第三十七話「いってらっしゃい」
ルーカスが目を開けて、起き上がる。
(・・・前も見たっけ? こんな夢)
頭をくしゃくしゃとかきむしりながら
目をしばしばと開いたり、閉じたりして眠い目を強引に開いていく。
夢はすぐに忘れてしまう
意識して日記でも書いていなければ自分がどんな夢を見たかなんて
はっきりとは覚えていないものだ。
しかし、彼は極端に夢を見ない。
眠りに落ちた瞬間、
次に彼が見ていた光景はいつも天井だった。
それが崩れたことはほとんどなく、
そんな自身の体質を
「熟睡できるからいい」としてきた。
だがらこそ、その分、夢を見た時の印象は強く残っているのだ。
(男や女が数人喋ってたっけ? でも内容はわからなかったな
・・・・まあ、いいだろ。別に夢なんてどうでもいいもんだ)
しかし、夢はたかが夢、忘れてもいいから皆忘れる。
そう自分に言い聞かせてルーカスは立ち上がり、襖を開けた。
彼が出たすぐ横に昨日まで来ていた服が新品同然の状態でおいてある。
それを取って自分の部屋に戻り、彼は全身黒色のスーツスタイルに着替えた。
アダムの攻撃でびりびりに破けていたはずの箇所もなぜかふさがっていて、
なにも不足はない。
「これも魔法か?
クラス4ともなると、もはや別の生き物だな」
着心地にいたっては、もらった時より、今の方がいいとすら思えてくる。
黒に紛れ、首の石炭色も目立ちづらく、血管の代わりに手にある黒い管も
一目ではわからないだろう。
それを着て外へ出るルーカスは
またあの大広間に行くと、昨日と同じような食事があり、
二人も先に来ていた。
違うのは二人とも浴衣ではなく、
サラは黒いカーゴパンツにジャケットと白い肌着という格好で、
リリーはパンツスーツという、一昨日の格好に戻っていたことだ。
またお膳もまだ来ておらず、二人は畳の上に座って
喋るでもなく近くでぼけっとしていたが、
ルーカスが近づくとすぐさま彼の方に目を移した。
「おはようございます」
「おはよ」
二人とも元気よく挨拶をしてくる。
「おはよう」
当然ルーカスもそれに返事をして、
彼女らの横に座った。
「・・・・なんか昨日はすいませんでした。」
「別に謝ることないだろ
ユキザクラは生きてんのか?」
「本気でかかったって、今の私じゃあの人に傷一つ付けられないっすよ
あれでいたずら好きってんだから、たちが悪いっすよねえ」
「まあ、そうだな」
そんな風に雑談をしていると、
お膳を宙に浮かせて運ぶ雪桜が部屋の奥から出てきた。
「誰のたちが悪いって?」
「あなた以外に誰がいるんすか」
「ははは、全くはっきり言ってくれるわ」
焼き魚や卵焼き、白飯、みそ汁などなど
定番の朝食といった感じのものが奥から運ばれる。
それをルーカスたちの前に一つずつと
もう一つ置き、彼女がそこの前へと座った。
「そんじゃあ、手合わせて?」
そう皆に声をかける。
「これいるんすか?」
「文句言いな、ウチではこれやるって、先祖代々決まっとんねん」
疑問を呈するサラを制して、雪桜は
「いただきます」
と言った。
全員それに続き
「いただきます」と言う。
そこからは全員黙々と食事を進めていった。
あっさりとした味わいの朝食で、非常に美味であり、重くもない。
量は多いかもしれないがこの世界の人ならばちょうどいいぐらいだろう。
サラには事前にスプーンとフォークが与えられていたが
右手がない分やりづらそうでチラチラとルーカスに視線を飛ばしていた。
「俺が食い終わったらやるよ」
と言われてからは食べるのをやめ、ただずっと彼を待っている。
それを見たルーカスはさっさと朝食を食べ終えて、
餌やりを始めた。
「治癒の魔法とか何とかで治らないのか?」
箸でご飯を運びながらそうサラに問いかけるルーカス。
与えられた食べ物をゆっくり噛んで、ごくんと飲み込み、サラは話しだした。
「それが出来たら苦労しないっすよ
当分は右手使えないかもしれないっすねえ」
すると雪桜がそれに口をはさんだ。
「ウチがやったろか?」
「できるんすか?」
唐突な申し出に驚くサラは
「おお、完治はせんし、すぐ動くかって聞かれたら
微妙やけど、大分ましにはなるんとちゃうん?」
呆れたような顔になって言った。
「それなんで昨日言ってくれないんすか」
「いや、アンタらのそれ見たら水差すんも野暮かなって」
それを言った瞬間、サラからまた敵意が向けられる。
瞳孔が開いて、彼女をまっすぐに見据えた。
それを感じ取った雪桜はすぐに
「ごめんて、それに昨日のウチに魔力なんてほとんど残っとらんかったから
治癒なんて大それたもんやれんかったんや」
と付け足し、弁明を図るとサラは許してくれたらしい。
「そうならそうと言って欲しいっす」
「んで、今やんの?」
その問いかけに対してサラは即答するかと思いきや
少しうなりながら考えだした。
「ああ、ううん、いや、この後で大丈夫っす。」
「なんや、やっぱりそういうことやんけ」
「あ、あなたが食べ終わるのを待ってあげてるんすよ!!」
そんなこんなで四人は食事を終えた。
「はい、手を合わせて」
「「「「ごちそうさまでした」」」」
四人がそろってそう言い、雪桜はお膳を浮かせた。
「ちょっと待っとき」
そう言って彼女はお膳たちと共に奥へと戻っていく。
すると、
「すぐに出るんじゃないの?」
そうリリーがサラに問う。
それに呆れた顔でサラが答えた。
「ホントにリリーは、食事中何にも聞いてないんすね」
「ごめん」
「私の腕に治癒をかけてもらうんすよ」
「・・・・大丈夫なの?」
リリーが神妙な面持ちでそう彼女に言った。
「どういうことっすか?」
それに不思議に思い、問い返すとリリーは同じように彼女へ答えた。
「あの人の魔力量で治癒なんてしたら多分一日中動けない」
その予想外の返答にサラは動揺を隠せなかった。
雪桜があんなに気軽に言うものだから
きっと魔力が整えばそこまでの労力ではないのだろうと
勝手に思い込んでいたからだ。
「・・・それって本当なんすか?」
「うん。」
そんな話をしているとまた雪桜が割り込みながら
大広間へと戻ってきた。
「なんやあ、ウチの話か?」
「あ、ユキザクラさん、やっぱり、治癒はいいです」
反射的にそう言ってしまうが、
雪桜は不思議そうな顔をする。
「なんやうちじゃ不服か?」
「いや、そういうわけでは」
少し悲しそうな顔をする雪桜は
慌てて訂正しようとするサラを遮って
笑顔で語り始めた。
「ええねん。別の今日も特に予定あるわけやないし、
若を救った恩人の一人を治癒して一日寝込んでたって言って怒るほど、
海守組の頭は固ないし、恩知らずじゃありまへん」
「・・・お坊ちゃんを助けたとはいえ、
これからあなた方が動くならそれで私たちは対等じゃないんすか?」
そうやって食い下がってくるサラに
呆れた顔を見せながら
少し悲しそうな顔をして、
雪桜はまた話をつづけた。
「なんや、やったるいうてんねんから、文句言わへんの。
確かにクラス4もピンキリで、ウチはキリの方や
上はほんまに天才どころか、それこそ天災と見紛うような奴もおる。
おたくの坊ちゃんがそうやろ?」
「・・・ええ、そうっすね」
「それに比べたら確かにウチは大したことないし、
最後まではでけへん。
やけど、やれることはしてあげたいんや
あかんか?」
哀愁の漂う笑顔でそう言われてしまうと
サラも引き下がらざるを得ない。
「・・いえ、ありがたく受け取ります。」
その言葉を聞いて、明るい笑顔を浮かべた雪桜は
「そうや、そうや、もらえるもんは貰っとき」
サラの右手に優しく触れ、目を閉じた。
彼女の頭にミクロのレベルの光景が現れる。
筋肉の一筋、一滴の血液、骨の分子一つ一つ
それらを魔力で把握し、操作していく。
余りに気の遠くなる作業は雪桜の頭を熱くしていき、今にも火が吹き出そうで
額にはダラダラと脂汗が流れている。
一方、サラの腕からうっすらと薄緑色の光が出ていた。
少し暖かいその光が腕の中で薄っすらと発光し、
きっと治癒の魔法が作用しているのだろうと周りにも理解させてくれる。
その光景が数分続いた後、雪桜は膝から力なく崩れ落ち、光は消えた。
「はあ、はあ、ホンマに疲れるなあ」
まるでフルマラソンを完走した後のような疲れ方で
大量の汗に荒い呼吸、上下する肩と、赤く染まる頬をしながら
へなへなと地面にへたり込み、少しも動かない。
「ま、まあ、全治三か月を、はぁー、
二週間ぐらいには出来たんとちゃう?」
サラは右手を少し動かしてみると
確かに楽になったような気はした。
動かしても少しだけ痛くない。
「・・・・・」
「どうや? いけそうか?」
「・・・・ええ、ありがとうございます。」
「そうかあ、じゃあ、ごめんやけどお見送りはできそうにないから」
口元をほころばせて優しく笑うサラに向かって
雪桜は石を取り出した。
「これで我慢してな」
寝ころびながら彼女はそれをこすり
カチカチと音を鳴らして、不格好ながらも
見送りの挨拶をする。
「いってらっしゃい」
その言葉を聞いて、
「いってきます」
そう言って三人は屋敷を出ていった。




