8 ジョゼフィーヌside
昔から大切なものは変わらない。
新緑色に金糸で刺繍が施された芸術品のような美しさの装丁の本。
色とりどりの色彩で描かれた様々な場所の植物。
それらは私にとって、外の世界への扉だった。
北国、1年の半分以上が雪で閉ざされる白銀の世界。
それが私が生まれた国だ。
どこまでも続く真っ白な景色は、心細さと自然の厳しさを私たちに教えてくれる。
農作物が育ちやすいわけでもなく、港は凍り付き交易は進まない。雪に閉ざされれば行商人だって足を運べない。
そんな故国は豊かなはずがなかった。
王族にとって最大の収入源が、王家に生まれる娘たちだ。
王家に生まれる娘たちはみな色素が薄く、儚く、人形めいた美しさがあるという。だからこそ、見た目の良い娘たちを他国の王族や高位貴族、大商人たちに売りつける。
政略のためではなく、誰よりも高い値をつけた者へと贈られる最上級の贈り物。
私はそのために王家に生を受けた。
めでたしめでたしで終わるハッピーエンドの絵本。
そんなお話を楽しく読めなくなってしまった5歳の頃だった。
それは絵本の中にある幸せが自分には訪れないことを知ったから。
愛されずに生まれ、外見を愛でられるために売られる。
めでたしめでたしになるはずもない。
使用人たちが可哀そうなものを見る目をこちらに向ける、その理由を正しく理解した。
そんな5歳のころ、いつものように城の図書館をさまよっていると、他の本とは明らかに違う、美しい装丁の本と出会ったのだ。
新緑色に金糸の刺繍。それはまるで自分のために作られたような配色で、幼いジョゼフィーヌの心をぐっと掴んでしまった。あの瞬間に、ジョゼフィーヌの中の大切なものが決まってしまったのだ。
その本を思わず手に取り中身を見ると、植物の本であることが分かった。ただ、まだ5歳で碌に教育も受けていないジョゼフィーヌにとっては難しく、最初は美しく描かれた挿絵を眺めているだけだった。
美しい挿絵を堪能したころには解説が読みたくなり、ジョゼフィーヌは独学で難しい文字を覚えた。そうすると、解説で紡がれている文章が今まで読んでいた絵本とは比べ物にならないほどに美しいことに気づいたのだ。
念のため、他の図鑑も確認する。それでもやはり、美しい文章と感じるものには出会うことができなかった。
そのうち解説文に出てくる様々な地域のことを知りたくなる。それからは地図を見て、各地域の風土記などを読んだ。
たった一冊の美しい装丁の本。それがジョゼフィーヌの人生を丸ごと大きく変えたのだった。
美しい図鑑によると、研究の第一歩は観察らしい。
研究対象として自らの家族を観察したところ、5歳のジョゼフィーヌはたくさんのことを理解した。
絵本の中の家族は手をつなぎ、抱きしめ、時には共に眠ることすらあるようだ。
城をこっそりと抜け出して観察した市井でも、父に肩車をされる少年や転げて泣いている少女を抱きしめる母の姿を目にすることができた。
物覚えの良いほうではあったのに、私にそういった触れ合いの記憶は一つもない。
そうして父や母、兄たちを見ていると、あることに気づく。
彼らはみんな、ジョゼフィーヌのことを娘や妹として見ていないのだ。
彼らにとってのジョゼフィーヌは、美しく高額な家畜。
ただそれだけのようだった。
なぜなら彼らはジョゼフィーヌが何をしていても、視界にさえ入らなければ何も言わない。
普通であれば、絶望を感じるその結論。
しかしジョゼフィーヌにとっては救いとなった。
「なあんだ。そもそも娘とすら思っていないなら、愛される訳もないじゃない。」
ふふんと笑いながら、城の廊下を歩いて行く。
「私のこと、どうでも良いというのも知れて良かった。何をしても見つからなければ怒られない。」
くふふと含み笑いをしながらずんずんと進む。
そもそもよく考えてみれば、姉たちを売り払って得たお金で贅沢の限りを尽くす。そんな父の贅肉で分厚くなった手で頭を撫でられたところで嬉しく感じる訳もない。
娘には一切の興味を示さずに、チョコレート、ケーキ、クッキーと贅沢な甘味ばかりを流し込むように食べる。そんな母にキスをされてしまったら、私までチョコレートに変身してしまうかもしれない。
女であることを蔑み、からかってくるばかりの兄たちに手を繋がれたら、そこに感じるのは愛ではなく恐怖だろう。その時は、今からどこへ売られるのかと覚悟を決めなければいけない。
絵本で見るような幸せは、私にとって嘘の物語だ。
家族の愛を諦める。
それはジョゼフィーヌの心の中にあった鉛のような消えない重さをかき消した。