第3節:【黒殻】ーAnti Bodyー
「ようこそ、秘密結社のアジトヘ。首魁の空井カヤだ」
エレベーターを降りると、シノはそのまま地上へ戻っていった。
余程自分の姉と顔を合わせたくないらしい。
そしてエレベーターホールを抜けた先で、待ち受けていたカヤが開口一番にそう言った。
シノと同じ顔をしているから間違いはないだろうが、清楚な印象のシノと違い、こちらは傲岸不遜という言葉を体現したような雰囲気を纏っていた。
肩に軍服を掛けて、鞘に収めた大太刀を脇に握っている。
その横には、花立が立っていて、カヤの言葉に微妙な表情を浮かべていた。
「間違ってはいないが、カヤ、それは」
「……カヤさん。あまりにも似合いすぎでツッコんだらえーんか納得したらえーんか、悩むんすけど」
カヤと顔見知りであるらしいミツキが花立に続けてそう言うと、カヤは軽く眉を上げた。
「ミツキ。お前は前に見掛けた時に比べて、だいぶ肝が座ったようだな。ヤヨイさんの後を継いで肆号になったとは聞いていたが」
「お陰様で。相方がすぐへこたれるんで、こっちまでウジウジしとる暇がないっちゅーか」
「ミツキ。陰口叩いてるとケイカさんに言いつけるよ?」
「大丈夫よ、アイリ。聞こえてるから」
アイリがミツキを咎めると、カヤと花立の待っていたエントランスと思しき場所に続くドアが開き、お気に入りのカーディガンを着たケイカが現れた。
彼女は冷たい目で、しまったぁああああ! と声に出さずに表情で如実に語るミツキを一瞥する。
コウは、その様子に溜息を吐いた。
ミツキは決して悪い奴じゃないのだが、口が軽くて調子に乗るところがある。
「……素直に謝った方が良いと思うよ」
「いや、ケイカさんには逆効果だろ」
ボソッとコウが忠告するのに、ジンが否定を口にした。
「悪いと思うなら最初からやるなって、さらにヒートアップするのがオチだ」
「ああ……」
ジンが続けた言葉に、アヤが納得したように頷く。
アイリは、しみじみと頷いた。
「沈黙は金、って事だね」
「この場合、雄弁は銀じゃなく、口は災いの元、って方が正しいけどな」
「あんたもね、ジン」
口が軽い代表であるアイリ、ジン、ミツキの三人にますます冷たい目を向けるケイカに、カヤがおかしげに口元を歪ませた。
「仲が良さそうで結構な事だ」
「どこがだ? 寄ると触ると喧嘩ばかりの連中だぞ」
花立の渋面に対し、カヤは笑みを浮かべたまま彼に流し目をくれた。
「そうですか? カズキさんとトウガさんも、スミレさんやキヘイ隊長に似たような状態でしたけどね」
「……言うな」
ますます渋面になる花立が昔はやんちゃだった事実は、四国で散々ニーナとヤヨイに吹聴されて周知の事実だった。
「さあ、そろそろハジメさん達の元へ案内しよう。……彼らは、この施設の中心で待っている」
カヤが背を向けて歩き出し、コウらはそれに付いて行った。
やがて、厳重なロックが掛けられた扉を幾つも潜った先に現れたそれの姿に、コウは息を呑んだ。
「これ……」
シャフトのと思しき幾つもの巨大なポールが支えている広大な空間の中心を、作業通路から見下ろしたコウの目に映ったのは、巨大な黒い塊だった。
ざわり、と全身の細胞がさざめく程の威圧感を持つそれは、一言で表すなら、巨大な昆虫だった。
蟻、に近い姿をしたそれは、巨大な羽を背負っている。
羽はカブト虫に似て、鞘翅と呼ばれる硬化した前翅を開いて後翅が展開した状態で静止していた。
まるで呼吸をするように緩やかに膨らみ、収縮する全身のシルエットは蜂のようだとも感じられる。
奇妙に美しいそれを、コウはしばらく呆然と眺めた。
その全身には、バイタルチェッカーと思しき無数のチューブが貼り付けられて頭上のこれも巨大な機械に接続されている。
透明な円柱がそれの全体を覆っており、中には液体が満たされているようで、時折それから、ゴボリ、と気泡が立っては頭上へと昇っていく。
「あれは……装殻ですか?」
コウは信じられない気持ちで、それを見つめていた。
全身の細胞が、あれは同胞だと訴えている。
しかしコウは、あんな巨大な装殻は見たことがない。
全長が、優に30メートルはある。
翼長はそれ以上だ。
「そう。装殻だ。あそこまで生育させるのに、20年……ようやく、使用可能な段階にこぎ着けた」
カヤが誇らしげに言うのに、コウは彼女に目を向ける。
アヤとミツキだけが、コウと同じ顔でその巨大な装殻を見ていた。
「生育……じゃあ、あれは、生きているんですね? 誰が装殻者なんですか?」
「誰も。あれは、単体で存在する装殻だ。言うなれば、ハジメさんのバイク、Breaker:01と同じ、独立形成殻だよ」
「あり得ません。あれには、コア反応がある」
コウは、カヤの言葉を否定した。
コアは、人間にしか適合しない筈だ。
ゴウキやコウ、即ち霊号と相似に近ければ近い魂ほど、より力を発揮する使徒の外殻、それが装殻なのだから。
「そう。あれには魂がある。だが、誰でもない。……あれを管理する魂は、人工のものだ」
「人工? 魂を、人為的に作り出したんですか!?」
コウの驚きに、カヤは首を傾げる。
「知らぬ間にハジメさんが作り出していた、と、私はハジメさんから聞いたが。君も知っているんじゃないのか?」
カヤの言葉に、コウは、かつてゴウキを継いだ時の事を思い出した。
肉体の内側で聞いた、その言葉を。
『無機物に霊子力は扱えねぇ。なら、装殻者を補助するっつーそれは何だ? 人工物でありながら、霊子流を操る力を持つモノ……お前は、人の魂以外の何を作ったってーんだよ?』
補助頭脳は、本来は霊子演算装置と呼ばれるものであり、装殻者となった人間の行動を総合的に補佐するが、その一番の役割は霊子流の操作・制御である。
だが、その霊子流を操作出来るのは、襲来体を除けば人の魂のみだ、とゴウキは言ったのだ。
そしてゴウキは、ハジメの持つ、最も古い補助頭脳を、ハジメのもう一つの魂と呼んだ。
コウは、自分の推論を口にする。
「もしかして、あの装殻にリンクしてコアを稼働しているのは」
「そう、ハジメさんの……一号装殻の補助頭脳だ。尤も、あれの中にあるのは増幅核だがな。霊子力供給の大元は、恒常的にリンクしているハジメさんの重力場形成核さ」
カヤの言葉を、ジンが引き継ぐ。
「ハジメさんはな、コウ。グラビティ・コアから発揮される出力の幾らかを、あれに常に振り分けているんだ。外殻の問題で、扱えない余剰出力をな」
「全ては、この時の為だ、と、ハジメは言ってたが。間に合ったようで何よりだ」
おやっさんがジンの言葉に頷くのを聴きながら、コウは食い入るようにそれを見つめる。
「あれは……巨殻なんですね?」
知りたい、と、コウは自分の中の調整士の血を疼かせながら問い掛けた。
「機械と零号組織を融合させたものではない……ハジメさんの、霊号としての本当の巨殻、なんでしょう?」
かつてゴウキに見せて貰った記憶の中で『身に纏った』覚えのあるそれに。
コウが見ている、カブト虫の翼を持つ蟻に似た巨大装殻から感じる雰囲気は酷似していた。
そんなコウの問いかけに、答えたのはケイカだった。
「半分正解。あれはね、正確にはハジメさん一人の巨殻じゃないの」
「そう。あれは、我々【黒の装殻】の巨殻だ」
コウは、ケイカと花立の言葉の意味が理解出来ず、首を傾げた。
ミツキもよく分からなかったようで、同じく質問する。
「全員の……っちゅーんは、どういう意味っすか?」
「そのまんまの意味よん」
わんわん、と構内に反響する声が響き、作業通路の向こうを見ると、白衣姿のニーナとヤヨイ、そしていつもと変わらないサングラス姿のハジメが歩いて来るのが見えた。
「来たわねん。いらっしゃい、コウくん。それにアヤちゃんにミッツん」
「歓迎するよ。と、言っても、私もここに来るのは半年振りだったけどね」
「……あの巨殻こそ、俺が、ニーナ以外の仲間をも欲した理由だ」
低く、静かな声で言うハジメは、いつもと同じように見えたが。
どことなく、哀し気なようにも見える。
「俺一人では、零号巨殻を作り出せはしても、操り切れない事は分かっていた。だから、俺は新たな装殻を作り出し、自分に再改造を施す事で少しでもあれを動かせるような肉体を得ようとした。結果としてそれは花立のものとなり、彼は参式となった」
花立は、特に気にもしていない様子で頷いた。
「俺が参式となった事で、本条、お前は自分を参式装殻者へ再改造する事が、自分の意図したものとは違う結果を生むことを理解した、と言ったな?」
「ああ。俺自身の欠陥によって、参式化は俺にとっては無意味だとな。……次に、ヒントになったのは、ケイカだ」
ケイカは、自分を示されて得意げに笑った。
「ケイカさんが、ですか?」
「そうよ。私を纏い、肆号装殻者となったヤヨイさんを見てね。ミツキ、分かるでしょ?」
「ん? ……えーっと、役割分担であれを動かすっちゅー話になるんか?」
「そういう事。及第点だ、バカ息子」
「バカ言うな。おかんが賢すぎるだけやろが」
ミツキが母親に噛み付くのを聴きながら、コウは気付いた。
肆号は、ミツキとケイカ、そして補助頭脳の三者が役割分担する事によって長時間限界機動中の出力解放現象の変化を制御しているのだ、と。
花立が、再び口を開く。
「ケイカが居れば、複数人での霊号装殻制御が可能になる事が分かった。だから本条は、自身の再改造によってより強力な零号装殻を作り出そうと、再改造の方向性を変えた。結果、ダークマターに自分の肉体を変換する事でグラビティ・コアの全開出力に耐えられるだけの外殻を得た」
「代わりに運動能力が犠牲になったけど、零号装殻に入ってしまえば関係がないしねん。その頃、ハジメには、私の作った追加武装を発展させた巨殻がもうあったしね」
ニーナが言い、ジンが口を開く。
「ニーナ姉ぇの情報処理能力、花立さんの身体能力と戦闘センスに加えて、俺の極限機動……これらをケイカさんが融和し、ミツキと共に制御する事で、零号装殻を纏ったハジメさんは、新たな襲来体母体、《星喰使》に対抗出来るだけの力を得る事が出来る」
ジンの言葉は、ヤヨイが引き継いだ。
「……だが、時間が足りなかったのさ。真の装殻細胞の純粋培養は、装殻を生み出すというよりも、生命を育てるのに等しい話だったからね。細胞を増やし、外部からの干渉を誤魔化しながら、少しずつ育て上げたのさ」
ハジメは、最後に霊号装殻を見て。
「あれが、我々の希望だ。長い時を耐えてようやく得た、《星喰使》に対する抗体……」
それの名を呟いた。
「ーーー【黒殻】の名を持つ、霊号巨殻だ」




