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シガツココノカ

作者: 名無し

今日4月9日で私、桜庭さくらば 陽向ひなたは20歳になった。

4月9日はきっと私にとって、私たち家族にとって一生忘れられない日。忘れてはいけない日になった。




20〇〇年4月9日

建設業で働いてる父、看護師をしている母。

そんな2人の長女として私は生まれた。

それはそれは両親からも祖父母からも可愛がってもらった。


そしていつしか3年が経って、妹 葵衣あおいが生まれた。

昔は喧嘩ばかりしていたらしいけど今では超がつくほど仲良い姉妹だ。

ごく普通の4人家族。これが普通。当たり前。


でもある日、父が糖尿病になった。これは多分私が小学生高学年の頃。

小学生の私は大人しい性格。良くも悪くも目立たない性格だった。

父の糖尿病は、遺伝性で父方の方は糖尿病になっている人が多かった。

言ってしまえば、仕方の無いもの。治るわけでは無いけれど軽いうちは薬を飲む以外のことは何もない。


そして私が中学生になる頃には、病気が進行し、父はインスリンという注射をしないといけなくなった。

タバコもお酒も辞めなかった父。きっと仕方の無いことだったんだと思う。

中学生の私は委員会の委員長をやったり、花開いたかのように少しずつ活発になっていった。

母は、糖尿病関係が専門の看護師という事もあり、父がタバコやお酒を辞めないのを見兼ねて喧嘩する日も少なくはなかった。


そして私が16の時、父が トウセキ することになった。

"トウセキ" 聞いたことの無い言葉。「へえ、そうなんだ」くらいとしか思えなかった。今は時代の進歩もあり、必ずという訳では無いが糖尿病の人が透析を始めるということ、それは余命宣告された様なもの。

母いわく、平均して10年らしい。

幼いながらに、26歳までに孫を見せてあげたい そう思った。

そしてその辺から将来への執着が無くなった。

高校3年生になるまでは保育士になりたくて地元の大学に行くつもりでいた。

でも高3の夏休み直前、担任の先生に「進学辞めて、就職にする」と大幅な進路変更をした。

優秀と言われていた私がいきなり就職する宣言をしたから、色んな先生に「優秀な桜庭さんがどうして就職?」と何度も聞かれた。

正直そういうのにもうんざりしてしまった。成績も悪くはなくて部長をしていたり生徒会長を務めていたり。

先生受けはよかったからある程度は甘かった。

そういうのにも疲れてしまったんだと思う。

就職する事を母に言うと「進学させてあげられなくてごめんね」と言う。

桜庭家は決して裕福な家庭ではなかった。

母と病気で余命宣告されていて冬には収入がほとんどない父、私が高校卒業と同時に高校に入学する看護師になるという夢がある妹。

母は頑張っている。私は長女。家族のために、と子供らしくない考えばかりする私は、色々と考え抜いた結果地元で就職するという答えにたどり着いた。


18の春。社会人1年生になった。

就職しても半年しか続かなかった。

でも次の職はすぐに見つかった。見つけないといけないと思った。

これ以上家族に心配をかけられない長女のプレッシャー。そんなものないのに、勝手に背負いすぎていたもの。

今思えばあほらしい、そんなもの。

2社目の仕事は午後に出勤して日付変わる前後に退勤という少し特殊な仕事だった。


4月9日 19歳の誕生日

仕事中にたまたま携帯を見たら、妹からのLINEが来ていた。

「お父さんが病院に運ばれた。今救急車の中。」

頭が真っ白になった。父が糖尿病になってから運ばれるのはきっと何回かあった。だからいつものようにLINEを返した。

「大丈夫そうなの?」妹からの返事はいつもとは違った。

「わからない。仕事抜けれそう?」仕事を抜けないといけないと思ったら、何故か手が震えてLINEの返信がやっとになってきた。

「わかった。キリのいいところで抜けさせてもらうね」

とだけLINEを返して、上司に事情を説明し、上がらせてもらった。

病院に着くと、お医者さんからの話があると言われ、母と私と妹の3人で診察室に入った。

妙に重たい空気だった。何となく察してしまった。

「脳出血です。手術しても意識がかえる事もありますが、反応してくれることは無いと思います。進行が早いので手術しないと手遅れになります。」と言われた。

何故か妙に冷静で、「ああ。手術しないと死ぬんだ」とあっさりそう理解出来た。

手術したとしても植物状態。しなかったら死。

19歳で人の、自分の親の生死の決断をすることになるとは思わなかった。

もう十分頑張った父にこれ以上の頑張りを求めるつもりにはなれなかった。

母と私と妹、相談しなくても決断は同じだった。

「手術しない」

それがどういう選択なのかもわかっていた。

診察室から出ると父のいる集中治療室に案内された。

たくさんの管に繋がれた父。初めて目にするものばかりで混乱して涙が溢れた。

そんな父、見たくはなかった。

孫も見せられなかった。振袖姿ですら見せてあげられなかった。

管に繋がれた父の手を握ることしか出来なかった。

4月9日午後11時過ぎ 父は私たち3人に見守られながら帰らぬ人となってしまった。


きっと同い年の子達と比べれば父との仲も良い方ではあったと思う。

だからそこ、ありがとう とかそういう言葉を言えずにいた。父の日とか誕生日とか今年こそはと気合いを入れていた。

でも叶わぬ願いとなってしまった。


あとから母に聞いた話によると、私の振袖のためにと仕事のない冬にバイトを掛け持ちして頑張っていてくれたらしい。

一人暮らしをしている私を心配して、電話をくれたこともあった。

孫が出来たら、色んなものを買ってあげられるようにと少しずつ母とお金を貯めようとしてくれていたらしい。


そういうのを聞く度に涙が溢れて、伝わらない、届かない ありがとう と ごめんね が沢山出てくる。


2月に2人でランチしたこと、今でも忘れない。


手術しないという選択をしてしまったこと、怒ってないですか? 反抗期はあったけど家に二人きりの時にした部活の顧問の愚痴とか色んな話今でも覚えてます。

いつか子供が出来たら、パパとママみたいな親になって子供を幸せにしてあげたいです。パパとママが親でよかった。空から見守っていてください。


4月9日 きっとこの日の出来事はずっと忘れられないもの、忘れてはいけないものになった。

命の選択。正しいかどうかきっといつまで経ってもわかるはずないけど、でも自分が決めた方がきっと正しい方。そう思って、一日一日を大切に生きて行けたら。

この短編小説を読んでくれた方の中にもきっと、後悔しているものがある方がいると思います。

私も未だに正解がわかりません。

でも、選んだ方が正しいと思えるように一日一日を大切に生きていこうと思います。

私の初小説、まだまだな部分が多数ですが

読んで頂き、ありがとうございました。


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