第三章 転結
起承転結の転結部分の話なので、長めです。人間関係が少し複雑です。
これで完結します。
残酷シーンがあります。苦手な方はお避け下さい!
一応ハッピーエンドです!
父が家を出て行った一月後、私はジャレットではなく彼の兄である従兄のハンクスと結婚しました。
もちろん婚姻届を役所に提出しただけです。今後も式や披露宴を行うつもりはありません。
式をしても招待客など誰も来ない事がわかりきっていたからです。
学院の卒業パーティーで婚約者のアンソニー様と婚約破棄してジャレットと結婚すると宣言しておきながら、実際はその兄のハンクスと結婚したのです。こんなスキャンダラスな話はありません。
私はもう一生社交界には出られないでしょう。
身から出た錆なので仕方ないと思っていますが、私のせいで巻き込まれた父やアンソニー様や夫のハンクスには申し訳なくてたまりません。
しかし、ジャレットとは兄妹だったせいで結婚できないというのなら、その兄のハンクスとも兄妹なのだから、結婚出来ないじゃないかと思う人もいるでしょう。
でも、ハンクスは義伯父の兄の子供で、義伯父夫婦の実の子供ではなかったのです。つまりハンクスとジャレットは本当は従兄弟なのです。
そして私の血縁上の父親は義伯父ですから、ハンクスは私とも従兄妹同士だったのです。
ハンクスの両親でハイネル前伯爵は、一人息子がまだ幼い頃に馬車の事故で二人とも亡くなったのだそうです。彼の赤くて綺麗な髪はお母様譲りだったようです。
元々伯爵位はハンクスのもので、彼が成人するまで伯父が仮の当主になっていただけのようです。私はそんな事すら知りませんでした。
だからこそ伯母はジャレットを私と結婚させて侯爵家の当主にしたかったのでしょう。自分の生んだ息子はジャレットだけでしたから。
しかし、侯爵位なんていらないからと、互いの両親の反対を押し切って結婚したはずなのに、何故そんなにも息子に爵位を与えたかったのでしょうか…
そして伯母と熱烈な恋をして結婚したはずなのに、それからわずか数年で何故あの男は妻の妹にまで手を出したのでしょうか?
それとも誘惑したのは私の母の方だったのでしょうか? 父も整った顔をした立派な風采の男性でしたが、母は中性的な美青年だった義伯父の方が好みだったのかも知れません。
今となってはわかりませんが恐らく合意の上だったのでしょう。二人の態度から察すると。
ああ。私は父の子ではなく、母が自分の姉の夫と浮気をして作った汚れた子供だったのです。
確かに私は父にどこも似ていませんでした。しかし、私は母親に瓜二つだったので、父の子ではないなんて一度も疑った事はありませんでした。
だからあんな酷い言葉を平気で父に投げつけたのです。
裏切り者の妻と瓜二つの不義の娘を、自分の子として男手一つで愛情を注いで育てた挙げ句に、その娘から嫌いだ、出て行けと言われた父の気持ちを思うと、私はいたたまれなくて死にたくなります。
でも、そんな激しいショックを受けたにも関わらず、何かストンと腑に落ちるものもありました。
父からあんなに愛され大事に育てられたのに、素直にその愛情を受け入れられず、こんなに愚かな人間になったのも、きっと清廉潔白で素晴らしい人格者だった父の血が、私には一滴も入っていなかったからなのでしょう。
そして汚れたレイヴィン侯爵家と更に薄汚れたハイネル伯爵家の血が混ざり合ったからこそ、こんな私になったに違いありません。
いいえ、血や人のせいにしてはいけませんよね。
同じハイネル伯爵家の血を引き、しかもレイヴィン侯爵家出身の伯母に育てられたというのに、夫のハンクスは自分を厳しく律する事の出来る立派な人間ですから。
それに比べて、私とジャレットはただお互いを甘やかし合う事で、面倒な事や嫌な事、やるべき大切な事から逃げていただけの怠け者でした。
そしてそれは自分のためにも相手のためにもならない事だったのです。
私の事を本当に考えてくれていたのは、心を鬼にして厳しく接してくれていた父や使用人、元婚約者のアンソニー、そしてシルヴァだったのです。今更気付いても遅いのですが……
私とジャレットは兄妹だったので、当然結婚は出来ませんでした。
しかし伯母は実家を無くすわけにはいかないと、ハイネル伯爵家の跡取りであるハンクスを無理矢理に私と結婚させてレイヴィン侯爵家を継がせました。
何と、伯母は義理の息子のハンクスを脅したのです。
伯爵位をジャレットに譲って私と結婚しなければ、真実をばらして全員をスキャンダルに巻き込み、お前を騎士団に居られなくしてやると・・・
こうして次男のジャレットが伯爵家を継ぎました。
そしてその際、伯母はジャレットをハンクスの元婚約者と結婚させようとしましたが、当然相手から断られました。
自分達の都合で勝手に結婚相手を替えようとするなんて、なんてふざけているのだと、私も心から伯母を軽蔑しました。
とは言え、自分だって同じ事をしたくせにと、自嘲的に笑うしか出来なかったのですが。
それにしても何故こんな人間の言葉を真に受け、ずっと踊らされていたのでしょうか。それだけが未だにわかりません。
私とジャレットが兄妹だったという事実は、私と父、そして伯母一家しか知らない事です。
しかし、ただの従兄妹だとしても私とジャレットの不適切な関係を知っていたその元婚約者は、口止め料を含む莫大な慰謝料を請求してきました。
伯母は強欲女と罵っていましたが、私は当然の事だと思いました。強欲女…その言葉をそのまま伯母にお返ししたいと私は思いました。
卒業パーティーの件もあって、私だけでなくジャレットの評判も地に落ちていたので、いくら彼が美青年だろうと伯爵家の当主だろうと、良い結婚相手は見つかりませんでした。
そもそもジャレットは怠け者でしたから、政府どころか役所にも採用されず、兄ハンクスのように真面目に鍛錬もしていなかったので騎士団にも入れなかったのですから。
それ故にジャレットは領地経営に専念する事になったのですが、勉強も真面目にしてこなかったので、経営は上手くいっていないようです。
元々ハイネル伯爵家は人を大切にしてこなかったので、父の元で働いていたような優秀な執事や使用人もいなかったので助けてくれる者もいないようですし。
その上頼みの綱のはずの元伯爵は、息子に伯爵位を譲渡して間もなく、妻にナイフで切りつけられて寝たきりになり、息子の役には立てなくなりました。
そしてこの事は、心の病と診断された伯母が行った事だからと秘密裏に処理され、伯母が公に罪を問われる事はありませんでした。
もっとも外とは厳重に隔離された病院に強制入院させられましたが。しかもジャレットの意向で義伯父と伯母は夫婦病棟に押し込まれたそうです。
二人が今何を思い、どう暮らしているのかはわかりませんし、わかりたくもありません。
ささやかな復讐を果たしたジャレットですが、彼を助けてくれる人は未だになく、四苦八苦しているようです。
そして私はというと、ハンクスと結婚したといっても、それは白い結婚でした。それは当然でしょう。
深い関係にまではいっていなかったとはいえ、自分の義弟とその手前の行為までしていた女なんか、穢らわしくて抱く気になんかならないでしょう。
しかも長らく婚約していた女性と無理矢理別れさせられ、しかも継ぐべき生家ではなく、母親の実家の婿養子にさせられたのですから、彼の怒りはいかほどでしょうか。私を憎むのも無理はありません。
その上、彼の上司のお嫁さんであるシルヴァ様を、衆人環視の前で晒し者にした無礼な女を妻としたのですから、職場ではさぞかし居心地が悪い事でしょう。
夫にはただ申し訳なくて、自分の愚かさを悔いるばかりです。
私が父親の言う通りに素直に婚約者のアンソニー様と結婚していたら、こんな事にはならなかったのですから。
元々口数の少なかった夫は、結婚してからますます口を利かなくなりました。
しかしある日のこと、夫のハンクスが帰宅早々珍しく私に話があると言ってきました。そして夕食も取らずに彼は書斎へ向かったので、私も慌ててその後を追いました。
書斎のソファに二人で腰を下ろすと、彼は私にこう言いました。
「今日、辺境地への異動の辞令が下りた」
私はそれを聞いて驚いて目を大きく見開きました。辺境地・・・卒業パーティーから三年経った今頃になって、シルヴァ様のし返しが始まったのでしょうか。
シルヴァ様は学院卒業後にネルリア王女殿下の侍女になりました。そして王女殿下が隣国の王太子殿下の元に嫁がれた後、婚約者だったエルマー様と結婚なさいました。それはちょうど半年ほど前の事です。
その際私は心からのお祝いと、再びお詫びの手紙を書き、卒業後に練習し直した刺繍を美しく刺したハンカチーフを、ちょっとした贈り物と一緒に贈らせて頂きました。
しかし、それが却ってシルヴァ様の癇に障られたのでしょうか。
余計な事をしてしまった。シルヴァ様にも夫にも……
私は何の罪もない夫に申し訳なくて真っ青になりました。
すると夫はこう言葉を続けました。
「辺境地へ赴任したら、領地経営の方が難しくなるだろうから、当主としてはこのお話は断るべきなのだろう。
しかし、辞令を断われば私は騎士団には居づらくなる。
だが、私は騎士の仕事に誇りを持っている。だからどうあっても騎士団を辞めたくはないのだ。
だから申し訳ないが、君に領地の経営を頼めないだろうか。結婚してからずっと君は領地経営の勉強をしながら、私の手伝いもしてくれていた。大変かもしれないが今の君ならやれない事はないと思う。どうだろうか?」
「皆様、あちらへはお一人で行かれるのですか?」
「いや、家族持ちは家族で行く者がほとんどだ。しかし、独身寮もあるからそこへ入れてもらえるように頼んで見るつもりだ」
「どうか私も一緒に連れて行って下さい。私をお嫌いなのは十分わかっていますが、不便で辺鄙な辺境の地に旦那様だけを行かせるわけにはいきませんわ。
この三年、私は料理も掃除洗濯もなんとかこなせるようになってきました。貴方の身の回りのお世話も何とか出来ると思います。決してご迷惑をおかけしません。
それに既婚者の貴方に独身寮に入って頂きたくはありません」
夫は私の言葉が意外だったのか、驚いた顔をしました。
「領地とこの屋敷はどうするのだ?」
「昔この屋敷で働いていた執事と侍女長が、後進に道を譲るために最近父の伯爵家を勇退したと聞きました。
あの執事でしたらずっと領地の経営をしてくれていましたし、あの侍女長ならこの屋敷の使用人を私よりも厳しく鍛え、纏めてくれると思います」
「お前を嫌って出て行った者達だぞ。戻ってきてくれるとはとても思えないけどね」
「断られても何度でも頭を下げて、誠心誠意お願いしてみます。
それでも駄目だったら、屋敷は一旦閉じて、領地の方は国にお返しします。
いい加減な方に頼むより、その方が領民の皆さんに迷惑をかけなくてすみますから」
私がこう言うと、夫は絶句しました。そして間をおいてから徐にこう聞いてきました。
「お前はこの家よりも私を取るというのか? 義父や義母はもう私達には口出しは出来ない。
だからお前はもう、お前に冷たくする夫などとは離縁して、新しい男と結婚してこの家を守ってもいいんだぞ」
「旦那様が私を嫌って冷たくするのは当然の事ですわ。それだけの事を私はしたのですから。
でもそんな悪女でも私は貴方の妻ですから、貴方が一番大切にしている騎士のお仕事を、私も一番大切にしたいと思っています。
ですからどうぞその辞令をお受けになって下さい。そして私も連れて行って下さい。貴方の足手まといには決してなりませんから」
私がこう懇願すると、夫は深い息を吐いてからこう言いました。
「あまりにも理不尽な事ばかり起きたので、私はずいぶんと長らく混乱していた。そのせいで自分の心を整理する事が出来ずに、お前に辛く当たって悪かった。
私も頭ではお前のせいじゃないんだって事はわかっていたんだ。
これは私の義両親と亡くなった義叔母であるお前の母親が悪いんだって事を。そしてお前は、寧ろ最大の被害者なんだって事を……」
「いいえ、私は被害者なんかじゃありませんわ。
だって父も使用人も従兄だった貴方もみんな私を心配してくれていたのに、あんな人達の甘い蜜に引き寄せられて、騙されてしまったのは私自身のせいなんだもの。
でもね、私が旦那様と結婚した直後にシルヴァ様がお手紙をくださったの。
人は変われるものだって。間違ってもそれに気付いたならまたやり直せばいいって。
だから、私、もう一度自分の人生をやり直したいの。
私に大切なのはこの家でも地位でもないの。唯一の家族である貴方なの。貴方がいれば、私は一兵卒の妻でもいいの」
私が本心からこう言うと、夫は初めて私を抱き締めながら、耳元でこう囁いてくれました。
「君の気持ちは嬉しい。でも残念だけど、君は一兵卒の妻にはなれないよ。辺境地騎士団副隊長の妻にはなれるけど……」
そうです。
騎士団長のダンガン伯爵様は私情で動くような方ではありませんでした。ちゃんと夫の仕事ぶりを見てその能力を買って下さっていたのです。
とはいえ、夫を辺境地に辞令を出したのは、かわいい嫁であるシルヴァ様のお願いもあったからなのだそうですが。
『私の大切な友人は、たった一度の過ちのせいで、王都の社交場に出られなくなりました。
ですから暫くの間だけでも、新しい土地で新しい人々と新しい人間関係を構築が出来るような場所に友人を連れて行ってくれませんかと……』
シルヴァ様の思いやりが嬉しくて私は泣いてしまいました。辺境地へ移動になった夫には大変申し訳ないのですが。
それから二週間後、私は鞄に最後の荷物である古い絵本を三冊詰め込みました。それは幼い頃に父が私のために読み聞かせてくれた絵本でした。
私は昨日、これと同じ新しい絵本を三冊、ローゼンメイデ伯爵家に送りました。
父はレイヴィン侯爵家を出て、新しくローゼンメイデ伯爵家を興して、私の元婚約者のアンソニー様を養子にしました。
アンソニー様はさすが父が見込んだだけあって、今では政府の大きな役職に就いて活躍なさっているそうです。
そしてそれから父は戦争未亡人だった女性と再婚しました。
今二人の間には二歳になった男の子がいて、その子が最近少し言葉がわかるようになってきたのです。
私は父に、実の息子にも私と同じ絵本の読み聞かせをしてもらいたくて、その本を贈ったのです。
私は今、まるで親子ほど年の離れた弟に『ねぇね… ねぇね…』と呼ばれています。恥ずかしくて身悶えしそうですが、本当に本当に可愛くてたまりません。
いつか私に子供が出来たら、弟はきっとその子をかわいがり、愛し、そして厳しさを持って接してくれる事でしょう。もちろん父と義母も・・・・
それから領地とこの屋敷も父の口添えもあって、結果的に希望通りの人達に任せる事ができたので安心です。
あの日父親がこの家を出て行ってしまった事で、私はようやく父親や夫、そして友人の愛に気付く事が出来ました……
そして今度は私自身がこの家を離れ、辺境の地へ行って暮らす事で、きっと新しい人々と出合い、新しい事を知るのでしょう。愛する夫と共に・・・
「昨日パパに怒られちゃった。それで頭にきたから言ってやったの。
私はこの家の娘だけど、パパは婿養子でしょ。なんで私を叱るのよ。うざいわ!って……」
これは学生時代、目の前を歩いていた、ミッションスクールに通う女子高生が話していた会話です。
おいおい、婿だろうがなんだろうが、父親が働いてくれているからこそ、学費の高い学校に通えているんだろ!と呆れました。
私の父親は昔、
「誰のおかげで生活出来ていると思っているんだ!」
といつもモラハラ発言をしていましが、この女子高生も、私の父親と同じモラハラ娘なんじゃないかと思ってしまった。
そしてなぜかこの何気ない女子高生の会話が頭に残っていたので、それを元にこのお話を作ってみました。
読んで下さってありがとうございました!