第10節:邪悪は、滅ぼす。
視界を埋め尽くす程の襲来体の群を一直線に進む【黒殻】の航行は順調だった。
周囲の襲来体は、依然として【黒殻】を破壊しようと迫って来るが、【黒殻】までの距離が一定ラインを超えた瞬間に瞬時に砂に還っていく。
―――《黒の共振》。
【黒殻】化した【黒の装殻】が可能とした、対星喰使特化の破壊領域を常時展開する出力解放だ。
出力解放のエネルギー出力を、伍号と肆号のコアを切り替える事で継続的に維持し。
二人の消費した霊子力を、黒の一号が時空改変を応用し、自身の霊号コアである重力場形成核の霊子加速量を増大供給する事で充填し続ける。
統制を行うのは弐号であり、その間、【黒殻】の周辺領域を展開し続けるのは参式の役割だった。
「ここまでは順調だったけど、どうもここから先はそうもいかないみたいねん」
静かな弐号の言葉と共に視界に表示されたデータを見て、黒の一号は眉をしかめた。
「……マザーとアナザー、か」
「あのデカさを複製出来るんかい……!」
黒の一号の言葉に、肆号の片割れであるミツキが呻く。
表示されたデータは、置き去りにしてコウらに任せた筈のマザーとアナザーが、オーファンの両脇にもそれぞれに存在している事実と、それらの個体がこちらに向かって進軍を始めている事を示していた。
「それはどうかしらね、ミッつん」
「どういう意味や?」
弐号の声音は冷静だった。
「思ったより、コウくんたちの交戦時間が短かったわ。彼らはもうこっちに向かってる。幾ら霊号二人でも、同格を相手にしていたにしては楽勝過ぎたわね」
「……どういう理由が考えられる?」
黒の一号の問いかけに、弐号は淡々と答えた。
「経験の消滅。襲来体は学習能力と模倣の能力を有しているけど、本質的な意味での成長という面では、恐らくは人間と変わらない。速度こそ違えど、親や同族という存在を持たない襲来体は、人間を取り込む事で力の扱い方や事で知性を獲得する。マザーやアナザーを時間を掛けずに一気に殲滅する理由として、以前話し合ったでしょう?」
「……ああ」
「恐らく、新たに生まれた襲来体であるオーファン自身は、力は驚異的でもマザーやアナザー程の経験がなかった。そして、デウスが定めた役割を拒否しようとしていたマザー達は、母体としては異質な存在……オーファンに対して、もしデウスへの反逆を口にしたら、オーファンはどうするかしら?」
「……マザーらは、オーファンに始末された、という事か」
黒の一号と弐号の会話に、ミツキが戸惑った声を上げる。
「始末て。ほんなら、さっきのマザー達と目の前のマザー達は何なん?」
「コピーでしょうね。本来、襲来体は一つの意思の下に統制された存在。得た知識によってマザーとアナザーの姿を取っているだけの、母体複製体よ」
「……なんかおかしない? 知識があるなら知性もあるやろ?」
そんなミツキの疑問に、答えたのは参式だった。
「ミツキ。仮に『包丁は危ないものだ』と教えられた子どもの目の前に包丁を置いて放置したとする。その子どもは包丁で怪我をした経験がない。痛みを感じた事もない。未知のものに興味津々だ。……子どもは包丁に触らず、怪我もしないと思うか?」
「指切る確率の方が高いやろーけど、それがどないしたん?」
「察しが悪いわね!」
ケイカがミツキに対して声を張る。
「今のオーファンはそういう状態だって事でしょ!」
「そう。知識があっても経験がない、というのはそういう事だ。知っているだけで実感がなければ、知識は無意味と言っていい。知識から想像を働かせる、というのは、大人として成熟し始めた者だけが出来る事なんだ。子どもは、経験から学ぶものだからな」
「……結局どういう事なん?」
イマイチ反応の鈍いミツキに、再び弐号が口を開いた。
「今のオーファンは、頭でっかちの赤ん坊なの。赤ん坊は最初から泣く事を知っている。不愉快な刺激があればとりあえず泣くのよ。襲来体という存在は泣くことの代わりにデウスから『装殻者を殺せ』という指令を与えられている。本能に従う事以外を知らない、知性を有しない存在にとって、それは絶対的な命令でしょうね」
「……だから、コウくん達も苦戦しなかったんだろう。母体が厄介なのは、学習してこちらを嵌めようとするからだ。もし策を弄しないなら、それは今まで倒してきた素体の襲来体と変わらない。ミツキは今周りにいるような襲来体相手に、自分が苦戦すると思うか?」
「そゆ事か。どんだけ力持ってても、使いこなせないなら無意味やもんな」
ミツキはようやく理解したようだった。
「オーファンは、正面からぶつかってくる。物量さえ凌ぎきればーーー我々の敵ではない」
「向かってきている二体を、マザーβ、アナザーβ、と呼称しましょうか。でも、複製体とはいえ母体同様、時空改変が可能なら、《黒の共振》は通じないわねん」
本質的に同位体である襲来体全てに効果のある破壊共振領域だが、時空改変を基礎とした形成場は同じ現象で相殺出来る。
個体として【黒殻】に勝るエネルギー量を所持するマザーとアナザーは、その巨体も相まって破壊仕切る前にこちらが押し潰されるだろう。
「……合図と同時に領域を解除。ここから戦闘に移行する」
「まだちょっと遠いわよん? 届くかしら?」
弐号の警告に、黒の一号は首を横に振った。
「―――人類にとっての邪悪は必ず滅ぼす。相手が赤子のような存在であっても、だ」
三体の母体を真正面から相手にする必要はない。
《星喰使》本体であるオーファンのコアさえ破壊出来れば、相打ちでも構いはしないのだ。
弐号が黒の一号言葉に楽しげに答え、参式が呆れ声を上げる。
「質問の答えになってないけど……出来る出来ないで物を言わない辺りが、ハジメよねん」
「根性論だな」
それを受けて、伍号、それに肆号が熱の籠った返事をする。
「へっ、そのくらいの方がシンプルで分かりやすいぜ!」
「同感や。叩き潰したるわ!」
「ここまで来てしくじるような無様は見せれないからね!」
全員の返事に微かな笑みを浮かべて、すぐに黒の一号は口元を引き締めた。
ならば、仮に【黒殻】が消滅したところで、生き残ってさえいれば他の【黒の装殻】らは回収して貰えるだろう。
そう考えた黒の一号は、全ての意識をオーファンへ振り向けた。
コアへの一撃。
それだけを届ける為に。




