ピリカの光史郎観察譚
私は天使学校ではあまり優秀な方じゃなくて、よく補習を受けさせられていた。
元々勉強が嫌いというわけではないし、むしろ勉強を頑張りたいと思っていた。
でも努力しても成果が出ない勉強に打ち込むのは苦痛だった。
そんな私が補習の時間を楽しみにするようになった理由が、ハルライト先生の存在だった。
先生は補習の時間によく人間の話をしてくれて、人間は報われなくても諦めずに努力を続けられる生き物だと教えてくれた。
私はその話に影響を受けて勉強を頑張ろうと思ったし、先生の話を聞くのが楽しみで補習に行くのも億劫では無くなった。
だから人間に関れる天使局の人間管理課で働けることが決まったときは嬉しかった。
そこで色んな人間の活動を観察して、時にはサポートをして地上を安定させることにやりがいを感じていた。
でも理想と現実のギャップもあって、人間の全員が先生が話していたような強い意志を持っていたわけではなく、逃避や妥協をして生きる人間も確認できた。
とはいえそんな人たちも何かしら努力を積んで生きていたので、私の人間に対する思い入れは変わらなかった。
ある日私はミスティーチャン様から直々に転生する人間の監督とサポートという業務を承り、人間に直接関われることが嬉しかった。
これまでの仕事では人間から私の姿は見えず、天使魔法でも人間に直接使うことは禁止されていて、物や自然エネルギーに魔法を施して間接的にサポートしなければならなかった。
今回は転生する人間という事でその人間からは天使が見え、会話することもできるらしく、私は人間と対面できることに期待を膨らませ、担当する方の人生を充実したものにしようと誓った。
でも私は光史郎さんに会って多くの違和感を覚えた。
初めて会った時には、私が話しかけても返事がほとんどなく、目線も安定しないで明後日の方向を見ていた。
この時私は天使という未知の存在に困惑しているのかな程度に思っていた。
私が地上での生活について説明しているときにも目を見て話すことは殆どなく、仕事について説明しているときには私の話をちゃんと聞いてくれず、私が寝ずに作った本を受け取った時にお礼も言ってもらえなくて悲しかった。
その後も観察を続けて分かったけど、光史郎さんがお礼や謝罪の言葉を口にしていたのを一度も見たことがない。
そして私がこの時に一番驚いたのは光史郎さんの魔力の弱さだった。
光史郎さんの魔力の強さは転生前の知力を元に継承されているはずだから、普通であればこの世界の大人程度の魔力を持っているはずだった。
でも光史郎さんの魔力は4歳程度の子供並みでこの人はこれまでどうやって生きてきたのか想像するのが怖くなった。
本人は魔法を使えたことに興奮してやる気になっていたから、それを指摘してやる気を失われるのが一番まずいと判断して黙っていたけど、それが大きな誤りだった。
それからは魔法に興味を向けてくれたのは良かったけど、現状の魔力では魔法を使う仕事の選択肢は限られるのでアドバイスをしたのに完全に聞き流された挙句、邪魔者扱いまでされた。
そのあたりから私は光史郎さんの前に姿を現すことをやめて、この人について理解するために観察に徹することにした。
そこからの光史郎さんの行動は理解し難いものばかりだった。
お金が尽きそうになるまで魔法の練習に取り組んでいた光史郎さんがようやく仕事を始めたかと思ったら、まさかの私が何度も最初は勧めないと説明した討伐系のものを選んでいた。
説明をしているときに分かってくれているのか気になっていたけど、分かっていなかったらしい。
この段階の光史郎さんの魔力は6歳程度の子供並みで、確かにこの成長には少し驚いたけど、それでも年齢に対して能力は大きく劣っている。
この村には10歳程度の子供もいて、日常で魔法を使っている場面を見ることは少なくない。
例えば、火魔法を木に纏わせて遊んだり、水魔法を打ち合って遊んだりしてる姿が確認できる。
それを見ていれば自分の魔法が10歳程度の子供に大きく劣っていることに気づけるはずなのに、光史郎さんは周囲に全く目を向けることが出来ていなかった。
その結果、討伐で仲間の足を引っ張り助けられることになった。
ここまでは光史郎さんの現状を見ていたら想像がついたけど、私が驚いたのはこの後だった。
討伐系の仕事でのミスは場合によっては命の危険もある。
そんな状況を自分が引き起こしたにも関わらず謝罪の一言も無く、子供のようにムスッとした態度を取っていたのは、管理者の方にも指摘されていたが私もゾッとした。
多分本人は自分の異常性に気づけていないのだと思う。
ただ、これをそのまま本人に伝えても良い方向に進まないように感じてもう少し光史郎さんについて観察を続けることにした。
その後の光史郎さんの言動も30歳の人間のものとは思えないくらいグロテスクな内容だった。
次はどうするのだろうかと見ていると……何もしなくなった。
以前は魔法の練習に打ち込んでいたのに、討伐仕事のミス以来全く手を付けなくなって、私の本はほったらかされて埃を被っていた……。
何もしなくなってしばらくするとお金が尽き、そのタイミングで次の仕事を探しに動いた。
そこで光史郎さんが選んだ仕事は魔術石製造で、魔術石という鉱石に魔法を込めることが仕事内容になる。
この仕事は光史郎さんの魔力でも足りるし、数日間の契約だから私は少し安心した。
しかし光史郎さんはこの仕事でもミスをする。
ミスをするだけならまだ良かったが、ミスを隠したせいで最終的にはその仕事をクビになった。
ミスの理由は魔力不足ではなく、光史郎さんの怠慢によるものだった。
この仕事は簡単な魔法しか扱わないので、労働者は無詠唱でも魔法を込めることが出来る。
最初は誰もが詠唱をして魔法を覚えるが魔力と自然エネルギーの融合の感覚や理論を掴めると無詠唱でも魔法を使えるようになる。
幼い子供は計算をするときに指を使って数えるが、成長したら頭の中で処理できるようになるのと同じ感じだと思う。
周りの様子に気づいた光史郎さんは何度も辺りを見回していた、そして無詠唱で魔法を込めようとしていた。
当然今の光史郎さんに無詠唱魔法は使えず大量の不良品を出してしまった。
数日後作った魔術石の検品を行ったときにそれは見つかり、原因が光史郎さんであることもすぐに判明した。
討伐の一件から推察すると多分光史郎さんは、自分の魔法のレベルが低いことを周囲に悟られたくないんだと思う。
だから周りが無詠唱で魔法を込めているのを見て、見栄を張って無詠唱で魔法を込めようとしたんだと私は仮定した。
ただ私は光史郎さんの気持ちも少し分かる、私だってみんなが解ける問題を解けない時恥ずかしい気持ちになった。
とはいえ、恥を回避するために光史郎さんはリスクを負い過ぎだし、人に迷惑をかけ過ぎだと思う。
不良品を出したことを怒られたが、ここでも当然光史郎さんから謝罪の言葉が出ることはなかった。
この辺りから光史郎さんの奇行に驚くことがなくなってきて、私は淡々と光史郎さんについて考察を深めていった。
その後炭鉱や門番の仕事をしていたが、自分本位な動機でミスと迷惑を積み重ねていった。
当然謝罪はしないし、ミスを処理してもらった感謝の言葉もない。
私はこれまでの期間光史郎さんを見て、魔力以前の問題も多く抱えていると結論付けた。
魔力はもちろんだけど、習慣や考え方から変えていかないとこの人はこの階級ですら生きていけないと思う。
光史郎さんは私の知っている人間とは明らかに異質な存在に映ったが、それでも私はハルライト先生の言葉を信じたい。
「人間は叶わない目標にも諦めず挑み続ける強さを持った生き物だよ。」
幸い光史郎さんも上の階級に生まれたいという目標を持っている。
だから私は光史郎さんがその目標を達成できるように力を尽くして、先生の言葉を証明したい。
そのために私は再び光史郎さんの前に現れた。
「おい、この無能! 俺はお前がいないせいで辛い思いをたくさんしたんだぞ! 魔法だってお前の本じゃ全然……。」
光史郎さんからの第一声はこれだった。
直接攻撃的な言葉をぶつけられたのは始めてだったけど、むしろこれまでで一番この人の内面を感じられた。
「私は恩師に人間は諦めない素晴らしい生き物だと教わって、人間に関れる仕事をしたいと思っていました。働き始めてからは全員がそういう訳ではないという事も知りました。それでも皆さん何かしらの努力を積んで生きていました。」
私は今、この人が何年も目を背け続けたものに手を掛けようとしているのだと思う。
光史郎さんの顔が引きつるのが分かる。
「私はこれまでずっとあなたのことを見てきました。そしてあなたが抱える問題についても分かるようになりました。」
私は私から見た『吉野光史郎』について語り始めた。