街に広がる絶望
空は鈍い灰色に覆われ、かつて太陽が燦々と輝いていたはずの街は、まるで生命そのものを吸い取られたかのように暗く沈んでいた。
燻んだ空気には不吉な気配が漂い、遠くから響く救急車のサイレンや、どこからともなく聞こえる争いの声が耳障りな不協和音を奏でている。
歩道を行き交う人々の表情には、いつもの活気や笑顔はなく、代わりに疲労と苛立ちが刻まれていた。
視線を交わすことさえ避け、すれ違うたびに肩をぶつけ合う音が無言の不和を示している。
小さな子どもを叱りつける母親、無言でスマートフォンを睨むビジネスマン、目の焦点が定まらないまま歩く老人――誰もが瞳の輝きを失い、互いを敵視しているかのようだった。
そして、その中心にそびえる廃墟。かつては工場だったその建物は今や闇の巣窟と化し、そこから不気味な黒い霧が立ち上り、周囲を蝕んでいた。
その廃墟の中心に立つのは、闇を纏った男――イシュレッドだった。
「これほどまでに濃い悪意……実に見事だ」
イシュレッドの唇が不敵な笑みを浮かべる。彼の背後には渦巻く闇が黒い触手のように蠢いており、それが周囲の空間に侵食していく様子が見て取れる。
彼の足元から広がる闇の波動は、目に見えない圧力となり、近くを通りかかったカラスさえも逃げ出していた。
「この街の悪意……いや、この世界全体の悪意は、我がいたルーセリアを遥かに凌駕している。これこそが人間の本質というものか。忌々しくも、美しい」
彼は手を広げ、まるで舞台俳優が観客を迎え入れるかのような仕草を見せる。
その手から放たれる闇の力が周囲に広がるたびに、街の一部が彼の支配下に落ちていく。
「人々の不安が増幅し、憎悪が形を持ちはじめたか」
イシュレッドの耳には、遠く離れた場所で繰り広げられる争いの声がはっきりと聞こえていた。
公園で起きた些細な喧嘩が暴力事件に発展し、スーパーマーケットのレジ前では口論が激化している。すべてが小さな火種から始まり、瞬く間に炎上していく――それが、彼の力が人々に与える影響だった。
「素晴らしい。すでにこの一帯は十分な悪意で満たされているが、私は満足しない」
彼の目が赤く光り、廃墟の高い場所から街を見下ろす。そこには憎悪と絶望に飲み込まれつつある人々の姿が広がっている。
「この街全体を飲み込み、さらには世界全体を覆い尽くす――それこそが我が役割」
イシュレッドは低く笑い、その手を再び闇の中に沈めた。そこから湧き出る漆黒の霧が、廃墟の外壁を染め上げ、さらに広範囲へと広がっていく。
だがその時、イシュレッドの表情が一瞬険しくなる。彼は目を閉じ、意識を周囲に拡張するように静かに集中した。
「……ふむ」
しばしの沈黙の後、彼の口元に不敵な笑みが戻る。
「あの娘……私の支配から逃れたか」
彼は視線を上げ、曇天の空を見つめながらゆっくりと語る。
「共鳴者へのへの封印は完了した。この世界で私の進撃を止められる者はもはやいないのだ。まあ
あの娘の心はすでに壊れている。いつでも支配し直せる」
彼の目が冷たく光り、再び街を覆う闇に視線を戻した。
「憎悪の深さに溺れゆく人間どもよ。その絶望がさらなる力となる。抗う者たちもまた、すべて飲み込んでやる」
イシュレッドは廃墟の頂上に立ち、再び手を広げた。街全体に広がる闇の波動がさらに強まり、その場にいるだけで誰もが息苦しさを覚えるほどだった。
遠くから見れば、廃墟の周囲が黒い球体で覆われているかのように見えた。
「さて、次なる段階へ進むとしよう。この悪意をさらに濃くし、この世界を私のものとする」
彼の冷たい声が廃墟に響き渡ると、空はさらに暗く、街全体が闇の檻に閉じ込められていくようだった。その姿は、彼の絶望と支配の象徴そのものだった。
この瞬間、街に漂う悪意は一層濃くなり、人々の心に絶望と憎悪を刻み込む。世界を闇に染めるというイシュレッドの野望の達成が近づいている。
◇
クルスの病室でアキラとミキは最後の確認をしていた。
ミキとセルスはストラテゴウスのリアルタイム解析機能とアルケウスの連携とセルスからミキへの魔力提供の確認を行い、アキラとリアはアイテム生成クリエイトキャプチャの最終確認とリアとの連携の確認を行っていた。
その後、アキラとミキは視線共有シェアヴィジョン用のWebカメラを伊達眼鏡に装着し、Bluetoothイヤホンの動作確認を行う。
「全て正常に動くな。よし、やれる事はやった。」
アキラがグループ通話で3人に語りかける。
「よし、ミキ最後に『ルクス・ノクティス』の試運転をしよう」
『ルクス・ノクティス』はアルケウスがイシュレッドの闇の領域を打ち破る為の切り札となる魔法となる。慎重に最後のテストを行う。
アルケウスで魔法を合成し、詠唱と魔力コントロールの詳細が指示される。ミキが息を大きく吐き詠唱を始める。
「光と闇の力よ、相交わりて闇を打ち払え、光と闇は共に存在し、お互いを調和せよ――『ルクス・ノクティス』!」
だが、その瞬間ミキに微かに残る闇の呪縛が暴発し、ミキの耳元に低く冷たい囁きが響き渡った。まるで直接脳内に流れ込むようなその声は、深い闇の底から這い上がってきたかのような不気味さを帯びていた。
「クルスを傷つけたのは、他でもないお前自身だ。その事実から逃れられると思うのか?」
ミキの手がぴたりと止まり、体が硬直する。頭の中に浮かぶのは、あの瞬間――ナイフを握り、クルスを傷つけた自分の姿。その記憶が闇の囁きによって鮮明に蘇り、胸を締め付ける。
「そうだ、お前の手でクルスの命を奪おうとした。今さら何を取り繕おうとしている?」
その声に抗おうとする意志が薄れていき、ミキの心は再び暗闇に飲み込まれそうになる。彼女の瞳に浮かんだ涙がぽつりと頬を伝い落ちた。
「ミキ!しっかりして!」
スマホ越しに響くセルスの声が、ミキの意識を揺さぶった。その声には焦りと、強い決意が込められていた。
ミキはかすかに顔を上げるが、瞳は不安に揺れていた。
「でも……私が……私がクルスを傷つけたの……。私がいなければ、こんなことには……」
弱々しい声で呟く彼女の表情には、自分自身を責め続ける苦しみが滲んでいた。その瞬間、闇の囁きがさらに強まり、まるで追い打ちをかけるようにこう告げる。
「そうだ、すべてはお前のせいだ。お前がいなければ、クルスはこんな目に遭わなかった。お前がクルスを傷つけ、クルスを死の淵に追いやったのだ」
その言葉に、ミキは震えながら両手で耳を塞ぐ。だが、囁きは彼女の内面に直接響き続けた。
「ミキ、違うわ!」
セルスの力強い声が、闇の囁きに負けじとミキに届く。
「あなたが傷つけたのは事実かもしれない。でも、それはあなた自身の意思じゃなかった。闇の力に操られていただけよ!今ここにいるあなたは、クルスを救いたいと心から願っている。そんなあなたの心の強さが、今こそ必要なの!」
ミキの中で葛藤が渦巻く。セルスの言葉は確かに彼女の胸に届いている。だが、それでも囁きの影響は強く、彼女の手を縛り付けるかのようだった。
「どうせ救えない……お前の手は汚れている……そんな手で何を救おうというのか?」
「……違う!」
ミキは声を振り絞り、闇の囁きに抗うように叫んだ。その叫び声に自身の涙も交じり、震える手をぎゅっと握りしめる。
ミキは深く息を吸い込み、静かに吐き出す。そして、セルスの声を思い出し、頭の中で自分に問いかけた。
(本当に私にできるの……?クルスを……救うなんて……でも……私がやらなきゃ、誰がやるの?)
その問いの答えを導くように、ミキの胸の中に小さな光が灯る。それは、彼女がクルスを助けたいと心から願う純粋な気持ちだった。あの時、自分を責めていた彼の微笑み――「お前のせいじゃない」と優しく語りかけてくれた彼の言葉が、彼女の心に残っていた。
「私は……クルスを助けたい。どんなに怖くても、どんなに辛くても、私は……!」
ミキは目を閉じ、震えながらも自分の内なる闇を押し返すように深く集中した。
ミキはセルスに向けて頷き、静かに呟いた。
「やってみる……!私には、これしかできないから……!」
セルスもまた深く息を吸い込み、彼女の覚悟を感じ取った。
「その意志があれば、絶対にできるわ。ミキ、私を信じて――そして、クルスを信じて!」
再び両手を掲げ、ミキは「ルクス・ノクティス」の詠唱を始めた。
「光と闇の力よ、相交わりて闇を打ち払え、光と闇は共に存在し、お互いを調和せよ――『ルクス・ノクティス』!」
その瞬間、ミキの周囲に眩い光が広がり、部屋中を包み込んだ。光は闇の囁きを完全にかき消し、ミキの中にあった最後の闇の呪縛も浄化した。
セルスの声が優しく響いた。
「よくやったわ、ミキ。その光は、あなたの心の強さの証よ」
ミキは光の中で深呼吸をし、泣きながらも微笑んだ。
「クルス……絶対に救ってみせるから……!」
その様子を見ていたアキラが頷く。
「よし、この世界の闇に決着をつけに行こう!」
こうして、それぞれの役割と覚悟を胸に、彼らは決戦の場へと向かう。街に広がる闇を打ち払い、クルスを取り戻すための戦いが、今まさに始まろうとしていた。