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【腹話術】

作者: 多々 池流

早く完結させたくて。途中、走り書きしています。

 毎年大晦日に、恒例として隠し芸を主体としたテレビ番組を見ていた。


 口下手で無口な印象の俳優さんが、普段TVで見ることない口調とお茶目な話で腹話術を披露していた。


 その俳優はCOOLで二枚目俳優だという肩書きが一般的。それは、告知をメインとして出演するトーク番組によるものと報道番組に取り上げられている印象によるもの。


 しかしドラマや映画で演じている彼は、コメディでおバカな役も狂気的な犯罪者でも多彩な役をこなしている。


 どちらが本当の彼なのだろうか。


 彼の出番も終わり、司会者はまっ赤な蝶ネクタイを揺らしながら彼に駆け寄った。


「普段よりも良く話してましたね」ケラケラと笑っている。


 司会者のコメントは、最近ひそかに話題になっている報道番組の印象によるものだろう。


 無言で照れている彼に、売り出し中の司会者は、苦笑いを浮かべていた。「お前。気の聞いたことを話せよ」とイライラしている印象を受ける。


 司会者は、なんとかこの場を盛り上げようと無言でいる彼に無理やりマイクを手渡した。司会者の行動は、テレビ局へ自分を売り出す為のアピールに見えた。


 二枚目俳優のマイクを握る指の付け根には、光る指輪がはめられていた。授かり婚の契約リング。


 最近は、気が強い奥さんとの不仲が連日テレビで報じられており話題になっている。

そのことによって彼の娘は、この話題性で新人女優として売れ始めていた。


 画面が、マイクを持つ手と顔を収めるようにアップした。二枚目俳優は、顔と指輪がアップになっていることになのか、もしくは話しを催促されたことになのかはわからないが、気恥ずかしそうに頭を掻いている。


「自分の声ではあるんですけど、自分の声じゃないように思いました。あたかも自分以外の人間が話しているように」二枚目俳優は渋々答えているように見えた。



 その返答は、カンペを読んでいるようにも感じたが、本音を語っているようにも見えた。


 司会者は、時間が押していることに気づいたのか、その話しを上手いことまとめ上げ、次の出番を待っている出演者に話を振る形となった。


 どうやら彼の意見は、微妙に流されたようだ。


 若いモデルが笑顔で手を振る中CMが入り、僕は手を合わせ母の作った食事を終えた。


「おかあさん、お風呂に入ってくる」


「あんた、宿題は?」


 母は、相変わらず説教を言ってくる。


「風呂から上がったらやる」適当に受け流す。


 僕は、そう告げてから風呂場に向かった。後ろのほうで母親が叫んでいる。


 ふと、先ほどのTVを思い出し自分も出来るのではないかと思った。


 廊下を突き進み、脱衣所で服を脱ぎ捨てて、風呂場に入る。


 換気扇から、微かに冷たい風が漏れこんでいた。体は温まってないので若干肌寒い。


 体を洗わず湯船に浸かると、お湯が浴槽から流れ出た。蒸気が立ち上ぼり水滴が床に落ちた。


 体が暖まる中、またしても俳優が見せていた腹話術を思い出す。


 勢い良く湯船から上がり、風呂場にある大きな鏡の前に座った。


 上半身を写す鏡の前で、見よう見まねで腹話術をやって見る。


 話して見ると、どうしても口が動いてしまう。言葉を話すには口が動くのは当たり前のことだが、納得がいかなかった。


 再度、口を固定させるように気を使いながら、腹話術の練習をした。






 次の日も、次の日も、二枚目俳優の演技がはっきりと頭の中に思い浮かんだ。

その度に、腹話術の練習を飽きることなく続けた。唇を動かさずに三種類の声。


 口下手な本人の声、良くしゃべるネコの甲高い声、可愛いらしいおしとやかなネズミの声、その三種類の声が、別々に話しているように見える演技。このことは、僕の頭からひと時も離れることはなかった。


 僕は口下手な方であって良くしゃべるわけではない、しかも自己主調が苦手で本音を語りたがらない性格。果たして僕が本当に腹話術が出来るのであろうかと疑問を感じた。


 突如、悔しさが湧き上がった。


 こんな日々は、更に続いた。そして僕は、飽きることはなく風呂場での練習を積み重ねた。


自分で言うのも変な話だが、異常なほど腹話術に執着していた。


 もしかすると、自分の性格の一つである負けず嫌いが理由なのかもしれないと思う。


 そういえば小学校頃、夏休みの工作で、友達は色々な箱をくっつけて精密なカッコイイロボットを作ろうとしていた。そのことを知った僕は、対抗心が芽生え、紙ロボットを真似ることにした。


 しかしながら、本格的にカッコイイロボットを作り上げてしまうと彼の反感をかってしまうので、僕はわざとただ大きいだけで雑で不細工なロボットを作ることに執着した。


 こうすることによって、彼の注目度は減らずして自分自身の中で優越感を補った。



 そんな僕は、昔から意地汚い性格の持ち主であることは自覚している。


 夏休みが終えて、彼の紙パックロボットと俺の段ボールロボットが並んで飾られた。


 クラスの皆は、彼のロボットを「カッコイイ」と褒め称えていたが、僕のロボットに対する反応は「大きいだけジャン」と冷やかしてくれた。


 大きいと褒めてくれることに感謝。それで僕は、彼より勝るものを作り上げていたことに喜びを感じた。


 今回も優越感を得たい。


 僕は、三種類ではく四種類の声を出すことに執着した。


 腹話術の練習を重ね数ヶ月が過ぎた頃、あらかた自分で満足できるぐらいまで腹話術が上手くなっていた。


勿論、素人同然の力量だったのでTVで披露するほどの本格的な芸ではない。しかしながら、同級生相手程度なら笑って驚いてくれるであろうという期待はあった。


 そんな僕は現在、風呂場の鏡の前である。


 僕は明日の登校が楽しみになっていた。


 丸めたタオルを顔の横に寄せて、鏡に自分の顔と、人形に見立てたタオルを映して腹話術をしてみる。


「タオル君、キミは僕の体を洗いたい?」


『え〜 じょせいのからだがいいな〜』


「タオル君、それは無理だよ。君は僕専用のタオルなんだよ」


『そうだった。きみのからだをふくための、ぼくだった』


「そうだよ。では、今から君に石鹸をつけるから、よろしく頼むよ」



『わかったよまもるくん』タオルを傾けた。


 思わず笑ってしまう。あの口下手な芸能人が言ったように僕の声じゃない気がした。


 俺は体を洗い、タオル君とお話を楽しんでみた。


 四種類の声は、鼻を摘むことで出来た。自分の声と腹話術をしたときの声で二つになり、鼻を摘んだ自分の声と腹話術をしたときの声を合わせることで四つになるのだ。


 これで、三対四で僕の勝ちだ。





 朝僕は、朝食を終えて足早に学校に向かった。僕はクラスメイトと挨拶を交わし自分の机に向かう。席に着き、僕は親友と呼べる中部・章吾なかべ・しょうご君を待った。


 腹話術を披露するならまずは彼に見てもらうほかにない。

 章吾君と僕は、好きなお笑い芸人や笑いのツボなどの趣味が似ている。だからこそ僕は、そんな同じ感性を持っている章吾君に腹話術を披露したかった。彼の反応に期待感が膨らむ。


 僕は鞄の中から、愛用している黒い箱の筆箱を取り出した。その筆箱をタオル君に見立てて、口の動きを確認しながら小声で腹話術の練習を始める。


 本番はもうすぐ来るので、リハーサルを真剣に行いつつ唇に神経を注いだ。


 ふいに肩を叩かれた。


 振り向くと章吾君が、心配そうな顔で僕を見ていた。


「まもる君大丈夫か? 独り言をブツブツしゃべっていたようだけど・・」


 驚く。


 僕の行動を傍から見れば、筆箱に話しかけている異常な人に映るのか。


「ああ。なんていうか練習していたんだよ」


「なんの?」


「腹話術」


「出来るの?」


「出来るよ」


「すげぇ〜ジャン! 見してよ」彼の目が輝いた。


「いいよぉ」自慢げに言ってやった。


 僕は、先ほどリハーサルした筆箱を手に構えるとまずはお辞儀をして章吾君の拍手をもらった。


「どうも。山鹿・守と・・」


『かわの・ふでばこで〜す』


「カワノさん、最近肌が荒れていますけど、そろそろ僕の筆箱として引退ですか?」


『まもるくんひどいな〜、そんなことないよ。わたしは、まだまだげんえきで、がんばれるよ。そもそものはなし、ねんきのはいったこのすがたが、よりいいのではないでしょうか?』


「いや〜、僕としては、世代交代ですよ」


 僕が腹話術を披露していると、章吾君は笑ったり前かがみになったりして、僕の腹話術に魅せられたように目を輝かせていた。


 僕は、その楽しそうな章吾君の顔を見て嬉しくなった。


 僕の腹話術が終えると、章吾君はまず拍手をした。勿論、僕に向かってだ。


 そして彼は「ヤバイ、マジですげぇ〜」とお褒めの言葉を、僕に送ってくださり、感激しているようだ。


 僕の初公演は成功したと言っていいだろう。


 気づくと、章吾君の後ろにも数人のお客さんがいた。彼らも拍手している。




 僕は、意外と好評だったことに顔が熱くなった。一人が「もう一回見せて」と僕に言うと周りも僕に催促してきた。僕は頷くと、今度は机からノートを引っ張り出してノートと漫才をする。再度、拍手を浴びた。


 初公演の日から、僕はクラスの人気者になった。






 初公演からしばらくして僕は、身近な物と腹話術をしていることに飽き始めていた。そして、もっと面白くするにはどうしたらいいか試行に思考を重ねていた。そんな時、クラスの中で一番大きな友達の椅子に注目する。


 彼は、身長も高いが横幅も広い簡単に言えばデブである。


そんな彼を見て思う、あの椅子の気持ちを考えれば、腹話術の話す内容に面白味が増すのではないかと。僕は休み時間に、その体のでかい友達に椅子を借りようと声をかけた。


 すると、元々評判が良い僕の腹話術だったので、簡単に貸してくれた。そして、失礼この上ない腹話術を披露することとなった。


「椅子君。彼の体、重くないかい?」


『まあ。おもいけど、それがわたくしのしごとですからね〜、わたくしどもは、あいてをえらべないのです』


「それは酷な話ですね。体を壊すことないですか?」


『がんじょうなわたくしですから、かれがすわろうが、あしがおれることはないですよ』


「さすが椅子君!椅子の鏡だね〜」


 こんな腹話術をしていたのにも関わらず、その椅子に日々体を預けている大きな友達は立腹するどころか照れ臭そうに笑っていた。


 よほど出来が良かったのであろうか? そんな彼を見て僕は、腹話術で人の短所を述べたとしても批判を受けることがないことを知った。そして、色々試したくなった。


 僕は、それからというもの腹話術を使って色々な物の気持ちを語りクラスメイトに披露した。その物とは、消し残しのある黒板や、女子たちが飛び終えた跳び箱など、様々な物だ。


 しかし、どんな物と会話しようとも腹話術の声は、まさしくタオル君の声である。

 タオル君は、色々な姿に形を変えて話しているような気がした。


 ある日、掃除の時間に章吾君と数名の女子の前でほうきを使って腹話術を披露した。


「まもる君て、天才かもしれないね〜」女子の一人が言ってきた。


「そこまですごくないよ」照れる。


「あそこまで、本格的に腹話術を会得しているんだもん」もう一人の女子が言う。


「そうかな?」


「だって、まもる君がしゃべっているように思えないから〜」


「僕がしゃべっているんだよ」自分を指差した。


「それにしても、一番面白いのは、物の気持ちを理解していることがウケル」章吾が笑っている。


「それなら、田中先生がいつも脇に抱えているファイルの腹話術はやりたくないね」


 皆が大爆笑した。


 田中先生というのは、ワキガの疑いがある先生のことだった。先生が横を通りすがると、表現をしようがない、嫌な匂いが鼻にこびりつくのだ。その先生は、自分で自覚しているのかないのか、良く生徒に近づいて説教をたれていた。


 そうなった生徒は、苦痛と苦難に見舞われて顔を歪めるしかない。しかし、先生本人にそのことを伝える生徒はいなく、モラルの問題でもあると思うが暗黙のルールとしてこの学校の生徒達に広まっていた。だとしてもいずれは「臭いから近づくな!」と吠えてしまう生徒が現れるかもしれないし、時間の問題のような気もする。なぜなら田中先生は、教員の中で人一倍嫌われている社会の先生だから。


 その先生は、いつも黒いファイルを脇に抱えていた。そのファイルの気持ちを考えると、自然と鼻を摘んで顔を歪めてしまう。それほど考えたくないことだった。


 その日の晩、僕は風呂場で念入りに体を洗った。自分の体臭を気になったわけではないがファイルの気持ちを考えたときに、その先生の臭いがあたかも自分の体にこびりついたような感覚を感じたからだ。


 そして、ワキガが移ることは良く聞くこともあってタオルが自然と脇に集中した。


「タオル君。僕は大丈夫だよね?」


『あたりまえのことをきくなよ、おまえはしんぱいしょうなんだよ』


「そっか・・」


『そんなことより、おれについたあわをさっさとあらいながしてくれよ』


「わかった」


 僕は、鏡の前でシャワーを浴びた。泡が流れると同時に湯煙がもわっと舞い上がった。


 長いこと蒸気を浴びていたためか、天井は汗ばみ、僕の背中に冷たいしずくを落とした。


『つめたい!』僕は、その自分の発した声に違和感を感じた。どうやら咄嗟に、タオル君の声を出したようだ。タオル君との会話は、毎日のように話していたから喉に定着してしまったのかもしれない。


 咄嗟にその声を出してしまった自分に、妙な違和感が襲った。


 第二の僕であるタオル君は、色々な物に姿を変えて僕を支えてくれる良きパートナーでもあるが、どことなく自分でもない何者かが乗り移って語っているようでもあった。前に一度だけ、そんなことを思ったときがある。風呂場で髪を洗っていたときに、トイレに行きたくなったときのことだ。


 早まる手先にもどかしさを感じたとき。


『まあまあ、そうあせるなよ』心を落ち着かす。


「漏れそうなんだよ」膀胱に集中する。


 誰に言うわけでもなく、自分に向かって言ったつもりだ。


『いいじゃん、ここでしちゃえば』


「えぇ」勿論、嫌な反応する。


『だったら、いちどかみをあらいながしてから、トイレにいって、もういちどあらえば?』


「タオル君、頭がいいね」

ふいに思いついた自分を褒めた。


『だろ』


 勿論、目を瞑って鏡を見ていないのだから、腹話術をしていた様子はわからないが、あの時は自然と自分の口から二種類の声を出して会話をしていたような気がする。そのときに感じた違和感は、説明ができないほど不思議だった。あの時は、本当にタオル君が語りかけてきたような感じがしたのだ。


 もしかしたらタオル君は、僕のもう一つの人格で、僕の中には二つの人物が住んでいるのかもしれない。


 僕は、変な感覚に頭を振り払いさっさとお風呂場から出た。


 その日の晩、眠れなくて体をモゾモゾとくねらせているとタオル君がまくら君に姿を変えて語りかけてきた。


『おれが、ひつじをかぞえてやるよ』といって、頭の中で、まくら君が羊を数え始めた。そして、記憶が薄らいでゆく中でタオル君が本当に存在しているような気がした。




――真っ白い部屋の中で、僕はたたずんでいた。

 僕は、足を踏み出そうとはせずに、誰かを待つようにじっと目を瞑っている。


『やっと、ここまでこれたよ』


 僕は、タオル君の声を聞き目を開けて目の前に居る人物を眺めた。


 彼は、タオルの形をしておらず、自分を鏡で映したように瓜二つだった。


「君はタオル君?」


 僕は、目の前にいる自分の姿に語りかけた。


『そうだよ。やっとこうやって、ゆめのなかで、はなせるようになったんだよ』


「君は、僕を乗っ取ろうとしているの?」


『そんなことはしないさ、おれはそのうち、きえることになる』


 そう言って彼は悲しそうな顔をした。


「消える?」


『きみが、ふくわじゅつをすることがなくなったら、しぜんとおれのそんざいもいなくなる』


「そっか」


『きみは、モノのきもちをかたってくれた。おれたちがつたえたいことを、きみがはなしてくれた。それは、おれたちにとって、とてもうれしいことなんだよ』


「僕が君たちのことを?」


『そう。だがら、きえるまえに、こんどは、おれがきみたちのほんねをかたりたい』


「僕たちの本音?」


『きみたちは、コトバをはなせるのにつたえたがらない。それは、つたえるべきだとおもうよ』


「よくわかんないけど、言わなくてもいい言葉だからこそ、言わないようにしていることもあるんだよ」


 彼は笑った。


 そして、僕をじっと見つめてきた。


『きみが、おれをわすれたら、どこにいけばいいの?』


 そう言って彼は、真っ白い壁に吸い込まれるように消えていった。


 朝、僕は目を覚まして辺りを見渡したが、自分の姿をしたタオル君は居なかった。


「言葉を話せるのに伝え会わない」


「本音を・・」


 あの夢を見た次の日から、学校で僕が腹話術を披露していると、その声はタオル君の声になっているのは、当たり前のことだが、自分の声とタオル君の声が別々に話しているような感覚に見舞われることがよくある。


 しかしながら、そういった日々は徐々に失われつつあった。


 自分の腹話術に対して飽きもあったが、周りの飽きもあった。


 僕の腹話術も見慣れてくると、面白みに欠けてきたようだ。


 章吾君は、僕の真似をして腹話術を見せてくれるときもあるがすぐにやめてしまい、ゲームの話を切り出してくるようになった。


 他の皆も、別な話題で盛り上がり、僕の腹話術を見せてと頼んでくる人も少なくなった。


 そうなって行く状況に、彼が出てくることも少なくなり、風呂場での会話も少なくなった。


 彼の予想道理に、タオル君の存在が消え始めていた。


 それから、しばらく月日が流れて彼の存在は一切なくなった。


 咄嗟に彼が現れることもなくなった。


 彼はどこにいったのだろう? そう思っていた時期もなくなり始めて、いつしか僕の記憶に彼が現れることもなくなった。







 学校の帰宅途中僕は、章吾君が買ったという流行のゲームのことを聞いた。章吾君は、楽しそうにそのゲームのことを語りだして自慢話を始めた。僕は、その話を聞いているうちに少しだけ嫉妬心を抱いたが章吾君の楽しそうな表情を見て相打ちを打つしかなかった。


 そんな、僕の思いとは裏腹に彼の語りは、とどまることを知らず話し続けていた。


 こういった話を聞いている側というのは、話に割り込む力量がなく「ああ」「へぇ」「ほぅ」といった差し支えない言葉で、相手の話をいかにも聞いてますよとイメージを与えているもので本当は右から左に流していることがほとんどだ。


 このときの僕もそんな感じだ。


 それでも、言葉の端端でなんとなくゲームのイメージは思いついてしまう。


 そのゲームとは、結構難しいらしくストーリーを進めづらいらしいが、斬新で凝った作りがなかなか面白いらしいようだ。


 映像は映画より迫力があり、神秘的なBGMが流れるらしく、章吾君曰く、ハリウッド映画も真っ青だという。馬鹿でダンディーなキャラクターや可愛いくて強いキャラクターなど、個性の強いキャラクターが揃っているようで、それぞれにはドラマがあるだと説明を受けた。


 僕は、その話を聞いて興味がそそられたが、章吾君はとにかくこのゲームを語りたいようで半ば暴走的な説明に割って入ることが出来なかった。


 そして、半ば話すことがなくなったのか章吾君は、僕をじっと見詰めて「すごいでしょ」と問いかけているような顔を向けてきた。


「まもる君よかったら、家に来てやってみるかい?」


「いいの?」


「いいよ」



「じゃあ、家に荷物を置いたら、章吾君の家に行くね」


「おう。準備して待ってるね」


僕は安心した。先ほどまで語られたゲームに、ここまで興味をそそらされてこのまま家に帰ることになっていたならば、多分不完全燃焼のまま悶々としていただろう。でも、そのゲームが今日すぐに出来ることになった。僕はダッシュして帰宅する。


 家に着いた僕は、扉を開けて「ただいま!」と家の中に挨拶をして、玄関に鞄を放り投げた。そして、そのまま「いってきま〜す」ともう一度、家の中に声をかけて家から飛び出した。


 扉が閉まる瞬間、母親の「宿題は!」という怒鳴りにも近い口調が聞こえたが、とりあえず無視した。


 章吾君の家は、僕の家から自転車で十五分のところにあるマンションだ。


 僕は、自転車に跨りペダルをこぎ始め、颯爽と章吾君の家に向かった。その途中、赤信号につかまりイライラした。そこへ、男女のカップルが僕の前に立ちはだかった。いわゆる、割り込みだ。僕は、そのカップルに不愉快を感じて、いっそうイライラした。


 よく見ると、男性は、茶髪に顔立ちが整っていて鼻が高かった。服装も雑誌に載るような服を、着こなしている。芸能人のように見えるほどだった。

 一方、女性は、春間近を意識してなのか、パンツが見えそうなミニスカートに、薄着をしていて肌が露出していた。露出度はあくまでも個人差だが、僕には寒そうに見えた。


 彼女の横顔が見えた。


 カップルと断定したくないほど――

「ブサイク!」目の前の彼女が、彼氏に言った。


 僕は、咄嗟のことに驚いた。カップルの女性の方が、男性に叫んだのだ。周りの信号待ちの人たちも彼らに振り向いた。男性はいきなり言われた一言に、顔がひきつり、彼女に顔を近づける。


「はぁ? なにいきなりいってんだ?」


 彼氏の顔が明らかに怒っていた。


 彼女は、彼氏に媚を売るかのようにすがり始めた。


「ごめんなさい! ごめんなさい! 本心じゃないのよ!」と彼氏の服を掴み、頭を彼の胸に埋めている。


 周りの通行人は、彼らから距離を取り、信号が青信号に変わったことを確認すると進みだした。


 僕も、青信号を確認して、自転車を走らせ、わけがわからず見知らぬフリをした。


 僕は、先ほどの彼氏が、なんらかで浮気がばれたのだろうと予測した。彼女の発言は、信号待ちで行うことではないと思うが、どうしても言い放ちかたったのだろう。カップルの痴話喧嘩なら他でやってほしいと思った。


 章吾くんの家は、オートロック付きのマンションだ。入り口に設置してあるパネルに手を伸ばし、七階の数字を組み込んだボタンを押して、インターホンを押した。


 軽やかな音がなり、スピーカーから、女性の方が応答した。章吾くんのお母さんぽくない、ハスキーな声だった。


「章吾くんの友達の、山鹿守です」


 「どうぞ」と聞き、自動ドア開いた。


 エレベーターの前に行くと、子連れの母親と仲良さげなサラリーマン風の男性二人が、のんびりとした表情でエレベーターを待っていた。


 軽いインターホンのような音がなり、エレベータの箱が一階に到着した。


 僕は箱に、先に入り、『開』と書かれたボタンを押し続けた。子連れの母親が「ありがとう」といって箱の中に入ってきて五階のボタンを押した。子供が僕を興味津々見上げて、ニコッと笑ってきた。僕もニコッと笑い返す。


 おじさん二人も会話をしながら入ってきて七階のボタンを押した。 どうやら、おじさん二人組みはご近所らしく、お互いに今晩のご飯について話していた。 僕は、興味がなかったが、自然とおじさんの会話に聞き耳を立てていた。どうやら昨日の晩御飯は、カレーにジャガイモが大量に入っていたらしい。


 三階を通過したところで、どこからともなく、空気の抜ける音が聞こえた。突如、鼻に刺激を感じてそれがオナラだということがわかった。密室にその香りは充満した。


 僕は、五階の扉が開くまで我慢しようと思った。


 勿論、僕以外の誰がしたかはわからないが、本人は恥ずかしいはず、そのことに見てみぬふりをするように心がけた。


 それにしても――

「くちゃい!」


 子供の声を聞き咄嗟に振り向いた。すると、子供が俺を見上げて鼻を摘んでいた。


 その光景に母親とおじさん二人が、僕に注目する。


「すいません」母親が僕に謝ってきた。


 断じて僕ではない! と叫びたくなったが、片一方のおじさんが「御免、俺がしたんだよ」と子供に伝えた。もう一人おじさんが、笑いながらもう一人のおじさんの肩を叩いた。母親は「いいんですよ」と苦笑いをしていた。


 五階でエレベーターの扉が開き、子連れの母親と僕は外に出た。運良く七階のボタンを自ら押してなかったおかげで、五階に脱出することが出来た。もし、七階のボタンを押していたなら、あと二階分気まずい雰囲気の中エレベーターに閉じ込められていただろう。


 エレベーターの閉まる間も依然として、おじさん二人は、笑いながら会話をしていた。母親は、僕に軽く頭を下げてエレベーターを降りていった。あとから自分も降りる。


 僕は、扉が並ぶ中を歩き、非常階段を探した。


 後ろから扉が閉まる音が聞こえた。


 階段を見つけた。セキュリティらしきものはなかった。


 段に足をかけると、今度は、上から扉が閉まる音が二つ聞こえた。


 ふと、子供とおじさんのことを思い出し、笑いが込み上げてきた。あの場で臭い発言する子供も子供だが、素直に認めたおじさんもおじさんだ。それに対して母親が「いいんですよ〜」とは、どういった意味なのか疑問に思い、可笑しくて噴出しそうになった。あの場合は「大丈夫です。気にしないでください」が正しいのだろう、そんな自分の思考を巡らせていると、七階に到着した。


 章吾君の住んでいる部屋は、中部という苗字を探すとすぐに見つかった。僕は、インターホンを鳴らして扉が開くのを待った。扉がゆっくりと開き、綺麗な女性が顔を出した。僕は、中学生なので女性に惹かれる意識は、持ち合わせているので、その中部の苗字を持つ女性に見とれた。


 彼女は、細身の体にスエットという装いだった。顔は小さくボーイッシュな雰囲気はあるものの、妙な色気を感じるほどだった。しかし、体は華奢である故なのか、さほど出っ張るところが、ほとんど出ていなかった。


「君は、しょうちゃんのお友達のまもるクン?」ハスキーな声だ。


「えっああ。そうです。章吾君居ますか?」なんとなく照れる。


「いるわよ、ちょっと待ってて」


「はい」声がぎこちない。


「しょうちゃん。お友達のまもるクン来たわよ」彼女は、奥の部屋に向かって声をかけた。


「手が離せないから、そのまま上がってもらって!」章吾君の叫びにも似た声が返ってきた。


 僕は、靴を脱いで、丁寧に「お邪魔します」と言って頭を軽く下げた。彼女は「どうぞ」と言って、リビングルームらしき部屋に入っていった。僕は、靴のつま先を扉に向けて揃えて、家に上がった。


 小奇麗な壁に絵が飾られていた。その廊下を真っ直ぐ進むと「しょうちゃんのお部屋」と書かれた扉があった。扉の前で章吾君に声をかけるが、返事が返ってこなかった。扉を勝手に開けた。章吾君は、熱弁していたゲームを必死にしていた。その、凄まじいコントローラーさばきに驚いたが、よく見ると、指よりも体と腕が大波のように揺れていた。


 その光景を、少しだけ眺めているとTV画面に、GAME・OVER、と流れた。どうやら失敗したらしい。章吾君は、ため息をこぼして僕に振り向いた。


「ゴメンおまたせ。そんなところに突っ立ってないで座ったら」


 章吾君の顔を見る限り、失敗に悔やんでいないようだった。


 僕は、とりあえず「お邪魔しまーす」と言い、章吾君の隣に座った。


「ところで章吾君、あの女性は誰?」僕は、真っ先に気になることを聞いた。


「ん? ああ〜姉ちゃんだよ」章吾君は、もう一度ゲームを再開した。


「お姉ちゃんなんだ⋯⋯歳は?」なんとなく聞いてみる。


「五つ離れている」計算しろってことか?


「彼氏は?」思わず聞いた。


「知らないけど、がさつでいい加減だから、いないと思う」ゲームに熱中し始めたようだ。


「へぇ〜」興味なさそうに返答した。


「興味あるの?」何故気づいた!


「別に〜」嘘をついた。


「ふ〜ん」得に気にしていないらしい。


「まもる君、ゲームやる?」


 そういえば僕は、このゲームをするために、ここに訪れているのだった。それなのに頭の中には、章吾君のお姉さんのことでいっぱいになり、もはやゲームのことなんか、どうでもいいと思っていた。しかし、今回の主旨を忘れてはいけないと思いゲームをやることにした。


 ゲームをやり始めてから二時間ぐらいたったのだろうか、難しいゲームだというのに面白くて、始めのうちは無我夢中でコントローラーを握っていた。しかしながら、進行が進むにつれて難度が上がり、進み辛くなってくる。そしてついに飽きが来た。


 そんなとき、章吾君の部屋にお姉さんが現れた。ノックもせずに勝手に入ってきたのは、どうかとも思ったが、がさつでいい加減な性格の持ち主と聞いていただけあって、得に驚かなかった。しかし、章吾君は、不機嫌な顔をした。


「部屋に来るときは、ノックしろって」呆れている口調だった。


「見られて困ることでもしてんの、あんた?」その、鼻にかけた笑い方から、下ネタのことを言っているのだろうと思った。


「あほか」章吾君が、ふてくされた。


「これ、お母さんが買ってきたケーキだけど食べる?」面倒くさそうな言い方だった。


「サンクス」どうやら英語で言ったらしい。


 章吾君のお姉さんが、前かがみになってケーキをテーブルに置くと、襟の隙間から真っ黒いブラが見えた。そして、元々あるとは言いがたい胸だったので、ブラのサイズは合わないのだろう……


ブラと肌の隙間が気になるーー

「エロい!」


 急に叫ばれた方に振り向く。


 章吾くんは、戸惑いの顔を見せながら、お姉さんの胸元に着視していた。


「しょうちゃんどうした?」お姉さんが首を傾げている。


 章吾くんは、慌てて話題を変えようしていたが、お姉さんは先ほどの発言と言動を気にしているのか、章吾くんに詰め寄って、話題を変えさせないようにしている。


 自分に姉は、いないから実際のことはわからないけど。確かに、僕もエロいと思ったが、実の姉を異性として見ることは、多分ない。


 僕は、ひと悶着している最中、ケーキにフォークを刺した。


 ケーキを食べ終えたころには、二人のひと悶着も終わっていた。


 章吾くんが、だらしない姉に対して「ひとこと言ってやりたかった!」と主張していたらしい。


 ちょっと高そうな置時計に目をやると帰宅の時間になっていた。とくに帰らなければいけないことはないのだが、母親の宿題に対する執着心を無視するわけにはいかず、帰ることにした。


 家に着くと、母親は宿題のことをくどくどと話し始めた。「わかっているよ」と何度も相討ち、説教じみたセリフを右から左へと受け流す。罪悪感はさほどわかなかった。自分が勉強を怠っても、親に迷惑をかけることはないし、むしろなぜ、そんなに勉強をさせたいのであろうか?


 早く終わらないかな?と思いつつ、毎週釘付けになっているテレビに、視線を向けた。


 報道番組が流れていた。


 トップニュースは、自分が腹話術の影響を受けた、二枚目俳優の浮気報道だった。


 内容は、気の強い有名女優奥さんとの不仲ではなく、新人モデルとの密会だった。アナウンサーは、今回の報道について、議論を唱えていた。


 コメンテーターの話しを聞く限り、どうやら浮気現場を抑えられた訳ではないらしく、本人がカミングアウトしたようだ。


 自分からカミングアウトなんて⋯⋯。


「ちょっと!聞いているの?」母親の声は、いつになくでかかった。


 そして、お経のようなうんちくは更に続く。僕は、少しつづだがうんざりし始めた。その雰囲気が、母親の声量をさらに上げる。


まったくもってーー

「うるさいっ!」


 え?自分ではなく、母親が耳を塞ぎながら叫んだ。


 何かがおかしい⋯⋯


 母親も困惑している様子だ。それもそのはず、母親には、うるさくなるような音がないのだから。テレビのボリュームも、いつもより小さ目に設定されている。


それなのに⋯⋯


 母親は相変わらず、困惑した表情だ。そして、ふらふらとキッチン向かっていった。とりあえず、説教は終えたらしい。


 夕飯の時間まで部屋で過ごす。


 いつもと変わらない、夕飯を済ませ、風呂に入る。


 風呂上りに居間でくつろいでいると、夜のニュース番組で、相変わらず二枚目俳優のカミングアウトを報道していた。


 ふと前に見た夢のことを思い出す。真っ白い部屋でのタオル君との会話

『言葉を話せるのに伝え会わない⋯⋯』


その瞬間、テレビ画面の上部に速報ニュースというテロップが流れた。二枚目俳優が二十年の歳月を得て離婚するらしい。


 キャスターが慌ただしく原稿を読み上げ始めた。隣に座る女性アナウンサーが深刻そうに頷いている。


 夫婦喧嘩の最中、離婚を切り出したのは奥さんの方らしい。旦那の浮気は本当らしく、ちょうど僕が腹話術を始めたときに、若いモデルとの浮気が始まったみたいだ。


 コメンテーターは二十歳になる娘への話題作りだと、断定した口調で話し出した。


「マモル。早く寝なさいよ〜学校に遅刻しちゃうでしょ」


 母親の説教じみた声は、いつになく小さかった。夕方のこともあり、反発心が薄れたので、素直に部屋へ向かう。


 ベッドに倒れ込む。そして、母親がうるさいと叫んだことを思い返した。


 母親は、何に対してうるさく感じたのだろうか⋯⋯


 もっとも、うるさいと叫びたかったのは僕の方で、母親ではない。


 まあ、考えても答えは見つからず、気にせず寝ることにした。


 意識が薄れる中、宿題のことを思い出したが、今更起きて机に向かう気がおきないので、そのまま就寝する。





 朝、登校時間ギリギリの戦いをしていると重大なことに気づいた。鞄に教科書を詰め込む手が止まる。社会の宿題をやり忘れていたのだった。しかし、今からじゃ遅い。とりあえずクラスメイトの誰かを頼ることにして、足早に学校へ向かった。


 社会の授業は二時間目で、まだ一時間分の時間がある。そう思うと少しだけ気が休まった。この間に、ノートに宿題を写させてもらえば何とかなる。


 ホームルームが終わり、早速、隣の女子にノートを借りようと頭を下げた。女子は不機嫌そうなそぶりを見せていたが、呆れた様子でノートを渡してきた。


 感謝を述べつつ自分の鞄から使いかけのノートと丸いペンを取り出す。そして、彼女から借りているノートのページを、折れ目が目立たない程度に開いた。見てみると、さほど難しい内容ではなさそうだ。


 これなら余裕で写せそうだと思ったとき、教室のドアを開く音が鳴った。


 ドアの方を見ると、喉が詰まり、手が止まった。


 えっ一限目は、数学のはずじゃ・・


 ドアの向こうには社会の担任教師、田中先生が黒いファイルを抱えて立っていた。


 血の気が引き、自分でもきづくほど動揺した。


「先生っ時間を間違えてないですか?」章吾くんが、意地悪そうな表情で先生に伝えた。クラスメイトがつられるように笑いあげ、ざわついた。


 僕はその光景に安堵し、胸を撫で下ろす。


 言われてみればその通りだ。先生が勘違いをしたに違いない。


「静かにぃ」田中先生が不気味に声を震え荒げ、クラスが静まりかえる。


「数学の横沢先生は、ついさっき、家庭事情でお帰りになりました。一時間目を変える話しもあったのですが、担任のシフトを細かく変更するのは、難しくもありましたので、一時間づらすことで、話しがまとまりました」


 教室がざわつく。


 僕は我に帰り、急いでノートを開き、ペンを滑らせた。


 隣の女子が、心配そうな表情でこちらを見ているが気にしてはいられない。


「それじゃあ、はじめましょうか」


 始めちゃあ駄目でしょう、と思いつつ「起立」の号令で立ち上がる。


 手からノートとペンを手放すと、ノート折り目が不十分なのか、開いていたページがゆっくりと閉じた。


 あっ!


「礼」なんでこんな目に。


 ペンが転がっている。


「着席」気持ちが焦った。


 ぺんがゆっくりと転がり、端のほうで落ちそうになっている。思わず手を伸ばし体制が崩れた。


 机を叩く音と椅子の引きずる音が教室に鳴り響いた。


 ぺんが床に跳ねる音がむなしく鳴る。


 今日まで、母親の言葉を煙たがっていた自分に、舌を打ちたくなった。


 ペンを拾い上げ辺りを見渡す。


 クラスメイトの視線を、集めるような形になっていた。


「やましか君。うるさいよ。どうした?」


 田中先生の顔が微かに笑っているように見えた。


「なっなんでもないです」自分でも気づくほど、声が震えていた。


「そうですか」田中先生は、やや残念そうな顔をしているように見えた。


「でわ。早速ですが、宿題を回収しようと思います」


 クラスメイトは、早く終わらせろよとアピールするかのように、次々とノートを先生のもとへ届けて行く。

 先生は微かに黄ばんだ目で、ノートを持ってきた生徒を確認するかのように、、一人一人じっと見ている。


「タイムオーバー」と言って、隣の女子が、おもむろに借りていたノートを僕から奪い、そして颯爽と田中先生のもとへノートを届けに行った。


 その最中、章吾くんと目が合った。心配そうな顔をこちらに向けているが、まさにその通り、僕は今まさに、窮地に立たされている。


 案の定、田中先生が不気味に微笑みながらゆっくりと近づいて来た。


「やましか君。君だけ、まだノートを提出ししていないよ、どうしたのかなぁ?」もう、わかっているくせして、イヤらしい質問してきた。


 田中先生が目の前に立つ、そして例のイヤな匂いが鼻を刺激した。


「私は、どしたのかを聞いているんですよ。まさか、宿題を忘れていたなどと、言うのではないでしょうねぇ」


 田中先生が人の顔を除き込むように見てきた。


 口が渇いて上手く言い訳が出来ない。鼻の刺激が、渇いた喉にまで達するような感覚。


 最悪だ。


「離れろっ!」


 叫ばれた方を振り向くと、隣の席に座る女子が唖然としていた。


「急にどうした?」


 彼女の友人が心配そうに駆け寄った。


「臭い!」


 今度は、教室の後方に座る生徒が叫んだ。


「一体、どうなっているんだ?」


 田中先生が後方の生徒を睨み付けた。


「とにかく、離れてほしい」

 章吾くんが落ち着いた表情で、先生に伝えた。


「章吾くんそんなストレートに……」


 体格の大きな生徒が、立ち上がっている。


 田中先生が、戸惑いの様子で、二.三歩後ろに下がった。


 そして、急に「助かったぁ」と安堵の表情を見せてきた。


 僕は言葉に詰まる。そして、ゆっくりと思考し言葉を選んだ。


 そして声を出そうとした瞬間「なにこれ?」とクラスメイトの男子が言った。

 その言葉に皆がざわついている。


 何故か声がでない。自分自身の声が出ていない。


「あぁ。いぃ。うぅ。えぇ。おぉ」とクラスメイトの女子がいきなり発声練習を始めている?


「そうじゃない!俺が喋りたいんだよ!」


 章吾くんが叫んでいるのを聞き。自分の置かれている状況を理解した。


「僕の言葉を皆が代弁しているのか!」とクラスメイトの窓側に座る男子が叫んだ。


「何よいきなり」クラスメイトの女子が窓側に座る男子に詰め寄って行く。


 教室内で、意味がわからない言葉が飛び交いパニック起きた。


 僕は教室から飛び出そうとして、立ち上がり席を離れようとしたら、田中先生に、腕を捕まれた。


「離せ!」とまた誰かが叫ぶ。この状況おかしくなっている。


 腕が引っ張られ田中先生に密着した。


「臭い!」女子が叫んだ。


「大変なことが起きているんだ!離せよ!」と僕ではない、誰かが怒声を発する。


 僕は腕を振り払い、教室を抜け出し、廊下を駆け抜け、学校を離れようとした。


 人とすれ違う度に、僕の言葉を誰かしらが話す。


 これは、タオル君のせいなのか?と思ったとき、ぶつかりそうになった教員がタオル君と呟いた。


 校門に出た瞬間、道行く人が「ありえない」と言い、僕の横を通りすがった。


 僕の気持ちを誰かが代弁している。とにかく今は、何も考えないようにしなくては。なるべく無心になるように心がけ、駆け出した足を止めない。


 もつれそうになるがなんとか耐える。


 早く自宅に帰り、部屋にこもりたい。


 そんな焦りの気持ちが、横断歩道に設置してある赤信号に不安が襲う。


 信号待ちの人だかりに、体をするりと滑り込ませて先頭の位置に立つ。


 手を合わせて祈ると「早く青信号になってくれ」と右側の人がさらりと言った。


 振り向くと隣の人も手を合わせていた。


 その人と目が合うと「真似するな」と言ってきた。


 混乱してきた。


 信号が青になり僕は瞬時に駆け出す。すると信号待ちの人たちも僕を先頭に駆け出してきた。


 誰かが「急いで家に帰らないといけない」と言った。


 僕の行動まで伝染している?僕は数人の群れを引き連れて、家に向うことになった。


 僕を含めたマラソンの集団は、大通りを越えて住宅街の細い道になだれ込む形になった。


 後ろを振り返ると、全員後ろを振り返っている。奇妙な光景に言葉を失った。


 家に近づくにつれて緊張してきた。


 家の中に後ろの集団が入って来ないようにしなくてはいけない。その為には、瞬時に扉を開きすぐ閉じなくてはならない。多分、母は家にいるので鍵は開いているはず。


 ジョギング程度の足並みを揃えつつ、シュミレーションを何度も考える。


 運良く、僕を追い越して先頭に躍り出ようとするものはいなかった。


 家にたどり着き、僕はすぐに扉を開けようとドアノブを掴んだ。


 鍵が掛かっていないことを期待して右に捻る。


 その瞬間、後方から歓喜の声が上がった。


 すぐさま家に入り扉を閉める。扉の外がどうなっているのか気にかかったが、家にいる母を探した。


 母は相変わらずキッチンにいた。目が合うと、僕に泣きついてきた。「ごめんなさい」と何度も叫び顔を埋めてくる。


 母のそんな姿が自分の姿なんだ。


 僕の脳が、膨れ上がった風船のようにパチンと破裂した。もう、何も考えられない。


 そして段幕がゆっくりと降りるように意識が閉じ始めた。


 真っ暗な闇の中に放り込まれる感覚だ。


 もう、何も出来ない





 気がつくと視界は閉じたまま、僕はベッドに横たわっているようだ。


 意識はしっかりしているはずなのに、口が動かせない。呼吸以外の発声が全く出来ない。


 手足どころか、身体の全てが動かせなかった。


 これはタオル君の呪いかも?

 何故かむなしく感じた。



 もしかしたら、タオル君は物の気持ちを理解してほしくて僕にこのような呪いをかけたのかもしれない。だが、これではただの植物人間だよ。



 そして、こんな日々は数週間も続いた。



 時折、病院の先生と母の会話を聞くときがあるが僕のまぶたは閉じているので顔は見えない。それでもなんとなく状況は理解できるような気がした。


「お母さん。息子さんの容態に変化は表れましたか?」


 医師から母への質問であろう。


 母の返答は無く、沈黙が続く。


「そうですか」


 無言の後、母は首をふったんだと思う。


 先生は難しい顔をしているような気がする。


「先生。でもいいんです、息子の気持ちは、なんとなく分かるような気がしますから」母のその言葉には、力強さを感じた。



 ふと思う。確かに僕が外に行きたいと思うと、母は車イスを用意してくれて僕を外に連れ出してくれていた。情景は見えないけど、車イスの感覚、風の匂い、草木の擦れる音で、なんとなく外に連れ出してくれていることがわかった。



 他にも、僕の心を読み取ってくれているときがある。前髪が鼻にかかると鼻先がムズムズするが、母の手が僕の前髪を掻き上げてくれる。そして、おでこを撫でてくれる。


 喉が乾くと、美味しさを感じない液体を舌を潤してくれる。


 母は常に僕の心を読み取って理解してくれる。


 そして、その母の行為が僕にハッキリと伝わっている。


 タオル君も僕と会話をしているとき、こんな感覚だったのだろうか?



 突如、僕の腕が何かの台に乗せられた。


 袖が捲られ、肘上辺りに締め付けが強いゴムが巻かれた。


 腕に何が刺さった。


「痛いっ」


 小さい男の子の声が聞こえた。


 多分、注射だろう。



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新しい作品をまた載せたいです。

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