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ロード・トゥ~星属性の不運~  作者: スミだまり
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4話 安心してしまった


 そのドラホーンは、自室の窓から夕暮れ時の空を見上げてつぶやく。


「ユーリス……ユーリス・パス・オービター……ユーリス……」


 熱に浮かされるように何度も、星属性を宿した男の名を口からこぼす。

 竜の里の奥に佇む二階建ての木造屋敷は、ドラホーンの族長が住まう建物だ。美しいドラホーンが、その建物の二階窓から上半身をのりだし、同じ名を何度も呼ぶのは近所の噂になっている。

 部屋の扉の前で、父であり族長であるマグスタン・ケンタウリは、ため息まじりに「またか……」と困ったようにかぶりを振った。この発作は、星属性の男性ヒューマンが旅に出る日に近づくたび増していく。ちっとも落ち着かない。自分の子らしからぬ浮かれ具合だった。


「こりゃあ重症だ。まあ衝撃的な出会いだったのは違いないだろうが」


 マグスタンは独り言をしながら階段を下りる。もうすぐ夕餉(ゆうげ)の時間だった。食堂に向かう途中で、玄関の扉が開く音を聞いた。振り向くと、そこにはもう一人の自分の子が立っている。

 その若いドラホーンは困ったように、父親に訴える。


「あれ、いい加減にやめさせよう。家の外からすごく目立っていた。近所の噂になるのもわかる」


「私もやめさせたいと思うのだが、こういうときはなんていえば良いんだろうな……」


「……しかたない。旅に出発したら治まるさ。それまで我慢するしかないな」


 そうだと良いが、なんだか日を増すごとに酷くなっている気がして、マグスタンは胸中の不安が治まらない。

 とはいえ、時間が解決するだろう。そう考えて彼は食堂へ向かいながらいった。


「それじゃあフロム。すまんがルーフェンを呼んでくれ。晩御飯だとな」


「了解した父さん。まったくあの馬鹿兄貴。いったいいつまでつぶやいてるんだ」




   =   =   =   =   =  




 ユーリスの気持ちとは裏腹に、高い青空から午前の太陽光が心地良く差す、小国グリュークの都市、その貴族街。

 区画の端のほうに建つ、良くいえば歴史を感じさせる屋敷の前で、ユーリスは魔導呼び鈴に手を伸ばしては引っ込める。もう一度手を伸ばすも、やはり指が動かない。


「…………怖い。ふつうに怖い」


 日を改めたいという気持ちで頭がいっぱいだ。しかし予定がある。これ以上、先延ばしにはできない。意を決して、ユーリスは指に力を込めた。


「やっぱ明日にするか」


 込めただけで動いていない。身をひるがえして歩きだす。すると少し進んだところで、玄関から扉を叩きひらく大きな音が響いた。驚いたユーリスは、直立姿勢のまま地面から拳ひとつぶん飛び上がったあとで、柵の向こうに目を向ける。


 そこには数日前に王城で見かけた、自分と同じ亜麻色髪をのばしている小柄なヒューマンの少女がいた。ドレスではなく、魔技武闘着を身に着けて。

 彼女はどこか怒りを滲ませたように足音を響かせ、玄関ポーチから屋敷の門まで歩いてくる。敷石にひびが入りそうな勢いだ。ユーリスは彼女の猛進に硬直してまったく動けない。そしてまた派手な音を響かせて開いた門をくぐって、彼女は目の前まで歩いてきた。腰に手を当てて、こちらをじっと睨むように見つめて口を開く。


「二階の窓からカーテン越しに、いつになったら呼び鈴を押すのかってずっと見てたよ」


「……ずっと、見てたのね。どれぐらい?」


「他人のふりをして一回通り過ぎて、二回目に怯えながら通り過ぎて、まるで泥棒の下見みたいに覗き込みながら三回目でやっと止まって、数分のあいだ門の前で突っ立ってからやっと腕を伸ばしたかと思えば、やっぱ明日にするかって表情で離れだしたぐらいかな」


 つまり最初から最後までだ。ユーリスは自分の顔が冷や汗でびっしょりなのを感じとる。下手な言い訳はやめたほうが良い。


「ごめん。その、正直少し、いやかなり、怖くてさ」


「自分の家でしょ?」


 だからこそだ。ユーリスはその言葉を飲みこんで、屋敷に目を向ける。

 いったい自分のせいで、どれほどまでかき乱してしまった家だろうか。今回の騒動で多少は親孝行できたかもしれないが、それでも長年自分が原因で冷遇されたに違いない。どんなに恨まれているのか。想像もできないぐらい怖かった。

 そうやって硬直していると、目の前の少女が近づいてきて。


「自分の家に帰ってきたら、ちゃんといわないとだめじゃない」


 ユーリスに正面から抱きついた。

 改めてわかる、最後に別れたときとは比べようもなく伸びたその身長に、ユーリスは今さら驚きながら、彼女の頭を撫でる。


「そうだね。……ただいま。アナヤ」


「おかえり。お兄ちゃん…………お兄ちゃん……!」


 身体を震わす妹とそうしていると、視線を感じて屋敷の玄関に目を向ける。

 そこには、自身の記憶から少しだけ老けてしまった両親が佇んでいた。その瞬間、自分の視界が歪んだことに気がつく。少し震えながら片手を上げると、二人は微笑んで頷いてくれた。

 十数年ぶりに、ユーリスは実家を訪れていた。


 久しぶりに味わった母の手料理と、妹が淹れたという紅茶にほだされてやっと、自分は帰ってきたのだと自覚できた。


「おまえのせいだぞ」後ろに撫でつけた黒髪に白いものが混ざった父が、テーブルの向かいから笑顔のままいった。「私がふだん、どれだけ退屈な仕事をしていると思っているんだ。それが急に竜の里との交易責任者ときた。今から勉強しなければいけないことがたくさんだ。この歳でな」


「ユーリスからもいってやってよ」亜麻色がさらに薄くなり、白に近い髪色になった母は苦笑いを浮かべている。「仕事で竜の里を訪れるときは、徒歩で往復するといって聞かないのよ? このおじいさん。自分の健康のためだって子どもみたいにはしゃいじゃって、年相応ってものがないのかしら」


「ご近所に、明竜花をお土産に持って帰るからと見栄を張る、捕らぬ狸の皮算用をしていたおばあさんにいわれたくないな」


「あらま! どこから聞いたのかしらこの楽園耳は……で? ちゃんと持って帰ってきてくれるんでしょうね?」


 相変わらずの両親だった。口元に笑みを隠し切れないやりとりは家を出る前と同じで、ユーリスは心の底から幸せを噛み締めている。

 そして、フロムにつかまって羽鞴山(はぶきやま)を飛んだときの光景が脳裏によぎった。


「花ならきっと、少しはお土産に持たせてもらえると思うよ」ユーリスは、里に大きな花畑があったはずだと記憶している。「ちゃんと交渉する必要があるけれどね」


 その言葉に父が大きく頷いた。


「うむ。勝手に持っていっちゃいかん。これから長く付き合っていくのだから、あちらさんに失礼な態度は言語道断だ」


「今日このあと、あいさつにいくんだよね? 父さん」


「お互い、やっと落ち着いてきたころだからな。本格的に交流や交易に関する話を進めたい。ユーリス、おまえも一緒についてきてもらうぞ。延期は効かないからな?」


 思わず、父に苦笑いを見せてしまった。呼び鈴を押さずに帰ろうとした話を、アナヤから聞いたのだろう。

 しかし今では、ユーリスは心を躍らせていた。交流会の夜からフロムとは顔を合わせていなかった。それはほんのわずかなあいだではあったが、やっと会えると思うと落ち着かない。

 そこに、隣に座るアナヤが「そのまえにお兄ちゃん。覚えているでしょ?」と割り込む。


「あぁ。ザウル師範から聞いているよ。俺の星属性についていろいろ確認したいから、道場にきなさいって。アナヤも一緒にっていってたけれどさ。その恰好、まさか」


「そのまさかよ。私、魔技武闘の習得者なんだから」


 優しく穏やかな印象を与える、妹ながら器量良しと思える顔を見て、絶句した。答えを求めるように父と母へ順に顔を向けると、母が「アナちゃん、そこらの男よりも強いんだから」と笑った。父はそれとは逆に、心底困ったようにいう。


「強くなりすぎた。おまえが王城管轄の治療院に入ったと聞いたら、お兄ちゃんに会うんだといって正面から突破しようとしたのだから。兵士たちを相手に」


「えぇ……」ユーリスは、治療院に入った二日目に表が騒がしくなったときを思いだした。「あれ、アナヤだったのか」


「お兄ちゃん。何階にいたの?」


 妹の質問に、ユーリスは「三階の西側奥だけど」と答える。すると彼女は、「も~あと一階押しとおるだけだったのね」と、おそろしいことをつぶやいた。

 そうして少しだけのあいだ、懐かしの実家ですごしてから妹と二人で玄関を出た。


 現在、ザウルの息子が経営する魔技道場は、ユーリスの実家がある貴族街からほど近い場所にある。

 ユーリスは、自分が属性に絶望していた時期にザウルが度々訪ねてきてくれたのは、この距離の気安さもあってのことだろうと、隣を歩くアナヤに話してみた。


「うーわっ! お兄ちゃんそれ、師範に絶対いっちゃだめだからね! どれだけ多忙のなかで訪ねてもらってたのか知らないの? 星属性の子はわかってないな~」


「ん、悪かったよ。星属性の子は、そいつが想像してる以上に優遇されてたんだろうさ」


 貴族街を歩いていると、周囲から自分たちに向けられた視線に、嫌でも気がつく。この区画を貫く幹線道路を進むのが、道場に向かう道のなかで一番近いものだから、どうしてもオービター家の兄妹は目立ってしまうらしい。

 そしてユーリスは、この人通りの多い道を妹が、役立たずの兄を持つ年が離れた妹が、一人で歩いていたのかと思うと心が苦しくなった。アナヤが強くなった理由は、けっして明るいものだけではなかっただろう。


「お兄ちゃん」


 立ち止まったアナヤに、ユーリスはどうしたのかと振り返る。すると、「えいっ」アナヤは背伸びをして、ユーリスの頭を抱きかかえた。


「ちょちょちょ! なにするんだ、まわり見ろ! 恥ずかしいって!」


「じゃ、今みたいな泣きだしそうな顔は禁止ね」


「……そんな顔、してた?」


「してた」


 ユーリスは、抱えるアナヤの腕を軽く叩く。そうしてやっと解放してくれた妹の顔をじっくりと見た。その輝く笑顔は「悲しい顔、消えたね」といった。それは彼女が幼いころに見せてくれたものと、なにひとつ変わってはいない。

 そういう妹自身が、さらなる周囲からの視線に頬を染めている。そそくさと、二人は道場へと歩き出した。




   =   =   =   =   =  




 魔技道場の看板横にはためく、幟に書かれた文字をユーリスは見上げて読んでみた。


「…………星の英雄ユーリスは、ここで鍛えられた」


「安心して。別にこの(のぼり)のせいで、入門者がたくさん増えてたいへ~んなんて状況にはならなかったよ」


「はは~そりゃ良かった。迷惑をかけずに済んだんだね」


 道場の母屋は、周囲から良い意味で浮いている木造の建物だった。

 空から見た竜の里と同じ雰囲気だなと、考えたユーリスは笑って首を振った。順序が逆だ。本来は竜の里を見たときに、道場と似ていると考えるべきだ。ずいぶんと記憶が薄れてしまっていたらしい。


「変なお兄ちゃん」


 ユーリスを横目に、アナヤは道路に面した母屋をまわって裏手に向かう。妹の背に自分もついていった。

 魔技は属性を使用して訓練する。屋内で訓練すれば火事になることが懸念され、世界中の魔技道場は屋外での鍛錬場を必ず用意している。二人が訪れた鍛錬場も、そんな青空舞台だった。

 ユーリスは、呪われた大地の近くで見た石舞台を連想した。あれほど広くはないが、この場所に敷かれた石舞台も立派なものだった。よくこの舞台の上を動きまわったものだと、少しずつ昔の光景がよみがえる。

 その舞台の中央には、石造りの床にかまわず正座して目を閉じるザウルの屈強な身体があった。引退したとは思えない集中力だ。まるで「ぐぅ……」眠っているようだ。


「んっん! え~。んっ!!」


 慣れない咳払いの真似をする妹のおかげで、師範の目はパチンと開いた。


「おぉ、おはよ……んんっ! よくきた、オービター家の兄妹よ。待ちくたびれたぞ」


 待ちくたびれた体感時間はそうとう短いに違いないと、ユーリスは口に出さずに石舞台に上がった。現役で通うアナヤは、丁寧に一礼をしてから舞台に上がる。

 そのタイミングで立ち上がったザウルは、いつか魔石採掘場でそうしたように、二本持った木刀のうち、何もいわず一本をユーリスに投げてよこした。


「まずは二、三回」


 準備運動もさせないまま、木刀を両手で上段に構えたザウルは、まっすぐに突っ込んできた。

 隣のアナヤは、見事な足捌きで横に移動する。その重心と体幹を崩さない流麗な動きに、ユーリスは一瞬だけ目を奪われた。


「よそ見とは余裕じゃなっ!」


 さすがに油断した。ユーリスは内心あわてながら、アナヤとは逆方向に跳ねる。すると。


「うぉっと!?」


 思いのほか跳躍は鋭く大きかったために、かなり離れた位置に移動してしまった。ザウルは驚いたようにユーリスを目で追う。


「あははっ……少しよろけてしまったよ」


 ユーリスは木刀を構える。通用するかどうかは不明だが、木刀に星属性をまとわせる。銀色の光が手に持つ木刀を包みこんだ。

 改めて姿勢をなおすザウルは、木刀を横に構え、それに火属性の魔術を施した。武器の素材が木材であろうが問題なく付与される。濃厚な魔力の火炎が木刀をおおいつくす。

 ザウルの向こうからアナヤが心配そうに見つめている。ユーリス自身もかなり緊張している。本当に自分の魔技が通用するかどうか、今こそ判明するときだ。


「いくぞ」


 ザウルは言葉と同時に再び突進してくる。動きがまったく違う、真に魔技武闘を発揮する者の速度だ。

 採掘現場や先ほど見せた動きが、稚児のお遊びにおもえるほどの攻撃だが、「……っ!」ユーリスは横に薙ぎ払うザウルの一撃を、後ろに避けた。次々とせまる炎の剣閃。ユーリスは自分でも信じられないほど軽やかに、少しの移動と体捌きだけでそれらを避ける。ザウルの顔に焦りが浮かんだ。


「ふぅっ!」


 ザウルの振るう木刀の柄近くに一撃を叩き込んだ。すると、「なぁっ!?」付与された炎の魔力の大部分がかき消えて、食い込んだユーリスの一撃は、ザウルの木刀を弾き飛ばした。

 驚いたのは、叩き込んだときにその木刀を覆う炎を、魔力を斬ったと確信できる感触があったことだ。


 乾いた音を立てて転がる木刀を、ユーリス、ザウル、アナヤが呆然と見つめる。

 しばらくそうしていると、「ふっふふふ。ははははあ!」ザウルが大口を開けて笑いだした。オービター兄妹は戸惑った視線を交わす。


「まったく、困った子じゃのう。おぬしは!」


 落ちた木刀に歩み寄り、拾い上げるまでザウルは笑顔だった。かと思えば、真面目に考えるような顔つきで、拾った木刀を見つめる。


「今でこそいうが、里へと向かった精鋭たちがいっていた、おぬしが竜の脚や首を切り飛ばしたという話は、信じたくとも信じきれなかった。だが、こうして見せつけられるとのう……」


「俺自身、ぜんぜん理解していないよ。自分の身にいったい何が起きたかなんて」


「少しずつ確認しよう。もう一度きなさい」


 アナヤが見守るなか、ユーリスはザウルと何度か剣を交えた。そうしていくうちに、徐々に自分の力を確認できるようになった。

 休憩しながら、ザウルと今のユーリスの属性について意見を交わす。


「少なくとも、旅にはなんの心配もなく出発できる。安心なさい、ユーリス」


 ひとつ。ユーリスの魔技は、相手の魔力武装を削減、あるいは解除できる。武器に当てればその武器がまとう魔力を削り、行使する本人にぶつければ、その者の魔力武装すべてを即時、解除できる。

 ふたつ。これまで星属性の輝きは魔技や魔術の属性、あるいは魔力武装の構成部分をすり抜けるだけだったが、今はきちんと接触することができる。つまり、相手の属性攻撃を星の力で対処することができるようになった。すり抜ける強みが消えたわけではない。ほかの属性では考えられないぐらい容易に、対象の魔力を切断、あるいは貫通できる。今のユーリスに対して、生半可な魔力武装は逆に危険とすらいえる。

 みっつ。それでも、この星属性そのものは殺傷能力を持たない。


「師範。その、だいじょうぶかい? 俺の星属性では出血なんかの怪我はしないみたいだけれど、さっきから身体が銀色に光って、痺れさせてるようだ」


 ユーリスの言葉に「軽い軽い。本当にわしを倒すつもりなら、もっと強く当てなさい」とザウルは笑った。

 そこにアナヤが「お兄ちゃん! 私も力試しにつきあってあげようか?」といって、その足に緑色に輝く風をまとわせた。フロムたちドラホーンとは違って、通常の魔力武装とはこのようなものが一般的だ。物質化する魔力の武装、晶析武装(しょうせきぶそう)を行使できるのは世の中でも上澄みの者たちだ。


「あっ、ごめんアナヤ。これ相手の魔力武装の作り方や攻撃の当たり具合によっては、爆発的に全身を銀色に光らせて、激痛と共に痺れさせちゃうみたいなんだ。だからおまえにはちょっとキツイかも」


「えー。お兄ちゃん。そんな怖い魔力を使うようになったんだ……」


 そんなことは聞いてなかったけれど? というザウルの視線を無視して、ユーリスは自分が持つ銀色の木刀を見上げる。

 子どものころには綺麗なだけで意味のなかった輝きが、今では自分の力に、武器になってくれている。その事実にユーリスの心には、生まれて初めて自信というものがふつふつと湧いてきた。

 そして、同時に思い出した。いつの日か夢見た自分。誰かを守ることができる自分。誰かと共に、戦場で剣を振るう自分。その誰かが、この輝きをもたらしてくれたのだ。


「……俺、もらってばっかりだね」


 ユーリスのこの自信は、驕りとするには少しばかり事情が甘すぎた。自分の努力の結果ではない。竜の少女の顔が脳裏に浮かぶ。彼女と出会わなければ、彼女が自分の手をつかんでくれなければ、ずっと空虚な銀の光のままだったのだから。

 ザウルとアナヤは、そのように思いふけるユーリスに対して、しかたがないなと苦笑いを浮かべあった。


「すみませーん!」


 ユーリスの父の声だ。

 三人がその声に振り向くと、そこには父のほかにも、高齢の男性がいた。


「えっちょ」ユーリスは高齢男性を見つめる。「ハストンさんじゃないか!」


 父の横に立っていたのは、あの呪われた大地付近の、ぼろ布蟹に悩まされた街で自分とフロムを匿った高齢の男性、ハストンだった。

 彼は眩しそうに笑って、「じつは父君とさっきから、こっそり覗かせてもらっていたよ」と近づいてくる。ユーリスはあわてて石舞台から飛び降りて出迎えた。


「そうだ。あんなに助けられたのに、俺はあなたへお礼に訪ねもしなかった。礼儀を欠くにもほどがある」


「ははは! 気にしなさんな。竜のお嬢ちゃん。あぁフロムちゃんだったか。新聞で読んだ程度だが、二人がとてもたいへんな目に遭ったのは重々理解している。肩の力を抜きなさい」


「そういってくれると助かるよ。……父さん? どうしたのさ、固まっちゃって」


 父が「おまえ。ハストン会長にそんな口調で」と呆れた顔を浮かべていると、ハストンはかまわないというように手を振ってから、ユーリスを見据える。


「竜の里には、ユーリスくんの父君と一緒に向かう予定だったのだ。君と同行させてもらうよ」




   =   =   =   =   =  




 グリュークから竜の里に向かう馬車のなかで、ユーリスはハストンの住む街、サンシモンのそのあとを聞いた。

 あのとき助けてくれた女性エルフと男性ドワーフは、経緯を聞いた王城から恩赦(おんしゃ)が与えられた。シルヴァとロッドーと同じ要領だ。彼らを庇っていたハストンにも、責任追及の声が少し上がったが、王城の一声でそれらはすべて消え去ったらしい。

 加えて、これからサンシモンはグリュークに次いで竜の里との交流が盛んになる。ドラホーン族長の娘を救ったことが周知されたハストンは、サンシモンにおいてさらなる重要人物になる。下手な口出しは禁物という共通認識が生まれたのだろうと、目の前の本人は語った。


「あの冒険者の二人は」


「たっぷり謝礼を渡しておいた。王城から授与される分をわしが立て替えてな。南で列車に乗るとかいってたから、いまごろはポートメリオンに向かって移動しているだろう」


「良かった。ありがとう、ハストンさん。あとサンシモンが竜の里と関係が深くなるってのは、南竜の門が近いっていう理由もあるとおもうけれど、もしかして呪われた大地の再生についても関係が?」


「おお、ユーリスくんは耳が早い! あっいや、フロムちゃんから聞いたのかな?」


「正解だよ。えっとたしか、魔力を誘導するとかなんとかだったかな?」


 あの呪われた大地を前にして、竜の少女から教わった内容をかすかに覚えている。その活動は、フロムの兄が力を入れているらしいこともいっていた。ユーリスの答えにハストンも頷く。


「長い計画になる。わしの孫が大人になるどころか、その子の孫が生まれても終わってはいないだろう。だが、続けることに意味がある。かつてそこに在った、あの南西部の自然がいつか取り戻されるのなら、わしも協力は惜しまない」


 強い意志を感じさせるハストンの言葉を聞き、ユーリスはこれからの再生計画に心配はいらないと確信する。

 そうして馬車に揺られていると、砕け散った竜の門を通り過ぎる。車窓の外を見たアナヤが、沈痛な表情を浮かべた。


「怖いね、地平喰(ちへいぐ)らいの槍ってのは。ハストンさんがいった自然を食べて、この竜の門も食べちゃったんだよね。砕け散って安心したな」


 その感想に対して父が「アナヤ。おまえどこまでついてくるんだ?」と苦言を呈すと、妹は「えっ? お父さん。私を途中で下ろすつもりなの?」と、心底不思議そうに振り返った。

 その様子にハストンは微笑み、ユーリスも困ったように笑う。道場前に停められた馬車に、この妹は何かをいわれるまえにさっさと乗り込んだのだった。油断も隙もない。


 次に馬車は、あの三叉路広場を通過する。山奥に通じる道は、ユーリスとフロムが起こした崖崩れの残滓が残っていた。撤去を予定しているのか、頭に角を生やした人と兵士が、互いに意見を交わしていた。


「あっ、ドラホーン。まだ話したことがないのよね、私。ねえお父さん、あの人たちから見て失礼な仕草とか、何かそういうのあったっけ?」


 アナヤの問いに、父は「特別そういうのはなかったと思うけれど、たしかにそのあたりはしっかり確認しておかないとな」と顎に手を添えた。

 ハストンがアナヤに、「彼らは包み菓子が好きだろう。おそらくな」と片目をつむると、アナヤは「本当!? 私、お菓子作りは得意なんだ」と目を輝かせた。


 馬車が進むごとに周囲の自然は増えていく。竜の里は豊かな森林に囲まれていた。優秀な地属性の者がいるのだろう。人工的な匂いを消しきれない樹々ではあったが、この丁寧な術式は、きっと帝国でも通じるものだと思えた。

 木材で造られた小さくて可愛らしい橋を、馬車は小気味の良い音を鳴らして渡る。するとまもなく、視界がひらけて竜の里がユーリスたちの目の前に広がった。その光景を目にしたアナヤがつぶやく。


「…………綺麗」


 自然と調和する木造建築物が、里の奥へまっすぐ延びる道の両脇にならんでいた。古臭さはない。小さな橋から延びる石畳みの道は、どこまでも清潔でひび割れひとつ見当たらない。背の低い灌木に囲まれた商店や家屋には、木材だけではなく要所に石材、金属部品を使用していて締まりがあり、威厳を醸し出している。

 それぞれの建物から物珍しそうに、しかし無用に騒ぎ立てることもなくドラホーンたちが見つめていた。アナヤが、車窓の外にいた三人で寄り添う子どもたちに手を振ると、彼らは可愛らしい笑顔を浮かべて手を振り返してくれた。


「こんなにもすてきな場所が、グリュークの目と鼻の先にず~っとあったなんて信じられないや」


 アナヤの一言に、馬車に乗る全員が頷いて同意する。

 グリュークや、魔導列車の沿線にある大都市の活気も良いものだ。だがそれらと比較しても、この里に満ちる、この里にしかない静謐な安寧と空気は、価値がつけられない至宝に違いない。

 事実、過去にはこの里を巡って侵略戦争も起きている。そのたびに竜人たちは、地形とその竜の力をもって危なげなく勝利してきた。また、周辺の別種族たちと戦時中、あるいは戦後の交渉が行われた場所こそが、グリュークという国の出発地点である。悠久の時を護ってきた静寂の里。否、異郷の都。ユーリス、アナヤ、父、ハストン。四人がその柔らかい生活の音と、心地良い馬車のリズムに耳を澄ませる。

 そこに遠くから響く爆発音が邪魔をした。


「鍛冶場からかな?」父が車窓の外を見る。「いや、炉は稼働してなさそうか」


 山の斜面に開拓された竜の里は坂道が多い。今のぼっている坂道からは、すでに里の一部を見下ろすことができた。父の見るほうへユーリスも目を向けるが、長い煙突から煙なんかは出ていない。

 さらなる爆発音。それは進行方向、坂の上から響いているようだった。


「ねえ、様子がおかしいわ」


 アナヤの言葉にユーリスも同意する。しかし、たったいま馬車とすれ違ったドラホーンのご婦人は、馬車の御者に一礼を返してはふつうに歩いていく。異常を感じさせる仕草は何もなかった。次にすれ違った若いドラホーンの二人も、爆発の音は聞こえているはずなのに、むしろこの馬車を指差して話しあっている。何も気にしていない。


「ねえ、この先から聞こえるんだけど」


 馬車は里の主要道路から逸れて、奥に見える立派な邸宅に向かう道を進む。音はそこから聞こえた。


「ねえ、もうすぐ族長さんの家なのよね」


 三度、アナヤが誰ともなく問いかける。皆はすでに察しがついている。爆破、あるいは戦闘音と思えるそれは、ドラホーン族長の邸宅から響き渡っていた。

 そして馬車が装飾美麗な木造の門をくぐったところで、声が聞こえてきた。


「……か所以上だせないようじゃ、このさき厳しいぞ!」


 中性的な声。男性という印象を与えるが、女性のものといわれても受け入れるだろう。そしてそれは耳触りの良い声質だった。ユーリスは知っている。フロムの兄、ルーフェンの声だ。


「……鹿兄貴! もう一回だ!」


 ユーリスは思わず腰を浮かした。フロムの声も聞こえた。この戦闘音は二人によるものなのだろうか。ユーリスは、「ごめん、ちょっといってくる」といって、御者が馬車を止めきるのも待たず飛び出した。


「私も!」背後でアナヤの声。

 ふたりは二階建ての立派な木造邸宅をぐるりとまわる。裏手に、地面が砂地の広い空間があった。まるでつい先ほどまでいた魔技の鍛錬場を彷彿とさせる。

 ユーリスの目に飛び込んできたのは、露草色(つゆくさいろ)をした結晶質の翼を広げ、さらに右腕に同質の竜の腕を生やした男性ドラホーンのルーフェンが、建物と同じぐらいの高さで滞空する姿だった。彼は高らかに吠える。


「フロム。おまえの火力は間違いなく里で一番だろう。だが、これから長い旅を歩んでいくのならば、必要なのは火力ではない。応用力だ。柔軟な対応を求められる場面が、数えきれない判断をせまる状況がおまえに立ちはだかる。それらに、その火力だけで押し進めるつもりか! 通用するとでも思っているのか!」


 彼の眼下には、あの紅玉でつくったような竜の腕と、竜の尾を生やしたドラホーンの少女がいた。フロムだ。彼女は息を切らしながら兄を見上げる。


「そんなことは、いわれなくてもわかっている! それこそずっと……昔からずっとわかっている!」


「だったら考え直せ。おまえのためにいっている」


「ふ……っざけるなあ!」


 フロムは地上から斬り裂くような鋭い跳躍をみせるが、ルーフェンに空中で避けられる。地上に着地したと同時に走り出し、再び跳躍する。次は避けなかったルーフェンは、しかし右腕を覆った青い竜の腕を振るって防いだ。

 そこでユーリスは気がついた。そういえば、フロムは空を飛びながら戦うことは一度もしなかった。王城前広場でも、ぼろ布蟹のときでも、青い竜と死闘を繰り広げたときもだ。ほかのドラホーンの戦士たちは、飛翔しながら戦闘していたのに。そして先ほど薄っすらと聞こえたルーフェンの言葉。


「もしかして、フロムは」


「そうだ。フロムは竜体化を、君たちでいう晶析(しょうせき)武装を三か所つくることができない」


 ユーリスの疑問に、張りのある壮年男性の声が返事をした。

 アナヤと共に声のほうへ顔を向けると、そこにはフロムの父、ドラホーン族長マグスタン・ケンタウリが立っていた。彼は自分たちに一礼すると、そのままならんで広場を眺めながら続ける。


「原因はわからない。そういう者が過去にも、ときどきいたことだけは伝えられている。飛翔自体は問題なく行えるし、別に戦士を目指さなければ、二か所だけでも不自由なく生活できる。だが私の娘にとっては、それは断じて無視できない問題だったようだ」


 彼はユーリスに目を向けて、さびしそうに微笑んだ。


「ユーリスくん。娘の年齢不相応な口調はね。きっと大人になれば竜体化の箇所を増やせると、もっと小さいころにそう思い込んで口調を変えた。そんな過去の傷跡のようなものなのだよ」


「彼女は精神的にも大人びていましたね」ユーリスも静かに応える。「里を救うために、一人で飛びだした胆力もあります。けっして竜の力だけじゃない。あの子という存在そのものに俺は、いったいどれほど救われたのでしょう」


「それでも、まだまだ子どもだ。実際はどこまでも、見た目の年齢どおりなのだ」


 ケンタウリ兄妹の戦闘はまだ続く。しかし、訓練にしては様子がおかしい。ルーフェンも何かを考え直せといっていた。これからの旅とも。ユーリスはマグスタンに訊いた。


「マグスタンさん。もしかして、フロムは旅には出られないのでしょうか」


「スタンでかまわない、ユーリスくん。いや、私は君との旅を許可したのだがね……。困ったことに息子が妙なことをいいだした。旅に出るのは自分だと」


「はい?」


 マグスタンがいうには、彼は唐突に宣言したらしい。ユーリス・パス・オービターと共に、星の旅にでるのは自分、ルーフェン・ケンタウリだと。宣言の場は、遅くなった昼食を終えた食堂だった。

 当然、反抗したフロムに対して、彼はそれでは実力で決着をつけようと答えて、裏の修練場に向かった。


「なにを考えてかはわからない。だがじつをいうと、私はルーフェンが代わりを務めるという提案を、否定することができない」


「それはどういう──?」ユーリスが尋ねたときに、「あっ! あの子危ない!」とアナヤが悲痛な声を上げる。


 フロムは、空中に出現しては落下する氷塊を連続して避けるも、腕や尾だけでは避ける場所の選択肢を広げられないのだろう。徐々に逃げ場を埋められていく。命の危険とまではいかないだろうが、下手をすれば大怪我をしそうな勢いだ。


「フロム!」


 ユーリスが叫ぶと、氷の魔術は中断された。

 そして視線を感じて、ルーフェンへと目を向ける。彼は、優しさのあった面影を消した冷たい表情を、極寒の瞳をユーリスにぶつけてきた。それは思わず身震いしてしまう、竜の瞳だった。




   =   =   =   =   =  




 自分の名を呼ぶ声が聞こえて、フロムは身体を硬直させた。

 兄も攻撃を中断したようで、家のほうを見つめる。その視線の先をたどると、父とユーリス、そして話に聞いていた彼の妹らしい女性ヒューマンが立っていた。

 さらにその場に男性ヒューマンが二人加わる。見覚えのある高齢男性は、サンシモンで匿ってくれたハストン。もう一人のユーリスを連想させる面影の男性は、彼の父に間違いなかった。


「ユー……リス」


 本来なら、自分と共に旅をすることになっている星属性の男性ヒューマン。彼は不安を隠さぬ顔で自分を見つめていた。


「恥ずかしいところを、見られてしまったな」


 つぶやいたフロムは姿勢をただす。そしてよそ見をしている兄に向かって「はぁっ!」飛びかかった。

 気がついた兄はすぐに空中を移動して避ける。すれ違いざまに火属性の熱波魔術をぶつけるも、瞬時に展開された氷雪の幕に打ち消された。


「ちょうど良い」


 ルーフェンは、ふだんからは考えられないほど冷たい声色になる。


「彼に僕の氷属性を、実力をしっかりを確認してもらう良い機会だ。きっと今日の夕方には、彼と二人で旅装を相談しているだろうね」


 地面に着地しながら、その戯言に反論の言葉を叫ぼうとして口を開くも、すぐに閉じてしまった。

 父はいっていた。ルーフェンの意見はまったく否定できるものではないと。この先、本当にユーリスにその星属性の使命を果たさせたいのならば、兄のほうが適任なのかもしれないと。

 フロムは、その兄に理屈をもって反論することができなかった。


「……だめか」


 いま目を閉じても、あの祭りの夜、ぼろ布蟹との闘い、羽鞴山での決着の記憶が瞼の裏に浮かぶ。

 竜体化を三か所顕現(けんげん)できない自分は、もしかしたら心のどこかで、力を発揮することができないという星属性の男に、共感を示していたのかもしれない。同病相憐れむという、傷を舐めあったうすら寒い関係だったのかもしれない。しょせんは、その程度の繋がりだったのだろうか。

 であれば、自分よりも兄のほうが。


「フロム!」


 ユーリスの声に、うつむいていた顔を上げる。見ると彼は、それ以上は何もいわず、しかし片手をこちらに向かって伸ばしていた。自分をつかもうとするように。暴走する兄、青い竜と決着をつける直前に、目には映らないがたしかに存在した道で繋がったときのように。


「まったく。さびしそうに手を伸ばして……」彼と、血よりも濃いなにかで通じあったときのように。「……私が、つかんでやらないとな」


 フロムは全身を紅い魔力で包み込む。気配を察したルーフェンも、青い魔力を全身に漲らせた。

 そして理解した。道は続いていくもの、光は繋がるものなのだと。


「いくぞ! 馬鹿兄貴!」


 竜の尾を消し、紅い腕一本になってルーフェンに飛び込んだ。

 竜体化の威力は、どれだけ硬質な武装をつくれるかに直結している。フロムはたとえ二か所だけでも、その武装硬度は里のなかでも頭ひとつ飛びぬけている。計りしれない力で暴走した兄の竜体化に対しても、数人がかりで脚を削ったほかの戦士とは違い、フロムは一人でその装甲を削っていたほどだ。


「何を企んでいるかは知らないが、無駄なことだ」


 ルーフェンも青い竜の腕に魔力を込める。「晶纏斬(しょうてんざん)!」腕の甲に鋭い刃を瞬時に伸ばして、立ち向かう自分にそれを薙ぎ払った。


「ふぅ!」


 防御姿勢をとったフロムは、ルーフェンの一撃を防いてすれ違う。攻撃を加えるような動作をしない。妹は何も仕掛けてこなかったと、拍子抜けしている兄の足に向かって、しかし不意打ちのように、武装されてない腕から魔力を飛ばす。


「これ、は?」


 ルーフェンは自身の足にまとわりついた、紅玉の破片でできたような煌めく霧に驚いた。それは、地上に降り立ったフロムの紅い竜の腕までつながっている。

 彼はすぐに、それが導火燐(どうかりん)という火属性の補助技術と理解した。露草色の刃で切り払うも、霧は途切れない。飛んで移動しても、霧は足に絡みついたままだった。もう一度だけ切り払う。つながったまま。


「フ、フロム! いったい僕に何をした!?」


「ご存知のとおりそれは導火燐だ。ただし、私の武装を織りまぜた特別製のな」


「はあ!?」


「ただの魔力片ではないから振り払えない。ただの武装ではないから切り離せない。とくに高密度の竜体化をつくれる私だからこそのってやつだ」


 いってしまえば、フロムは導火燐という形にした魔力武装の鎖を、ルーフェンの足に繋ぎ止めている状態だ。そして、そこからすることはひとつだけ。


「やめろ、フロム……フロミシア! ちょっとこの状態じゃ僕っ!」


「私はユーリスと共に星の旅に出る。誰にも邪魔はさせない。あいつと私が進む道を、誰にもふさがせはしない。立ちはだかる者がいるのなら──」


「待った待った! フロミシアー!」


「全部、まとめて、吹き飛ばす!!」


 あたりを照らす紅い輝き。フロムがその竜の腕に魔力を込め、「燎纏鎖爆(りょうてんさばく)!!」と叫んだ直後に、竜の腕は眩い閃光と共に粉々に砕け散った。そして閃光は紅い霧をたどり伝い、ルーフェンに高速に近づいていく。


氷円陣(ひょうえんじん)!」閃光は氷属性の結界を超えて伝わる。「しょ、晶纏斬!!」切り払っても、励起して輝く紅い霧は繋がったままだ。


「う……うわぁあああ!!!」


 ルーフェンの足に届いた紅い閃光は、ドラホーン族長邸宅の裏手上空に、大爆発を巻き起こした。




   =   =   =   =   =




「で? 結局のところ。馬鹿兄貴はなんであんな馬鹿みたいな話をいいだして馬鹿みたいな行動を起こしたんだ?」


「馬鹿馬鹿うるさいよ、フロム」


 青を少し垂らした美しく白い長髪を、こんもり羊毛のような状態に変貌させたルーフェンは不機嫌そうに答える。そして、熱を込めた視線をユーリスに向けた。


「さっきおまえにいった内容そのままさ。旅にはいろんな状況がつきものだろ? だから僕のこの氷属性のほうが、彼の力になれると思ったんだ」


「それだけじゃないだろう?」


「…………彼の、ユーリスさんのそばにいたかった。離れたくなかった。僕を救ってくれたうえに、王城であんなに優しくしてくれた恩人から……」


 族長邸宅の広い客室。そこにはユーリス、フロム、ルーフェン、マグスタン、アナヤ、父、そしてハストンが揃っている。

 テーブルには里の特産にする予定の、濃い緑色のお茶が淹れられている。初めて飲むと苦みに驚くが、しばらく舌の上で転がすと、なんともいえない深い味わいを感じさせる、不思議な飲み物だった。

 ユーリスはお茶を一口飲む。慣れたら美味しい。もう一口飲む。うん。これは売れるだろう。そう考えてもう一口飲む。周囲からの視線に、気づいていませんよというように。この湯呑の中身がすっかりなくなっていることを、まわりはとっくに知っている、という視線で。もう一度だけ、お茶を飲む動作を繰り返したときだ。


「お代わりを淹れます。ユーリスさん」


 席を立ったルーフェンは、台車の上に準備されたポットに近づいて手に持つ。そして次代族長候補の手ずから、ユーリスの湯呑にお茶を注いでくれた。そしてやけに距離が近い。

「あっ、ありがとう」と答えるユーリスの言葉に、口元を(ほころ)ばせる美しい男性ドラホーンは、新しい髪型を揺らしながら席に戻った。角は、髪に埋もれて見えなくなっている。


「私が息子の意見を一考したのはだな」マグスタンが話を進める。「フロムの魔力武装は関係ない。私自身、この子の実力は認めている。二か所だけであろうとも、その高密度の竜体化や火力は、息子のいう旅に必要な応用力をある程度は補えるだろう。しかし、不安に思ったのは精神的な部分だ」


 マグスタンは、フロムの顔を見つめる。


「私だって、羽鞴山に結界が施されてからは旅に出たことなどない。外の世界についてはそれほど詳しくはない。息子と一緒に、呪われた大地へと調査に向かった程度だ。含蓄のある旅の助言を、私の口から発することはできない。しかし年の功というものは少しならある。……旅はきっと厳しい道のりになるだろう。それこそ想像できる悪い部分、それらすべてを上回るものに。そんな苦難を乗り越える、あるいは打ちのめされてから立ち上がる強さを、私はまだフロムの中には見いだせなかった。ゆえに場合によっては息子にと……そう考えていた」


 娘をみる父親は、「つい、さっきまではな」と破顔する。


「お嬢さんは、私のまだ未熟な息子をおおいに助けてくださることでしょう」ユーリスの父がいう。「先ほど見た彼女の実力に、私はただひたすらに驚かされました。このあいだまで、中央戦争や過去の戦乱なんかの記録整理という職場で働いていたのもありますが、それら英雄たちの記録と比べても、お嬢さんの実力の高さは間違いありません」


 恐れ入りますと、マグスタンは落ち着いて頭を下げるが、娘を褒められて喜ばしいという内心を隠し切れない口元だ。それに反して、ルーフェンは頬を膨らませて、いかにも不満げだ。

 フロムは咳払いをしてからマグスタンを見る。


「父さん。確認するが、私がユーリスと旅に出ることに問題はないのだな?」


「ない。おまえと彼を、星と竜を信じて送り出すことにしよう」


 安心するように、鼻息を鳴らしたフロムはユーリスに目線を送った。少し気恥ずかしさを覚えたが、ユーリスもフロムに微笑みを返す。そのやりとりを見たルーフェンは、不満があふれだしてしまったようだ。


「僕だって、ユーリスさんに近づく危険を、全部凍らせて砕けるはずさ」


「ふざけるな」フロムが怒り気味の口調で反応する。「ユーリスにとって一番危険なのは馬鹿兄貴だ。この男を見つけたとたん、獲物を捉えた獣の目をしていただろう」


「あれは……だって急に、会いたい人がそこにいてさ。思わず目に力が入っちゃって」


 ルーフェンが自分の存在に気がついたときの話だ。あの竜の瞳は本当に怖かった。ユーリスは身を縮ませる。


「では、一件落着したところで」ハストンが手をたたく。「改めて、ドラホーン族長マグスタン殿。これからの竜の里と、グリュークとサンシモン。我々の未来について話し合いましょうか」


「スタンでかまいませんよ。ハストン殿」マグスタンはユーリスの父にも目を向ける。「ぜひ、ゆっくりと話し合いましょう。その輝かしい未来について」


 父、ハストン、マグスタンを部屋に残して、ほかの四人は廊下に出た。奇しくも互いあわせて兄二人、妹二人だ。


「ねっねっ私、フロムちゃんとお話がしたいな!」


 アナヤが嬉しそうにフロムの手をつかむ。


「えっと、アナヤと呼んでいいか? 私でよければ」


「やったあ! じゃあじゃあ、ここの途中にあった花畑にいこう! あんなにも綺麗な花、初めて見たよ」


「ん、たぶん明竜花だな。案内しようか?」


 喜んでと答えたアナヤは、フロムといっしょにそのまま玄関口に向かう。ユーリスもあとに続こうと歩きだしたときだ。

 腕を、少し驚くぐらいに強くつかまれた。おそるおそる振り向くと、見る人が見れば倒れるだろう美しい笑顔がそこにあった。


「ル、ルーフェンさん? 俺たちもいこうよ」


「それもすばらしいですが、僕はユーリスさんを案内したい部屋があるのです」


 ユーリスはフロムに助けを求めるように前を見るが、「アナヤ──!」すでに妹に頼みの綱を持っていかれてしまった。彼は、遠慮せずこちらへと引っ張っていく。悲しいかな、抵抗は許されないようだ。


 二階の書斎部屋に案内された。

 四つの壁のうち、入って正面には大きな窓があり、窓の下に文机が置かれて部屋内は明るい。扉があるほうも含めて、残り三方の壁は背の高い書棚で埋めつくされている。ユーリスは、ここで大声をだしても、助けにきてくれる人はいるだろうかと、震えながらルーフェンと共に入室する。

 彼は奥の棚に近づき、一冊の本を取り出した。


「こちらを」


「これって、薬学書?」


 表題には種族別魔力薬毒耐性参考書と書かれている。

 目次を開くと、五大種族別の薬品、食品、魔導機器や魔道具など、日用品に関する健康への影響を調査した項目がならんでいる。ユーリスも、図書館で暇潰しに似たようなものを読んだことはあるが、それはドラホーン以外の四種族についてのものだ。


「あいつは、フロムは料理ができませんからね。道中は、ユーリスさんが食事の準備をしていただけると聞いています。そこで、僕たちドラホーンが食べられない物を知ってもらいたくて、これをお見せしました」


 ユーリスは雷に打たれたような衝撃に見舞われた。

 何も考えてはいなかった。種族が違う者といく旅。その意味をまったく理解していなかったのだ。愛らしい年頃の少女に気をつかう程度、そのような認識だった。


「…………すまない。ルーフェンさん」


 目を見開き、硬直した男が放つ謝罪。その意味を理解したのだろう。彼は「ご迷惑をおかけします」といって微笑む。

 そして文机から椅子を、自身とユーリスの分を引いてくれた。一礼したユーリスがひとつに座り、向かいに彼が座る。


「少し聞いてもらってもいいですか? フロムの、フロミシアの話です」


 窓の外からアナヤの笑い声が聞こえてきた。例の花畑はここから近い場所にあったのだろう。ルーフェンは明るい声が聞こえる窓を見ながら、ぽつりぽつりと話しはじめた。


 マグスタンからも聞いた、フロムの魔力武装の話からはじまった。

 ドラホーンは子どものころから戦闘訓練を受ける義務がある。長いあいだ、何度も侵略戦争をしかけられた歴史上、たとえ将来戦士の道を進まなくても、最低限の対処ができるようにするという心掛けだった。とはいえ、その年頃の訓練は魔物や危険生物から身を護って逃走できるようにする程度。このあたりはグリュークや周辺の街とあまり変わらない。


「そこまで珍しいというものでもないのですよ。竜体化が二か所まで、というのは」


 幼いフロムは、初めて許された竜体化の訓練に積極的に励んだ。もともと憧れていた、父や兄のように優秀な竜体化を会得しようと意欲的だったらしい。しかし、いくら努力しても、彼女は三か所の顕現を行えなかった。戦士団に入る最低条件は、空を飛びながら竜体化で攻撃できること。フロムは入団を許されなかった。


「今でこそ聞き慣れましたが、その時期から妹は、あの大人びた口調で話すようになったのです。そうすれば早く成長して、竜体化の箇所が増えるに違いないというように」


「俺が聞くぶんには、作為的な話し方とは思えないけれど」


「えぇ。もうすっかりそれが地になったのでしょう。考え方やまわりへの見方、ふるまい方、自分の行動規範もそれに合わせるように……。根っこの部分は別にして、ふだんのあいつはすっかり生意気になりました」


「……竜体化を増やせない事情による、日常生活に何か弊害とかは?」


「いいえ、その心配は何もありません」


 偏見もなければ差別やいじめなども起きなかった。そういう気性の種族なのだろう。むしろフロムは、ほかの男の子から自分が守ってあげるだなんて、よくいわれていたらしい。本人はそれをいわれると、頬を膨らませて怒っていたという。とても想像しやすい話だ。

 周囲の善意をまがりなりに受けとりつつも、フロムは一人で自己流の鍛錬を続けた。彼女を気にかけて助言したり、試合をしてあげるといった協力者がいたという経緯もあるが、導火燐の独特な使い方を習得し、ひたすら硬度を高めた武装など会得した。

 いつのまにかフロムは、三か所顕現できない点を除けば、里のなかでも優秀な少女となった。


「とはいえ、飛行しながら戦うことが通常のドラホーンと、戦場で実戦となれば分の悪い戦いになるでしょう。僕が暴走してしまったとき、妹もみんなと戦うといったそうなんですけれど、まわりに反対されて叶わなかったみたいです」


「その代わり、彼女は都市に潜入することを決めたんだね。地平喰らいの槍を求めて」


「そのようですね。身内の失態という責任感もあったのでしょう。戦闘とはまた少し違う危険があるその任務を、妹は自分で提案し、自分が実行した。本当、あいつは猪突猛進だなあ。ユーリスさん、いろいろと苦労されたでしょ?」


 サンシモンで魔物被害が出たと聞けばすぐに行動し、危険を顧みず他者の救助に注力し、自分なんかのために怒ってくれた。里だけではなく兵士のことも考えて、山での戦いでは無理をしてでも前へ進もうとした。

 フロムは、そのような女の子であった。


「たしかに一緒にいると、そんなことがあったかもしれない。でも、俺はあの子の力になりたいと思う。全力で、心の底から」


 ユーリスの顔を見たルーフェンは「あの幸せ者め」と、笑って首を振る。そして顔を引き締めては、じっとこちらを見据えた。


「フロミシアをよろしくお願いします。お話したとおり、目的のためなら頑固で意地っ張り。動く理由は胸を張れるかもしれないけれど、どうも考えなしなところも少なくない。ご苦労をかけるだけでも申し訳ないのに、妹に苛立ちを覚えたりすることも、この先できっとあるでしょう。それでもどうか、どうか妹を──」


 片手を上げてさえぎったユーリスは、「勘違いしているよ、ルーフェンさん。むしろ俺のほうが、あの子に助けられたり、頼りにすることがたくさんあるはずだ。こちらこそ、あの子に見捨てられないように頑張ることにするよ」と笑った。


 その言葉を聞いたルーフェンは、落ち着いたように口元を緩めた。

 それからユーリスは、彼からフロムがやってしまった過去の失敗談など、ここでしか聞けない話を聞かせてもらった。あとで口を滑らせないようにするのがたいへんだ。また、彼の話しぶりから妹をどれだけ大切に想っているのか、わかりやすいぐらいに伝わってくる。星の旅についての騒ぎも、妹のことを考えてという部分も少なからずあったに違いない。危険な、星の旅を案じて。

 自分も彼との会話に夢中になっていると、玄関のほうから「お兄ちゃーん! お父さんが呼んでるよー!」と自分の妹の声が聞こえてきた。気がつけば窓から夕陽が差し込んでいる。


「あっこれ」ユーリスが薬学書を手にもつと、「もし良ければ、持っていってください。少し重たいですけれど」と、ルーフェンは片手をあげた。

 ドラホーンの内容を含めた学術書なんて、信じられないほどに貴重品だ。しかし、だからこそ旅の役に立つだろう。「ちゃんと、この本がここに戻ってくるようにするよ」といって、ユーリスは本に目を落とす。


 二人が書斎から廊下に出たときだ。


「…………ん?」ユーリスの頭に疑問が生じた。「ちょっと待って。どうしてフロムや竜の里は、地平喰らいの槍がお披露目されるって知ってたんだい? 結界で接触を断っていたうえに、その時期はそのほら……たいへんだったんでしょ?」


「はい。僕が馬鹿をやらかしていたのでたいへんでした」ルーフェンは、ユーリスが濁した部分を笑って掘りかえした。そしてすぐに疑問を浮かべる顔つきになる。「……そういえば、僕もそこは詳しくないな。里のあいだで誰からともなく、そういう噂が流れたとしか聞いていませんね。だから妹も、確認のために三日の余裕をもたせてグリュークに向かったのだとか」


 ユーリスとルーフェン。二人がうす気味悪い感覚におちいっていると、「はやくー! すごい御馳走よー!」と、アナヤの声がふたたび響く。二人はそのまま一階に向かって歩き出した。




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 竜の里、グリューク、サンシモンを中心に周辺の街や村。三十年の時を超えた交流の礎が整いはじめた。

 ユーリスも、しばらくのあいだはその経過を観察することができたが、この先は彼らを信じて託すしかない。そう思いながら、グリュークの南門を見上げる。旅立ちのときだ。


「やっぱり心配だから僕もついていぐはぁ!」


 ルーフェンの腹を紅い竜の腕が貫いた。

 フロムは、腹を抱えて(もだ)える兄にいう。「次、馬鹿なことをいったら、やっと戻ったその髪の毛を黒焦げにする」と。星の旅の出発を見送る周囲の人々は、本当にしかねない彼女の言葉に冷や汗を垂らした。


「……も~。お兄ちゃん、なんでこんな朝はやくに、こっそりいくような予定にしたのよ」


 アナヤが不満そうにいうと、隣でグリューク第二王女であるパームステンがいった。


「まだ、ユーリスがまともな魔力武装を扱えるようになったと、信じていない人がいるの。変な気を起こされないようにこんな形になっちゃった。国を挙げての応援だから、その旅路に持たされる荷物に目をつける不届き者が現れるかもしれないからね」


 ユーリスとフロムの二人を見送る者は、家族であるアナヤ、ユーリスの両親、ルーフェン、フロムの両親。王城からはパームと、彼女を護衛する近衛兵三人に、エフピア。そこにザウルとシルヴァ、ロッドーが加わる。


「それにしても、なんで徒歩?」シルヴァの疑問に、エフピアが恐縮そうに答える。「訓練された馬でないと、ドラホーンの種としての圧に耐えられず怯えてしまいまして……竜人一人が、街道ですれ違う程度なら問題ないのですがね」

 アナヤが「えっ。このまえ、竜の里に馬車で向かいましたよ?」と声を上げると、「交易がもうはじまるの。そんな順応している馬は、いまのところ竜の里の数頭しかいないから、とても余裕がないのよね」とパームが応じた。

 目を見開くロッドーが「おいおい、英雄たちの出発なんだよな?」と誰ともなくいうと、マグスタンが「まあ、これも良い思い出になるでしょう。たぶんきっとおそらく」と苦笑いで返す。


 ユーリスが地面に置いてあった荷物を背負う。グリュークが用意できる、最新の野営魔道具が詰めこまれた背嚢だ。ちょっとおおげさな見た目のわりには軽い。フロムも、少しだけ分担した荷物を背負う。互いに長距離を歩けるようにと相談しておいた結果の形だ。

 そして見送る人々の顔を見回す。


「ユーリス。くれぐれも無理はしないようにな。フロムさん。倅をよろしくお願いします」父。

「二人とも、いつでも胸を張って戻ってきなさいよ。あなたたちの家に……」母。

「私の風属性の魔技武闘。もしかしたら力になれるかもしれないから、そのときはよろしくね」アナヤ。


 顔をあわせるのが心底怖かった家族が、温かく見送ってくれる。


「アナちゃん……ふふっ。ポートメリオンや帝国で会うかもしれない。見かけたら声をかけるから」パーム。


 いつかの幼馴染は、いざ会ってみたら変わらぬ態度で接してくれた。


「ユーリスくん、君に竜の加護を。フロミシア、いってらっしゃい」マグスタン。

「もう……ルーフェンったら。ユーリスさんごめんね。娘をよろしくお願いします」フロムの母。

「ユーリスさん。ここには氷属性の強い味方がいることをお忘れなく。フロムも体調に気をつけて」ルーフェン。


 必ず娘を無事に返すと約束した、これからの国の良き隣人。


「フロムさん。帰ってきたら、ぜひ旅路の話を聞かせてくださいね。……ユーリスくん。どうか君に、実りある星色の人生を」エフピア。

「うむ。ユーリス、おぬしなら大丈夫じゃ。フロムちゃんと共に、軽く世界を救いなさい」ザウル。


 何もできないままだった自分にも、昔と同じように話してくれた恩師二人。


「フロムちゃん、僕の相方をどうか引っ張ってやってね」シルヴァ。

「おまえらが帰ってきたときは、俺がひとつデカい像を建ててやる。期待しておけよ?」ロッドー。


 周囲から忌避されていた自分に、長く付き合ってくれた同僚。否、たいせつな友人。

 彼らに向かって、フロムが口を開く。


「帝国とやらを見学して、ついでに魔王とやらも退治して、例の黒い光を消したら、さっさと戻ってくる。この男と二人で無事に」


 竜の少女の言葉に、彼らは微笑みを返した。


「……なにもできないと思っていた」ユーリスに皆が注目する。「なにもないと思っていた。なにも変わらないと思っていた。実際のところ、俺自身がなにもしていなかっただけの話なのにね」


 その発言に、みんなが困ったように顔を見合わせている。


「でも、あの祭りの日。あの夜にフロムと出会った。そこから運命ってやつが変わった。いや、はじまったんだ。いままでずっと、みんなには期待外れの星屑だったけれど、もう違う。俺は、俺の星を信じる。この星の道を歩き続ける。さいごまで、必ず」


 ユーリスの決意に、見送る人々が力強く頷き返してくれた。彼らの期待を決して裏切るわけにはいかない。そう心に誓った。

 すると、門の内側から騒めきが聞こえてきた。本格的に人々が表にではじめる時間になったのだろう。近衛兵三人が警戒して構える。


「いこう、ユーリス」


 フロムが見上げる。はやく踏みだしたくてしかたがないという、溌剌とした笑顔だ。


「いこう、フロム」


 ユーリスが見つめ返す。少女の笑顔が眩しかったのか、思わず微笑んでしまった。

 背中に温かい声援を受けつつ、二人は街道を歩き出した。南にまっすぐ続く道を、朝日に照らされながら。




   =   =   =   =   =




 余裕をもって馬車や人がすれ違える大きな街道を進んだところで、四辻に立つ看板がユーリスの目に入った。

 それぞれの行先が記されているなか、この先サンシモンという案内板に気がつく。進むのは別の道だ。ハストンとはすでに別れのあいさつを済ませている。


「まったく、馬鹿兄貴にはまいったものだ。さすがにこの前みたいに、暴れださなくて安心したがな」


 フロムの声は柔らかい。なんだかんだで兄の気持ちは届いていたのだ。


「そういうけれどフロム。覚えているかい?」サンシモンという看板。フロムの兄。そのふたつから思い出したことがある。「ほら、ぼろ布蟹を探しに呪われた大地までいったときの話だよ。俺が大切な人? って訊いたら、大事な男だって君は答えたよね。あのときの俺はてっきり、君の恋人や婚約者が暴走ドラホーンになってしまったのかと勘違いしてたよ」


 ぶっと吹き出したフロムが、「あーいわれてみれば、そう思われてしまう返事だったかもしれない」と笑いながら、街道沿いに少し先まで伸びている、ユーリスの腰程度の高さがある石積みの塀にのぼる。そのまま塀の上を楽しそうに歩きはじめた。

 マグスタンのいっていた、見た目の年齢どおりだという言葉を思い起こす。


「正確にいうと、大事なお兄さんだ、だったね」


「そうだな。ちなみに私の婚約者であるラスバールとは、昨夜のうちに出発のあいさつを済ませておいた。すぐに帰ってくるといっても聞かなくて困ったよ。手紙のやりとりを欠かさないように気をつけないとな。私の大事な夫だ」


「それはそうだよ。忘れないように注……意し……」


 ユーリスは足を止めた。思考が止まった。呼吸が止まった。もしかしたら心臓も止まったかもしれない。

 彼女はたしかに婚約者といった。指先に痺れを感じる。暑いのに寒い。数秒が数分になったような感覚の時間が過ぎたあと、なんとかやっとの思いでゆっくりと、塀の上に立つフロムに目を向ける。今は彼女のほうが頭ふたつ分程度、背が高い。


「どうした? ユーリス」


 見下げる彼女の表情は、陰になっていて顔色がよくわからない。

 口内は乾いているのに、額からは汗が止まらない。瞼すら動かせずに見上げていると、「ふっ……くくく……」竜の少女は、「あっははは! おいおい、そんなに驚くことはないだろう。こんなすぐに……ふふっ、わかる冗談に、そんな、そんなに……あははは!」と笑いだした。


「冗談。嘘?」


 呆気にとられるユーリスに「ふふ……そうだ、そのとおりだ。まさか、私が婚約済みって信じたのか? ふははっ!」と笑うフロムは足元が怪しい。彼女はふらふらと後ろ向きに進むと、塀の縁が欠けている部分に足を引っかけた。


「ぅおっ!?」


「ちょっ!」


 塀の上から街道側に背中から倒れる竜の少女を、星属性の男が抱きとめる。


「……すまん、調子に乗りすぎた」


 フロムは、ユーリスに抱きかかえられながら謝罪した。「気をつけてよ……」と、焦る自分に向かって、彼女はなにかをいいたげにしている。

 どうかしたのだろうかと、そのままの姿勢で待っていると。


「なあ、ユーリス」


 フロムは悪戯っぽく笑い、頬を紅く染めて。


「嘘だとわかって…………安心した?」


 こちらをじっと見つめながらそういった。


「……………………」


 ユーリスはそのお姫様抱っこのまま、黙って歩きはじめる。


「えっ」


 すでに街道には、多くの馬車や人が行き交っている。


「ユ、ユーリス? おい、恥ずかしいんだが」


 表情を変えないままユーリスは歩き続ける。すれ違う行商人ビーストやヒューマンたちからは、何事かと見つめられた。


「わ、悪かった。少しはしゃいでしまった。ユーリス!」


「この先すぐのところに小川がある。そこに君を放り込む」


「なぁ!? 離せ! くそぅ、離せ!」


 二人は朝日のなかを進む。この旅の先には何があるのかはわからない。


「良いじゃないか。君だって俺を王城前広場から連れ出したとき、離さなかっただろう?」


 世界の異変。魔王の宣戦布告。黒い光。旅路は厳しいものになるだろう。


「あのときとは状況が違う! あっ、そうだ。おまえ、あの交流会の夜に、私にひとめ会えるならなんだってするっていったろう。叶ったんだから早く私をおろせ!」


 それでもなぜか、ユーリスは不安な気持ちにはならなかった。


「俺も覚えてるよ、フロム。君はあの崖で里の状況を説明してくれた最後、頼みを聞けば、私にできることなら何だってといったよね。今、おとなしく小川に放り込まれてもらうよ」


 星の道は続いている。仲間に。敵に。


「いい加減にしないと、この前の馬鹿兄貴みたいな頭にするぞ!」


 求める場所に。求められる場所に。未来に。運命に。


「良いね。その頭に星の魔力武装をしてみよう。道中、明かりには困らないさ」


 そして、ユーリスはこうも思っている。その道は。


「もー反省したからおろせー!」


 もしも望めるのなら、もしも叶うのなら、もしも許されるのなら。


「これから長い付き合いになるんだ。お互いにこういうの、気をつけようね」


 ずっとずっと続くものであれ。見果てぬほどに、遠くまで続くものであれ。

 怒り暴れる竜の少女を、苦笑いをうかべながら地面におろした星属性の男は。


「……馬鹿やってないでいくぞ。堕ちた星屑のユーリス。まず目指すのはヨーコン村だ」


 そのように願った。今は朝日で見えない、清々しい青空の向こうで輝く。


「かしこまりましたよ。フロムお嬢様」


 星々へ。




   =   =   =   =   =




 シンシアはそれでもまだ、だいじょうぶなはずだと考えていた。


「で、それからどうなったんだ?」


 いかにも余裕ですよというふうに、力んでつくったその笑顔に冷や汗をだらだらと流す、男性ビーストのハムが急かす。

 身体の縦の長さは並みなのに、横幅だけはやたらと大きいから、神殿騎士鎧を前の半分しか装着できていない。見栄をはっているのは顔だけでなく格好もだ。


「し、知らねえ! ドラホーンに殺されるところだったんだ! すぐにサンシモンからは離れたよ」


 男性ヒューマンの冒険者が言い訳をするように話す。やけに早口で信用ならない。それに自分たちだけではなく、この酒場全体に聞かせるような声量だ。幼稚な聞かせたがりの様相がみてとれる。


「落ち着いて、もう一度だけ簡単に話しなさい。わがはいたちはその街を襲う青い竜を討伐しにきた、選りすぐりの精鋭なのですぞ? いったい何をそんなに恐れているのです」


 威風堂々と、実戦経験のないワイヨーンがその立派な口ひげをもてあそびながらいう。

 この細身で顔色の悪い男性ヒューマンは、新品の神殿鎧や神殿槍を、はやく敵の血で汚したいとつぶやくことで有名だ。訓練中に擦りむいた膝の傷を見て卒倒する男が、である。

 冒険者の男は、わざとらしい深呼吸をしてから話しだす。


「えっと、まずはグリュークの紹介所で竜の討伐クエストを発見したんだよ。あの堕ちた星屑って役立たずがいる都市だ。サンシモン……呪われた大地の近くにある田舎くせえ街を、隠密魔術を使用する青い竜が襲ったんだ。俺がエルフの女とドワーフの男……クソみてえな裏切り者二人といっしょに現地に向かった。すると、まさに空気に溶けるようなすっげえ隠密魔術をつかう青い竜が現れたんだ! まぬけなビーストひとりをすぐに捕まえた、とんでもねえ化け物だ。この俺の水属性魔技ですら、簡単に弾くぐらいに強靭な身体だったぜ」


 いちいち口が汚い。聞いているだけで疲れてしまう。男性ヒューマンに、話の続きを沈黙で促す。


「……俺はその、なんとか必死に戦ったけれど、不意打ちを喰らって気絶しちまった。そして街で目が覚めると、その化け物を倒したといって周囲を騙そうとする不届き者が現れたんだ。さっきも話した、王城を襲撃したドラホーンのガキ……顔はすっげえ良かったな。それと手下の星属性の男だ。ぼろ布蟹っていう雑魚魔物が犯人だったと、わざわざ小道具を用意してわめいたからよ。俺がすぐに見破ったらそのドラホーン、おそろしい勢いで襲ってきたんだ! すぐに住人と一緒に捕まえようとしたら、エルフの女とドワーフの男が急に裏切りやがって! こりゃだめだってことで街から避難して、このヨーコン村にしばらく留まってたんだ。もう竜にはこりごりだから、防壁街あたりにでも向かう予定だぜ」


 話を聞き終えたハムは、ひざの震えを隠さない。

 ワイヨーンが格好をつけて「なるほど、事情は理解しましたぞ」といっているが、ただでさえ白い顔がもっと青白くなっている。

 シンシアはそれでもまだ、だいじょうぶなはずだと考えていた。現地にはほかにも冒険者がいる。彼らと協力すればいい。ハムとワイヨーンには、サンシモンという街まで護衛してくれたらそれでじゅうぶんだ。


「わかりました」


 シンシアの言葉に、冒険者の男が期待を込めた目で見つめ返してきた。


「私たち、教団のもとに討伐クエストが届いたのも、そんな強力な魔物だったからこそでしょう。安心してください。すぐにこのまま北上してサンシモンに向かいます」


「さっすが聖女候補様ぁ! 可愛い顔して凛々しいねえ!」男がやけに持ち上げるようにいう。候補なんて形だけの自分に向かっていうこれは「それで、その。情報料は、おいくらで? 腕の治療にもけっこう使っちまったし、ほら、ここに長く滞在して、クエストを受注してなくてさ」という、いつものやつだ。


「……ハムさん。お礼を」


 自分の声に応じるビーストの男は、腰に吊るした袋から純度の高い銀貨を三枚取りだして机に放り投げる。思わず目を見開いてしまった。事前に知っている情報がほとんどだった彼の話に、こんなにも渡す意味がわからない。見栄を張りすぎだ。


「へえ、さすがエンカブリッジ教団! 裕福だねえ! お嬢ちゃんのその胸みてえだ。ありがてえ!」


「ふぇっ。あの、ちょっとっとっと! 待ってください、ちょっとー!」


 あわてふためくシンシアをしり目に、冒険者の男は銀貨をつかんですぐに酒場から立ち去った。

 呆然としていると、ハムが「明日は早くなります。今日はもう休みましょう」と、この酒場の窓からさんさんと日が差し込む状況でいう。さっき自分が話した、すぐにこのまま北上するという言葉を聞いていたのだろうか。

 ワイヨーンも賛成するように席を立つ。こちらを見ることも、ひとこと断ることもしない。


「あのあのあの、ワイヨーンさん。ハムさん」シンシアはあわてて二人を呼び止める。「私はこのままみんなで、一緒にサンシモンへ向かいたいな~って……思うんですけれど……ほら、この瞬間にも助けを求めている人がいるかも」


「む、む、無理はいけませんよ、シンシア様。この先、何が起きるかわかったもんじゃない。急にそ、そ、そこから、青い竜が……そのうん。出てくる可能性もなくはないので、はい」


 ハムが震えながら酒場の出口へと向かう。


「ふっ……血が滾りますな。滾りすぎて、わがはい頭に血が上っております。少し冷静にならねば……」


 貧血で青白い顔のワイヨーンが、ふらふらとハムについていく。


「あのえっと、あのあの……待ってください。あのー!」


 シンシアがそれでも粘ろうとすると、二人はうんざりした顔で振り返った。


「では、シンシア様がおひとりで向かわれては? そこまでやる気に満ちあふれていらっしゃるのですから」


 ハムが突き放すようにいう。ワイヨーンも同意するようにうんうんと首をたてに振る。

 これまで何度も何度も使われた、自分を黙りこませる常套句だ。それをいわれたら何も言い返せない。黙った聖女候補を放置して、神殿騎士の二人はそのままいってしまった。シンシアは、それでもまだ大丈夫なはずだと考えていた。


「……だいじょうぶ。明日ちゃんといおう。あのふたりも宿で一晩寝たら、きっと冷静になってくれる。いつもこんな感じだったし、しっかり仕事してくれる……よね? たぶん、うん!」


 翌朝。

 寝起きのシンシアは、部屋の扉の下に、手紙のような紙切れが差し込まれていることに気がついた。拾い上げて読んでみる。

 書かれている内容を端的にいうと、木っ端聖女候補のために命は賭けられない。まともな出世も望めない。良い機会だ。いままでありがとう、さようなら。というものだった。名前は書いていない。余計な証拠は増やさないという頭だけはあったらしい。


「……お金は?」


 ハムに預けている。これでめでたく経済社会から解放された。


「……教団証明書は?」


 ワイヨーンに預けている。教団名義でツケ払いができたり、協力国の適用範囲内であれば、乗り物を無料で優先的に使用できる。そんな身分証明書がなければ、ここからまともに動くこともできない。


「……どうなっちゃうの? 私」


 その問いかけに答える者はいない。いつもどおりと安心してしまった結果がこれだ。

 呆然自失のシンシアは無意識にふだんの習慣で、荷物から取り出した鏡を机に置き、自分の顔を観察した。


 エルフではあるが、ヒューマンの血が濃いので耳の長さは少し目立つ程度。艶のある自慢の黒髪は顎のあたりで切り揃えている。目はエルフらしい薄い紫色の瞳だ。

 子どものころから可愛いけれどなんだか頼りない、という曖昧な評価をつけられた顔には、汗がだらだらと流れている。目力があれば美人判定、という自己評価は忘れようと決めた。こんな状況になっても、いまだに自分の目元は柔らかい。エルフなのに童顔だね、なんてエルフハラスメントワードもしょっちゅうぶつけられた。おばあちゃんが可愛い可愛いといってくれた、下がり気味の眉に締まりがないことが原因だ。きっとそうだ。彼女は現実逃避を続ける。


「ふっ、ふふふ……ふへへ」


 シンシアは思わず笑ってしまった。これからどうしよう。

 一人で街道を出歩くには、エンカブリッジ教団の聖女候補衣装が厄介だ。お金を持っていますよと、喧伝しながら歩くようなもの。教団関係者が旅路の途中で襲われる話は、神殿での修行時代で毎日のように耳にした。真偽はともかく、その悲惨な結末もいろいろと。


「………………だれか、助けて」


 ここで救いを乞い願う対象が、ミア・ブリッジではなく近くにいる親切なだれかというあたり、自分は絶対に聖女には選ばれないだろうなと、もう一度だけ笑おうとした。笑えなかった。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

スミだまりと申します。これからもお付き合いいただければ幸いです。

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