。そうかもな」
「大丈夫?帰って休んだほうが良いんじゃないか?」
確かに、今日はどうにも頭がうまく働いていないようだった。このまま活動して、半端なことばかりするのも面白くはない。
「……そうだな。悪い、先に帰ってる」
「大丈夫か?必要なら送っていくけど」
「大袈裟だよ、別に体調崩してる訳じゃないんだ。一人で帰れる」
心配そうに気遣ってくれる敦也にそう断りを入れて、荷物を纏め始める。事実、少しぼんやりしている程度で熱やそれに類する不調がある訳ではないのだ。ただ、何か胸の内をざらりとしたモノで撫でられているような、そんな感覚。
あぁ、そうだ。一つ、しっくりくる表現があるとすれば。
――嫌な予感、だ。