表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/11

「仕事の夢」

 何もない白い部屋。そこで一人の少女が泣いている。


「どうしたの?」


 問いかける私に気づいた少女は言った。


『私を、ここから出して!』

挿絵(By みてみん)

 灰色の部屋で少女が夢から覚めると、自分が荒い呼吸をしていたことに気づく。汗もかいているし、思考も上手く働かない。


 自分は、今まで何をしていたのだろうか。



 何か大事な事をしていた気がする。

 とても、大事なことを。


 何か大切なものを失った気がする。

 とても、大切なものを……。



 手入れのされていない黒髪が寝汗で顔に張り付いている。髪をなおざりに剥がし、荒くなっている呼吸を整えると、彼女は仕事(・・)の事を思い出して体を震わせた。


 いや、これは思い出したというより体に染みついているようなものだ。それよりも、もっと大事なことがあったような……。


 考えを巡らす彼女だが、頭の中にもやがかかったように思考がはっきりとしない。そして、灰色の部屋に無機質なチャイムの音が鳴り響くと、耳をふさいで丸くなる。


 彼女はこの音が大嫌いだ。

 音自体も耳障りなのだが、このチャイムの後に必ずやらされる仕事が大嫌いなのだ。



 灰色の壁から空気の抜ける音が聞こえる。部屋の壁が開き、白衣を着た人物が三人入ってきた。彼らは全員フルフェイスメットのようなものを被っており、顔つきや表情を窺い知ることは出来ない。

 少女は彼らを『鉄仮面』と呼んでいた。



 先頭に立つ鉄仮面が、くぐもった合成音声でいつもの決まりきった朝の挨拶を発する。


「おはようございます。検査の時間です」


 しかし、ここには窓も時計もないので、本当に今が朝なのかはわからない。彼女には、時間感覚などとっくに失われているからだ。


「おはようございます。検査の時間です」

「……」


 少女は、鉄仮面たちが挨拶を繰り返しても耳をふさいだまま動かなかったが、鉄仮面(・・・)な彼らはそんな彼女のささやかな抵抗を無視した。

 彼らは彼女の手をどかして頭を掴んで前を向かせ、彼女の(まぶた)を開かせて瞳にペンライトの光を当てた。眩しくて目を閉じようとすると、彼らは手を離してうなずきあう。


「自我の回復を確認」

「検査を始めます」


 再び鉄仮面たちがうなずくと、彼らは手際よく彼女から伸びる管を取り除いて灰色のワンピースと右手の包帯をはぎ取って全裸にすると、よく分からない色々な機械を使って彼女の体を調べ始める。


 冷たい手と機械で全身をなで回される気持ち悪さと、異常がないか隅々までチェックされる羞恥で、彼女は顔だけでなく耳まで赤くする。だが手も足も押さえつけられている彼女に出来ることは、目を閉じて耐えることしかなかった。


 以前に彼女は、暴れたり叫んだりと様々な抵抗を試みたが、いずれも徒労に終わり、彼らが検査の手を止めることは無かった。


「右手骨折修復完了。健康状態、精神状態共に良好」


 拘束から解放されて灰色のワンピースが返される。永遠に続くかと思われた不愉快な検査がようやく終わったのだ。しかし、彼女が本当に嫌なのはこの後に起こることであった。



「仕事の時間です」



 この言葉を聞く度に、どれほど無駄だと分かっていても彼女は抵抗する。


「……いやです」

「仕事の時間です」

「嫌! やりたくない!」

「仕事の時間です」


 自分たちに協力する気配が無いことを知ると、鉄仮面たちは合成音声を繰り返しながら彼女をベッドから力ずくで引き剥がそうとする。少女も、細い腕で懸命にベッドにしがみつくが、三人の力に敵うはずもなく、たちまち手首を持たれて吊るされてしまう。


「お願いです……許してください。もう、やりたくないんです……」


 涙ながらに懇願しても、彼らの気は変わらない。鉄仮面はカードキーを使って少女の足枷を外して、引きずるようにして扉まで連れて行く。


「今日も頑張ってくださいね」


 欠片たりとも心のこもっていない合成音声を響かせて、彼らと少女は灰色の部屋を出ていく。


               Z・Z・Z


 灰色の部屋から出た廊下はサビ臭くて薄暗く、地獄から鳴り響いているような重低音で満たされ、金属板の床を鉄仮面たちの靴で踏む音が歩いてゆく。


 床にも壁にも天井にも様々な太さのパイプが不気味に曲がりながら這いずり回っていて、非常に圧迫感のある廊下だ。足下を照らす明かりも、点滅していたり消えていたりしていて心許ない。


 鉄仮面の一人が先頭に立ち、その後ろに少女の手を引っ張るのが一人、最後尾に一人と幅も一人分しかないのだ。


 廊下を歩き、階段を登り、また廊下、階段、廊下、階段と繰り返してかなりの距離を歩かされる。しかも、何故か毎回違う道を通って仕事場へと向かう。時には巨大な吹き抜けの壁面を回ったり、通り道ですらない暗くてかび臭いダクトの中を進むような事もあった。おかげで少女は覚えたくもない道を色々と覚えてしまった。しかし、それでもまだ新しい道があるというこの施設の広さは計り知れず、とても広大なのだろう。


 そして、どこを進んでいても地の底から響いてくるような音は聞こえる。


 時折、何か気になる扉がいくつかあったが、仕事場である黒い部屋に着くと、その考えも消えてしまった。



 その小さな黒い部屋には、ベルトが付いている白い椅子が一脚置いてあるだけで他には何もない。

 鉄仮面たちは、嫌がる少女を椅子に縛り付け、彼女の頭にコードの付いた目隠しを取り付ける。目隠しは彼女の視界を完全に覆い、少女は暗闇の中へと連れ込まれた。


「嫌……、許して……」


 鉄仮面たちが少女の言葉を無視して目隠しとつながっている端末を操作すると、彼女は意識を失った。




 次に少女が目を開けたとき、まぶしい太陽の光に思わず目を閉じてしまう。もう一度慎重に目を開けて辺りを見渡すと、周りには多くの人々が騒々しく行き交い、覆い被さってくるような高層ビル群が青空を小さく切り取っている。


 さっきまでの黒くて小さな部屋は消え去り、どこかの街中の公園の中心に少女はいた。


 少女はこれから起こることに恐怖する。目の焦点は合わなくなり、体の震えが止まらない。ただでさえ白い顔が蒼白になり、こみ上げてくる吐き気を抑えることができなかった。

 点滴で全ての栄養をまかなっている彼女は何も混じっていない胃液を吐き出す。口の中に広がる胃液の酸っぱい味がまた気持ち悪くてもう一度吐き出した。

 すると、突然吐いた少女の様子に驚いた人たちが集まってくる。


「大丈夫?」

「おい、どうした」

「女の子が吐いているぞ」


 彼らは口々に彼女を心配して集まってくるが、当の本人はそれどころではなかった。


「みなさん、逃げてください! 早く、私から離れて!」


 なんとかその言葉を絞り出した少女だが、次の瞬間には彼女の周りの人間は風船のように膨らんで弾け飛んだ。

 その凄惨な状況を遠巻きに見ていた人々が悲鳴を上げながら逃げていくが、彼らも風船となって血しぶきを辺りに散らすだけであった。


「やめて! 止まって! お願い!」


 血の海の中心で少女が叫ぶが、その声は建物を揺らし、付近のビルは地響きと共に次々と崩れ去る。

 自分が何かをする度に人々が死んでいく。その事に彼女の精神は壊れそうになる。


 あの目隠しが見せている映像だと思おうとしても、彼女の脳はこの世界を現実の物と認識してしまっている。

 降り注ぐ血は生暖かいし、飛び散った肉や内蔵は柔らかく、鼻を突くすえた臭いも本物にしか感じられない。



 全部、私がやったことだ。


「違う……違う……。私じゃない、私じゃない……」


 地獄よりも酷い仕事(・・)が終わったとき、赤黒くなった世界には彼女の他に生きている人間は誰もいなかった。


               Z・Z・Z


「お疲れさまでした」


 鉄仮面たちが少女の目隠しを取ると、彼女は黒い部屋へと引き戻される。


 少女は、目を見開いたまま荒い呼吸を繰り返し、涙の跡が頬に残っている。全身の筋肉が強ばっていて思うように動かない。


 鉄仮面たちによって拘束のベルトから解放されて無理矢理立たされた。胃液のかかった灰色のワンピースをはぎ取られて新しいものを着せられて、引きずられるように黒い部屋をあとにする。


「お疲れさまでした。本日の仕事は終わりです」

「本日の成績は、目標都市及び周辺都市壊滅、死者千六十八万三千九百二十八人、生存者ゼロです」

「素晴らしい成績です。次もこの調子で頑張ってくださいね」


 灰色の部屋に戻る間、三人の鉄仮面の賞賛する合成音声も耳に入らず、心身ともに疲弊しきった少女はなすがままに廊下を引きずられていく。一千万を超える死は、人一人が耐えきれる物ではない。ましてそれが自分がやったことだとすれば……。


 部屋に着くと、鉄仮面たちは一切の抵抗をしない少女を再びベッドに足枷で拘束し、少女の体に幾本もの管を差していくと、静かに部屋を出ていく。



 しばらくすると、少女の目に涙が浮かび、嗚咽が漏れる。

 仕事が終わって彼女が泣いていない日は無い。天井の明かりが消えて()(彼女は明かりが消えることを夜と呼ぶ)になっても、少女は泣き続けていた。電気が消えても床には小さなオレンジ色の明かりがついているので、真っ暗というわけではない。


 こんな事を続けさせられていたら、いつか心が壊れてしまう。いや、むしろ壊れてしまった方が楽になれるのではないだろうか。そう考えてしまうほどに彼女の心の傷は深い。

 だが、今日も自分は壊れずに生きている。それとも、もしかしたらもう壊れているのかもしれない。だとしたら、なんと救いの無い話だろうか。



 これが夢なら、どんなに良かったか。



 無限に続く地獄のような日々に彼女が抗う術はない。だが、どんなに泣いても、どんなに壊れても、彼女が自殺を選ぶことは無かった。


 彼女自身にも理由は分からないが、何故か自分は絶対に生き延びなければいけないのだ。そして……そして『何か』をしなくてはいけないはずなのだ。しかし、その『何か』がどうしても思い出せない。



 そうして、『何か』を思いだそうと考えているうちに、仕事でたまった心身の疲れから、彼女はいつの間にか眠りについてしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
↓押していただけるととても励みになります↓
小説家になろう 勝手にランキング

↓しっかりとした戦記物も書いています↓
[半分の天使と赫赫の盗賊王が作る空の色は?]
↓ロリババア妖狐が異世界に拉致される話も書いています↓
[最強妖狐の儂が異世界召喚されてしまったのじゃが?]
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ