「トモダチの夢」
白い部屋で、顔も見えない少女が泣いている。
『早く私を助けて!』
助けて欲しいのはこっちの方だというのに。
それに、私だけじゃどうしようもない。
そう、誰か。
誰かがいれば……。
仕事は毎日あるわけではない。
およそ三、四日に一度だ。連続でやってきたり、五日以上なかった時もあるが、七日空いた事は一度もない。
仕事の無い日には私は一日中考え事をしている。それしかする事がないからだ。
まず考えるのは、自分は何をしなければならないのかである。『何か』をしなければいけないのだが、その『何か』がどうしてもわからない。どれだけ思いだそうとしても、頭の中がぼやけて何も思い出せなかった。
次に考えるのは、どうやってこの灰色の世界から逃げ出すかだ。
まずはこの病的に細くて白い足に付いている足枷をなんとかしなければならない。足枷には鍵穴などついておらず、鉄仮面たちが外すときにはカードキーのような物を使って外していた。当然、そのカードキーを奪おうとしたことは何度もあるが、未だ成功はしていない。
そして、仮に足枷を外して逃げ出せたとしても、この施設のどこに出口があるのかわからない。
広大なこの施設を闇雲に逃げているだけではすぐに捕まってしまうだろうし、廊下にあった気になる扉も外に続いているのかは開けてみないとわからない。
それからは夢の少女の事を考える。
夢で見るあの白い部屋の少女は何者なのだろうか。あの夢はいつも見るわけではなく、不規則に現れてはよくわからないまま終わってしまう。自分はあの少女を知っているような気がするが、顔も名前も全然思い出せない。
彼女は、「助けて」「自分をここから出して」と言うが、そう言いたいのは自分の方だ。もしかしたらあれは私の心を写した物なのかもしれない。だとしたら、自分で自分に助けを求めるというおかしな事になる。自分が二人にでもならない限り、そんなことは出来るはずがない。
わからない事だらけの考えが終わると、取り留めのない事を考える。
ここに自分以外の人間はいるのか。自分はなぜここにいるのか。今日は何月何日なのか。いつまでこんな生活が続くのか。何故ここではあの恐ろしい力は使えないのか。自分はこれらの事を知っているような気もするが、頭の中のもやが邪魔で、何も思い出せなかった。
ため息を一つ吐いて私はベッドの上を転がる。足枷の鎖がチャラチャラとつまらない音を立てた。そのとき、この部屋の奇妙な壁が視界の端に入り込んでくる。
ベッドの足側にあるその壁は、一見すればただの灰色の壁なのだが、何故か天井と右奥の壁が接していない。天井側には10cmほどの隙間が空いており、右奥の壁には人が横になれば通れそうなほど空いている。もっとも、足枷が邪魔でそこまではいけないのだが。
部屋の見取り図を見ると、ちょうど『曰』のような形になっているだろう。つまり、向こうにもここと同じような部屋があると考えられる。
ここと同じように、ベッドが三つ並んでいる灰色の部屋が。しかし、今の私にはここの部屋のベッドの数すらわからない。
壁の向こうに「ベッドはいくつある?」と呼びかけたこともあるが、当然ながら返事が返ってきた事は一度もない。
いったい何のために隙間が空いているのだろうか。壁の向こうにはなにがあるのだろうか。気になるが、いくら考えても答えは見つからなかった。
わからない。
わからない。
前はもうちょっと何か知っていたはずだ。いつからこうも全て忘れてしまったのだろうか。
だが、それもわからない。
Z・Z・Z
灰色の続くある日。いつもの仕事から帰ってきた少女は今日も泣いている。あの血生臭い光景が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
いつもならここで一人で泣き疲れて眠ってしまうのだが今日は違った。
「どうしたの? 泣いてるの?」
最初は、ついに幻聴まで聞こえ始めたのかと思った。この部屋で言葉を発するのは自分と、鉄仮面の合成音声以外にありえないからだ。
しかし今、彼女は暖かみのある人の声を聞いた。
「もしもーし、大丈夫?」
また聞こえた。
幻聴なんかじゃない。
明るくて少年のような声だ。
壁の向こうから聞こえる。
初めて壁の向こうから声が聞こえた。
「あ、あなたは誰……?」
「おっ、大丈夫そうだね。ボクはヤヤっていうんだ。キミは?」
ヤヤ。名前。自己を証明するもの。
そういえば自分にもそんなものがあった。
確か――。
「私は……ナナ」
自分の名を口にしたのはいつ以来だろうか。いや、もしかしたら、今まで一度もなかったかも知れない。
「ナナ、ね。これからよろしくー」
「ねえ、ヤヤはなんでここにいるの? ここで何をしているの? こっちに来れる?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんないっぺんに答えられないよ。ボクも聞きたいことがあるし、お互いに質問しあわない?」
それもそうだとナナは納得する。人と会話することなど滅多にない――一度も無い?――ので、少し興奮してしまった。了解の意を伝えると、ヤヤは「にひひ」と笑う。
「答えたくないならパスもありでね。それじゃ、ナナから質問して良いよ」
「ありがとう。じゃあ、ヤヤはなんでここに来たの?」
「ボクがここに来たのは自分の意志じゃないよ。あの白衣を着た変な奴らに連れてこられただけ」
自分と同じだ、とナナは思った。
自分も鉄仮面にこの部屋に連れてこられたのだ。それより以前は……忘れてしまった。
「それじゃボクの番だね。ナナはいつからここにいるの?」
「もうずっと前から。気がついたらこの部屋にいたの」
質問をして、答えが返ってくる。たったそれだけのことに、ナナは興奮と喜びを隠せずにいた。ヤヤも今までひとりぼっちだったようで、明かりが消えて夜になっても二人は話し続けた。
質問を続けていくうちにお互いの事が次々と分かっていく。ヤヤの事で分かったのは、ヤヤも自分と同じ様な境遇にいるという事だ。いつの間にかこの灰色の部屋に縛り付けられ、自由に動くことが出来ないという。この部屋に来る前の記憶は無く、今まで何をしていたのかは覚えていないそうだ。
ナナとヤヤには、同じような境遇に、黒髪に白い肌と共通点もあったが、内面は正反対であった。暗く内気なナナは、明るく元気なヤヤに心を惹かれていく。
「じゃあ次の質問よ、ヤヤ。そっちにベッドはいくつある?」
「ベッド? 1、2、3。三つだよ。ナナの方は?」
「こっちも三つ。やっぱりこの部屋には六つのベッドがあるのね!」
「……それ、そんなに喜ぶことなの?」
Z・Z・Z
壁越しの初めての友達にナナの心は躍っていた。
今まで気にしていなかったが、近くに誰かいると思うと、自分の飾り気のなさに焦り始める。みっともなくはないだろうか、と自分を見返してみた。しかしここにはそもそも装飾品など無く、服も『7』と刺繍されたこの灰色のワンピース一枚しかない。つまり、飾りようがないのだ。とりあえずナナに出来ることは、黒髪を手で梳くぐらいしかなかった。
ヤヤも同じように黒髪であるが、短く切ってあるそうだ。もっとも、壁の存在でお互いの姿は見えないのだが。
そして、二人の話は仕事の方へと向かっていく。
「ナナも仕事しているの?」
「……うん」
「どんな仕事? ボクと同じかな?」
たぶん違うだろう。あんな仕事をしていたのなら、こんなに明るく陽気でいられるはずがない。
「……パス」
「ありゃ」
ナナが口を閉ざしてしまうと、ヤヤの方から自分の仕事について話し出す。
「ボクはね、正義の味方をしてるんだ」
「正義の味方?」
「そう。なんかね、黒い部屋に連れて行かれてね、変な目隠しをされるんだ。そうするとね、ボクは別の場所に飛ばされて、あ、大体は廃墟みたいな街なんだけどね、そこである女の子を不思議な魔法で助けてあげるんだ。ついでに街を直したりね」
ヤヤからは見えなかったが、ヤヤの仕事の事を聞いたナナは目を見開き、自分の体を抱くように小さくなる。
「……わたしも、その黒い部屋で仕事してる」
「ホント!? あれって面白いよねー。思ったことがなんでもできちゃうんだもん。じゃあナナも正義の味方をしてるの?」
「……違うよ」
むしろ正反対のものだ。
「わたしは、目隠しされたあと、街に行って……」
言ってしまったら嫌われるだろうか。
軽蔑されるだろうか。
それでも、もう一人で抱えきれない。
抑えきれない。
「……ゴメン。やっぱり言えない」
「そっか。あんまり楽しい仕事じゃないみたいだね。いいよ、無理には聞かない」
「うん、ありがとう」
言えない。
言えるわけがない。
せっかく出会えた友達なのだ。
ヤヤとの関係だけは壊したくない。
自分の仕事だけは絶対に秘密にしておかなくては。