1話 出会ってしまった
まわりの者には見えない存在を、少女は夜空に見いだすことができていた。
周囲の煌めきを引き込む渦が見える。輝きが輝きを食べているのが見える、馬の頭のようなもやが見える。向こう側を隠すような暗いとばりが見える。お互い離れようとしない仲良しさん。たくさんの子どもを連れているお父さん、あるいはお母さん。ひとりでお気楽な旅をしている変わり者。すべてを呑みこむとってもおそろしい方。そして、にょきにょきと伸びている柱のような揺りかご。
まばたきすると目に見える、赤色よりも深い色。まばたきすると目に見える、紫色よりも深い色。
なによりも、光と光のあいだに密集している言葉では表現できないナニか。
「……どうか、助けてください」
夜空に向けて願いを飛ばす。月よりも、太陽よりも大きいそれに祈りを捧げる。赤いような銀色をした。青いような銀色をした。
「みんなを、お救いください」
星々に。
= = = = =
小国グリュークの中央依頼紹介所は、南門から延びる目抜き通りに建っている。
つい先日、修繕が終わった教会と比較してもなお古臭く、切りだされた石材を積み重ねた外観は、重厚というよりは息苦しい。この都市の中心部にあっては良くも悪くも目につく建物であった。
亜麻色髪の男がそんな建物に近づくと、広い入口から二人の男性が現れた。二人はほかの通行の邪魔にならないようにと、入口の脇へ寄ってから話しはじめる。彼らの身長差は頭ふたつ分ほどあった。
「それじゃあ、これからよろしく。私は今まで、ドワーフとの交流がほとんどなかったから、なにか失礼があれば遠慮せずにいってくれよ」
そう話す男性に向かって、ドワーフと呼称される種族の男性が緊張を見せながら応じる。
「こちらこそ、お世話になります。さっきもいいましたが、地元の鉱石掘りでしか地属性の力を使ったことがないので、農作物を育てるなんてのは本当に未経験なのですが……」
「これからきちんと教えるよ。それより年が近いんだからさ。もっと気楽に──」
二人の男性は、和やかな雰囲気で紹介所から離れていった。
もしも地属性だったら?
平和なこのグリュークであれば、仕事には困らないはずだ。呪われてしまった南西部の地域以外にも、まだまだ開拓しがいのある自然が広がっている。魔物から作物を護ってもらう警備費用も、最近では王城が補助してくれるのでそこまで心配しなくてもいい。このあたりでは一番の大当たり属性だ。
日の光と水と風を貯めこんだ農作物に囲まれて、晴耕雨読の日々を過ごす自分。
男は頭を振って依頼紹介所へと進む。
入ってすぐに広いロビーがあり、一画の壁には依頼ボードが設置されている。依頼内容が簡潔に記載された書面が、ずらりと貼りならべられてあった。その依頼ボードに、ちょうど一枚の書類を貼った女性が、後ろに立つ背の高い男性に振り返った。
「最近、やけに水路に魔物が侵入するのって、絶対に北の入水口にある鉄柵が壊れていることが原因よね」
女性は役所勤めとわかる制服を着ていた。話しかけられた男性も同じ格好だ。彼は苦笑いで答える。
「ですね。あなたと一緒に水魔術で作業をしていたら、獣の魔物が急に現れて驚きましたよ。耳を噛まれるかと思った。あのとき、元冒険者であるあなたがいてくれて、本当に助かりました」
「エルフの綺麗な長耳を守れてよかったわ。それより魔物退治の依頼なんかじゃなくて、まず城の設備担当に──」
紹介所を出ていく女性と、背が高く耳の長い男性。二人を見送った男は、案内の窓口がすべて先客で埋まっていることを確認し、順番の待機表へ記入するために窓口の横へと近づいた。
もしも水属性だったら?
先ほどの女性が冒険者であったように、野外活動で役立つ場面は多い。先日からはじまった東部の大規模治水工事にも参加できるし、都市や街といった人の多いところであれば、仕事はいくらでもあるはずだ。生活に直結するからこそ、水属性の需要は途切れない。
仕事のちょっとした愚痴以外には、とくに悩みのない安定した人生を手にいれた自分。
小さなため息をついた男は、待機表に名を書き終えて、ロビー中央の長椅子に座る。
「グリュークの紹介所は話が早くて助かるわ! ほかの国だったら、通行証ひとつに何日も待たされることがあるもの」
その女性の大きな声は、すぐそばの窓口から聞こえてきた。男が目を向けると、動物耳と尻尾を生やした種族の女性が、職員の女性と話している。職員の女性は、動物耳の女性を落ち着かせるように応じていた。
「ただし、通行証の利用期限は短いので注意してください。万が一がありますと、依頼主から損害の請求が出される場合も……」
「安心してよ」動物耳の女性はすでに席を立っている。「みちくさは損の味ってね。私たちビーストがよくいうわ。さて、次は南の港町で風属性の協力者を探さないと!」そのまま紹介所を、あわただしく飛び出した。
もしも風属性だったら?
交易船を操って一山あてる夢がある。信用できる船員の確保や海賊への対策、それに海の魔物と課題は多いが、成功すればすべての属性で一番の大金持ちになれるだろう。風の魔力は扱いやすいので細かい作業に向いているらしく、農業や林業の手伝いなんかにも呼ばれると聞く。
大海原の危険とリスクを切り抜けて、富と未来をつかみとる自分。
「ちっ。やっぱりほかの奴が先に誘っちまった」
不機嫌そうな男性の声を耳にした。気になったので声の聞こえたほうを見ると、苛立ちを隠さない男性に女性エルフと男性ドワーフの三人が、依頼ボードの前で話し合っていた。
「やっぱり火属性の人が仲間にほしいわ。依頼の内容がこれだもの」という女性エルフの不安そうな声に、そばに立つ男性ドワーフが「いちおう、俺の属性があればなんとかなるかもな。報酬が減るが、現地で新しい協力者を誘っても良い」と、安心させるように話す。
ほかの二人と違って、とくには身体的な特徴が見当たらないヒューマンと呼ばれる種族の男性が「問題は報酬じゃなくて、討伐対象が……」と、二人と顔を近づけては声をひそめて相談しはじめた。
もしも火属性だったら?
約三十年前に終結した中央戦争のころと比べたら、今の時世では活躍できる場所が減ったかもしれない。しかし、きちんと訓練を続けて実力をつけたならば、魔物の討伐クエストや護衛任務で活躍することができる。さらに才能や伝手があれば、上級兵士や近衛兵という道も望めるだろう。
人々を脅威から守り、誇りをもって日々鍛錬する自分。
「ユーリスさん。お待たせしました」
そこに女性職員の声が響いた。男はロビーの長椅子から立ち上がる。彼女の声がよく通ったせいか、まわりから少し視線を感じた。よく知られた名前が聞こえたからだろう。男は気づかぬふりをしながら受付まで歩いていく。
顔なじみとなった若い女性ヒューマンの職員が、いつもと変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。
「おはようございます、ユーリスさん。いつもの常設依頼ですよね? 本日の採掘区域は北西部となります。ほら、竜の里に続く門があるでしょ? 魔石集積所から、その門に向かう道をぐぐ~っと進んで、途中にあるワグン工房っていう武具屋の角をぴょんと左に曲がって、どどんと岩壁のつきあたりまで向かってから、さくさくっとつづら折りの山道をのぼったところが集合場所です」
いつまで経っても聞き慣れない妙な説明の仕方だ。つい微笑んでしまいながら説明を聞いていると、彼女は少し恥ずかしくなったのか、照れ笑いを浮かべて肩まで伸びた髪の毛を指先でいじる。
男は受付机にだされた、受諾証明書を受け取ってから答える。
「モモさん。了解した。俺がズババっと魔石を大量に見つけるから期待しててよ」
「私がそれをいうならごろろ~かな? ふふっ。またいつかのように、相方さんと大物を探しだしてくださいね」
男は彼女に片手を上げて応じ、受付から出口を目指してロビーを横切る。すると、依頼ボードのほうからささやく声が聞こえてきた。
「ほら、やっぱりあの人、星屑の……」という女性エルフの声に、「へぇ、あいつが?」と、どこか嘲笑を含めた男性ヒューマンの声。そして黙ったまま視線を送ってくるいくつもの顔。
無視して紹介所から出る。その際、歩く速度が上がったのは、われながら情けない習性だと自分に対して鼻で嗤った。
男は人通りの多い表にでると、左に曲がって歩きはじめる。
南の正門から延びるその道は、紹介所からすぐのところにある王城前広場にまで続いている。その広場から説明された場所へと進むつもりだ。
まだ朝早い時間にもかかわらず、すでに広場は活気にあふれていた。旅行者への土産物屋に地元住人向けの露店。オープンカフェや軽食の販売露店。そんな広場は、馬車や魔導車のための車道に囲まれている。
広場の向こうには巨大な門。小国グリュークを治める王城への入口が、堂々とした佇まいを見せつけていた。
男は車道に沿った歩道を歩きながら、広場を見つめる。
広場中央には細長く背の高い鉄柱がそびえ立ち、柱頭に魔導機器が設置されてある。その機器から四方に向けて魔力の光が投影されることで、映像画面が宙に浮いていた。この大陸における大事な情報に事件や事故、商会による商品の紹介映像が流されるものだ。
横に長い四角形の大きな画面には、聖都に住む当代聖女の幼くも美しく整った顔が映されている。
「あぁ、もうすぐだったな」とつぶやく男は、先ほどの続きのように脳内で妄想を広げる。
もしも光属性だったら?
数少ない貴重な生まれの属性だ。ほとんどの場合は教団から勧誘されて、聖職者の道を進むことができる。都市や街の治療院と協力し、怪我や病で苦しむ人々を救う人生も良い。あるいは配下と共に、教団が請け負う規模の魔物討伐クエストに参戦し、組織の上層部を目指して日々努力するのも悪くない。
周囲から畏敬の念を集め、使命に燃えて生きる自分。
広場から響きわたる黄色い歓声によって、妄想は中断された。
目を向けると、画面は別の人物を映しだしていた。こちらも有名人。英雄の息子であり、帝国騎士団の総長でもある男性ヒューマンだ。広場の女性が騒ぎだすのも納得できる整った顔立ち。引き締まった肉体に儀礼用の鎧がよく似合っている。
映像のなかで聖女の隣に立っている彼は、近々彼女と帝国の都で結婚式典を挙げる予定だ。画面の下部にはその日程が表示されている。英雄の息子だからではなく、闇属性を駆使して多くの人々を救ってきた実績によって、あそこに立つことが許されている。幼い聖女と比べると、総長の年齢はかなり離れているが、そこに嫌な雰囲気を感じさせないのは彼の魅力によるものかもしれない。
もしも闇属性だったら?
光属性と同じぐらい珍しいが、扱いが困難なことで有名な闇属性は苦労が多くなるだろう。しかし、歴史に名を残す戦士や騎士に冒険者、あるいは犯罪組織の長はその多くが闇属性だ。破壊力は火属性に一歩譲るも、妨害や弱体魔術をはじめ、多くの手段を行使できる。たとえ大成しなくとも火属性と似た人生を歩めるだろう。
努力をかさね、歴史に栄誉を刻み込む自分。
男は気がつけば、進むべき道にたどりついていた。
目の前の曲がり角には衣服を販売する建物が建っている。見上げると、宣伝用の旗におおきく文言が書かれていた。
「鏡をご覧ください。すてきなあなたをさらにレベルアップ。はやりのスカイブルーをどうぞ……ね」と、読みあげた男は店舗の入り口へと目を移す。
一度に五人から六人が映ることができる大きな鏡が、建物の壁に備えつけられている。ちょっとした有名な場所で、鏡に向かって若い女性が集まり、騒ぎながら自分たちの服装を互いに品評していた。通りかかるとちょうど開店時間だったようで、騒ぐ女性たちは店員に誘導されながら入店していく。
静かになった歩道を進む途中、なんとなく鏡のまえに立ってみた。そこには自分の姿が映っている。
「……地属性や光属性の勝ち組じゃない。水属性の安定もなければ、風属性の挑戦権も与えられず、火属性や闇属性のような意味のある鍛錬すら許されない」
鏡に映る男性ヒューマンは、先ほど見た騎士団の総長と年齢はたいして変わらない。しかし、服装は雲泥の差だ。
これから向かう魔石発掘現場に適した格好。動きやすく、汚れても洗いやすい探索用のレンジャー装備。新しければ初々しいかけだし冒険者として見られるだろうが、鏡に映るそれはくたびれた古装備。
男の年齢とやけに似合っていて、とても嫌な気分におちいった。
「…………何も意味がない属性だ」
少し癖のある亜麻色の髪は、耳が隠れるまで伸びている。黒い瞳はまだ朝なのに、仕事帰りのように疲れている。自身の顔を鏡越しに見た男は、集合時間に遅れてはいけないことを思いだし、重い足どりで歩きはじめた。
生まれ持った属性を恨みながら。傷口をいじくるように、そんな自分を不幸と心中で嗤いながら。あらゆるもしもを想像しては、振り払いながら。
星属性を身に宿した男。ユーリスは、朝日が差す道をとぼとぼと進んでいく。
= = = = =
ユーリスが生まれた日、小国グリュークに激震が走った。
時代を変える属性。時代を担う属性。時代を照らす属性。歴史上において、あらゆる時代で奇跡を起こした星属性。それが宿っている男子が、良くいえば中流貴族といえる家庭に生まれたのだ。
国王が直々に家を訪れ、母に抱かれた赤ん坊が手にもつ、属性判断用の細長い魔石をみた。一般的に赤ければ火属性。白ければ光属性と、色で属性を示す魔石だが、赤ん坊の持つそれは全体に亀裂が走ったような光に輝いていた。伝承どおりに。伝説どおりに。
英雄の誕生ともてはやされて持ち上げられた赤ん坊ユーリス。彼は自身の将来を十数年後に思い知ることとなる。
国からの期待を背負わされる生活だった。
近くで道場を開いている魔技武闘の師範からは専属で指導を受けた。
周辺の国をまとめあげる帝国から招いた、美人でスタイルの良い有名な女性魔術師からは魔術を叩き込まれる。
先々代のころから平民の空気に染まりはじめた生家では、まともな貴族の教養を学べないと遠回しにいわれたので、王城で勤める講師を招いては教わった。
ユーリスの両親は、息子にはもっと伸び伸びと気楽に育ってほしかったと語るも、当時はまわりが、そんなあくびのでる教育をけっして許すことはなかった。
後に生まれる年齢の離れた妹が、兄の代わりに両親の愛情を受ける一方で、ユーリスは同世代の友人をつくる時間の余裕もなく、周囲の少年少女から向けられる感情は嫉妬と羨望だけのまま、さびしい青春時代を過ごした。
特別な待遇を与えられたユーリス自身も必死であった。自分の人生には星属性しかない。この属性以外を考える機会は、一度も与えられなかった。
そして彼が十二歳を迎えるころ。すでに基本的な魔術攻撃を行えるようになっていたので、国王の近衛兵と師匠の魔術師と共に、ユーリスは初めて魔物と戦った。
「この子は……魔技の才能があるのかもしれないね」
師匠の魔術師がため息まじりの声でそういったのは、すぐそばに近衛兵がいたからだろう。もしそうでなければ、ユーリスの星属性に対して、おおいに疑問を呈する言葉になったはずだ。
彼の星魔術は、ゴブリン亜種である地属性魔物のカリンジャに、いっさい歯が立たなかった。ダメージはまったく与えられず、なにかしらの状態異常も引き起こせなかった。同伴した近衛兵は戸惑った様子で、カリンジャをその場で討伐した。火属性をまとった斧槍を、軽く振るった一撃だけで。
しばらくして、ユーリスは魔技武闘の師範と共に、次はスライムを相手にした。
自身の属性を武器や装備にまとわせる戦闘術、魔技。幼少期から武術を叩き込まれたユーリスは、星属性で剣を輝かせて、子どもとは思えない流星のような動きでスライムを両断した。師範の目には間違いなく英雄の子として映っただろう。
その後、カリンジャや獣系の魔物には傷ひとつ付けられず、相手からの属性攻撃も防ぐことができない時間が過ぎ、夕方になるまでの間は。
ユーリスの身長が父親に追いつくころには、王城からの講師訪問の連絡は途絶え、魔術の師匠は帝国に呼び戻されていた。
魔技の師範が、たまには道場に顔をだせと訪ねてくれたが、ユーリスにはその好意に応じる気力が尽きていた。自分の星属性に絶望したからだ。
幼少時からずっと、国からの支援を頭から全身に浴び、特別な子ともてはやされるも、しかしそのじつ、討伐は難しくないゴブリンの一種すらも倒せない軟弱者。まわりからの失望、嘲笑、侮蔑、罵倒、怒声、憐憫、無視。生半可なものではなかった。
両親の変わらぬ愛情と、小さな妹からの励ましでなんとか心の形を保てたユーリスであったが、しかし、屋敷の窓に石が投げ込まれたことをきっかけに家をでることにした。一周した絶望は、決意と名付けるにはあまりにも暗い、もっと違う何かに変わってしまった。
貴族街とは正反対に位置する、治安の悪い区画で生活拠点をつくった彼は、この世界で一般的な燃料にされる魔石の採掘現場で生活の糧を得るようになる。希望者であれば、誰でも受け入れる職場であった。
それ以外にも、たまに現れる手強いスライム系統の魔物を討伐したり、属性とは関係のない仕事を請け負ったりする。そうしてしばらくたったころ、彼はまわりからとある称号を与えられて捨ておかれた。
堕ちた星屑のユーリスと、指差されて。
= = = = =
「シルヴァ、もうちょっと左」
ユーリスの指示に従って、シルヴァと呼ばれたビーストの青年が、火属性を付与したピッケルを構える。
「このあたりか?」
その返事に頷いたユーリスをみて、シルヴァがピッケルを振りかぶる。その様子になんとなく不安を覚えた。
ゆっくりと周囲を見まわす。魔石鉱の坑道は地魔術で補強されているとはいえ、何かあれば即生き埋めだ。まだこの職場で働きはじめてから、死亡事故が起きたと聞いたことはないが、自分がその第一人者になる可能性は否定できない。
不安そうな様子のこちらに、シルヴァは微笑んだ。
「おいおい安心しろよ。僕だって死にたくないからな」
犬耳をぴくりと動かした彼は、ユーリスに指示された場所に向かって、ピッケルを振り下ろした。
岩を砕く音の一瞬あとに、刺さった箇所から赤熱した魔力の光が壁を走り、その内部で小さな爆発を引き起こした。
「おっと……ユーリス。もうちょいさがれ」とシルヴァがピッケルを放り投げて後退する。
彼に合わせてあとずさったとき、壁が砕けて豪快に崩落しはじめた。「うわっ!」というユーリスの悲鳴を打ち消し、土埃を巻きあげて視界をおおう。
ふたりして「げほっ」「がはあっ!」と咳込んでいると、徐々に視界が晴れていく。
「悪い! ぶへっ」シルヴァが息苦しそうに話す。「デカいと聞いて、ちょっと張り切っちまった!」
「まったく……頼むよ。おっ? でも気合を入れたからこそかな。こいつは」
坑道の壁から現れたそれをみて、ふたりは顔を見合わせて白い歯を覗かせた。
黒く透きとおる結晶質の中に、極小の光が散りばめられている。頑丈で硬度も高い。魔力が満ちみちたこの世界の燃料、魔石だ。崩れた壁から大きな魔石が顔を覗かせている。
「デケえな」シルヴァが人の頭よりひとまわり大きい魔石に近づく。「こりゃ今晩は贅沢できるぜ。やっぱりユーリスと組んで正解だった。感謝感激だ」
「俺は指示したり、外へ邪魔な土石を運んでるだけさ。シルヴァの火属性があればこそだよ」
「へへっんじゃこれは」拳を突きだした彼に、ユーリスは照れながらも拳を突き返す。「僕たち二人の成果だ」
今日の採掘作業を終えて、二人は坑道から外に出る。
大量の魔石を背負ったユーリスと共に、夕日を浴びるシルヴァは「みんな! 今日は宴だあ!」とはしゃいだ声をあげ、一番大きい魔石を頭上に掲げて走り出す。そんな彼を立ち止まって見送りながら、ユーリスはほどよい疲労と共に久しぶりの充実感を味わった。
「星屑野郎」
ユーリスの耳に、怒気を含ませた男の声が届く。
声が聞こえたほうへ目を向けると、低身長ながらも全身が鋼のような厚い筋肉に覆われた男性ドワーフがいた。彼はユーリスに向かって金属製の水筒を振りかぶる。
その不意打ちの姿勢に目を見開いて驚くと、ドワーフはにやりと笑って、こちらが受け取りやすい軌道と速度を心がけた、柔らかい動作で水筒を投げてきた。ユーリスは難なく受け取る。
「ちょっと驚かさないでよ……俺、ロッドーを怒らせるようなことした?」
ロッドーと呼ばれた男性ドワーフは、「おうっ!」と返事をしながら近づいてくる。
「今朝の紹介所で、おまえがモモちゃんと楽しそうに話してるの見たぜ? さらに今日は断トツの成果? 気に入らねえなあ! ま~た明日、モモちゃんの笑顔がおまえに向かうんだぞ。ケッ!」
「俺とあの子はそんな関係じゃないよ。っていうかさ、ロッドーがあの子を誘いなよ。年齢、わりと近いほうでしょ? 三日後は良い機会じゃないか」
ドワーフの外見は極端だ。
男性は必ずといってよいほどに生える、太くて硬い髭と眉のおかげで実年齢より年上に見られる。逆に、女性は瑞々しい肌に年若いヒューマンのような身長であり、男性とは違って筋肉質ながらも細く引き締まっているため、実年齢よりもかなり年下に見られる。
そこを考慮してもロッドーとモモの年齢は近いと思われた。
「ま、ま、まだ早え! もっとこう、お互いにだな? 理解を深めてからっつうか、ちゃんと話あってだな。ほら急に誘われたら、怖えだろう? その、つまり……」
初々しい彼の反応を見て、思わず口につけた水筒の水を吹きこぼしそうになった。
ユーリスの反応を睨んだロッドーは、ふんと鼻息を鳴らして、今日の収穫に盛りあがっているシルヴァと作業員たちに目を向ける。
「たぶん、今夜はあいつのいうとおりにみんなで酒場で飲むことになりそうだ。おまえは?」
「俺はいいよ。いつものことさ」
ロッドーは一瞬だけ、泣きだしそうに顔を歪めるも、そのまま押し黙った。
彼の表情に苦笑いを浮かべていると、シルヴァが「おーい! ユーリスー!」と、手を振りながら駆け寄ってくる。
「どうかした? シルヴァ」
「君を探してるって人がいる」シルヴァは背後に向かって指を差す。「知り合いか?」
指の先には、ヒューマンでも珍しい高身長で大柄の男性がいた。彼は、現場を統括する責任者と何やら話しあっている。
それが誰かとわかったとたん、心臓が一度だけ大きな音を鳴らした。
「……あぁ。知り合いだよ」
深くしずんだユーリスの声色に、シルヴァとロッドーの雰囲気が変わる。
「おい」ロッドーが顔を近づける。「なんだ、トラブルってんなら俺も一緒にいくぞ? 見たところ、デケえ図体してやがるが関係ねえ。足を潰しゃ良いんだ」
「だったら、その直後に僕は首だな」シルヴァも険しい顔だ。「けっこうなやり手に見えるが、三人がかりならあっというまに……」
物騒な二人の発言に、ユーリスはあわてて答えた。
「ちょっとちょっと。二人とも、安心してくれ。別にそんなんじゃない、ただの昔の知人さ」そういって歩きだしながら、「まあ怖い人ではあるけれど」と小さくつぶやく。
山の斜面を拓いた坑道入口の前は広場になっており、坑道の入口がある北側は切り立った岩壁が景色を塞いでいる。ほかの方角では夕焼け空が良く見えた。
今日発掘されて積まれた魔石の横に立つ男性ヒューマン。ユーリスは、夕日に照らされた彼の顔をじっと見つめて、ずいぶんと老け込んでしまったなと感慨にふける。成人男性の平均から頭ひとつ分ほど高い身長。魔技武闘着の上からでもわかる、筋骨隆々の肉体。頭の半分から上はつるつるなのに、半分から下は黒く癖のある髭で覆われている。その片手に木刀を二本持っていた。
ゆっくり近づくと、気がついた男が眩しそうな顔でこちらを見つめては、何もいわずに木刀を一本投げてよこしてきた。片手で木刀を受け取ったユーリスが、尋ねるように片眉を上げてみせると、男は「軽く二、三回」といって木刀を構える。まわりの作業員に緊張が走った。
互いの距離はまだ遠い。二十歩程度の距離にある。
「いくぞ」
男が重心を前にずらした直後、互いの距離が瞬時に縮まった。
上段に構えた木刀を男が振り下ろす。まわりの目には一度だけ振り下ろしたように見えるその攻撃は、ユーリスが片手に構える木刀に数回の音を響かせた。後退しながらその重く鋭い連撃を受け流す。
なんとか攻撃を受けきって下がった木刀の剣先を、男の顎に向かって片手で振り上げる。高速で精確な斬り上げだったが、必要最小限の動作で避けられてしまった。「甘い!」と、叱るように叫ぶ男が、がら空きになったユーリスの横腹に木刀を薙ぎ払った直後、金属が割れたような音が周囲に響きわたる。
金属製の水筒。ユーリスがもう片方の手に隠し持っていたそれに男が目を見開いたときには、すでに彼の頭に木刀を振り下ろしていた。当たる直前に、木刀を止める。
「…………昔と変わらず、困った子じゃのう」
「とにかく最後に立っていた者が勝ち。師範が昔からいってた言葉じゃないか」
ユーリスと男は互いに木刀をおろす。周囲の作業員たちも安堵の息を吐いた。
歩み寄る男が、その大きな片腕でこの肩を抱く。
「安心した。怠け腐ってるわけではなかったのじゃな」
「ザウル師範も、お元気そうでなにより。まだまだ剣の鋭さは衰えていないね」
「おぬしにはいなされたがのう?」
自嘲するように鼻で嗤ったユーリスは、「師範がふつうに戦ったら、俺は一瞬で消し炭さ」と顔を伏せた。
通常、人が戦闘する際は戦士、射手、魔術師と問わず、必ず本人の属性を使用する。今のような棒の叩きあいが許されるのは、子ども時分のお遊びぐらいだ。この物言いに、ザウルは困ったような笑みを浮かべたあとで、都市に向かう山道を指差した。事務所として使っている掘っ立て小屋がそこに見える。
「わしに少し時間をくれるか? よければ、そこの小屋で話そう」
「あぁ。時間ならいくらでも」
= = = = =
少し前に、ザウルが息子へ道場を譲ったという話を、ユーリスは風の噂で聞いていた。
先ほどから自身の木刀を叩き込んだ金属製の水筒を、どうにかして元に戻そうとする恩師にユーリスが噂の真偽を確認する。
「そのとおり。今では気楽な……むぅ。隠居の身じゃ……むぅう?」
「……師範。いい加減その安物水筒を返してくれ。俺が自分で壊したも同然なんだから気にしないでよ。そんなふうにされると、こっちが申し訳なくてしかたがない」
そこで、小気味良い金属の割れる音が鳴る。折れたり戻したりを繰り返した部品が、無理な変形に耐えられなかったのだ。おたがいに笑いあいながら、ユーリスは帰路に資源ゴミを捨てる場所があったはずだと思い出す。
もう外は暗い。小屋のテーブルで向かいあって座る二人は、備品からコーヒーを頂戴していた。
「隠居したってのなら、話は道場に関してじゃないんだね。安心したよ。もしも魔技や魔術にかかわる話だったら、俺はなにひとつ力になることはできないからさ」
「そう自分を卑下するいい方はいかん。それに聞いたぞ? 記録に残る大魔石を発掘したり、落盤事故で坑道に取り残された作業員を救出したそうだな」
「どっちも探し出したところまで。実際に大魔石を発掘したのはそのときの同僚だし、救助活動そのものには何も貢献できなかった」
後天的に叩き込まれたものを除けば、ユーリスは魔力反応の探知や追跡を得意としている。
大魔石を発見できたのも、採掘した魔石を背負った作業員を早急に発見できたのも、この能力のおかげだった。上級魔術師にも難しいこれらは、星属性によるものだと考えている。
「魔力反応を追うのが得意……たしかな事実なんじゃな」うむうむと、納得する様子を見せるザウルは続ける。「知ってのとおり、三日後は王の戴冠十周年を祝う祭りが開かれるが、ユーリス。おぬしは当日、何か予定を入れておるかのう?」
「俺が祝いの場に? そんな水を差すような真似はしないよ。おとなしくひきこもってるさ」
さすがに今の発言はいいすぎたのだろう。ザウルは眉間にしわを寄せてたしなめる顔だ。
ばつが悪くなったユーリスは、頬を搔きながら「それで? 予定を聞くってことは、俺を誘うのかい? まわりからむさ苦しく見られるよ」と、目を背ける。
「残念ながらそうではない。わしが今日ここにきたのは、おぬしに祭りの当日、城の警護を依頼しにきたからじゃ」
「へっ、俺が? ちょっと待ってよ、なんでよりによって」
「最後まで聞け。祭りの夜になると、地平喰らいの槍を国民に披露する予定になっておるのじゃ。あふれんばかりの魔力を秘めた……と伝えられる魔槍。それを三十年ぶりに公開するんじゃよ」
「はあ……。中央戦争が終わる頃に、この都市を護ったという魔槍だよね。なんでまた?」
「わからん。なんでも、企画というか提案されたのは王妃様とだけ聞いておるのう。まあ、あれじゃ。ほかに祭りを盛り上げるようなもんはないんじゃないかのう? この小さな国には」
「豊かで建物や生活設備は立派だけれど、中身は歴史の浅い田舎だもんね。ここ」
ザウルは世界地図を思い浮かべているのだろう。掘っ立て小屋の天井を見上げて「大陸の北西、そのはじっこにある羽鞴山の麓じゃからなあ……」とつぶやいた。
「わかったよ師範。その槍が万が一にでも盗まれたら大変だ。たとえ鋭い牙がなくとも、追いかける鼻を持った犬が必要ってわけだね。がうがう」
そういって茶化すユーリスだったが、ザウルの険しい顔は微動だにしない。
「もしかして、何かあったのかい?」
「いや、ただの考えすぎであればいいんじゃが、どうにも嫌な予感がしてのう。ただでさえ、竜人たちとはあの魔槍で仲違いしているのに、挑発するような真似をなぜ──」
そしてザウルは、これ以上考えてもしかたないというように頭を振るう。
「まあ、その程度ではあるな。念のためというやつじゃ。それに報酬は美味しいぞ? 祝祭の警備だからケチケチした額じゃない。しかも、当日の王城内で供される豪勢な食事が、特別に臨時警備兵にも出されるんじゃ。貸しだされた兜をかぶりながら、まわりの目は気にせずに腹いっぱい食ったら良い。詰め込めるだけ詰め込んどけ! ハッハッハッ!」
そこまで聞いて、やっとユーリスは察した。自分の生活環境を心配して持ってきてくれた話なのだろう。あるいはザウルだけでなく、両親が裏で王城に頼み込んだのかもしれない。であれば、無下に断るわけにはいかないし、正直いって大助かりであった。
そこで、思い浮かんだ顔がふたつ。
「ねえ、師範。こんな良い話を持ってきてくれて本当に感謝している。ぜひとも引き受けさせてほしい。ただその……これは本当に、可能であればなんだけれど、その仕事の枠をあとふたつ、用意してもらうことはできるかな?」
= = = = =
小屋をでる頃には線のような月が高い位置まで昇っていた。
戸締りのほかにも作業を残しているユーリスは、ザウルを小屋の前で見送ることにした。
「今夜は月が細い。帰り道はかなり暗いよ? それに山道だし」
心配するユーリスの声に、振り向いたザウルは笑顔を浮かべて指を鳴らす。すると、道を照らすにはじゅうぶんに明るい、拳大の炎が宙に生みだされる。
星属性の男は、自分とは違う火属性の男に照れ笑いを返した。
「ところでユーリス。まだ道は見えておるかのう?」
一瞬、何のことかわからなかったが、すぐに思い出す。
「もうずいぶんと昔から見えなくなったよ」
「今のわしにもか?」
「……うん」
「そうか」さびしそうに応えるザウルは「……三日後の祭りが終わったあとも、たまには会って酒を飲み交わそうぞ。暇な老人を憐れんでくれるならばな」と、背中を向けて山道を降りていった。
炎に照らされた老体が、無事に崖下へ降りるところまで見届けたユーリスは、夜空へと視線を移す。
あふれんばかりの星々が輝く天蓋。帝国の学者いわく、この空の向こうにはずっと、無限といえる空間が広がっているらしい。ここから見ればすぐそばで寄りそい輝く星々も、実際は信じられないぐらいに遠く離れているのだとか。そのようにユーリスは本で読んだことがある。
「説得力あるよな」
星属性の子ともてはやされていた時期は、さまざまな種族、性別、年齢、立場の人がユーリスを訪ねてきた。未来の英雄からの覚えめでたくあれと、媚びへつらうように。
しかし一般的な魔物すらいつまでたっても倒せないと知れわたると、当時はおもわず笑ってしまったほど、あっという間に周囲から人が消えた。実際の距離は、見かけの距離よりもはるかに遠かったのだ。
そのころから、あの星の道は見えなくなっていた。
「俺が悪いんだけれどさ」
属性が? 努力が? 人格が? 才能が? いや、きっと運だ。
ユーリスはそういうことにしておいた。ただ、とても単純な話。自分は不運だった。それだけだ。物悲しくなるだけのいい訳を脳内で繰り返すユーリスは、小屋に戻って残した仕事をはじめる。
そんな小屋からほど近い場所。
グリュークの都と竜の里をつなぐ、険しい岩肌の崖で挟まれた山道。その途中では、竜の門と呼ばれる強力な魔術が施された木造の門が道を塞いでいた。周囲に結界を展開しており、それは自然の動植物は通すが、指定した種族だけは通さない力を持つ。
乏しい月光が照らすその門扉が、山奥側からわずかに開かれた。門扉から現れた人物は、見事な民族文様が編み込まれたローブで身を包み、小柄な体を頭から隠している。
ローブの人物は、周囲を警戒して見回したあと、忍ぶように麓の都へ続く道をゆっくりと進みはじめた。
= = = = =
祝祭の夜。
興が乗った国王のすばらしい演説に、王城内の会場にいる多くの人々が涙を流した。
警備兵の甲冑を着込んだユーリスは隣へ目を向ける。自分と同じく警備兵の格好をしたシルヴァも涙を流していた。
「話なっがいよ。王様」シルヴァが大きなあくびを無遠慮にし、両目に滲む涙をぬぐって話す。犬耳が窮屈になるので兜は外した状態だ。「会場の人たち、みんなあくびをかみ殺してるぜ」
同時に、「ぐぅ~」と反対側から寝息が聞こえてきたので、ユーリスは寝息のもと、ドワーフ用の甲冑を身に着けたロッドーの肩を揺らした。
「なんだっ! メシか!?」
「いやさっきさんざん食ってたじゃん、ロッドー」シルヴァの苦りきった声色。「僕、一緒にいて恥ずかしかったよ」
「その、あんな美味いもん、久しぶりに食ったからな。うんまあ、ちょっとみっともなかったかもしれんが」
「美味しかったのは同意。ユーリスには感謝だね。っていうか僕、ユーリスがあんなに綺麗な所作で食事するなんて初めて知った」
困ったように笑うユーリスを、見上げるロッドーも同意するように頷いた。
三人が割り当てられた仕事は、王城内に招かれた貴族や社会の成功者たちがくつろぐ宴会場の警備だ。
王の演説が終わった会場では、貴族の家長や跡継ぎに向かって、大手商社の代表や貿易商、有名な冒険者が積極的に話しかけている。そうやって人脈の新規開拓をする者もいれば、親睦を深めたりライバルへの牽制をする者など、さまざまな会話があちこちで話されている。
まだ地平喰らいの槍が公開されるまで時間がある。正規の兵士は建物のまわりで目を光らせているので、ユーリスたちのような臨時雇いの者は、もっぱら賓客のお手洗い案内や荷物持ちが主な業務になっていた。
「楽な仕事だ」ロッドーが退屈そうにため息をつく。「こんなことであの金額。ふだんの採掘現場が馬鹿らしく思えるな」
そんな彼にシルヴァが「そうはいうけれど、それならなんで最初ユーリスの誘いを断ったのさ。先約があったとか?」と、思い出したように反応した。
正確には先約を作る予定だったのだろう。はじめに断ったロッドーが次の日、泣きそうな顔をしながら誘いを改めて引き受けたいと願い出たことを、ユーリスは覚えている。紹介所の職員、女性ヒューマンのモモに祭りの同伴を断られてしまったらしい。
「俺が怪しい勧誘みたいにいってしまったからだよ」哀れなドワーフに助け舟をだすユーリス。「変な誤解をさせてしまった」
ふ~ん? と納得していない表情を浮かべるシルヴァは、会場の奥から近づいてくる人影に気がついた。
犬耳を垂らす童顔の彼は、どうやら他人へ安心できる印象を与えるらしい。案内や小さなお願いを希望する人が、彼を頼ってよく声をかけてきた。緊張していた昼過ぎと比べたら、シルヴァも慣れたもので「はいはい。ご用件はなんでしょうか?」と、ずいぶんと気安くなっている。
「……うそ」
近づく人物、上級文官の正装に、金縁眼鏡をした初老の男性ヒューマンを見たユーリスがつぶやく。
シルヴァとロッドーが、どうしたのかとこちらへ目を向けた直後。
「けいれぇえいっ!!!」
怒声が会場内に響き渡った。
周囲の賓客、貴族、警備兵にシルヴァとロッドーも固まっていると、ただ一人ユーリスだけが一歩前に進みだして、近衛兵と見紛うみごとな動作で敬礼をする。
「構えぇ!」続いての文官の怒声に、配給された槍を機敏、正確に構えるユーリス。「行進!」「万歳!」「守護姿勢!」「ニャンニャンのポーズ!」「もう一度敬礼!」
次々と繰りだされる文官の指示に、見惚れるような動きで応える。ほかの者はまるで、突然催された曲芸でも見るように注目した。
「……よし」
文官が静かにいったその言葉を聞き、ユーリスはやっと一息ついて楽な姿勢に戻った。
シルヴァとロッドーが呆然と口をあけて眺めていると、文官が近づいてきて肩を叩き、まわりには聞こえない程度の小声で話しかけてきた。
「久しぶりですね、ユーリスくん。教わったことをきちんと覚えていてくれて、私はとても嬉しい」
「ご無沙汰しております、エフピア先生。……トラウマってやつは、忘れたくても忘れられないものですよ」
「おおげさですねえ」と口元を緩める文官は、ユーリスの後ろにいる二人を見た。「お勤めご苦労様です。私はこの王城で働く、しがない文官の一人。エフピアと申します。驚かせてしまい申し訳ありませんでした」
王城の教育責任者で筆頭貴族出身。このグリュークで上から数えてすぐの立場にいる男は、自身をそのように紹介した。
「本当に懐かしいです」
ユーリスは、微笑む彼の顔に刻まれた皺に、今日再会するまでの歳月を見せつけられた。
ザウルとエフピア。かつての恩師たちは良い年の取り方をしたようだ。年齢相応の威厳を備えている。それに比べて自分はと、ユーリスの心中に黒いもやが漂った。
「それにしても、先生はどうして俺のことがわかったのですか? 御覧のとおり、兜の面もしっかり下ろしてるのに」
「紹介制とはいえ、募った臨時雇いのなかに怪しい者はいないかと、夕餉の兵舎食堂をこっそり覗きにいったらですよ? 私でも認める丁寧な所作で、しかしまるで逃げるように素早く食事を終えた、兜をかぶり続けている男性を発見したのです。そのときの私の気持ちは、あぁ……うまく言葉にはできませんね」
見る者が見ればすぐにばれてしまったらしい。しかし、骨の芯まで叩き込まれたそれらを、今さらごまかすことは難しい。
「私が声をかけたのは、久しぶりに君と話がしたかったというのもありますが、もうひとつ理由があります。警備管理官には私からいっておくので、今から教える場所を訪ねてみてはくれませんか? それに眠気覚ましにも、少し外を歩いたほうが良いでしょう」
寝込んでいたロッドーと大あくびを隠さなかったシルヴァは、教師に叱られた子どものように顔を伏せる。
「どういうことでしょう?」
「いけばわかります」
エフピアに教わったとおり、宴会場を抜けて屋外に出た三人は、隣の宮殿へと足を伸ばす。
月はほとんど新月になっており、空は暗い。そのぶん、建物のあいだに置かれた魔術照明は煌びやかであった。
庭師の職人技術を見せつける、美しく刈りこんだ灌木で彩られた中庭を通過して、巡回している正規の兵士に声をかける。エフピアから教わった警備管理官の名をだしてから事情を話し、三人は宮殿の外をまわって指示された大広間の窓に近づいた。
「あっ……」
窓を覗き込んで少しあと。絶句するユーリスの横から、シルヴァとロッドーも顔を寄せる。
「あっちと違って、こっちの宴会場はご婦人やご令嬢ばかりだな」身長の低いロッドーが必死に背伸びをする。「って、おいおいおい。俺でも知ってるぞ。王女様までいるじゃねえか」
シルヴァも王族を目にして興奮気味だ。「すっげえ。僕、王城前広間の魔術映像でしか見たことないよ」
多くの令嬢や貴婦人が声高に話しあっているなかに、青みがかった黒い直毛を顎のあたりで切り揃えて前髪を優雅に垂らした、やり手の若手実業家にも見える女性ヒューマンがいた。身に着けるドレスは、余計な華美を抑えたはやりのスカイブルーで、その生地は最上級の質をいっさい隠さぬ艶を見せる。
小国グリューク第二王女、パームステンだ。
ユーリスが見つめる先は、その王女の目の前にいる小柄な年若い女性ヒューマン。
この頭と同じ少し癖のある亜麻色の髪が、腰まで長く伸びている。疲れた印象を与えるこの目とは違い、目尻の下がった大きな瞳は、穏やかで優しい印象を相手に与える。
はやりから遅れているも、質の良い薄緑のドレスをまとったその女性は、二歳ほどの幼児を抱きかかえていた。
「あの小さい子。王女様の?」シルヴァがどちらともなく問いかける。
ロッドーが「たしかそのはずだ。グリューク待望の新王子だぜ」と答えた。「あの可愛いお嬢ちゃん。ああして新王子を抱き上げて、王女様とも仲が良さそうだし何者だ? そういや、ユーリスみてえ……な髪の……毛……」
なぜエフピアはここまでユーリスを誘導したのか。理解したのだろう二人が、沈黙するこちらへと振り返った。
ユーリスはじっと見つめる。ずっと見つめる。窓のそばにいた別の婦人が、宴会場を覗き込む三人に気がついて怪訝な表情を浮かべたときに、そっと、三人は窓から離れた。
「……ユーリス。もう良いの?」
ひと気のない中庭まで戻ってから、シルヴァが前を歩くユーリスに声をかける。
立ち止まり、長いため息をついたあとに振り向いて、どこか無理をした明るい口調で話す。
「さっきの新王子を抱えていたお嬢さんが、どうして王女と仲が良いのかってのはね。将来、もしかしたら義理の姉妹になるかもしれないというわけで、小さいころから交流があったからなんだ。かつて星属性の子どもは、それぐらい王城から期待されていたのさ」
黙って顔を見合わせるシルヴァとロッドー。ユーリスは、場合によっては王族入りしていたのかもしれない。
「実際はそうならなかったが、当時の関係が今も生きていて良かった。不出来な兄とは違って、あいつはちゃんと貴族界隈で上手くやっていけているんだろう。エフピア先生に感謝だ。知ることができて良かった、本当に」
「会わないのか?」というロッドーの硬い問いかけに、「絶対に会わない」とユーリスは即答する。妹にとって、迷惑以外の何物でもない。けっして会ってはいけないのだ。
そのまま三人は、魔力の光で美しく彩られた中庭で、何もいわずに佇んでいた。
しばらくすると、先ほどまで警備していた城のほうから鐘が鳴り響く。地平喰らいの槍、その披露を知らせる鐘の音であった。
「さっ、仕事の時間だよ」ユーリスが両手を叩いて、灌木に立てかけていた槍を手に取る。「もしも泥棒が魔槍を盗んだら、俺は追いかけられるけれど手出しできやしない。ふたりには期待しているからね」
「へっ! サクッとぶっ飛ばしてやらあ」ロッドー。
「僕も足止めまではするけれど、そのあたりは兵士たちに任せたいな」シルヴァ。
二人と共に、ユーリスは王城へと戻っていく。あともう少しで、今晩の仕事は終わりだ。
= = = = =
どうして彼らは、こんなにも世界を明るく照らしだしているのだろうか。ローブの人物は疑問を覚えた。
そこらじゅうで騒ぎまわるビーストにドワーフ。ヒューマンは彼らと共に騒ぐ者もいれば、物静かに過ごすエルフに付きあう者と半々だ。
国王の戴冠記念とやらは、まったくもって重要視されていない。王城前広場の魔術映像で、放映された王の長い演説を、誰も聞いていなかった光景からそれは明白だ。ただし、王の悪評もあまり聞かないので、それなりに愛されてはいるのだろう。
ゆっくりと歩くローブの人物は、露店から購入した肉の串焼きを頬張る。とても香ばしく味わい深い、良いものだ。
先ほど古臭い貨幣で支払おうとしたとき、店員の女性から怪訝な顔をされてしまったが、この民族文様のローブを見ておのぼりさんだと考えたのだろう。すぐに愛想が良くなって、楽しんでおいでといいながら具材がひときわ大きいものを渡してくれた。
その好意に少し心が痛んだ。今夜、自分が実行することを思って。
行儀よく食べきった串を、根気よく探しだしたゴミ箱にきちんと入れたローブの人物は、馬車や車両が通行禁止となった、芸人の見世物や露店で騒がしい王城前広場へとゆっくり近づいていく。周囲には放り投げられたゴミが多い。
聞きまわった話だと、件の槍は王城内で貴族や国の有力者に披露したあとで、この広場に運ばれて国民に公開されるそうだ。そのときが好機だ。空を見上げると月は新月に近く、とても細長いのがありがたかった。
「そうだ」
ほかに手段があれば良かった。さんざんみんなで相談したが、有効な手は誰も思いつかなかった。
そこへ飛び込んできた情報。麓の国で開かれる祭りと、あの槍を公開するという催し。
「きっと、これは運命だ」
懐に手を入れる。しまってある球体のごつごつとした手触りを確認し、ローブの人物は魔術で投影された映像を見上げる。
ちょうど映像内では、王城広間に大きな石棺のようなものが運び込まれていた。
= = = = =
近衛兵が周囲を守り、正規の兵士が担ぎ運ぶ石造りのそれは、まるで古代の棺のようだった。
石棺は、この日のために組まれた広間の壇上へと慎重に運ばれていく。運ぶ彼らのそばには、王城前広場に映像を送り届ける機器を構えた魔術師が追従していた。
指示された定位置に戻ってきたユーリスたちは、そんな光景を遠巻きに見つめている。
「槍……なんだよな? 入ってるのは死体じゃねえよな」
ロッドーの冗談には誰も笑わなかった。
「ある意味、それは正解かもしれない」ユーリスが、抑えた声で応じる。「あの中にある魔槍は、想像できないぐらい多くの魔物を喰らったんだ」
驚く彼に、ユーリスは続けて説明した。
約三十年前に終結した大陸中央戦争。当時はグリューグの王城からも、後の戦勝国となる帝国に援軍を送っていた。この小国を戦略上狙う価値は、その時期には無く、周囲には敵軍の影も確認されなかった。それゆえに精鋭を送りだすことができたのだ。
ところが、精鋭たちが出立してからしばらくすると、南西部の深い谷あいから続々と魔物が出現した。周囲の村や町を襲うそれらは、多くの人を喰らいながらまっすぐに都を目指してきたのだ。
精鋭部隊はいないが、羽鞴山に住む竜人たちに助力を要請することはできた。グリュークと竜の里の協力体制で、なんとか一時的に魔物の勢いを抑えることに成功したが、魔物の数は尋常ではなく、国と里の消耗が加速しはじめる。
押しこまれるのは時間の問題であった。
「そんなときだよ。夜空を埋め尽くすほどの流星群が現れたかと思えば、この都市の近くに隕石が落ちてきたんだ。……ただの隕石じゃない。それは落下した場所の周囲から魔力を根こそぎ喰らう、異常な金属を多く含んでいた」
隕石はあらゆる生物や植物からも魔力を吸い上げ、近づいた魔物ですらそのまま干乾びさせた。異様な光景の報告を受けた当時の王は、隕石を回収して有効活用することを決めた。
魔力の流出を防ぐためにあえて封印魔術を付与された兵士たちが、都市の防壁外に建てた急ごしらえの工房へと隕石を運び入れる。国を救うために命を捧げると覚悟した鍛冶職人と魔術師の犠牲によって、隕石からその魔槍はつくりだされた。逆転の目途がたった。
そこで魔槍の使用に待ったをかけた者たちがいた。竜人である。その武器を使ってしまえば土地の魔力が、生命が、自然が破壊されてしまうと警告した。しかし、まだ山の門を閉じれば耐えしのげる彼らと違って、都はもはや限界だった。
竜人たちの忠告を無視して、王城は魔槍を一人の兵に使用させた。
魔槍は、南西部の地平に広がる魔物、そして自身を振るった兵の命を喰らった。ほかの兵士が回収に向かったときには、その魔力を喰らう特徴は治まっていた。もう腹がいっぱいになったというように。
それ以来、竜人はグリュークから竜の里へと通じる門をかたく閉じてしまった。
「そのようにして、あの魔槍は魔物どもを素材も残さず食べきった。平和になってからは忌避されて、ああして石棺に放り込まれた……と、俺は教わったよ」
ユーリスの説明は、シルヴァやロッドー以外の耳にも届いた。
付近に座る外部からの賓客も、聞き耳を立てていたのだろう。唾を飲む音が、周囲からいくつか聞こえる。
「皆様! たいへん長らくお待たせいたしました!」
壇上に立てかけられた石棺の前で、この宴会場の司会を務めていた大臣が声高に叫んでいる。
「われらが国王陛下の戴冠から十年の節目に、かつてわが国を救った聖なる槍! 三十年のあいだ、日の目を見なかった伝説の武器を、ぜひ皆様にご覧いただきたいと、王妃殿下が仰せになりました。感銘を受けたわれらもそのようにと奮起し、今日、この素晴らしい場を設けることと相成りまして──」
まだ長くなりそうな彼の前口上に、隣に控える豪奢な鎧をまとった近衛兵隊長が咳払いをした。
それに気づいた大臣は、あわてて「失礼しました。百聞は一見にしかず。どうぞ、ご覧ください」とよくわからない台詞で締めると、石棺の横に立つ兵士が三人がかりで蓋をずらしはじめる。
「……うぅ」
そのとたん、ユーリスは酷く胸騒ぎを覚えてうめいた。心臓の音がやかましい。
ほんのわずかに蓋が外れただけで、石棺の中から圧倒的に濃密な魔力を感じとれたからだ。いつか見つけた大魔石すら話にならない。いや、話が違う。次元が違う。地平喰らいの名はおおげさなものではなかった。
「ちょっと、だいじょうぶか?」
心配そうに声をかけるシルヴァに「平気だよ、ちょっと疲れただけさ」と、青ざめた顔で笑い返す。しかし、全身に不穏な槍の魔力を感じる一方で、なぜだかわからないが、自分の中でナニかが満たされていく感覚があった。
ロッドーの「おい、見えてきたぞ」という声に、シルヴァは心配しつつも、ユーリスから石棺に視線を戻す。
壇上で、槍はその全身を現した。
全体で男性エルフの長身をはるかに超える長槍で、刃の長さは全体の三分の一を超えている。穂の部分は、長く厚みがあって大きい。頑丈そうで、かつとても重そうに見え、そしてひたすら実用重視の無骨な設計。否、装飾を付ける余裕なぞ、命を落とした当時の鍛冶職人にあるはずはなかった。
数年前に帝国からやってきた大臣も見るのは初めてなのだろう。奇妙な文様を全体に浮かび上がらせるだけで、地味な鋼地の大槍は期待はずれな様子だ。
宴会場全体の反応もなんとも微妙。彼は気まずい顔で頭を掻いてから、そばの兵士にさっさと広場へ移動するように命じた。厄介な物を片付けて、魔導花火でも打ち上げて仕切りなおすつもりに違いない。
「そ、それでは皆様! じゅ、じゅうぶんに堪能いただけたようなので、これよりわれらが聖なる槍を移動したいと思います!」
ユーリスは兜の隙間から手を差し込み、流れる脂汗を手甲で拭いながら確信する。あの石棺は、間違いなく封魔道具だったのだ。それも信じられないぐらい強力なもの。
かつて子どものころに見たことがある、竜の門から広がる結界を思い起こさせるほどに。
= = = = =
ほぼ新月となった暗い夜空を照らすように、そこはけばけばしい照明の彩光に満ちていた。
ユーリスたち三人は石棺を運ぶ兵士たちに追従し、多くの人で盛り上がっている騒々しい王城前広場に到着した。
「……ん?」
ユーリスは何ともいえない、奇妙な気配を感じとった。先ほどの魔槍に刺激されたのだろうかと頭をひねる。
こちらを心配そうに見つめるシルヴァに肩を叩かれた。
「ちょっとでもいいからこっそり休めよ。あんなにたくさんの兵士に守られているんだ。泥棒なんて現れないって」
「いや、もう平気だよ。少し慣れてきた。ただ、なんだろう? この広場に今まで感じとったことがない……いや、どこか懐かしい? 強い魔力反応があるんだ」
魔導機器による極彩色の照明が、あらゆる角度から広場を照らしていた。
多くの国民がすでに魔術映像越しに見ていたはずの槍を、早く実物を見てみたいと石棺の隊列に近づこうとして、周囲に広がる兵士から注意されていた。
「なんだよそれ。あの槍とは別なのか?」
「うん。なんだか嫌な予感がする。シルヴァ、ロッドー。少し気をつけてくれ」
広場の王城門に近い位置には、城の宴会場に組まれたものとは別の舞台が準備されている。兵士がよりいっそう慎重に、舞台上へ石棺を運び上げる。
騒ぎたいだけな一部の観客がはやし立て、さっさと次の仕事に移りたい近衛兵が指示をして、設置されてからまもなく、兵士三人によって蓋がゆっくりと開かれた。
ユーリスは、また周囲に魔力をあふれ返させる魔槍に眉をひそめつつ、怪しい魔力反応を追った。
「槍の魔力が邪魔だ! 正確な位置がわからない!」
配給された兵士の槍を構えるロッドーに「近くか?」と、訊かれたユーリスは首を振った。
「ここから舞台を挟んだ反対側かな。ふたりとも、念のためにあそこの近衛兵に事情を話してくれ。いいぶんは何でもいい、怪しい挙動をしている奴が向こうにいるとでもいってくれ」
頷いたロッドーがすぐに移動する。シルヴァも首だけこちらに向けながら「ユ……君はそこにいてくれよ!」と釘を刺して歩きだした。いわれなくともそのつもりだ。ユーリスは、自分が何もできない存在だと心底理解している。
あとは何が起きてもまわりに任せよう。そう思って力を抜いたときだ。
「……なんだ?」
怪しい魔力反応に重なって出現した別の魔力。魔石の採掘現場でときどき使用される、魔導爆薬を連想させるものだ。
そしてユーリスの目に、広場の上空に向かって、何か丸い物体が飛んでいくのが見えた。周囲から人工的な光が交差するなかで、結晶質と思えるそれは、反射してやけに輝いている。
その物体が強烈な光を放ち、爆発した。
周囲一帯に広がる魔力の波動。突然の閃光に対してあがる多くの悲鳴。怒声。混乱。
その場にいた皆が皆、なにかしらの攻撃をされたと確信するも、身体には何も異常は起きない。広場が困惑による沈黙で静まりかえっていると、しかし、異変はすぐに発生した。各所に設置された魔導機器が停止しはじめたのだ。次々と明かりが消えていく。広場が暗闇に包まれていく。今晩は月明りも期待できない。改めて人々が恐怖に呑まれる。
「皆さん、落ち着いてください。すぐに復旧させます! どうか冷静な行動を!」
石棺の前。舞台上にいる近衛兵が周囲に叫ぶ。
こんな暗闇のなかで、混乱した人々が逃げ出せば怪我人がでかねない。彼や、広場の警備にあたっていた兵士たちの呼びかけは効果があったようで、そこまで騒ぎは大きくならなかったみたいだ。
だが、やっと補足できた怪しい魔力反応が、高速で魔槍に近づいていた。心臓の鼓動がはやまる。「シル……!」二人に動いてもらおうにも間にあわない。急いで、暗闇のなかを全力で駆け出した。
「おい、止まれ!」走るユーリスの行く手をさえぎる兵士。「どうした? おい走るな危険だ!」
ユーリスは「すまん!」と叫んで彼の腕を振り払い、舞台に駆け上がる。もう反応は目の前だ。
「ぐはあっ!」
暗闇の向こうから響きわたる近衛兵の叫び声は、石棺のあたりから聞こえた。
ユーリスは舞台に駆け上がった勢いそのままに、魔力の反応に向かって「はぁあ!」配給された槍を思い切り振りぬいた。
「なっ!?」
魔力反応の持ち主は予想外だったのか、あわててユーリスの攻撃をかわしつつ、舞台から広場中央に向かって大きく飛んだ。
「魔槍は!」
ユーリスが振り返ると、まだ石棺の中に魔槍は残されたままだった。安堵の息を吐いた直後、周囲の魔導機器が再稼働しはじめる。機器の故障は短時間だけのものだったらしい。明るくなった周囲をすぐに確認することができた。
舞台上には近衛兵が倒れている。どうやら突き飛ばされただけのようで、彼は急いで立ち上がった。
そして舞台から少し離れた広場の中央には、鉄塔魔導機器からの逆光を背負う、見慣れぬ民族模様のローブを頭からかぶる小柄な人物。
「そ、総員戦闘態勢!!」近衛兵がまわりの兵士に呼びかける。「そこのローブの者が、私に攻撃を加えてきた! 賊だ! 槍を護れ!」
指示に反応した正規の兵士たちが、静かに佇むローブの人物を取り囲む。
騒ぎを見る民衆は、半数が広場から離れて避難し、残りの半数はもう安全と判断したのか、これからはじまる捕り物劇を観察しようと考えたのか、広場に残ったようだ。
「なんとか……なった?」
見たところローブの人物は子どもだ。加えて女性。
ユーリスが攻撃を振るう直前に聞こえた声は、可愛らしい少女のそれだった。ならば、もう決着だ。
照明を故障させたのは、こっそり近づいて魔槍を盗むためだったに違いない。最初で最後の機会を阻止した今であれば、もはや心配はいらないだろう。兵士たちも、油断はせずとも落ち着いた様子で詰め寄っている。
「いや、待てよ」
あの少女は、この舞台上からあそこまで飛んだのか? ユーリスは怪訝に思った。
かなり離れている。この距離を一度だけの跳躍で跳べる者なんて、魔力武装の修練者か、戦士として鍛えあげられたビーストか、はたまた魔物でなければありえない。それをあの小さな女の子が?
「確保ぉ!」
近衛兵の指示に「待った!」とユーリスが叫んだが、遅かったようだ。
ローブのフードの下で不敵に笑う少女は、身体をねじり、その場で回転した。すると同時に、周囲に紅く煌めく火花が舞ったかと思うと、火傷しそうな熱風が少女を中心に巻き上がった。
「ぐぅうう!?」「うわぁああ!!」
悲鳴と共に、周囲の兵士はひとり残らず吹き飛ばされた。舞台上にいたユーリスまでも、高熱を感じさせるほどの力強い火の魔術。
少女は、舞台上で冷や汗を流すこちらを見上げて吠える。
「油断した! まさかあの暗闇のなかで、私にあんな短時間で近づける者がいたとはな!」少女の声は、楽しそうだ。「事前に察知でもしていたのか? いやはや、予想外すぎてずいぶんと驚かされたぞ! ……さて」
少女が片腕を空に向かって伸ばす。ローブの下はかなりの軽装らしく、白くきめ細かい肌をした華奢な腕を周囲に見せつけた。
「ここまできたら実力行使だ。殺めるつもりはないが、向かってくるなら怪我と火傷は覚悟しろ!」
その片腕に紅玉のような硬質で美しい魔力がまとわりつき、瞬時に形を整える。腕だ。少女の片腕は、紅い宝石で造られた、爬虫類のような別の生物の大きな腕で覆われた。
対峙する近衛兵が剣を構える。
「……退けるはずもなし! 全員、あの魔力武装に注意しろ! 魔技を行使できる者は、私に続けー!」
槍に火属性を、剣に水属性や風属性を、それぞれ自身の属性を武器に付与した彼らが少女に挑む。しかし、彼女の振るう紅玉の巨腕一本に、いともたやすく薙ぎ払われてしまった。
急いで弓を装備した兵士が風属性などを使用して放つも、軽やかな足さばきをする少女にはかすりもしない。遠距離から放たれる魔術も同様に、踊るように振るう腕で搔き消された。
「シルヴァ! ロッドー!」ユーリスは舞台上から、城門のそばで様子を伺っていた二人に叫ぶ。「急いで王城に応援を呼んでくれ! 賊は相当手強いぞ!」
「わ、わかった!」シルヴァが城門に駆け込む。「ほら、みんなで一緒に王城へ戻ろう!」
彼の言葉を無視して、ユーリスは「ロッドー! シルヴァを護ってくれ! ひとりじゃ遠くから魔術攻撃を受ける可能性がある!」と続けた。
ロッドーは「まかせろ! おまえも早く避難しやがれ!」と怒声を張りあげる。
「二人が向かうと同時に、別のほうへと逃げるさ! いいから急げ!」
まだ正規の兵士たちが粘っていると思ったのだろう。二人はユーリスの言葉を信じて、応援を呼びに走った。
これでシルヴァとロッドーの安全は確保されたはずだ。自身を落ち着かせるように、細く、長く、息を吐く。彼らの視界は舞台に邪魔されて、この状況が見えなかったに違いない。すでに兵士たちは全員、気絶したか、怪我で身動きが取れなくなっている。
今、ローブの少女と魔槍のあいだに立つ者は、ユーリスただ一人だけであった。
= = = = =
兵士たちの努力もむなしく、ローブの少女には傷ひとつ付けることも叶わなかったらしい。そのあまりの強さに、周囲の民衆も恐怖より興味が勝ったようで、逃げる者はほとんどいなかった。
また、少女が宣言したとおりに、兵士たちは多少の怪我を負ってはいるが、取返しのつかない負傷をした者や、命を落としたと思える者は一人もいない。手加減されている。それほどまでに少女との実力に差があったのだろう。そんな状況もあって民衆の一部、特に酒がまわった者などは観戦気分にまでなっていた。
「おまえはかかってこないのか?」舞台上に少女が顔を向ける。「さっき、私に予想外の一撃を放った勢いはどうした」
無我夢中の行動だった。ユーリスは、まさか自分が賊の前に立ちはだかるなど想像すらしていなかった。しかし、もう遅い。少女が近づいてくる。
「もうすぐここには応援がくるだろう。いつまでも遊んではいられないな。戦うつもりがないのなら、さっさと退け。安心しろ。背中を狙うような真似は誓ってしない」
ユーリスは地平喰らいの槍へ目を向ける。だめだ。いくらこの槍に魔力があるからといって、星属性では使用する意味はない。また、この魔槍を持ち逃げしようものならば、逃げた先の民衆を巻き添えにしてしまう。王城に逃げる選択肢もありえない。妹がそこにいるのだ。
だからといって、みすみす盗ませるわけにもいかない。使い方しだいでは、間違いなく都市ひとつを滅ぼせるであろう、この兵器を。
「それじゃあ……少し、相手をさせてもらおうかな」
今できることは時間稼ぎだ。広場を見回して舞台からおりたユーリスは、手に持っていた兵士の槍を放り投げ、抜いた剣を構える。できるだけ慣れた武器で挑みたい。準備を整えたこちらを見て、少女も身構える。
「では、いくぞ!」
ビーストの戦士を思わせる、突風のような速度で突撃してくる少女は、その紅い巨腕をユーリスに向かって振り下ろした。
ユーリスは間合いを見切って、横に避ける。追いかけるように薙ぎ払ってくる動作を読んで、次は姿勢を低くして避ける。兵士たちが懸命に戦ってくれたおかげで、少女の動きをよく観察することができていた。
さらに、相手は魔力武装をしているとはいえ、身体は華奢な少女。注意するのは紅い巨腕と魔術行使前の動作のみ。
「ふっ!」足払いを仕掛けては不意を突く。先ほど確認した周囲の照明機器まで動き、少女の目が光で眩んだ隙に体当たりをする。広場に転がる兜やゴミを蹴りあげては視界を邪魔し、付かず離れずを意識して動いた。
少女はそんなユーリスに対して、うんざりしたような長いため息をつく。
「……さっきの者たちのように、攻めてきてくれたら助かるんだが?」
「お察しのとおり、俺は時間稼ぎ要員さ。今夜はお祭りだよ? もう少しだけ、一緒に踊ってほしいな」
「なるほど。そうやって魔力を温存しているのも作戦のうちか。厄介な男だ」
使っても意味がないんだよ、という言葉をユーリスは飲み込んだ。
少女はしかたがないとばかりに首を振るう。
「時間が惜しい。今からおまえに、魔技をひとつくれてやる。魔力の温存なんて愚かな真似はやめておけっ!」
腕を作ったときと同じように、少女の周囲に紅玉のような魔力が渦巻くと、彼女の腰から新しい魔力武装が顕れた。その形は。
「尻尾!?」
彼女自身の身長よりもずっと長い、腕と同じく爬虫類のそれを思われる尾を生やした少女は、前屈みの姿勢をとった。二歩、三歩と助走をつけて跳びあがり、「呑みこめ、火炎の波浪よ!」宙で身体を回転させて、紅い尾をユーリスに向かって振りあげる。
「赫奕弧炎!!」
尾の先を擦った地面からは巨大な炎の幕が巻き起こり、こちらに向かって高速で広がってくる。とても避けきれない。さえぎるものもない。せめてもの抵抗で、ユーリスは剣を両手で顔の前にかざした。
「…………っ!」
下手に口を開けば喉を焼く火炎と熱波。ユーリスはその魔技によって舞台まで吹き飛ばされてしまった。なんとか剣は手放さなかったが、遠くから金属質の何かが落ちた音が聞こえた。
「はあ!?」少女は驚愕する。「ば、馬鹿者! どうして魔力で防がなかった!!」
広場に響き渡るその怒声のおかげで、なんとか意識をつないだユーリスがよろよろと立ち上がる。全身へ受けた衝撃はとても大きいが、ここで倒れるわけにはいかない。
すると、急に広場を取り囲む民衆が騒めきはじめた。
「おい……あいつ、ユーリスじゃないか?」男性の声。「堕ちた星屑っていう、役立たずの?」女性の声。「間違いないわい、昔っからあの髪色と癖は有名じゃ!」老人。「どうりでさっきから魔力を使わないはずだ!」若い男性。「っていうか、なんで兵士の格好してるのさ?」中年の女。「あたし知ってる! 今日の臨時雇いの警備兵は、お城で御馳走を食べられるのよ!」いらだった声。「いやらしい! 能なしのくせに、家が貴族だからって頼みこんだんだわ!」罵る声。「最悪だ! あんな無能があれの相手してんのかよ!」甲高い声。「さっさと引っ込め!」しわがれた声。「まだ王城から応援はこないの!?」悲しむ声。民衆たちの声で、広場の騒ぎは大きくなっていく。
ユーリスの顔から血の気が引いていく。頬を、頭を触る。いまの攻撃で兜を吹き飛ばされてしまった。焦りの汗が、みるみるうちに顔を流れていく。
ローブの少女も周囲の様子に「なん……だ、これ」と困惑している。身体を起こしたユーリスは、そんな彼女に向かって、やかましい具足の足音を広場に響かせながら走りだす。少女がこちらに目を向けると眉をひそめた。身体を左右に揺らしながら、みっともない動作の自分が斬りかかっていたからだろう。この速度は、もはや哀しくなるほどに遅い。
なんの苦労もなく、少女が軽く避けては声をかけてくる。
「それ以上動くな。おまえ、頭から血を流しているぞ」
声を無視するユーリスがふらふらと斬りかかる。ローブの少女は一歩だけで避ける。もう一度、剣を振る。少女が避ける。振る。避ける。
この様子にいよいよもって、広場の罵声は耳をつんざくものとなる。
「そんなへっぴり腰で戦えるか!」しかし、逃げるわけにはいかない。「どれだけ恥をさらせば気が済むのよ!」ここで逃げたら、妹に、両親に。「はははっ! 賊にすら気をつかわれてやがるぜ!」たたでさえ迷惑をかけた家族に、家の名にとどめを刺すことになる。「ちょっと、あんたしっかりしなさい!」さっき城で見た妹はうまくやっていた。いったいどれだけ苦労したのか想像すらできない。「ばーか! さっさと尻尾巻いて逃げちまえ!」せめて、ここで倒れるべきだ。いや、いっそ「おいおい、あいつ死んじまうぜ!?」それならいっそ、ここで自分は。
「すまない」
少女が軽く、やわらかく、ユーリスに紅い尾を振るった。もはやこれは転倒を目的にしたものではなく、自分の身体を地面に横たわらせるための動作に近い。
「私にも事情がある。必ずやり遂げなければいけない理由がある。……どうやら、おまえには酷いことをしてしまったようだ。この先、ぞんぶんに恨んでくれ」
魔槍に向かって歩きだす少女に「待て……!」と、立ち上がれないユーリスが手を伸ばす。
そのとき、王城から大勢が駆けつける足音が聞こえてきた。やっと応援が到着したようだ。舌打ちをした少女が歩を速めた。彼女の身体能力であれば、いま魔槍をつかんで逃げだせば、なんとか追手を振り切れるだろう。あと少し、あとほんの少しだけ足止めが必要だ。
ユーリスは決断した。自分に残された最後の手段はひとつしかない。
「ほんの少しだけでも、一瞬だけでも……!」ユーリスは少女に向かって右手をかざす。「星よ! あの子を止めてくれ!」
ユーリスは星魔術を行使した。右手を銀色の光で包み、少女に向かって拳ほどの光弾を撃ち放った。
それはあまりにも遅い。あまりにも弱々しい。あまりにも拙い。家を出てからはスライム退治で魔技を軽く使っただけ。それ以降は魔術攻撃なんて試してすらいない。昔の師匠が見たら激昂するだろうひ弱な光が、少女にせまる。
当然、その魔術に気がついた少女が振り返ると、呆れたように息を吐く。自分の最後の悪あがきに向かって、紅い尾を振りぬいた。
光弾は。
「えっ?」
「へっ?」
その紅い尾を通り抜けて、少女に着弾する。その瞬間、「あいたただだだぁあ!!?」と少女の悲鳴。
彼女の身体は、まるで空間に亀裂が走ったかのような細かい銀色の閃光に包まれて、腕と尾の魔力武装は解除され、全身を輝かせながら震えると、「…………みゅぅ……」力尽きたようにその場に転がった。
いったいなにが起きたのか、「……へっ?」さっぱり理解できない。
沈黙が支配する王城前広場に、「賊はどこだ!」と応援の兵士たちが雪崩れ込んできた。
「ユーリ……えっと、俺の友達ー! どこだ、返事をしろー!」ロッドーの声。「あっ! ロッドーあそこだ、ユー……僕たちの仲間はあそこ!」シルヴァの声。ユーリスは二人に向かって手を振った。
兵士たちは急いで石棺の蓋をしめては運び出す。ローブの少女は、特徴のある鎧を装備した兵たちに、周囲を遠巻きに囲まれた。
その騒々しい音に、意識を取り戻した少女があわてて上体を起こす。
「き、君!」ユーリスは、自分に手心を加えてくれた少女に叫ぶ。「彼らは精鋭だ! さっきまでとはわけが違う! 抵抗しなければ、余計な怪我はしないはずだ! 頼むからおとなし……く……」
そこでユーリスや兵士、広場の民衆も絶句する。
起き上がった拍子に少女が着るローブがはだけて、その顔を、頭を周囲にさらした。
「りゅ、りゅ……」精鋭兵の一人が、震えながら少女を指差す。「竜人! ドラホーンだ! 賊はドラホーンだぞ!」
頭には乳白色の二本角。こめかみの少し上から生えたそれは、美麗な冠のような形状で、頭に沿って後頭部に向かって伸びている。
少し朱を垂らしたような艶のある金髪は、頭の中央から左右に分かれてまっすぐに胸元までおろされていた。
目尻の持ち上がった切れ長の大きな目からは、勝気な印象を受け、青空を思わせる透きとおった碧眼は神秘的とすらいえる。
すらりと整った顎の上には形が良い小造の鼻。その下の麗しい桜色の唇から、諦観を感じさせる小さな吐息がこぼれた。
まわりが角に驚いて騒ぐなか、近くでじっくりと顔を観察できたユーリスは、少女の美しさに呼吸をすることすら忘れてしまった。
竜の少女は、気の抜けた様子で石棺が運ばれていく光景を眺めている。
「……そうだな、槍は諦めよう」
彼女の言葉に、ユーリスやまわりの精鋭たちのあいだに弛緩した空気がわずかに流れる。
しかしその隙を突いたように、それまでにないほどの紅い魔力を、少女は周囲に取り巻いた。改めて機敏に姿勢を整えた精鋭たちが、熟達したすばらしい魔力を武器にまとわせる。
「……っ! 総員、迎撃準備!」
舞台の向こうでも、石棺を守護するために追従した兵士たちが魔術を行使したようだ。
しかし、周囲を気にせず立ち上がった少女は笑顔を浮かべると。
「もっと良いものを見つけたからな!!」
叫びながら、背中に自身の身体よりも大きい紅い竜の翼を展開して、宙に浮いたと思えば飛翔する。高速で、こちらに向かって。
「へっ!?」
竜の少女はユーリスに突っ込むと、身動きできないこの身体をつかんでは、そのまま空へと昇っていく。
「ユ、ユーリスー!?」重なるシルヴァとロッドーの叫びが最後に聞こえた。
その場に残された者たちは、ただただ口をあけて夜空を見上げるばかりであった。
= = = = =
「や、やめろ! 俺を離せ!」
「わかった。達者でな」
「や、やめて! 離さないで!」
グリュークの外壁はずいぶんと遠くなり、ユーリスの視界には周辺の良くいえば肥沃、悪くいえば手つかずの森林が広がっていた。高さはそれほどではないが、いま彼女に落とされたら命の保証はないだろう。寒気がした。
「へ、へっくしょん!」
「風で冷えるか? そうだな、どこかで身体を休ませないといけない。怪我を治療する必要もある」
「俺なんかを、どうするつもりだ!?」
「あわてるな。きちんと説明するつもりだが……油断のならない男だからな。着地した直後に、とも限らん。少し眠ってもらうぞ」
物騒な言葉に「なにを……」と震えると、竜の少女はぐんぐんと高度を上げていく。そして彼女は顔を覗き込んできた。
「もう体力は残っていないだろう? このまま急降下すれば圧に耐えられず、速やかに気を失ってくれるはずだ」
「ちょっと!?」
「安心しろ、怪我はさせない。私たちを救ってもらうのだから、丁重に扱うさ」
反論する時間も与えられず、彼女は宣言どおり地上に向かって高速で墜落しはじめた。
私たちを救う? 竜人である彼女たちを? 頭の中に疑問符をあふれさせながら、全身に重圧を感じて気が遠くなっていく。
視界に映るは、月に邪魔されずに輝く星々の光。天蓋に散らばるそれらの煌めきに、ユーリスはその意識を捧げた。
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