ぼくの婚約者はかわいい
ぼくの婚約者はかわいい。
「今日は、わたくし達の婚約を破棄させて頂けないかとご相談に参りましたの」
贔屓目に見ても美人だと思うし、ドレスや小物のセンスもいい。化粧は派手すぎず薄すぎず、自分の魅力というものをわかっている人だと思う。
「わたくしの両親には了承を得ました。こちらのご当主様にも事前にお伺いしたところ、あなたの承諾を得られれば良いと許可を頂きました」
こちらが書面ですと机に置かれた紙には、彼女の父親と彼女のサイン、そしてぼくの父のサインもある。
「もともと家業の契約を有利にするための取引としての婚約でしたし、本来でしたら破棄を申し出たことで家に迷惑をかけることを案じておりました。ですが、ご当主様は寛容にも、この婚約破棄によって我が家との繋がりを絶つようなことはしないと約束してくださいました」
確かに、そういった一文が目の前の書面にも書かれている。
「後はあなたのサインだけですの。お願い致しますわ」
スッとペンを差し出す仕草も優美だなぁと思った。
「いやだよ。婚約は破棄しない」
彼女は眉をひそめて、口の端をヒクヒクさせている。何言っちゃってんのこいつ、って顔だ。僕は彼女のこの顔がすごく好きだ。かわいい。
「理由をお伺いしても?」
「破棄する理由が僕にはない」
「わたくしにはあります」
「なんで?どんな理由かな?」
眉間に手を当てる、その指先も整っていて美しいなと見とれた。今の顔はそうだな、こいつどうしてくれようかって顔だな。愛おしい。
「貴方がわたくしとの婚約を破棄したがらない理由は、不本意ながら見当がつきます。他の女とキスしようが寝ようが文句を言わない、問いたださない、言い寄ってくる女性を拒む気のない貴方には都合の良い婚約者ですものね、わたくしは。今から別の方と婚約するとなると、わたくし相手には不要だった浮気の言い訳とやらを沢山用意することになりますもの」
確かに僕は来る女性を拒まない。
口づけも肉体関係も受け入れる、彼女の目の前でもそうだし、見えない場所でも。
僕から誘ったことはないよ、と最初に別の令嬢にキスされているところを彼女に見られた時言ってみたところ、馬鹿じゃないのかコイツという顔をされた。
あの時から僕は彼女の虜だ。
「それが嫌になったの?」
「まあ有り体に言えばそうですわ」
「今更だねえ」
笑えば、殺気が飛んでくるのが心地いい。
「貴方がいうにはあれもお仕事、なんでしょう?睦言の中から情報を引き出す。ええ、ええ、実際わたくしの目の前で抱きしめ口づけながら顧客情報やら他国の情報やらを聞き出す様を何度も見せられましたもの。お見事なお手際でした仕事上手ですこと!」
だからといって、とにっこり微笑んで見つめられる。目は笑っていない。かわいい。
「わたくしが我慢する理由にはなりませんわ」
怒りを滲ませた笑顔も美しい。
我慢、そうか嫉妬か。嫉妬してくれていたのか。
やだもうかわいい、結婚したい。
「貴方だけが好き勝手するなんてずるいです。わたくしだって気になる殿方に気兼ねなく話しかけたりしたいのに」
え、と固まった。
ぼくの婚約者はため息をつく姿さえもかわいい。
その息を吹きかけてほしい、斜め下じゃなくて僕に向かって。
「今のご時世では男は浮気を許されて女はふしだら扱い。婚約者がいる女は、他の方に自分から声をかけるだけで後ろ指を指されかねません」
もう1度彼女は微笑んだ。
きらきらと希望に満ちた笑顔だった。ぷっくり持ち上がった頬にかみつきたい位かわいかった。
「ですから、わたくしが好みの殿方を正面から口説きにいくために、婚約を破棄して下さい」
「ぜったいやだ」
絶望だ。絶望した。
僕は確かに他の女性とあれやこれや色々しているけれど、彼女にもずっと愛を捧げてきたのに。あなたが一番好きだと、愛していると、かわいすぎてキスするの今まで大事に取っておいたくらいなのに。
「わがままを言わないでください」
「嫌だ。絶対に、婚約は破棄しない」
何がいけなかったんだろう。
何が足りなかったんだろう。
「ほら、ペン先をインクにつけるだけでいいですから」
「それで、その後は?」
「わたくしが手を添えて、サインを書くお手伝いをさせて頂きますわ心を込めて!」
い い か ら 書 け よ というプレッシャーに負けた振りをしてペンを手に取る。
有言実行派の彼女は向かいの席から僕の隣に移ってきた。
手に込められた力が強い。握力強いかわいい。
「サインは書くよ、婚姻届ならね」
ペンを手放して彼女の手を逆の手で押さえ込む。
そのまま、思うままに口づけた。
驚いた瞳に僕が映っている。
んぐ、と抵抗する動きもかわいい。首も耳も一気に赤く染まっていく。
「我慢なんてするもんじゃないね」
へた、と力が抜けてしまった彼女を抱きしめて髪をすく。
僕を見る目に嫌悪が混ざっていないから安心してしまってた。
婚約破棄をいいだすなんて。
彼女以外は本当にどうでもいいんだってこと、これからたっぷり教えてあげよう。
「ね、他の男に声をかけて、何をしたかったの?」
買い物?料理?お茶?乗馬?ダンス?
そんなの全部、僕がいくらでもつきあうよ。君が望むなら。
ああ、ぼくの婚約者はかわいい。
開き直る男性を書こうとしたらヤンデレた。婚約破棄はできなかった。