「真実の夢」
ここまでのお話は、全てレイの描いた計画だ。ナナ一人を自分の元へ来させ、自分を起こすボタンを押させる。
そう、ここへはナナ一人が来ればいいのだ。
ヤヤたちは、レイにとっては邪魔な存在だった。夢の力を持たないヤヤたちが助けるのはナナのみ、彼女らを道具として使う自分を良くは思っていないだろう。ナナと共にここへ来た時、自分を起こすのを止めるかもしれない。
そんな事をさせるわけにはいかない。
だから、ヤヤたちは死ぬ必要があった。
この部屋に入っていいのはナナだけだ。
邪魔なヤヤを排除して、自分を解放するプログラムが組まれたナナのみが自分をここから救い出すボタンを押す。そして、自分はこの忌々しい拘束から解放され、自由を得るのだ。
いつもはナナを助けて勝手に死ぬヤヤを自発的に殺すことでナナの精神が崩壊する恐れがあったが、猶予のないレイは賭に出た。
そして賭に勝ち、ついにナナだけをこの部屋に呼び寄せ、ボタンを押させた。
これで、終わりだ。
……終わりの、はずだった。
「……と言いながらも、ナナならこのボタンを押していただろうね」
違う。終わっていない。長い黒髪の少女の手はボタンに触れることなく止まっている。
少女はボタンから離れ、レイに向かって腕を広げた。
「初めましてレイ。ボクはヤヤだ」
そこに立っていたのは、ナナではなかった。
「ナナは、自分だとどうしてもあんたを助けてしまうと言っていた。そう貴様に作られたからだ。ナナはどんなにお前を恨んでも、そのことを口にすらできなかった。でも、あたしは違う。ハッチとして生まれた時から、私たちの中にあなたを助けるなんてことは定められていなかったわ。オレたちは、ナナを助けることだけを目的として生きてきた。ただそれだけで生きてきたの」
ここにいるのは、レイの分身ではない。ナナの分身でも、ヤヤでもハナでもハッチでもない。彼女のシナリオの中には登場しない人物だ。ハッチからヤヤまでの全てが混ざったイレギュラーな存在だ。
「ナナはどうしたって感じだね。どうしたもこうしたもない。お前が殺したんだ。あの鉄仮面たちを使って解体したんだ! お前がナナを殺したんだ!」
ヤヤは今朝の出来事を自嘲気味に話し始める。
Z・Z・Z
『ヤヤ。ヤヤ、起きて』
『んん……どうしたの? もうすぐ夜が終わっちゃうよ』
脱出を誓い、自分のベッドで休んでいたヤヤの元へナナがやってきた。既にパスワードも教えてもらっていたし、あとは脱出決行の時を待つだけだ。
『ねえ、私たち入れ替わってみない?』
ナナの不思議な提案にヤヤは困惑する。
『……どういうこと? それがさっき言ってた考えって奴なの?』
『そうよ。私とヤヤを入れ替えてみるの。これはまだ試していない事だから、もしかしたらそれで功を奏するかもしれない。ヤヤには、人殺しの仕事をやってもらうことになってしまうけど……』
『それは別にいいけど。でも、上手くいくかな?』
『鉄仮面たちのコンピューターも相当鈍くなってきているはず。姿が同じならあいつらにもバレないわ。ヤヤは私の真似はできるよね?』
『もっちろん。ハッチからずーっと一緒にいるからね。まあ、体験したのはヤヤになってからだけど。あ、でも髪の長さが違うよ。ナナは切ればいいけど、ボクの髪はいきなり伸びないよ?』
髪の長さを心配するヤヤにナナは不敵に微笑んで細長く開閉する細い円柱の機械を取り出す。
『これは挟んだ物がくっつく機械よ。これで切った私の髪をヤヤにくっつければいいのよ。ベッドの下に取って置いたってことは、前の私も考えていたことなんだと思う』
作業を手早く進め、ナナの切った髪はヤヤに移された。
『これでナナのベッドで寝ていれば良いんだね』
『そう。そして昼の間は何があっても絶対に私になりきってね。機械にバレてしまうから』
『うん。わかったよ』
『いい? 何があっても、よ』
『う、うん』
いつになく真剣な声と表情で念を押してくるナナに、ヤヤは少したじろいでしまう。そんなヤヤをナナは優しく抱きしめる。
『ありがとう。本当に、ありがとう。ヤヤ』
ヤヤも腕を回してナナを抱きしめ返す。
『ナナ、絶対に二人で逃げようね』
『ええ』
『約束だからね』
『ええ、約束よ』
二人は指切りをして約束を誓う。
二人で脱出しようと誓う。
しかし、その約束は果たされなかった。
Z・Z・Z
入れ替わりの真相を語り終えるとヤヤはゆっくりと息を吐く。
「今までのボクたちは全員お前に殺されてきた。もしも、私たちとナナが一緒にこの部屋に入ったのなら、貴様を起こすのを止めたり、殺してたりしただろうしな。それはあんたにとってとても困ることだ。だから毎回ボクたちを処分してきた。たとえナナの心が壊れたとしても、そのリスクを負ってでも、俺たちをこの部屋に入れさせないようにしてきた。この部屋に入っていいのはナナだけだから」
ヤヤは機械から離れてレイの水槽へゆっくりと近づいていく。
「ナナはレイの作った物語のなかでしか動けなかった。だから絶対にお前を助ける。でもボクは違う。絵本の物語を壊すことができんのは、絵本の中の住人じゃねえ。それを読む子供だけなのです」
ペタペタとヤヤはレイの水槽に近づいていく。
「ボクたちは絶対にナナを助けるように作られたから、ナナをピンチに追い込めば勝手に死んでいく。でも、ナナはそれを読んでいた」
ペタ、ペタ。
「もうナナ一人でここまで来れると判断したお前は、不要な俺を殺しにかかった。それを読んでいたナナはボクと入れ替わった。自分が殺されるとわかっていてね」
ペタ。ペタ。
「そして、自分を助けてくれる唯一の存在であるナナをお前は殺した。あんた自身の手でね!」
ペタ。
「もうナナはいない。あんたを助け出す人間は一人もいなくなった。どうする? また一からナナを作る所から始めるか? もう一度この膨大な時間の物語を始めますか?」
水槽で眠るレイの正面に立つ。彼女は静かに水中に浮いているだけだ。その安らかな顔はナナと全く同じ顔をしている。自分と全く同じ顔をしている。
「さあ、物語の外のボクがたどり着いちゃったぞ。どうするんだ? シナリオを改めるの?」
部屋の扉から鉄仮面たちが大挙して押し寄せてくる。しかし、ヤヤのパスワードの手話ですべての鉄仮面は棒立ちになった。
すると、お城中に無機質なチャイムの音が響く。
仕事のチャイムだ。
「あれ? 不思議だね。もう仕事はやってきたのに。まだ仕事をしないといけないみたいだ。誰の? いったい誰の仕事を? ボクは、ヤヤ? ナナ? それともレイ? いやいや、ハナかもしれないしハッチだったりして」
ナイフをもてあそびながら彼女はレイを見据える。
「お仕事しなくちゃ」
にひひと彼女は笑う。虚空に向かって腕を広げて、何かに語りかけている。
「ねえ、ナナ。今日はボクがナナの代わりに仕事をするんだよね。ナナのやっていた仕事をするんだよね。大丈夫だよ、ボクならできるよ。ずっとナナと一緒にいたんだから」
決意を固めた表情でレイを見据える。
「ボクは、私は、お前じゃない。ナナの思いとヤヤの記憶を持つボクは、この世界に存在しない95番目の目覚まし時計、ナナヤだ!」
ナナヤはナイフを水槽に突き立てた。
特殊合金で作られたそのナイフは、水槽の壁を容易く突き破り、引き抜くと中の液体が流れ出てくる。
レイをこの世につなぎ止める液体が流れ出ていく。
水槽の外では、ナイフを持ったナナヤが誰でもない顔で、ただレイの命が流れていくのを見ていた。
完全に液体が流れ出ると、レイの体は溶け始め、瞬く間に肌色のドロドロとしたゼリーのようになった。溶ける前に見えたレイの最期の表情は、ナナヤしか見ることができなかった。
「めでたし、めでたし」
物語の登場人物がだれもいなくなった白いお城で、ただ、笑い声だけが狂った目覚まし時計のように響いていた。