お前を愛することはないと言われて一年後、夫の正妻に追放され夫とも離婚した私だけど、墓守さまと養女の三人で幸せになりました
「お前を一生愛することも、抱く気も更々ない」
夫とのことでよく覚えているのは、結婚式が終わった初夜、夫婦の寝室で冷たく言われたこの一言だった。
それ以来、夫と共に過ごした日は一日もなく結婚生活なんてものではなかった。
「驚いたわぁ、まさか本当に放置してるなんて。あなたね? 夫――パトリックが言ってた、王都に置いてるだけのお飾り妻ってのは」
ある日、突然邸を訪ねてきた黒髪の女性が私を見るなり、鋭い視線で全身をなめるように見てきた。
波打つ黒髪に紫の瞳、真っ赤な口紅の美人。スラッとした長身にデコルテが大胆に開いたレーシーなドレスは目のやり場に困る。
「確かに私はお飾りの妻ではありますが、それでも書類上はウィンスセント伯爵夫人です。面会の申し入れなくいきなり邸を訪れるなんてマナーがなっておりませんのね。失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「そっちこそマナーがなってないわね。私は今日からここの女主人になるサラよ。伯爵夫人の座は元は私のもの、返してちょうだい」
「……え?」
「やだわ、男爵の出は話も通じないわけ? あなたのお飾り妻としての役割は終わったの。パトリック・チャック・ウィンスセントの正妻はこの私」
そう言ってサラは左手の薬指を見せた。
宝石すらない自分のシンプルな結婚指輪とは違って、夫パトリックの誕生石で彼の瞳の色でもあるペリドットが輝きを放っていた。
私は、なぜか急にこの結婚指輪が恥ずかしくなって、パッと左手を右手で隠した。
「教会から離縁状が届いてるはずよ。さっさと判を捺して出てってちょうだい」
「そ、そんな……! 急に困ります! そうだ、夫は今どちらに……、せめて夫と話をさせて――」
「一年も相手にされなかったあなたと夫が話すわけないわ。それに話したくても無駄よ。だって、パトリックは――すでに墓の中だもの」
「……墓、の中?」
何を言っているの? この女性は。夫が墓の中って……。なぜ目の前の女性は笑っているの?
気丈に振る舞うのよ私。決して舐められちゃだめ。
何か言わなきゃと思うのに、唇が震えて、心臓が痛いくらい音を立てる。
「死んだって言ったほうが早いわね。パトリックは死ぬ前クラッカ・ガベトリとは離婚した、そして私を生涯の妻にしてくれたわ。ああ、今日中に出てってちょうだいね。ここは亡きパトリックがくれた、私のお城なんだから」
「…………」
私、クラッカはただ呆然とした。立ってるのがやっとなくらい、頭の中が真っ白だ。
夫パトリックと私クラッカの結婚は、白い結婚だった。
ウィンスセント伯爵家とガベトリ男爵家という爵位の格差があまりに違う、家の都合で決められた婚姻。
茶髪にペリドットの瞳をした見目麗しいパトリックと、埃被りと言われる灰色の髪に卵色の目の地味な私。絶対恋に落ちることはないし、夫からすれば私のような女は視界にすら入らない対象外なのだ。
評判の悪い第三王子派の伯爵家は少しでも多くの後ろ楯をつけたいために賄賂を渡して力を強め、私の実家である男爵家は高位爵を持つ彼らと繋がりを持ち、いずれは成り上がりたい。利害が一致した二家はお互いの厄介者である私たちを家の道具として結婚させた。
この時代そういった愛のない結婚は珍しくなかったし、低くても貴族の娘としての義務を果たすため、私は十六歳で伯爵家に嫁いだ。
だが、結婚式が終わった初夜。夫となったパトリックから告げられたあの言葉で、私は女性として見てくれないこと、子を成すことができなくなった……つまり義務を果たせなくなったことにショックを受けた。
伯爵夫人として恥じないよう行いにだけは注意しろと、それ以外は私の好きなように過ごせばいいと多額の生活費だけを渡して、夫は仕事があるからと邸を出た。
もちろん、私は妻として何かお手伝いしたいと申し出てはみたけれど、余計なことはするなと激怒され、出すぎた真似をしたとすぐに謝ったが、以来、夫の姿を見たのはそれが最後だった。
それでも私は伯爵夫人となったのだから夫の留守を守るため精一杯務めた。とは言え、社交界は長男夫婦が出席するから出なくていいと言いつけられていた。
なので、私なりに家庭教師を招いて教養を身に付け、今まで興味がなかったメイクにも挑戦し、夫に振る舞えたらと料理を学び、いつか夫が帰ってきた時に「綺麗になったな」と振り向いてくれたら嬉しい、愛されなくてもいつかは……その一心で頑張ってきた。
なのに。なのに夫は一度も帰ってくることなく一年後、約束通り離縁状が届いた。
夫には心から愛する女性がいて、私とは一年経ったら離婚する。両家には内緒の婚前約束で決められていたことだ。
夫が愛する女性……それがきっと、彼女サラなのね。
「ちょっと、なにぼさっと突っ立ってるのよ。荷物をまとめて出てけって言ってるの!」
「……っ!」
サラに肩を勢いよく突かれ、私はよろけた拍子に転び、その場に座り込んでしまった。
……男爵令嬢の時からなにも変わってないじゃない。ここの女主人は、伯爵夫人は私なのに。言い返せない。
「……っとは」
「何?」
「夫は、なぜ亡くなったのですか?」
「病死よ病死。流行り病にかかって薬が手に入らなかったの。田舎ではよくあることだわ」
「……そう、ですか。では最後に夫が眠るお墓の場所を教えていただけます? 正式に離婚しましたよ、と報告してあげたいの」
「教える必要ないわね」
「ただのお墓参りです。何か不都合でもおありなのですか?」
そう聞けばサラはグッと息を飲み、渋々といった感じで住所を教えてくれた。これが嘘だったらここに戻ってきて問い詰めてやるわ。
「……本当にお墓参りだけでしょうね? 余計な真似考えんじゃないわよ」
「ええ。夫もちゃんと離婚できたか気になって、天国にいけていないかもしれませんもの。お伝えしないと」
もうこの邸に住み続ける理由はない。離縁状を出してお墓参りに行きましょう。
結局、夫に振り向いてもらえなかったどころか、夫の死を知ることになるなんて思いもよらなかったけれど。
私はその晩、集めた使用人たちに夫の死と私の離婚を伝え、別れを告げた後、最低限の荷物だけをまとめた。
メイド長に、もし皆に何かあった時のためにと、小切手にかえていた余りの生活費を内密に渡した。聡明な彼女なら後は任せても大丈夫。
たった一年。暖かい家庭を作ることはできなかったけど、それでも充実した日々を過ごせたのは財産だ。特に家庭教師から様々なことを教わったり、メイクも料理もなにもかも、実家にいたら絶対にできないことだったから。
次の日、私は朝一番に教会に離縁状を提出した。夫が亡くなったという確かな証拠がないため、手続きに時間を少しとられたが、なんとか受理された。
そして元夫パトリックが眠っている墓地へと向かう。
サラから聞いた住所は、王都から蒸気機関車で七駅を越えた遠い辺境の町の外れ、貴族たちの別荘地として有名な場所だった。途中で花を買ってみたけど、いらないって思うでしょう。
「ここが、エルダル墓地……。暗い雰囲気をイメージしていたけれど、花に囲まれて手入れまで行き届いていて、綺麗な墓地だわ」
夜になると幽霊やお化けが出ると聞く墓地は、昼間ですら薄暗い場所だと勝手に思っていたが、そうでもないみたい。
「そう言っていただけると、墓地を管理している僕も嬉しいです」
「!」
後ろから声をかけられパッと振り返ると、全身真っ黒の青年が箒を持って立っていた。
神父様かしら?
ネイビーの短髪にアクアマリンの瞳は慈愛に満ちたタレ目、穏やかな雰囲気の美青年だった。
王都では多くの美しい人たちを目にするけど、彼は美しさの中にも儚げさが兼ね備えられていて、不躾ながらもときめいてしまった。
私が青年を見つめていれば、「これは失礼」と小さく会釈をしてきた。そこでハッと我にかえる。
「驚かせてしまいましたね。僕はユリウス・セバンスキード、ここエルダル墓地を管理している墓守です。それにしても、貴女のような美しい少女はこの辺りでは見かけない顔だ。失礼ながら、名前をうかがっても?」
「ぇ、あ。失礼いたしました! 私はクラッカ。その、こちらにパトリック・チャック・ウィンスセント様のお墓があると伺ったものですから」
「もしかして、ウィンスセント伯爵の親族の方でしょうか?」
「親族、と言いますか……元夫でございます」
「……元夫。こんな可憐な少女にまで、なんとも女好きのあの男らしい」
「え?」
「いえ、なんでも。ええ、確かにパトリック・チャック・ウィンスセント伯爵のお墓はここにあります。ご案内しましょう」
ユリウスと名乗った青年は箒を持ち直し、クラッカを先導するように歩き始めた。
私は彼の後ろを追いかけ、綺麗に並ぶ墓の間を縫うように進んでいくと、やがて一基の墓の前で足が止まる。
「ここがウィンスセント伯爵のお墓です」
大理石のプレートに十字架と、ウィンスセント伯爵家の紋章である山羊とリースの装飾が豪華なお墓だった。そして、紛れもないパトリック・チャック・ウィンスセントの名前が刻まれていた。享年は二十三歳。
それにしても、代々の先祖が眠る伯爵家のお墓は王都にあるというのに、なぜここで眠っているのか。理由は分からないが知りたいとも思わなかった。
私は百合の花を手向け、そして結婚指輪を返した。
「あなたが死んだと聞いた時は正直驚きましたし、呆然として頭が真っ白になったけれど、でも涙は流れませんでした。なぜでしょうね、全然寂しいとか悲しいとか沸いてこなくて、むしろバチが当たったのよって心の中で笑ってる自分がいるの」
ぽつり、ぽつりと独り言のように呟く私をユリウスはじっと聞いていた。
「あぁ、無事に私との離婚が成立しましたから喜んでくださいね。あなたの正妻があの邸を継ぎましたわ」
「失礼、正妻とはサラという女性でしょうか?」
「え、えぇ。元夫は私との結婚の前に愛する女性がいると仰っていましたから。……あの、それがどうかされたのですか?」
ユリウスは「そうですね、立ち話もなんですから」と、私を教会の裏手にある彼の邸でお茶を進めた。
元夫のことはもうなんの未練もなく、彼の話を聞いたところで、はいそうですか、で終わるのに。
けれどユリウスのどこか苛立ちを込めた表情が気になったのだ。
「僕一人ですので手狭ですが、どうぞ」
「失礼します。……まぁ、スワッグを飾られているなんておしゃれですのね」
「ありがとうございます。庭で育てている花たちを少しでも長く眺めていたくて、不格好ではありますがね。最近は部屋の浄化を込めてポプリ代わりにしているんですよ」
ユリウスが椅子を引き、座るよう目配せしてくれた。
彼の紳士な所作に私はいけないと分かっていても、女性扱いされて嬉しいという気持ちに満たされる。
トクン、トクン。
火照ってしまう頬と、今まで感じたことのない感情に私はキョロキョロと家の中を見回すことで気にしないようにした。
令嬢として礼儀がなっていないけれど、どうしても落ち着かなかった。
「ハーブティーです。王都からここまで長かったでしょう」
「ありがとうございます。……まぁ、とても良い香り」
温められたハーブティーがテーブルに置かれ、フワッと優しい香りが鼻をくすぐった。
肩の力が抜けた気がして、私は思わずホッと笑みを浮かべてしまう。
「それは良かった。……さきほどの話に戻るのですが」
「はい。サラのことですよね?」
向かいに座るユリウスが小さく頷いた。
「サラはこの町一の美女で"高嶺の華"として有名でした。男が好む容姿、飾らない性格。けれど、彼女は平民である自分が嫌で、よくお金持ちの男を相手にしては、自分の満足のいく者を探していました。そうして二年前のある日出会ったのが、ウィンスセント伯爵だったのです」
「…………」
「伯爵もサラもすぐお互いの虜になりました。伯爵は、彼女のすべてを愛しているだの、体の相性が良いだの、そしていずれ妻として王都の本邸で暮らすのだと、そう言い触らしていましたよ。こんな話を聞かされて、気分が悪いでしょう?」
「いいえ。元々、元夫は女好きで何人もの女性と関係を持ってはトラブルを起こす人だと、お義母様から聞いておりましたから」
「まさに、そのトラブルがサラ本人にも降ってきたのです」
「どういうことですか?」
「……ウィンスセント伯爵との間に子を身ごもり、産んでしまったことです」
私は口につけていたカップを思わず落としそうになった。
元夫とサラの、二人の痴話で動揺なんて絶対するはずなかったのに、指先が冷えていくのを感じた。
「伯爵はかなり喜んでいましたが、その数日後、伯爵が急死した。サラは慌てる様子もなく"愛する夫を私の故郷で眠らせてあげたい"と、私に葬儀を頼んできたのです。もちろん私は、相手は名家の子息だからまずは王都にいるご両親や親族に伝えてからと断ったのですが、王都にはお飾りの妻がいて勘繰られるのも嫌だからと、早く済ましての一点張り。……おかしいと心の中で思いつつも、遺体をそう何日も放ってはおけないので、承諾したのです」
そこで私は邸にやって来たサラを思いだし、違和感を口にした。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私が会ったサラは一人でした。どこにも子供なんて――」
「いなかったのでしょう? そう……サラは生後間もない赤ん坊を、葬儀が終わったその日、私に渡してきたのですから」
「!? 愛する人との子供を捨てたのですか!?」
信じられなかった。まさか、子供ができていたなんて……。
それも愛する人と出来た愛の結晶。私にはそれが許されなかったのに。
抱きたくないと言われたあの日、子を成すことを拒絶され、貴族令嬢に求められる一番の義務を失ったのに。
それでも一人残されたあの邸で、夫に相応しい妻になろうと私が必死に頑張っていた時に、二人は何度も何度も夜を共にして、そうして出来た子を捨てたですって……?
「息子ではなく、娘が生まれたので世継ぎにできないと思ったのでしょう。自分はこれから王都で華々しく生きるのだから、この子がいても邪魔でしかないのだと。まるで、物のように扱うサラは、悪魔だっ」
「……なんて、酷い」
忌々しそうな表情を浮かべるユリウスの話を聞いて、私もはらわたが煮えくり返りそうになった。
今すぐ王都に戻って殴ってやりたい気分だわ。平手打ちじゃ生温い、グーパンよ!
「では、その赤ん坊はどうされたのですか?」
「私が引き取りました。孤児院に託そうとも考えたのですが、こんな辺境では潤沢な運営資金がないと苦しいでしょう。なので、僕が老いて死ぬ時に墓守を継いでもらおうと、子育て経験ゼロの僕なりに、未熟ながら育てています。お会いになりますか?」
「いいのですか?」
「あなたさえ良ければ。でもいいのですか? 僕が言っておきながらなんですが……あなたの元夫と言わば愛人の子です。会ってしまえば嫌な思いを」
「あの二人の子供だろうと、その子に罪はありません。どんな生まれをした子もみな天使ですわ。決して嫌な気持ちにはなりませんが、捨てたサラに対しては憎しみを抱いております」
すると、タイミングよく赤ん坊の泣き声が二階から聞こえた。
「あ、お昼寝から目が覚めたかな」
「ふふっ」
私はユリウスの後ろを歩き、階段を上がって、彼が入っていった部屋へと足を踏み入れる。
小さな寝室、シングルベッドの真ん中で小さな赤ん坊が泣いていた。
ユリウスはベッドに腰をおろし、赤ん坊を抱き上げて優しくあやしはじめた。タレ目の目尻を一層下げた彼の表情は慈悲深く優しい。
あぁ、まただ。また胸がときめきの音で跳ねる。
「よしよし。お腹が空いたのかな? それとも夢から起きてしまった?」
なかなか泣き止まない赤ん坊を左腕に抱え、手招きしてポンポンとベッドを叩いたユリウスの隣に、私はぎこちなく腰を下ろした。
なんだか急に緊張が……!
分からない、分からないけれど今私の心臓バクバク鳴ってます! どうしましょう全然止まらないのですけども!?
「そうだ、抱っこしてみます?」
「え、いや、でもっ……私赤ん坊を抱いたことが」
「僕だって最初はなかったですよ。町の、子を持つ女性たちに助けてもらって今はやっと出来る感じなので。大丈夫」
私はユリウスの言うとおりに、赤ん坊を優しく横抱きした。重みと温かみを感じる腕に、今赤ん坊を抱いているんだと実感する。
まさか自分に子供を抱っこする日が来るなんて、と感動していたらいつの間にか赤ん坊が泣き止んでいた。不思議そうに私を見上げている。
「おや、泣き止んだ。クラッカさんがとても穏やかな人だと分かったのでしょう」
「そ、そうでしょうか? でも……とっても可愛い。ほっぺもプニプニで焼きたてのロールパンみたいです」
「ロールパン……はは、僕もそう思っていました。なので頬をつい指でつついてしまって、泣かれます」
「まぁ」
思わず笑ってしまった私は、目を細めて赤ん坊を見つめた。
元夫と同じ茶髪で、涙でいっぱいの丸い瞳はサラの紫の瞳をしていて、この子は紛れもない二人の子供だと直感した。
「ユリウス様、この子のお名前はなんていうのですか?」
「アマリリス。伯爵が名付けたそうです」
「アマリリスちゃん……、可愛いお名前をいただいたのね」
あの元夫がこんな可愛らしい名前を付けるなんて、よほど嬉しかったのね。
すると、名前を呼ばれたことに気づいたのか、アマリリスが小さな手を伸ばしてキャッキャと笑いだした。
な、なんて尊いのでしょう!
「ふふ、名前を呼ばれて嬉しいのでしょうね」
「初めまして、アマリリスちゃん。私はクラッカと言います」
そうして少しの間アマリリスと戯れ、小さな彼女に癒されていると、はしゃぎ疲れたのか段々と瞼が落ちていき、すぅすぅと私の腕の中で眠ってしまった。
「本当によく眠る子だ」
「でも、寝る子は育つと言いますよ」
「そうですね。そうやってすくすくと育ってほしい、いえ、育てて見せます」
私とユリウスはすやすやと眠るアマリリスの寝顔を眺めた。
そう、まるで家族みたいに――って、ダメダメ。何を考えているの私! まるで家族みたいなんて!!
私は勢いよく頭を横に振った。
アマリリスをベッドに再度寝かし、静かに部屋を後にする。
もう少し一緒にいたかったと思うのは失礼な気がした。
「……あのサラのことです。伯爵の死は病死もしくは事故死とでも、あなたに伝えたでしょう」
「え? え、えぇ。流行り病にかかって薬が手に入らなかったと。……え? あの、まさか」
あんなに可愛い赤ん坊を平気で捨てる女性だもの、私の嫌な予感は的中してしまう。
「流行り病なんてありませんし、伯爵は色んな女性に手を出すほどには元気でした。なので私は自分の墓守としての立場を利用して、サラが町を去ってすぐ伯爵の墓を掘り起こし、遺体の確認をしたのです。腐敗はまだそこまで進んでいなかったので、それの知識に長けた医者に見ていただきました」
ユリウスがそこで言葉を切り、意を決したように私をまっすぐ見据えた。
「伯爵の死は――毒による中毒死。かなりの猛毒を飲まされたのでしょう。喉をかきむしった跡がありました」
私は両手で顔を覆い、その場に座り込んだ。
ユリウスの口から告げられた衝撃的な事実。彼が今さら嘘をついているようにも思えない。
「……どうして? 愛する人と結ばれて、あんなに可愛い子供も生まれて……私が手にできなかった"温かい家庭"を、サラあなたは築けたはずなのに。それを全部壊してまで、サラの求めるものが分からないわ」
サラ本人にしか分からないことを考えても時間の無駄だし、私には関係のないこと。なのに、やっぱり理解ができないでいた。
「すみません、色々と話しすぎましたね」
「いいえ、私はむしろ知れて良かったと思います。未練も執着もありませんが、モヤモヤした部分もあったのでスッキリしました」
「伯爵が貴女の元夫だと聞いた時、教えておきたかった。なぜか知っていてほしい思ったんです」
「王都に居たときから色んな女性に手を出しすぎて、とうとう悪女に捕まって自業自得です。私、一年後に離婚できて良かったわ」
ほんと心からそう思えた。
私の体から憑き物がとれたのか、ここに来るまで重かった感覚が全部落ちたかのように軽くなった。
すると、急にユリウスが指をモジモジし始めた。若干目も泳いでいる。
急にどうしたのでしょう?
「あ、あの、クラッカさん。その……僕から一つ提案があるのですが、聞いていただけませんか?」
「え? ええ。構いませんが」
「僕と一緒にここで、二人でアマリリスを育てませんか?」
「……え?」
それはまさに、まさかの提案だった。
私は驚きから目を瞬かせ、ユリウスを凝視した。
……私がここで彼と子育てを?
一方で、何も言わない私を拒否だと思ったのか、ユリウスが慌てだす。
「あ、いえ! クラッカさんが良ければの話で、嫌なら断ってくださって全然構いません。クラッカさんとなら温かい家庭をと考えたのですが、そうですよね、元夫の子ですしいくらなんでも複雑でしたね。すみません……今の話は忘れて――」
「私まだ何も言っていませんし、嫌なわけでもありません。むしろ一緒に育てたいです!」
「そ、そうですよね嫌でしたよね……って、え?」
「ですから! 私も、ユリウス様と一緒に育てたいです。アマリリスちゃんを娘として。あなたと二人で、愛情いっぱいに大切に育てたい」
私はまだ諦めなくていいの? 子を持って温かい家庭を築きたいという小さな願いを、望んでもいいのかしら。
ユリウスと暮らしたい。一緒にアマリリスを育てたい。彼と家族になって、アマリリスの成長を見たい。そんな気持ちが欲望のようにあふれてくる。
火照った頬をパタパタと冷ます私の手を、ユリウスが優しく包み込んだ。そしてキュッと力を込める。
「もちろんです! 子育てをしつつまずはお互いのことを知って、そしていつか……僕から正式に夫婦になってほしいとプロポーズします、必ず」
「嬉しいです。……ですが、私は元夫と離婚したとはいえ、夫を亡くした未亡人ですよ。そんな私でも?」
「関係ありません。クラッカさん、僕は貴女だから一緒にいたい。貴女が今度こそ心穏やかに過ごせるように、傍にいたいんです」
ユリウスの真剣なアクアマリンの瞳に吸い込まれそうになる。
元夫に愛はなかったけれど、今の私は確かにユリウスに惹かれていた。今日初めて会ったばかりなのに、彼を見た時からキュンって胸がうずいて、ときめきが止まらない。
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。ユリウス様」
「こちらこそ、よろしくお願いします。これからたくさん思い出を作っていきましょう、クラッカさん」
それから三年後。
私とユリウスは恋仲の間も愛を育み、約束通り彼は素敵なプロポーズをしてくれて、晴れて結婚。めでたく夫婦になった。
養女のアマリリスも三歳になり元気いっぱいに育っている。
今では墓地を庭のように走り回り、お墓一基ずつ摘んできたお花を置いたり、ちょっとお転婆さん。最近はユリウスの真似をしてお掃除などにも興味津々のようで。
でもそんなアマリリスが可愛くて私もユリウスも、頬が緩むほどデレデレなのです。
「ママー! ここのおはかはねぇ、おじーたんがでてくりゅんだよ! ほら!!」
「まぁ、そうなのね。私には見えないから恥ずかしがりやさんなのかしら?」
「はじゅかしがりやしゃん!」
アマリリスは霊が見えるのか、お墓の前で座って楽しく話している時があるのだけれど、聞けば"お友達"なんだそうだ。
けれど母の私としては少し心配で、ユリウスにそれとなく相談したら悪霊の類いをはね除ける結界を張ってあるので、大丈夫だと言ってくれた。
「クラッカー、アマリリスー! 雨が降ってきそうだから家に戻ろう」
「大変、今行きますー! アマリリス、雨が降ってくるそうよ。お家に帰って遊びましょう」
「あいっ!!」
教会からユリウスが声を張り上げて私たちを呼ぶ。
私はアマリリスの手を握って、夫に応えた。
教会に近づけば、小走りでやってきたユリウスが、「体を冷やしたらダメじゃないか」と肩にブランケットをかけてくれた。
ちなみにユリウスの敬語は恋人期間中のとっくに外れている。
「ふふ。大丈夫なのに、ありがとう」
「油断は禁物だよ。もう君一人の体じゃないんだから、ねぇアマリリス」
「ねー。アマリリス、おねーたんだもん」
ユリウスの右手と私の左手を握り、アマリリスが真ん中で花のように笑った。
あぁ、なんて……なんて幸せなのかしら。
同じことを思ったのか、ユリウスもタレ目を下げて微笑んでくれた。その微笑みはちょっと反則。
「ユリウス。私を母にしてくれて、温かい家庭を与えてくれて、たくさん幸せにしてくれてありがとう」
「それは僕の台詞だよ、クラッカ。僕の妻に、アマリリスの母になってくれて、君と娘と暮らす毎日が本当に幸せだ。あの日君が墓参りに来なかったら僕たちは出会わなかった。だから、ありがとう」
アマリリスを挟んで見つめ合っていれば、そんな私たちを見上げていた彼女が「あー!」と声をあげた。
「パパとママ、またラブラブしてりゅ! アマリリシュも! アマリリシュもラブラブしゅりゅー!!」
そうして私はユリウス、アマリリスと幸せに暮らしました。
ねぇ、パトリック様。愛する妻サラに毒殺されて、さぞ絶望してるでしょうね。
そんなあなたが眠るこの場所で、私今とっても幸せです。愛する夫と可愛い子供と温かい家庭を築けましたから。
そうそう、私のこと抱きたくないと仰ったことを覚えていますか? そんな私のお腹の中には今、新しい命が宿っていますのよ。
ふふ、自分のお飾り妻だった対象外の女が目の前で幸せに生きているのを、どうぞ墓の中見ていてくださいね。
後悔しても遅いですから。せいぜい指を咥えて悔しがれですわ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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