第35節:捜査員と調整士
「キリがない……!」
もう何度目になるか分からないが、群がってくる襲来体を吹き飛ばしたコウが呻くのを聞いて、アイリは頷いた。
「このままじゃジリ貧だね……」
地上から散発的な蔓や刃の攻撃で翻弄してくるアナザーを警戒しながらの戦闘は、飛行型襲来体自体が大した相手ではなくても精神面に疲労を蓄積させる。
アナザーはこちらが疲れるのを待っているのだろう。
物量でそのまま押し潰すのか、こちらが疲弊するのを待ってもう一度仕掛けてくる気なのかは分からないが、待っていても事態は好転しないだろう。
「何か、手はある?」
「……しばらくの間、一人で耐えられるか?」
何事か考えたコウが言うのに、アイリは考えた。
零式になったアイリは、同時に自分の限界を悟っている。
時空改変を行わない戦闘を想定した場合、彼女は確実に花立やゴウキ、マサトに負ける。
弐号だけはよく分からないが、タイマン勝負なら他の面々とは対等に戦える程度……と、アイリは自分を正確に分析していた。
今、コウと共にたった二人でアナザーを相手取れているのは、零式のエネルギー吸収能力によってエネルギー系遠距離攻撃を無効化出来ている事と、時空改変による超加速を適宜行なっているからだ。
彼女は、結局のところ、マサトの手助けや零式がなければ、大して優秀でもない司法局の捜査員でしかなかった。
だが彼女はそれを誇りに思っている。
思ってしまっているのが、問題なのだろう。
司法関係者の最大の仕事は、犯罪者を殺す事ではない。
あくまでも、逮捕して法の裁きに委ねる事なのだ。
戦士の気概を、彼女はこの段に至っても持つ事が出来なかった。
だが、それでも戦い方はある。
アイリは襲来体を捌きながら、コウの言葉に頷いた。
「30秒……それだけなら保つよ」
「充分だ」
コウと彼女の縁は、不思議なものだ。
共に非適合者であり、共に霊号となり、今、肩を並べて戦う二人は。
出会った時は、ただの調整士と司法局捜査員でしかなかった。
黒の一号がコウの姉を殺した事件に関わった事が、全ての始まりだったのだ。
気付けば、ほんの一年に満たない程度。
世界の命運を掛けて、人類の未来を掛けて戦う事になるなんて、全く想像もしていなかったが。
自分で決断してこの場に立つ以上は、負ける事は許されない。
そうーーーアイリは勝つ必要はない。
捜査員なのだから、勝敗は他者に委ねる。
ただ、職務を遂行し、負けないだけの戦いなら、彼女にも出来るのだ。
「行くよ。時空改変!」
ガラスが弾けるような澄んだ音と共に、彼女の主観の中で時が止まる。
同じ霊号でも、ゴウキ、マサト、コウ、そしてアイリは、それぞれ得意とする事が違った。
空間跳躍は、ゴウキ。
領域支配は、マサト。
事象変容は、コウ。
そしてアイリが最も長けていたのが、時間凍結。
霊号や母体に対しては最も無意味でありながら、その他の存在に対しては絶対的なアドバンテージを誇る能力を持って、アイリは空中を駆け巡る。
時空凍結時間は、体感で15秒が限界だ。
それだけでは、今時空凍結の影響を逃れて準備を始めたコウに対して約束した時間には、届かない。
同じく凍結の影響を受けないアナザーが蔓のような触手をアイリとコウに向けて伸ばすが……彼女はそれらを、コウの側に残したフェザー・スラスターと自身の両腕に備えられたスタッグバイトで薙ぎ払う。
15秒。
時空凍結の影響が途絶えた瞬間にコウの目の前に戻った彼女は、別の能力を発動させた。
「時空改変……《全鋸顎総展開》!」
事象変容により、凍結時間内に存在した全ての『自分』を、コウと自分自身を挟んで横一直線に通常空間に現出させた。
二本の直列横隊を形成した無数の分身体から、全てのフェザー・スラスターと両腕の大型捕縛装置にエネルギーを込めて、空から地上まで伸びる拘束領域を全員が展開し。
中央の本体であるアイリを起点に、それぞれの直線がノコギリクワガタの顎のような形状を維持しながら閉じていき、拘束領域内に全ての襲来体を集めて閉じ込める。
時空凍結と事象変容、二つの時空改変を連続励起させた事による大技は、攻撃力を犠牲にしている為にそのまま襲来体を圧殺するような真似は出来ない。
本当に、ただ拘束する為だけの技であり、その間も襲ってくる蔓触手は、本体であるアイリの背部リングと片足を犠牲にして弾いた。
「アイリ……!」
「良いから! 残り3、2、1……!!」
拘束領域の消失と同時に無数の分身体も消滅し、ぐらりと体を傾けたアイリの肩を掴んで、コウが支えた。
「……ありがとう」
その言葉に、コウらしい、とアイリは笑う。
良くやった、と花立なら言うだろう。
だが、対等な立場であるコウは、彼女に感謝の言葉をくれる。
「きっちり決めてよ?」
「ああ」
そのまま、コウは解放の言葉を口にした。
「ーーー時空改変」
※※※
コウは、アイリの戦闘を見ながら考えていた。
あくまでも拘束と防衛に拘る彼女は、やっぱり捜査員なのだ、と。
守るという理念は尊く、貫き通すのは至難の道だ。
それでも彼女があえて苦難の道を選ぶのは、それが彼女自身の魂の在りようだからだろう。
コウは、では自分はどうなのかと思い返す。
彼は、自ら力を望んだ。
彼女と同じように、大切なものを守る為の力だ。
だが、参式に育てられたに等しい彼女と違い、彼の目標とする相手は黒の一号―――そしてゴウキだ。
魂の系譜があるとするならば、コウの中に受け継がれているのは、魂の尊厳を守る為ならば人を殺す事を許容する、自らを傷付ける事すら厭わない、苛烈な意志だ。
だが、コウは思う。
それでも、彼らと自分に違う事があるとするならば。
今まで生きて来た大半の時間を、彼は『調整士』として、あるいは調整士になる為に過ごして来た、という事だ。
黒の0号のような人類を守る為に力を振るった『守護者』ではなく。
黒の一号のように人類を守る為に手を尽くした『対抗者』でもない。
彼は、ありとあらゆる要素を最適な状態へ持って行く事を至上とする『調停者』だ。
争う事は嫌いで。
それでも守る為ならば拳を振るうと誓い。
幾度も間違い、その度に誰かに正されて、彼は今、ここに居る。
だから彼は、正された己を誇り、調整士として振る舞う。
調整士が問題を解決するのに、独自の力や技術なんて、いらないのだ。
調整士としてのコウの理想は、調整した力が万人に優しい力である事なのだから。
だからコウは、これまでに存在した全てを参考に、必要な力を持つ存在へと自分自身を『調整』する。
その為の時間は、アイリが稼いでくれた。
後は、その力を解き放つだけだ。
「ーーー時空改変」
彼が自分を調整してたった今得た力は、ゴウキが生み出し、黒の一号に与えた力。
「《妨害場形成》」
ただ一言。
言葉と共に周囲に爆発的に広がる力が、アイリのお陰で充分に練り上げた力が、アナザーの形成した虚数空間を崩壊させていく。
時空改変に拠らない存在であるアナザー自身にはなんら影響はないが、無数の襲来体はこの空間に付随する存在だ。
あれだけの襲来体を地上でも無尽蔵に生み出せるなら、とっくに人類は負けている。
妨害場に飲み込まれて次々に襲来体が消失する中、眼下に見下ろした大地も抉れて、アナザーの本体が露出していた。
球根のような本体に幾多の蔓を生やしたアナザーは、うねうねと蠢かせたそれを一斉にコウらに向かって解き放つが……見えている攻撃など、既に脅威ではない。
「竜牙翔翼……」
全ての蔓を、撃ち放った刃で引き裂くと同時に、コウはアイリを連れて飛翔した。
一直線に目指すのは、再生を試みるアナザー。
「トドメは、君が」
アイリと一心同体だったマサトという、異界の装殻者の因縁に決着を付けるのは、その魂を引き継いだ彼女の役目だと、コウは思っていた。
彼女の装殻に流体化した零号装殻を共鳴させて干渉し、コウはアイリの姿を変える。
6対12枚のフェザー・スラスターを背中に備え、両手に破壊の意思を宿す長大な剣を持ち、素顔を晒すヘッドギアのみを頭部に装着した、〝白銀の執行者〟相李マサトの……異界の0式の姿へと。
「コウ……」
「マサトの想いを、君が果たすんだ」
ハクゲキハンマーをイプシロンのレールガン・システムへと形成し直したコウは、アイリをアナザーへ向けて射出する。
「ーーー出力解放!」
真っ直ぐに、光を纏って翔ぶ白銀の天使が、その両刃で十字を描き。
コウは胸元で小さく、逆十字を切った。
「今代〝装殻者〟白の零式! 理の元に、志を継ぎ、悪を裁く!」
「……今代〝装殻者〟黒の零号。義の元に、志を継ぎ、人を守る」
吼えるアイリを、人型の上半身を蔓の先に咲かせて阻もうと襲い掛かるアナザーを、コウはレールガン・システムでアイリに続いて限界機動に近い速度で射出していたブレードを突き立てて粉砕していく。
「俺は〝殲滅者〟ーーー《黒の装殻》、最後の一人……」
「僕は〝執行者〟!ーーー《白の装殻》、最初の一人!」
アイリは、コウの切り開く道を恐れる事なく突き進み。
「ーーー《断罪》!」
彼女が十字にアナザーを切り裂くのと同時に、虚数空間が完全に崩壊した。




