現実への影響
鬱蒼とした森の中、リアの足音だけが湿った地面に響いていた。霧が立ち込め、わずかな日差しさえも葉の隙間に遮られ、そこはまるで時間が止まったかのように静まり返っている。
「リア、前方に反応あり。けど……魔物じゃないな。」
共鳴を通じてアキラの声が響く。地図アプリには、小さな反応が赤く点滅している。
「了解。警戒しつつ進むわ。」
リアは剣の柄に手を添え、足音を抑えながら慎重に前へ進んだ。
茂みを抜けた先、目に飛び込んできたのは、一人の少女の背中だった。彼女は深いマントを纏い、地面に膝をつき、何やら熱心に調べている。手元には苔むした石板――その表面には奇妙な模様が刻まれていた。
「誰?」リアが声をかけると、少女が素早く立ち上がり、短剣を構える。
「動かないで!」
鋭い声が森に響き、空気が一瞬張り詰める。
リアは敵意がないことを示すようにゆっくりと剣を下ろした。「私は敵じゃないわ。」
少女――カイラはリアをじっと見つめ、すぐに彼女の耳や装束に気づいたのだろう。表情がわずかに緩む。
「エルフ……ね。」カイラは短剣を下ろし、苔むした石板を指さした。「危ないところだったわ。あんた、もう少しでこれを踏みつけるところだった。」
「石板?」リアが視線を落とすと、そこには古代文字が刻まれた石板が半ば地面に埋もれている。
「ただの石じゃない。これは古代の民の言葉で、光の力を封じた『鍵』に関する記録よ。」
カイラは自信たっぷりに答えると、指先で石板の模様をなぞった。
「文様が描く形状と刻印の深さ……間違いないわ。これはエルシェリア遺跡の入口に繋がる鍵の一つ。」
リアはその知識の深さに目を丸くする。「あなた、どうしてそんなことを?」
カイラは一瞬、誇らしげに笑った後、少し寂しそうに俯いた。
「私の一族は古代の民の末裔で、光の遺産と知識を守ってきたの。でも……黄昏の契約者に村を滅ぼされて、継ぐ者は私一人だけ。」
「黄昏の契約者……」リアの表情が険しくなる。
「私には、取り戻すものがあるのよ。」カイラは拳を握りしめ、リアを見据えた。
「それで、あんたは何者?光の力を探しているのかしら?」
「その通りよ。私はリア。闇の魔女を倒すために、光の痕跡を追っている。」
リアの言葉に、カイラの瞳が輝く。
「――なるほど。あんたも光を求める者なのね。」
その瞬間、共鳴を通じてアキラの声がリアに届く。「リア、その子、ただ者じゃないな。古代の知識、相当詳しいぞ。」
「ええ、私もそう思うわ。」リアがアキラに応えると、カイラが不思議そうにリアを見つめた。
「ねぇ、あんた、誰と話してるの?」カイラが眉をひそめて問いかける。
「……違う世界にいる仲間、アキラよ。」リアは少し照れながら答えた。
「彼と私は共鳴して繋がっているの。彼の声は私にしか聞こえないけれど、助けてもらっているの。」
カイラは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに納得したように頷いた。
「共鳴者、ね。伝承で聞いたことがあるわ。光の調律者がこの世界を見捨てていない証拠よ。」
「光の調律者?」リアが聞き返す。
「世界の秩序を守るため、光と闇のバランスを調整する存在よ。次元を超えて介入し、どこかの世界に闇が深まれば闇に対抗する力を導く……その力が、今あんたと共鳴者を繋いでいるのかもしれないわ。時には違う世界の存在を直接召喚する事すらある。」
リアはその言葉を噛み締めながら、カイラに手を差し出した。
「あなたいろいろ知っているのね。私たちと一緒に来て。あなたの知識が必要なの。」
カイラは一瞬ためらった後、その手を取り、しっかりと握り返した。「いいわ。光を見つけ出すためなら、手を貸す。」
森を抜けると、目の前に巨大な石造りの遺跡が姿を現した。石壁には古代の文様が刻まれ、瘴気の中でも薄く光を放っている。
「これが……エルシェリア遺跡。」リアの声が静かに震える。
カイラは壁に手を当て、瞳を輝かせた。「見て、文様がまだ生きてる。光の民の力が、この場所には残っているのね。」
遺跡の入口は大きな石扉で封じられ、その表面にも無数の古代文字が刻まれている。リアが警戒して周囲を見渡すと、茂みから黒い狼型の魔物が姿を現した。
「アキラ、すぐにアイテムを!」リアが叫ぶ。
「待ってろ、今すぐ送る!」
アキラが「クリエイトキャプチャ」を操作し、防災ガスライターと強化ガラスを組み合わせ、赤く光る「フレイム・ジェム」を転送する。
リアは魔石を手に取り、地面に叩きつけた。「炎よ、光と共に燃え盛れ――!」
轟音と共に炎が広がり、魔物を焼き尽くす。
「……だから詠唱はいらないって!」アキラの声がツッコミを入れる。
リアは少し顔を赤らめながら呟いた。「エルフにとって、不思議な現象と言葉はセットなのよ……仕方ないじゃない。」
カイラがそのやり取りを興味津々に見つめ、「あんたたち、本当に面白い組み合わせね。」と微笑む。
「さあ、行きましょう。この遺跡の奥に、光の力を探す鍵があるはずよ。」カイラは石扉を見据え、真剣な表情を浮かべた。
リアは剣を構え、足を踏み出す。「ええ、準備はできている。」
重厚な石扉が軋む音を立てて開くと、リアとカイラの前に、長い時を経た闇が広がった。
埃っぽい空気、薄暗い光が漂うエルシェリア遺跡の内部は、古代の静寂に包まれ、異様な威圧感が漂っている。壁面には光の文様がかすかに輝き、足元には幾何学模様の石畳が道を示すように続いていた。
「……まるで時が止まっているみたい。」
カイラが呟きながら、壁に刻まれた模様を手でなぞる。
リアは剣を握り、辺りを警戒する。「瘴気が強いわ。この遺跡も、魔物に侵食されている。」
その時、アキラの声が共鳴を通じて響いた。
「リア、遺跡の構造が地図アプリに表示され始めた。……おい、中心部にかなり強い反応があるぞ。何か、すごいのが待ってそうだ。」
「中心部ね。」リアが静かに頷く。
カイラも真剣な表情で続けた。「この遺跡は、光を封じるために作られた場所。文献にはこう記されているの――『光を求める者よ、闇を恐れず、その心に光を宿せ』って。」
「試練……ね。」リアの目が鋭くなる。
リアたちは、遺跡の奥へと進んでいった。光の文様が道を示しているように見えるが、その先には瘴気が立ち込め、異様な気配が漂っている。
「この文様……進むべき道を示しているようだな。」
アキラが冷静に判断する。
カイラが壁の文様を指さしながら説明した。
「見て。光の模様が徐々に中央へと収束している。進む方向は、光が導いてくれる。でも間違えたら――。」
その言葉が終わる前に、突然、地面が震え始めた。石畳が軋み、不気味な唸り声が闇の中から響く。瘴気に包まれた石像の守護者が動き出し、巨大な腕を振りかざしてきた。
「来たわね。」リアは剣を抜き、戦闘態勢に入る。
「リア、右だ!避けろ!」
アキラの声が響くと同時に、リアは右へ跳び、石像の攻撃をかわした。
「カイラ、後ろに下がって!」リアがカイラを庇い、石像の腕に剣を叩き込む。しかし、石の体には傷一つつかない。
「硬すぎる……!」リアが歯を食いしばる。
「アキラ、何かアイテムを!」リアが叫ぶ。
「待ってろ、すぐに送る!」
アキラが「クリエイトキャプチャ」を素早く操作し、現代の素材――工業用ハンマー、鉄パイプ、そして熱硬化樹脂を組み合わせ、特製アイテムを生成した。
「送るぞ、リア!『クラッシュ・ジェム』だ!」
リアは受け取った赤く光る魔石を手に取り、石像の胸部へ向けて叩きつけた。
「砕け散れ――!」
爆発的な衝撃が発生し、石像の中心部に亀裂が走る。鈍い音を立て、石像は崩れ落ち、粉々に砕け散った。
「……助かったわ。」リアが息を整えると、カイラが崩れた石像の破片をじっと見つめていた。
カイラは石片を拾い、じっと凝視している。「これ……ただの石像じゃないわね。」
リアが驚いて尋ねる。「何か分かるの?」
カイラは石の表面をなぞりながら呟いた。「古代の魔力が微かに残っている。これは光の力の一部を封じ込めたものよ。遺跡全体が、光の力を守り、試練を与える構造になっている。」
リアは少し躊躇しながらも、ずっと抱えていた疑問をぶつけた。「この世界には、風や水、炎といった基本属性の魔法、それに聖属性と闇属性の魔法が存在しているわよね。」
「……そうね。」カイラが軽く頷く。「聖属性は浄化や回復に特化した魔法で、魔物には有効。でも――」彼女はリアの言葉の続きを予感したように、静かに続けた。
「――光の属性は存在しない。そう言いたいんでしょう?」
リアは深く頷く。「ええ。なぜなの?光の魔法がないなんて、普通じゃ考えられないわ。」
カイラは少し顔を曇らせ、遺跡の壁を見つめながら答える。「光の魔法は、この世界が闇の魔女に支配される前……遥か古代に存在していた力よ。でも今は、光そのものが封印されているの。」
「封印?」リアの眉がわずかに動く。
「そう。闇の魔女は光を恐れた。光があるだけで闇は存在を否定されてしまうから。だから、彼女は次元を超えるほどの力を使い、この世界から光の属性そのものを封印したの。」
カイラの声には怒りと悔しさが滲んでいた。
「それ以来、この世界では光を扱うことはできなくなったわ。私たちが使えるのは基本属性――風、水、炎、土――と、聖と闇の属性だけ。それも光が封印されているからこそ、不完全なの。」
リアは剣を握りしめ、真剣な表情で尋ねた。「……この遺跡にある光の力。もしそれを見つけることができたら、私にもその光を宿すことはできるの?」
カイラは少し驚いたようにリアを見つめ、真剣な表情を取り戻す。「……簡単ではないわ。光の力は、ただ見つけただけでは手に入らない。その力を手にするには、心に真の光を宿す覚悟が必要なの。」
「心に……真の光?」リアが小さく呟く。
「ええ。光は勇気、希望、信念といった心の在り方に反応する力。闇に立ち向かう者の心に宿る――と伝えられている。でも、力そのものが封印されている以上、光を呼び起こす方法は、私たちも知る者が少ない。」
カイラは再び古代の文様をなぞりながら続けた。「この遺跡には、光の力の手がかりが残されているはず。でもそれが封印を解く鍵になるかどうかは……あなた次第よ。」
リアは真剣な表情のまま、壁の輝きをじっと見つめる。瘴気が漂う暗闇の中で、その光は確かに闇を拒むかのように輝いていた。
「心に真の光を宿す覚悟……ね。」リアは小さく呟きながら、自らの使命と心の中に灯る信念を再確認するように剣を握り直す。
共鳴越しにアキラの声が届いた。「光を宿す力……なんかすごい話だな。でもリア、お前ならきっと見つけられる。」
「心に真の光……?」リアはその言葉を噛み締める。
その時、アキラが共鳴越しに割って入る。「リア、前方にもっと強い反応がある。遺跡の中心部だ。」
リアは剣を握り直し、決意を込めて言った。「分かった。進みましょう、カイラ。」
カイラも荷物を背負い直し、真剣な表情で応じる。「遺跡の中心に光の鍵がある。あなたが心に光を宿せるか――それが試されるわ。」
その時、カイラが真剣な表情で口を開いた。
「……アキラと言ったかしら。」
その言葉にリアが驚き、共鳴越しにアキラも反応する。
「え、俺? 何か用か?」
カイラは視線を宙に向け、リア越しに語りかけるように続けた。
「あなたも気をつけた方がいいわ。こうしてこの世界と繋がっているということは、あなたの世界にも魔女の影響が伝わる可能性がある。」
「魔女の影響が……俺の世界にも?」アキラの声が震えた。
カイラは淡々と、しかし確信に満ちた様子で言葉を続ける。
「例えば、あなたの世界で異常気象が増えたり、人々の心が闇に飲まれやすくなって犯罪や争いが増えたりすること。魔女の闇は、次元を超えて広がることがあるのよ。」
アキラは息を呑んだ。彼の脳裏に、ここ半年間の出来事が浮かぶ。
――突如として発生した大地震、異常なまでの猛暑や豪雨。そして、ニュースで増加している不可解な犯罪や事件。
「……まさか。」アキラの声がかすれる。「それって……もうすでに始まっているってことか?」
リアがカイラの言葉を受けて、すぐにアキラへ向けて言った。
「アキラ、それなら――共鳴を切って。」
「え?」アキラが耳を疑う。
「あなたの世界に魔女の闇を伝えるわけにはいかない。」
リアの表情は真剣で、微かな焦りが滲んでいた。
「あなたは安全な場所に戻って。共鳴が続いている限り、あなたの世界まで魔女の力が及ぶ危険があるわ。」
アキラはしばし沈黙し、息を整えた。そして、強い決意を込めて答えた。
「――リア、それは違う。」
その声には、これまでの迷いが一切なかった。
「何が違うの?」リアが驚いた表情で尋ねる。
アキラは続ける。「これまでは別の世界の話だと思ってた。でも、今のカイラの言葉を聞いて分かった。闇の魔女は、リアだけじゃなく、俺の世界にも影響を与えている。 これはもう他人事じゃないんだ。」
リアは驚いたまま、アキラの言葉に耳を傾ける。
「だから俺は、共鳴を切ったりしない。」アキラの声が一層強く響く。「闇の魔女は倒さなきゃいけない存在だ。それはリアと一緒に――いや、俺たち二つの世界の共通の敵だと、今確信した。」
リアの心に、彼の決意が深く届いた。その共鳴を通じて感じ取れるアキラの覚悟に、彼女は静かに微笑んだ。
「……ありがとう、アキラ。」リアは小さく呟く。
カイラはそんな二人のやり取りを聞きながら、静かに呟くように言った。「光の調律者の存在がここにあるのね……。次元の境界を越えて、この世界に希望を繋ぐ者――あなたたちは、確かにそれに導かれているのかもしれない。」
「任せろ。リア、僕たちならできる。」アキラの声が力強く響く。
リアとカイラは、瘴気に包まれた道を越え、真の光を見つけるために歩みを進めた。遺跡の闇は深く――しかし、その先には、確かに光の力が待っているはずだった。