3 公開が許されたプロローグ
public prologue // 公開を許されたプロロ-グ
// または『殺人者』の行動記録
2332年11月23日午前6時36分ごろ――
東京都神田――
とある競技会場の1階フロア。
内壁がそのまま外壁となって建物の自重を支えるような、中柱ひとつない、明け透けな空間。
板敷の和風な武道場――といった趣き。
その会場中央付近に、『死体』を除けば8名の男女が集まっていた。
彼らに見守られるように、かつて『最強』と謳われた競技者の死体が、けれど尊厳なく、無造作に置かれていた。
仰向けに倒れた男性の死体。
死後数分経ったか否か。
出来たてほやほやという感じだが、もう二度と活動しえないことが『公的』に保証されている。
死体の傍らには、競技で用いられる『日本刀』が8本、折り重なるようにして積まれていた。
凶器は、そのうちの一振りであるが、肉眼では、返り血はもちろん、使用した痕跡など認められず、一見新品だ。
だから――ではないが、死因は素人には分かりづらい。
死体が身につけている道着を剥がし、上半身を仔細に調べれば、その身体には『二本』の切り傷が認められるだろうものの、そこから血や体液などがこぼれないよう、つまり、これ以降に行なわれるであろう、ヒトによる検死が正確になるよう、【TEN】によって、傷口が透明なシールで塞がれているため、そのような凄惨な死を迎えたとは思えないほど、きれいな状態だった。
割れた茶碗の破断部分を漆などでつなぎ合わせ、金属粉で覆って修復する技術はご存知だろうか。
それのヒト版を想像してもらって支障はない。
首と胴体の二か所に目立つ、細長い、刀傷があった。
それらの傷は前述のとおりシールされているため、グロテスクな感じはなかった。
死後硬直も腐敗もしない世界である。
まるで眠っているかのようなこの死体を立たせたなら、『金継ぎ』のぶんだけ、本来の身長より数ミクロンほど高くなっているかもしれない。
一人の男が遺体のそばへと進み出る。
彼は、上半身を肩からミゾオチ辺りまですっぽりと隠すようなポンチョのような衣を羽織り、それと一体型となったフードを頭から被っていたため、顔も口元しか露わになっていなかった。他の者も皆、同様の出で立ちだった。その下には、死体と同じ型らしい道着を身につけていた。
「俺が獲得している『【エイリアス】に尋ねる権利』を行使する」男が虚空に宣言すると、そのどこか畏まった言いぶりが可笑しかったのか、周りで見ていた数人が笑った。そのせいか、男が続けた言葉は「彼を殺した犯人は、この中にいる?」と砕けた調子となった。
すでに、『男』の呼びかけに応じ、死体の頭上――数メートルほどの中空に、銀色の半球型の物体が現れている。
サッカーボールを半分に割ったぐらいのサイズだろうか。
丸みのほうを下に向けた格好で出現した【エイリアス】は、蛍光灯のように、その球面側から、冷たく洗練された、けれど、煙ったような、どこか温かみのある白い光を発し、真下にある死体を照らした。
同時に、本体から漫画のフキダシのようなメッセージが出た。
フキダシにはゴシック体の大きなフォントで『YES』と表示されていた。
さらにその返答に続いて、それよりは小さなサイズで『もちろん、彼を殺害した犯人は、現在もこの1階フロアに存在します』などとフォローする文章も、現在の時刻付きで表示されていた。
それらメッセージ板の右隅には【TEN】の署名があるから、これら『判定』が捏造されたものではないことを全員が察した。
(ああ、うまい問いだ……)
8名の中に紛れている殺人者――『真犯人』はそう思う。
たったひとつの質問で『容疑者を限定』し、かつ、これが事故や自殺などではなく、『ヒトにより殺害された、まごうなき他殺体』であることを【TEN】に認めさせてしまった。
(では果たして、次の問いで、『彼』は自分へと――すなわち真相へと到達することが出来るだろうか?)
いや、本当に知恵が回る人間なら、そんなくだらないものは狙わないだろうし、実際、『犯人探し』が目的でないことは、事前に『彼』自身によりアナウンスされていた。
「あなたが【エイリアス】に問うことができるチャンスはあと二回です」【エイリアス】から音声が出る。中性的な、保存しておきたいくらい美しい声だった。「今すぐに行使しますか?」
『彼』は「いや、もういい」と半球型を消すと、振り返り、「ほら、ウソじゃなかったでしょ?」と両手を広げて見せた。
「貴重な一回をすまねえな」と、別の男がねぎらうように声を掛けた。
絶対に間違えないウソ発見器こと【エイリアス】――
いつでもどこでもどんな質問でも、三つだけ、それに問える権利――
『彼』は、その破格の権限を、昨年末の宝くじで手に入れた、と言っていた。
にわかに信じられなかったが、どうやら事実だったようだ――
そのように『真犯人』は判断する。
「研究者じゃないから、むしろ、使いみちに困ってて」『彼』は恩に着せる素振りなく、爽やかな明るい声で言って、その話題を打ち切った。「じゃあ、手はずどおり」と軽く片手を上げると、それを合図に『彼』や『真犯人』を含めた8名はそれぞれ出口に向かって歩き出した。
『集団逃亡』の開始――
けれど、数歩も行かないうちに――
「あ~、どうしようか、やっぱ、もう一個だけ」と、『彼』は立ち止まり、再び眼前に【エイリアス】を呼び出した。
皆が何事か、と足を止め、訝しがるなか、『彼』は「凶器は刀で間違いない?」と半球型に尋ねた。
反射的に数名が、死体の近くに放置してある凶器のほうを――8本の刀を重ねてつくった『山』を見やったが、すぐに【エイリアス】が放つ白い光に気づき、そちらへと向き直った。
【エイリアス】の白い輝きは、『肯定』の意だ。
『彼』は、なるほど、という感じで何度か小さく頷き、【エイリアス】を消す。
「なんだそれ」と、近くにいた男が力なく笑い、興味を失ったようにまた出口のある壁のほうに向かって歩き出した。
「いや、『最強』が本当に真剣勝負で負けたのか――その確認」
『彼』はそう答えた。
もちろん、まさにその瞬間を目の当たりにしていた『真犯人』にしてみれば、『判定結果』は言わずもがなの自明である。
先ほど優秀だと警戒した『彼』が、わざわざ『貴重な一回』を使ってまで投げかけたその当然過ぎる問いに、『真犯人』は安堵を通り越して、拍子抜けした気分だった。そして、すぐに――
(そうか、自分は『最強』を斬り殺したんだ……)と、すっかり失念していた達成感に浸った。囚われた。
「犯人は、なるべく長く逃げてくれよ」反対側の出口に向かって歩いていた男が、中途半端に振り返りつつ、誰にともなく声を掛けた。
大声を出さなくても、聞きたい声は理想的な音量で聴こえる世界である。
「誰が犯人なんだろう!」前方から聞こえてきた楽しげな声は女のものだった。「あの『最強』を倒したわけだし」
「あ~、そういう楽しみ方もあるか」女の知り合いらしい男が言い、彼女と手をつなぎ、出口へと向かう。
『真犯人』は、彼らを追い越して一番先に外に出ようか、あるいは、くるっと踵を返して、反対側の出口から出ようか、それとも準備に手間取るフリをして立ち止まり、最後の一人になろうか、それとも……。
少しだけ迷ったが、なんらかの『選択』をした。
いずれにせよ、かようにして『真犯人』を含めた彼ら8名は、生体認証型の扉を開き、建物の外に出た。
バトル世界へと逃亡するために――
◇ ◇ ◇
その数分後。
1階フロアに取り残された『死体』が、競技大会参加者によって改めて発見され、ただちに警察への通報がなされた。
まもなく駆けつけた警察は、すぐさま状況を整理、把握し、逃亡した8名以外の人物には犯行が叶わないと判断した。
ここにいたって8名の男女は、彼らの思惑どおり、『殺人事件の最重要関係者』として指名手配されることとなった。
※注意 次は『読み飛ばし可能なバトル編』です。
出題編は7話から再開します。