7 出題編 弁護士
弁護士・波戸絡子の行動記録
2332年11月23日午前9時01分
「当該事件の被疑者たちは、すでにこちらの法的拘束力の及ばないバトルワールドへと逃亡を果たしています。先々週の、不染井女史が起こした騒動を模倣している――というわけです」モニタの中、櫛引検事はそう切り出した。「ゆえに今回、その身柄確保にあたって『先駆者』であり『経験者』である不染井女史の協力を仰ぐのが道理と心得まして、お出まし願いました」
「なるほど」私はそう受けてから、「それで、私には何を?」と単刀直入に尋ねた。
「同じく『経験者』である波戸先生には、捜査へのご協力をお願いしたいと」検事はすぐに言った。
前回、殺人事件の容疑が掛けられバトル世界へと逃亡した『不染井女史』こと『サクラ』の、無実を証明したのは私だ。
前代未聞、被告人不在のまま起訴が為され、始まった公判――その法廷で、私は担当弁護人として、いくばくかの『言葉を発した』わけだから、たしかに『経験者』には違いないか。
けれど――
「協力もなにも、被疑者を捕まえて【エイリアス】に掛ければ済む話では?」私は返す。
どんな事件か知らないが、バトル世界へと逃げた被疑者たちを捕まえて、『被験者の記憶を参照することで真偽を判定する、決して間違ないウソ発見器』――【エイリアス】に掛ければ、あっけなく犯人は判明するはずだ。
「釈迦に説法だと思いますが――」検事は洋画の日本語吹替のように、時折、ため息に声を混ぜるようにして喋った。「我々の仕事は人ひとりの人生を左右する繊細なものです。あらゆる可能性を勘案しなくてはなりません」
「可能性」
そう私がオウム返しにすると、検事は「ええ」と頷く。「たとえば、不染井女史が最後に送ってきた被疑者が【エイリアス】を無意味化する『記憶欠損者』――すなわちグレイだったら、いかがでしょう? もちろん、他が全員シロだったとして、です。その場合我々は、この判定不能なグレイを、短絡的かつ無反省にクロだと判断してしまって構わないものでしょうか?」
「それは公判を担当する裁判官ならびに裁判員の皆さまが決めることでは?」
「貴女が担当弁護人だとしたら?」
私は黙った。
実際は『口ごもった』という表現が我ながら適切だと思うが『いや、今、私は、うかつに相手の問いに答えない、という極めて弁護士的な態度を実践しているだけだ』と自己暗示みたいに思い込むことにした。
果たしてそんな虚勢を見透かして、この検事はどんな底意地の悪い言葉を投げかけるのだろうか、ああ言ってきたらこういうふうに返してやろうとひそかに頭の中でシミュレーションしていると、予想に反してモニタに映った彼は破顔した。そして、まるで孫娘を見るような屈託のない笑顔で、こう続けた。
「ね、ゴネるでしょう?」
その表情がチャーミングに見えたから――ではないが、素直に調査を引き受けることにした。
そもそも捜査に官憲ではない第三者の視点を入れることによって事件を多角的に捉え、万難排して公判に臨みたい、という、かの検事の姿勢、心掛けは極めて殊勝なものだとひそかに感心していたし、さらに言えば、そこには前回と同じ轍を踏まないような用心深さ、自己批判の精神も認められた――なんて偉そうなことを言ってみたが、まあ、なにしろ、ヒマな身だ。
面白そうだ――と、柄にもキャラにもなく、興味を惹かれていたのだ。
もしかしたらサクラが確保するよりも先に、私が『理屈』で犯人を見つけることが出来るかもしれない、なんて。
あるいは【エイリアス】対策を施し、判定に絶対の自信をもつ犯人の鼻を明かす、というような夢想。
それが叶ったら、ちょっと面白そうだ、と。
妄想の中の私は、すでにラストシーンにいる。
警視庁の通路だ。
バトル世界でサクラに討たれて現実世界へ強制帰還、そこで官憲に確保され、【エイリアス】判定を受けるために連行されてきた犯人が、対面から歩いてくる。
その余裕綽々の鼻先に、私は指を突きつけ、こう言ってやるのだ。
「アナタが【エイリアス】の対策をしてきたかどうかに1ピコの興味がないし、それが功を奏してグレイや、ひょっとしたらシロをもらうかもしれません。ですが犯人はアナタです」みたいな。「機械は騙せても、論理は騙せません」みたいな。
……まあ、本番までに推敲は必要だが、こんな感じだろう。方向性は定まった。
問題は、それができる場面をつくれるか否か……、いやいや、というか、そんなふうに【エイリアス】を騙す方法があるのか、かなり怪しいところだけれど。
ただ、『競争相手』がサクラだけ、というのも、なんだかもったいないと思って、またしても『貴方』を復元してしまった。
今も私の脳内に駐屯し、自動筆記型の日記である『行動記録』を読んでくれているはずだ。
もちろん、私に課せられた任務を漏れのないものにするため――つまり、前回同様『保険』という意味合いが大半ではあるが、単純に競いたい、という気持ちもある。
『貴方』にも借りがある。
ん? なるほど、借りか……。
期せず、自ら用いた『借り』という言葉の妙味を噛みしめていると、モニタの検事が「それと――」と声を掛けてきた。何を隠そう、まだ通話中だった。「今回、弁護士である波戸先生に調査を依頼することによって、先に行なわれた我々官憲の捜査が適切なものであったか、そこに不備はなかったか、その第三者視点での確認――言わば監査的な役割を充足させる狙いもあるのですが、それとは別に、貴女なら、私のごくごく個人的な興味由来の疑問……、『果たして【エイリアス】が無かったとしても本件は解決をみたのか?』という命題に正しい解答を与えてくれるだろうと――実は、そんなことも願っての人選なのですよ」
「私が『人類代表』で良いのですか?」そう尋ねると――
「24世紀の――でしょう?」この検事は『貴方』の存在を知っている。「ですが『単体』でも、少なくとも私なぞより――いや、私の知る誰よりも、この手の案件をこなす適性があるだろうと信じているのです」
褒められているかどうか怪しいところだが、なんとなく嬉しくなってしまうのは、現代人の性質だろうか。それでつい――
「ちなみに『結果、やっぱり【エイリアス】は必要でした』という答えが検事のお望みですか?」などと、まるで21世紀のドラマに出てくる登場人物のような賢しげなことを訊いてしまった。
「どちらでも」検事は軽く笑った。対照的にあちらは自然な素振りだった。「貴女がもたらす解答がどちらだったとしても、こちらの願望に合わせることができます。それが政治というものです」
政治、ね。
ヒト対ヒト間で生じる『権力』が存在しない現世では、『政治』とはヒト相手ではなく、この世界の神である【TEN】に向けられる。
果たして、かの検事が真に望むのは『たとえ【エイリアス】を適切に使用しても、犯人が特定できない犯罪』であるような気がする。
相変わらずそんなものの具体像は想像もつかないが、これ以上ヒトにどんな『権力』が与えられれば、それら問題を解消できるのだろうか。
「死者復活かな?」私は口に出してみる。
『貴方』は無反応だ。
そもそもそんなものがあったら殺人は起きなくなる……、いや、むしろ、頻発するのだろうか?
検事との通話後、そんな益体もない空想をしていると、オレンジ色の光――エフェクトをまき散らして【プロペ】が立ち上がる。『貴方』の時代でいうところの『スマホ』や『PC』みたいなものだ。下敷きのような薄い板状だが、空間投影ではなく、この世界に充満している擬似原子こと【マシン】が集積し、形成したものなので、触れれば感触はある。というか厳密には、衣食住を含め、人の要求に応じ、【マシン】で形成された『役割を持ったもの』の総称が【プロペ】なのだが、2332年の日本では【プロペ】と言えば、前述のとおり、デバイス風画面に限定して呼称される場合が多い。
さて、【プロペ】は、『貴方』の居た21世紀で言うところの、テレビ電話への応答を要求してきた。
後輩弁護士の『井出ちゃん』こと、井出悠香からの通信だった。
※注意 次の出題編は10話です。