6 ■読み飛ばし可■ VS力士(後編)
満身創痍の相手に対し、力士は、それでも用心深く、まずは摺り足でにじり寄ってくる。
一方の不染井は、足が痺れ、首の辺りまで全身、力が入らず、感覚が遠いが、けれど心地よくて堪らない。
このゲーム世界では『痛み』はそれを打ち消すほどの『快感』に転化される。
吐血の代わりに、喘ぎ声がこぼれた。
それがブラフや誘い水ではない、と見た力士が一気呵成に突進しようとしたところ――
動きが止まる。
対面、不染井の右手に、白とピンク色にカラーリングされたガンブレードが出現していた。
その剣先は、力士に向けられていたが、すぐに不染井はフィッシュテール。
プロペラ形状となった刃をお手玉のように宙に飛ばす。
刃がつくるグラデーションが美しい。
「フェイクだ」力士は、つまらぬことを、と言いたげな声色だった。
たしかに『自分の得物のフェイク』は戦闘機能のない、パフォーマンス用の単なる『飾り』であるから、いついかなるときも生成可能だ。
けれど、外形だけではなく、質感――たとえば『手で触れて破壊した感覚』すら完璧に再現されているため、ホンモノと見分けることは難しい。
不染井は落ちてきたガンブレードを手首で受け取ると、次の瞬間、ライフルのように構え、力士の鼻先に向けた。
ブレードの柄は傘の取っ手のように曲がっていて、『光弾放出可能状態』を示す蛍光パープルに輝くトリガーも出現していた。いわゆる『ライフル状態』になっていた――が、すぐにフィッシュテールで刃を遊ばせる。お手玉のように飛ばす。
力士は何も言わず睨んでいる。
合宿初日の顔合わせの際、不染井は、ガンブレードで奪った『生命エネルギィのようなもの』は5秒以内に『放出』か『吸収』するかの処理をしなくては刃が『暴発』してしまう、と説明した。この『5秒以内』というのは正確には『のべ秒数』で、たとえばその前の戦闘で『生命エネルギィのようなもの』を刃に取り込みはしたものの、それを使用せずにガンブレードを仕舞った場合、『暴発』のカウントダウンは次に生成するまで中断する。だから、これまでのすべてが不染井の『演技』だとしたら、いま彼女が回しているガンブレードはホンモノであり、剣先から光弾も放出できる――という理屈になるし、力士にそれを確かめる術はない。
「言い忘れたけど」いつもニヤニヤしている不染井だが、今回は言葉に喘ぎ声が混じっていた。「こうやって回してるあいだは『暴発』のカウントダウンが中断されるから」
フィッシュテールの勢いで、不染井はよろける。
刃を一瞬だけ松葉杖代わりにして、地面を押し返すようにして体勢を保つと、また回す。
わざとらしい、と言えば、そんなふうにも見えた。
果たして力士は――というと、どうやらブラフには引っ掛からないようだった。
「……百人中百人が、すでにけりがついた、と思うだろうが」力士は、地面の匂いを嗅ぐように顔を下ろして、前傾になり、土俵に片拳をつけ、仕切り直す。「お子様でも序列が分かるよう、とどめを刺すことにしよう」
あるいは彼には、たとえすべてが不染井の手のひらの上――ガンブレードがホンモノで仮に『放出』がなされたとしても、一撃ならば耐えられるという自信があるのかもしれない。そのように不染井は思った。
(試してみたかったなあ)
多少時間が稼げたが、骨折系の自然治癒能力『A++』評価の不染井でも、ようやく折れた背骨が元の位置に戻り始めたか否か、という程度――いや、これは『現実世界のケガで例えたら』というダメージ度合いを表現する比喩であるが、いずれにせよ、満足に動ける状態ではない。
「そう言えば、監督の話にもあったな」と無敵山。腰を落としたまま、いったん、上体だけ起こし、蹲踞。憎らしいが様になっていた。「『本大会では相手を倒しきる力――決定力が、なにより重要だ』と」力士は再度構える。なんらかの技を使用するつもりなのか、全身から輝くエフェクトをまき散らしたが、『21世紀のCG』みたいな違和感、気恥ずかしさはない。「万が一にもそれを身をもって教示してくれるつもりなら、遠慮こそ無礼だろう」
もちろん、不染井にはそんな殊勝な心掛けなどないが、本当に教えたいことがあるとすれば、こんな切羽詰まった局面からの逆転――その実演だろう。実は、勝手にこぼれてしまう喘ぎ声も含めて、短いスカートで露わになった細く長い脚を使っての『色仕掛け』をほんのちょっとだけ試してみているのだが、力士は気づいてすらいないようだった。『色仕掛け』で異性のプレイヤを破ると特別なボーナスが入る――という『ウワサ』があるのだが、不染井は戴いたことがないので、それが『事実』かどうか、どうやら今回も分からずじまいになりそうだ。
(奥の手が通用しないとなると、どうしたもんかね……)
不染井の次の着想がまとまるまえに、力士が砲弾のように突進してきた。
土俵を介して、踏み込みの振動が不染井に伝わり、一瞬気が逸れてしまった。
(やば……)
そんな極限でも、突っ込んでくる力士の姿が美しい、と彼女は思った。
ヒト本来の角張った骨を分厚い肉で隠し、丸め、髪も油を付け、頭に密着させることで、全身の空気抵抗を少なくさせているのかも――などと夢想に囚われる。
目は、迫りくる力士に釘づけのまま。
その美しい肉体が、白く照る。
(フラッシュ? 撮影された?)
遅れて、轟音。
力士の突進を妨げた落雷――は、不染井と無敵山を分かつように、ちょうど真ん中に生じたが、いくら目を凝らしても、土俵にそれらしい痕跡は認められなかった。
代わりに、サムライ型の若い女性がいた。
一本木レイ。
不染井たちと同じく日本代表だ。
「お待ちください」レイは静かに刀を鞘に仕舞いつつ言ったが、不染井にはそれがどんな刀身だったか憶えていなかった。「この勝負は不肖、私めが預かります」
「なにしてんだよ!」
「ざけんな!」
「勝負つけさせろ!」
それまで固唾を飲んでこの一戦を見守っていた外野が次々に放った非難の声を、女侍は涼しい顔で聞き流すと、立っているだけで精いっぱいの不染井に近づき、その手を恋人のように握る。その所作は、なんら特別な感情が込められているようには思えないほど、ごくごく自然なものだった。袖の汚れに気づいて手で払うような、無意識的なさりげなさ。
それに当てられたわけではないだろうが、観客の熱は冷めた。
別の表現を使うなら、『あ、なにかイベントが始まったかな?』と察して、電子画面――【プロペ】を広げて、ニュースサイトを観たり、女侍の次の言葉を待っているような状態だ。
「なんで邪魔できる?」
同じくすっかり戦闘意欲を失くしたような声で仁王立ちの力士が問うと、不染井より頭ひとつ高い、長身の女剣士は振り返りもせずに「サムライ固有スキル『義によって助太刀』による強制介入でございます」と答えた。
背を向け、しかも小声だったが、『21世紀アニメ』のように相手の声が届くゲーム世界である。不都合はない。
彼女は、不染井を見つめたまま、今度は周囲に聞かせるような凛とした音量で、続ける。
「このたび不染井様に『司法局』から、標的呼称:ソメナイモドキ『甲・乙・丙・丁・戊・己・庚』計7名の討伐要請が下されました。特務――でございます。速やかに遂行なされますよう」
観客はこぞって歓声をあげ、半数近くは、すぐにこの場を去った。『討伐』へ向かったようだ。
本日の全体練習は午後からで、午前中は自主調整の時間にあてがわれていた。
「ご覧のとおり俺のほうが強いが、俺には要請はないのか?」
この無敵山のジョークを解するためには『サムライには数秒先の未来が見える、という都市伝説がある』との予備知識を要するだろう。
「モドキたちは、いずれも国内ランキング――せいぜい4ケタ台の、下位の者たちです」レイは、不染井を見つめたまま、そう答えると、手を離し、力士に振り返る。「勇んで出張った大関が、万が一にも下手を打てば、それだけで代表選出取消もありえる大失態と心得ますが、そのお覚悟があるならば引き止めはしません。どうぞ、鴛鴦監督に直接頭を垂れてご請願ください。相撲取りなら――」袴姿の女侍はブーツ履きだった。彼女はブーツを見せつけるように力士に一歩、足を踏み出すと、飼い犬を叱りつけるように土俵をタタンと二度踏み叩く。「土下座はお得意でしょうし」
「アンタとは……」力士はわずかに怒気を含ませた声でそう言ったが、排熱するように、ふーっとため息をついて、首を横にふった。「いや、すまないが、気が乗らないな」
「残念です。と同時に安堵――致しました。残念&安堵にございます」レイは行政官のような事務的な声で返した。「『手合わせ』のための心にもない言葉でしたが、敬愛すべき大先輩の気分を害したのなら申しわけなく存じます」
力士は応えず、背を向けた。
土俵も消える。
戦闘終了。
異例な終了の仕方だったためか、不染井の傷は回復しなかった――が、いくぶん身体が軽くなった気がした。
なるほど力士が使ったフィールドスキルには『土俵上のプレイヤの質量、あるいは重力加速度を増加させる』という『特典』が付いていたのかも、と不染井は想像した。物理学的に見れば、相撲という競技は『土俵との摩擦力が大きい者ほど有利』なので、一概に不染井だけに不利な『効果』とは言えない。ある意味、公平な『特典』だ。
ふと見ると、もう、力士の姿はなかった。観客もだ。全員いなくなっている。
ダメージのせいか、自分で思うより、ぼーっとしているのかもしれない、と彼女は心地良さのなか、考える。
「お姉さま」そんなふうにレイが不染井に呼びかけたが、彼女たちに血縁関係はない。赤の他人だ。「誰かを殺したいなら、私が負けて差し上げましたのに」と、触り心地を確かめるように不染井のスカートを摘まみ、少し引っ張ってから、離した。「素敵なプリーツ」レイが自分の紺袴を手で払うと、それと同色、同じ丈の、けれどタテに入った折り目――等間隔の太めのきっちりとしたプリーツが人目を惹く、ロングスカートになる。彼女はその場でくるりと回転した。そのファッションについて感想を述べるほどの余裕は不染井には無かった。ただ――
(足さばきが見えなかったな)とだけ思った。
そこでレイの視線に気づいた。
「いいところで止めてくれたね~」と不染井は、いつもそうだが、ニヤニヤ笑って言った。
「それは皮肉ですね?」レイは指先を自分の額に添えるようにして、左手で左目を隠した。「そのぶつけどころのない衝動を抱える弱者ならではの苦しみ――私などには想像するよりほか仕方ないのですが、お察しいたします。私めで良ければ、捌け口になりましょうか?」
「気が乗らないなあ」不染井は力士の言葉を借用した。
「私と手合わせする人間はたいがい、そう、口にします」レイは見えない雨を受け止めるように左手を翻し、目を細め、微笑む。「それで次に会ったとき『お願いだからもう一回』などと無様に哀願することになります。その醜く歪んだ御顔の気高さと言ったら――」
ダメージの影響――いったん引いた快感が、波のように頭の中に押し迫ってきて、不染井は一瞬、気を失った。
立ったままだったし、本当に一瞬に思えたが、『まとも』に戻ったときには、すでに戦闘終了から60秒が経過していた。
「――もちろん、多少は手加減を致します。ニンジャ相手にサムライが本気を出してしまうのは、さすがに……」とレイの言葉も飛んでいた。
けれど、お陰で体力が若干、回復した。
不染井がガンブレードをつくると、女剣士は察したように話をやめ、クリケットのストライカー(打者)のように相手に対し左半身を向けたまま、足元の花を摘もうとするかのように品よく内股で膝を曲げてしゃがむと、鞘に納めたままの刀を不染井に差し出すように地面に置いた。そして、刀の柄にすーっと手を添える。
『敵意が無い』というポーズではない。
むしろ、逆だ。
指が刀に触れていれさえすれば、『次の瞬間』ではなく、『と同時に』発動できる『神速居合』あればこその、独特の構えだ。
「いやいや」不染井は笑う。反動で肺のあたりがくすぐったい。「討伐に行ってくるから」
「……卑怯ですよ?」と、いったんは睨んだものの、諦めたようにレイは構えをほどいた。刀を拾い、立ち上がりつつ、再び刀を帯に差すと、救世主のように両手を広げた。「いえ、撤回し、つまらぬ口答えをしたことを猛省いたします。水入りのタイミングを違えた私こそが悪いのです。どうぞ、お気に召すままに」
「そんなこと言われたらさ~」不染井はよろめきながら刃を振るい、女侍の左腕を落とす。血の代わりにエフェクトが生じた。「斬れないじゃん」
「……『斬る』の定義を尋ねてよろしいでしょうか?」レイの左腕は地面に落ちた瞬間に霧散した。
「いや、殺せないってこと」不染井はガンブレードに生じたトリガーを後方には引かず、前に倒すことで、レイから奪った『エネルギィのようなもの』を吸収する。ガンブレードには光弾を『放出』する以外にも『吸収』することで自身が受けたダメージを回復したり、得物の欠損を修復することができるという特性がある。「あ~、これでやっと背骨がつながったくらいか……」
それでも喉の奥からせり上がってくる衝動に堪え切れず、不染井が喘ぐと、女侍はその真似をしてから、「可愛らしいお声」と、むしろ不機嫌そうな声を被せた。「足りないのなら、もう片方もどうぞ」と、それこそキリストのようなことを言った。
「大丈夫」不染井は断り、虚空に呼び掛ける。「鳥」
ハヤブサ型が現れる。「私と契約するのですね?」
「契約?」不審そうに眉をひそめ、レイが訊き返す。「なんの話です?」
「これが返事」そう言って不染井は鳥型を一刀両断にする。
鳥型は『死亡』扱いになり、霧散。
刃に宿ったエネルギィをトリガーを前に倒して吸収処理すると、ようやく息が整う。
ステータス画面を呼び出して確認。
「これでやっと30パーセントかあ」これが30パーの体感、と不染井は呟く。「たかが投げ一発で瀕死だったんだな私。受け身もね、一応、とったつもりだったんだけどさ~、脆弱にも程があるでしょうよ」と言ったものの、今さら耐久力の向上は見込めないのは身に染みて自覚していた。ならば――「やっぱ、受け身か。誰か専門家に教えてもらわないと。まあ、教えてもらうというか目の前でやって見せてくれれば――」
「お姉さま、契約とは?」待ちきれない、という感じでレイが不染井の饒舌を遮る。「というか、今の……、断ったのですよね?」
返事をせず、背を向けて去ろうとしたものの、二歩目でよろけてしまった不染井は、レイに笑顔で振り返る。「ごめん、やっぱ斬っていい?」