12 ■読み飛ばし可■ 『丙』の行動記録(前編)
標的呼称『丙』・ハンニャの行動記録
2332年11月23日 午前9時34分
ギフエリア。
竹林の奥深くに、そこだけ狸たちによって磨かれ、黒く着色されたような、巨大な泥団子の表面を思わせる戦場がある。
そこは、もし潤滑油を撒けばフィギュアスケートで遊べそうなくらいフラットで、『真剣勝負』をしたい者たちにとっては絶好の場所と言えた。
その黒円中央付近に標的呼称『丙』ことプレイヤネーム『ハンニャ』は居た。
彼が訪れた当初、ここを陣取っていた先客を含め、すでに42名を斬り捨てている。
自己最高記録更新中の彼は、侍である。
そして、その戦術は至極、シンプルなものだった。
相手をこちらの間合いに捉えてからの、神速居合。
彼の戦法はそれだけしかなく、それだけで充分だった。
神速居合は、学術的には『0フレーム剣技』と定義される技である。
『フレーム』とは、バトル世界で流れる1秒を1024等分した単位であり、世にあまねく、あらゆる『単位』がそうであるように、プレイヤである『ヒト』が、ゲーム内のさまざまな事象の理解を容易くするため、便宜的に導入した概念だ。
1フレーム=1024分の1秒(≒1ミリ秒)
1秒 =1024フレーム
当然、プレイヤの動きやバトル世界での現象は、そんな、たかだか1ミリ秒弱の『コマ送り』で分割できるものではなく、もっと細かいアナログな、連続的なものなのだが、そういった実情に勝る利便性――たとえば『キャラのアクション』などを理解しやすくするためには、このフレームという概念は非常に有用である。
バトル世界では『プレイヤが技の発動を決定し、それが発動するまで、どんな達人でも数十フレーム掛かる』ということが知られている。
ボクシングを例にとってみよう。
一般に『ボクサーの構え』と聞いて、ほとんどの者が真っ先に思い浮かべるであろうポーズ――腕を畳み、脇を締め、両拳を顔のまえに構えた準備万端な状態。そこからジャブを打つと決め、『1.ジャブの初動動作を開始し』『2.腕が伸び』『3.拳が相手の顔に届く』まで、このゲーム世界のなかでは、どんな名手でも、どんなスキルを駆使しても数十フレーム以上掛かる、ということだ。
それを踏まえたうえで、改めて神速居合の定義を振り返ろう。
神速居合は、その一連が0フレームで行なわれ、完了する――ということだった。
この異質さ、威力は言わずもがなだろう。
ただし、発動には条件があって――
1.刀身が鞘に完全に納まっている――いわゆる『納刀』状態であること。
2.利き手が、刀の柄に触れていること。
――が発動の基本条件となる。
逆に言えば、これら条件さえ満たしていれば、『次の瞬間』などという生易しい速度ではなく、前述したように0フレーム――つまり、正真正銘、掛け値なしに『――と同時に』刀が届く範囲内の相手を斬り捨てられる、ということだ。
これだけで神速居合の真価は理解していただけたと思うが、実はもうひとつ特性がある。
フレームという概念が提唱され、大半のプレイヤが周知し、常識となったころ、【TEN】が、こう、宣った。
『このバトル世界において0フレームで発揮する唯一が、神速居合である』
これは恐ろしい宣告だった。
つまり――
ハンニャのまえに、男が現れる。
西洋人の『見てくれ』に、農夫のような軽装。
「サムライ相手に、私の自動防御プログラムが通用するか試させてもらう」
オランダ語だったが、声色そのままに流暢な日本語となってハンニャに翻訳された。
そのタイムラグは【TEN】が帳消しにしているから、真の意味で同時――いや、数フレームほど遅れた、『ほぼ同時』な通訳だ。
さて――
2メートル以上ある男は、一見、得物を持っていない。
カラテだろうか。
両腕を翼のように広げ、斬ってくれ、と言わんばかりだ。
戦闘開始が告げられ、ハンニャは刀の柄頭を右手のひらで抑えながら、接近を試みる。
元来、地表のちょっとした小石や砂、歪みに足を取られないための『摺り足』だが、このような平坦が約束された舞台でもハンニャはそれを忘れなかった。
(迅速に欠けるのが、玉に瑕だが……)
全力疾走より遅く、完走を目指すフルマラソンよりは少し速い程度の摺り足だったが、対峙した大男は微動だにしない。不敵に口角を上げて、何もせずに待ち構えている。
間合いに捉えた瞬間――
神速居合発動。
0フレームで、抜刀、斬撃が男の胴体を通過する。
神速居合の勢いを借りて、ハンニャは40フレームのうちに鞘に刀を仕舞った。
その際、鍔が鞘に当たって――もとい、刀身の切羽が鞘の鯉口部分に当たって、「ちん」と艶のある金属音を鳴らす。
ようやく――神速居合から50フレーム経ったころ、男の身体が光った。
プログラム発動の合図。
なにかしらの防御スキルが発揮されたのかもしれないが、『叩いてかぶってジャンケンポン』の叩かれたあとのヘルメットみたいなものだ。意味はない。
敗北を察したのか、まるで自分が両断されたことなど信じられないという顔芸を見せた男の身体がずれ、倒れ、霧散する。
それは2048フレーム――いや、神速居合から、きっかり2秒後だった。
息つく間もなく、今度はメカメカしいパワードスーツに身を包んだ敵が現れる。
パワードスーツの表層は水晶のように透明で、その下の、いかにも前時代的な『量子力学』っぽいデジタルグリーンの波動――回路図を流れる電流のような動きが透けてみえた。レトロだ。
こちらも西洋人風。
パワードスーツ型の『得物』から知れるとおり、アメリカ人――国際大会の区分で言えば、カリフォルニアのプレイヤだろう。
スーツ自体はダイヤモンド風の鉱物で出来ているらしい。
ブリリアンカットではないから、ガラスのようだった。
けれど、味がある――とハンニャは評価する。
戦闘開始前に、虫の報せが――なんとなく予感があったハンニャは逃亡者特権を使い、ステージ上に、高さ1×縦幅1×横幅3メートルのブロック型の障害物を数個ほど設置した。地面と同じ質感を採用したため、キャラメルのようだった。
開戦すると、その予感は当たった。
パワードスーツマンは無抵抗ではなく、スーツの袖口や胸部、腹部、ヒザなどに内蔵していた十数本もの銃身から弾丸を撃ち出してきた。ハンニャは急いでキャラメルブロックに身をひそめ、『見』の一手。
この相性の悪さはいかんともしがたい。
『バトルカップ』における『サムライ出場待望論』は、この国の代表チームが不甲斐ない結果に終わるたびに、負け惜しみのように巻き起こるが、少なくともハンニャは、仮に自分が出たとしても、それほど結果は変えられないだろう、と謙遜抜きで想像している。今回のような1対1ならまだしも、どこから銃弾が飛んでくるか分からない戦場というのは怖すぎる。自分より上位とはいえ、所詮はニンジャの不染井に対し、後れをとる、とは思わないが、そのような『狂った』状況下なら自分よりよっぽど適任だろうと素直に認めている。
さて、慌てず騒がず、ちらちらと様子を窺っていた甲斐があった。
ようやく目が、それぞれのパーツから放たれる銃弾の種類と速度を覚えた。耳も慣れてきた。
覚悟を決めるように息をひとつついて、ブロックから出る。
急ぎたいが摺り足だ。
まだ余裕はある。
パワードスーツマンの放った弾丸を避け、避けきれなかったものは『神速居合』で斬り払うようにして、近づき、どうにか刀が本体に届く間合いに入った。
神速居合発動。
0フレームで、抜刀、ダイヤモンド製の全身鎧を刀が通過する。
自明な結果を描写するまえに、ここで今一度、『神速居合』の定義を思い出してほしい。
この世界では神速居合だけが0フレームであり、それ以外のあらゆる事象はそうではない。
であるから、その斬撃に対する鎧の『反作用』の発生も当然、0ではない道理になる。
斬撃に対し、反作用が遅れる――つまり、『現実世界』のように同時ではない。
『反作用が遅れる』というのは、現実には絶対に体感できない現象だからなかなかに想像しにくいだろうが、このゲーム世界における『神速居合』については、理屈を度外視して、『ゆえに、なんでも両断できる技』と乱暴に説明をつけることができる。
より厳密に『刀の先端が通った円弧上ないしその円弧から刀の根元に存在したモノならば』という接続部を前につけても構わないが、実は『なんでも両断』できるわけではなく、【TEN】が『それを両断してしまったら、このゲーム世界がおかしくなる』と判断したものは斬れない。いや、斬れないというより、剣技の発動を禁じられる。プレイヤは、敵であろうと味方であろうと斬れるが、非戦闘員相手には同様に発動を禁じられる。
さて、そんなわけだから、ハンニャの刀にも手にも『手応え』はないはずだが、【TEN】のサービスだろう、『何かを斬ってやった感』はある。なので、空振りしたら即座に分かる。蛇足だが、反作用がないということだから、当然、神速居合発動の際、刃の破損・摩耗はない。
ハンニャが「ちん」と納刀すると、遅れて、パワードスーツが胴体から両断され、石化し、霧散した。
まだ敵がいる。
「やれやれ……」
トイレみたいに順番待ちしてんのか?
――などとハンニャは舌打ちしたい気分だったが、その表現はリバイバルモノのアニメかドラマで見聞きしたもので、24世紀人である彼は、トイレというものを使う必要性がなかった。
敵は、映画で観るカンフー使いのような道着を着た小柄な老人型で、動きが素早かった。
得物は、毒が塗られたナイフ。
現実世界と違って痛みのないゲーム世界ではあるが、刃物が刺されば、現実同様、どんな達人でも一瞬ではあるものの身がすくむ。
つまり、組みつかれたら最後、一方的にメッタ刺しにされてしまうだろう。
非常に厄介だが、ハンニャからすれば、ガンナーほどではない。
あえて背後を取らせて、こちらの間合いに向こうから呼び込ませる。
そうやって敵の気配を後ろに迎えつつ――
神速居合発動。
ハンニャは抜刀の勢いで後ろに振り返り、時が止まったような老人型に斬りつける。
やはり多少の焦りがあったか、思ったより老人型の身体は遠かった。引きつけが足りなかったが――
刀の先が、老人型がナイフを握った右手の拳頭、中指の辺りを掠めた。
切断面は『グロテスクにならないように』との配慮から蛍光ピンクに染まっているが、骨まで達した手応えがあった。
さて、重ね重ねになるが『神速居合の発動→完了』まで0フレームである。
抜刀の瞬間、『思考』や『五感』が止まっていたハンニャは、この時点で、ようやく、それまでの経緯を遅れて理解し、体感する。
言うまでもなくそれら神経の伝達にも数フレームほどの時間が掛かるためだ。
とはいえ、ハンニャには通常の技と同じく刀の手応えも、腕を振った感覚もあったし、状況も把握できる。
前述したように、やはりこれは【TEN】がくれたサービスだろう。
(どうにか拳に届いたか)とハンニャは安堵する。
これで老人型はダメージリアクション――つまりは『硬直』を余儀なくされる。
その硬直は少なくとも50フレームぐらいだとハンニャは見積もる。
そのあいだに、刀を鞘に納める。
「ちん」
音を合図に、ハンニャはもう一度、神速居合を敢行。
納刀までに43フレーム掛かったぶん、老人型はハンニャへとわずかに近づいているし、その間に対象を『観察』する余裕もあった。
老人型は、ナイフを握った右手よりも左手のほうがハンニャに近かった。
なので、彼は、こちらを掴もうと伸ばしたような老人型の左手――手のひらを両断する。
このヒット硬直は100フレーム以上、と見積もる。
充分過ぎるほどの時間だ。
『連続抜刀』の副作用で、水を撒き散らすホースのように『暴れる刀』を、ハンニャはなんとか御して鞘に納める。
この『揺れ』は一度目より二度目のほうが大きい。
もちろん、納刀しながらも、ハンニャと老人型の距離は、さらに近づいている。
なにしろ、0.1秒弱もある。
最初よりも半歩ぶんは近づけた。
そして、三度目の神速居合。
この技は『抜刀からの斬撃』というイメージが強いため、『斬撃は横薙ぎ。胴払いになる』と勘違いされそうだが、ハンニャほどの腕前になると、斬撃の角度は思いのまま、縦一文字――つまり、脳天唐竹割りにできるし、実際、ハンニャの刀は老人型を頭から両断した。
『死』が確定したので、硬直はわずかに数十フレームほど。
斬ってから2秒後に老人型は、左右に分かれ、石化し、霧散する。
もしこの戦いを傍で観ていた者があるなら、三連撃ではなく一撃――どころか『無撃』で、あたかもハンニャが振り返っただけで、突進していたはずの老人型が勝手に止まり、真っ二つになったように見えたことだろう。
ところで、相手の両断の直前に「ちん」という納刀の音を置くと見栄えがするし、技術点ボーナスもつくのだが、三連続神速居合直後の納刀ともなると、剣先が暴れてしまって、すんなりとは鞘に収まらない。実は、このようなときは、刃に付いた血を吹き払うように、刀を空振りすることで、冷ますことができる。それで、すっかり『揺れ』は収まるのだが、この『血払い』の所作には、ハンニャの場合、最速でも700フレーム以上掛かってしまう。前述したように、相手の『死』は2秒後だから、それに合わせて納刀――は、数字の上では可能だが、『斬り』『居ずまいを正し』『血払い』『刀を逆手に持ち替え』『刀を鞘に合わせ』『納刀』という一連の動作ひとつひとつに心を込め、悠々と行ないたいハンニャの美学には合わない。諦めている。
さて、バトル世界でのクラス(職種)にサムライを選ぶと、まず無銘の刀が与えられる。
そこから修練を積み、神速居合を習得すると、無銘の刀が形状を変え、性質を変え、古の名刀や剣豪の銘がつく。
ハンニャのそれは『重正』という銘で、彼の神速居合も同じ名称を与えられる。
ひと口に神速居合と言っても、使い手によって個性が付与され、ハンニャの『神速居合・重正』の特長は、先ほど観たとおり、『神速居合を受けた敵の硬直時間内に納刀することによって、連続で神速居合を放つことが出来る』というものだ。
ただ、初手、納刀、追い手の二連続・神速居合は『手練れ』の侍なら誰でも可能だ。ハンニャの『神速居合・重正』の白眉は、『時間内に鞘に刀を収められれば理論上何度でも発動できる』ことである。今のハンニャの腕では、初手を含めて4回あたりが限度だが、たいがいの敵は1発目がどこかを掠めれば、3発目までには『急所』に届く。ゆえに必殺だ。さらに連続発動させるとボーナスで刀の『当たり判定』がわずかに長くなるのも『重正』の特性だ。