第4節:愚か者の末路(前編)
黒の一号は、眼下の研究所を見据えた。
その横には、二人の人物が立っている。
彼がラボから脱出した後に出会った、血気盛んで負けん気の強そうな顔をした若者、鯉幟カツヤと。
後に【黒の兵士】を組織し、黒の一号と共に襲来体に対抗する事になる中年男性、花立キヘイだった。
「オメー、本当に一人で行く気かよ? ハジメ」
キヘイが荒い口調で言うのに、黒の一号は頷いた。
「ニーナって奴、お前の恋人だったんだろ? やれるのか?」
一人で行く、と言った事を未だに引きずり、不機嫌そうなカツヤが問うと。
「……立ち塞がるなら、容赦はしない」
黒の一号は、短くそれだけを答えた。
『飛来鉱石研究所』は、彼が〝装殻者〟の欠片を得た海岸の近くに秘密裏に建設されていた。
ラボの所長は黒の一号の研究成果を悪用する為に、黒の一号を亡き者にしようと、その本拠地を一度爆破したのだ。
故に、地上部分にある研究施設は廃墟と化している。
爆破を生き残った黒の一号は、その後ずっと、所長らの潜む場所を探っていた。
「……まさか、地下とはな」
「灯台下暗し、ってェわけだ」
「Dr.ゲイル、どこまでも人をおちょくった野郎だぜ」
それが、ようやく第2支部で手に入れた本拠地の座標の位置だった。
「行ってくる」
「死ぬんじゃねェぞ!」
「生きて戻ってこなかったらぶっ飛ばすからな!」
二人の檄を背中に受けて黒の一号は廃墟に潜入し、指向性爆弾を仕掛けて建物の床を破壊する。
穴に飛び込むと、見覚えのない通路が確かにあり、電気が生きていた。
けたたましい警報音が響き、赤色灯が白い壁と瓦礫を染めている。
「今日で、全てを終わらせる」
黒の一号は追加装殻を展開し、現れたラボの警備兵たちを薙ぎ倒しながら、所長室を探して動き始めた。
※※※
施設の中程まで来ると、第2支部に良く似た戦闘訓練所で、四人の男女が待っていた。
片目に眼帯をした中東系の男、白髪混じりの長髪をした不気味な老人、冷酷な顔に奇抜な格好の中年。
そして、ニーナ。
「裏切り者めが。さっさとくたばればいいものを」
「……バカラ」
中東系の男が吐き捨てるように言い、外殻を纏った。
胸に『Ⅳ』の文字を持つ、アンティノラNo.4。
黒の一号の両手甲に3本爪を付けたような、クロー型追加装殻を身に付けている。
「よくもまぁ、ここを見つけよったの。お陰でNo.2とNo.3の尻拭いに、儂まで駆り出される羽目になったわ」
「あらん、お祖父様。そんな言い方はないんじゃないん?」
不気味な老人とニーナ、二人のロシア人も『Ⅴ』と『Ⅱ』の刻印を持つ異形へ変わる。
ニーナは以前見たのと同一の短いブレードを持つ追加装殻、イワンは大口径長銃身のガトリングガンを。
「アァンティコア、本条ハジメ! 貴様の役目は、既に終わっているのだ!」
「終わりはしない、ダイム。―――貴様ら邪悪を、滅ぼし尽くすまでは」
最後に奇抜な中年が『Ⅵ』の刻印のアンティノラへと変わり、黒の一号は拳を握り締める。
ダイムは、大鋏型追加装殻を右手に備えていた。
「―――我は、最初の人体改造型」
かつて共に、鉱石の研究を行った仲間であり。
「従うものは、己の心」
……今は、立ち塞がる敵となった異形へ向けて。
「律に背き、権を拒み、力を以て、己を通す」
彼は、自身の存在が如何なるものかを、名乗り上げて叩き付ける。
「我は〝正義を騙る修羅〟―――名を、黒の一号」
たった一人、覚悟のみを拠り所に立つ人の守護者は。
両腰の銃を引き抜いて、戦闘を開始した。
※※※
「ぬぅりゃぁ!」
黒の一号は、跳び、右手に備えたシザーを振り下ろすダイムの一撃を避けてその腹へと蹴りを見舞い。
ニーナ、そしてイワンへ向けて銃を乱射した。
「少しばかり強化したところで……同型4体に勝てると思うな!」
二人が飛び避けるのを横目に見つつ、ダイムと時間差で襲って来たバカラの爪を手甲で防ぎ。
「お前は勘違いをしている……」
その腹に、殻弾散弾銃の銃口を押し付けて、黒の一号は引き金を絞った。
「同型ではなく、紛い物だ。お前らは〝装殻者〟ではない……!」
外殻の破片を撒き散らしながらバカラが吹き飛ぶと、黒の一号を中心とする直角線上から、イワンがマシンガンを連射した。
追加装殻により強化された機動力で、後ろに跳んだ黒の一号。
そこに隠蔽状態を解いてニーナが姿を見せ、手に持った筒を放る。
「こないだは効かなかったけど、これはどうかしらん?」
筒……指向性爆弾の一撃は、黒の一号の外殻を破壊する威力を秘めている。
しかし。
「無駄だ」
腰に銃の片方を即座にマウントして、斬殻剣を逆手に引き抜いた黒の一号は、炸裂する前に爆弾を一閃。
破壊された爆弾は空中であらぬ方向へと破壊力を撒き散らす。
「……!」
轟音と衝撃が空気を震わす中で、黒の一号はニーナに銃を向けてフルオート射撃。
「残念ねん☆ 出力解放!」
No.2が追加装殻を付けた左腕をかざすと、ジュラルミン盾程度の不可視障壁がNo.2の前に展開して銃弾を弾いた。
「《黒の天蓋》……生半可な攻撃じゃ抜けないわよん!」
「なら放っておこう」
自分の意識を周囲から逸らそうとするNo.2の狙いを看破して、黒の一号は体の前に斬殻剣を構えると。
逆手の刃を、脇の下に通すように後ろに突き抜いた。
「グハッ……!」
回り込んで迫っていたイワンが、腹を貫く刃を生やしたままよろよろと後退する。
「強い……!」
「お祖父様!?」
バカラが呻き、ニーナが分身しながらNo.5と黒の一号の間に入る。
黒の一号は振り向きざまに、空になった手を拳の形に握り。
「終わりだ、ニーナ……出力解放!」
『実行』
全スラスターを背後に向けて、黒の一号は正確に、ニーナの本体へと突撃する。
「―――《黒の慈悲》」
『救済を』
黒の一号の拳が。
狙い違わず、ニーナの胸元にある『Ⅱ』の刻印を撃ち抜いた。
※※※
「ハ、ジメ……」
彼の名をつぶやきながら、ニーナが膝を折る。
「馬鹿な―――No.2を?」
倒れ伏したニーナに、信じられない、と言わんばかりに、ダイムが驚きの声を上げ、バカラが舌打ちする。
「ちっ! まさか恋人をも躊躇いなく殺すとはな……」
「言ったはずだ。邪悪は、滅ぼす」
ゆら、とニーナから視線を外して、黒の一号は再び両手に銃を手にした。
そこで、全周波通信が入る。
『全く、役に立たん奴らよ』
「首領!?」
「Dr.ゲイル……」
ラボの所長である老人の声に、ダイムとバカラが声を上げる。
『お前たちにさらなる力をやろう。喜べ、儂の役に立てる事をな』
「ま、まさか!? 」
「お辞め下さい、それだけは!」
狼狽える二人と違い、イワンは腹の剣を引き抜いて吼えた。
「よくもニーナを……許さんぞ、本条ハジメ!」
ピピ、と小さな電子音と共に。
「ガァ!」
「グッ」
「オォォ……!」
立っている三人が声を上げて、苦しむように体を折った。
『警告.敵性存在コアエネルギー増大』
「Dr.ゲイル……貴様」
補助頭脳の声に、黒の一号が軋るような声を出す。
『くっくっく、我がラボ最高傑作どもの《寄生殻》化だ。倒しきれるかね? 黒の一号!』
言う間に、三人の肉体が変質して肥大化する。
バカラは、凶悪な爪と強固な体毛、腹まで裂けた大顎を持つ狼型寄生殻に。
ダイムは、長大な肉体に人の爪そっくりの鱗を貼り付けた大蛇寄生殻に。
イワンは、真っ白なぶよぶよとした肉体に10本の触手を備えた、大烏賊寄生殻に。
それぞれに、変質した。
理性なき咆哮を上げるそれらに、黒の一号は逆十字を切る。
「人を辞め、知性を失い……そうまでしてお前たちが得たかったものは、何だ?」
答えを知る方法は、既にない。
黒の一号は、求めた力の代償を支払った者たちに、死という名の慈悲を与えるために、動き出した。
※※※
「上手く行ったわねん」
むくりと起き上がったニーナは、変質を終えた寄生殻らを見回し……クラーケンで目を止める。
イワンは、彼女の実の祖父だった。
「……良かったのか?」
「仕方ないわねん。改造は、お祖父様自身が望んだ事だものん」
頭を横に振り、ニーナは立ち上がった。
彼女は、一つの賭けをしていた。
ニーナは、黒の一号と同じ力を得るために改造を受け入れたものの、Dr.ゲイルの意思一つで寄生殻化される、という枷を負わされていたのだ。
その寄生殻化装置の在り処は、人体改造型のコアが埋め込まれた部分……心臓だ。
ニーナは、噴煙地雷を踏むと同時に作動する通信装置で、一つのメッセージをハジメに残していた。
『カプセルに入れ』……そうとだけ残したメッセージにハジメが従うか否か、それが第一の関門。
従った彼に力を与え、同時に自分の設計図とアンティノラの戦術シミュレーションを残した。
設計図を読み取り、事実とニーナの狙いを、ハジメが正確に把握して理解してくれるかどうか。
黒の一号は、見事に《黒の慈悲》で彼女の寄生殻化装置のみを破壊し―――ニーナは、賭けに勝った。
「無茶をするから、そういう事になる」
「貴方がそれを言うの? 愛しい人。貴方と共に在るには、こうするしかなかった。違う?」
黒の一号は答えられなかった。
彼女が人体改造型装殻者にならなかったら。
ラボを壊滅させた後、彼は確実に彼女の元を去っただろう。
「……敵わんな、お前には」
「ハジメは、賢いけどバカだからねん。一緒に居るためには、同じくらいバカにならないとねん☆」
ニーナは、動き出した寄生殻に目を向けて左腕を構える。
「貴方が一号なら、そうねん、私は黒の弐号かしらん? 展開!」
ニーナ……黒の弐号は、追加装殻をさらに展開し、二対の砲身と一体化した半円状の機甲を背に負った。
「それは?」
「貴方の番犬と対になる追加装殻、『羽衣』よん。さしずめ、私は天女かしらん? 地面を這う男に心を奪われてしまったからねん」
半円状の機甲が起動し、黒の弐号はふわりと宙に浮く。
「……自分を天女と呼ぶか」
「私にとって、謙遜は美徳じゃないのん。〝天女の爪牙〟……貴方に纏わりつく女は、役に立つわよん?」
「期待しよう。行くぞ!」
「お気に召すまま!」
クラーケンが、体を支えている4本以外の長大な触手を操り、至近に迫る黒の一号を襲う。
が、黒の一号は足を緩めず、触手に見向きもしない。
代わりに動いたのは、弐号だった。
「1!」
黒の一号を追う軌道で、右腕の細く鋭いピアシングブレードを3連電磁加速砲で射出して三本の触手を地面に縫い付け。
「2!」
次いで、逆の手にある追加装殻のワイヤーブレードを発射。
二本の触手を、曲芸軌道で巻き付けたワイヤーで巻いて切断する。
「3!」
触手を切り落として自由になったブレードのスラスター部分が展開し、《黒の天蓋》の障壁が残りの一本の触手を防ぐ。
「今!」
「出力解放―――」
『実行』
黒の一号は、新たに得た力の一つを解放した。
「―――《黒の射撃》」
『機動補助』
補助頭脳が超高速で黒の一号の肉体を操り、両手の銃が死の舞踏の二重奏を奏でる。
クラーケンの体の中心と足の付け根を、再生力を超える速度と威力で破壊し。
黒の一号は、クラーケンの息の根を止めた。
―――ニー、ナ。
最後にそう呟くイワンの声が聞こえた気がした。
シュウシュウと音を立てて溶け崩れ始めるクラーケン。
「次! 跳んで!」
幻聴を振り払うように、弐号が声を上げる。
モーションを終えた瞬間に、轟音を立てて黒の一号がスラスターと脚力による全力跳躍。
直後に、黒の一号が居た空間をスネークの尾が薙ぎ抜けた。
体をくねらせながら、落ち来る黒の一号に向けて大きく顎を広げ、体を上へと伸ばして行くスネーク。
「《黒の断絶》!」
そのスネークの頭が達する位置に、弐号は不可視切断領域を展開した。
自ら線の形をした切断領域の縁に突っ込み、スネークは鼻先から体の半ばまでを引き裂かれる。
動きを止めたスネークに、空中で獲物を斬殻剣に持ち直した黒の一号が。
「―――《黒の斬撃》」
唐竹割りに刃を振り下ろし、完全に両断した。
―――グ、ル、ジィィ……!!
ダイムの断末魔と共に、人の爪に似た鱗がボロボロと剥がれ落ち、肉が繊維のように解けて行く。
残ったウルフは。
大きく開いた口から、全てを巻き込む衝撃波を放った。
崩れ始めていたクラーケンとスネークの死体が完全に崩壊し、弐号が吹き飛ばされる。
黒の一号はなんとか踏みとどまるが、彼の目の前にはウルフは鎌のような両腕の爪を広げて迫っていた。
「ハジメ!」
宙で体勢を立て直した弐号が声を上げ。
「好都合だ―――」
黒の一号は、体を捻って拳を握り込む。
そのまま、爪を振り下ろすタイミングに合わせてほんの僅かに、一歩だけ足を踏み込んだ。
それだけで、爪は黒の一号を外れて空を切る。
「出力解放―――」
『実行』
極限まで捻り切った体を、バネのように回転させながら地面を蹴り。
「―――《黒の拳撃》」
黒の一号は、一個の砲弾と化してウルフの巨大な口の中に飛び込むと、全エネルギーを突進力に変えて撃ち貫いた。