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ロード・トゥ~星属性の不運~  作者: スミだまり
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19話 ふたりで決めると願ってしまった


 世界をけん引する帝国の首都。帝都グランシオネの環境を管理する魔導技術は、世界樹近郊にある樹冠(じゅかん)都市には一歩譲るものの、大陸でも最高品質の洗練された造りをしている。風属性や闇属性の機器によって温度や湿度を調節し、土属性や水属性の機器によって樹々の生育や上下水道を整えていた。都市には自然が多く残された区画があり、竜眠館はそんな自然豊かな丘に(たたず)んでいる。

 館を取りしきる主人は、女性ドラホーンのマヤ・リンベル。きょうもきょうとて厨房にて、得意としている竜人料理の仕込み作業をしていた。


「……うんうん」鍋からひと口だけ皿に取り、味見をする。「これなら、ルーフェンくんたちにも美味しく食べてもらえるはず。なるほどね~。山のほうでは、気持ち優しい感じで味付けするんだね~」


 谷出身の自分たちは、どちらかといえば濃いめな味付けを好む傾向がある。だからこうして、竜の山と竜の谷の嗜好(しこう)の違いを把握できたことが嬉しい。この先、山出身の竜人にも自信をもって料理を提供することができるだろう。

 となれば、つぎは竜の浜、竜の原に住む同胞たちの舌も研究したくなってくる。世界に存在する、竜人の故郷として有名な四つの竜の里。各地の料理を網羅すれば、まさに竜の料理人と自称しても過言ではない。幼馴染のクライドを連れて、世界を旅してもいいかもしれないと思えてきた。


「はあ」そのためには。「あの人が、宮殿の仕事を休めたらいいんだけれど、無理かなあ」


 自分とともに帝都を訪れた幼馴染。風属性の男性ドラホーン、クライド・ガルブレイク。

 幼いころこそ、先天的な事情で竜体化を一箇所も顕現(けんげん)できなかった彼であったが、生まれついての弱みを努力によって強みへと昇華し、四か所の竜体化を実現した。そのちからを帝都の秋武闘大会で見せつけたクライドに、宮殿が歩みよっては交渉を持ちかけた。世界平和のために、竜の力を行使しないかと。さまざまな条件、交渉、報酬。いくたびも話し合ったすえに、クライドは宮殿で働くこととなった。それも秘密裏に少人数で、危険な任務に動く精鋭部隊の一員として。

 自分は、彼のそばを離れるつもりはなかった。この館の管理人という職を得られたことは、僥倖(ぎょうこう)というほかにはなかった。


「……逆に、いいかもね。あの人がユーリスさんたちといっしょに動けるようになるのは」


 そんなクライドは、もうしばらくすると星属性の補佐に専従する予定である。

 ユーリスの実力はよく知っている。この館のまえでも、くろがね一本だけとはいえ、あの双極トゥールと渡りあったのだ。それに、帝都を救った巨大な魔力武装も目にしている。たとえ星の旅が危険であろうとも、心配する必要はないはずだ。きっと。


「とっとと、あぶないあぶない!」


 いけない、ぼうっとしていた。せっかくちょうどよい味だったのに、これ以上煮詰めてしまうと濃くなってしまう。マヤはあわてて魔道具を操作して火を止める。

 安堵(あんど)の息をもらすと、背後のほうでどたばたと慌てたような足音が響いてきた。


「マヤさん、どうかしましたか!?」中性的な、耳に心地よい声色。「や、火傷(やけど)したなら僕が氷を──」


「あっ、ごめんね。ルーフェンくん、違うの」


 振り返ると、そこには女性と見紛う整った顔の男性ドラホーンが、扉を開いた姿勢で立っていた。彼は青を少し垂らした白の長髪を一本にまとめて、一方の肩からおろしている。


「ちょっと煮詰め過ぎちゃうところだっただけ。心配かけちゃって申しわけないわ」


「いえいえ、よかった。安心しました。……ん、きょうの夕飯は山のほうですね」


「そのとおり。うまくいったから楽しみにしててよ~」


「いつもお上手じゃないですか。妹も手紙に書いてましたよ? 帝都では毎日おいしい料理続きで()えてしまいそうだって」


 つくった料理を褒めてくれるのは、単純にうれしいものだ。マヤは彼の言葉に口元を緩めながら、それぞれの鍋に蓋をする。少し休憩しよう。

 自分の意図を察したのか、竜の青年が「冷たい飲み物、準備します」といって、厨房に一歩進み入ってはカップをふたつ手にする。彼の氷属性で冷やされた飲み物は、料理の火で暑くなった自分にはありがたい。お言葉に甘えることにした。


 いっしょに厨房から食堂に移って、椅子に座ってはひんやりとした水を喉にとおす。その心地よさにため息が漏れでてしまった。


「ところでルーフェンくん、体調とかはだいじょうぶ? 帝都って風属性なんかの空調術式で、ある程度は都市全体の気候を調節してるみたいだけれど、やっぱり私たちの故郷に比べたらずいぶんと暑いよね。きれいな山にいたあなたたちだと、余計に気分が悪くなるんじゃないかしら」


「ご心配なく。たいしたものですよ、この都市の術式はきちんと機能しています。さすがは世界の中心だ。……あとはまあ、僕自身が氷属性なので、暑さにかんしてはなにも問題ありません。でもその……」


 照れ笑いを浮かべる彼に続きを促す。すると、「笑ってしまうかもしれませんが」と前置きした。


「僕、寒いのが苦手なんですよね。氷属性なのに。……いやだってその、ほら、暑さは氷魔術で、どうとでもできるじゃないですか。でも寒いのはだめ。抵抗できない。せいぜい、よりいっそう冷たいものから、僕自身のまだマシな冷気で防ぐことができる程度です」


 彼の笑みに、マヤも笑みをもって返答する。

 いまの言葉はよく聞くフレーズで、とくに火属性の者たちが口にすることが多い。寒さは対処できるが、暑さは勘弁(かんべん)、といったように。


「そっか。じゃあルーフェンくんは、大陸北部はちょっと苦手になるのかな。あのあたりの冬は厳しいって聞くしね」


「ええ、そうなっちゃいますね。……ユーリスさんやシンシアさん。体調を崩してないといいのですけれど。ミレイさんだって、魔族とはいえ僕たちと変わらないはず。気を付けてほしいな」


 マヤは思わず吹き出しそうになった。

 もっとも心配している存在には、あえて言及しないルーフェンがほほえましい。ユーリスたちが大陸北部へ向かうことが決まったとき、この竜の青年は妹に向かって、体調管理について口うるさかったことを館の住人全員が記憶している。

 言外に聞こえる彼の妹へ対する想いになごんでいると、玄関からベルの音とともに「ただいま~」と、少女の声が聞こえてきた。


「あっ、アナちゃんが帰ってきたね」


「僕、飲み物を持ってきます」


 ユーリスの妹が、暑い暑いといいながら食堂に現れた。兄と同じ亜麻色の長髪は、竜の少女フロムと同じように後頭部で結い上げている。うなじを出したほうが涼しいのだ。自分も、そこまで長くはない茶髪を髪留(かみど)めでまとめている。

 ヒューマンの少女は竜の青年から冷たい飲み物を受け取って、「ありがと、ルーフェンさん」と、お礼を返しながら食堂の席につく。


「本当に暑いよ~。グリュークってわりと北方寄りの地域だったからさ、中央部の気候に身体がまだついてきてないや。お兄ちゃんがうらやましくなっちゃう」


 アナヤは、きょうは朝から昼下がりまで、帝都の行政区画でグリューク第二王女パームステンから、交易の指南を受けていたようだ。グリュークと羽鞴山(はぶきやま)をつなぐ役目をオービター家が担っており、その家の娘であるアナヤが、将来のためにも勉強しているとのこと。

 それ自体に別段おかしいところはない。しかし、オービター家にはユーリスがいる。星の旅を終えた彼が、その役目を引き継ぐのがふつうじゃないだろうかと、改めてマヤは疑問を覚えた。いや、星属性とはいえ命の危険がともなう旅なのだから、万が一の哀しい事態に備えてそのようにしているのかもしれない。あまりここを詮索(せんさく)する発言はしないでおこう。


「たしかに、私もちょっとうらやましいかな」マヤは、窓から差し込む午後の光を見つめる。「黄金都市かあ。私が谷に住んでいた子どものころ、よく耳にしていたの。都会に憧れる谷の竜人は、地理的にレイディアントコールか帝都グランシオネ、あるいは東のヒイヅルに向かうことが多いからね」


「僕の世代は山が閉じていたので、そういった憧れはあまり抱きませんでしたね。フロムはすごかったけれど。まあ父の世代では(ふもと)のグリュークか、ポートメリオン。もしくは世界樹あたりに思いを馳せていたみたいです。……とはいえグリュークは、その日歩いていける場所ですが」


「グリュークっ子の私にとっては、やっぱり帝都こそが憧れの場所だったね!」アナヤはそう発言した直後、ばつが悪そうに頬を()いては、「いやまあ、さっき暑い暑いって愚痴をこぼしたばかりで、こういうのもアレですが?」と苦笑いを浮かべた。


 じっさい暑いんだからしかたないよねーと、マヤが笑いかけるとアナヤも同意の「ねー」を返してきた。

 そんな自分たちと違って、ルーフェンの表情に(かげ)りが見られた。いったいどうしたのだろうかと視線で尋ねると、彼は「その、黄金都市についてです」と、ため息交じりにこぼす。


「お兄ちゃんたちが向かった都市が、どうかしたの?」と、アナヤが首をかしげた。


 マヤも幼いころ、レイディアントコールにはなんとなくうさんくさい印象を抱いていた。

 竜の里のうち、外部との接触には寛容(かんよう)なほうの谷では、外部へドラホーンが旅にでたり、あるいは別種族の入り婿(むこ)(よめ)を迎えることが、めずらしくはあるもののなくはない。そんな交流を続けていると、良い話を聞くこともあれば当然、悪い話も耳にすることもある。


「アナちゃん。私がクライドといっしょに外の世界へいってみたいって、両親に相談したときの話なんだけどね。彼なら任せられるってことで、ふたりとも旅に出ること自体は許してくれたの。でも、条件がひとつだけあった。……けっして、ひとりで黄金都市に近付いてはいけないと」


 子どもとも大人ともいえない年頃だったあの日を思い出す。

 両親いわく、谷だけではなく別の竜の里や、あるいは小規模な竜人たちの共同体でも、レイディアントコールは警戒されていた。なぜかといえば、かの都市に向かった竜人と連絡がつかなくなることが多いのだという。

 この話を聞いたアナヤは眉をひそめた。


「それと同時に、こんな噂も耳にするんですよ、アナヤさん。黄金都市では、よそでは目にしない竜人武具を購入できる、なんてね」


「つまり、それって……」と、顔を青くする彼女に、ルーフェンが首肯した。


「はい。黄金都市で(とら)われた、もしくは脅迫をうけた竜人が、秘密裏に武具の生産を強いられているということになります」


 過剰に魔力を込めた液状の触媒に、空気中では簡単に魔力が霧散してしまう貴重な素材を投入し、そのなかに薄く竜体化を施した腕をいれて精密な作業を行う。それによって、通常では扱うことができない素材を用いて強力な、もしくはめずらしい効果を発揮する武具を制作することができる。

 ほかにもさまざまな方法や手段があるが、このように竜体化を(かい)して制作する武具を、一般的に竜人武具と呼ぶ。そして、武具の制作は竜の里から外で行うことは禁忌(きんき)とされている。技術流出を防ぐ意図もあるにはあるが、それ以上に、この制作方法は竜体化の具合を少しでも誤ると、魔力的な事故に直結する危険なものだからだ。きちんとした指導や安全管理、あるいは事故が起きた場合の対策や治療手段は、それぞれの竜の里でこそ実現できるもの。外部で行えば、周辺に大規模な被害がでかねない。


「ル、ルーフェンさん。それって犯罪……」


 アナヤのいうとおりだ。

 竜人一同と公式に約定を交わしている、帝国の法律にも記載されている。帝国と同盟諸国領土内で無認可の竜人武具をつくっているとなれば、それは重い罰が()される行為である。


「あくまで噂。調査するにしても、黄金都市内は護衛軍の目が厳しい……。でも、これが本当なら、僕はとてもくやしい」


 彼の沈痛な言葉に、女主人もヒューマンの少女も押し黙る。

 まだ日は高いが、竜眠館を囲む樹々から虫の鳴き声が聞こえなくなってきた。不可解な無音に包まれた、そのときだ。玄関のほうから、来訪を知らせるベルが鳴り響く。


「あら、次はザウルさんのお帰りかしら?」


 停まっていた時間が動き出したかのように、三人は椅子から立ち上がる。しかし。


「突然の訪問、申し訳ない。どなたかいらっしゃらないか」


 マヤは立ち止まって首をかしげた。聞いたことのない声、否、どこかで聞いたことがある声だ。それも、魔術映像越しに。

 三人で顔を見合わせてから、誰がなにをいわずとも、みんないっしょに玄関に向かうことにした。


「…………」


 みんないっしょに、その人物を目にしては棒立ちになってしまった。

 男性だ。ここ最近においては、おそらく大陸でもっとも知れ渡っている男性。彼がこちらに気が付いた。


「おぉ。よかった、あなたがこの館の主人、マヤ殿でお間違いないか」


 首肯するマヤに、彼は安心したような微笑みを浮かべつつ、隣のアナヤ、続けてルーフェンに目を向ける。


「星属性の彼の妹殿に、そして羽鞴山の若殿もいらっしゃったか。よかった。お初にお目にかかる。俺……じゃない、わたしの名はレガトス・ツェッペン。帝国騎士団の総長を務めさせてもらっている。どうか、よろしく願いたい」


 知っているが。っていうか知らない人っているのだろうか。

 いまや世界的に有名な長身の男性ヒューマン。バルジ帝国騎士団総長。つい先日、まもなく引退する聖女の夫となった者。細面の整っている顔を和やかに維持する彼は、開いた口が塞がらない自分たちに、さらに顎が落ちることをいいだした。


「羽鞴山の若殿。わたしはあなたを訪ねに来たのだ。火竜の槍と名高いザウル殿や、わたしといっしょに黄金都市へと向かってほしい。戦争をしかけにいく」


 沈黙する自分たちに、彼は「それにしても、きょうは暑いな」と、身に着けている儀礼用の軽鎧をがしゃがしゃと動かした。




   =   =   =   =   =  




 本日の世界最高峰はお日柄(ひがら)よく、どこまでも突き抜ける青空が目にまぶしい。

 浄罪の山プルガトリオは、一定の高度以上となると常に厚い雪で覆われているため、光が反射するので本当にまぶしい。とはいえ、山の天候は変わりやすいので警戒する必要はある。少なくとも現在、吹きすさぶ極寒の風に氷雪は含まれていないが。


「ちょっと、暑くなってきたかも」


 前方のほうから、フロムの声が聞こえてきた。竜の少女の隣を歩く星命の聖女候補が、彼女を手招きする。


「防寒具の魔動機を調節しましょう。フロムちゃんが火属性なので、魔力の相性が良すぎたんですね」


「すまない、シンシア。その調節を任せてもいいか?」


 もちろんです、と。シンシアはフロムのまえに屈みこんで、防寒具の脇腹にある機器を操作しはじめる。

 いまのうちに、少しでもふたりに近付きたい。そう考えた星属性の男ユーリスは、息を切らせながらすぐ後ろにいる魔族の少女、追われた魔王ミレイに振り返った。


「ミ、ミレイ。そっちは平気かい?」


「はぁ……ふぅ……」彼女も自分同様に、息を切らせている。「別に、へい、きよ」


 こんな自分たちに気が付いたフロムが、前方からこちらに、「ふたりとも、無理は禁物だぞ! 周囲にはさっき倒したような魔物や、動物なんかは見当たらない! 落ち着いて歩くんだ!」と、まるで後輩を見守る先輩冒険者の顔で声をかけてくれた。

 続けてシンシアが、向かう先からそれる位置に指をさしつつフロムに話しかける。自分も聖女候補の指が示した先を見ると、このあと吹雪いたとしても、雪に埋もれることはなさそうな開けた場所があった。魔術的な防壁だけでなく、断熱と防風作用もある結界を広げることで、安全地帯を構築できる魔道具を使用するのにちょうどよさそうだ。


「休憩しましょう!」シンシアのいたわる声。「まだまだ先は長そうです。無理せず確実にいきましょう!」


 正直、助かった思いだ。ミレイからも小さく、安堵の吐息を漏らす音が耳に届く。

 それにしてもフロムとシンシアはさすがだ。小さなころから羽鞴山をかけまわり、厚く雪が積もる場所だろうと適切な身体の動かし方を心得ている竜の少女。教団クエストを請け負って世界を旅し、豪雪の山中ですら慣れた様子で歩き続ける聖女候補。彼女たちから、その体力と健脚っぷりを見せつけられている。

 一方、子どものころに山中訓練をした程度の自分は、年齢のせいもあるものの、だいぶ、きつい。きつそうなのはもう一人。


「ここ、空気うっすい!」ユーリス。


「ここ、魔力うっすい!」ミレイ。


 魔族の少女は、動物にとっても魔物にとっても過酷な環境であるこの場所で、ふだんの動きを見せることができずにいた。

 自分といっしょにぜえぜえと息を切らせて、フロムとシンシアに気を遣ってもらいながら浄罪の山を進んでいる。


「はぁ……! 休憩、だってさ。もうひと()()りだよ!」


 そういいつつ魔王に話しかけるも、しかし「…………──」彼女は自分を無視するように歩みを進める。

 星属性は、その様子に小さくため息をつきつつ、自分も雪に足をとられぬように注意しながら進むことにした。




   =   =   =   =   =  




 浄罪の山にまつわる初代聖女と箱舟伝説。話のなかに登場する氷河は、プルガトリオに実在している。

 この山は一定の高度になると、絶壁がくるりと取り囲む形になっており、そこは満ちみちる過剰魔力で危険なうえ空飛ぶ魔物、さらに魔物以上に強力な現地の生物が住み着いている。現実的に絶壁をのぼることは不可能に近い。しかし、そんな壁を広く崩して流れる、奥部に通じる唯一の道があった。

 ユーリスは、目の前に広がる氷河を見下ろしてつぶやく。


「ここが息づく氷河、リビング・グレイシャ」


 国ひとつ(やしな)大河川(だいかせん)よりもなお幅広い氷の河は、一年のあいだに、大人が二十歩ほど歩く程度の速さで流れている。

 浄罪の山の奥部と麓とを行き来するには、この氷河内部をのぼるように進みしかない。


「空はだめなんだよな」フロムはさらに山奥のほう、氷河をはさむように存在する絶壁を遠く眺める。「たしか戦闘に耐える仕様の飛行船ですら、プルガトリオの空には(かな)わなかったのだったか」


「そのとおりだよ」自分も、彼女の視線の先を見やる。「小規模組織の小さな船から、国の威信をかけた巨大飛行調査船まで、分け(へだ)てなく、差別もなく、浄罪の山奥部にたどりつくまえに墜落してしまったと記録されている。墜落箇所の詳細な位置は不明だけれど、少なくとも帰ってきた船は一隻もない」


「原因は、やはり魔物か?」


「不明、としかいえない。魔物や現地生物の攻撃が届かない高度まで飛んだ船でさえ、この山に引き寄せられるように墜落してしまった。別の原因が考えられているんだけれど、墜落した船を調査するには絶壁の向こうにいくか、あるいは崖下で粉みじんとなった部品をかき集めるしかない。前者はそもそも向かう手段も人も限られていてむずかしいし、後者は調査したところで痕跡はほとんど消失しているって話らしいね」


 このまえ、天翼宮殿で印象的な会話を交わした騎士団総長か、あるいは自分の魔術師匠であれば調査に向かえる可能性はあるが、それでも命を()けるかどうかの話になる。そこまでする意味があるのか、少し判断がつかない。

 そばでこの会話を聞いていたシンシアが、「だから過去の冒険者や調査員は、この迷宮を進んでいくしかなかったのですね」と、納得の表情をみせる。


「氷河のうちに存在する、氷結迷宮。……ふわぁ。カナンさんの迎えに来ておいて不謹慎ですけれど、こうして伝説に語られる場所を訪れたのは、素直にちょっと感動です」


「同感よ、シンシア」ミレイも口元を緩めて応じた。「いちおう魔界にも、年中通して厚い雪に覆われる山や氷河はあるけれど、ここまで特徴のある場所はさすがに聞いたことないわ。ふんふん、いろんな本に書いてあったとおり、本当に迷宮内には魔力が渦巻(うずま)いているようね」


「ですね。エルフの血がそれほど濃くない私ですら、すこし魔力酔いしちゃいそうですよ。ミレイちゃんは平気そう?」


「問題なし。むしろ元気になるわ。魔界ほどじゃないけれど、そこそこ濃い魔力……惜しむらくは、地属性と火属性がたんまりって偏重(へんちょう)なところかしら。まっ、有名なリビング・グレイシャの息吹だからしかたない」


 ふたりのいう氷河内の魔力。これこそが迷宮を作った存在であり、かつ息づく氷河という名のもとになった自然現象である。

 もともとプルガトリオという山は、人類の文明なぞ話にならない太古の時間から、特別な場所であったようだ。地殻の動きによって地形が盛りあがると、同時に地属性と火属性の魔力も集中する。その魔力量は標高に比例するので、この世界最高峰はすなわち、世界でもっとも多く地属性と火属性の魔力を秘めた山なのだ。とはいえ、表出する魔力量は内部に比べてとても少ないため、実際に人々が利用できる地属性と火属性の魔力源は、それぞれ別の有名な地域に存在している。

 氷河によって山の表層をおおきく削り取られたことで、地中の圧縮された魔力の逃げ先となり、強い勢いをもって吹きだすことになる。それは地面から氷床を突き破り、氷河内を割って突き進み、そうしてやっと浄罪の山の上空に抜けていく。

 その痕跡こそが、氷結迷宮。


「息吹……ふむ」フロムも、目の前の氷河に走る、一般家屋もすっぽり入りそうな巨大亀裂を見つめる。「たしかに、裂け目からは魔力が噴き出ているな」


「リビング・グレイシャは、その氷河自体の重さ以外にも、この噴出魔力によって内部が動かされる」ユーリスは、過去に読んだ書物を思い出しつつ口を動かす。「頻度(ひんど)はそれほどではないけれど、突発的で動きが激しい。過去、迷宮内を進んだ冒険者パーティがその変動によって帰路を失い、内部に閉じ込められることになったんだ。……彼らの悲惨な末路は、後年、迷宮内を探索した別のパーティや調査団が、彼らの遺体と、(のこ)された日誌なんかを回収できたことで世に伝わったんだよ」


 まるで生きているかのように、訪れる者を呑みこむ氷点下。息づく氷河。

 しかし、フロムはこんな話に怖気(おじけ)つくこともなく、ニヤリと片頬をつりあげながら自分を見上げてきた。


「だが、そんな厄介きわまる迷宮内を広く探査し、迷わず進むことができるズルい男がここにいる」


「ズ……君、もうちょっとほかにいい方ないのかい?」


 くすくすと微笑む声が後ろからも聞こえた。振り返ると、口元に手をあてるシンシアと片眉をあげるミレイが自分を見ている。

 彼女たち三人の視線に応じるように、ユーリスはリビング・グレイシャに向けて手をかざし、「さてさて、どんなものかな?」探査魔術を飛ばした。すると。


「……うっわ! なんだよこれ、すごいな。っていうか、ひっどい! 本当に昔、ユーオンと人々はここを突破できたのか!?」


 細かくひびが走ったガラス細工。密集した植物が地に張り巡らせる根。虫に喰い荒らされてしまった木材。

 それらのほうがよほど秩序(ちつじょ)ある世界に感じるだろうほど、不規則かつ広大な迷宮が氷河のなかに広がっていた。縦横無尽に走る氷床の回廊だけでなく、層に分かれているようで立体的に交差している場所も少なくない。

 こんな状態が、さらにときどき変動してしまうのだ。自分ほどとはいわずとも、超広範囲を探査できる人物や手段がなければ、侵入すること自体が自殺行為になると断言できる。そう考えた瞬間、「あっ」気が付いた。


「だ、だいじょうぶだよ。ミレイ」振り返って、自分の言葉に不安な表情となる魔王を見つめる。「ちょっとおおげさに驚いてしまっただけさ。安心してくれ。いま探査できたなかに、つい最近、使用されたと思える魔道具の痕跡や、倒されてから日の浅い魔物の素材なんかが、道を成すように点々と続いている。とてもとても強い人が、問題なく迷宮を進んでいる証拠だよ。……カナンさんは、きっと無事さ」


「うん、きっとそのはずだ」フロムの声は力強い。「護剣(ごけん)というやつはとても強いのだろう? 簡単にやられるとは思えない。ユーリスのいう痕跡がそいつのものなら、さっき私たちが相手にした、かなり手強い魔物を単身で撃破したということだ。……ふむ、はやく会いたいものだな」


「強さ以外もです」シンシアが柔らかく(さと)すようにいう。「強制的にとはいえ、あの黄金都市の富豪から登山道具を提供されているのです。むしろ、順調な彼女に負けないよう、私たちもがんばりましょう」


 竜の少女、星命の聖女候補。彼女たちの顔を順に見つめた魔王に、星属性も「まだ彼女本人の反応は見つからないけれど、時間の問題さ。必ず、(さが)し出してみせる」と誓う。

 彼女の深紅の瞳に、たしかに希望の輝きが灯された。




   =   =   =   =   =  




 レイディアントコールからは、昼間の貞淑(ていしゅく)な顔はすでに消え去り、いまでは黄金の笑みが灯されていた。

 夜間に起動した魔導機器が、白亜の建物群をそれぞれ黄金色に輝かせて、星も見えなくなるほどの光量を夜空になげかけている。この都市の夜の姿であり、真の姿でもある。


「美しい。この光景こそが黄金都市。わたしの、黄金都市」


 桃花(とうか)宮殿の長官室にて。黄金都市長官の男性ドワーフ、アドニフはうっとりした表情でつぶやく。

 建前上、都市上層に満ちあふれる黄金の光は、公園の灌木(かんぼく)や道路にならぶ街路樹、建物の影なんかに不審者が身を忍ばせないようにするためとされている。だが実際のところ、都市護衛軍によって都市西部を除く外周部には、とても厳しい警備の目が光っており、下層と上層をつなぐ大階段や境界壁でも、常に軍の者が警戒している。本当は必要のない照明なのだが、上層都民の抱く“果実に選ばれし者たち”という空想的な自尊心を満たすためには不可欠であった。

 下層の者でも上層に入ること自体は可能だが、そのためには下層の依頼斡旋所や冒険者ギルドの認可証が必要である。自分が掌握(しょうあく)する、下層組織の証が。標的である、証が。


「信用できるのでしょうか」


 アドニフは眉をひそめる。せっかく心地よく黄金の景色を(たの)しんでいたのに、不景気な副官の声が背後から聞こえてきた。

 振り返ると黄金都市副官、男性エルフのリューイテルス・ロンカンが背筋を伸ばして立っている。彼の視線は地面に注がれていた。地下のなにかを見つめるようにしながら、口を動かす。


「自分が見た限り、あの男は(こう)を焦っているように思えました。周囲の期待か、あるいは侮蔑(ぶべつ)に対して敏感(びんかん)に反応してしまう。容易に動いてしまうわりには臆病(おくびょう)で、そのくせ油断しやすく不用意。といったような小物かと」


「だろうな」自分も似た印象を抱いていた。「だが、あの男自体はどうでもいい。あの男を通して本国に、わたしの、われわれ黄金都市の価値を伝えることが肝要なのだ。このさき何十年、何百年と続いていくだろう黄金都市の栄光を護るために」


「仰るとおりです、長官」エルフらしくない、おもねる口調。「自分が浅はかでした。まさに、あの男の向こう側に立つ大物こそ、われわれが友誼(ゆうぎ)を結ぶべき存在。あの男は利用するだけ利用すればいいでしょう」


 よくわかっている。満足気に頷いて見せてやると、「ですが懸念事項もあります」と、不景気な顔で続ける。


「ついこの間、カーゼルーンで皇帝から聞かされた魔界への侵攻作戦。長官はその話を、都民の特権階級にご指導されました。……よかったのでしょうか」


 副官のいう特権階級とは、世界でひと握りの勝利者である黄金都市関係者、そのなかからさらに選抜された者たちのことだ。

 彼らとは特別な取引を交わしていたのだが、現在、一部がこの都市から去ってしまっている。皇帝からは、まだ周囲には不用意に伝えてはいけないと注意されていた魔界侵攻作戦。これはおおきなビジネスチャンスだ。さっそく自分が思いついた栄光の計画を伝えてやったにもかかわらず、腰抜けどもが黄金都市から尻尾を巻いて逃げてしまったのだ。なかでもビーストの者は、その言葉通りに。


「かまわん。小銭にしがみついて、栄えある未来を手放した愚か者どもだ」


「自分は、彼らのことを理解できているつもりです。黄金都市は希望岬(きぼうみさき)に近い大都市のひとつ。魔界と戦争となれば間違いなく、最前線の重要拠点となることでしょう。戦火を(こうむ)る可能性が、非常に高い」


「だからこその、わたしの計画だ」まだ理解できていない樹人に指導する。「世界が大きく動く、まさに歴史の分岐点。そんな今だからこそ、わたしのような賢人の大英断によって、この都市は未来の勝利者となることができるのだ。歴史に刻まれるアドニフ・オチェントの偉大さは、海底を()る者、アルダー・キラフにもならぶことだろう」


 エルフにとっては、星属性だろうが魔王だろうが聖女だろうが、どうでもよくなるほどの人物名。

 その名を容易に口にするドワーフの自分へ、副官はやや非難めいた色を瞳に宿すも、「……まさに」と、つぶやいては目を閉じる。あぁ、とても気分が良い。口が止まらない。止まってくれない。


「いいか、副官。この都市こそが未来に残るのだ。神話にある幻想の黄金都市ではなく、この世に実在する黄金都市として。このわたしが、果実を手にするのだ。……そうだ。果実といえば、もうひとつ」


 思わず、片頬がつり上がってしまう。


「あのドラホーンの少女。アレがもうすぐわたしの手に(おさ)まる。作業用や出荷用でもない。わたし専用の愛玩(あいがん)用として飼ってやろう。副官。やつらにはしっかりと、例の登山道具を渡したのかね?」


「抜かりなく」と、即答する副官に向けて、鷹揚(おうよう)に頷いて見せる。


「であれば、あの魔族がこの都市に連れてきてくれるだろう。わたしだけの、竜の少女を」


 長官室に響くアドニフの哄笑(こうしょう)。自分で耳にする自分の声に、さらに笑いが止まらない。約束された栄光の道を、突き進む将来を確信して。

 ゆえに、背後にたつリューイが黙って小さく首を振る姿に、アドニフが気が付くことはなかった。




   =   =   =   =   =  




 リビング・グレイシャの氷結迷宮は、不思議な輝きに満たされていた。

 氷河に刻まれた亀裂は深く、朝日は亀裂の底を歩くユーリスたちに届きはしない。だが氷壁が光を反射することで、歩いているこの氷床回廊をうっすらと照らしていた。うす暗くも透明。見えるけれど見えない。不確かな光量は、しかし、ふだん目にできないものも映し出すようなほど、幻想的なうつくしさをともなっていた。

 明るくも暗くもない、氷だけがつくる青白い光景にユーリスがそんな感想を抱いていると、どこかで氷塊がギシリときしむ音を響かせる。直後。


「ひゃあっ!!!」


 また、シンシアが叫んだ。これで三回目になる。

 だがフロムもミレイも、そして自分も彼女に注意するつもりは毛頭なかった。あんな体験をすればしかたない。


「シンシアさん」彼女に振り返ってはできるだけ、優しく声をかける。「だいじょうぶだよ。いまのもただの氷同士で(こす)れた音さ。また昨晩みたいな迷宮変動がくるならば、俺が必ず事前に知らせるからね」


「あのあのあの」シンシア、涙目。「本当にお願いしますよ、ユーリスさ~ん。私、やですからね。いつのまにか亀裂の下にひゅーだなんて」


 星命の聖女候補がこうなってしまった原因は、昨晩のできごとにある。

 きのうは氷結迷宮の半分を過ぎたところで、早めに休むことにした。というのは、もうしばらく進むと傾斜が急になっていき、周囲の安全を確保できる広い空間がないと、探査した結果から判明していたからだ。

 シンシアの命属性で起動させた魔道具によって、暖かく保護された空間で食事を終え、それぞれ寝袋に潜り込んでしばらくすると、それは急にきた。

 

「あれはやばかったな」フロム。


「あれはやばかったわね」ミレイ。


 ふたりが感慨(かんがい)深そうにうなずくのを見て、ユーリスも昨晩を思い出す。

 無事にカナンという女性魔族と合流できた自分が、黄金都市名産の桃をみんなといっしょに味わっている。そんな平和な夢をみていると、特徴を聞いているだけで姿があいまいな暫定カナンの隣に、魔術師匠のトゥール・セイメスが現れたのだ。あまりにも唐突だったので夢のなかで硬直していると、彼女は「ユーリス、あんた最近ちょっと油断してない?」と、その薄紫の長髪を揺らし、暗い赤みがかった紫の瞳で見つめてくる。

 直後に、夢から覚めた。


 ──みんな、起きてくれっ! この場所が動くよ!


 状況把握よりも安全確保を。そのようにザウルから訓練されていたフロムは、自分の声に飛び起きたと思えばすぐに竜の翼を顕現させた。

 ミレイも瞬時に目を覚ましては、周囲を警戒しつつすぐに荷物を片方の肩に引っ掛けた。とても慣れた動きだったので記憶に色濃く残っている。

 問題はシンシアだった。意識は覚醒できたものの、ふたりと違って寝袋からの脱出に時間がかかってしまったのだ。さらに不運なことに、彼女に向かって氷床に大きな亀裂が走った。聖女候補を呑みこまんとする、深淵(しんえん)への大口が開かれたのだ。


 ──いま、そっちにいく!


 シンシアのもとに駆け出した自分は、亀裂が届く前に寝袋ごと彼女の身体を抱きあげることができた。間にあった、と安堵したのもつかの間、氷の床が滑ってふんばりが効かず、その場から跳ぶことができなかった。非情なことに、そのまま亀裂が股下を駆け抜ける。

 結果。


 ──ちょちょちょちょちょ! フロム! ミレイ! た、たすけて!


 ぱっかりと割れた氷床、その両側に足を載せたまま広がっていき、自分はシンシアを抱えながら人間架け橋となってしまい身動きが取れなくなってしまった。あのとき、自分の腕のなかでシンシアが見せた、亀裂のはるか下を眺める絶望顔は「────……わぁ」いまでも鮮明に思い出せる。

 (ちゅう)に浮かぶ竜の少女に聖女候補を(たく)し、自分自身は魔王が生成してくれた魔力の結晶を手すりにして、どうにか難を逃れることができたのだった。


「っていうかさ。今だからこそ聞いちゃうけれどさ」竜の少女と魔王に顔を向ける。「君たち、俺のあの姿を見て笑ってなかった?」


 この言葉にふたりが顔を見合わせてきょとんとした直後、こらえきれずといったふうに吹きだしては、仲良くいっしょに笑い声をあげる。

 必死だったのに、ひどいな~と。苦笑いを浮かべながら非難すると、同時にシンシアも困ったように笑みを浮かべる。聖女候補に笑顔が戻った。


「それにしても、ユーリスさんすごかったですね」やっと余裕ができた様子のシンシアがいう。「熟睡しているなかでも危険な気配を察して目を覚ますだなんて、眉唾ものの話であって実際にできる人はそういません。少なくとも、聖女候補として旅をしているなかでは一人もいませんでした。あらためて、あなたの実力を痛感した思いです。ありがとうございました」


「…………まあ、こと地属性の魔力に関していえば、いやでも反応する身体にされてしまったからね」


 シンシアとミレイは不思議そうに首をかしげ、フロムはくっくっと喉を鳴らして笑う。

 こんな身体にした張本人が、昨晩の夢に出現して自分を救ってくれたのだ。感謝すべきなのだろう。まったくもって納得できないが。

 ユーリスはため息をついてから、懸念していることを口にした。


「それよりも、カナンさんはだいじょうぶかな。戦闘はともかく、寝てるときなんかで迷宮の変動に巻き込まれてないといいのだけれど」


「そのあたりについては、カナンに心配はいらない」応じるミレイの声には、自信が込められている。「賞金稼ぎなんかに追われるなかで、就寝中に襲われることもあったわ。でも、彼女がすぐに反応してあっという間に返り討ちにした。さっきシンシアのいってた眉唾の話。そんな信じられない世界の住人よ」


「ひょっとして、エンカブリッジ教団から等級を付けられているような魔族?」


「いいえ。大陸の人たちに危険を及ぼす魔族じゃない。むしろ逆。彼女はサルゴン派領地の生まれだけれど、現在は立派なマリア派よ。襲ってきたやつらの命すら奪ってもいないぐらい。だから教団に等級を付けられるような真似はぜったいにしない……とはいえ、実力はト~ゼン等級付き相当よ。それこそ二等級、あるいは準一等級ね」


「ふぇっ!?」話を聞いていたシンシアが驚きの声をあげる。「ほ、本当ですか? 二等級でも教団の記録に永久登録される数少ない存在なのに、準一等級なんてそれこそ歴史にその名が残る話になりますよ」


「あら、心外。シンシア」不敵(ふてき)に笑うミレイ。「じっさいに会ったら、私が嘘をついていないときちんと理解できるんだから。期待してなさいね」


 そこでユーリスは気が付いた。

 顔を向けるとやはりというか、フロムが「等級? なんだそれ」といったしかめっ面をしている。きちんと彼女に説明してあげたいところなのだが、カナンの話にかかわったせいか、嬉しそうなミレイはとても饒舌(じょうぜつ)だ。先のほうへとひとりで歩きながらも、その口はまだ止まらない。


「私とふたりで旅するなかでも、いろんなことで頼りになったわ。狩猟に野営にほかにもたくさん。大陸南部でとんでもない化け物に追われることになったけれど、それは私という足手まといがいたからであって、カナンだけだったらわからないんだから。現に、黒い光をまとったゴーレムに囲まれたときだって──」


「なっ、ゴーレム?」フロムの驚く声。「それに……」


 黒い光。

 フロムが目を見開いている隣で、シンシアも絶句している。


「──…………」


 ミレイは沈黙する。失言してしまったことを彼女自身が自覚し、それをこちらに告白しているも同然の沈黙だった。


「あのあの、ミレイちゃん」どこか慎重な、言葉を選んだ話し方のシンシア。「私、いま、先日の魔導列車で聞いたセネルさんの話や、ベリーヌさんとヨルクさんから聞いた話も思い出しました。……その、もしかして?」


 そこで聖女候補は言葉を切った。内容のない問いかけを、魔王に投げかけるだけに留めた。先へとひとりで歩いていたミレイは、自分たちに背中を見せたまま黙っている。なにも答えはしない。

 自分たちを取り巻いている気まずい静けさを切り裂くように、また氷塊がギシリと音を響かせる。さすがにもう、シンシアは悲鳴をあげることはしなかった。もう一度、ギシリ。聖女候補は、むしろやかましそうに眉をひそめる。

 ギシリ。フロムが、ハッとした表情で周囲を見渡す。

 ギシリ。ミレイが、こちらに背を向けたまま不安そうに顔を動かす。

 ギシリ。


「……これ、はっ!?」


 すでに嫌な予感がしていた自分は、前方に向けて探査魔術を放っていた。

 その結果、きのうの探索中や、昨晩の迷宮変動とは比較にならない魔力の波。間違いなく、周囲の地形を一変(いっぺん)させるほどの超変動。怒涛(どとう)の地属性魔力が広範囲で、自分たちへと迫っている事実にいち早く気が付くことができた。


「フロム、シンシアさんをつかんで飛ぶんだ! 氷河のうえには出ないように注意して!」


 叫んで同時に、自分はミレイのもとへと駆け出す。と同時に、自分たちを空へ打ち上げんとするほどの地震が襲いかかる。

 魔王は「きゃあっ!」とても立っていられない振動によって転倒してしまった。さらに。


「まに、あえ……!」


 氷床回廊は、その前方からものすごい速さで地形を変動させていた。割れる、傾く、閉じる、突き出る。目まぐるしく姿を変える衝撃が、轟音をともなってこの場所を飲み込んだ。

 巻き込まれたミレイの身体は、急激に傾いた氷床を滑っていく。その先は、真っ暗な奈落がぽっかりと口を開いていた。


「ミレイっ!」


 なんとか彼女の身体に追いついた。混乱して硬直する魔王を抱きかかえるも、そのままいっしょに滑り落ち、氷床の(ふち)から身体が飛び出してしまった。しかし、「……っ!」かつて魔術師匠と戦闘したときのように、奈落に呑みこまれぬよう、ユーリスは二度、三度と宙を駆けた。

 そうしてなんとか着地できた場所は。


「……まずい。閉じ込められた」


 先ほど歩いていた地上の回廊ではなく、ひとつ下層に延びている地下の氷床回廊だった。振動は治まったが、自分たちが落ちてきた穴は埋もれてしまっている。

 ななめ上を見上げると、わずかな隙間から光が差し込んでいる。光量は多い。いまの地上は、かなり見晴らしの良い状態になったのだろう。その隙間から、「ユーリスー!! ミレーイ!!!」フロムの叫び声が漏れ聞こえた。


「フロム! 俺たちはここだー!」


 この声が届いたらしい。この暗い地下通路に差し込む光が、なにかによってさえぎられた。「そこか!」竜の少女によるものだ。彼女に問いかける。


「シンシアさんは!?」


「無事です!」聖女候補本人が応じる。「フロムちゃんも私も怪我(けが)はありません。ユーリスさんとミレイちゃんは!?」


「こっちは……」念のためにユーリスは、腰を抜かしているミレイを目で確認し、同時に魔力もいっしょに探査したことで、彼女には怪我ひとつないことを確認する。「だいじょうぶだよ。俺たちにも怪我はない」


 安堵の沈黙。ほんの少し、落ち着くための沈黙が流れたあとで、お互いに登山道具を失っていない事実を確認しあった。


「とんでもなかったな。こんな場所であればこそ、過去、多くの冒険者たちが遭難(そうなん)したのもうなずける」フロムもさすがに疲労を(にじま)ませている。「とはいえ、無事にやり過ごせたんだ。これでひと安心。ともかく合流しよう」


 私の竜体化でこじ開ける。そう続ける竜の少女に、ユーリスは「ちょっと待った」と声をかける。


「フロム。いま俺たちを(へだ)てているこの氷壁はかなり分厚い。崩すとなると、相応の火属性魔力を使用することになる。となると心配なのが──」


「誘爆か」察したフロムが応じる。「そうだな。ふだんであれば気にするものではないが、ここには例の息吹が、火属性魔力が渦巻いている。キャンプ道具程度なら問題ないが、火炎や爆発をともなう術式を使用すれば……」


 可能性はそこまで高くはないが、無視することはありえない。


「みんな、聞いてくれ。いま改めて、この氷河を探査しなおした」ユーリスは、把握できた氷結迷宮の構造を脳内で咀嚼(そしゃく)する。「……合流、できそうだね。氷河の出口、その手前あたりになる。すでに俺たちは全体の七割ぐらいまで進んでいるから、そこまで遠くないよ。安心してくれ」


「ユーリス。私とシンシアはどう進めばいい」


「君たちはいま、氷壁の下にある小さな隙間から、俺たちに声をかけているよね?」


 そうだと、肯定するふたりに続ける。


「その目の前の氷壁を右手にして離れないまま、プルガトリオの山頂を目標に進んでくれ。目指していた絶壁の(ふち)にたどりつけるはずだ。途中で大きな亀裂にぶつかるけれど、フロムなら飛んで超えられると思う。……体力と魔力は平気かい?」


「まかせろ。燃費が悪いと評判の竜体化だが、きょうの在庫はまだたっぷりだ」


 冗談めかしていう竜の少女に微笑みつつ、「つぎ、周囲からきしむ音を耳にしたら迷わず空に避難してくれ。くれぐれも、氷河の上にはでないようにね? そしてまた迷宮変動が発生した場合は、危険を回避したあとそのまま待機してほしい。俺たちのほうから迎えにいく」と注意する。


「承知しました」シンシアの気丈な声。「どうかおふたりとも、お気を付けて」


 しかし、竜の少女は一転、「……ユーリス。私たち、ちゃんと合流できるよな?」と、これまで聞いたこともない震える声色でそういった。

 息を呑む。正直、本当に驚いた。まさかフロムが、こんな声をだすなんて思いもしなかった。


「約束する。俺と君は再会する。絶対に」


 光の糸。銀の輝き。この星の道が繋がっているかぎり、必ず。


「……約束だからな」


 亀裂からの光量が増した。フロムとシンシアは、移動しはじめたようだ。

 自分も、小さくため息をつく。こうした危険地帯で竜の少女と別行動をとるのは、今回がはじめてだ。徐々に不安を覚えてくる。冒険やクエストに慣れているシンシアが、あの子のそばにいてくれることだけがせめてもの救いだ。

 そんなため息に、魔王が反応してしまった。


「ごめん、なさい」フロムとは比べようもないほど、打ち震える声。「私が、ちゃ、ちゃんとしてたら」


「違うよ、ミレイ。あんな揺れに対応できるほうがおかしい。それに、俺がもっとはやく知らせてあげられたら良かったのにね」


 でもと反論しようとする魔王。その発言を許さないように、ユーリスは続ける。


「情けないけれど、いい訳させてほしい。いまのとんでもない変動は、あきらかにきのうのそれとは別物だった」


 疑問を抱く彼女の瞳に、説明を続ける。

 リビング・グレイシャに渦巻く魔力だが、氷河が動くことはおまけに過ぎない。あくまで、地中の魔力が山の上空へと抜けていくだけのものなのだから。しかし、さっきの地属性魔力は、まるで氷結迷宮を動かすことを目的にしたようなものであった。

 加えて、さっき変動した際には、火属性魔力がほとんど存在していなかったこともおかしい。


「ユーリス。どういうこと?」


 あの地属性魔力には、意味が与えられていたということだ。つまり。


「……可能性の話だけれど、例えば誰かが人為的(じんいてき)に発生させた現象、かもしれない」


 いや、さすがにないか。今の変動は師匠のトゥールでさえできかねる規模のものだった。……たぶんきっとおそらく。

 そこで先ほど耳にしたフロムの発言が頭にうかぶ。


 ──誘爆か。そうだな。ふだんであれば気にするものではないが、ここには例の息吹が、火属性魔力が渦巻いている。爆発なんかの術式を使用すれば……。


 どうだろう。このリビング・グレイシャの魔力を誰かが利用したら?


「ここの魔力に意味を、ね」おそらく、同じことを考えた様子のミレイが周囲を見まわす。「きのうもいったけれど、氷床回廊の魔力は属性が(かたよ)ってる。地属性と火属性に。使おうと思えば、そこまでむずかしい話じゃない。でも、それだとおかしいことになるわ。誰かが私たちを狙っているのなら、留まることさえ命懸けの氷河で待ち伏せていることになる。私たちが来ることを知っているうえで」


「……考えすぎかな?」


「肯定も否定もできないけれど、警戒する必要があることはたしかね」


 その言葉に頷くユーリスは、ほっとした思いだった。考察しているうちに、ミレイは落ち着いてくれたようだ。

 

「わかった。細かく探査魔術を飛ばすことにするよ。……さて! 見晴らしの良い地上のふたりと違って、俺たちはこのまま地下の回廊を進むことになる」そういいつつ、登山道具の背嚢(はいのう)から取り出した魔力ランタンを操作する。「よし、問題なく()いた。それじゃあ足元に気を付けていこう。ミレイ」


 光を青白く照り返す、氷の通路。ずっと先まで続く暗黒に、星属性は魔王とふたりっきりで踏み出した。




   =   =   =   =   =  




 多少なりともやれると自負していた。だが、実際はどうだ。自分はやっぱりただただ情けない、ハリボテの魔王でしかない。

 大陸で逃避行を続けるなかで、この月属性の魔力は、五大種族の賞金稼ぎや傭兵なんかは問題なく撃退できていた。彼らの魔力を難なく封じることができていた。カナンの手ばかり(わずら)わせることはないと、ちょっとは胸を張れたものだった。

 しかし、自分たちを観察するようにときどき現れる、理解がむずかしいほどの実力者がいた。灰色のローブをかぶった褐色肌の少女、かの者が操る金色の砂。真っ黒なローブで全身を包む、筋骨隆々で身長の高い種族不明男性。そして化け物女。奴らが現れるたびに、なんとか逃げ切ったあとのカナンは目に見えて憔悴(しょうすい)していた。自分の月属性が通じなかったことが原因だ。足を引っ張ってばかりだった。

 そしてトドメとばかりに襲い掛かってくるようになる、黒い光をまとった戦人形。


「……なにも、できなかった」


 カナンがいうには、あの魔導兵器たちが装備していた奇妙な膨らみのある盾こそが、宰相ダウィートンの私兵だけが装備することを許された例の盾らしい。

 あの男を宰相という地位にまで導いた、マリア・ヒライスの遺産と思しき存在。


「昨晩、俺を助けてくれたじゃないか」


 ミレイはその言葉を耳にして、うつむいていた顔をあげる。

 真っ暗な氷の洞窟回廊を照らす魔力ランタン。その灯りを手にもつ男性ヒューマン。星属性の男が自分を見ていた。いまのつぶやきが聞こえたのだろう。


「ユーリス。あんた、ひとりでもなんとかできたんでしょ?」氷結迷宮の変動に巻き込まれた瞬間を思い出す。「私を助けてくれたとき、なにもない空中を跳んでたじゃないの。それも星属性のちから? 今さらだけれど、ずいぶんと便利な属性ね」


 救ってもらっておいて、この言いぐさ。発言してから心を痛めつつも、自分と彼はそういう関係なのだと思い込んで痛みを無視する。

 だのに、この男は困ったように微笑んでは、「すまない。アレはアレで魔力を集中する必要があったんだ」と、怒りもせずに説明してきた。


「シンシアさんを確実に救うには、まだ修行不足で頼りない技術なんだ。君のときだって、俺がしっかり会得していたのなら、そもそもこんな下層まで落ちることもなかった。申し訳ない」


「…………また、私にそうやって」


 謝っている。

 バルカ・ヒライスの石像前で、転倒するところを救ってくれたときも。ソンレス平原の小さな丘で、まさに殺されてしまうところを救ってくれたときも。そしてきょうも。自分を救って、自分へ謝って、自分に。

 星属性の宿敵である魔王の自分に。


「少し、休憩しよう」


 フロムとシンシアのふたりと分断されてから、そこそこの距離を歩いている。たしかに休憩したくなってきたところだ。

 同意するように頷いて見せると、彼は目を閉じて集中しては、「うん。探査したところ魔物も危険な生物も近くにはいない。変動の予兆もなければ、怪しい人物の気配もね」と、探査魔術を放った結果を教えてくれた。

 そのまま魔道具を取り出して、暖かい飲み物を準備しはじめる。


「…………」


 本当は手伝いたかった。でも、彼は星属性だ。

 ミレイは堅く口を閉ざしながら、座るのにちょうどよさそうな氷塊に近づいて腰をおろす。


「どれにしよっかな~」荷物を(あさ)るユーリスは、お湯に溶かす粉末を選んでいる。「ちょっと疲れたし、甘いやつでも飲もうか。あとでフロムに勝手に飲むなって怒られそうだけれどね」


「なんでもいい」


 ぶっきらぼうに応じる自分を予想していたのだろう。彼はやわらかい表情を崩すことなく、「ん、わかった」と、手元で作業を進める。

 飲み水に周囲の氷を利用するには衛生面と魔力面で不安がある。そのため彼は、輪っかの形をした水属性の魔道具を小さな鍋の上にかざし、その輪の中心から精製した水を鍋へと注ぎ込む。続けて、表面に熱を発する板状の火属性魔道具を調節しながら、「ほんと、便利な世の中だよね。キーリンチュアには感謝しないとだよ」と、世間話をはじめた。


「そうそう。君に自慢しちゃうけれどさ。俺、なんとあの叡智(えいち)キーリンチュアの遺跡を訪れたことあるんだよね。しかも、二か所。サントファル大聖堂の前にあるトポッシュ広場、じつはあの広場には秘密の地下空間があるって、最近になって急に発見されて──」


「無理しなくていいわよ」


 驚いたように、こちらを見る星属性の男。彼の目から顔を背けて続ける。


「星属性が、魔王なんかと仲良くすることはないわ。歴史上、星属性と魔王が手を取り合ったことなんてないもの。例外は、皆無」


 現在、判明している星属性の伝説、物語、歴史。かの存在は自然災害から人々を救うか、スペクトラムを(しず)めるか、あるいは強大な魔物を討伐している。そして、話のなかに魔王という単語が現れれば、間違いなく、星の英雄は魔王を打ち倒している。両者が歩みよったことは、一度だってない。

 すべての魔王が星属性に倒されたわけではない。大陸には手を出さなかった者や、マリア・ヒライスをはじめとした平和主義者も少なくはないし、自分のように、ただのエーテル・オドスの部品として(かつ)ぎ上げられたような者も散見する。そんな無害な魔王たちは星に粛清(しゅくせい)されることなどなかった。なぜなら、同じ時間に星属性が現れなかったからだ。マリア・ヒライスの弟、バルカ・ヒライスを倒した星属性も、マリアの首が吊るされてから数年後に生まれた存在である。


「わかってるでしょ? 魔王と星属性が同時に存在していることはすなわち、魔王は星によって消される運命なのよ。三人しかいない一等級魔族である、魔王ポリト・フェンダリヨンですら運命を変えることは叶わなかった。たとえ、どんな魔王でも…………ふふっ」


 理解した。やっと気が付いた。自嘲(じちょう)する笑みがこぼれると同時に、視界もじんわりとゆがむ。


「……どんな魔王でも、王都から追い出されて、魔界からも逃げだして、古くから続く護剣にすら殺されかけるなんてありえない。部品と揶揄(やゆ)されてきた魔王たち以下じゃないの。なんだ、そういうことだったんだ。私、星に討伐される価値すらもない、本当にハリボテの魔王でしかな──」


「あっ、そっか!」


 急に大声をあげる星属性に驚き、肩をびくりとさせてしまった。

 ミレイは怪訝(けげん)な表情を浮かべていると、うんうんと頷くユーリスは、「そうだよ。さすがに魔界にまでは伝わってないよね。っていうか、伝わってたらそれはそれで恥ずかしすぎる」と、なにやら納得している様子を見せた。


「なんの、話?」


 そして彼は、なんとも爽やかな笑みを浮かべて、自分にいった。


「ミレイ。当代星属性ユーリス・パス・オービターはさ。まわりから堕ちた星屑だと指をさされていたんだ」




   =   =   =   =   =  




 息づく氷河、リビング・グレイシャを絶壁の縁から見下ろす魔族の男は、極寒の風に濃い緑色の長髪を舞い踊らせ、長い鼻の先をほんのり赤く染め上げられていた。そして頭を取り巻く金色の()、魔力の環、外部魔力錬成器官を輝かせ、自分の世界を広げるために集中している。


「……へっへへ! いた。ドラホーンのガキが紅く目立つ翼で飛んだおかげで、おおよその場所がわかったのがツイてるぜ。よしよし、ミレイといっしょにいるのは、例の星属性か。……クソっ。ミレイのやつ、やっぱ亜人ごときに……クソ」


 自分が狙っていた身体が、すでにあの亜人の男に。

 そんな想像をした護剣のひとり、自称、当世(とうせい)の隠れざる黄金デンゴミッツアーファー・フルブライト。他称、汚れのゴミーの胸のうちに耐えがたい不快感があふれかえる。舌打ちを一度、大きく鳴らして決断した。


「……ああ、もうどうでもいい。このまま氷塊で潰してやる。アストロラーベは後から回収すればいい。遺星錬器(いせいれんき)はとんでもなく丈夫だって、さっさと教えろよな。愚鈍(ぐどん)どもめ」


 愚鈍どもという自分のひと言によって、ゴミーの頭に王都の面々の顔が浮かんだ。

 根暗シリウス。年増ティティルン。じゃじゃ馬カナン。そして、護剣の自分に陰口をたたく下僕の臆病者ども。


「愚鈍ども。へへっ! おれ様がアストロラーベを持ち帰ったら、どんな顔をしやがるか。シリウスのやつには見せるだけ見せびらかして、ほんのわずかでも触れさせてやるもんか」


 きっとうまくいく。最近の自分はずっと、頭上で幸運の星が輝いているのだ。


 数日前になる。

 王城内部は大陸侵攻に備えてあわただしい様子だったが、しかし、自分には宰相の叔父からもとくに指示や仕事は与えられず、部下も指示を仰ぎに訪れなどしなかった。あてもなく城内をぶらついていると目についた、大陸侵攻作戦会議室。だだっぴろい講義室のような部屋に護剣の立場で押し入っては、ヴァシラタスの家紋で封蝋された書類が視界に飛び込んできた。ティティルンは多忙のようで、まだ封蝋は崩れていない。興味の(おもむ)くままに書類を盗んだ自分は、さっそく自室に持ち帰っては開封した。

 中身は表題そのままを読むと、“協力関係が望める”国や都市に組織の一覧であった。大陸側を裏切るように誘惑し、好機にあわせて呼応させるための調査書だと思われる。なんとも妙な書き方だ。ティティルンも部下には恵まれていないらしい。そうしてパラパラと(めく)っていると目についた、黄金という単語。記載された都市名は、レイディアントコール。

 気に入った。黄金都市とはなんとも自分にふさわしい。それに保険といっしょに出向けば怖くない。ティティルンの代わりに自分がこの都市と密約を結ぶことを決め、さっそく例の空間転移を使用して向かった。


「都市長官のドワーフもそうだ。なにが取引だ。なにが金髪碧眼のドラホーンを捕えてほしい、だ。しかも、ヴィクセンが席を外したときにいい寄ってきやがって……あのドワーフの目の前で、ドラホーンのガキをいたぶってやるのも悪くねえなあ、へっ!」


 都市代表である長官を名乗る男性ドワーフは、いくつか手土産にくれてやった魔道具によって、へこへことした見苦しい態度を見せつつも、しかし、取引と称して自分たちへの要求をけっして忘れはしなかった。あまつさえ、魔界の王都ポンテム・トランシレには自分のことをよろしく、ときた。

 自分を通して、本国の覚えめでたくあろうとする浅はかな態度をゴミーは知っている。同じものをこれまで何度も目にしてきた。叔父の宰相に取り入ろうとする小物どもの姿を。

 しかし、幸運だった。偶然にも、行方をつかめなかったカナンの所在を知ることができたのだから。


 ──フルブライト殿。カナン殿は拙者がお相手いたします。……いえいえ、魔王の器であらせられる身の貴殿は、この美しい桃花宮殿でおくつろぎくだされ。


 魔界から自分に付き添ってくれた同じ護剣のヴィクセン。風下(かざしも)方人(かたうど)の提案をゴミーはすぐに却下した。

 それではだめだ。護剣のうちで最強と(もく)されるこの巨漢が、同じく最強の座を争うカナンを仕留めたところで自分の評価にはつながらない。ゴミーも関与するかたちでカナンを殺さなければ、また王都で馬鹿にされてしまう。

 頭を悩ませる自分に、カナンの情報を売り、へりくだった長官ドワーフがにじりよってきた。


 ──護剣さまがた。それでは地の利を得るのはいかがでしょうか。わたくし、不勉強な未熟者でございますが、ゴミ……ごほん。デンゴミッツアーファー・フルブライトさまが地属性であると理解しましたのは、頭のおうつくしい環を拝見すれば。……この黄金都市の南方に、浄罪の山プルガトリオという世界最高峰があることはご存知かと思いますが、その山中に、息づく氷河という便利な場所がございます。カナンとかいう愚者は、このわたくしが誘導いたしましょう。


 つきましては、と長官は続けて、バルジ帝国の封蝋跡がのこる書簡を見せてきた。内容はふたつ。まもなく星属性の一行が黄金都市を訪ねると知らせるもの。そして、カナン・ブルーリングという魔族を彼らと引き合わせよと指示するもの。

 ゴミーはあのとき、自分の口角がつり上がったのをいまでも思い出せる。


「殺してやる。準備は整った。カナンの様子を見にいったヴィクセンを待つまでもねえ」


 眼下に広がる息づく氷河。自分の摩天空間を広げることで、地形変動を促すことができるこの状況であれば最強だ。

 星の一行どもを殺す。取り逃がしたカナンは、ミレイの死体を使って隙を生み、そこをヴィクセンに仕留めさせても良い。自分という知将の策であれば、王城も態度を改めざるを得ない。そして戦争がはじまれば、密約を交わした黄金都市で前線指揮を()ることで魔界を勝利へと。


「殺す。ああ、殺すんだ! おれ様はこのままじゃ終わらねえ。まわりが頭をさげて、こびへつらって、必死に機嫌をとる魔族に、そして次代魔王に……!」


 栄光の道を、進むのだ。




   =   =   =   =   =  




 これまで歩んできたユーリスの道を、ミレイは黙って聞いていた。

 教育を、特例を、期待を浴び続けた星属性の子どもであったこと。カリンジャという、大陸ではめずらしくもなんともないゴブリンの一種にすら負けてしまったこと。周囲が失望するなか、家族や幼い妹への被害が大きくなるまえに、家を出たと見せつける荷物をもって大通りを歩いたこと。良くも悪くも拒まれることはない、魔石掘りの仕事を続けていたこと。

 堕ちた星屑の人生を。


「フロムと出会えたことは、俺にとってこのうえない幸運だった」


 暴走してしまったドラホーン、青い竜をいっしょに止めたこと。グリュークと竜の里との交流が再開したこと。グリューク王から、世界を救うために帝都で鍛え、魔王を討伐するという勅命をうけたこと。


「もちろん、シンシアさんもだよ。君も知っているハムさんとワイヨーンさんには、ある意味では感謝しないといけないかもね」


 ヨーコン村でシンシアが旅に加わったこと。隧道路線(ずいどうろせん)ではハーティたちと出会い、黒い光をまとうゴーレムと戦ったこと。魔導列車でセネルを止め、クライドと出会ったこと。帝都で師匠と再会したこと。そしてベリーヌやヨルクとともに白い巨人と戦い、ドゥム・アストラのアンミットと邂逅(かいこう)したこと。


「そして気づくことができたんだ。この旅で知り合えたみんなと、ちょっとしたお茶会を開いたときに。……出会いこそが俺の道なんだ。どこまでも暗闇が続くなかであっても、誰かとの出会いが俺の行く先を照らしてくれる。先へ進むことができる。そして立ち止まりそうになったとしても、振り返れば出会ってきた光が、星の道として残ってくれている。それまでの道が、また前に進む力を与えてくれる」


 出会えた光。星の道。

 ある。自分にもある。拾ってくれただけでなく、誰にでも自慢することができる愛情をくれた両親。教わって、叱られて、喧嘩して、仲直りして、笑いあったヒライス・トゥパンの仲間たち。自分を(あわれ)れんでは味方になってくれた白霧(はくぶ)の翁。主君ではなく、妹として可愛がってくれたカナン。炎に包まれるヒライス・トゥパンから自分を連れ出し、さいごのさいごまで助けてくれた、ビーストの彼。

 そして。


「そんな後で、ミレイ。君とも出会えたんだ」


 星属性と、出会えた。


 ユーリスが口を閉じると、地下氷床回廊は静寂に包まれた。

 どうやらリビング・グレイシャに()む魔物は、先ほどの大規模変動に対応できなかったようで、気配すらしない。自分たちふたり以外、なにも存在しない世界のように感じる。空っぽの金属カップから視線をあげると、話し終えたユーリスが目をつむっている。ふたたび周囲へ探査魔術を放って、周囲を警戒してくれているらしい。


「道。ユーリスの星の道は、どこへ向かっているの?」


「まだわからない。たしかなのは、これまでの星属性とはまったくの別物だろうってことぐらいかな。そもそも、彼らには失礼ないい方をするけれど、関係ないんだ。これは俺の道だ。俺が出会ったみんなの光が示してくれた、俺だけの道なんだ。過去の星は同じ時間に生きる魔王を倒してきた? 両者が歩み寄ることはなかった? そんなことは知らないよ。ただそうあっただけの歴史に、過去に、記録なんかに」


 そして、目を開いたユーリスはミレイを見る。


「君へとつながる道を、勝手に決められてたまるか」


「………………」


 はじめて出会ったとき、バルカ・ヒライスの像の前で聞いた彼の気持ち。これまでの星属性とは違う選択肢を、という意思。

 堕ちた星屑として生まれた自分は、これまでの星の英雄たちとは違う。それならいっそ、とことん違ってやろうじゃないか。そんな強がり、あるいは意地を張った過去の星に対する反骨(はんこつ)の精神なのかもしれない。

 ただし、彼は決意を固めている。さいごまで歩いて、その先までたどりつく決意を、その瞳に宿している。


「……ひどい」がんばって、口を動かす。「ユーリス、ひどい。私、すっごく悩んでたんだから」


 きょとんとする表情の彼に、ミレイは徐々に口が滑らかになっていく。


「ほんと、悩んでたんだから! せっかく出会った頼りにできそうな人が星属性でしたって。敵対するしかない存在なんだとわかって、このままでいいのかってすっごく不安になってさ! みんなみんなうまくいって魔界に平和を取り戻したら、はい協力関係はここまでってなるかもとか、ほんのちょっぴり思ったりさ! あんたが、ユーリスが星属性じゃなければって、どれだけ願ったか、ど、どれだけ良かったかって……しょう、じきいって……、眠れな、かった夜も、あって、さ!」


 さっきでかけた涙が、次は別の意味をもって流れでる。


「こ、これでもまがりなりに、私、エーテル・オドスに認められた、本物だから、魔王である身分に、なにも、言い訳とか、ゆるされないし! だからって、に、逃げ場なんてどこにもないし! カナンもいないし! それにあの白ワンコ皇帝、遺星錬器よこせって無茶ぶりもいいとこだし!」


 気持ちが(たかぶ)って、口が止まらない。


「カナン以外の護剣、どうしてあんな躊躇(ちゅうちょ)なく私のことを攻撃してくんのよ。式典でカタチだけでも一度は忠誠を誓ったでしょうが! っていうか宰相のバカはなんでエーテル・オドス停めんのよ! 魔界の生命線よ!? ほんっと意味不明! とくにあの黒い光が、(そら)(こぼ)()とか信じらんない!」


「ミ、ミレイ?」と、冷や汗ユーリスに、涙目ミレイは怒りに任せてぶちまけ終え、呼吸を整える。


「いろいろワケわかんなくて、真っ暗で、ぐちゃぐちゃで……本当に怖くて。でも、シンシアは私のこと、すごく気遣ってくれてて、ハムやワイヨーンのこと、本当にありがとうだなんていって。フロムは、ルクバーの騒動が終わったあと、館の周りでときどき見回りして、護ってくれて。ほかの館に居る人も、訪れる人も、みんな、魔族だからとか魔王だからとか、そんなのじゃない。もっとちゃんと私のことを見ようとしてくれて、申し訳なくて……なにより」


 今度は、こちらからユーリスの目を見る。


「あんたと、ユーリスと話をするの、ほんとは楽しいっていえなくて、こっちはずっとずっと悩んでたのに。そんなあんたは、星も魔王も知らないだなんていうとか、ひどいし……」


 ずるい。

 なんとかそこまでいい切って、しばらく涙を流し続けた。

 同時に、泣きながらも固まりつつある思いがあることに気が付く。まだふわふわとしているそれは頼りない。心のなかで捉えかねている。踏み出すには、まだ勇気が足りない。そんな自分を見透かすように彼はいった。


「たしかに、星と魔王の話に、俺が一方的に決めつけるのはずるいよね」


 こちらに近付いて、片膝をついては視線の高さをあわせる。


「だったらさ、ミレイ。ふたりで決めよう。この先、俺と君がどうあるべきかを、いっしょに考えて、話して、すれ違ったとしてもそのまま通りすぎず、喧嘩しても納得するまでぶつかって、そうやって俺たちは、俺たちの道を決めよう。その、堕ちた星屑とでよければ、だけれどさ」


 彼の言葉に、ミレイは「……うん。私、ユーリスとふたりで決めたい」ようやく決意を固めることができた。

 囚われていた鎖から解き放たれたような、やっと呼吸をすることが許されたような、生まれてはじめて歩きだせたような感覚に包まれながら。


「……あっ、待って。やっぱりあんた、ずるい」鼻をすすったミレイは、空っぽの金属カップをユーリスに押し付けながらいう。「なんですって? 叡智キーリンチュアの遺跡、あれ発見されたって、それほんと? しかも二か所あってどっちもいったことあるとか、ずるいずるい! 帝都に戻ったら連れていきなさい!」


「わかった、わかったよ!」自分の勢いに、降参するふうに両手をあげて彼は応じる。「連れていくって約束する。……あ~、でも予約がすごいかも。エイラートさんに頼めば。いやでも立場とか人脈とか使うのもなあ、なんだかなあ」


「手段は選ばないこと。魔王の勅命よ、きちんということ聞きなさい」


 王城ではおじいちゃんやカナン以外は耳を貸さなかった自分の指示に、星属性は「かしこまりましたよ、魔王様」と、困った微笑みを見せて請け負う。

 ミレイは久しぶりに、ユーリスの顔をしっかりと見つめることができた。すると、最初に出会ったときのあの思いが、心の底から湧きあがる。


「ん、どうしたの?」彼の疑問顔に。


「なんでもな~い」少しだけ熱を感じる頬が緩むも、隠すことはしなかった。


 しかし、ユーリスの顔が強張(こわば)った。急に立ち上がりながら、進路のほうをじっと見つめる。

 緊迫する雰囲気をまとう彼に、「もしかして、また迷宮変動?」と、ミレイも声がかたくなった。


「うん。それに“あちらさん”は、もう人為的であることを隠しもしないようだ」




   =   =   =   =   =  




 明らかに自分たちを狙っているとしか思えない、局所的な迷宮変動の気配。超自然的な息づく氷河とはいえ、ここまで露骨な変動はまずありえない。


「俺の背に、はやく!」


 ふたたびユーリスが片膝をつくと、「……いや、ここはふつうお姫様だっことかさ」と、よくわからない文句をつぶやくミレイが自分の背にからだを乗せた。片手で背中の魔族の少女を支えつつ、空いたもう片方の手で剣を抜刀するとまもなく、前方から迷宮変動の轟音が聞こえてきた。

 ミレイが自分の肩を叩く。


「フロムとシンシアは?」


「問題ない。俺たちの場所だけに目掛けて伝ってきている」


「ふふん、な~るほど。じゃあ、もうひとつ。この地属性魔力には術式が、意味が与えられている感じかしら?」


 意識を前方に集中する。もうユーリスでなくとも、誰でも容易にわかる魔力の気配。怒涛の地属性魔力をユーリスは分析した。


「思いっきり! それも、俺の師匠が知ったら怒鳴り散らす雑な術式が!」


「よーし! だったら地形変動は私にまかせなさい!」


 彼女はそういって、自分の背中で魔力を集中すると、瞬時にそれは顕現した。目を向けなくとも細部まで弓の形がわかる、高品質な月の晶析武装(しょうせきぶそう)

 月光引き、セレノグラフィア、なのだが。


「あれ? なんか聞いてたよりも小さいような」


「ばか。あんたに背負われてるんだから気を(つか)ってるの。ほんとは私自身よりもおっきいんだから……って、それよりも月属性の特徴は知ってるでしょ?」


「あっ、そうか!」闇から派生した月属性は、ありとあらゆる魔技、魔術の術式を、意味を封じることができる。「わかった。俺は術者のもとへひたすら向かう。俺たちが進む道は──」


「私が、つくってみせるわ!」


 轟音とともに迫りくる破壊の変動。

 この地下の氷床回廊を閉ざし、自分たちを押しつぶす衝撃波に向けて。


「豊かの海より来たれ──」ミレイは、夜闇を透かしたような群青色の結晶で生成した、複数の矢を同時に番える。「──ローティス・フレア!」


 魔王が放った月の術矢は拡散し、安全地帯をつくるために床、左右の壁、天井にそれぞれ突き刺さる。ユーリスはそこへ飛び込むと「……っ!」月の矢が刺さらなかった前方の天井が崩落し、ほんの一瞬だけ静寂が過ぎたかと思えば、続けて背後のほうから崩落する音が響きわたる。ミレイのおかげで、迷宮変動をやり過ごせた。

 そして視界一杯に降り注ぐ中天の陽射し。崩落した氷床回廊の跡が、自分たちを地上へ導く階段状の瓦礫(がれき)となった。


「まだ!」地上へと高速で駆けのぼりながら、ユーリスは叫ぶ。「地下から俺たちが出てきたことに、ずいぶんと驚いているようだね。さっきよりも単純な変動が向かってくる!」


「ハッ、余裕!」


 彼女はその言葉どおり、前へ突き進む自分の進路を難なく確保してくれている。周囲でおそろしい変動を見せる氷結回廊だが、ミレイの放った群青色の弓矢がつなぐ道は、安全にそのままの形を維持している。


 そこではじめて、ユーリスは自分の魔術探査に違和感を覚えた。フロムやシンシアと分断されたときにはわからなかった、人物反応。

 まるで見えない布で隠されていた反応を、今では布を切り裂くように探知できていた。妨害魔術、隠密魔術、そういった探査魔術を防ぐ術式を看破することができている。

 ここまで伝わる術式。今まで見たことも感じたこともない、異世界のような魔力の広がり。その根源は。


「……ミレイ、あそこ! 絶壁の縁だ!」


 遠目に見える人影。緑色の長髪に、長い鼻。自分たちのいる氷河を見下ろす場所。

 こと厚い雪におおわれる浄罪の山においては、おどろくほど目立つ豪奢(ごうしゃ)な防寒具を身に着けた男性魔族。ユーリスの知っている、護剣のひとり。


「えっと、えっと」走りながら、ユーリスは大声で叫ぶ。「あ~~デン、デンデン、デンゴ……いやゴミーってのだけは覚えてるけれど!」


「いやいや、あんなのゴミーでいいから。っていうか、途中から魔力の気配で予想はしてたけれど、やっぱりあいつか~」


 はるか遠くからこっちに向かって、デンゴなにがしが叫んでいる。たぶん、彼自身のフルネームなのだろうが、周囲の迷宮変動で聞こえない。ちょっと申し訳ないけれど、これはしかたないと思う。


 しかし、どうやって向かおうか。このリビング・グレイシャは絶壁の縁までのぼり坂のように続いているが、自分たちとゴミーのあいだには絶壁がわずかに残っている。いちいち迂回(うかい)なんてしてられない。おおよそ都市部を護る防壁程度の高さ。あれを飛び越えるには、まだ自分の空中を跳ぶ魔技では心もとない。もっと確実に、あの魔族のもとへ向かう手段は。


「ユーリス、だいじょうぶ」背中越しに、魔王の自信たっぷりな声。「あいつの変動術式、私でもわかっちゃうぐらい単調つづきね。どんだけ焦ってんのよ。……氷床を突き出す術式の場所を教えてちょうだい。そこにだけは、あえてセレノグラフィアで攻撃しない」


「なるほどね、地形変動を利用するってことか!」応えながら、すでにその場所の探知をはじめ、そして終えている。「二時の方向。ふたつの細い氷塊が寄り合ってるあそこ。その手前!」


「了解!」


 ミレイの月が、その場所までの道をつくる。すでに術式は放たれている。もうゴミーでさえも止められない。

 ユーリスたちが到着した直後、「くるよ!」衝撃に備えた瞬間、自分たちの身体が思いきり高く打ち上げられた。まっすぐ、ゴミーのもとまで飛んでいく。


「舐めるなよ、亜人がぁあああ!!!」


 自分たちに向けて咆哮(ほうこう)するゴミーは、結晶化させた複数の地属性魔力を放ってくる。けっして馬鹿になんてできない、たしかに強力な攻撃魔術の弾丸、しかし。


「ユーリス!」魔王は、自分から離れては月の結晶を宙に生成し、空中を跳ねて移動しながら弓矢を放つ。


「ミレイ!」星属性は、月の援護を受けながら、空中を駆ける魔技によって高速でゴミーに接近する。


 もはや言葉は不要。ユーリスはミレイの、ミレイはユーリスの意向を理解しているように動くことができた。月の弓矢に邪魔されてしまい、護剣は星の接近を防げそうにない。すると、さきほどまで自分が感じ取っていた異世界のような魔力が、ゴミーの足元に集束しはじめる。


「……ははっ! てめえら、調子に乗るなよ! こちとら時間を稼げば勝ちなんだ!」


 あれこそが話に聞く、摩天空間。ゴミーは、彼自身の本来の摩天空間を行使した。

 黄金を想起させる金色の魔力生成物質が、彼の周囲を城壁のように取り囲みはじめ、天翼(てんよく)宮殿すらも超える圧倒的硬度の防壁を練り上げる。さらに周囲にも迎撃城塞の形が生成されはじめた。バリケード、迎撃バリスタ、魔弾射出砲台。彼という主を守護する小さな城が現れたのだ。

 そこへ、ユーリスはそのまま宙から飛び込む。


「知ってるぜ、星属性。てめえの魔力がどう厄介かって話はよお! だが、ティティルンの布っきれ炎で防がれた程度の属性じゃあ、おれ様の黄金城レクス・マグナスを突破することは……?」


 自分の片腕を取り巻くは大量の小さな星々。生まれてはじめて、実戦で成功させた星魔術を発展させたもの。シンシアから教わった、同調術式のコツをかけあわせた、新たな中距離攻撃術式。

 同時に、もう片方の腕でかまえる剣が銀色に輝く。明滅する星の脈動が、剣と星々の鼓動が、重なった。


「やっちゃえ!! ユーリスーーー!!!」


 背後から届くミレイの声とともに、腕の星々を小さな黄金城に向けて降り注がせる。壁のなかのゴミーは、「こいつはっ!」術式の意味を察して目を見開くが、もう遅い。


「斬道共鳴──」


 そして、銀に輝く剣を振りぬいた瞬間。


「──オービタル・レゾナンス!」


 黄金城の全体が、無数に走る銀の閃光に斬り刻まれた。

 舞い上がる氷雪と、金色の破片が吹きあがる幻想的な光景のなかで、全身に星の斬撃を受けたゴミーは銀に輝きながら宙を舞い上がり、厚い雪にどさりと落ちた。


 その音と重なるように、ユーリスも雪のうえに着地する。

 息を切らせる自分の呼吸音。背後からも聞こえる、少女の呼吸音。振り返ると、ミレイがこちらに向かって歩みよってきていた。剣を納めながら近付くと、彼女は片手を掲げる。自分も片手を掲げながら近づいては、お互いにその手を振って、叩き合わせる。


「俺たち」ユーリス。


「やるじゃない」ミレイ。


 星と魔王が笑顔を交わしながら打ち鳴らす、決着を告げる音であった。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


次回も引き続きお読みいただけたら幸いです。

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