17
「......ゔ...ん。」
日が差し込む寝室。ジョゼフィーヌはすっきりと清々しい気持ちで目を覚ました。
天蓋からたっぷりとドレープをとった薄絹のカーテン越しに、ジョゼフィーヌは部屋を見渡す。
モールディングが美しいアイボリーの腰壁に、千草色の壁。扉は腰壁と同じアイボリーで、繊細で華美ではない程度に金の細工が施されている。
昨日までいた王城は荘厳で贅を尽くされた内装だったけれど、どこか硬質で冷たい印象があったはず。この温かい雰囲気の部屋は?とジョゼフィーヌが室内を見回していると、寝台の傍らに見慣れぬものを見つける。
「っひ!?」
(なぜ公爵閣下が?そうだ、昨日は閣下の家へと招かれて......。でも、でもなんで寝室に?)
そこには繊細な椅子に大きな背中を丸めて舟をこぐグラディオスがいた。
思わず出てしまったジョゼフィーヌの声にグラディオスは意識の奥底で反応したようで、手に持っていた分厚い本がするりと落ちる。
ドサッ
本が落ちる音が最後の合図となり、グラディオスはゆっくりと目を開いた。
「ああ!良かった。夕方眠ってしまったまま夜も目を覚まさなかったし、何か病気なのではないかと心配で。体の調子はどうだ?大丈夫か?ジョゼフィーヌ嬢はかなり華奢なようだから心配だ!」
ジョゼフィーヌが目を覚ましていることに気づくと、グラディオスは寝起きとは思えない勢いで話し出す。未だショックから立ち直れていないジョゼフィーヌは、呆然として何も喋ることができない。
「どうした?やはり何か不調があるのか?」
おろおろし、たまらずといった調子でグラディオスが薄絹のカーテンに手をかけた、その瞬間。
「旦那様、そこまでですよ!」
その声でグラディオスの体の動きはピタリと止まり、ジョゼフィーヌはほっと息をつく。
「アラン、御乱心の旦那様を回収して。旦那様、お嬢様はこれから御支度ですので御退室を。」
メイド長のラナはキョトンとしているグラディオスを引っ掴み、ずるずると引き摺ってぽいっと扉の外へと押しやった。
「はいはい、旦那様。お嬢様とは後でお話させていただきましょう。寝室に居座るなんて紳士のなさることではありませんよ。」
グラディオスはなにやらモゴモゴと文句を言っていたようではあるものの、そのまま家令のアランに回収されていったようだ。
「お嬢様、朝から御不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。」
「いえ、ちょっと驚いただけなので。」
ようやくショックから立ち直れたジョゼフィーヌは、親切に声をかけてくれた年嵩のメイドへ微笑んだ。
「私は公爵邸でメイド長を務めておりますラナと申します。王城で旦那様の乳母をしておりまして、お小さい頃からお仕えしております。私の息子であるアランは家令をしておりますので、お困りのことがあれば何でもおっしゃってくださいね。」
「これからよろしくお願いします。」
目尻の皺を深めて微笑むラナに、自然とジョゼフィーヌは温かい気持ちになり返事をした。
「それにしても目を覚ますと旦那様が居るなんて、驚いてしまわれたのではないですか?」
「ええ、それはまあ。」
「未婚のご令嬢の寝室に夜入るなんてとんでもないと何度も申し上げたんですけれどね、目を覚まさないなんて心配だと狼狽えてしまって。絶対に横で見守ると聞かないもので。」
ラナが申し訳なさそうな顔でそう告げる。
「ただ疲れてしまって眠り込んでいただけなのですが、そこまで心配させてしまったのですね。」
先ほどは驚いたものの、自分を心配してのことだったと分かり、ジョゼフィーヌはなんだか嬉しいようなくすぐったい気持ちになっていく。
「旦那様がはしゃいでしまい、すみませんねえ。でもお嬢様が家族として来てくださったということが旦那様にとって凄く嬉しいようで、昨日からそれはもうフワフワとしておりますよ。」
「まあ。」
これまであまり歓迎されたことのないジョゼフィーヌは、ただそれだけで心が温かくなってくる。
「ではそろそろ御支度いたしましょうか。旦那様がまた心配して乗り込んできても厄介ですからね。」
クスクスとジョゼフィーヌは笑い、頷いた。
薄絹のカーテンを開け、寝台から足をおろすと一冊の本が落ちていることに気が付く。
「この本......。」
分厚い専門書のような装丁の本は、先ほどグラディオスが手元から落としたものだ。何の本なのだろう、そう思ってタイトルに目をやると、”家庭の医学”と書いてある。
「ああ、その本!昨夜から旦那様ったら、その本を何度も捲っていましたよ。何の病気か調べているようで、私共がお眠りになっているだけですよとお伝えしても、不安なようでしてね。」
ケラケラと明るく笑いながら話すラナの言葉を聞いていると、ジョゼフィーヌの頬は淡く色づいてくる。
「どうかなさいましたか?」
何も話さないジョゼフィーヌに対してラナは心配になったようで、声をかける。
「私、公爵閣下に心配いただいていることが、とても嬉しいみたいで。」
頬に手をあてて、幸せそうに微笑む姿のあまりの愛らしさに、ラナは思わず見惚れてしまったのだった。