第一章 先生の頼み(3)
「こんばんは。デイム君」
僕は一瞬身構えたが、すぐにその必要がないということを悟った。闇の中にいたのは僕が想像していたような通り魔などではなく、剣士養成専門学校の最上級生である六年生、つまり僕達の担任教師オーファ・レスフィだったからだ。オーファ先生は老齢の教師陣が揃う中で、とびぬけて若い教師で背が高く、整った顔立ちのおかげからか女子の絶大な人気を勝ち得ていた。本人もそれを誇っているのか、それとも生まれつきなのか知らないが妙に気取った喋り方をする。僕は先生が気取っていようが、オネエ言葉で話そうが構わなかったが、男子の中にはオーファ先生を好ましく思っていない者もいるらしかった。
「こんばんは。先生」
僕は、闇の中にいたのが先生だと分かり安堵していたのだが、まだ先生がここにいる理由を計りかねていた。
「ここでじっとしていたから足がなまってしまったよ。少し歩こう」
「いいですよ」
オーファ先生は僕の答えを聞かないうちから歩き出していた。左足を引きずっている。いつどこで怪我をしたのか先生は何も語らなかったので、僕たちは先生の足を気にしないようにして過ごさなければならなかった。僕は、先生が学生時代に好きだった女性の気をひくために危険な獣と決闘をし、誤って左足に噛みつかれたのだろうと勝手に解釈していた。とにかく、先生の歩く姿は痛々しかった。
先生がテーベの大通りに向かって歩いていくので、僕も仕方なく来た道を戻っていた。肌寒さと眠気に耐えつつ、先生を追い越してしまわないよう神経を使うのは困難だった。
先生は沈黙を守り、相変わらずの左足を引きずったまま歩き続けていく。
テーベ大通りの中間を過ぎたというのに、先生と僕はまだ歩き続けていた。すれ違う人々は先生の左足に好奇の眼差しを向けていた。僕も、普段ならそういう輩に対して不快感を露わにしていただろうが、疲労のたまった肉体を引きずるのに夢中でそんな気力は残っていなかった。
ようやく先生の足が止まったのは、怪しげな酒場の前だった。不気味な看板に
「ノックアウト・ナイト」とガタガタのローマ字で書きなぐられている。
「先生。僕、酒はだめですよ」
先生は、未成年の僕に酒を飲ませるほど馬鹿だったのだろうか。
「分かってるよ。とにかく入りたまえ」
先生の口調は有無を言わさないものだった。僕は酒を飲まされそうになったら、先生の左足を蹴飛ばして逃げようと決意し、扉を押し開けた。