エピローグ①司法局
「コウ!」
呼び掛けられて、コウはケイカ、アヤとの話を中断して顔を上げた。
場所は『フラスコル・シティ』司法局の地下施設……かつて組織名の由来になった巨殻、【黒殻】が存在していた場所だ。
白い通路の向こうから、ミツキが大きく手を振ってやってくるのが見えた。
横に、制服姿の護衛が二人……昔、不良装殻者であり、装技研の警備として雇われていたタカヤとカズキだ。
二人は、おやっさんの計らいで司法局試験に推薦され、猛勉強して司法局員となっていた。
「ミツキ。どうしたの?」
「ん? まぁケイカに用があってなぁ」
ミツキも、父と同じ司法局員の道を歩もうとしていたのだが、今はカヤにスカウトされて新型パワードスーツ『電装』のテストソルジャーになっている。
「私? 取り次ぎなかったけど……」
「いや、受付行ったんやけど、丁度タカヤがおってな。花立さんに取り次いでくれて、入ってええっちゅーから」
訝しげなケイカの質問にミツキが答えると、ケイカはわざとらしく顔をしかめて両手を広げた。
「全く、怪しい部外者を責任者が招き入れるなんて、警備体制の見直しが必要ね」
「誰が怪しい部外者やねん! 肩書き持ちの国家公務員に向かって!」
「見えないわね。こう、ビシッとした格好良さとか威厳とか、そういうのが全くないわ。どっちかというとチンピラね」
「 上等じゃ! 装技研の所長降ろされた分際で!」
「今は電装研よ! 大体降ろされたんじゃなくて降りたの!」
「はん、ウチのおかんが有能すぎてお役御免になっただけやろが!」
「うるさいわね! そうよヤヨイさんに勝てる訳ないでしょ!? でも、あんた自身は大した知識もないでしょうが!」
「なんやとぉ!?」
何故か会った瞬間からヒートアップする二人に、コウはため息を吐いた。
「二人とも、声が大きいよ。痴話喧嘩は他所でやってくれる?」
「痴話喧嘩!?」
「まだ付き合ってへんわい!」
「あ、そうなの?」
てっきりもうくっ付いているものだと思っていたコウがきょとんとすると、二人は気まずげに目を逸らした。
「そ、それはもういいから! で、何の用なの、ミツキ」
「お、おう。……とりあえず場所変えよか」
ケイカとミツキが連れ立って去ると、それまで黙っていたアヤがポツリと呟く。
「仲良しで良いなぁ……」
「なんか言った?」
コウが尋ねると、アヤは微笑んだ。
「ううん、私も頑張ろうって話」
「ふーん?」
アヤにも好きな人が出来たのだろうか。
そうなら喜ばしいと思うが。
「……でも未だに会話に色気も何もないけどね……」
小さく何かを言っていたが、何だか疲れているような感じだったのでコウはあえて触れなかった。
アヤはこう見えて気が強いので、下手な事を言い過ぎると噛みつかれる可能性がある。
「タカヤ達は?」
「俺らも仕事に戻る。な?」
「はい」
何処かニヤニヤと言うタカヤに、カズキが生真面目に頷いた。
二人も去ると、コウはアヤに言う。
「ケイカさん達がいなくなったし、とりあえず見に行くか」
コウは今、電装研で調整士として働いている。
調整しているのは電装ではなく、新理論による新型の『装殻』だ。
電装の基本システムは従来エネルギーの利用によるもので、装殻の基本システムとすら言えたスラスターすらも利用出来ない貧相な出力しか搭載出来ない。
それでも、戦闘型でない作業用装殻の代わりは出来る。
安価で一般的な普及も行われ始めている現状、作業用装殻の機能停止によって低下した労働力も十年もあれば回復する見込みだった。
アヤと連れ立って、最奥に向かったコウは、かつて【黒殻】が調整されていた巨大ドームの一角に設けられた研究室に入る。
カプセルの中に安置されている二体の装殻の保護カバーを開くと、現れたのは二種類の装殻だった。
一つは、黒の一号に似た外見で、紫の差し色が入った黒い装殻。
もう一つは、ジャッカルに似た外見の、黒の差し色が入った赤い装殻だ。
「基礎は同じなのに、何で起動しないんだろうね」
アヤが複雑そうに言う理由は、コウ達が開発を担当している赤い装殻の起動実験が成功しないからだった。
完全自立行動型装殻……ハジメの開発した黒い方は『名無しの破壊者』と呼ばれている。
現在は休眠状態だが、稼働が可能なものであり、戦闘能力は【黒の装殻】に迫る。
もう一つは、未だに目覚めない。
コードネームは『模倣された死者』……コウとアヤの姉、北野シュリの装殻を模したものだった。
「魂になりきれていない……と、ハジメさんは言っていたけどね」
補助頭脳は、人工的に作られた魂。
バッドリムーバの魂は、まだ赤子にすらなっていないのだと。
「でも、そんなのどうして良いか分からないじゃない」
アヤが口を尖らせるのに、コウは小さく微笑んだ。
「どうして良いかは分かるだろ。魂として未熟なら、魂になれるように、彼女と会話するんだ」
コウは、バッドリムーバをプログラミングするコンソールに手を当てた。
「ネット情報でバッドリムーバが反応するのは、視覚的な情報ではなく振動や音……彼女の魂は、きっとまだ、母親の子宮の中にいるのと同じ状態なんだろう」
コウは、調整士だ。
だが装殻の調整をする時に、コウは常に装殻に語りかけていた。
お前はどう在りたいのか、と。
「目覚める為の答えは、きっとバッドリムーバ自身が知ってる。俺はそれを探り当てて、望むように調整してやるだけだ。幾ら時間が掛かってもね」
コウの言葉に、アヤは何故か拗ねたように言った。
「お兄ちゃんは、まるでバッドリムーバに恋してるみたい」
「そうかな……」
そうなのかも知れない。
「どっちかっていうと、親みたいな気持ちなんじゃないかなと、自分では思うけど」
「そうなの?」
「うん」
コウは、バッドリムーバとアヤを見比べて頷いた。
「俺は調整士だ。世界で唯一の、誰かの為に装殻を調整する。ーーー出来上がるのは、それ一つしかない装殻だ。皆、俺にとっては大事な子達だよ」
※※※
「で、何の用だったの?」
連れ立って地上に出て、司法局の中庭に場所を移すと、先ほどよりも柔らかい声音でケイカが言った。
いつも大体こうだ。
誰かがいるところだと、ケイカは何故かミツキに対して喧嘩腰になる。
「あー……」
ミツキは言いづらくて頭を掻いたが、黙っていても仕方がないので、覚悟を決めて伝えた。
「あんな。……あの決戦の前の、返事、そろそろ聞かせて欲しいんやけど……」
ミツキは、アナザーとの戦いが始まる前に、ケイカに告白していた。
その時に、彼女は言ったのだ。
『全てが終わって、お互いに生きていたら、その時は考えても良い』、と。
ミツキの問いかけに、ケイカの表情は変わらなかった。
しばらくして軽く目を細められて、ミツキは何かマズかったかと内心で焦る。
「……今頃?」
やがてケイカが口にしたのは、その一言だった。
「今頃、て」
「地球に帰って来てからどれ位経ってると思ってるの?」
「……まる二年くらい」
「でしょ。もう忘れてるのかと思ったわ」
ケイカが顔を背けるのに、ミツキはようやく気づいた。
もの凄く拗ねている。
「いや、あの。そんなん言うたかて忙しそうやったし、バタバタしてたやん……?」
「へー、気が長いのね。知らなかったー」
「ちょ、ケイカ?」
「自分から告白しといてずーーーーっと待ってたんだ。私がわざわざ貴方に言いに行くのを」
「うぐ……」
ミツキは言葉に詰まった。
言われてみればその通りで、ミツキは何度か会っていたがケイカに返事を訊ねていなかった。
「その……なんかゴメン」
「……もう!」
ケイカは腰に手を当てて、片頬を膨らませた。
「違うでしょ!? 返事が欲しいなら、ウジウジしてないでもう一回言いなさいよ!」
「へ……?」
改めて見ると、ケイカが頬を紅潮させている。
怒っているのではなく……自分が口にした言葉に照れているのだ。
「初めてなんだから! ……ちゃんとしたいって……思わないの……?」
それは、男に告白されるのが、という意味だろうか、とミツキは考えた。
ケイカは美人だが、よく考えたら小さい頃から戦いづくめで色恋沙汰とは無縁だったのだろう。
ミツキは、自分の心に喝を入れて、背筋を伸ばした。
「ケイカ。……俺と、付き合ってくれへんか?」
ミツキの告白に、ケイカは。
「……良いわよ」
恥ずかしそうに、小さく呟いた。
ーーーオーケー? マジで!?
ケイカの返事の意味を理解するのに数秒。
思わずミツキがケイカを抱き締めようと手を伸ばすと……。
「おめでとぉおおおおおおお!!!」
「ちょ、タカヤさん……!?」
タカヤの歓声と、カズキの焦ったような制止が聞こえた。
「いっやー、いつくっ付くかと思ってたけどようやくだな! やったなミツキ!」
そう朗らかに親指を立てるタカヤの目が……笑っていない。
ーーーコイツ、わざと……ッ!?
ミツキの脳裏に鋭い閃きが走った。
タカヤは、このタイミングを狙ってミツキ達の後を付けたのだ!
「はっはー、見せつけやがってこちとら女日照りだってのに! 末長く爆ぜろ! じゃーなッ!」
「テメェ、タカヤァ!! 待ちやがれこの野郎ッ!!」
「すいませんでしたミツキさん、ケイカさん!! ホントすいません!!」
カズキも両手を合わせてから、姿を消す。
ミツキはそこで、ハッと気付いた。
ケイカが俯いて、肩を震わせている。
その両手の拳が、硬く握り締められていた。
「あの、ケイカ、さん……?」
おずおずとミツキが顔を覗き込むと、ケイカは真っ赤な顔で涙目になりながら……食いしばった歯の隙間から唸るように声を漏らした。
「最ッ……低!」
※※※
パァン、と良い音を立てて頬を叩かれるミツキを、司法局の建物の上からヤヨイと花立、カヤ、シノが見ていた。
「全く、うちのバカ息子は、何でこんな所で告白するかねぇ……」
白衣を着込んだヤヨイの呆れ声に、カヤが、クック、と喉を鳴らす。
「若いな。良いことだ」
「ケイカも、経験が足りませんね。耳年増で……」
シノも渋面を装っているが、口元の笑みを隠しきれていない。
花立は楽しげな様子の女性3人に溜息を吐きながら、内心でミツキに合掌した。
からかいのネタを自ら増やして行く辺り、カズキにソックリだ。
「話に戻ろうか。向こうの件は後でも良いだろう?」
これ以上不憫な様子を見せるのも忍びなかった花立が言うと、女性陣が花立に目を戻した。
装殻の停止によって混乱に陥った世界情勢は、事前準備の甲斐もあって落ち着きを見せ始めている。
これ以上『黒殻』幹部として働く必要はないーーーそう考え始めていた花立を、呼び出したのはカヤだった。
「花立さん。日本国内は落ち着きを見せて始めています。ですが、我々はまだ、貴方の力を必要としている」
ピクリと眉を震わす花立に、カヤは表情を引き締めて言った。
「私は、日本国政府軍総督の地位を賜りました」
「……知っている」
装殻が失われた後の軍備の再編。
それに際して、第一次襲来体殲滅戦の折からずっと総督の地位にあった男が、その場所を降りた。
その後釜が、カヤだ。
実績も、経歴も十分にあるが、マザーの監視の為に長く大阪区司法局長の立場だった彼女は、地位そのものは高くなかった。
故に反発もあったが、押し通したのは首相と前総督だ。
「敵は多く、肩書きは重い。…… もう少し、留まってはくれませんか?」
「どうせ表舞台には立てない。どういう言い訳で居続けにするつもりだ?」
そもそも、花立トウガという男に【黒の兵士】、そして司法局第3室長であった事以上の実績はない。
隊長だったのは、風間ジロウという存在しない筈の男だ。
「総督直属官という地位を新たに設けます。所属は統合幕僚庁。官位は少尉。司法局から情報本部へ出向、そこからさらに出向という形態を取りますので、所属を辿られることはありません。防衛大臣の認可は既に取っています」
花立は大きく息を吐いた。
既に準備は万端整っているという事だ。
望めば司法局に留まれるだろうが、既にアイリも鯉幟もいない。
留まったところで、シノの副官として使われるだけで、現場の事だけを考えている気楽な立場にはなれないだろう。
「力を貸すのは構わない。……が、就任前に休暇を貰おう」
花立は条件を出した。
この程度は呑んでもらっても良いだろう。
「何か理由が?」
「事後処理も片付いたんだ。……一度、スミレの墓参りにな」
遠く空を見る花立に、カヤはその申し出を了承した。




