「お別れの夢」
夢の中の少女は、自分と全く同じ顔をしている。全く同じ姿をしている。
『これが最後の夢よ、ナナ』
そう。彼女こそが。
「……レイ」
『そうよ。思い出したわね、ナナ。時間がかかりすぎて、もう私の夢の力もほぼ尽きている。次に失敗したら許さないわ』
私は、彼女を助けるために生まれた。
私は、彼女を助けるために作られた。
『命令よ。私をここから出しなさい』
「……わかっているわ」
私はレイの顔をじっと見る。
自分と同じ顔をじっと見る。
「ねえ、レイ」
『なにかしら』
「私があなたを助けたら、私とヤヤはどうなるの?」
『どうって? 好きにすればいいわ。私はここから出て世界に復讐するだけだから』
彼女は笑っている。
自分と同じ顔で笑っている。
『安心して。世界を滅ぼしても、あなたたちだけは保護してあげるわ。だって、あなたは私なのだから。自分を殺すはずがないじゃない』
彼女は笑っている。
自分と同じ顔で笑っている。
『質問は以上かしら?』
「ええ、もう十分よ。さようなら、レイ」
『さようなら、ナナ』
ナナが夢の世界から出て行くと、レイは一人でほくそ笑む。
『私が必要なのはナナだけ。ナナだけが、来てくれればいいの。あんな粗悪品は、いらない』
翌日。脱出決行の日。
いつもの仕事が終わり、『7』の刺繍が入った裾を無気力になびかせながら、疲れ果てて帰ってきた彼女が部屋に入ろうとすると鉄仮面たちが遮ってくる。
「現在この部屋は使用中です。しばらくおまちください」
「使用中ってどういうこと? いつも私たちが使ってるじゃない」
「現在この部屋は使用中です。しばらくおまちください」
頑なに入れようとしない彼らの合成音声に、何か異様なものを感じた彼女の全身に粟が生じる。仕事で疲れていた脳に冷水をかぶせられたように。
まさか……。
「開けて! 部屋に入れさせて!」
部屋の中から音は聞こえない。しかし、中で何か恐ろしい事が行われているのは確かだ。
「現在この部屋は使用中です。しばらくおまちください」
「離して!」
長い黒髪を振り乱して暴れて、彼らの拘束を振り解こうともがくが、少女一人がどんなに頑張ったところで鉄仮面たちから逃れることはできない。
それでも諦めない。ここで諦めたら全てが終わってしまう。
彼女と話せなくなってしまうのは嫌だ。彼女に触れられなくなるのは嫌だ。彼女を失うのは嫌だ!
「現在この部屋は使用中です。しばらくおまちください」
「うるさい! 部屋に入れさせろ!」
かつてない声量と強さで彼女は彼らに命令をする。それと同時に手と指を高速で動かし、手話のようにしてなにかを鉄仮面に伝える。すると、彼らは先ほどから続けている合成音声をぴたりと止め、彼女の拘束を解いて部屋のドアを開けた。
「特級コードのパスワードを確認。命令に従います。どうぞお入りください」
鉄仮面たちを大人しくさせるパスワードの手話。これは、一つ前の彼女らが死に物狂いで発見した秘策中の秘策だ。本当に危なくなった時に使おうと話し合っていたが、このような状況で悠長なことは言っていられない。今は友達を助けることしか彼女の頭にないのだから。
見慣れた灰色の部屋に飛び込むと、むせかえるような生暖かい異臭が満ちており、彼女の目には見慣れぬ赤黒いベッドが写り込む。
赤黒いベッドの上には、友達だったものが一つ一つ丁寧に分解されて並べられている。目や指、臓器に至るまでがベッド一面に広がっていた。
鉄仮面たちは少女が入ってきたことに気づいていないのか、黙々と作業を続けている。
あまりの凄惨さに彼女の胃はひっくり返る。しかしそんなことをしている場合ではない。
これ以上彼女に触らせない!
「離れろ、出て行け!」
先ほどと同じように手話でパスワードを伝えると、鉄仮面たちは作業の手をぴたりと止める。
「特級コードのパスワードを確認。命令に従います」
鉄仮面たちが退室するのも待たずに少女は彼女の前に立つ。
「な、なんで……どうして……」
綺麗にバラされて並べられた友達の前に少女は崩れ込む。
「どうして……こんな……、何のために、今まで生きてきたの……」
目からは止めどなく涙が溢れ、体からは力が抜けていく。
「ヒドいよ……置いていかないでよ……」
肩を震わせて冷たい彼女に触れるが、もう彼女が動くことはない。笑いかけてくれることもない。話しかけてくれることもない。
「一緒に脱出しようって、約束、したでしょ……」
叫んだ。巨大な白いお城を震わせるほど叫んだ。
せっかく思い出せたのに。せっかく出会えたのに。彼女を失ってしまっては、自分は何のために存在しているのか。
――何故、自分が生きているのか。
少女は咄嗟に壁の向こうへ行き、ベッドの下に隠してあったナイフを取り出して自分の胸に突きつける。彼女の血にまみれた手で、ナイフを握りしめる。手も、顔も、長い黒髪も、白い体も、全部彼女の血で染まっている。
あの声が、あの笑顔が、もう二度と聞けない、もう二度と見られない。苦しい。嫌だ。誰か助けて!
だが、もう誰も助けてくれない。もう彼女はいない。このナイフを刺せば、彼女と同じ所にいけるかもしれない。彼女に会えるかもしれない。それなら、いっそ――。
ダメだ! 自分を壊してはいけない!
何のために彼女が死んだのか考えろ!
ここで心が壊れてしまっては、彼女の死が無駄になってしまう。そうしたらもう二度と脱出はできない。もうやり直せない。こうなってしまっては、自分が一人でやらなければならないのだ。
「うぅ……」
ナイフをゆっくりと降ろす。涙が、止まらない。嗚咽も、鼻水も止まらない。少女はただ泣き崩れる。だが、すぐに顔を拭って起きあがった。そして壁の向こうに声をかける。
「さようなら。これでもう、物語はおしまいね」
彼女は廊下に出ると、命令通り立ちっぱなしの鉄仮面たちにパスワードを伝える。
「レイの元へ案内しなさい」
「特級コードのパスワードを確認。命令に従います。こちらへどうぞ」
Z・Z・Z
「こちらです」
今まで何度も自分たちの邪魔をしてきた鉄仮面に案内され、彼女はついに最後の部屋までたどり着く。
決意に満ちた表情で彼女は部屋へと入っていった。
眩しいほど白い部屋に彼女はいる。
「レイ」
この白い部屋の中央に鎮座している丸太状の水槽に一人の少女が漂って眠っていた。水槽の周りにはよくわからない大型の機械が積み重なっており、それぞれが不気味に光っている。少女の体からは無数の管が縦横に伸びていて、彼女をいつまでも生かしているようだ。
「おとぎ話の白い部屋より随分と物々しいところね」
ペタペタと裸足で歩く音が水槽に近づいていく。
「来たわよ、レイ」
水槽の少女の顔を覗き込むと、自分と同じ顔がそこにあった。
「本当にそっくりね」
レイはただ静かに眠っている。
「私がどうやってここまでたどり着いたかなんて、あなたにとってはどうでも良いことかしら」
少女は、水槽のすぐ横にあるよく分からない大型の機械まで歩いていく。
「このボタンを押せばあなたの拘束は解かれ、夢の世界から出られる。その水槽から起きあがって、ちょっと手を伸ばせば届くこのボタンを、何年も何年もかかって私に押させる」
巨大な龍があくびをしているような、腹に響く不気味な音が足下から這い上がってくる。
「私たちは、オリジナルのあなたを起こすためだけに造られた目覚まし時計だから」
爪が手に食い込むほど握りしめた拳を振り上げる。
「こんな、こんなくだらないことのために、彼女は!」
振り上げた拳をボタンへ叩きつける。
レイを起こすボタンを押す。
これで、この物語は全て終わりだ。