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勉強の老騎士

作者: シェーン

Twitterで、「勉強の老騎士」という記述を見かけて、こんな短編を思いつきました。

1


「学徒ランドルフ殿。決闘を申し込む」

「断る」

「なぜだっ」

 学徒パリスは思わず大声を上げた。

 とたんに、周り中から非難の視線が飛んできた。

 なかには、人さし指を立てて、しーっ、と威嚇するように歯擦音を上げる学徒もいた。

「あ、す、すまない」

 パリスの謝罪を聞いて、皆は再び下を向き、勉強に戻った。


 五日後に一学期の学期末試験が始まる。六十点未満の教科は、補習と再試験が待っている。一教科でも三十点未満を取るか、再試験で六十点に達しなかった場合は強制退学になる。

 学年末に受ける資格試験に合格して途中卒業するのは大きな栄誉だが、学年の途中で強制退学になるのは大きな不名誉だ。将来はないも同然。だから今、王立騎士学校の図書室の自習室は緊張感に満ちている。


 ここストーリン王立騎士学校の学習制度は非常に厳しい。

 必修科目にせよ、選択科目にせよ、履修している教科で合格点が取れなければ強制退学になる。

 ランドルフの場合、五日後の試験一日目には、算術、王国地理、王国史の三教科の試験がある。いずれも必修科目だ。算術、王国地理、王国史の三教科は、一年の一学期にしか履修できない。

 ランドルフは算術が苦手だ。現代の算術はランドルフの若いころとは違い、足し算引き算、かけ算割り算だけでなく、摩訶不思議な計算をさせる。老いたランドルフにとり理解することはむずかしく、正しい答えを出すことはなおむずかしい。今は試練の時なのである。パリスの相手をしている時間などない。


 パリスはひそひそ声でランドルフに話しかけた。

(すでに決闘の申請はしてある)

(わしは応じておらんぞ)

(王立騎士学校では学徒同士での決闘を認めている)

(双方が合意すればの話じゃ)

(今までは応じてくれたじゃないか)

(もうこれ以上付き合う必要はなかろうて)

(今度こそ勝つ!)

(その自信はどこから来るのじゃ)


「ちょっとあなたたち」

 司書のグレンダが机の前に立っていた。眼鏡の端をつまむしぐさに怒りが表れている。

「静かにできないようね。退出を命じます」

 こうして学徒ランドルフと学徒パリスは自習室を追い出された。


「さあ、闘技場にいくぞ。みんな待ってる」

「みんな、じゃと?」

 闘技場にいくと、教師のオネガンが審判の帽子をかぶって待っていた。

 三十人ほどの学徒が観戦に詰めかけている。ネクタイの色は白だ。つまり、ランドルフやパリスと同じ一年だ。いや、一人だけ臙脂(えんじ)のネクタイを着けた学徒がいる。五年だ。


 オネガンに聞いてみて、事情がわかった。学徒パリスが、ランドルフに決闘を頼み込んで、これに負けたら二度と挑戦しないという条件で承諾してもらった、とオネガンに告げたため、オネガンは決闘を受け付けてしまったのだ。

 決闘は学校に受理されてしまった。ここでランドルフが拒否したらオネガンの責任問題になる。しかたがないので、オネガンにパリスを叱ってもらったうえで、これで負けたら二度と決闘を挑まないことを誓わせた。また、オネガンに対して、今後パリスからの申請は一切受け付けないよう頼んだ。オネガンは恐縮しきった態度で了承した。


 詰めかけた生徒たちは、もはや恒例のようになったランドルフとパリスの決闘を、試験勉強の息抜きのつもりで見にきているのだろうが、そこにはたぶん、剣技の参考にしたいという思いもあるだろう。

 せっかくなので、彼らの参考になるような戦いをしよう、とランドルフは思った。


 そして決闘が始まった。

 決闘といっても、殺し合いをするわけではない。防具を着け、木剣で戦い、審判が勝敗を判定する。授業の試合と変わらない。ただ、騎士の精神を養うため、決闘と呼んでいるだけのことだ。

 パリスは大声を上げながら、剣を大ぶりにして大上段から斬りかかってきた。基本通りの剣筋だ。

 その気合いの入り方はたいしたものである。体格差のあるランドルフにまったく臆していない。

 ランドルフは受け流した。

 パリスはまたも奇声を上げながら、今度は右から左に剣を振り抜いてきた。これも基本通りの剣筋だ。

 ランドルフは、これも受け流した。

 次に左から右に振る剣筋で攻撃してきたが、これも受け流した。


 パリスは、一歩下がって、はあはあと息をついた。

 木剣とはいえ、根本部分には鉄芯が仕込んであり、相当に重い。全力で三度振れば、パリスの体力ではこうなってしまう。


 息を整えたパリスは、またも大上段から攻撃してきた。

 ランドルフは、これをまともに受け止めた。大きな音がした。

 パリスが右上から左下に切り下ろす剣筋で攻撃してきた。

 ランドルフは、これもまともに受け止めた。


 これは実は盾の技の応用なのだ。騎士剣のような重量のあるものを盾で受け止めるとき、力をそらすように受け止めるやり方と、まともに受け止めて衝撃を相手に返すやり方がある。ランドルフはこれを剣で再現しているのだ。


 パリスはそれから四度攻撃した。四度目にパリスの木剣が折れた。

「勝負あり! 学徒ランドルフの勝ち!」


 観客から拍手が湧いた。

 パリスはその場にへたり込んで、悔しそうな顔で、ランドルフと審判のオネガンをみた。

「こっ、こんなのは無効だ! 剣が折れるなんて。運が悪かっただけじゃないか!」


 あきれた言い分だ。

 オネガンが困った表情でランドルフをみたので、ランドルフは一歩進み出た。

「学徒パリス殿」

「な、なんだよ」

「最初の三回の攻撃は、威力もあり、刃筋も通った、よい攻撃じゃった」

「そ、そうか」

「じゃが、そのあとは雑になったのう。握りも甘かったし、振りも鋭くはなかった。握力が落ちて思うように剣が握れなかったのではないかの?」

「うっ」

「わしは威力のある防御を行った。おぬしの刃筋をずらすような受け方での」

「えっ?」

「木剣の中には鉄芯が仕込んであるから、きちんと刃筋を立てて攻撃しないと剣身の消耗が大きい。じゃが実は鉄の剣であろうが、モルダイト鋼の剣であろうが同じなのじゃ。無理をさせれば剣は消耗し、ゆがんでしまうし、折れることもある。それにのう。あんな力任せの攻撃を続けたのでは体力もあっという間に尽きてしまうぞ」

「うっ、うう」


「わしの言うことがわかったかの?」

「あ、ああ」

「では、オネガン先生に謝るのじゃ」

「えっ? 何でだ?」

「おぬしは、自分の木剣だけが不良品であるかのような文句を言うた。それはオネガン先生が公平な準備をしなかった、あるいは決闘用の剣に傷があるのに気付かなんだと非難するにひとしい。これほどの無礼があろうか」

「あっ! す、すいませんっ、オネガン先生。そんなつもりでは」

「これ。きちんと立たんか。そして礼容を取って謝罪するのじゃ」

 パリスは立ち上がって、きちんと礼をして謝罪した。

 オネガンは、いい経験になったね、とパリスに言い、一同に解散を命じた。

 こうして、学徒パリスと学徒ランドルフの、八回目にして最後の決闘は終了したのである。


 パリスは悪い人間ではない。老齢のランドルフが騎士でありながら従士資格を取るために騎士学校に入学したと知って、卒業後は自分の父親のつてで就職を世話してやると言ってくれたぐらいなのだ。いささか猪突猛進のところがあるが、若いうちは元気すぎるぐらいのほうがいい。


 片付けを済ませてランドルフが闘技場を出ると、オネガンに呼び止められた。

「ランドルフ様。まことに相済みませんでした」

「オネガン先生。騎士学校の敷地の中では、わしは一学徒。あなたは教師じゃ。呼び捨てなされ」

「ほかの学徒が聞いている場所ではそうします。ですが騎士ランドルフ様。あなたは大功ある英雄。私はこどものころからあなたに憧れていたのですよ。まさかそのあなたに教える立場になろうとは」

「はっはっはっはっはっ。それは、それは」

「いったいどうして今さら騎士学校に入学なさったのですか?」

「おや、オネガン先生は聞いておられなんだか。孫にねだられてのう」

「はあ?」


2


 ストーリン王国が大陸を統一し、百三十年近い戦乱の時代に終止符を打ったのが、十一年前のことだ。

 三代のストーリン王に仕え、王の苦しい時代を支え抜いた騎士ランドルフ・ボーンは、王都からほど近い領地を得て引退した。

 小さな領地だが、平和で豊かだ。国王に収める税の額も少ないし、軍役、賦役などの負担はなく、家族を王都に置く義務もない。大領の領主などよりずっと気楽で余裕のある暮らしだ。こういう待遇を得られたということは、王宮がランドルフの功績を高く評価しているということでもあるし、王その人がランドルフをいかに信頼しているかを表してもいる。


 ランドルフは領主の地位を早々と息子エスカルに譲り、つつましやかな生活をした。もっとも、エスカルは王宮に役職を得て王都に登ってしまったため、領地の経営は家宰任せだ。

 ランドルフは、自然豊かな領地の暮らしを気に入っており、普段は釣りや狩り三昧の暮らしをしているが、時々王都に行く。孫たちの顔を見るためだ。


 この世で孫ほど素晴らしいものはない。

 十三歳の長男アレキサンドル。

 十歳の長女ヴァレンシア。

 八歳の次男グスタフ。

 六歳の次女マルゲリータ。

 そして三歳の三男ドラモント。

 五人の孫に囲まれてにやけきっているランドルフを見れば、とても王の信任厚い歴戦の勇士だなどと思う者はいないだろう。


 さて、事の起こりは夏のはじめのことだ。

 孫のヴァレンシアが、兄のアレキサンドルに尋ねた。

「兄様は、従士の資格をお持ちですか?」

「え? いや、持っていないよ」

「そうなのですか。お父様は?」

「私も従士の資格は持っていないね。いったいどうしたんだね?」


 ヴァレンシアの幼年学校の友人にしてライバルであるオリヴィアが、私の兄は従士の資格を持っておりますのよ、と鼻高々に自慢したらしい。そしてヴァレンシアに、あなたのご家族に従士資格を得たかたはおられますの、と聞いてきたというのだ。

 そこで兄と父に、従士の資格を持っているかと聞いたわけだが、もちろん持っているわけがない。

 ヴァレンシアの父エスカルの時代には、従士資格などというものはなかった。そもそも騎士学校がなかった。兄のアレキサンドルは、まだ騎士学校に入れる年齢ではなく、しかも目指しているのは識士であり、従士の資格を取る予定はない。


「おじいさまは? 何でもおできになるおじいさまなら、きっと従士の資格をお持ちですわね?」

「いいや、わしも持っておらんのう」

 そう答えたとき、ヴァレンシアのかわいい顔が、悲しみそのものの表情となり、目からは宝石のような涙がぽろりぽろりとこぼれ出た。よほど悔しかったのだろう。

 ランドルフはハンカチで孫ヴァレンシアの頬を拭きながら、ぽろりと漏らした。

「そういえば、もうすぐ騎士学校の入学試験じゃのう。何ならわしが入学して、従士の資格を取ってこようか」

 ヴァレンシアの顔が喜びで輝いた。


 エスカルがあきれ声で口を挟んだ。

「お父さん。いくらなんでもそれは」

「いや。田舎暮らしもいいが、たまには刺激のある暮らしもよいでな。騎士学校に入学すれば、何日かに一度はここに帰って孫たちの顔も見ることができる。それに、騎士学校が先代陛下の願われた通りのものになっておるかどうか、この目で見てみたい。従士の資格は二年で取れる。余生のうち二年を学校で過ごすのも面白かろう」


 騎士学校の設立は十五年前である。設立したのは、前ストーリン国王だ。そして実は設立を建言したのはランドルフなのである。

 大陸を統一したあとは、中央に強力な人材育成機関が必要だと、ランドルフは王に建言した。また、これからは文治の時代であり、行政能力の豊かな人材を育てていく必要があると説いた。

 戦乱の時代は、騎士の時代だった。王のもとで騎士が戦って領地を広げ、騎士が行政を行い、騎士が人々に賞罰を与えた。武力と戦功が、直接地位の上下を左右した。

 これから先の時代も、騎士が国の支柱であることにかわりはない。しかし武力偏重は改めてゆかねばならない。

 そのために設立されたのが騎士学校だ。


 騎士学校は五年制である。十五歳から入学できる。

 入学試験は非常にむずかしい。まず語学だ。授業は王国公用語であるストーリン語で行われるので、その読み書きができるのは当然として、そのほか二つの言葉の日常会話が行えなくてはならない。

 健康で、一定以上の体力が求められるのはもちろんだ。

 このほか、王国史、地理、算術はじめ八つの基礎科目でも相当に高度な問題が出される。

 また、特技科目試験というものもあり、音楽絵画造形そのほか秀でた芸を持つ者には加点がある。

 年度は秋に始まり晩夏に終わる。一学年は三期に分かれており、それぞれの期に中間試験と期末試験がある。


 一年は十五歳からであり、ネクタイの色は白だ。年度末の資格試験はない。

 二年は十六歳からであり、ネクタイの色は黒だ。年度末には従士の資格試験がある。

 三年は十七歳からであり、ネクタイの色は赤だ。年度末には衛士の資格試験がある。

 四年は十八歳からであり、ネクタイの色は緑だ。年度末には識士の資格試験がある。

 五年は十九歳からであり、ネクタイの色は臙脂だ。年度末には騎士の資格試験がある。


 従士資格を持つということは、その人物がどこにいっても通用する知識と能力と肉体を持ち、健全な精神を有することを、王が保証するということだ。就職しやすいし、雇う側も幹部候補になることを期待できる。

 ただ、従士資格だけを得て途中卒業する者は少ない。その上の衛士か識士を目指す者が多い。


 衛士資格は、武官としての基礎能力を王が保証するものだ。当然ながら、この資格を持っていれば、いずれ指揮官として上級職に就くことを期待される。

 識士資格は、高等文官としての基礎能力を王が保証するものだ。この資格を持っていれば、中央官庁のどこにでも就職可能だし、地方領主の補佐をしたとしても有能であることは間違いない。

 騎士資格を取れば、自動的に王から直接騎士に叙任され、王国騎士と呼ばれる。王国騎士は、どんな職にでも望むままに就くことができるといってよい。


 ただし、騎士資格を取るのは簡単ではない。衛士資格を取るのに従士資格は必要ないし、識士資格を取るのに従士資格と衛士資格は必要ない。ところが騎士資格を取るには、従士資格、衛士資格、識士資格のすべてが必要なのだ。


 文官を志す者は識士資格を目指す。そのため、体力や武芸が必要な科目は履修せず、当然従士や衛士の資格は取らず、識士資格を取ればそこで卒業してしまうのだ。

 衛士資格を目指す者は逆に体力や武芸を中心に科目を履修する。高度な知識や思考力を要求する科目は履修しない。


 騎士資格を目指せば、そういう履修のしかたはできない。文字通り文武両道を修めねばならないのだ。そして履修科目の中間試験か期末試験で三十点未満の点を取るか、六十点未満の点を取って補習後の再試験に合格しなければ、ただちに強制退学となる。ひどく厳しく険しい道なのだ。

 それだけに、王国騎士となれば、国の要職に就く道が開かれる。


 騎士学校設立の狙いの一つは、人材を王都に集めることだ。地方領主が勝手に騎士の任命をすることは禁止できないが、その騎士は王国騎士ではない。厳しい資格試験を経ていないのだから、その力量は未知数である。だから中央では軽く扱われる。

 王国内で権勢を維持していくには、各地の領主も、中央の有力者たちも、子弟や家臣を騎士学校に送り込むほかない。そういう状況を作るべきだとランドルフは主張した。

 五年間、あるいは四年間なり三年間なり王都で過ごし、王のもとで教育すれば、その人材は王国に親しみを持つ。そして歴史と制度についての正しい知識を得る。そのことが王国千年の安泰を築く上で、何より重要だとランドルフは考えたのである。


 そしてまた、識士という資格を設けることで、文官の地位向上を狙った。騎士学校三年次の資格である衛士でさえ、かつて騎士個々が従卒を育てた時代と比べればはるかに優秀な人材なのだ。騎士学校四年の課程を了えなければ受験できない識士という資格には、それだけの重みがある。

 こうした仕組みが実効性を持つには、騎士学校の授業内容が高度であり続けるとともに、公平であることが必要だ。

 騎士学校に入学した者は学徒と呼ばれるが、学徒は親の身分やそれまでの生活のしぶりによって差別されることがあってはならない。いかなる外部の権力が学徒の進路や試験の合否を左右することも許されない。

 ランドルフは、幾夜も幾夜も、胸を躍らせながら騎士学校の夢を先代王と語り合った。


 その先代王と描いた夢の場所が、今じっさいにはどのようになっているか。これを自分の目で見てみるのも悪くない。ランドルフはそう思った。騎士ランドルフの名で申し出れば視察はさせてもらえるだろう。だがそれでは着飾った姿しか見せてもらえない。学徒になれば、もっと生々しい姿をみることができるはずだ。


 幸い、騎士学校の受験には、年齢の下限はあっても上限はない。

 受験資格は、各地の領主か地方長官の推薦を持つこと。そうした推薦のない場合は、予備試験に合格すれば受験資格を得ることができる。能力と意欲さえあれば、出自身分に関わらず受験できてこそ、建学の精神にかなう。


 ランドルフは、領主である息子のエスカルに推薦状を書かせた。

 そして騎士学校の校長である騎士ハスル・カーンを訪ね、直接受験申込書を渡した。

 騎士ハスルが若いころ、ランドルフは剣の指導をしたことがある。また、前王の晩年、騎士ハスルは幕僚として活躍したので、付き合いは古く、信頼関係も深い。


 ハスル校長は最初ひどく驚いたが、ランドルフが事情を話すと、大笑いして協力を約束してくれた。

 協力といっても、そこに不正は一切ない。ただ、受験の受付をする事務官たちが、六十二歳の受験生がいるという事実に不審を抱いたとき、校長決裁で受け付けると約束してくれただけだ。年齢制限がない以上、ランドルフの受験申し込みを拒否するいかなる制度的理由も存在しない。


 ランドルフは騎士学校の入学試験を受験し、ほかの受験生たちと試験官たちを驚かせ、当惑させつつ、実力で合格をもぎ取った。かつて騎士団の医者が、「千人に一人の筋肉」と驚嘆したランドルフである。体力試験では驚異的な結果を出した。また、特科試験では、過去五十年のストーリン王国における王と重臣の名を列挙して加点を得た。何しろ直接知っている人物ばかりだ。ランドルフは自分の目で見、あるいは自分で体験したことは、とてもよく記憶していた。さらに、剣の特科試験を申し込み、剣技の教師三人を同時に相手取って圧勝してみせ、最高加点を得た。こうした加点が、算術や一般常識での点の低さを補ったのである。


3


「学徒ランドルフ。わたくしはリシア・ウォーレンと申します。少しよろしいですか」

 ちっともよくなかった。昨日はパリスとの決闘騒ぎで時間をつぶされ、図書館が閉まってしまった。寮に帰ったら帰ったで、同級生たちから、試合のときランドルフが使った剣技について質問攻めにあった。

 だから今日は、空いている時間のすべてを図書館の自習室で過ごすつもりだったのだ。学期末試験まであと四日。算術の勉強はあまり進んでいない。ランドルフは危機的状況にある。遊んでいるひまはない。


 だが、ランドルフに声をかけた学徒リシアは、ランドルフがついて来るものと信じ切った様子で室外に出た。

 ため息をついてから、ランドルフはノートを閉じて肩掛け袋に入れ、立ち上がって自習室を出た。

 学徒リシアは、ロビーも歩き過ぎ、そのまま館外に出た。

 ランドルフは、受付にカードを渡して自分の剣を受け取り、腰に吊った。騎士学校では、剣の重さを忘れないため、建物の外では常に帯剣すべしという規則がある。ランドルフにいわせれば前時代の遺物のような規則だが、規則である以上従うほかない。


 庭の木陰のベンチに、学徒リシアは座った。木漏れ日を浴びる顔も姿も美しい。

 リシア・ウォーレン。

 何番目かは知らないが、ウォーレン家の娘だ。ウォーレン家は外交畑で歴代王を支えてきた重臣の家で、今はリシアの父が外務大臣を務めている。


 リシアは緑のネクタイをしている。つまり四年なのだ。

 騎士学校には女性の学徒は少ないが、まったくいないわけではない。女性は騎士になれないから、女性で五年に進んだ人はいないはずだが、四年まで進んで識士資格を得た人はいる。いずれも王宮でそれなりの職に就き、辣腕をふるっていると聞く。

 入学時の学徒数は三百人だ。千人以上が受験して合格するのが三百人なのだ。

 これが二年になるときには二百五十人ほどになり、三年では二百人前後、四年では百人足らずとなる。今年は確か八十人ほどだ。リシアはその八十人に残っているのだから、相当に優れた能力を持っているとみていい。


「お座りになりませんか。騎士ランドルフ様」

「ふむ。わしのことは学徒ランドルフと呼んでもらいたい。人が聞いておらんように思えてもな」

 ランドルフは座ろうとはしなかった。ベンチは一つしかなく、座ればリシアの隣ということになる。〈一つのベンチに座る〉という言い回しは、男女の交際の始まりを意味するが、いくら孫ほど年の離れた女性であっても、同じベンチに座ったなどという噂が立ってはまずい。

 リシアのほうが上級生なのだから、騎士学校での習慣からすれば、ランドルフのほうが敬語を使い、敬意をもって接するべき相手ということになる。ランドルフを立たせてリシアが座るのは、不自然なことではない。


「祖父から聞いたのですが、外交交渉の際に財務官僚を連れていく慣習は、ランドルフ様の建言で始まったそうですね。財に詳しい者の目は、戦や外交だけしか知らないものとは別のものを見ることができるからと」

「何かの間違いじゃろう。わしは歴代王の護衛や使いは務めたが、政策や外交に口出しするような立場ではなかった」

「そのように建前をおっしゃらないでくださいませ。わたくしは、あなたの思考のなさり方に興味があるのです。〈チュリアントの戦い〉のとき、あなたはわざと敵の兵力が多くなるよう手を回されましたね」

「ほう」


 確かにそれはランドルフのしわざだ。だがランドルフがそのように仕組んだことを、王以外に気づいている人物がいるとは思わなかった。

「そしてあなたは単身、蛮族の長を説いて兵を借り、敵の補給物資を奪い取ってしまわれた」

 それはランドルフが王のそばを離れ、兵を率いて戦った数少ない戦闘の一つだ。

「結局、兵数の多さが災いして、敵は食料も武器も足りなくなり、降伏せざるを得なくなった」

「あれは騎士キドフリーの攻めがうまかったのじゃ」

「キドフリー様に作戦を授けたのもランドルフ様なのでしょう?」

 まさか知られているのだろうか。いや、そんなはずはない。この少女はかまをかけているのだ。


「それも何かの勘違いじゃな。もしわしがそんなことをすれば越権行為もはなはだしいし、キドフリー殿はご自分の考えを簡単に変える人ではなかった」

「そうですか。それなら、そのことはそうしておきましょう。わたくしが言いたかったのは、いえ、祖父が申しておりましたのは、ランドルフ様は戦や外交に経済の知見を持ち込まれたということです。その発想の仕組みをわたくしは知りたいのです」

「わしの算術の点数はひどいものじゃ。猛勉強しなくては、期末試験も危うい」

 リシアは声を立てて笑った。気持ちのよい笑い声だ。


「あの古狐は韜晦もうまいから気をつけろとおじいさまがおっしゃっていましたが、本当にランドルフ様は愉快なおかたですね」

「古狸殿にとんだ評価を頂いたものじゃな」

 リシアは今度は体を震わせて笑った。つぼに入ったようで、その笑いは長く続いた。そのあと、リシアは表情を引き締めて言った。


「ランドルフ様。わたくし、騎士資格を目指しております」

「なにっ。しかし、女性では」

「ええ。騎士にはなれません。でもわたしくしは女でも騎士資格を取れるのだと証明したいのです。そしてその騎士資格を持って王宮に乗り込みたいのです」

「それは結構なことじゃ。この世の人間の半分は女性なのじゃからの。人のための政を行う重臣や官僚の半分は女性でよい」


 リシアは美しい目を大きく見開いた。もちろん、女性が重臣になれるわけがない。官僚といえど、責任ある長の立場に女性が立てることはない。それを誰よりもよく見てきたはずのランドルフが、いともあっさりと、重臣や官僚の半分は女性でよい、と言ってのけたのだ。驚かずにはいられない。

 そのランドルフは心の中で、もしやこのおなごは王国ではじめての女性大臣になるかもしれんのう、と思っていた。


「なんて柔軟な思考。あなたさまは不思議なおかたですね。ところで、ランドルフ様」

「うん? 何かの」

「失礼ながら、あなたさまには奥様がいらっしゃらないのでしたね」

「ああ。妻は早くに逝ってしもうた」

「ランドルフ様。お時間のあるときで結構ですから、わたくしに剣をお教えくださいませんか」

「なに?」


 剣が学びたければ父親に頼んで名人達人を呼べばよいではないか、と一瞬思ったが、ここは部外者の立ち入りが禁止されているし、学徒が学外に出ることも禁止されている。十日に一度は休日があり、その日は学校の外に出ることができるが、それでは剣術の指導を受けるのはむずかしいだろう。少なくとも、時宜を得た指導は受けにくい。


「わたくしの夢をお手伝い願えませんか?」

「わかった。わしも勉強に余裕のある身ではないが、都合がつくときならお相手をさせていただこう」

「まあ、うれしいこと! お約束ですよ」

「うむ」


 ところで、こうして会話している二人の様子を、離れた場所の木の陰からじっとにらんでいる者がいる。学徒ボンクレだ。カルガンの太守の御曹司である。今三年なのだが、受験までの勉強が長かったので、今の年齢は二十歳だ。


 ボンクレは、リシアに激しい恋心を抱いていた。

 そのリシアの笑顔を独り占めにしている学徒がいる。

 年寄りのくせに入学した奇妙な男だ。入学前は無職だったという。どうしてこんな男が入学できたのか不思議でしかたがないが、そんなことより問題は、この年老いた男がリシアに色目を使っていることだ。神聖なる学びやでそのような邪心を許すわけにはいかない。

 憎悪をたぎらせた目で、ボンクレはランドルフをにらみつけた。


 もちろんランドルフのほうでは、そこに誰かがいるということも、いささか剣呑な気配を放っていることも承知していた。

 だが今は、そんなことはどうでもよかった。早くこの場を離れて勉強したかった。

 算術の試験は、本当に危ういのだ。中間試験のときは、最初五十六点で、補習で猛勉強した結果、再試験では六十三点を取った。だが、期末のむずかしさは中間の比ではない。今までのどんな戦いより、ランドルフは追い詰められていた。


4


「ランドルフ。俺と決闘しろ」

「断る。ところで、あんた誰じゃ」

「貴様! 上級生に向かってその言いぐさは何だっ。しかも座ったままでとは。礼儀を知らんにもほどがある。俺はボンクレ・ピンチ。カルガン太守家の跡継ぎだっ」


 どうしてこう次々と邪魔が入るのだろう。試験まであと三日しかないというのに。たぶんこの図書館の自習室のこの席は呪われているのだ、とランドルフは思った。

 よっこらしょ、と声を出しながらランドルフは立ち上がった。じじくさい掛け声と動作が実に堂に入っている。何しろランドルフは六十二歳なのだ。


 ボンクレは赤のネクタイをしている。三年だ。確かに上級生ではある。

「失礼しました、上級生殿。それで、何のご用でしたかの」

「俺はお前に決闘を申し込んだんだ」

 周りの机に座って勉強している学徒たちが、ひどく迷惑そうな目でボンクレとランドルフを見ている。みんな期末試験前で、必死なのだ。何しろ家の名誉と自分たちの将来がかかっている。

 ため息をついてランドルフはノートをしまい、出ましょうかの、と小声で告げて図書館を出た。


 少し離れた場所に歩いて、ランドルフは立ち止まった。

 ボンクレも立ち止まった。

「それで? 何のご用でしたかの」

「だから、決闘だ!」

「お断りします。今わしは試験の準備で手一杯ですのでな」

「逃げることは許さん! もし断るというなら、貴様がリシア・ウォーレン殿にふらちな振る舞いをしようとしたことを校長に告発する」

「ほう?」


 そんなことをしたからといってどうなるものでもない、とは思った。

 だが、嫁入り前の娘には、妙な噂が思わぬ傷になることもある。

 そして、こういう馬鹿は道理を説いても聞かないし、諦めるという知恵もない。

 さらにこんな疑念が巻き起こった。

 こんな粗野で馬鹿な男が、どうして騎士学校に入学できたのか。また、三年に進級できたのか。考えたくはないが、父親がカルガン太守であることと関係があるのか。

 それを確かめるには剣を交えてみるのがよい、とランドルフは考えた。


 ではさっさと片付けましょうとランドルフは言い、職員室に足を運んだ。

 オネガンがいたので決闘の受付を頼んだ。

 闘技場に行くと、二十人少々の学徒が木剣を振っていた。模擬戦をしている者もある。期末の実技試験に備えているのだろう。

 決闘が行われると知って見学に来た者もいるし、そのまま練習を続けている者もいる。

 審判役のオネガンが、決闘の開始を宣言した。


 戦ってみると、剣筋は悪くなかった。

 炎のように激しい攻撃をするが、それで隙だらけになるということもない。

 見え透いた誘いには乗ってこない。

 細かな技にもそれなりに対応する器用さもある。

 体力もある。

 体格もいい。ランドルフとほとんど同じほど身長があり、筋肉はずっとたくましい。

 何より剣筋にゆがみがない。心のゆがんだ人間は剣もゆがむものだ。剣筋にゆがみがないということは、性根が悪くないということだ。


 この男は鍛えればものになる、とランドルフは思った。しかし短慮で感情に走るところがあり、その面での成長がなければ衛士の資格は取れないし、まして四年に進むことはむずかしい。

 ランドルフはいろいろなわざをみせてやった。

 ボンクレの攻撃は次第に慎重になった。

 ランドルフは攻撃に転じ、多彩なわざでボンクレを翻弄した。

 そして最後にボンクレの両の手首を木剣で軽くなでた。

 ボンクレは木剣を取り落とした。今は手がしびれて何を持つこともできないが、少したてばしびれは消える。

 オネガンがランドルフの勝利を宣言した。


 観衆から拍手が上がった。

 ボンクレの権力におもねるような空気は感じられない。むしろランドルフを称賛している。騎士学校の学徒だけに、ランドルフのわざのすごみがわかるのだ。

 闘技場をあとにしようとしたとき、褐色の肌をした精悍な面立ちの学徒が、拍手をしながら近づいてきた。確かパリスとの最後の決闘も見学していた学徒だ。今はネクタイを着けていないが、五年だったはずだ。


「やあ、お見事。さすがは〈鬼神ランドルフ〉殿ですね」

 ランドルフは眉をひそめた。

 ランドルフの入学は話題にはなったが、ランドルフの名を知っている学徒はいなかったようで、年取った騎士が再就職のために従士の資格を取りにきたというぐらいに思われている。やはり世代が違いすぎるのと、ランドルフの存在は知る人ぞ知るものであり、誰もが広く知っているというような名ではなかった。


 ところがこの五年生は、〈鬼神ランドルフ〉という古いあだ名を知っている。

 もう四十年以上も前、先々代王が南部に遠征したとき、小領の領主が降伏し、領主の館で宴が行われた。その降伏は見せかけのものであり、宴は罠だった。王は閉じ込められ、騎士団と分断された。館には百人の騎士が伏せてあり、その百人が王のいる寝室に殺到した。

 ランドルフは、ただ一人寝室の入り口に立ちふさがり、敵の剣を奪って戦い続けた。そして味方の騎士団が突入するまで、単身王を守り抜いたのである。

 このときランドルフが倒した敵の数は四十人を越えた。

 以来、〈百人斬りランドルフ〉とか〈鬼神ランドルフ〉と呼ばれるようになった。

 しかしそれも昔の話であり、今では知る人もいないあだ名である。その古めかしいあだ名を、この五年生は知っていた。


 その褐色の精悍な顔は、ランドルフにある男を思い出させた。

「私の名はマホメル・ラタジット。クェンティ・ラタジットの孫です」

 やはりそうだ。クェンティ・ラタジットは、現在のゾンバール太守、かつてのゾンバール王の親衛隊長をしていた男だ。その剣技のするどさは、ランドルフを死の一歩手前まで追い詰めた。

「次は私と決闘していただけますか、ランドルフ殿」

「いや、勘弁してくれ」

 どうにかその場を逃れたが、リシアにまとわりつかれた。

 寮に帰ってから必死で算術の勉強をした。


5


 今日は休日である。そして明日が算術と王国地理と王国史の期末試験だ。

 ランドルフは決心した。

 今日は一日寮の部屋で勉強する。

 本当は家に帰りたい。家に帰って孫たちの顔を見たい。

 だが、心を鬼にして机に向かった。


 最初の問題を解いたところで、ドアを叩く音がした。

「ランドルフ殿、おられるか」

 驚いたことに騎士学校校長である騎士ハスル・カーンの声だ。

 いない!と言ってやりたかったが、そうもいかない。

「うむ。何かご用ですかの」

 そう言いながらドアを開けた。


 校長の後ろに騎士が立っている。

 誰だか気づいて、さすがのランドルフも驚いた。

 騎士ヴリエント・バグラー。

 王陛下の側仕えだ。ランドルフの後任といえなくもない。もっとも、今のストーリン王国は、ランドルフが若いころと違い、大陸全土を治める大国で、その側仕えの地位は非常に高い。つまり無役の隠居であるランドルフからみれば、はるかに高位の騎士だ。


 騎士ヴリエントが口を開いた。

「騎士ランドルフ殿。陛下よりの勅命です」

 ランドルフは流れるような動作で騎士ヴリエントの前にひざまずいた。

 いったい何が起こったのか。


 ボーン家は国王の直臣ではあるが、今のランドルフは役職のない一隠居だ。その隠居に対してボーン家の当主も通さず勅命が下るというのは異常である。

「騎士ランドルフよ。今ひとたびわが剣となれ。ただちに王都東門に赴き、魔獣討伐の総指揮を執れ。以上です。ランドルフ殿、とにかくこちらへ」


 寮の建物の前に王家の紋章が入った馬車が待っていた。その横に三頭の馬を連れた二人の騎士がいて、敬礼をしてよこしたので、答礼をした。親衛隊のマントを羽織っている。二人とも一騎当千の強者だ。

 勧められるままに乗り込むと、馬車は慌ただしく出発した。


「魔獣討伐じゃと?」

「ランドルフ様。時間がありません。単刀直入に申し上げます。ワイド迷宮で魔獣の大暴走が発生しました。兆候を発見した冒険者ギルドが遅延作戦を行っていますが、押さえきれないということです。おそらく一刻もしないうちに、魔獣は王都に押し寄せます」

 ランドルフは大きく息を吸って腹に力を込めた。その姿に老いはない。この瞬間、ランドルフは現役に戻っていた。


「こちらの戦力は」

「第二騎士団から第八騎士団はいずれも遠征中。間に合いません。王都に残るのは第一騎士団のみ。冒険者ギルドには、王命により全冒険者強制出動をさせました」

「ワーグナー殿は」

 第一騎士団の騎士団長は騎士ワーグナーだ。武名の高い名将で、その指揮なら雑多な冒険者たちも動かせるはずだ。

「腰痛で出動できません」

 騎士ワーグナーはランドルフより十五も若いのに、腰痛とは情けない。しかしそういうことなら是非もない。


「ランドルフ様。鎧を準備してあります。お着替えを」

 揺れる馬車の中で鎧を装着するというのはなかなかの難事だが、熟練の騎士というものは、どんな場所であっても鎧を身に着けることができるものだ。


 鎧をまとうと、騎士ヴリエントが剣を差し出したので受け取った。

 魔剣ゾナ。

 まさかもう一度手にすることになるとは。

「陛下が驚いておられました。まさかランドルフ様が今さら騎士学校にご入学なさるとは。事情をお聞きになって、大笑いしておられましたが。従士資格が欲しければ、余にひと言申せばよいものをと」

 王に願い出れば従士資格をもらえることはわかっていた。しかしそれを孫娘がどう思うか。縁故を利用してずるいことをした、と思うかもしれない。きちんと騎士学校に入り、試験に合格して得た資格とは、値打ちが違う。


「恨み言もおっしゃっておられました。領主を引退なさったとき、陛下はランドルフ様を顧問官になさりたかったのに、体調が優れないからとお断りになられた。ところが十四歳の若者にまじって騎士学校の訓練をこなしておられるのですからね」

「もう年寄りが出しゃばる時代ではない。若い者たちがこれからの国を作ってゆくのじゃ」

「財務大臣のマール侯は、八十一歳でまだ現役です」

「あんな怪物と一緒にしてもろうては困る」

 それにマール侯は戦場で身を削ってきたわけではない。そう言ってしまえば武官が文官をさげすむ物言いになるから口にはしないが、それもまた事実だ。


 話しているうちに東門に着いた。

 馬車を降り、随行の騎士が連れた馬に乗って進んだ。

 案の定、第一騎士団の副団長が、ギルド長ともめている。副団長は一本気ないい男で、武功と忠誠で成り上がったものの、いささか視野が狭い。冒険者を騎士のように命令に従わせることはできないし、してもあまり意味がないのだが、副団長にはそこがわからない。


 見れば地平線に土煙が上がっている。間に合ったようだが、あまり時間はない。

 騎士ヴリエントが勅命をもって指揮官の交代を行った。

 ランドルフは手早く指示をした。

 門の正面には騎士団が、その両翼に冒険者を配置する。

 冒険者はパーティーごとに固まってよいが、弓職と魔法職は陣太鼓に合わせて攻撃する。

 一つ打ちで弓攻撃を始め、二つ打ちで魔法攻撃を行い、乱れ打ちで突撃する。

 乱戦になったら、冒険者は各パーティーの判断で敵を選び、進退を行う。

 騎士団は半数の部隊が突撃し、半数の部隊が門を守る。

 指示はこれだけだ。


 配置が終わったとき、魔獣の集団はもう目の前に迫っていた。

 ランドルフは敢えて最前列に陣取った。

 王都の近くで魔獣の大暴走が起きるなど、二十数年ぶりのことだ。若い者は浮き足立っている。こういうときには、指揮官の揺るぎない姿が何より効果がある。幸い、第一騎士団には今でもランドルフを知っている者が多い。冒険者ギルド長も古なじみだ。かびの生えた威名が、こういうときには役に立つ。


 頃良しとみて、ランドルフは右手を肩の高さに上げた。伝令が命令を伝え、陣太鼓が鳴る。

 だん! だん! だん! だん! だん! だん!

 たちまち弓攻撃が始まる。広く横に展開した騎士団と冒険者たちから、無数の矢が山なりに飛んでゆく光景は圧巻だ。騎士団の弓隊には、乱戦になる前に矢を使い尽くす勢いで撃てと命じてある。


 少し間を置いて、ランドルフは右手を高々と空に向かって突き上げた。伝令が命令を伝え、太鼓の打ち方が変わる。

 だだん! だだん! だだん! だだん! だだん! だだん!

 待ち構えたように魔法が炸裂する。

 さまざまな色を持つ多様な魔法が魔獣たちを蹂躙する。

 魔法使いのなかには矢より遠くに魔法を飛ばせる者もいるが、それでは集中砲火にならない。また、どうしても魔法の場合、距離が近いほうが威力が高い。

 だから臆病な魔法使いが恐怖で逃げ出す直前まで攻撃をさせなかった。

 その反動であるのか、狂気のような魔法攻撃が嵐のように魔獣たちに降りそそいでいる。

 とはいえ、魔獣は騎士団のように整然と行軍しない。粗密があるし、最前列から最後尾までは恐ろしく距離がある。もっと密集していればもっと大きな被害を与えられたのだが、そううまくはいかない。

 それでも矢と魔法の集中運用で、足止めができた。


 ランドルフは、高々と突き上げた右手を前方に振りおろした。伝令が命令を伝え、太鼓の打ち方が変わる。

 だらららららららららららっ! だらららららららららららっ! 

 副団長の突進命令が響き渡り、騎士団の各部隊が突進してゆく。冒険者たちも三々五々左右に散って前進してゆく。

 騎士団は密集して数の利を生かし、中央を突破し、敵を撃滅してゆく。左右にばらけてゆく魔獣たちを、冒険者たちが思い思いに討ち取ってゆく。冒険者たちには相手を見定める眼力がある。自分たちのパーティーの手に負えないような強力な魔獣は相手にしない。それが生き残る知恵というものだ。


 うまくいっている。

 あの陣形を組ませ、ああいう命令をすれば、こういう動きになるのは必然だった。

 全体ではうまく戦えている。しかしまだまだ到着していない魔獣も多い。それに人間は疲労すれば戦えなくなるが、魔獣は死ぬまで戦う。魔法使いたちの魔力も弓部隊の矢も、すでに大きく消費している。長引けば人間側が敗北する。


 ランドルフは、じっと戦場を見つめている。

 若いころには魔獣の大暴走は珍しいものではなかった。王都内に魔獣の侵入を許してしまい、阿鼻叫喚の地獄絵図をみせつけられたこともある。

 そうした経験から、魔獣の大暴走が起きるには、決まったパターンがあることをランドルフは知った。

 最も多いのは、魔獣が迷宮にあふれてしまうことだ。だから近年の王国では、迷宮の階層主の討伐に王宮から賞金を出すことで、冒険者たちが絶えず迷宮の魔物を駆逐するような政策を採っている。王都の近くにあるワイド迷宮で駆除が滞っていたとは考えにくい。

 となると、もう一つの可能性が考えられる。

 魔獣を暴走させるような統率者が現れたという可能性だ。

 だからランドルフは、その統率者を捜している。


 いた。

 左翼の奥に、少数の強力な魔獣に守られ、悠然と前進する一団がある。あの一団だけが狂騒の渦から浮いている。あそこに統率者がいるのだ。たぶん間違いない。

 ランドルフは、魔剣ゾナの封印の鎖をはずした。

 とたんに頭の中に耳障りな甲高い声が響いた。

《あらら! 久しぶりに封印が解けたと思ったら、ランちゃんじゃないの》

 その声を無視して、ランドルフは馬の腹に拍車を入れた。馬が突進を始める。いい馬だ。


 右後ろと左後ろに付いてくる者がある。親衛隊の騎士二人だ。王からランドルフを守るよう命じられたのだろう。

《早く抜いて! あたしを抜いて! 戦場が見たいのよ! 血と殺戮が見たいの!》

 ランドルフは魔剣ゾナを抜き放った。禍々しい漆黒の剣身が白日のもとにさらされる。じっと見つめているだけで正気を失いそうになるほど、凶悪で官能的な剣身だ。

《斬って! 斬って! あたしで斬って! すべてを斬って》


 前に立ちはだかる魔獣がいる。

 右後ろの騎士と左後ろの騎士が前に進み出て、進路をふさぐ魔獣を斬り伏せ、はじきとばす。ランドルフのために血路を開いてくれている。

 前方が開け、魔獣の小集団の手前にたどり着いた。


 赤い魔法攻撃が飛んできた。

 ランドルフは前に進み出て、魔剣ゾナで魔法を弾き飛ばした。


 白い魔法攻撃が飛んできた。

 ランドルフは魔剣ゾナで魔法を粉々に打ち砕いた。


 青い魔法攻撃が飛んできた。

 ランドルフは魔剣ゾナで魔法を打ち返した。

 先頭を進む魔獣の足元で、打ち返された魔法が爆発する。

 その爆煙の中にランドルフは突進する。


 目の前に〈死者の王〉がいた。

 干からびた指でランドルフを指し、緑の光球を飛ばしてくる。

 魔剣ゾナでその光球を斬り裂き、さらに突進して、〈死者の王〉の首を飛ばした。


《ああん! 素敵! 素敵! もっともっと殺して! あたしに食べさせて!》

 ランドルフは、近くにいた強力な魔獣二体を斬り倒した。

 随行の騎士二人もよく働いている。

《なんてごちそうなのかしら! ランちゃん、今夜は二人でめくるめ》

 ランドルフは魔剣ゾナに封印の鎖を付けた。


 ひどく強力な魔獣を斬ってしまった。これで魔剣ゾナはさらに大きな呪いの力を得たわけだ。この次この剣を抜くのが誰か知らないが、ご愁傷さまじゃ、とランドルフは思った。


 魔獣たちは狂ったような前進をやめ、戦意を失った。逃走してゆく魔獣も少なくない。これであとは掃討戦だ。もう総指揮官は必要ない。

 ランドルフは馬を走らせ、騎士学院に向かった。相変わらず親衛隊の騎士二人が付いてくる。騎士ヴリエントの姿は見えない。たぶん王のところに報告に向かったのだろう。

 騎士学校に着くと、ランドルフは魔剣ゾナと馬を親衛隊の騎士二人に返した。鎧は校長に預けて王宮に返却すると伝えた。


 そして寮の自室に戻り、ばったりとベッドに倒れ込んだ。

 魔剣ゾナは、使用者の生命力を吸い取って力を振るう。

 もう何をする元気も残っていなかった。


6


 翌朝起きたときは、すでに朝食時間が終わり、もうすぐ試験が始まるという時間だった。遅刻した者は試験を受けられない。つまり、強制退学が決定する。

 ランドルフは気力で起き上がり、どうにかこうにか三教科の試験を受けた。

 魔剣ゾナを使った後遺症で意識はもうろうとしており、あとになってみてもどんな解答を書き込んだか覚えていなかった。


 翌日とその次の日は実技系の試験があった。まだ本調子ではなかったが、ランドルフは何とか乗り切った。

 学科の試験の点数が出た。ランドルフは凍り付いた。


 王国史六十八点。

 王国地理五十四点。

 算術三十二点。

 老騎士ランドルフの勉強は終わらない。


〈了〉

続きません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 寝る前にこの短編小説をもう一度読みました。本当に青春にあふれる物語です。(主人公はバルド・ローエンのような老騎士ですが、それが彼をさらに可愛らしくしています。)ここ二日間、私はとても憂鬱な…
[良い点] 很可爱很有活力的短篇,似乎有不少作者其他作品里的梗
[良い点] 最強ジジイ大好きです。 ちゃんと算術の点数がシビアな結果で終わるのが良いw
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