光が生んだ闇
ヘカティスが封印され、闇が消えた世界は一見平穏を取り戻したように見えた。
しかし、それは脆い均衡に過ぎなかった。ヘカティスが残した最後の言葉――「光だけでは世界は持たない」――その予言通り、強すぎる光は新たな影を生み出し、影はやがて闇へと姿を変えていった。
セリオンが拡大させた光の力は、大地を照らし、生命を育む恵みをもたらしていた。
しかし、光が強すぎるがゆえに、それを浴びることのない影が生じた。その影は次第に形を成し、やがて「闇」となって意思を持つようになった。闇は制御する者を失い、野放しのまま世界を侵食し始めた。
闇は人々の心にも入り込み、恐怖や嫉妬、怒りを増幅させた。その感情がさらに闇を肥大化させ、魔物を生み出した。魔物たちは森や山から現れ、村を襲い、光の恵みに満ちた土地を次々と破壊していった。
セリオンは自らの光の力で闇を打ち消そうと試みた。しかし、光が強まれば強まるほど、同時に新たな影が生まれる。光と闇の追いかけ合いは終わることなく、世界は次第に混沌とした様相を呈していった。
この混乱を見たセリオンは、新たな手段を模索した。そして彼は、「闇に染まらない存在」を生み出すことを決意する。
それがエルフだった。エルフは光を純粋に受け継ぎ、その身体はどんな闇にも侵されないように設計されていた。長寿と高い知性を持つ彼らは、セリオンの眷属としての役割を担うことになった。
セリオンはエルフたちを東の大陸に送り込んだ。そこはかつてヘカティスが封印された地であり、闇の力が特に強く影響していた。
エルフたちは魔物や闇の残党と戦い、封印を守る役割を与えられた。しかし、その戦いは熾烈を極め、エルフたちは長きにわたる消耗戦に耐え続けることを余儀なくされた。
「我らはセリオンの光を受け継ぐ者。闇を退けるために生まれたのだ。」
エルフたちは使命を胸に、誇り高く戦い続けた。しかし、戦いの日々は彼らの心身を蝕み、次第に疲弊していった。
一方、西の大陸では、光がもたらす恩恵を受けられる者と受けられない者の間で対立が生まれていた。光が当たる地は繁栄し、富が集まったが、影に追いやられた地は荒廃し、飢餓や病に苦しむ人々であふれていた。
「なぜ我々は光を受けることができないのか?」
影に生きる人々の間に不満が広がり、その怒りが戦争を引き起こした。
光を受ける者たちは、影の住民を「闇の一部」とみなし、排除しようとした。一方、影に生きる者たちは光の住民を憎悪し、その恩恵を奪おうと争いを繰り広げた。セリオンが広めた光は、すでに人々を分断し、憎しみを増幅させる力に変わっていた。
調律者はこの状況を静かに見守りながら、セリオンに告げた。
「セリオンよ、お前の光は、もはや調和をもたらしてはいない。このままでは世界はさらなる混沌に飲み込まれるだろう。光を封じるのだ」
セリオンはその命令に愕然とした。
「私の光がなければ、この世界は闇に支配されるではないか! 調律者よ、それでも封印しろというのか?」
調律者は厳かに頷いた。
「光と闇は表裏一体だ。光が強すぎれば闇を生むように、闇もまた光を必要とする。今はその両方を抑え、世界に新たな均衡を与える時だ」
セリオンは、己の力を封印することを決断した。大陸の各地に神殿が建てられ、その神殿にセリオンの光の力が封じ込められた。こうして、世界から光の力は失われ、夜と昼が静かに繰り返すだけの、淡い光に満ちた世界が訪れた。
光が失われたことで、世界は一層の混沌に陥った。闇は相変わらず存在し、魔物たちはエルフの手に委ねられたままだった。一方、西の大陸では戦争が続き、秩序が崩壊していった。
セリオンは、残された力を振り絞り、新たな秩序を作り出そうとした。そして彼が生み出したのが「聖なる力」だった。
この力は光そのものではなく、信仰の形で人々に与えられるものだった。セリオンはその力を一部の者に授け、人々に「聖なる力を信じることで平和を取り戻せ。信仰に未来の鍵を置いてきた」と説いた。
「この聖なる力が、再び世界を調和へ導く道となるだろう」
セリオンはヘカティスと共に光と闇が調和した時代の事を書き記してエルフに渡し、静かに役目を終えた。セリオンにはもう何も残っていなかった。
「ヘカティス…お前が正しかったのかもしれないな…」
もうすでにセリオンではない何かがそう呟いた。
◇
世界が光も闇も失ってから数千年が経過していた。かつて光が生命を照らし、闇が命に安らぎを与えた世界は、今やすべてが均一な灰色の景色に包まれていた。
日中も夜も区別がなく、空は曇天が続き、生命はただ無気力に存在するだけの状態に陥っていた。
人々はかつての光と闇の時代を忘れ、何の希望も持たず、目の前の一日を生きるだけの存在となっていた。
喜びも悲しみも薄れ、争いすらも意味を失った。その灰色の時代を人々は「無彩の時代」と呼んだ。
東の大陸では、光の力を受け継ぐエルフたちがわずかにその姿を留めていた。セリオンの光をその身に宿すとされた彼らも、数千年にわたる闇の力との戦いで疲弊し、かつての繁栄を失っていた。
エルフの里は今や小さな集落となり、かつてのような高貴さや誇りは影を潜めていた。
そのエルフの里には、代々密かに守られてきた一冊の古い書物が存在していた。その書物は「調律者の記録」と呼ばれ、かつての光と闇が調和を成していた時代の真実を記していた。
しかし、その内容はあまりにも信じがたく、ほとんどのエルフたちはその書物を単なる神話とみなしていた。
ある日、里の中でも孤高な存在として知られる若きエルフ、ライナスがその書物を手に取った。ライナスは戦士として魔物と戦うことに疑問を抱き、長い間、里の古い記録を研究してきた。彼はその書物を読み解き、そこに記された言葉に驚愕した。
「光と闇は調律のもとに生まれた。互いを補い合うことで世界は調和を保っていた。しかし、光は闇を裏切り、闇を封印することで一方的な支配を築こうとした。そしてその結果、均衡は崩れ、世界は灰色へと沈んだ」
ライナスは震える手で次のページをめくった。そこには、調律者が光と闇を創り、セリオンとヘカティスがその使命を果たそうとしたこと、そしてセリオンが人間の望みに応じて光を拡大し、結果として闇が封じられた経緯が記されていた。
我々エルフは光の民であり、セリオンの眷属として生まれた存在だ。それが正しいと教えられてきた……だが、ここに記されている内容が真実だとすれば……」
ライナスの心に大きな葛藤が生じた。書物に記された真実は、エルフたちが信じてきた価値観そのものを覆すものだった。光だけが正義であり、闇は悪である――その信念が欺瞞だったというのか。
「光だけが正しいのなら、なぜこの世界はこうも灰色に沈んでいるのだ……?」
ライナスは思考を巡らせた。もし光と闇の均衡が崩れたことがこの世界の現状を招いたのなら、再びその均衡を取り戻すべきではないか。
しかし、そのためには闇を――かつて封印されたヘカティスを――解放する必要がある。
書物には、ヘカティスが封印されている場所についても記されていた。それは、エルフの里から遥か東にある「永遠の影の谷」と呼ばれる場所だった。そこは魔物の巣窟であり、里の者たちでさえ近寄ることを禁じられている聖域だった。
ライナスは決意した。里の掟を破り、一人でその地へ赴くことを。
「光だけが正しいという幻想を捨てるのだ。闇がなければ、世界は再び調和を失う。もしヘカティスが蘇ることで均衡が戻るのならば、それが真実の道だ。」
ライナスは夜明け前に里を出発した。その足取りは重くもあり、同時に確信に満ちていた。
「永遠の影の谷」にたどり着いたライナスは、その中心に封印の石碑を見つけた。そこには、かつて調律者がヘカティスを封じた際に残した紋章が刻まれていた。ライナスは書物に記されていた古代語の呪文を唱えた。
石碑が微かに震え、周囲の空気が急激に冷たくなった。その瞬間、ライナスの前に漆黒の影が広がり、ゆっくりと一人の女性の姿を成していった。
「……誰だ。私を目覚めさせたのは……?」




