第3節:酒盛り
「あの時、何故逃げた?」
ブリーフィングを終え、そのままゴウキとの戦闘記録を見て反省会をしていたハジメとニーナは、いつしか初交戦の思い出話をし始めていた。
「それは、あんな準備不足な状態でハジメとやり合うのは無理だったからよん。一番威力のある攻撃が通じなかったしねん」
明るく笑うニーナが、椅子に腰掛けるハジメの肩に顎を乗せる。
その髪を指で梳きながら、ハジメは囁くように告げた。
「それで俺が、お前のメッセージを信じなければ、どうするつもりだったんだ?」
「それを訊くのは野暮よん、愛しい人」
ハジメの首に後ろから手を回し、ニーナは彼の頬に口づけを落とす。
「でも女は、たまにどうしようもなくバカだからねん。愛しながら憎めるのよん。……それが、答え」
「……そうか」
ハジメは首を曲げて、ニーナの唇を奪った。
久しぶりのその感触は、記憶と変わらない柔らかい感触と温もりを持っていた。
※※※
第2支部の最奥。
彼は、研究データが全く残っていないその場所で、設置されたカプセルの中に立っていた。
『接続』
補助頭脳が、勝手にカプセルと繋がり、自動スキャンで彼自身である事が確認される。
そして彼の体に……カプセルから染み出した流動形状記憶媒体が絡みつき、追加装殻が追加された。
両腰に殻弾散弾銃と殻弾機関銃。
腰の後ろに斬殻剣。
そして両手足に、手甲脚甲型のスラスター。
『適合完了.追加装殻』
「……そういう事か」
補助頭脳が告げ、同時に入力された情報を読み取って、黒の一号は呟いた。
弐号の残した土産。
それは、彼にさらなる力を与えるものだった。
HBSP-01『番犬』。
そう名付けられた追加装殻は、彼の為にあつらえられたものだった。
「待っていろ、ニーナ。……ゴウキさんの力を悪用する亡者共は、俺が喰い殺す」
※※※
コウが出向くと、酒盛りの場にはハジメも参加していた。
なんとなく、彼はこうした場に姿を見せないんじゃないかと思っていたコウは少し驚いたが、いつも通り表情は乏しいが、たまに口元に笑みを見せる彼に、楽しんでいるのだと判断する。
《黒の装殻》におやっさんを加えた面々で始まった酒盛りの場が盛り上がったところで、不意に来客が姿を見せた。
「あー、室長が呑んでる!」
「アイリ?」
「アイリ!」
「おう、坊」
コウとジン、そしておやっさんが現れた相手に声を掛けると、短い髪に上着を羽織ったボーイッシュな格好の少女、正戸アイリが軽く手を挙げた。
「やっほー、じゃなくて! ちょっと大丈夫!?」
アイリは挨拶もそこそこに、座敷でグラスを手に壁にもたれている花立のところへ向かった。
「弱いくせに何呑んでるの!? ウィスキー!?」
「九割水やねんやけどな。花立さん、ホンマ弱いねんなぁ」
真っ赤な顔で眠り込む花立の横に座った、ミツキが言うと。
「いやミツキ!? 止めようよ!? この大事な時に、最強の戦力が二日酔いで使い物にならなかったらどーすんの!?」
「お前とコウがおったらイケるやろ!」
「げ、ミツキも酔ってる!? 酒臭い!」
「呑んだら酔わんでどないすんじゃー!」
「逆ギレ!?」
「まぁ、まだ大丈夫だよ」
「おやっさんまで!?」
急に騒がしくなった一角に、ニーナが歩み寄る。
「あらん? また賑やかなコが来たわねん! マルクーシャ、誰なのん?」
「白の零式っすよ。てか、そのマルクーシャってのやめてくれへんっすか? なんかむず痒いっちゅーか」
「あらん。ならミッツんて呼ぶわねん☆」
「いきなりフレンドリーに!? いや、そっちのがマシやけど!」
後ろからベタッと抱きついてきた白人女性に言葉を失っていたアイリが、ハッと我に返る。
「えーと、この人は?」
「黒の弐号」
「え!?」
ミツキのさらに横でコウがぼそっと言うと、アイリは驚きの声を上げた。
「んー、よく見たら凄く可愛いコねん。お姉さんのネコにならないかしらん?」
「は? ……はぁ!?」
「ニーナ」
諌めるハジメに、冗談よん、と返して、ニーナが離れる。
「でも、どこかで見たわねん?」
「……生体移植型補助頭脳の奴らのところだろう」
「ああ」
ニーナは、ポン、と手を打った。
「あの時の実験体ちゃん? それがメイデン? 不思議な縁だわねん」
「僕を知ってるの?」
「勿論よん。あの施設をハジメと一緒に潰したのは私だものん☆」
それから互いに自己紹介を終えた二人は、花立を起こそうとするニーナをアイリが必死で止めるという状況に発展し。
アイリが自分の用事を思い出したのは、その後の事だった。
「コウ。ちょっと来て」
「何?」
呼び出されて外へ行くと、アイリはコウに装殻の回線を繋いだ。
「直接連絡出来ないからって、『お前居ても役に立たないから使い走りしろよ』って、ケイタが」
「〝パイル〟が?」
海野ケイタは、《白の装殻》の一人で、コウとの直接の交流はない男だった。
何の用かと思い、繋いだ回線の向こうに問いかけると、彼は沈黙した後、バツが悪そうに告げる。
『あー……Ex.gの処理についてだ』
言われて、コウは自分が戻った後に《白の装殻》に出した要望書の事について思い出した。
『全て焼却処分した。俺とルナが署名した記録映像もある。後で送るから確認してくれ』
「……分かりました」
用件はそれだけだった。
コウの妹が利用されて、作り出された化け物を産み出す薬物は、これでほとんど消えた。
「僕も、良かったと思う。君と会った最初の事件の、残務だったから」
少し寂しそうに言うアイリは、共にフラスコル・シティで黒の一号を追い掛けた少女だ。
彼女は司法局の捜査員で、コウは下町の装殻調整士だった。
彼女を羨ましく思ったのが、たった二年前の事なのに遠い昔に思える。
今はお互いに、黒の一号と肩を並べ、人類の命運を背負う装殻者だ。
コウは、彼女に問い掛ける。
「この件が終わったら、司法局に戻るの?」
彼の問いかけに、アイリは驚いたように目を瞬いた。
「……いや、多分、戻らない、かな。てゆーか、戻れないよね?」
「でも、君はこっちの人間だろ?」
正戸アイリは、確かに異界の零号だが、同時にこちら側に生を受け、育った少女でもある。
「全てが上手く行けば、こっちに残る選択肢もあるんじゃないの?」
「……コウは凄い事考えるね。僕はそんな事、思い付きもしなかったよ」
感心したように言うその言葉が、アイリの選択がどんなものなのかを如実に語っていた。
「上手く行けば良いけど。もしまたデウスの目を誤魔化せなかったら、困るしね。僕は、向こうに渡る。君と決めた通りに」
「そう」
コウは、それ以上は引き止めなかった。
「さ、戻ろっか。室長がこれ以上呑まされたら困るし!」
「そうだね」
ニーナさんは、『トーガなら二日酔いでも強いわよん!』とか言いだしかねない。
短い間で、コウは彼女がそういう人物だと悟っていた。