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ロード・トゥ~星属性の不運~  作者: スミだまり
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23話 乗船してしまった


 アーボラムの夜は濃く、(きら)びやかである。

 樹冠都市(じゅかんとし)を支える大樹の枝葉によって、月や星の光がさえぎられてしまい陰に沈む区画が多い。なので魔力によって発生する燐光を用いることで、都市外周部をやさしく照らしている。逆に、外周部ではあるが枝葉に覆われていない明光街(めいこうがい)は、自然の明かりを頼りにしていた。

 そんな明光街の最奥。御三家の邸宅が並ぶ特別区画の中央広場で、ふたりの人物が月明かりに照らし出されている。


「やっとお帰りね」


 ラーン家の邸宅。ヒミングルは二階の大きな窓から広場を見下ろしている。

 骨翼(こつよく)と呼ばれる男性ドラホーンが、ホルンの側近であり護衛の(いのしし)ビースト、オッターに案内されて広場を出ていく姿を確認した。ずいぶんと長い時間、ホルンと相談していたらしい。鉢迷宮の内部で許可される経路と、そこで世界樹の根を発見した場合の商取引。ここまで時間がかかるものだろうか。

 とはいえ怪しい気配はしない。あの骨翼、クライドは疲労困憊(ひろうこんぱい)という足どりでオッターに案内されている。やっと解放されたと、彼は背中でこれでもかと語っていた。なぜあんなのにもふらふらなのだろう。


「まあいい。こっちはこっちで準備を進めるだけ」


 ひとりつぶやき、廊下の窓から離れる。フレイヤ家に居残ったドラホーンを懸念(けねん)していた祖母へ、あの男が帰ったことを報告しに向かおう。

 邸宅の奥へ足早に進む。現当主の部屋として昔から大切にされている大部屋。立派な装飾を施されたその二枚扉をノックした。


「入りな」


 祖母の返事を確認し、ヒミングルはゆっくりと扉を開いて「おばあちゃ~ん」と声をあげる。


「クライドって男、もう帰ったよ。あやしいそぶりはなかったけれど、なんかめっちゃ疲れてるって感じで歩いていったね。なんだったのかな?」


 床から高い天井まではある巨大なガラス窓と、同じぐらい背の高い本棚に包まれる大広間。

 その中央で安楽椅子に腰かけ、ひざ掛けの上で書物を開く祖母。ラーン家当主のジュバン・ラーンが老眼鏡を外し、こちらに顔を向ける。


「ははあ。ホルンの話に付き合わされたのかねえ。あの子、どうにも自分の趣味にかかわると長くなるからさ」


「ホルン姉。バルドルと植物関係になるとやっばいもんね。あっ! 鉢迷宮の危険な植物について質問されて、それに答えていたとかかな。だったら納得できるけれど」


「うんうん、その可能性が高いねえ。わしの孫娘はするどくて賢いねえ」


 祖母の(ぬく)もりに包まれたくなったヒミングルは、そばの机に書物を置いた彼女のそばまで近づく。

 えへへと微笑むと、祖母の顔にくしゃりと笑顔のしわが生じる。それがたまらなく優しくて暖かい。ヒミングルの大好きな表情だ。彼女の絹のような白髪に、空のような青い目。若いころは自分と同じく、蜂蜜(はちみつ)色の髪の毛だったらしい。しかし、自分の瞳は水色。おしい。同じだったら良かったのに。

 そうだ。青い瞳といえば、ルミナもそうだった。


「はぁ~。ルミナちゃん、元気そうで安心したよ」ヒミングルはほっとした思いで口を動かす。「エルトライダーの家、あの子がどこにいるのかぜんっぜん教えてくれなかったしさ。励ましにいこうにも、どこいきゃいいのよってわかんなかった」


「あいつら、自分たちの娘をさんざん持ち上げておきながら、属性が派生しただけであんな仕打ちに隠す真似を……(なげ)かわしい。そも、属性とは派生したところでなにも問題ないと、知らない愚か者の多いことよ。わしの可愛い孫娘が、それをあの子へ伝えにいくことができていれば、帝都教区長に巻き込まれることもなかっただろうねえ」


「ほんと最悪。その男性ヒューマンが、例のゴーレムを南部から北西部にかけてバラまいてたんでしょ? 私も何体か破壊できたけれど、とにかく面倒くさかったなあ」


 あの奇妙な膨らみのある盾。アレから生じた黒い光。うそかまことか、天翼宮殿(てんよくきゅうでん)が発表した話では(そら)(こぼ)()といわれる力。実際のところ、自分の流水剣技に耐えたのだからそうとう厄介なものだろう。


「西部の平和はラーン部隊のみんなと、わしの孫娘が守ってくれた。ほんにありがたい」


「小さいころから、おばあちゃんが鍛えてくれたおかげだよ。的確な助言たくさん。さっすが地平線を()る者、私の自慢の祖母だわ。……ルミナちゃんにも、おばあちゃんの助言は伝わったかな?」


「記憶には残っただろうけれど、その先はあの子しだいだよ。魔力とは、心や精神に影響を受ける力。本来、他人から手取り足取り教わるのではだめさ。自分のなかの気づき、納得、確信。そういった輝きがなければ、本人の魔力が真に動くことはない」


「……わかった。私、あの子にはもう余計なこといわない」


「嫌われてもかい?」


「あの子のためなら、望むところよ」


 そうかい、と想いを込めて目を細める祖母に、決意を胸に秘めて頷いた。だが、同時に思い出したことがある。


「それは、それとして、あのシンシアって子。なんっっっなのよ!! ルミナちゃんのこと知らないですって!? こちとら知りたくても知れなかったのよ! っつーか、知ってたら私が帝都に向かってルミナちゃんを救ったし! ゴーレム? 白い巨人? ぜんぶぜんぶズバッっと斬り伏せてやったわ!」


 事実、その自信がある。自分であれば確実にあの子を救えたという自信が。

 ()える自分に、祖母が「ヒミングルや、落ち着きな」と、やや(とが)める顔つきを見せる。


「過ぎたことに怒りをぶつけてもしかたない。……いまはできることをするんだよ。遺星錬器(いせいれんき)をエルフの手で確保する。まずはそこさね。そうして落ち着いたら、ルミナに声をかけてやりな。次は強い言葉で発破をかけるのではなく、おまえさん自身が伝えたい言葉でね」


「……うん、必ずそうするよ。おばあちゃん」


 さらに、祖母の表情が引き締まる。これは本当に大事なことを口にするときの顔だ。

 ヒミングルはラーン部隊のひとりとして姿勢を正し、当主ジュバン・ラーンの言葉を拝聴する。


「お聞き、ヒミングル・ラーン。わしは妙な魔力の気配を感じるんだよ。ここ数日ね。また例のゴーレムに類する新たな危険かもしれない」


「ジュバン様」部隊長の顔付きで、口調を改めるヒミングル。「それは例の男、星属性の可能性はありませんか?」


「わしも最初はそう思っていた。だが違った。じっさいに目にしたあのヒューマンから感じたものとは別の異質。重なることでこそ溶ける、(とら)えきれない魔力さね。……注意を(おこた)るんじゃないよ。なんだか、悪い予感がする」


(きも)(めい)じます。明朝、部下たちにも重々いい聞かせます」


「そうしなさい……にしても、星属性か」


 いかがされたか。

 目で問うと、「いや、なんでもないよ。あしたは早い。もう部屋にお戻り」と、当主から祖母の顔に戻った彼女の言葉に頷いた。


「うん、わかった。おやすみ、おばあちゃん」


「あぁ、おやすみなさい」


 ヒミングルは身をひるがえし、現当主の部屋からでていく。

 扉を閉める直前、「そもそも、あれは──……」かすかに耳に届いた祖母の言葉は、意味がよくわからなかった。




   =   =   =   =   =  




 これでもミレイは、大陸については魔族のなかでも知識があり、理解しているほうだと思っていた。

 小さなころから書物を通して大陸の歴史、文化、習慣、生活といった彼らの情報を学んでいたし、ヒライス・トゥパンの港町を訪れた五大種族とも、それなりに会話していたからだ。かりに大陸で魔族が危険視されていない世の中であれば、一人だけで大陸冒険者生活も可能だという自負すらある。

 そんな自分であっても、目の前の状況には困惑(こんわく)するしかなかった。


「いやいやいや。えっ、なにしてんの、みんな。意味わかんないだけど、こわいんだけど、これ」


 今朝がた、とうとう訪れることができた念願の世界樹。

 あの樹冠都市を支える三本の大樹ですら、これと比べたら低い苗木だと断じることのできる、超巨大樹木群。それらを支える鉢迷宮は、もはやお城何個分といった物差しですら馬鹿らしい大きさだ。原初種族時代から存在し、橋渡しのミア・ブリッジが語られる時代より攻略され、いまだに最奥(さいおう)まで明かされていない遺跡がここにある。

 だのに、ミレイの視線は自分のすぐそばに向けられていた。


 到着した直後だ。

 書物に描かれた絵や古い写真でしか知らなかった光景を目前にミレイが、「ふわぁ~……!」と、頬を染めて感動していると、ユーリス、フロム、シンシア、クライドの四人が(おもむろ)に横に並んだかと思えば、空に向けて両腕を高く(かか)げあげ、そのまま世界樹を遠くから(いだ)くような姿勢でかたまってしまった。ナニコレ。


「……ルミナ。ねえ、ルミナ。せ、説明してよ」


 ユーリスたちだけではない。周囲には、同じような行動をとる五大種族がちらほらと散見できた。

 自分の知らない大陸の儀式かなにかだろうか。自分も同じことをしないと、なにか失礼にあたるのだろうか。不安に()られた魔王は、彼らと違ってふつうに立っているルミナへ、震える声でそんなふうに尋ねる。

 虹の聖女候補は、「ミレイ様、ご安心を」と、眉をさげた笑みを見せた。


「みなさまがしているこれ。サクシナムを原料とする化粧品の広告に使用された写真、その女優と同じポーズなんですよね。昔かなり有名になったもので、以来、世界樹を訪れた人々が彼女の真似をするってのが、ここでのお約束みたいになっちゃいました」


「へ~、そうっ! 浮かれてるのね、みんな!!」


 自分の鋭い声に、やっと満足したように四人が楽な姿勢をとっては振り返る。ユーリスが得意げに、「さっ、ミレイも」なんていってきたので、「いや知らないし。やらないし」と即答する。彼は、ちょっとだけ(せつ)ない顔となった。


 世界樹の鉢迷宮。すぐ横を流れる川の上には太古に存在したエルフの水上王都、その残骸(ざんがい)(のこ)されている。自分たちはそこに立っていた。

 とくに重要な区画だけを文化遺産として保護し、あとはこの鉢迷宮に挑戦する冒険者たちの前線基地となっている。古代のころならともかく、現在はサクシナムを狙う魔物が周囲に増えてしまったため、街とするにはかなり危険な場所なのだ。ゆえに逗留(とうりゅう)する者とは冒険者か、サクシナムを運び出す運搬業者と彼らの護衛、あとは(ほろ)びた王都遺跡の観光客や学者ぐらいであった。

 生活物資は最低限。ミレイも、自分たちがここに留まるのは長くても五日程度と聞かされている。攻略中は、ときどき樹冠都市まで休養と補給、そして報告に戻る予定である。


「話には聞いていたが」フロムはウキウキした表情で、石造りの水上遺跡を見まわす。「活気ある場所だな。冒険者がたくさんいるじゃないか。エルフ以外の種族も……アーボラムでは見なかったドワーフだって多いぞ」


「近くにもうひとつ、大きな街があるんですよ」シンシアが川の先を指さした。「樹冠都市とは逆方向、足元を流れる川の上流にある街ですね。そちらは種族の壁がまったくないと断言していいほどなので、ドワーフの方を中心とした冒険者パーティは、あちらを拠点としています」


「とはいえ、許可そのものは御三家からの発行だ」クライドの目は、川の下流に向けられている。「一度だけ、樹冠都市の冒険者ギルドに出向く必要があるね。まあ樹脂採取や新規開拓程度の許可だったら、犯罪者でもなければあっさりともらえるけれど」


 どこか疲れの残る骨翼に、星属性は「俺たちのように遺星錬器を探すとなれば、話は別だよね」と、(いた)わる声色で話しかける。


「クライドさん。三日前は本当にありがとう。ホルンさんに夜遅くまで付き合ってくれてさ。……たしか、植物関係だったっけ?」


「うん……まったく、私が余計なことを口にしてしまったばっかりに……。しかも、帰りが遅くなった私を迎えに、ユーリスさんには明光街までご足労を願ってしまった」


「いろんなことを任せっきりだったんだ。その程度なんでもない」


 クライドとホルンの交渉。それは自分が予想したとおり、フレイヤ家の掌握する経路解禁と、途中で世界樹の根を発見した場合を天秤にかけた交渉であった。

 だが、その話自体はあっさりと片付いたらしい。そこで彼は、当主のホルン・フレイヤからちょっとした助言を、鉢迷宮を進むコツのようなものをひと言だけでも賜りたいと願い出たようだ。


 ──わが希望の星属性は、魔力的な仕組みなら間違いなく看破(かんぱ)することができます。とはいえ、あたりまえに存在する自然のモノは探知がむずかしい。一般的な探査系魔術師と同じくですね。なので、そういった部分で気を付けるべきことを、少しだけでもご教授を願えませんでしょうか?


 この言葉が引き金になってしまったと、二日前の朝に寝坊した骨翼は語る。

 最初に鉢迷宮内部の植物相の概要。危険な植物。有用な植物。それらの生態に相互関係。確認されている信頼していい情報と、まだ詳細には判明していない予想の範疇(はんちゅう)である情報。伝説、事件、うわさ、小話などなど。

 お手洗いに向かうこともひと苦労する怒涛(どとう)の解説に、律儀(りちぎ)なクライドは最後まで付き合ったようだ。この男性ドラホーンは、人が良い。おそらく途中で合いの手や、的確な質問をはさむことでホルンを喜ばせたに違いない。


「おかげさまで、フレイヤ家の紋章が掲げられた入口」水上遺跡とは歩行路や水路でつながる鉢迷宮に、シンシアは顔を向ける。「あそこから入場できる経路すべてが解禁されました。クライドさんの努力と……忍耐? の賜物(たまもの)です。ありがとうございます」


「こちらこそ感謝すべきだろう、シンシアさん。今回の旅は、あなたたちが皇帝陛下の言葉を受け取って、天開風槍(てんかいふうそう)を探しに来てくれたんだ。私からすれば協力を惜しまないのは当然だよ。それに、この世界樹を訪れたことは素直にうれしい。……あっ、宮殿にはナイショにしてね」


 骨翼の言葉に、くすりと星命の聖女候補は小さく笑った。

 (なご)やかにそばで聞いていたユーリスだが、一転、なにかを懸念する表情となって樹冠都市方面をふりかえる。原因はわかっている。この場にいない彼の師匠を心配しているのだろう。トゥールは樹冠都市にひとり残っている。


「だいじょうぶ、ユーリス」明るい声色を意識して、彼に話しかけた。「なんたって、あの双極よ。馬車でもいってたけれど、ヘル家の交渉に自信がある様子だったしさ。私たちは私たちでしっかりやることをしましょう。じゃないと?」


「あとで師匠に叱られちゃうね」自分に顔を向けるユーリスは、片眉をあげながら口元を緩める。「すまな……じゃない、ありがとう。ミレイ。それに、心配するならまずは自分のほうだ。あの世界樹の鉢迷宮に挑むのだから、油断しちゃいけないな……よしっ! みんな、よろしく頼むよ!」


 大陸でも上から数えてすぐに位置する超有名な遺跡、それも未踏破の場所。

 星属性のさけぶ気合いに、竜の少女が嬉しそうに肩をまわし、星命(せいめい)の聖女候補は表情を引き締め、骨翼はその目に鋭い光を宿(やど)し、虹の聖女候補は鉢迷宮を見据える。

 魔王も、彼らの様子を見てからおおきく深呼吸しては、「ここには遺星錬器がある」といって、自分の胸に手をあてる。


「アストロラーベがその存在を示した。ちゃんとここに眠っている……いきましょう。必ず私たちが手に入れるのよ」


 魔界のために。大陸のために。世界のために。

 自分の言葉に頷き返してくれた、信頼しているみんなとともに、魔王ミレイは鉢迷宮へと向かって踏み出した。




   =   =   =   =   =  




 鉢迷宮の入口は三つある。御三家がひとつずつ掌握(しょうあく)している入口だ。

 地下に向かって線路が延びるヘル家のもの。鉢迷宮そばに流れる川と、水路だけを直接つなぐラーン家のもの。そして水上遺跡に、歩行路と水路がいっしょにつながるフレイヤ家のものだ。それぞれ世界樹の根から採取できる魔力樹脂、サクシナムを運搬するために設備が整えられている。

 天上を()って通路を照らす光源は、樹冠都市へと向かう大樹内部にあったものと同じ、光り輝くツタと花であった。


「ヘル家、裕福なんだね」


 水流の音が心地よい、地下水道のような石造りの通路。

 明るいなかを進むユーリスは、ヘル家が掌握する入口前の光景を思い出す。水上遺跡ではない地上のそこは、魔石採掘場を思い出させる様相であった。


「魔導機器を動力にしたトロッコなんて運用しているの、歯車都市(はぐるまとし)の近く以外だと、ここぐらいじゃないかな。しかも遠目に見る限りだけれど、かなり上等。いいなあ、ちょっと触ってみたかったなあ」


 魔石掘りの仕事に汗を流していたころ、ほかの都市で運用されている設備に興味を覚えて、グリュークの図書館でその手の資料集を読み込んだことがある。

 少なくとも大陸北西部で目にすることはない、男子心(だんしごころ)をくすぐるそれらに憧れた時期が、わずかながら存在していたのだ。


「私も!」フロム、ちょっとはしゃぐ声色。「アレにのって迷宮内部を走るとか、正直いって本当におもしろそうだ! トゥールにはヘル家の経路解禁を期待しているぞ!」


 コホンと(せき)払いしたクライドが、「ひとりの常識ある大人として、速度なんかは注意させてもらうよ? フロムさん」と、たしなめるように彼女の背中へ声をかけた。

 むぅ、と頬を膨らませる竜の少女に、ふたりの聖女候補はくすくすと笑っている。そんななかで、魔王はじっと水路を見つめていた。小舟が四つ並んでも安全に進行できる程度に幅があり、自分たちが進んでいる歩行路が水路をはさんでずっと続いている。


「この水路。ゆっくりとだけれど、ちゃんと流れているじゃん」ミレイは顎に手をそえてつぶやく。「しかも、迷宮から外に向かってよ。つまりこれ、水源が樹木側に存在してるってことよね?」


「鉢迷宮の七不思議ですね」歩く魔王のとなりに、星命の聖女候補がならんだ。「魔力的な残滓(ざんし)が含まれる水なので、魔術で生成されたことは間違いありません。でも、こんな大量の水を生み出す魔力がどこにあるのか不明なのです。サクシナムを変換させている様子もない。だから、いったいどうやって水路を維持しているのか謎なんですよね」


「謎を解き明かそうとした者たちがいた」その話に混ざりたくて、ユーリスも振り返って口を動かす。「彼らはこの水路に(もぐ)って水源まで向かったのだけれど、途中で人が侵入できない細く長い水路となっていて、たどるだけでは解明することができなかった。せめて魔力源をおおよその位置だけでも把握(はあく)しようと、水を伝う大規模探査魔術を数人がかりで行使したんだ。結果、どうやら世界樹があると信じられている中央部、土壌(どじょう)の中心に魔力源があると探知したそうなんだけれど、その正体までは不明なんだよね」


「正体不明の魔力源……ふふ~ん。私、そういうの好き」


 ニヤリと片頬をあげるミレイに、「だと思った」と返しながら笑った。

 シンシアは続けてほかの七不思議を語る。いまの水路維持の魔力源を除けば、あとは樹脂に関するウワサだったり、原初エルフが遺した秘蔵の魔術指南書だったりと、眉唾(まゆつば)なお話ばかりだ。

 そこでルミナが、軽い口調でサラッとこぼした。


「ほかにも原初エルフに酷使(こくし)されて、この鉢迷宮内で命を落とした者たちが、幽霊となって現れる。だなんて怪談も──」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶだよ! フロム!!」ユーリス、必死に声をあげる。


「ウワサ! 七不思議! 小話ですよ!」シンシア、焦りながら声をあげる。


「フロムさん、ほら。別のことを考えよう! きょうの晩御飯とかさ!」クライド、あわてて声をあげる。


 きょとんとするミレイとルミナが見つめるなか、真っ青な顔になったフロムを落ち着かせる。


「ふ……ふ~ん。べつに、なんとも、おもわないぞ、ほんとにな」


 良かった。なんとか耐えてくれたらしい。

 棒読み台詞で、強張る表情のフロムを安心させるためにも自分、シンシア、クライドが(まも)るように寄り添い、先へと進んでいく。


 しばらく進むと十字路にでた。

 水路は左右に延びており、すぐそばにある可動橋(かどうきょう)で水路を渡ることができる。興味深いのが、この可動橋を水路上の小舟からも動かせるように、レバーが歩行路と水路上にそれぞれ設置されているところだろう。


「それじゃ、ここでお別れだ」


 レバーを操作しながら放つクライドの言葉に、ルミナが頷きながら彼の隣に立つ。

 水路上に落とされた橋をまえに、ユーリス、フロム、シンシア、ミレイはふたりに向き合った。


「橋を渡って十字路の正面、水路のない通路を進むと中層にのぼる階段がある。そこから鉢迷宮の本番だ。みんな、どうか気を付けてね」


「予定どおり、私たちはこのまま下層のサクシナム採取現場を巡ります」ルミナがちらりと、水路の先を一瞥した。「こちらはあくまで念のための探索ですが、大きな発見があった場合は、みなさまにしたり顔で報告してみせます……だから、どうか無事にお戻りください」


「ありがとう、ふたりとも」ユーリスは、クライドとルミナへ頷いてみせた。「きょうは慣らしというか、環境の確認が中心だ。無理せず早めに戻るつもりだから、ふたりもそんな感じでお願いしたい」


 四人組と二人組。事前に相談して決めた組み分けだ。

 鉢迷宮は巨大遺跡らしく、水路区画を除けば幅広い通路が続くため、戦闘時は仲間同士の距離感にそこまで気を(つか)わない。とはいえ、何事も限度がある。昔からこの迷宮内で行動する冒険者パーティは、原則五人までとされている。あまりにも多人数で戦闘すると、互いへの誤射は当然、壁内にある世界樹の根を(がい)する恐れがある。原初時代から存在するため、丈夫とはいえ崩落の危険だって無視できない。けっして無理をしてはいけないのだ。


 本命経路である開拓最前線のほうをユーリス、フロム、シンシア、ミレイが進む。

 すでに大まかな探索はされているものの、未確認の細かい脇道が残るほうをクライド、ルミナがハズレを潰すという意味で進む。以前、サクシナム採取現場に現れた魔物をルミナは討伐していた。当時の経験があるために、彼女はこちらの方が動きやすいそうだ。

 お互いに無事と成功を祈って、その場で別れて進む。十字路を進むと、アーボラム魔術部隊らしきエルフ兵が守衛をつとめている、幅広い階段が現れた。


「ここ、いかにも主要通路って雰囲気だけれどさ、実際はただの点検用通路なのよね」


 のぼりきった立派な階段を振り返るミレイがいう。

 彼女のいうとおり、原初エルフたちが世界樹にまっすぐ向かうために通った道は、別にあるとされている。しかし、それらしき箇所はガレキで埋まっていた。だからこそ、超巨大な円形遺跡を巡りまわる、この点検用らしき通路をくまなく探すこととなってしまっている。

 フロムが「たしか……」と思い出しながら口を動かす。


「ミレイのいう主要通路は、外周から中央に向かって、まっすぐ(なな)めにのぼる空間。昇降機があると(おぼ)しき場所だったか。原初時代とはいえ、床を移動させて人や物を運ぶ発想と技術は、当時すでに存在していた。樹冠都市がこの迷宮から引き継いだ技術は多い。あの大樹にあった昇降機に、自然魔力に反応して輝く植物もだな」


「目にする機会がないことを祈りますが、迎撃魔導兵器もですね」心配そうに、シンシアは周囲を見まわす。「射線を自在に操り、曲がった通路の先から雨のように撃ち込まれる魔弾、と聞いたことがあります」


「心配ない。そのあたりの罠なんかは星属性くんが看破するわ」まるで自分のことのように自信満々なミレイ。「で、いまのところはどんな感じ? ユーリス」


 この階層にのぼってから、ユーリスは周囲に探査魔術を飛ばしていた。罠らしい反応は、まったくといっていいほど返ってこない。自分たち以外の冒険者パーティが迷宮内を進んでいるものばかりである。

 瞳に魔力を集中させて見まわすと、すでに昔、起動してしまったものや解除されて(こわ)されたもの。危険を排除された痕跡(こんせき)だけが視界に映った。はるか昔から攻略が進められているのだから、中層にのぼってすぐの区画では当然の話といえる。かなり奥まで進まないと、新しい危険なんかと遭遇(そうぐう)することはないだろうと、ユーリスは三人に説明した。


「それと……なんでだろう。やっぱり俺の探査魔術がまた変わっている。以前は隠密魔術といった欺瞞(ぎまん)術式から影響を受けていたのに、いまではそれらすべてを(あば)いて探査できている。魔力の密度が高い迷宮内だから、外で行使するよりも範囲はだいぶ狭まっちゃうけれどね」


 浄罪の山プルガトリオでゴミーと戦ったときからだ。地下の氷床回廊(ひょうしょうかいろう)から地上に飛び出しては、隠密魔術が(ほどこ)されていたゴミーを発見することができた。いまだに、なにをきっかけとしてそうなったのかは不明である。

 自分の言葉を耳にしたミレイが、「ふ~ん? 私の月属性みたく、魔力の意味を封じるようにかしら」と、感心している。


「そんな感じだね。……おっと、俺もみんなの力を借りるときが来たようだ」


 剣を抜きながらいい放つ自分の言葉に、フロムは紅い竜の腕を顕現(けんげん)させ、シンシアは毒や病気の耐性を付与する魔術を短杖に込め、ミレイは晶析武装(しょうせきぶそう)セレノグラフィアを展開する。

 殺気を感じさせる存在は、自分たちの視界の先。光り輝くツタと花の灯りが届かない、崩落した壁のなかからゆっくりと現れた。


「へえ、樹人(じゅじん)ホルツェマン。初めて見たよ」


 人のカタチを模した樹木の魔物。ホルツェマンは魔術師の魔物とも呼ばれている。

 背丈は成人男性を(ゆう)に見下ろすほど高く、細くみえる幹と枝は、しかし強靭(きょうじん)かつ柔軟(じゅうなん)。人でいう腕の先には魔石を(から)ませるかサクシナムをまとっているか、あるいは目の前の個体のように、拾ったのか殺して奪ったのか、人類が使う魔術用の杖を装備している。攻撃魔術を行使しては人々を襲い、その足から伸びる鋭い根を突き刺しては魔力と命を吸いつくす、大森林付近でみられる地属性魔物だ。

 ホルツェマンは単体で行動することは少なく、同種の存在と協力するか、あるいは別の魔物を使役する。そのあまりにも人間くさい生態を指し、不快と忌避(きひ)を込めて樹人という二つ名を贈られた。


「こいつは使役型。従う魔物は、ジェイダ・ビートルが四……五体」


 竜の少女フロムと同じぐらいに巨大な、ツノのある甲虫。青黒い骨格を走る術式は闇属性。

 魔力の攻撃から身を守る外骨格だが、物理的な防御性能も高く、同時に武器とするツノも鋭く硬い。生半可な盾や鎧であれば容易に貫くそれは、とっさの判断に慣れない初心者冒険者たちの腕、胸、あるいは頭を穿(うが)ち抜いてきた。


「ほかには敵性反応なし。危険な生物もいない」


 ジェイダ・ビートルを三体だけ前衛にだし、残る二体は遺跡内に侵入している樹木の枝葉に隠している。闇属性の隠密魔術が施されているため、探査系技能を行使できないパーティであれば、おそらく痛い目に()ったことだろう。こんな不意打ちの策を講じるあたり、本当にヒトのようで不気味だ。ユーリスがみんなへ敵の奇襲について注意を飛ばした直後、ホルツェマンは乾いた血がこびりついた短杖を高くかかげた。魔物のなかでも高位の術式を編みあげる。


「はい、ざんね~ん」


 ミレイの声だ。

 同時に、ユーリスの背後から月属性の矢が飛んでいく。黄色い地属性の輝きを、群青色の結晶矢がいともたやすくかき消した。そのまま枝の腕を振り下ろした樹人だったが、術式を放ったのに何も起きない。そんな現状に「……?」首をかしげる仕草(しぐさ)を見せた。本当になかにはだれもいないの?

 とにかく、飛翔(ひしょう)をはじめたジェイダ・ビードルを迎撃するために、ユーリスはフロムとともに走り出した。


「フロム、君はホルツェマンを!」


「わかった、いくぞ! ユーリス!」


 ミレイの助言とトゥールの修行。これによって実現することができた新しい戦闘術。ユーリスは、自身の周囲に輝く衛星を展開する。

 余力をじゅうぶん残すことを意識して、いまは四つだけ星の結晶を生み出した。そのひとつを“消費”した瞬間、片方の腕に星雲のような霧状の輝きが現れる。


「はぁっ!!」


 両腕で剣を振るう。腕に生じた星雲は剣へと走り、切っ先を飛び出し、剣の軌跡を伝って広がる。すると。


「──……っ!!!」


 ユーリスの前方扇状、星雲が散らばった範囲に銀色の剣閃が散りばめられた。

 巨大な甲虫、感情がないはずの眼球に(おび)えの色が見えたときにはすでに、向かってきた三体とも多重の斬撃によってチリとなっていた。


「そこっ!」


 ふたつ、衛星を消費する。 

 剣を持たぬ腕を樹人の背後、隠れ潜む二体の甲虫魔物を意識して伸ばし、衛星を銀色の流星のように射出した。危険を察する時間も与えず星が貫き、甲虫はわずかな角だけを通路に落として消え失せる。

 そんな従僕(じゅうぼく)なんて知らないように、樹人がふたたび足元から魔術を広げるが、「無駄だと分からないかしら」ふたたび魔王の月矢が術式をかき消した。そこへフロムが突っ込む。


「やってやるぞっ!」


 紅い竜の腕。これまでずっと頼りにしてきた竜体化を、フロムは変形させた。

 斧だ。分厚く、幅のある片刃(かたは)の斧。竜の翼を変じさせたような見た目のそれは少女に不釣り合いなほど大きい。彼女は全身を回転させて、竜の斧を振りぬいた。


炎斧閃(えんぷせん)っ!!」


 これまでの少女が振るってきたどんな斬撃よりも、重く、鋭く、抵抗を許さぬ一撃によって、「──っ!!」樹人は、伐採(ばっさい)された。


「見事」


 自分の言葉に振り返った竜の少女は、「おたがい、実戦への初投入は成功だな」と、竜の武装を解除しながら近づいてくる。

 ユーリスは周囲に探査魔術を飛ばしつつ剣を納めて、「まったく。やっと少しは君に胸を張れるかと思ったら、すぐに追い抜かれた気分だよ」と、爽快な気持ちで応じた。


「お怪我(けが)は……うん、されてませんね」ひと安心のシンシア。


「む~。ふたりともやるじゃん」ちょっと悔し気なミレイ。


 四人集まったところで、魔物の素材を回収しはじめる。ところが。


「おまえ……次はもう少し手加減したらどうだ?」


 だれにも買い取ってもらえそうにない、甲虫のツノらしき細かい破片をつまんで見せる竜の少女。彼女の苦笑いに、反省しますとしか返せなかった。




   =   =   =   =   =  




「えっ。これ、サクシナムかな?」


 クライドの目に留まったのは、黒く透きとおる粘着質の中に、極小の光が散りばめられている物体だ。

 天井に這う植物の光が水路から乱反射する、鉢迷宮の下層。歩行路を歩いていると目についた壁の亀裂(きれつ)から、樹木の根が飛び出ていた。その根にある存在に足を止める。後ろを歩いていたルミナも、亀裂を覗きこんだ。


「……あっ、はい。クライド様、これがサクシナムです。もしかして、ご覧になられたのは?」


「うん、はじめて見たよ。へ~、これがね」


 手を伸ばして、指で(すく)い取る。それほど粘度は高くない。思ったよりもサラっと流れる。しかし、水なんかと違って染み渡らない。この魔力樹脂は、自分の指のうえでプルプルとかたまって震えている。そして、どんなに薄くなったとしても暗く、深い暗黒に星々のような煌めきを内包していた。

 どこか不安を覚えるうつくしさに、クライドは思わず無言で見つめてしまった。


「残念ながら」すぐ横でルミナが、自分の指にあるサクシナムを見つめる。「この濃度と量では、どんな業者にも買い取ってはもらえないのです。だから、ここの根は放置されているのですよ。あっ、でもこのあたりの植物には栄養になりますね。近くの天井を這うツタも、こうして力強く照らしています」


 たしかに自分とルミナの立つ場所は、ツタと花の明かりがいっそう強く感じる。振り返ると、水路の反射光だってまぶしいぐらいだ。そこでクライドはホルンの言葉を思い出す。


「ホルンさんから教わったけれど、樹脂は鉢迷宮の奥にいけばいくほど高品質となって、高値で取引されるんだってね」


「そうです。迷宮の浅い場所で安全に採取できる利点を抑えるほど、危険で手間がかかろうとも奥部で採取される樹脂のほうが総じて利益が生まれるのです」


「だからこそ、新たな採取場所を求めて現在も冒険者が活動している、と」


 新たな樹脂採取可能な根の発見。その場所に至るまでの道を確保することも重要だ。

 魔物の排除に罠の解除。崩落した遺跡の修繕に安全確保。さらにいえば、魔物や危険生物を寄せつけない手段も講じたい。発見するだけでも冒険者人生ではじゅうぶん成功したといえるのだが、採取する者たちがその場に向かえるように手間をかければかけるほど、利益の分配は割増(わりまし)となる。

 このクライドの言葉にルミナは、「発見後のサクシナム。その確保をお手伝いする会社もあるぐらいです。しかも大手で三社も」と、彼らの商魂(しょうこん)に苦笑いを浮かべて続けた。


「採取ルートを保全する契約もあるのですが、さすがに手強い種類の魔物や危険な生物が現れた場合は、外部に討伐を依頼するのです。樹脂探索ではなく、その討伐依頼で生活している方々もいるぐらいですね」


「彼らに依頼するか、あるいはエンカブリッジ教団に頼むかだね」クライドは、ルミナへと顔を向けた。「たしかルミナさんは以前、ヒミングルさんといっしょにそんな討伐依頼を達成したと聞いているよ。経験のあるあなたとともに、ここで冒険できるのは心強い」


「当時の純粋な光属性ではなく、いまは派生してしまった虹属性ですけれどね」


 そういって口元を緩める虹の聖女候補。皮肉めいた色はなかったが、(うしな)ったものに心を引かれる笑みであった。

 自分の横を通りすぎ、採取現場へと歩む彼女の背に、「じつは、()きたいことがあるんだ」と、クライドは声をかける。きっと、いましかない。これはふたりきりで、周囲には誰もいないときに尋ねるべきだろう。

 振り返ったルミナが、「はい。なんでしょうか?」と小首をかしげる。


「これは本当に、私の興味本位での質問だ。答えたくなければ無視してくれてかまわない。……あなたはなぜ、ふたたび聖女候補として世界に旅立とうと決意したのだろうか」


 ピッテンの悪事に一時(いっとき)とはいえ、加担したことへの贖罪(しょくざい)か。あるいは、変わらず世界へ奉仕する神官としての使命か。はたまた、同じ聖女候補の仲間たちへと協力する友情か。

 自分が思いつくありきたりな予想を()ねつけるように、軽やかな笑みとなったルミナは答えた。


「私自身のためです」


「……あなた自身の?」


「はい。ルミナ・パス・エルトライダーは、身勝手な理由で聖女候補を続けることにいたしました」


 彼女は話を続ける。

 純粋な光属性。当時は重荷に感じていた生家からの手厚い支援。教団より受け取る期待と優遇措置。筆頭候補(ひっとうこうほ)という立場によって得られた名声と協力の姿勢。


「私はずいぶんと甘えていましたよ。周りに支えられて、護られて、導かれて……特別なあつかいを、呼吸をするかのように当然のごとく受け取っていました」


 失ってようやく気が付いた。あのままでは自分はけっして、聖女に選ばれることはなかったのだと、ルミナは断言する。


「筆頭候補だったのに、かい?」


「ええ、間違いなく。クライド様もお聞きされたことがあるかもしれません。聖女とは、“もっとも世界を知ることができた者”が選ばれるのだと。……私は、なにも知ってなんかいませんでした。たいせつな友人たちの苦労を。生家の想いと願いを。世間の厳しさと当然を。なによりも、自分自身を」


 純粋な光属性ではなくなったゆえにわかる、シンシアの苦労を。得手不得手が極端になったことでわかる、ベリーヌの努力を。冷たく突き放されたことで、よそから知ることができた生家の内情を。護衛の騎士がやりくりしてくれていた旅や手続きの面倒を。

 何も知らなかったことを、知った。そういって彼女は微笑む。


「ほんと、世界どころではありませんね。分光杖グラは、聖女インフィクティナ様は、こんな私を必ずや見抜いたことでしょう」


「……もしかして、ひとりで旅に出たのは知見(ちけん)を広めるため?」


「それもありますが、なんといえばいいのでしょう。ほかのみなさまが、生きてきたこれまでのなかであたりまえに得たものを、取りこぼしてしまった私が急いで回収するため、といった感じですね」


 常識か、苦難か、経験か。きっと、それぞれ少しだけ正解で、それぞれかなり違っている。言葉にするにはむずかしくとも、多くの人がその身のなかで積み重ねたものだろう。自身にはきっとそれが欠けていたのだ。そして、それは間違いではなかったのだと、彼女はため息交じりでいい放つ。


「ちっとも知りませんでした。まったくひどい世の中です。いやまあ聖女候補のひとり旅なんて、神殿でさんざんいい聞かされた注意事項すべて、自分から無視しているようなものです。私のほうがおかしいのでしょう。とはいえ中央部からこの西部に移動する途中だけで、二回も教団強盗が襲ってくるとは……」


「なっ──。ルミナさん、なんともなかったの!? 虹属性では抵抗することがむずかしかったと、私は思うのだが」


「あら、心外です。骨翼様」くすりと小さく笑う虹の聖女候補。「これでも、まぼろしに幻影、魔力的な欺瞞(ぎまん)を施す力は光どころかすべての属性……ユーリス様にだって胸を張れるほどなのです。あっ、教団強盗はきちんと返り討ちにして、帝国の警備隊に引き渡しました。まぼろしのテントに襲いかかった彼らを、魔道具でつくる結界のなかに閉じ込めたのです。どうだ、見たことかって顔で、外から眺めてやりましたとも」


 ふふんと胸をはる彼女に、クライドは安堵(あんど)のため息をついた。彼女はこういうが、カーゼルーンに聖女候補が集まる話を聞いた犯罪組織が、ふたたび世界に旅立つ彼女たちを計画的に狙った可能性が高い。そろそろもう一度、中央部で大規模な()()が必要だろう。宮殿に戻ったらウィルに報告することを胸に刻み込む。

 頭をかく自分は、「そんな危険を(おか)してまで……」と呆れたような声となった。


「私には必要なのです。なぜなら、この経験は必ず、聖女の選定期間が終了し、いち神官として生きていくなかで力となるはずだから」


 もう聖女には至れない。

 シンシア、ベリーヌ、ハーティ、ネフェリム、ほかの聖女候補、一部の教団関係者。みんな、そんなことはないといってくれるけれど、さすがに現実的じゃない。それだけ、当代の候補たちはすばらしい者たちばかりなのだ。

 誇らしくそういい切ったルミナは、「そんな未来でも、けっして譲れないものがあります」と、自分を見つめる。


「ひとりの虹属性エルフ。ルミナとして生きていくなかで私は、堂々と胸を張って、シンシアさんやベリーヌさんたちとは友人なのだといえるようになりたい。憐憫(れんびん)でも慈悲(じひ)でも同情でもない。助けたいし、支えられたい。(はげ)まされたいし、応援したい。たとえこの派生属性にできることは少なくとも、ふたりの隣に立つために、最後まで聖女候補として活動を続けようと決めました」


 候補だからこそ受領することができる教団の依頼。それらは通常のものと比べて難度は高く、報酬は教団に寄付される。クエストの質だけでいえば、危険なだけの奉仕活動となんら変わらない。候補を辞退し、一般的な神官として活動するほうが苦労は少ないはずだ。

 しかし、これを重々承知のうえで彼女は歩いている。自身のために。彼女は。


「わかった。ルミナさんって、じつは負けず嫌い?」


「見習いのころ。ベリーヌさんに成績で追い抜かれたところは、徹夜してでも鍛えあげました」


 そう笑う彼女は、歩いている。前を向いて、未来へ向かって、力強く歩いている。

 クライドは、ゴーレム騒動の後に竜眠館でユーリスへといい放った自分の言葉を思い出す。


 ──……それに冷酷(れいこく)ないい方をするけれど、やはり虹属性では聖女候補を続けることは難しい。


 こんなこと、星命の聖女候補に聞かれでもしたらたいへんだ。三日前、ヒミングルに向かって怒気を放ったように、自分もがつんと叱られるはず。

 同時に、彼女にはなにひとつ(かな)わないことを思い知らされた。


 かつて子どものころ。竜体化を一か所も顕現させることができず、竜の谷では(うつむ)いて歩く日々を過ごしていた。ウィルに出会い、帝都のいろんな人に助けてもらえて、やっと前を向くことができた自分。

 そんな自分とは異なり、彼女自身から前を向くことができたルミナを見つめる。


「……尊敬するよ。本当に、心の底から」


 クライドの言葉を受けた彼女は、「まだまだ、鍛錬不足です」と微笑んだ。


「よしっ! そんなあなたの足を引っ張るようじゃ、骨翼の名がすたるってもんだ。ルミナさん? 燐光館(りんこうかん)でも説明したけれど、今回の探索で世界樹の根を発見した場合、きちんと利益を受け取る権利が得られる。個々人との契約って形でね。この先、神官としてしっかり活動していくためにも見つけてやろうじゃないか」


「それは……正直いって助かります。私の生家、エルトライダー家は現在、経済的に少し困った状況のようでして、はい」


「あなたと私なら、必ず見つけられるさ。……あ~っと、もちろん遺星錬器に至る道なんかも、だね」


 本来の目的からずれた自分の意気込みに、虹の聖女候補は声を上げて笑う。

 彼女の笑顔に、骨翼も決意を固めた。今回の旅では、探索では、笑顔の多い結果となるように、力を尽くすことを決めた。




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 世界樹の鉢迷宮。探索一日目が終了した。

 水上遺跡に設営された探索基地の一角には、フレイヤ家からの紹介によって、ユーリスたちに割り当てられた小屋がふたつ並んでいる。夜の(とばり)がおりはじめた景色のなか、小屋の前でキャンプ料理を準備する星属性の男は、「フロム、これは星命の聖女候補様の分」と、出来立てのシチューを器によそう。

 作業机に置かれたそれを、パンやほかの副菜といっしょにトレイに載せた竜の少女は、「承知した。いまお運びするぞ。シンシア殿」と、不自然な口調で運ぶ。あわせて魔王も、「わが(うるわ)しき聖女候補。お飲み物はこちらです」と、底の深いカップに冷たい水を注いで準備した。


「あのあのあの、もう勘弁(かんべん)してくれません!?」


 顔を真っ赤にしながら、両手を身体のまえでぶんぶんと振るうシンシア。遺跡の石畳に置かれた木製テーブルにつく彼女へ、同席するクライドとルミナが暖かい笑みを送っていた。

 夕餉(ゆうげ)配膳(はいぜん)が終わり、全員が席については小さく感謝と祈りを星に捧げ、各自その手で食器をつかんで食事をはじめる。ユーリスはシチューをひと口だけ食べては「ほんと、シンシアさんには感謝だよ」といって、もう片手をパンに伸ばした。


「魔物と接触したときは、フロムが危険な個体を一撃かつ迅速(じんそく)に倒してくれた。俺たちに危険が及ばないよう、ミレイが敵の魔術を(さき)んじて封じてくれた。俺だって、魔物や罠を察知したりはできていた。それでも、シンシアさんがいなきゃ話にならなかったよ」


「自然の驚異(きょうい)、というには場所が特殊すぎるか」副菜のチーズとトマトのサラダを小皿に盛るフロム。「いつのまにか毒の花粉が周囲に満ちていた。気が付かぬうちに幻覚を見せる鱗粉(りんぷん)を振り()かれていた。魔力の錬成を阻害(そがい)する極小のトゲが刺さっていた……いま思い出しても寒気がする。シンシアがいなければ、どうなっていたことやら」


「鉢迷宮では、状態異常の耐性を付与することが大前提、ねえ」ミレイは水を飲んでは続ける。「そりゃみんながみんな口酸っぱく忠告するわけだわ。鉢迷宮攻略指南書にも記載されているの。自殺の予定がなければ、防護魔術の魔道具を帝国金貨ばらまいてでも手に入れろって」


 つまるところ、鉢迷宮の攻略においてシンシアがもっとも活躍していた。

 フロムのいうとおり、迷宮内では意識の外からこれでもかと身体に異常を与えてくる、自然のアレやコレがあまりにも多すぎた。むしろ、鉢迷宮そのものが完璧であったころのほうが容易に突破することができたはず。迷宮内に侵入した植物が、サクシナムや魔物によって異常な成長を(うなが)された結果、探査魔術では把握(はあく)しきれない危険植物の楽園となり果てている。

 シンシアこそが、暫定(ざんてい)ルクバー・クレストへいたるための最重要人物であると、ユーリスは確信を込めて口にする。


「ちょっと待った。そいつは聞き捨てならないな」ニヤリと、得意気に笑みを浮かべるクライド。「こちらの聖女候補様も、きちんと信頼できる防護魔術を行使してくれたし、なにより虹魔術ってやつは、なかなかどうして頼れるものさ。まさか魔導機器や植物すらも(だま)す幻影を生み出して、獲物が来たと錯覚させては事前に脅威を遠くから確認できるとはね。これほど迷宮攻略に有効だったとは、自分の無知蒙昧(むちもうまい)がはずかしい」


「なんだ、クライド。受けて立つぞ?」フロムが片眉をあげて応じる。「うちの聖女候補がどれだけ信頼できるのか、とな」


「あのあのあの~」と、困り顔のシンシア。「ちょっとこれ以上は、私も」と、赤面で苦笑いのルミナ。ふたりから言外の制止を受けた竜人ふたりは、きょうはここまでにしておこうと食事を再開する。

 そこでミレイが、「どうやら私たち、本当に天開風槍とあの英雄を発見できそうね」と、嬉しそうに木製スプーンを宙に向けた。


「英雄バルドル。嵐壁(らんぺき)のスペクトラムであるルクバーとともに、劫火(ごうか)のスペクトラムと呼ばれるアンシクルーラーから世界樹を護ったとされる男性エルフね。槍を見つけるってのは、彼の遺体も同時に発見することを意味する。……いまだからこそいうけれど、ラーン家が私たちに対抗して、探索部隊を向かわせた気持ちは理解できるの。エルフの英雄は、エルフによって見いだしたい。迎えにいきたい、ってね」


 ユーリスも、彼女に同意するように首をたてに動かす。

 西部、とくに世界樹に根差(ねざ)すエルフにとっては、海底を識る者アルダー・キラフと同じぐらい思い入れのある人物に違いない。加えて、遺星錬器は強力な兵器だ。魔界との戦争で騒がれる現状だが、その後を考慮(こうりょ)するならやはり帝国側に渡ることは避けたいはず。ラーン家の対応はじっさいのところ、エルフ側にとってはなにもおかしくない当然の主張だといえるだろう。

 魔王の言葉を耳にし、「バルドル……ふたつに折れた槍かあ」と、夏の夜空が現れはじめた空を見上げる。


「伝説では、(くら)い火の斧以上に西部の自然を焼き尽くさんとする劫火、アンシクルーラーが世界樹に接近したころ。大森林から人々が避難するなか、ただ一人、世界樹へと向かった者がいた。樹冠都市に保管されていた遺星錬器の槍を手にし、かのスペクトラムのまえに立ちふさがった英雄、バルドル」


 だが、力が及ばなかった。

 遺星錬器という強大な兵器によって足止めすることはできたものの、引き返させることも進行方向を変えることもできなかった。明確に、劫火のスペクトラムは世界樹を狙っていたのだ。

 徐々にバルドルは押されはじめ、その炎が樹木に届きはじめる、そんなときだ。


「エルフ以外が残した記録にも明記されている」暑そうに、帽子を後ろからめくるように脱いだクライド。「世界樹と劫火のあいだに、嵐壁が現れたのだとね」


 西部一帯の炎を吹き消し、世界樹に灯された炎をかき消し、嵐を呼ぶ巨大な獣、ルクバー。

 ユーリスは、ソンレス平原で目にしたその姿を思い出す。鹿と牛を混ぜあわせたような、大きい角とずんぐりとした身体をもつ四つ足の獣であった。現在、帝都から北に向かったルクバーは、大陸中央部と北部をつなぐ一部の隊商ルートをふさぎながら、周囲に被害を与えることもなく、のほほんと平和な散歩と就寝を繰り返しているらしい。

 クライドが頭痛を覚える仕草を見せながら話を続ける。


「目的は不明だが、ルクバーと共闘することができたバルドルは、その勢いに乗って劫火を押し返しはじめた。だが最後の最後、西部の空を焼き尽くさんとする巨大な火球を放たれてしまい、身を(てい)して世界樹を護った。……劫火が消え、戦いは終わる。命尽きる寸前のバルドルと、折れてしまった遺星錬器の槍。それらを風で持ち上げたルクバーは、アンシクルーラーによって穿たれた巨大樹木の穴から、その内部へと運び入れた。後世では、世界樹本体と接触させることで共闘した英雄を救おうとしたとか。あるいは、戦友の死を(いた)むために護りぬいた存在へと導いたとか。いろいろと考察されているね」


 その樹木の穴はふさがっている。

 ユーリスは視線を鉢迷宮の上部、超巨大樹木群へ向ける。おそらく、そこに伝説で語られる穴があったのだろうとわかるぐらい、周囲と異なった成長を見せる箇所があった。

 自分と同じように世界樹を見つめるミレイが、「そしてルクバーは、静かに西部から去っていった」といいながら、胸元から懐中時計のような魔道具を取り出した。


「……もしかしたら伝説そのままかもしれないわね。アストロラーベが探知した遺星錬器の反応。なんだか、ムルマークやグラと比べてぶれてる感じの光なの。折れてるってのは本当かも。いちおう魔力の器という反応ではちゃんとしているから、強力な兵器として使用できる状態なのはわかっている」


「えっと、ミレイ様。私はそこまで詳しくはないのですけれど」口元を拭いてから発言するルミナ。「遺星錬器って、たしかある程度であれば再生するのでしたよね。()こぼれしたとしても、刃を研いだことで身が()せても、時間をしばらく置けば元通りになるのだとか」


「そうね。だからこそ、はるか昔から武具として使用することができている。……そっか。折れたといわれるルクバー・クレストも、再生してる、のかな? さすがに粉々になっちゃったりしたら無理だろうけれど」


「反応がある分には安心していいんじゃないか?」空っぽになったシチューの器を、名残(なごり)惜しそうに見つめるフロム。「問題は、たどりつけるかどうか。あす以降もフレイヤ家の経路を探索していくが、ハズレでなければいいな。もしものことを考えて、ラーン家はともかくヘル家のほうの許可がほしい」


 ユーリスはフロムに、「まだ残ってるから、お代わりする?」と尋ねる。彼女の首肯を確認し、器を手にして席を立つ。

 西部の気候のせいなのか、世界樹の影響なのか、中央部よりも暖かい夜風を肌に感じながら樹冠都市を想う。


「師匠とヘル家の交渉、どうなっているかな。うまくいっているといいんだけれど」


 自分の言葉に、みんなも樹冠都市の方向、水上都市の下を流れる川の下流へと目を向ける。

 はるか遠く、大森林の樹々の向こう。ほんのわずかに頭を覗かせる樹冠都市の明かりが見えた。




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 カラカラと、音が鳴っていた。

 アーボラムの明光街。ひとりの孤児として樹冠都市を走りまわっていたころは、遠く鉄柵の向こうから眺めることしかできなかった区画。

 その最奥。御三家の館に囲まれた夜の広場を自分は歩いている。


「……月明かりがきれいね、ここ。昼も夜も、魔導機器なんかで照らされる外周部とは全然ちがうわ」


 幼き日々を思い出しながら、トゥールは美しく整備された広場を横切って進む。向かう先は樹冠の縁。この高さから地平を望むことができる、明光街の外縁公園(がいえんこうえん)だ。

 別の区画であれば枝葉の壁で視界をふさがれるはずだが、ここはそんなことはなく、地平、大森林、星空、そして世界樹。すべてを視界に収めることができる。透過と強度を両立させた結界魔術によって、防護されているからこその光景。サクシナムがもたらす御三家の富によって生まれた技術は、黄金都市をはじめとするさまざまな繁栄都市で使用されている。

 御三家。世界樹の寄生虫ども。


「この認識、ちょっと間違ってたかも」


 厳重に封された円筒書簡。重要な書類が入ったそれをしっかりと握りしめながら、都市外部に向かって設置された木製ベンチに腰掛ける。

 先ほどまでいたヘル家の邸宅は、フレイヤ家と比較すれば御三家の品格までは損なわないにしても、古臭さを隠しきれない雰囲気の内装であった。ラーン家も外から見る限りは、上質な邸宅であれど豪華絢爛(ごうかけんらん)とまではいかない。こうして見れば、フレイヤ家がもっとも(きら)びやかである。最初に足を踏みいれた御三家の邸宅だったので、これが彼らの水準かと思い込んでいたが、どうやらそうではなかったようだ。


「ラーン家は知らないけれど、ヘル家は事情が事情だからしかたないか。モクスも、あの年齢で苦労しているのね」


 そういって手元の円筒書簡に目を落とす。

 やっと手にすることができた、彼の研究論文。異端者の烙印(らくいん)を押されることとなった原因。長年追い求めていた書類の入った円筒を高く持ち上げて、振るう。書類だけではなく、固形の小さなモノが入っているために、カラカラと音が鳴った。


「ねえ、カフ。あんた、鉢迷宮でいったい何を見つけたの?」


 ──異端者カフ・パス・スイングバイ。貴族の三男坊であり、魔道具技術者として有名だったヒューマンの男。……双極、あなたの要求はヘル家の経路とその男の論文。それでいいのね?


 ヘル家の現当主。モクス・ヘルとの会話を思い出しながら、持ち上げた円筒の先に広がる夜空を見上げる。


 はじめて会ったときの神経質そうな様子とは違い、モクスはずいぶんと(やす)らいだ顔で自分を迎え入れた。

 年季はあれど上質な木製調度品に囲まれる応接室で、見た目は魔王ミレイと大差ないエルフの少女との交渉をはじめた。が、開口一番に彼女がいい放った。


「双極。この交渉に意味はないわ。ヘル家の経路は世界樹へ至るものじゃない。ご存じのとおり、地下へと延びるハズレくじよ。サクシナムだって、量だけはほかの家よりも多く採取できるけれど、その質はお察し。世界樹へと近づく栄光からほど遠い、暗く冷たい道なんだから」


「もちろん、それは存じあげておりますとも。ヘル家ご当主様。ですが、だからといって無視することはありえません。むしろ私としては、ひねくれ者が多いエルフのひとりとしては、そんな地下からこそ、世界樹へと向かう正規の道を置きそうなものだと考えております。事実、原初エルフたちが使用したと思われる主要通路は、下層から鉢の土壌のうえまで直通で延びる一直線のもの。ほかの直通通路が下層に存在している可能性はけっして低くはありません」


「低いわ。あなたご自慢の弟子である星属性ではないけれど、橋渡しの時代からずっとずっと長い年月、外部から探査魔術で調査され続けていた。その探査結果に、あの一本だけ存在する直通通路以外に、同じものはなかった」


 それじゃ、そういうことでと、応接室から出ていこうとするモクスの背に、「ヘル家がアーボラム大学に大幅な増資をはじめた時期」と、声をかける。


「その直前、ひとりの男性ヒューマンが異端者という烙印を押され、この大森林から追放された。帝都に流れ着いた彼だったけれど、樹冠都市から危険思想を持つ男だと情報提供を受けた警備隊に逮捕され、そのまま驚くほどあっという間に監獄島ザハンナムへ収監されたの。ご存じかしら?」


「……そんなこともあったかしら」モクスは足を止め、こちらに振り返る。「本題ね、トゥール・セイメス。うっとうしい口調じゃなくなって助かるわ」


 そりゃどうも、当主様。そう片眉をあげるトゥール。

 モクスでいい。首をまわして応じながら席に戻るヘル家当主。

 彼女のいうとおり、ここからが本題だ。席に戻ったモクスを見据えて口を動かす。


「カフ・パス・スイングバイ。魔道具研究者であり技術者でもあった彼は、さらなる魔道具改良のために世界樹を訪れた。いわく、事前に適切な属性魔力を込めて使用する魔道具を、一般的な魔導機器と同じように、どんな魔力でも充填(じゅうてん)できるようにする。その模索(もさく)のために、いち生物の植物であるにも関わらず、万能燃料の魔力樹脂サクシナムを生み出す世界樹を訪れた」


 地属性、水属性、風属性。一部を除いた植物とは、通常であればこれらの基礎属性か、派生した属性を宿している。だのに世界樹は、すべての属性に通じて使用できる魔力燃料を生み出している。そのメカニズムを解明することができれば、ある属性術式を発揮する魔道具に、別の属性魔力を充填する橋を渡すことができる。有効な魔力として変換する機能を持たせることが可能なのだ。

 トゥールは続けて、指を一本たててみせる。


「鉢迷宮内でサクシナムを研究した彼は、ある日、ひとつの論文を発表する。それは学会、とくに高い立場であるお偉いさん連中を激怒させた。論文は取り上げられ、その内容を吹聴(ふいちょう)することは危険思想を広めるとして禁じられ、彼は異端者となって大森林から追放された。……ヘル家は当時、現在ほどではないけれど、大学へ高額出資する大事な顧客だったわ。あごで使う研究室もあるほどに。封印された論文に目を通し、思惑をもって出資額を増やしてもおかしくはない」


憶測(おくそく)ね。増資したタイミングだけでいわれるなんて、たまんないわ。ほかの出資者だってたくさんいるのよ」


「異端者の論文は、ありえない戯言(ざれごと)だとされている。論拠(ろんきょ)となった存在を、彼以外の誰も確認することができなかったことが原因だとか。そこだけは沈黙してたらしいね、あいつらしい。そんな時期に、ヘル家による鉢迷宮攻略支援が手厚くなった。まるで、冒険者たちになにかを発見させようとするかのように」


「…………あいつらしい? 待って。あなた、いまその男のことを……まさか」


「そのまさかよ。私とあいつは、カフとは知り合いだった」


 トゥール・セイメスは中央戦争による戦災孤児(せんさいこじ)だ。

 樹冠都市の隅に存在する孤児院に預けられたエルフの少女。圧倒的な魔力武装と、魔術を深く理解する頭は、周囲から距離を置かれる理由としてはじゅうぶんだった。いまにして思えば、まわりをどこか見下していたのかもしれない。将来を考えて、本来であれば年齢制限で参加できない世界樹の根の探索を、実力で黙らせてはたったひとりで行っていた。そんなときに出会った男がいる。


「やたらと目につく癖の強い茶髪に、朴訥(ぼくとつ)な眼をしながら、口からでる言葉はどれも体温を感じない。防護魔術の魔道具で身を固めているくせに、護衛のひとりもつけない男性ヒューマン。ヘル家の下っ端として探索に(はげ)んでいた幼い私は」


 ──ああ、そこのお嬢さん。お手すきであれば助けてほしい。もしかしなくとも、このままだと私は死ぬ。


「感情のない平坦口調で、首から下を食肉植物に喰われている貴族の三男坊と出会った」


 いってしまえば、波長が合ったのだろう。

 探査系魔術を得意とするカフと、まだ荒くともそこらの冒険者なぞ歯牙(しが)にかけない戦闘力がある自分。余計な人脈を増やそうと思わない自分たちは、いっしょに探索する機会がたびたびあった。その頻度(ひんど)は、時間の経過と比例して増えていく。

 要するに自分は、カフがどの方面を重点的に調査していたのか、目指していたのかをとてもよく知っている。


 モクスは黙って、眼鏡の奥にある灰色の瞳に、期待という輝きを宿しはじめた。しかし、猜疑心(さいぎしん)と値踏みする心情が輝きを覆いはじめる。

 まずは、こちらを信用してもらわなければいけなさそうだ。


「これ、不公平だから先にバラしちゃうわよ」トゥールは期待を(あお)るのではなく、隠し立てしない方針にした。「残念だけれど、私は肝心かなめのタイミングでは同行していなかった。ある日、いつもどおり世界樹に向かうとね? いつも決まった場所に立つ彼の姿がなかった。それから何日も。さすがに他人とはいえない仲にはなったから、王都遺跡や樹冠都市で情報を集めたのよ。そうしてやっと、彼が西部から追放されていたことを私は知った。いったい何を発見したのかまでは知らないの」


「……もっともらしい話だけれど、あなたの言葉を裏付ける証拠はない」


「ええ、モクス。物理的な証拠はない。でも、証明できる言葉は知っている。カフと探索を続けていたある日のこと。三つめの新規採取場所を発見できて、将来は安泰だなんて浮かれていた幼い私は、彼が険しい表情でいい放った言葉をとてもよく覚えている」


 ──トゥール。属性とは広がっていくものだ。ゆえに、逆をたどれば集約していくのは必定(ひつじょう)だろう。


「それ、属食反応(ぞくしょくはんのう)のこと?」顔を伏せたモクスは首を振る。表情を読まれまいとするように。「そんな誰でも知っていることを、いまさら──」


「“六つではなく、一つに”。彼はそういった」


「──…………」


 核心を突いたことを、モクスが沈黙で答えた。この言葉こそが、例の論文の主旨(しゅし)であり根幹に違いない。

 まだ、こういう席には慣れていないのだろう。顔をあげた少女は態度こそ冷静に見せてはいるが、あきらかに目が泳いでいる。迷いに迷っている。何かと何かを天秤(てんびん)に載せて、その揺れが収まるのをじっと待っている。

 トゥールはよく知っている。こういう目をしているものは消極的になることを。現状維持の回答に安心感を覚えることを。ゆえに、その天秤を揺らすことにした。


「でも、そうね。私の頼りない記憶だけで、経路解禁を差しだせなんて傲慢(ごうまん)もいいところ。これでも小さいころにお世話になったからよ~く知っている。ヘル家の経路には、侵入を禁じられた道が少なくないこともね。相互利益となる協力こそしたいけれど、迷惑をかけるつもりはない。本当に。……ごめんね、邪魔したわ」


 目を見開いた少女をあえて無視して席を立つ。

 早くも遅くもない足どりで扉に向かい、取っ手に手を載せた直後、「待って」背中に声がかかる。その声色は毅然(きぜん)としたものではなく、喉元に剣の切っ先を突き付けられた種類のものだった。

 トゥールは、緩んだ口元を意識して引き締め、振り返る。モクスはこちらを(にら)みつけながら、言葉を間違えないようにゆっくりと口を動かす。


「あなたの要求は?」


「ヘル家の経路解禁、これは当然ね。そしてカフの論文も。彼の足跡を確実に追うのなら、情報は多いに越したことはない。サクシナム関連はどうでもいいし、彼が発見したものも知りたくはあるけれど、譲れというならどうぞご勝手に」


 カフの見つけたもの。”今”はもう執着するつもりはない。いま大切なモノは、別にあるのだから。


「異端者カフ・パス・スイングバイ。貴族の三男坊であり、魔道具技術者として有名だったヒューマンの男。……双極、あなたの要求はヘル家の経路とその男の論文。それでいいのね?」


二言(にごん)はない。それでヘル家の要求はなにかしら。異端者の論文、その論拠となった存在?」


琥珀(こはく)


「…………はい?」予想外の単語に、トゥールは眉をひそめた。「コハクって、あの琥珀よね。樹脂の化石の……え、待って。五大種族の原初時代から生きている世界樹だけれど、琥珀なんてできるほど太古のものじゃないはず」


「しょうがないじゃない。だってどう見ても、どう考えてもそうだとしかいえないモノなんだから」


 話が見えない。

 困惑する自分に、「ここで少し待ってて」といって、モクスはこちらに近づき、自分の横を通って応接室を出ていく。戸惑いつつも、とりあえず席に戻って天井を眺めていると、「待たせたわね」と、まったく待った覚えがないほど早く当主は帰ってきた。

 息を切らせている彼女の手には、頑丈そうな円筒書簡があった。目にしたトゥールの心臓がいちど、大きく高鳴る。


「これよ」カラカラと音が鳴っている。書簡のなかには、何かが入っているようだ。「いま封印を解くわ」


 そういって彼女は、宙に極小の魔力結晶を生み出しては、彼女自身の小指の先に軽く突き刺した。そして小指を円筒の紋章に押し当てる。魔力封印だけでなく、ヘル家の血統封印も施された二重の鍵。解錠された筒のふたをとった彼女は、手のひらの上にそれを落とす。

 たしかにそれは。


「……サクシナムの、結晶ね。魔石とはまた違う、自然魔力の塊」


 黒く透き通った結晶質に、極小の輝きが内包されたもの。夜空を切り取ったかのような物質であった。


「トゥール・セイメス。あなたにお願いがあるの」


 モクスの言葉と同時に、応接室の扉が開く。「──っ!」険しい表情を浮かべたルーズ。ヘル家の部隊長が入室してきた。

 男性エルフを警戒する自分のことなど気にせず、モクスは話を続ける。


「いまからあなたに、ヘル家の事情を聞いてもらうわ。そしてどうか、世界樹を救うために力を貸してちょうだい」


 小さく頭をさげるヘル家当主。同時に、なにやら資料を脇に抱えたヘル家部隊長も頭をさげた。


 明光街の外縁公園に、妙に生ぬるい夏の風が吹く。自慢の薄い紫色の髪を揺らされたことで、ヘル家で過ごした時間から意識を戻された。

 そういえば、たまには少し変えてみようと、オシャレなんて少しも詳しくない自分が()った髪を見た弟子が、「なんだか新鮮です。あっ、もちろん素敵(すてき)ですよ」だなんて、いい慣れない言葉を必死につむいでいた。


「……そろそろ館に戻らないと。あしたには私も鉢迷宮入りだわ」


 いわゆる、お(はち)()りだ。いったい何年ぶりだろうと、回顧(かいこ)する自分が年寄りくさくなり、思わず小さく笑ってしまった。本当にあのころが懐かしい。 

 カフ。ヒューマン。両親を失い、孤児院ではひとりで過ごし、周囲の人々なんかどうでもいいと断じることができた自分に、「なんだ、案外さびしがり屋なんだな」だなんて(のたま)った男。


「ふんっ……えぇ、そうですとも」ふたたび、円筒書簡に話しかける。「はいはい。あんたのいうとおり、さびしがり屋ですとも。サクシナムの受益権利を捨てるような値段で売って、西部を追放されたあんたを追っかけて、無計画に無一文(むいちもん)の状態で帝都まで飛び込んで、あんたがザハンナムに収監された新聞記事を立ち読みしては呆然(ぼうぜん)とした程度にはね」


 帝都魔導研究所の職員。現在では研究所の所長となった男性エルフに救ってもらわなければ、いまごろ犯罪組織の手先として魔術を振るっていたかもしれない。

 彼とその妻。あの夫婦と出会えた幸運には感謝している。第二の両親といえる二人へ、親族感謝の日に恥ずかしげもなく贈り物をすることは毎年の恒例であった。


「カフ。あんたの論文を読ませてもらうわよ。異端者となってしまった、その原因を」


 帝都大学の飛び級特待生として卒業し、魔導研究所に勤めはじめてまもなく知ることができた、その存在。ありとあらゆるつてを頼っても読むことができなかった論文。

 本当に夢にまで見たそれがここにある。いちど、深呼吸をして木製ベンチから立ち上がる。あしたはきっと寝不足になることだろう。弟子には、ユーリスには、あまり不健康な顔を見せたくないなと考えつつ、トゥールは外縁公園から燐光館に向かった。




   =   =   =   =   =  




 鉢迷宮の攻略は、驚くほどに順調だ。具体的には。


「二か所……二か所ですよ。ふふふ。中層迷宮区画にひとつ。下層水道区画にひとつ。それもちゃんと基準を満たした、サクシナム受益権を得られるやつ……!」


 と、星命の聖女候補のひそひそ声から、やたらと粘着質な喜びを感じる程度には順調であった。ユーリスは頬を掻きつつ、彼女の言葉に軽くうなずいてみせる。

 この五日間のあいだで自分たちは、樹液採取が可能な世界樹の根を新たに発見できていた。


 今朝の水上遺跡は、鉢迷宮に出発しない冒険者パーティがほとんどのため、ふだん以上の(にぎ)わいを見せている。

 とくに混雑しているのは、遺跡から川に延びる桟橋(さんばし)が多くある場所。小さな港の様相をみせる船着き場である。これには理由があった。下流にある樹冠都市と上流にある街にて、あした大規模市場が開かれる予定なのだ。この水上遺跡に逗留するための生活物資の購入。鉢迷宮攻略のための冒険アイテムに魔道具の仕入れ。なにより手に入れた魔物素材の売却などなど、安く買い、高く売るチャンスが訪れる。なので、一度それぞれが拠点にしている場所まで戻ろうとしているのであった。

 当然、ユーリスたちもいったん樹冠都市へと帰還する。物資補給と素材売却のほかに、フレイヤ家から一度まとまった報告をしてほしいという指示があったためだ。


「──というわけで、われわれチャパントス隊も谷街(たにまち)テヘランに戻る予定であ~~る!」


 男性の野太い大声が耳に届く。

 帰還準備を整え終わり、あとは船の順番待ちをしていたユーリスたちが顔を向ける。十人前後の探索部隊の隊長らしき男性ドワーフが、木箱のうえに立って仲間たちに説明している様子だ。


防壁街(ぼうへきがい)リメス・トランディリアでは、魔導鉄道にも遺跡にも直結する超々優良環境であったので、感覚がちょっと緩くなっているかもしれん。元来(がんらい)、冒険者生活とはこうした行ったり来たりの苦労をしなければいけないのである! 壁から移ってきたばかりの新入りたち。この流れをよ~く頭に刻み込みなさい! ……あと、君たちの歓迎会もトコトン盛りあげる予定である。楽しみにしておくように」


 どうやら、崩壊したリメス・トランディリアから移動してきた冒険者グループと、ここでもともと活動していたグループとが合併した部隊のようだ。


「ククク……壁からの新入りども。覚悟しておけよ」細い目が鋭い、レンジャー装備の男性ヒューマン。「今回の探索で、おまえたちの実力はだいたい理解した。悪くはないが、今回の反省を踏まえた助言と注意を与えよう。それと谷街での覚えておくべき酒場、可愛い女の子がいる武具屋、セクシーなお姉さんが経営する魔道具屋、(あで)やかなおばさまの経営する素材買取──」


 隣の女性ドワーフが、その脚にはく金属ブーツの(かかと)を「ふんっ!」後ろへ蹴り上げる。

 すねにぶつけられた彼は「…………フゥウウウ!!」と声にならない吐息をしながらうずくまってしまった。すっごい痛そう。ぶつけたドワーフ女性が、「鉢迷宮の七不思議は聞いたわよね? 船を待つ時間はまだまだかかりそうだし、今度はそっちの知っている要塞遺跡での話を聞かせてよ」と、晴れやかな笑みを見せた。


「……そ、そうだなあ」うずくまる男性を心配そうに見つめる男性ビースト。「あっ、おれたちのいた遺跡にも、こっちと似たような話があったぜ」


「へえ? 聞かせてよ。ラクザン」


「これは数年前になる。防壁街にめずらしく、エンカブリッジ教団の見習い神官たちが、実地訓練にやってきたときの話だ。本来、彼らは事前に指定された区画でしか訓練を許されていない。しかし、見習いの一部隊が許可されていない上層まで侵入してしまった。まあ、若気(わかげ)の至りってやつか。んで(あん)(じょう)というか、街まで戻れなくなった事件があったんだ」


「あらら。よくあるといえば、よくあるやつね」


「だな。行方不明になった彼らを捜索(そうさく)するために、防壁街にいた冒険者連中のみんなで動くこととなったんだが……話ってのは、その見習いたちのことじゃない。彼らは無事に救出された。おれたちとしては恥ずかしい話だが、いっしょに街へとやってきた別の見習い神官が、彼らを救ったんだ」


「ほ~ん? それはそれで興味深いけれど。じゃあ、本題は?」


「あぁ……。当時、おれもちょっとは力になろうかと思い立って、防壁遺跡の入口に向かっていたんだ。知ってのとおり、防壁街にはリメス・トランディリアの内側と外側を貫く大穴、街道と魔導鉄道の路線が平行して延びる場所がある。ちょうど、トンネルのような形のな。途中に遺跡への入口がひとつあるんだが、その夜、おかしなモノを見たっていうドワーフの男がいた」


 生唾(なまつば)を飲み下す女性ドワーフに、ラクザンと呼ばれた男が続ける。

 その者は遺跡の門番であった。遭難見習いの捜索でさわがしい街の夜。入口を護るためにひとりで立っていると、線路のほうから金属同士がぶつかりあうような、甲高(かんだか)い音を耳にしたらしい。いったいなにごとかと、驚きながら音のしたほうへ目を向けると、そこに、いた。

 うっすらと、本当にうっすらと見習い神官の服をきたナニかを見た。雰囲気として女性の服だが、しかし、絶対に人間ではない。身体ふたつ分の肉体が通路にあり、肉が線路下まで延びている。そこには別の身体ひとつ分の肉体があった。つまり、三人の女性見習い神官が、ぐちゃぐちゃにつながったおぞましい存在がうっすらと見えたのだという。


「そいつが叫び声をあげる直前に、おれと、おれを呼びにきた別の冒険者が駆けつけた。どうやら同時におぞましいナニかは消えたようで、そのときはなんでもないといっていたんだがな。後日、酒の酔いでこぼしたんだ。……きっと不幸なことに、列車事故かなにかに巻き込まれてしまい、楽園にいけなかった存在なのだろう。そいつが見習いたちを悪いところへと引きずり込むために、迷宮で遭難させたに違いないってな」


「……ちょっと。かなり不気味じゃないの、防壁街」


 たしかに、不気味な話だった。ユーリスも背筋に冷たいものを感じていると、不意に気が付いた。いまの話を耳にしたフロムが、また怯えてしまうのではないかと。

 あわてて「フロ……?」竜の少女に声をかけようとしたが、様子がおかしい。彼女はラクザンという男性ビーストに、ぽかんと口を開けて見つめたかと思えば、そのままシンシアとルミナへ順に視線を移す。

 そして聖女候補ふたりも、おたがいに驚いた表情で見つめあっている。


「えっと、どうしたのかな。君たち」


 ユーリスが声をかけると、苦笑いのフロムが、「いや、気にするな。世間は案外せまいのだと思っただけだ」と応じる。

 首をかしげるとルミナが、「ここにベリーヌさんがいたら、おぞましいナニかの完成ですね」とつぶやいて、となりのシンシアも「なんだか申し訳ない気持ちです」といって荷物の口を確認した。なにがなんだか、よくわからない。

 そんなところで、「フレイヤ家特例状をお持ちの部隊さまー! 準備が整いましたーー!」と声がかかったので、そのままみんなで桟橋に向かう。

 途中で、ヒミングルのいるラーン部隊が視界に映った。彼女たちも一度、樹冠都市に戻るらしい。ユーリスの目線に気が付いた、蜂蜜色のたて巻き髪をしたエルフ少女が、こちらを一瞥(いちべつ)してはツンとした態度で顔を(そむ)ける。まだまだ協力関係を結べそうな雰囲気ではないようだ。


 移動に使用する船はそれほど大きくはない。定員十名ほどで、冒険用のキャンプ道具をそこそこ積載できる程度のものである。

 動力はめずらしい魔導機器。帆船(はんせん)ではなく、この機械が水中で渦を発生させて推進力を生むものだ。操作方法は、樹冠都市から水上遺跡に移動するときに教わっている。行きはクライド、帰りはユーリスが担当することになっているので、竜の少女と魔王から(うらや)ましそうな視線を受けつつ、問題なく船を操作する。

 水上遺跡から離れ、周囲の船と間隔に注意しながら幅の広い川を進んでいく。左右の岸には大森林特有の大きな樹木が迫っており、まさに樹海を進むといった気分である。


「ほかの船は、水属性や風属性の魔術で動かしているみたいだね」運転席からユーリスは、甲板(かんぱん)にいるみんなに声をかける。「へえ。サクシナムってあんなふうに運搬するんだ。むかしエフピア先生から教わった、牧場から牛乳を運ぶための容器を思い出すよ」


 いま追い抜いた小舟には、金属製の封魔容器が並んで積載されていた。大事な商品であるためか、船上の護衛たちが周囲に鋭い視線を飛ばしており、ユーリスたちの船にも警戒する姿勢をとっていた。

 船べりから魔力樹脂の運搬船を見ていたミレイが、「ねえ。サクシナムって化粧品にも使用されているのよね」と甲板を振り返る。


「それも使用された広告によって、世界樹を訪問した際に妙なポーズがされるほど有名。こっそり双極もしていたぐらいには五大種族に浸透(しんとう)していると」


 探索二日目に合流した魔術師匠トゥールが、ぎくりと肩を震わせては「あ、アレは肩の柔軟体操だったのよね~」と下手な言い訳をした。

 魔王の情けか、ミレイは軽くうなずくだけで話を続ける。


「魔界の住人からすれば、そんな便利で面白そうなの見過ごせない。とくにティティルンとか。魔王軍の頂点にいる五人が護剣だけれど、ティティルンはそれに加えて経済力もすごいのよ。落ちぶれていた領主のヴァシラタス家を地域ごと復権させて、自分は自分で実力で護剣となった。戦闘力だけでいえばカナンやヴィクセンが明確に上だけれど、影響力でいえば護剣で断トツの一番ね。あいつ、大陸侵攻時にはまっさきにここへ攻めこんできそう」


 そして美貌(びぼう)と身体も。爽やかな美しさと健康的な身体つきをしていたカナンとは、良い意味で対照的であった。


「ちなみにミレイ。訊いてもいいか?」ソンレス平原では、そんな護剣からお誘いの言葉を投げかけられたフロムがいう。「あの女性魔族。いったいなんだってあんな髪型をしていたんだ?」


「あ~アレね。ティティルンって胸やけするぐらい女性らしい身体してるけれど、少しだけ身長が低いのよ。本人がいったわけじゃないけれど、自分をおおきく見せるためにも、あの天を()くような髪型をしているらしいわ。……別に、気にするほどじゃないと思うのに」


 いやいや、それにしたって大きく見せすぎている。魔族の外部魔力錬成器官である頭の()が、まるで髪の装飾のようになっていた。

 興味深そうに、顎に手を添えながら聞いていたクライドが、「良ければ、あなたの知っているほかの護剣のことも、ついでに教えてもらっていいかな?」と質問した。了承したミレイが話を続ける。


 (よご)れのゴミー。

 完全に宰相(さいしょう)ダウィートンのオマケだと、ミレイは断じた。宰相となった叔父(おじ)についてきた形で、魔界の王都ポンテム・トランシレに居ついた(おい)っ子。育ちこそ地方とはいえ領主の英才教育を受けることができ、身にまとう武具、魔道具は護剣となったいまでは魔界最高峰のもの。そういった総合的な戦力でいえば、一般的な兵士と比べたらたしかに強いといえる。だが、本質的な才能はまったくない。本人こそがもっとも理解しているゆえ、周囲に当たり散らし、威張(いば)り散らし、いつも何かに怯えて誰かに不満をぶつけている。


「いまさら故郷に戻る選択肢すら選べない、哀れな小物よ」


 風下(かざしも)方人(かたうど)、ヴィクセン・アルドム。

 第二等級を指定された経緯からも理解できるように、大陸や魔界を問わず、周囲に不幸をまきちらす存在。大陸から戻ってきてからまもなく、当時は地方領主でしかなかったダウィートンのもとに身を寄せた。ヴィクセンは不利な状況を逆転する鍵にはなるが、必ずそのあと唐突(とうとつ)に離れては、別の組織の一員となって牙を剥いてくる、危険な男であった。

 しかし、ダウィートンは領地すべての安全をヴィクセンに丸投げしてしまった。そして主要戦力をマリアの遺産探索に全力であてる。そんなありえぬ判断のおかげか、何かを発見することができたダウィートンは、ある日とつぜん奇妙な膨らみのある盾を量産し、その圧倒的な防御性能をもつ機能によってサルゴン派同士の戦争を勝ち抜いていく。不思議なことに、ヴィクセンは有利な勢力となったダウィートンから離れることをせず、そのままいっしょに魔王の器を擁立(ようりつ)し、ゴミーとともに護剣入りした。


「何か目的を隠しているとも、ただ今後の生活を考えただけともいわれている。もしくは警戒されてばかりの自分に、領地の安全を丸投げしたダウィートンを気に入ったのかもしれない。ある意味では馬鹿宰相の勝利かも」


「奇妙な膨らみのある盾」クライドの声は、鋭い。「帝都教区長ピッテンが製造し、大陸にばらまかれたゴーレム……ミレイさんとカナンさん。ふたりを追い詰める魔導兵器たちが装備していた例の盾だね」


「そのとおり。ユーリスたちが、そのピッテンって男から聞いた話だと、盾に込められた黒い光ってのが宙の零れ火、世界に魔物を誕生させた特異魔力だなんてね。まったく、本当かしら」


 すでに自分たちは、ミレイから逃避行中に経験した話を聞かされている。

 帝都教区長ピッテン・ザイオニールの目的とは、魔王ミレイを仕留めるための兵器を製造することであったようだ。ミレイとカナンが大陸で逃げていく経路も、黒い光を宿した戦人形による被害報告と見事に一致している。そして、特殊な盾をピッテンが使用できていたのは、魔界とつながりがあったためだろう。

 こんな話をしていると、ルミナが気まずそうな表情を浮かべて顔を伏せてしまった。気が付いた魔王が、「も~、ルミナ?」と、そんな戦人形の製造にかかわった虹の聖女候補に笑みを向ける。


「燐光館ではあんなにも私に謝って、さんざん私がもう気にするなっていったのに、またそんな顔するの? そういうのはもう無しって決めたじゃん」


 いやまあ、そりゃ気にするだろう。

 なんとか眉をさげた笑みを見せるルミナに頷いたミレイは、「それよりも、改めて感謝するわ」と、自分たちをゆっくりと見まわす。


「……ここにいるみんなのおかげで、みんなが白い巨人とやらを倒してくれたことで、教区長のゴーレムたちから黒い光が消えた。ほんとのほんとにギリギリだったの。まさに追い詰められた私とカナンが、魔導兵器の包囲網を突破することができた」


 命を救ってくれて、ありがとう。

 最後に感謝を()べる魔王に、ユーリスたちは互いに笑みを向けあう。ミレイのちからになれたことに、小さな誇りを抱きながら。


「私だけ仲間ハズレね」わざとらしいふくれっ面を見せる魔術師匠。「ふんだ。ど~せわたしゃ、帝都地図の更新箇所を増やしながら、雑魚掃除してただけよ~」


 ユーリスたちが彼女の態度に苦笑いを浮かべるなか、ただひとり胃痛に苦しむ表情となったクライドが、「……トゥールさん。もう二度と起きてほしくないけれど、次、また似たようなことがあったら、冗談抜きに手加減してほしい。……帝都の地図がおおきく変わったのは事実だよ」と、うめくような声をだす。気の毒に。

 シンシアがコホンと咳払いをしてから、ミレイに向けて「カナンさんがとっても良い人なのは、よ~く知っています」と指を一本たててみせる。


「最後のひとり。えっと、シリウス・フレーゴで、あってましたっけ?」


 ふと気が付くと、船の前方に(かげ)が迫っていた。ユーリスが視線をあげると、世界樹ほどでなくとも巨大な大樹が視界を埋める。

 会話しているうちに、樹冠都市へと戻ってきた。川は、みっつの大樹のあいだを()うように、樹冠都市の真下を流れている。トリ入港門は、空中で支えられている都市の陰のなかで開かれていた。


「あってるわよ。あの疲れた顔の男ね」到着したことに気が付いたミレイも、樹冠都市を見上げる。「護剣のなかでは古株で、青い猟犬って呼ばれている……ぐらい」


「ぐらい?」フロムが問いかけると同時に、ユーリスたちの船は樹冠都市の陰に沈む。「えっ、ミレイ。まさか、シリウスという魔族にはそれだけなのか?」


 気まずい表情のミレイが、「せいぜい、なんか失礼な男だな~って」と、頬を掻く。どうやら本当に、彼のことはほとんど知らないらしい。

 何かに気が付いた様子のルミナが、舳先(へさき)のほうへゆっくり歩いていく。彼女に気が付かないシンシアは、「春大会の闘技場、たいへんなことになっていました」と、腕を組んで思案顔を浮かべていた。


「いまだから理解できますけれど、あの影の動物たちがシリウスの摩天空間(まてんくうかん)だったのですね。見たこともない魔術に、会場は騒然(そうぜん)としていましたよ。あのとき、影の獣が選手のひとりに()みつこうとする直前、クライドさんが動いてくれたおかげで……クライドさん? どうかしましたか?」


 骨翼は黙って、周囲を警戒するように視線を飛ばしている。ユーリスも、様子がおかしいことに気が付いた。

 樹冠都市から鉢迷宮に向かうときも船を使用した。だが、あのときはここまで、都市の下は暗くなかったはずだ。自分が運転する船の速度をさげる。視界が悪い。ほかの船に接触しそうで心配になる。


「変です!」舳先に移動していたルミナが振り返る。「ここ、都市に覆われるからこそ昔から、視界をじゅうぶん確保できる明るさが維持されるはずなのです。こんなにも暗いなんて、異常事態ですよ!」


「……原因はアレね」川岸を指さすトゥールの声も、険しい。「出発するときも目にしたでしょ? この川、都市の陰に沈む区間は、空中に魔力の光源を浮かべるの。その光源を生成する魔導機器が故障しているようね。アーボラム魔術部隊が数人、あの機器に集まって作業しているわ」


 師匠の指さす先。川岸には人の背丈の四倍から五倍ほどに大きい、ラッパのような形の魔導機器がいくつか設置されている。

 その根本で部隊の者たちが、おおきく叫びながらいい争っていた。故障の原因がわからないのだろう。状況が(かんば)しくない様子なのはあきらかだ。


「ユーリス、気を付けろよ」そういいながら竜の少女は、船の上に火球を生成して浮かべる。「ほら見ろ。周囲には船がたくさんだ。あしたの市場を目当てにした者たちだな」


 フロムの火球によって、少しだけ明るくなった周囲には船がいくつも浮かんでいる。「ありがとう、フロム。わかった、よく気を付けるよ」といって、進行方向に気を付ける。

 船の動きを確認したフロムも、「よし、いいぞ。もう少しだけ速度をさげていいかもしれない……いや、さげ過ぎじゃないか? 止まってしまうぞ」と、こちらを振り返った。


「へっ?」そんなはずはない。速度はさげていない。「いや、待った。俺は速度はなにも……あれっ!?」


 そのまま樹冠都市の真下。もっとも陰の濃い川の中央で、ユーリスたちの船は停止した。これは、もしかして?

 フロムが自分に、「おい、おまえ。まさか……」なんて眉をひそめた。同時にシンシアも、「船の魔導機器エンジンって、値段はおいくらぐらいでしたっけ」と、なんでもない顔でおそろしいことをつぶやく。ミレイが呆れた表情で、「サクシナムの受益権利。さっそく出番ね」といって頭をよこに振る。

 待った待った。まだ故障と決まったわけじゃない。と思う。たぶんきっとおそらく。


「みなさま。この船だけではありません」


 ルミナの声に、ほかの全員が周囲の船を注目する。

 彼女のいうとおり、まわりの船から「おいっ、どうして動かねえ!」「風が、うまく放出できません!」「ちょっと、誰か水魔術で悪戯(いたずら)してないかしら!?」と、騒がしい声があがりはじめた。


「あっ……」火球を見上げたフロムが首をかしげる。「おかしい。私の炎も消えていくぞ」


 徐々に小さくなっていく炎の明かりの向こうに、ユーリスの星の目は、()た。

 こちらに向かって、陰のなかから影が飛んでくるのを。




   =   =   =   =   =  




 それらの突進に反応することができたのは、ユーリスとクライドとトゥールの三人だ。

 ユーリスは瞬時に生成した衛星を消費し、迫る影の一体へと飛ばす。しかし、「……っ! はやいな!」とつぶやいて、自分の星を回避しては旋回(せんかい)上昇していく翼のようなものを見送る。星の輝きによって一瞬だけ目に映った姿は、鳥。牛馬(ぎゅうば)容易(ようい)につかみ飛べるであろう巨大な影の鳥であった。

 自分が迎撃した個体以外には、二羽。クライドが竜体化による風の刃で、トゥールが地属性の結晶魔弾でそれぞれ払い飛ばすも、三羽とも健在らしい。


「永遠なるわれらの故郷!」シンシア。


安寧(あんねい)もたらす第四の土台石──!」ルミナ。


 ふたりの聖女候補が協力しあい、ユーリスたちの船をおおう防壁魔術を行使するも、防壁は多くの部分が破けてしまったように中途半端なつくりとなっている。

 先ほどから周囲で術式が阻害されている。悔しげに表情をゆがめるふたりだが、いまはできることをしてもらうしかない。


「あれは……影の獣!」鳥を目にしたミレイが叫ぶ。「シリウスの摩天空間、シャドウ・サーヴァントによる使役術式よ!」


「護剣かっ!」フロムは紅玉のような竜の腕と尾を顕現させた。「ずいぶんと厄介なところでしかけてきたな……ユーリス! 敵はあの影の鳥以外にいるか!?」


「いま動いているのは、あの鳥たちだけだ。でも、これはまずい! 樹冠都市の下、陰に沈む全域に闇属性の封魔(ふうま)術式が広がっている!」


 シリウスによる待ち伏せだ。

 狙いはおそらく、ミレイ。影の鳥は三羽とも、魔王へ向かって一直線に飛翔してきていた。彼女を護るために、ユーリスは周囲に衛星を五つ生み出す。


「撃ち落とすっ!!」


 叫んだのはトゥールだ。彼女の手元に地属性魔力が急速に集約し、固まった。顕現するはアルデバラン。しろがねの槍。

 かつて、自分が崩すことに成功したくろがねの槍は、魔技によって効果を発揮する近接武装。こちらは遠くに地属性の弾丸を射出するなどの遠距離武装だ。

 師匠が槍をかまえる。その切っ先を上に向ける。つまり、樹冠都市の底に。青ざめた顔のルミナが叫ぶ。


「トゥール様!? お待ちを! 上にはアーボラムがっ!」


「わかってるわよ!」


 視覚的にも魔力的にもわずかにしか認識できない鳥が、都市を支える大樹と大樹のあいだ。遠くに見える青空と重なった瞬間、「はぁっ!」腹の底に響く重低音とともに射出された物質化魔力だが、鳥に回避されてしまった。同時に。


「ちょうぅぁあああっ!?」


 ユーリスは自分の悲鳴に、トゥール以外の全員が放つ悲鳴が混ざるのを耳にした。いまの師匠の攻撃で、船があわや転覆(てんぷく)寸前となるまで大きく揺らされたのだ。


「師匠、抑えて! 船がひっくり返ってしまう! 手加減してください!」


「ユーリス。私の魔力調整はね。お遊びか、ユーリス用か、本気で叩き潰すか。この三つしかないわ」


 師匠の真顔発言に対して、「なんっですか!? そのおそろしい調整!」と叫び返すと当時に、ふたたび闇属性が近づいてくる気配を察し、衛星を一つ消費しては流星を放つ。だが、距離感をつかめないこの攻撃では、影の鳥にあっけなく回避されてしまう。

 この状況に焦燥感(しょうそうかん)を覚えているのは自分だけではない。とくに竜人ふたりは険しい顔だ。クライドは竜体化をうまく行使することができず、フロムは竜の腕を振るおうにも躊躇(ちゅうちょ)している。


「すまない、みんな!」ふだん以上に、クライドの濃い緑色の結晶は細い。「私の翼は術式あっての竜体化……くやしいが、この封魔術式を突破しきれない。なんとかまともに機能するのは片腕だけだ」


「まともに機能したところでだ」フロムはいつもどおりの竜体化を見せるも、動けてはいない。「周囲にほかの船が多すぎる! 下手に広範囲の術式を行使すれば間違いなく、無関係な者を巻き込んでしまうぞ!」


 周囲に広がる封魔術式は絶妙だ。

 効力はそこまで強くないので、攻撃する際の瞬間的な出力であれば、多少は減衰(げんすい)しつつも行使することができる。だが、船を動かす。防壁を維持する。補助術式を構築する。そういった調節した魔力を放出しつづける術式を打ち消してしまう。

 さらに封印がさほど強力ではないゆえに、樹冠都市の陰に沈む全域に広げることができたようだ。とても周到(しゅうとう)に計画されている。このままでは本当にまずい。


「私の命属性じゃ、照明術式を行使できません。ほかのなにかで視界を確保することができれば……!」


 シンシアの声に、ユーリスは応じるように川岸の魔導機器に探査魔術を飛ばした。そして、ようやく把握することができた。


「みんな。川岸の照明機器には、闇属性による封魔術式が施されている。なんとかそれを打ち払うことができれば、周囲を明るくできるはずだよ!」


「了解っ! そこはこの魔王さまに、おまかせぇえ~~!?」


 大きく傾斜(けいしゃ)する甲板を転がる当代魔王。急いで運転席から離れた自分が、「ミレイ!」駆け寄って彼女の身体を抱きとめる。直後、接近していた影の鳥に向けて衛星を放つ。これで残りは三つだ。

 まだ船はおおきく揺れ続ける。自分の三半規管におおきな混乱を覚えつつ、「あの鳥たちの仕業(しわざ)だ! 翼で強風を起こし、波を立てている!」と叫ぶ。樹冠都市の陰に溶ける影の鳥。方角はわかるも、どの位置から起こされているのか認識しきれない突風が吹き続ける。ミレイが弓を射るのは、現実的に不可能だ。

 しろがねの槍の切っ先(きっさき)を、ふらふらさせては苛立(いらだ)つ表情のトゥールが振り返る。


「ユーリス! あんたの探査魔術で鳥の位置を特定することは!?」


「すみません! 樹冠都市の底を走る魔力回廊。都市の設備による魔力と重なって、判別がむずかしい! それに、闇属性の術式で隠れるのではなく、周囲に溶け込むように組んでいます! なんとかわかるのは、せいぜい方角ぐらいです!」


「攻撃がくる方向がわかるだけでも上等ね! ただし、帝都に戻ったら魔力判別の修行をみっちりつけるから! ……全員、意識を集中させなさい! クソ鳥が遠くからできるのは波を起こすことぐらい。転覆まではいかないわ。であれば、注意すべきは突進よ。そして、それは同時に!」


 トゥールの言葉に、全員が頷いて見せる。

 状況を打破する手段。それは鳥の接近にあわせた反撃だ。次、突進してきたときに堕とす。ユーリスはミレイの身体を支えつつ、刀身に星の輝きを走らせて、その鼓動(こどう)を衛星と同期させる。星雲の近距離多重斬撃。それによって対処を意識するが、「あの船を助けるぞぉ!」と、近くの船から響く声に驚いた。


「ギールス隊、魔術攻撃かまえぇ!」近くの船。船べりから身をのりだしたヒューマンの両隣で、エルフとビーストが杖をかまえた。「魔物は二体か三体かいるぞ! まずは一体を堕とす!」


 そして、ヒューマンの魔術攻撃にあわせて、両隣からも属性の閃光が闇のなかを走った。

 影の鳥は、かすりもしなくとも魔術攻撃に危険を覚えたのか、やっと自分が予測できはじめた旋回の動きを変えて、魔術を放った船に狙いを定める。


「だめだ! 攻撃をやめるんだ!」


 自分の声は、彼らの魔術攻撃によって生じる爆音にかき消されてしまう。ふたたび閃光を放つ船に向かって、影の鳥はその巨体をぶつけた。

 水上で彼らの船は大きく傾きながら回転するも、なんとか転覆は(まぬが)れる。しかし、「うわぁっ──」落水音ともに、悲鳴が途切れる。誰から船から落ちてしまったようだ。


「テッド、無事かあ!?」


 仲間が船上から火属性の明かりを灯す。すぐに消失してしまったが、かろうじて生成された光源によって、ビーストの冒険者が水面から顔をだしたことがわかった。

 ふたたび、影の鳥は旋回する。ユーリスたちの船ではなく、落水したビーストを狙い定めて。


「俺が──」


 と、飛び出そうとする直前。自分の視界で、白い塊が船べりから飛び出ていくのが見えた。真っ白い聖女候補衣装に、真っ白な無地のケープマント。ルミナだ。

 虹の聖女候補は防壁魔術を足場にするように、横にして宙に走らせるも、「……っ!」やはり、封魔術式に阻害されてしまい足場が消失していく。それでもなんとか、最後に跳躍(ちょうやく)して、落水音とともに水しぶきがあがる。

 シンシアが彼女の名を呼んだと同時に、虹の術式が行使された。


幻灯(げんとう)(まど)え。コルピ・ファンタズマ!」


 ユーリス自身、思わず自分の目を疑う精巧(せいこう)なまぼろしが出現する。この星属性でなければとても判別がつかない、ルミナと落水した冒険者のまぼろしが水面に複数広がった。そんなまぼろしに向かって、影の鳥は突進してくちばしを突き刺すも、「…………?」水面をかすめただけに終わる。

 やりすごせた、と思えたのもつかの間。ほかの鳥が起こす波によって、ルミナのまぼろしは看破されてしまった。


「そんな、あれじゃ!」


 フロムが叫ぶように、水面を揺れる人影はふたりだけ。ほかの人影は波に揺れることなく、その姿が空間に固定されていた。さすがに波の動きに合わせてまぼろしを動かす余裕は、いまのルミナにはない。実体とまぼろしを判別したらしい、陰に(にじ)む影がルミナたちへ向かって飛翔する。

 彼女たちを救うためにと、ユーリスがミレイから身を離した瞬間。「……くっ!」波を起こす個体。ルミナとビーストを狙う個体。それらとは違う最後の個体がこちらに突進してきた。とっさに準備していた斬撃で防ぐが、もう救助には間に合わない。


「ルミナさぁあん!!」


 虹の聖女候補とビースト。ふたりの運命にシンシアが悲痛な叫びをあげた、瞬間。

 耳を(ろう)する爆音が、川の上流から響きわたってきた。


「なんだ!?」


 水の壁が迫ってきている。そう錯覚(さっかく)するほどの濃密な水属性の塊が、船ではありえぬ速度でこちらに向かってくる。

 謎の存在は、水上を爆発させながら飛ぶように駆け走るそれは。


「ルミナ……ちゃんに……近づくなぁあ!!!」


 蜂蜜色のたて巻き髪を揺らし、見るものの背筋を凍らせる憤怒の表情を浮かべ、突剣に魔力の水をまとわせるエルフの少女。

 ヒミングル・ラーンが、大型帆船ですらも斬り飛ばさんとする波濤(はとう)を巻き上げながら、高速で近づいてきていた。まだ距離のあるその場所から。


穿(うが)て流水、フレシュ・ドゥ!!」


 剣を振り上げると、圧縮された川の水が硬質の槍となり、ルミナたちへと飛翔する影の鳥に放たれた。


「……────」


 とても反応することなんてできない水の突撃に、影の鳥は頭から円形の穴を開かれては、宙で消失した。

 目を見開く虹の聖女候補は、救ってくれたエルフに顔を向ける。


「ヒミングルさん!」


 到着したエルフの少女剣士は、そのままルミナとビーストを川の水ごと魔術で持ち上げて、「ルミナちゃん、ちょっと乱暴でごめん!」ビーストがもともと乗っていた船のうえに流し込んだ。

 そのまま水上を跳ねとんで、ユーリスたちの船に接近しながら叫ぶ。


「星の一行! 私の流水剣技じゃ、さすがに残りの奴らには届かない! このまま船を固定させる。揺れを抑えるから撃ち落として!」


 変わらず強風は吹き続けるが、水面に剣を突き刺す彼女のおかげで、船の揺れが収まった。

 とたんに得意顔となったミレイが、「助かるわ! これならいける!」といってセレノグラフィアを展開し、川岸に向けて「豊かの海より来たれ。ローティス・フレア!」拡散する月の矢を射出した。

 群青色の弓矢が、複数のラッパのような魔導機器に刺さっては封印術式を消失させて、「さっさと、動きなさいよっ!」ミレイが晶析武装を解除した直後、それまで抑えていたものを吐き出すように、光の球体を大量に放出しはじめた。

 その勢いは、周囲を満たす封魔術式だけでは抑えきれない。暗闇に慣れたユーリスたちの目をくらませる魔力の光が、樹冠都市の陰を払い飛ばした。


「よし……よし! 見えるよ!」


 樹冠都市の底が見える。枝葉と魔術回廊と補助建築が組み合わさった、都市の底。その巨大建造物を背後に飛翔する、影の鳥。さんざん自分たちを苦しめていた巨大な鳥の姿を、はっきりと視認することができた。

 この状況にヒミングルが、「あなたたちの実力がどれほどのものか。これだけ明るければちゃんと見せてもらえそうね!」と、はやし立てる。その言葉にニヤリと笑みを浮かべたのは、双極だ。


「ようやく、全力を出せる……しかと目に焼き付けなさい! アルデバランが織りなす“意味”をね!」


 トゥール・セイメスの手元で輝くしろがねの槍に、地属性魔力が満ちる。


「へっ。いやいや、なにやってるの」ユーリスは、目を点にして問いかける。「待って待って、トゥール師匠。目標はあの鳥ですよ? 撃ち落とすだけでいいんですよ? そんな馬鹿みたいなの必要ありませんよ?」


 あの巨大な影の鳥を堕とす。うん、そこはまったく問題にならない魔力だ。それどころか。


「ちょちょちょちょちょ」ヒミングルも真っ青な顔をしながら口を動かす。「前言撤回! ふざけないでよ、双極! そ、そんなの撃っちゃったら、都市の底が抜けちゃうでしょうがぁあ!!」


 彼女のいうとおり、下手をしなくても都市崩壊を招くであろう暴力的な輝きをまとわせたしろがねの槍を、影の鳥に向ける。

 フロム、シンシア、ミレイ、クライド。自分以外もさけぶ制止の声なんて少しも耳に届いていない女性エルフは、爽やかな笑顔をふりまきながら魔術を行使する。


「はるか遠くまで。──ハディアン・ナジュム」


 しろがねの槍から、地属性魔力の奔流(ほんりゅう)が放たれた。ヒミングルが抑えているにもかかわらず、船がおおきく沈みこむ反動。

 あまりの光量に、黄色いはずの輝きが真っ白にしか目に映らない攻撃魔術の光。それは大樹と大樹のあいだ、遠くの青空まで瞬時に伸びる。影の鳥には当たっていない。しかし、外してなんかいない。

 基礎属性とは、派生するすべての属性の要素を含むもの。ユーリスが浄罪の山、プルガトリオで目にした甲羅に残る重属性。対象の重さや重力を操るあの派生属性の力を、トゥールはいとも簡単に操っていた。

 ハディアン・ナジュム。地属性の光線は範囲内に存在するありとあらゆるものを引き寄せ、巻き込み、粉砕する。その引力から逃れられなかった影の鳥は、意味のない羽ばたきを繰り返しながら光線に引き寄せられ、触れた瞬間、寒気がするほど瞬時に黒いチリとなって、光線とともにはるか遠くまで吹き飛んでいった。


「あっ」


 ついでに樹冠都市の端っこのほうも吹き飛んでいく。あくまで都市を支える基礎なので、少なくとも人的被害は心配ない。人的被害、だけは。

 トゥールは、小さく声を発したかと思えば、こちらに振り返って可愛らしく舌を突き出し、自身の頭を右手でコツンと叩いた。本当になにしてくれてるんだろう、この人。


「ま、まだだぞ!」竜の少女が発する声に、ハッとして残る影の鳥へと目を向ける。「ユーリス。やつの動きを誘導してくれ。この距離なら届くだろう」


「わかった。いくよ、フロム!」


 舳先に移動した彼女のよこに並ぶ。

 まずは自分が残りの衛星をふたつ同時に消費して、「星天渦動(せいてんかどう)、プレナム・ルーラー!」星魔術を放った。これは本来、物質化させた星属性魔力、多くの星々をまわす天蓋(てんがい)に閉じ込める術式なのだが、あえて閉じることはさせず、小さく大量の星々を回転させながら、影の鳥に向けて飛ばした。

 その星と星の間隔は、あの巨体であっても通り抜けることが可能だ。眼のない影の鳥は顔を動かし、その目立つすきまを通り抜けようとする。


「貫け。竜の火炎よ──」


 フロムは二か所の竜体化を顕現する。そのひとつ、竜の牙を彷彿(ほうふつ)とさせる紅玉の槍を構えた。


飛竜牢牙(ひりゅうろうが)!!」


 少女の投げ放った槍は、宙で石突(いしづき)の部分が爆発して加速する。狙いすました紅い閃光は、ユーリスがあえてつくったすきまを通り抜けようとする影の鳥を貫いた。が、まだ影の鳥は動いている。

 最後の悪あがきか、こちらに進路を変えて近づいてくる鳥と、フロムの腕とのあいだには、紅玉の破片でできたような煌めく霧がつながっていた。


「これで最後だ」


 この半晶析武装ともいえる魔力の鎖こそ、もうひとつの竜体化。フロムは火種となる励起魔力とともに腕を払った。


「──燎纏鎖爆(しょうてんさばく)!」


 払った腕から紅い閃光が飛び出した。それは煌めく霧を伝って影の鳥に高速で向かっていく。あわてて回避しようとする影の鳥だが、その身に刺さる槍が抜けぬ限り、避けることも防ぐこともできない。

 そして閃光が、火種が竜の槍に接触した瞬間、ひとつの太陽が出現したと見紛う爆炎を起こし、戦いの終わりを告げた。




   =   =   =   =   =  




 樹冠都市の下。陰に沈むはずの流域には、魔導機器によって生じた光の球体で幻想的に照らされている。

 周囲の船そのすべてから、魔物を撃退したとみられるユーリスたちに歓声が()きたっていた。水面を固定してくれていたヒミングルは、安堵のため息をついてルミナのいる船に身体を向ける。

 そこへ、「待ってください!」シンシアが声をあげる。


「お願いします。私をルミナさんのもとへ連れていってください! 彼女や落水された方が負傷していた場合、私が治療(ちりょう)してみせます!」


 了承したヒミングルの水魔術に誘導されながら、こちらに「すみません、いってきます!」とあわてるシンシアに、ユーリスは微笑みかけた。


「シンシアさん、こっちはだいじょうぶ。すまない、ヒミングルさん。彼女をお願いしたい」


 ユーリスに頷いた少女剣士は、星命の聖女候補が水面を歩けるように補助術式を行使してくれた。

 ふたりが去ってから、切迫(せっぱく)した雰囲気のミレイが「ユーリス」こちらに急いで近づく。


「まだ注意して。摩天空間は行使者から広げる術式よ。きっと、すぐ近くにシリウスが──」


「そこなんだけれど、ミレイ」頭を小さく振って、世界樹方面の青空に向けて指をさす。「どうやら、取り逃がしてしまったようだ」


 魔王が自分の示す先へ視線を移し、厄介そうに眉をひそめる。

 大樹と大樹のあいだ、はるか先の青空を黒い物体が飛翔している。ユーリスたちが形勢を逆転するなかで、勝敗を察したシリウスが新たにもう一体の鳥をつくりだし、逃走することを決めたようだ。判断がはやい。もうこの距離では、トゥールのアルデバランでも回避されるだろう。

 両手を腰に当てるフロムが不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「どうやら、決着は世界樹でつけるつもりらしい。いいだろう、望むところだ」


 後ろから、「まだ汚名返上(おめいへんじょう)の機会はあるということかな」と、クライドの力なき声が耳に届く。どうやら、かなり(こた)えているようだ。

 その隣のトゥールは、まだまだ暴れたりないというふうに不満顔。彼女は「あらあら、手癖のよろしいことで」といいながら、影の鳥を見つめる。


「あの護剣。サクシナムをちゃっかり手に入れてるわ。こっちで細工したように、向こうで罠をしかけるつもりね」


 どうやらそうらしい。面倒なことになりそうだと、ユーリスはゆっくりと首をまわす。

 飛び去っていく鳥は、サクシナムの金属容器を左右の鉤爪(かぎつめ)にひとつずつぶらさげている。魔力燃料を確保した護剣は、ふたたび自分たちを待ちかまえる算段なのだろう。

 ユーリスたちは、冒険者たちの明るい(とき)の声に包まれながら、世界樹に消え去る青い猟犬を見送った。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


次回も引き続きお読みいただけたら幸いです。

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