譲り愛
時代考証とか細かい事はあまり気にせず、割り箸より軽い気持ちでお読み下さい。
虎吉と孝丸、ムツの三人は物心つくかつかないかの頃からの友人であった。
虎吉は貧しい農家の出で、学こそ無いものの大家族の長男として良く働き、真面目で腕っぷしも強かった。
孝丸は町でそれなりに繁盛している商家の次男坊で、身体は弱いが思慮深く聡明な子供であった。
ムツは町で一番大きい土倉の一人娘で、特別美人という訳ではなかったが、優しく朗らかな娘であった。
幼い内は毎日のように三人で遊び回ったり、虎吉の家業を三人で手伝って泥まみれになったり──
棒切れを振り回して剣術の真似事をしたり、孝丸の指南で文字の読み書きを覚えたり──
とにかく飽きもせずにいつも三人で過ごしていた。
「俺はいつか戦に出て武功を上げる。強くなって、父ちゃんや母ちゃん、弟達を楽させてやるんだ!」
「虎吉なら出来るさ。俺は……そうだなぁ。大切な人達と笑って暮らせればそれで良い」
「私は二人とこれからもずっとずっと仲良しでいたいな。大人になっても、ずーっとね!」
明日も明後日もその先も──
誰一人として変わらずにいられると信じていた。
しかしその関係も成長するに従い、じわりじわりと変わっていく。
虎吉は農民の出でありながら何度となく戦場に赴くようになり、着実に腕と名を上げていった。
数合わせの足軽から始まり、顔を覚えられる程の兵になり、勲功を与えられ、更に名を上げ──
田畑を駆け回っていた元気な少年は、剣の腕一つでのし上がった、一端の将となったのだ。
さて孝丸はというと、次男故に家業は継げなかったものの、ある商売相手にその才知を見込まれて養子に出された。
小姓として働く事となった彼はその内に右筆を任されるようになり、更に別の将に引き抜かれるまでに至る。
読み書きを得意とする賢い少年は、人当たりの良さを遺憾なく発揮した、世渡り上手な家臣となったのだ。
そしてムツは三人で会うことが叶わなくなった後も変わらず、ひたすらに二人の身を案じていた。
澄み渡る晴れの日も、冷たく降りしきる雨の日も、毎日願うのは二人の無事である。
──痛い思いはしていないか。
──辛い思いはしていないか。
──死ぬような目にはあっていないか。
時折虎吉が顔を見せに訪れればムツの心は懐かしさと喜びで満ち足りる。
時折届く孝丸からの文は心の支えであり、ムツの心を何度となく温める。
嫁入り話が上がるようになっても、ムツは頑として首を縦に振る事はなく、三人での再会を夢見ていた。
だがその夢は中々叶わない。
ある年、虎吉は屋敷を建てた。
いい加減に嫁も娶れとからかわれた彼の頭に浮かぶのはムツの笑顔である。
しかし貧しい農民上がりの引け目が残る虎吉には、親兄弟を養いながら彼女を幸せに出来る自信が無かった。
この先、更に上を目指すのであれば剣の腕だけでは無理もある。
何より大切な友人である孝丸の秘めたる想いを邪魔したくなかったのだ。
一方、時期を同じくして孝丸にも婚姻の話が舞い込んでいた。
上を目指すのであれば政略結婚は当然の流れであったが、孝丸の心にはムツ以外の女が入る余地はない。
だがこの時の孝丸は、まだ誰にも言えない秘密を抱えていた。
半年程前より、彼の身体は重い病に蝕まれていたのだ。
患った不自由な身ではムツを幸せに出来る筈もない。
だが希望はあった。
大切な友人である虎吉ならばきっとムツを幸せにしてくれる──と。
彼もまた、虎吉の秘めたる想いに気付いていたのだ。
こうして二人はそれぞれムツに対し、それとなく互いを薦める動きを見せ始めた。
それがムツを悲しませる行為だと知りながら──
ムツはムツなりに各々の立場を理解してはいたが、変わりゆく関係の予感を嘆かずにはいられなかった。
女手一つで家業をやり繰りする度量など無く、このまま行かず後家になる訳にもいかない。
それでも彼女がいつまでも答えを出せずにいたのは、「三人の友情」の終わりを自らの口で切り出す事が憚られたからである。
自身がどちらを「一人の男として」好いているかを口にしたが最後、もう二度と無垢な頃の三人には戻れなくなってしまうのだ、と。
それぞれがままならない思いを燻らせている間にも世は動く。
ある時期から虎吉が仕える大名に分の悪い噂が流れ始めた。
同時に、孝丸の仕える将が旗色の良い近国の大名の元に付いた、という噂も。
このままではまずいかもしれない──
これ以上孝丸に気を使わせる訳にもいかない──
焦った虎吉は膠着状態となっていた三人の関係を、自らが得意とする一番槍となって壊す事にした。
寒い寒い、年の瀬が迫る頃の事だった。
「なんという事だ! 虎吉が嫁を取っただと!?」
いくつもの中継を経てようやく届いた文に、孝丸は希望が潰えた事を知る。
文面には虎吉が隣国の将の娘と政略結婚した旨が記されていた。
桜の蕾がちらほらと開き始めた頃だった。
「虎吉は真っ直ぐな男だ。妻がいる以上、妾をとるような真似はしないだろう」
本来ならば目出度い筈の報せだが、孝丸の胸中は祝う気持ちよりも「先手を打たれた」という悔しさの方が大きかった。
ムツを幸せに出来るのは虎吉しかいない──
しかし虎吉が駄目となると、果たして他の男にムツを任せられるのか──
答えは否だった。
孝丸は不自由な体に鞭を打ち、ムツの元を訪れた。
そして同様の報せを受けていた彼女に自らの思いの丈を全て包み隠さず伝えたのだ。
ずっと想い慕っていた事。
同じ想いを秘めていた虎吉に遠慮していた事。
恐らく虎吉はムツの為に身を引いたのであろう事。
自分は重い病に冒され、先が長くない事。
それでも虎吉以外の男にムツを渡したくない事まで──
「断ってくれても構わない。俺と共に生きるとするならば、苦労するのは間違いないだろう。……だが、それでも構わないと言ってくれるなら、残された短い生をムツの為に使うと誓おう」
黙って聞いていたムツは僅かに震える細い手を握りしめ、ほろりと一つ涙を流して何度も頷いたのだった。
「一緒に生きる事を苦労なんて思わない。短い生だなんて言わせない。私は、私は孝丸に最期まで添い遂げる」
涙の意味ははたして孝丸の真摯な想いを知った喜びなのか、彼の病を知った悲しみなのか、虎吉の婚姻を悲しんだからなのか、他に想う男が居たからなのか──
孝丸は終ぞ聞く事は出来なかった。
それからの流れは実に早いものである。
孝丸の身体の事もあり、婚儀はあっという間に行われ、二人はめでたく夫婦となった。
二人が虎吉へ報せを出した所、短い祝いの言葉一つだけの返事が届いた。
この頃にもなると虎吉と孝丸、それぞれが仕える主君の道は完全に違うものとなっていたのだから仕方ない。
孝丸とムツが夫婦となって季節が一巡りした頃。
孝丸の病状は相当に悪化の一途を辿っており、滅多な事では主君にも呼ばれ無くなっていた。
それでもこれまでの功績の甲斐もあり、与えられた小さな城に住み続けられているのは不幸中の幸いといえる。
ムツは内助の功として懸命に孝丸を支え、傍に在り続けた。
さてこの頃、情勢は大きく変わっていた。
大雨による水害に流行り病と度重なる不幸が続き、虎吉と孝丸、それぞれの仕える大名の勢力図が逆転してしまったのだ。
この展開に誰よりも焦ったのは虎吉である。
「何という事だ! このままでは孝丸とムツが危ないかもしれん」
戦が近いという話も上がっており、虎吉は頭を抱えた。
「しかし、孝丸は情に厚い男だ。戦局が悪いからといって主君を変えるような真似はしないだろう」
そしてムツも。
ムツはきっと最期まで孝丸に付いていく筈である。
締め付けられるような胸の痛みに目を瞑り、虎吉は戦にならない事だけを祈った。
しかし彼の祈りは届かず、無情にも事態は最悪な展開へと転がっていく。
半年後、両国間で大きな戦が始まってしまったのだ。
孝丸達の城はさほど重要ではない立地にあるものの、油断は出来ない。
痩せ細った身体を起こし、あらん限りの情報を集めて今後の策を練る夫の姿に、ムツはハラハラとするばかりである。
──もし私が男だったら、孝丸の代わりに戦うのに。
──もし私が強ければ、孝丸を、皆を守れるのに。
終わりの見えない不安な日々が続く。
しかし終わりとは突然に訪れるものである。
「起きろ! 敵襲だ!」
生憎雲に隠れて見えないが、本来なら星がまだ瞬いているような、夜もまだ明けぬ時分の事だった。
「そんな、何故いきなりここに!? ここよりも先に狙われそうな所はいくらでもあるでしょうに!」
「分からん! だが、このままでは……」
城の内外から数多くの雄叫びと悲鳴、金属音や轟音が聞こえてくる。
兵は元々農民ばかりで手練れといえる者は殆んどいない。
戦闘というよりも虐殺に近い行為が行われているのだろう。
孝丸とムツが奥の部屋に逃げ込めば、孝丸の側近の一人が険しい顔で部屋の戸を閉めきり、周囲を警戒する。
奥女中二人は蒼白になって震えながらムツの横で身を寄せ合うだけだ。
もはやこれまでと悟り、孝丸は人目も憚らずムツの両肩を抱き寄せた。
「ムツ、すまない。こうなっては俺の命一つでどうにかなるものではないだろう」
「謝らないで。最期まで共に生きられて……その上貴方を一人にさせずに済むんだもの。私は果報者です」
その場にいた全員が涙を流して感謝の言葉を伝え合う。
その間にも激しい怒号が迫って来ている。
時間がない。
側近が目元を拭いながら掠れた声をかける。
「お二人共、私もすぐ参ります」
「いや、お前達は今まで良くやってくれた。私の首を持って降伏せよ。運が良ければ命だけは助かるやもしれん」
「なりません。もはや私共はお二人のお顔を隠す事も出来ぬ無能です。せめて供をさせて下さい」
全員が覚悟を決める。
奥女中と共に自刃するムツを見届け、孝丸も刃を身に当てた。
「すまぬ、ムツ。すまぬ」
ムツはあぁ言っていたが、本当に心から幸せであったと言えるのだろうか──
結局子を為す事もできず、苦労ばかりかけてしまった──
こんな事なら想いを告げずに無理やりにでも他の男の元へ嫁がせていれば、まだマシな人生を送らせてやれたかもしれない──
孝丸は押し寄せる後悔ごと殺すように、その身に刃を突き立てた。
介錯を引き受けた側近の悲痛な叫びが響き渡る。
「仲睦まじい」と家臣達から評判だった二人にしては凄絶過ぎる最期であった。
その後、皮肉な程に雲が晴れて明けの明星が輝く頃。
虎吉は「城主とその妻、側近一人と侍女二人の亡骸を見付けた」という報告を受けて深く絶望した。
泣く事は許されない。
それ所か彼は今、項垂れる事すら許されない状況にあった。
「いやはや、かつての友すら討ちに出られるとは、貴方の忠義心は立派ですな」
「…………」
分かっていて煽っているのだろう。
ニタニタと厭らしい笑みを浮かべる男を無視して、虎吉は燃え上がる小さな城を見つめ続けた。
この男は「虎吉と孝丸が密約を交わしているのでは」などと言い出した挙げ句、此度の夜襲を提案した張本人である。
出来る事ならばこの場で斬り捨ててやりたい──
もしそうしたならば、虎吉はまず間違いなくすぐにでも友の元へと逝く事になるだろう。
しかしそれを実行するには、虎吉は守るべきものが増え過ぎていた。
愛は無くとも情はある妻。
まだ幼い子供達。
まだまだ息災な両親。
与えられたばかりの城と仕える臣下達。
慕ってくれる民。
「俺は疲れた。少し休ませて貰う」
憮然とした態度で踵を返す虎吉に、男は満足そうな笑い声を上げたのだった。
戦場の熱気はまだ当分冷めそうにない。
もし自分の心に素直になってムツに想いを告げていたら、何かが違っただろうか──
自分の選択は間違っていたのだろうか──
ぐいと目頭を押さえ、虎吉は大切な友人達の名を呟く。
遠い山の向こうに三羽の鳥が飛んでいった。
<了>
<後書き>
最後までお読み頂きありがとうございます。
「いやこの時代は恋愛結婚の方が珍しいし無理があるだろ」
とか
「出世の仕方に無理があるし、そもそも女のムツに選ぶ権利なんて最初から以下略」
とか色々突っ込み所はあると思いますが、どうか軽い気持ちで流して下さい。
以下、補足↓↓
・登場人物は全員架空の人物です。
実在する武将とかではありません。
・作中では明記してませんでしたが、孝丸は(その年齢にしては)結構出世しています。
それは虎吉も同じでしたが、彼は孝丸を討った(正確には自害まで追い込んだ)事で、上から更に評価される事となります。
・ムツの本心は不明のままです。
ムツと作者との秘密とさせて下さい。
・ラストの遠くに飛んでった三羽の鳥は三人の心を示唆しています。
おそらく虎吉はこの時に自らの心を殺して(捨てて?)生きていく事を決意したのでしょう。
以上、補足という名の蛇足でした。
ここまでお付き合い下さり誠にありがとうございました!
<追記>
誤字報告もありがとうございました!