第十八話「腹が減っては戦はできぬ」
あれから三日たった昼、
事務所の上の階にある部屋で
ルーカスは半裸で、汗をダラダラ流しながら、ずっと虚空を殴り続けていた。
そして、その横では袖のない黒い、厚めのインナーを着た
リリーがずっとそれをじっくりと観察していた。
その腕には筋張った筋肉が浮き上がっていて
いくつもの傷跡がのぞいている。
「・・・違う」
そうリリーがぼそりとつぶやき
「はあ、はあ
え!? どれが?・・・・」
「もう一回見てて」
そう言って彼女は綺麗な右ストレートを見せた。
そうやって指導する彼女は、いつもより少しだけ口数が多く、厳しい。
だが、自分の特技を自慢する子供のように無邪気で、いつもより心を開いているように彼は感じた。
その彼女の動きをルーカスは真似をしようとするが、
彼女からすれば違うらしい。
「ちゃんと引いた手を元あった位置に戻す」
そうやって直しては何回か繰り返し、
「う~ん・・・・」
とリリーがまた考え込む。
こんなやり取りをかれこれ、二時間ほど続けていて、ルーカスの体はもう汗だくだった。
(いつまでやるんだ・・・これ・・・)
魔導銃の扱いは
「もう大丈夫っす」と
サラには言われた。言われてしまった。
そのせいで、リリーによる徒手格闘訓練の時間が長くなってしまったのだ。
ずっと気が遠くなるほど、同じ
右ストレートの動きをし続けていた。
「はあ、はあ・・・・なあ」
「ん? 何?」
「そんな、すぐに、はあ、
できるもんじゃないんじゃないか?」
「それはそう
でもやらないとできない」
「まあ、そりゃ、そうだよな」
(軍人らしいっちゃらしいか、こういうのも・・・よく知らんが)
前線にいない間は適度に訓練してゆっくりする。
何かそう言うのは軍人らしいのではないか
そう彼の頭によぎる。
何やらそう言う光景が頭にふっと浮かび上がる。
そうやってぼやぼやしてると
「・・・・・・」
リリーの目線が鋭くなった。
「はい、すいません」
そう言って彼はまた空中へ拳を向ける。
彼の体は前のように化け物の体をしているわけでない。
今度は少しもあの変身をしてはならないと言われたのだ。
(あれは敵意や攻撃の意志があるだけで簡単に変身できるから
しないのは逆に難しいんだよな)
そうやって変身しないように気を付け、ながら
右拳を前に突き出す。
その訓練はあと一時間続いた。
「はあ、はあ」
(腕がもう上がらん)
壁にもたれかかって座り込んだルーカスの
息は軽く上がり、腕は完全に疲れて
上がらなくなっている。
そんなルーカスにリリーは
「ルーカスは結構うまい」
といつもの平淡な口調で言った。
「そうか? 結構注意されたと思うが」
「大体は合ってる。
だからもうちょっとで、それなりにちゃんとなる。」
「へえ、そうかい」
「体の使い方はうまいよ。」
「ありがと」
そんな時に、
ドアの向こう側から足音が聞こえる。
その足音の主が近づき、サラが部屋へと入ってきた。
「リリー、ルーカスさん、仕事っすよお
おお、結構頑張ってるみたいっすね」
前と同じようなタイトスカートにジャケットを羽織った
格好のサラが両手にパンパンに膨れ上がったリュックサックのようなものを
引きずって彼らの方へ近づいてきた。
「ああ」
ルーカスはそう言い、リリーは頭を縦に振っている。
「それは良かったす。
それで、うちに仕事っすよ。
明日にはここを出るんで、今から準備します
いいっすね?」
「仕事っていうのは?」
「第三地区の、調査?密偵?みたいなもんっすね」
第三地区とは、この国唯一の海に面した地域だ
外国と唯一関りがあるところでもあり、
商業が盛んで、第四地区の昔ながらの金持ちよりも
成り上がりの商売人や小金持ちが多い場所
サラは指を二つ立てて話し始める。
「やることは二つ
まずは現地にいるウチの協力者たちと接触し
現状の確認をすることと彼らのうち数人を此方に運ぶこと、
そして、二つ目は海守組との連絡とその手段回復っす」
「海守組?」
「海守組知らないっすか?」
「ああ」
(何だそのヤクザみたいな)
「海守組っていうのは第三地区付近に昔からある自警組織っす。
何でもこの国ができる前からあるとかないとか
ともかく歴史も古くて、力も影響力もあり、しかも地域に根付いてる組織っす。」
(ヤクザっぽいなあ)
「そことうちに何の関係があるんだ」
「そこの代表、ええと、会長でしたっけ・・」
(やっぱ、ヤクザじゃん)
「そこの会長は元々うちらについて、協力すると確約してました。
そして、計画通りならその連絡が来て、現地に行ったうちの兵士たちと
共にこちらに来るはずだったんすが」
「それが来てないから見て来いってことか?」
「そういうことっす」
ルーカスは座り込むのをやめて立ち上がる。
「で、準備ってのは何すればいいんだ?」
「まあ、そんな大それたものじゃないっす
いくのは私ら三人だけなんで」
ルーカスの不安げな視線がサラに突き刺さるが
「・・・・・・三人で大丈夫なのか?」
「今回のは人数かけてやることじゃないっすから」
サラはまったく気にしていないらしい。
「これに色々入ってるんで、
それの内容の確認とか必要なもんがあったら言って欲しいっす。
後、装備はあの黒箱で運びますんで」
リュックをくいくいと持ち上げ、床に置き、
「じゃあ、よろしくっす」
そう言ってリリーは事務所に戻っていった。
二人でおかれたリュックに近寄り、各々開けた。
(ガンズウェポン?)
そのロゴの入ったリュックを開けると
中には様々なものが入っていた。
携帯食料、水筒、今リリーが着ているような黒い丈夫そうな服
分厚いズボン、各地方の地図に方位磁針、救急セット、手袋などなど
様々なものが入っていた。
中にはよくわからない物も入っていたが、
ともかく大量の物がリュックサックに詰められていた。
(まあ、この体になってから偉く怪力になったから
重いとは感じないが、それでも、これ運んで移動か・・・)
中を確認するが、ルーカスには何が足りないのかもよくわからないので
そのまま元に戻した。
リリーも中身を確認しただけでそのまま部屋の隅に置いた。
「ねえ」
リリーがルーカスに話しかける。
「ご飯、どうする?」
「え?」
「ご飯行こ」
「・・ああ、わかった」
サラに渡された財布と金、
それをもって、町へと出る。
彼が持っていた財布は変身した時にズボン事
形を変え、中身も使い物にならなくなっていたのだ。
二人で並んで歩く。
(リリーの距離感がいまいちわからん)
ルーカスはリリーにあまりよく思われていないと思っていた。
変身状態で戦った後、彼女に言った言葉や
彼女が戦いで相手の生死も気遣っていること
それとルーカスがやったことは反対に近い。
そして、それに対する罪悪感のようなものはないに等しかった。
(俺は、リリーには嫌われてると思ってたんだが)
そんな彼の心配など気にしていないのか
奥底ではそう思っているのか、
ともかく二人で飲食店に入り、向かい合って昼食を食べる。
リリーの食事量は尋常ではない。
この世界の人々は元々大食らいだ。
だが、リリーはそれも超越するほど食べる。
食べたいとかではなく、食べないともたないらしく、
ここに来るまで元気がなかったのは、空腹もあったのかもしれない。
テーブルに並ぶ料理、それを片っ端から食していく。
やっすい労働者向けの食堂で馬鹿みたいに食べる。
(クラス4ってのは燃費悪いのかね)
そういうルーカスもあれから食事量は増え、相当な量を食べている。
だが、リリーの前では霞んでしまう。
(うわあ、鳥一匹なくなってる・・・)
見ていない間に鳥の丸焼きが綺麗な骨に変わり
彼女は別の食事にかぶりついていた。
二日前ぐらいからサラは
事務所で連絡を受けたり、誰かと話したりと
やることが多くなり、ルーカスとリリーは訓練もあって必然的に一緒にいる時間が多くなった。
そして、なぜかルーカスの方に財布が渡され、
「外で食べさせといて欲しいっす」
とリリーを連れていくよう頼まれた。
(犬の散歩かよ)
と思ったものの、連れて行くとすぐに理解できた。
(こんなアホみたいに食うリリーに財布預けたら大変なことになるな
だからといって俺に預けるのもちょっと違う気はするが)
リリーの食事が終わり、会計を済ませる。
店員の顔は明らかにびっくりしていたが、
幸いここの食堂を経営するおばちゃんは優しいので、
前言った少しハイクラスなレストランみたいに
白い目で見られることはなかった。
(すげえ額だったな)
二人で事務所に帰る道中、
財布の中身を確認するとほとんどない。
(採掘場時代なら、一週間は贅沢できた額なんだが・・・)
そんなことを思いながら二人で歩き、事務所に帰る。
門番的な兵士たちに一礼されながら
そこへ入るとVIPになった気がした。
「お帰りっす」
サラは事務所の椅子に座り、コーヒーらしきものを飲み、
一服していた。
「すまん、その財布が」
「ああ、もうなくなっちゃいました?
ホント、リリーの食欲はすごいっすねえ」
「ごめん」
「いや、いいすんよ、リリーの戦闘力はウチの要っす。
それにうちらの資金源は太いんで」
そう言ってサラは金庫から金を出す。
中に詰められた札束をポンと渡してくる。
「・・・・・」
「ん? どうしたんすか?」
「・・・・これって新参者がやることじゃない気がするんだが」
「別に、新参も古参もないっすよ
やれる人に任せてるだけっす。」
「・・・そうか」
「ふふ、ルーカスさんは意外と細かいこと気にしますね」
ルーカスは札を受け取り、財布に詰める。
「そんで、何か足りない物とかありましたか?」
「なかったと思う」
リリーも頭を振る。
「じゃあ、明日に備えて休んどいてください」
二人はまた上の階へ上がる。
さっきと違うのは
何もない部屋でただ座り込んでじっとしているということだ。
(なんかこうしてると・・・・いや、やめろ、思い返すな)
不思議そうに彼の方を見るリリー
つい最近まであったものを思い返してしまうルーカス
二人は無言の空間でゆっくりとする。
違うのはそれが彼にとって気まずいということだ。




