第一章 先生の頼み(1)
第二話です。
夏の陽がすっかり暮れ落ち、テーベの大通りは街燈が深みのある空間を作り出していた。僕は剣士養成専門学校からの帰り道で、大通りを行き交う人の波に紛れ込み、喫茶店を探していた。その喫茶店は大通りの外れにひっそりと佇む隠れた名店で、常連客の僕でさえも店の名前を知らなかった。そもそも、店名があるのかさえ謎である。僕は常連なのに店名を知らないというのを恥じていて、友達と喫茶店の話をする時も名無しの店であるふうに装っていた。
その喫茶店は、だから看板もないような有り様で一見するとただの民家のようにしか見えない。そういうものだから、僕を含め常連客は位置の感覚を失い、いつも一見さんのように大通りをふらふら眺めつつ、注意深く歩かなければならなかった。時々、店を見落として大通りを出てしまい、それから戻って店に気付くということも起きていた。何かを目印にして歩くにも、周囲が普通の民家であるおかげでまったく見分けがつかないのだ。
今日は幸いな事に白い壁の喫茶店はすぐに見つかった。僕がドアを押し開けたことに、行き交う人々は誰一人として気づかなかったらしい。だから、この店はいつまでたっても隠れた名店に過ぎないのだ。
店内は薄茶色の壁紙に囲まれた独特の世界で、いつも通り客はまばらだった。
落ち着いた照明に、クラシック音楽が混ざって絶妙なハーモニーを醸し出している。僕は、できるだけ店の奥のテーブル席に座るようにしていたし、今日もそうだった。それからマスターにアイスミルクティーを注文した。マスターは、ほんのわずか頷いた。
客は本当に少なかった。カウンターに若い女性客が一人座っていて、何かを飲んでいた。女性は孤独の世界に入り込んでいるようで、容易に近づけさせない何かがあった。僕の隣のテーブル席には王国新聞の夕刊を片手に議論をかわしている二人組の男がいた。二人ともコーヒーを飲んでいて、人生の盛りをすぎたくらいの年頃だった。席同士の間隔が広いのと、二人が囁くように話しているので肝心の議論の内容はまったく分からなかった。どうやら店の雰囲気を考慮したうえで声量を落としているらしく、その姿勢には好感がもてた。
ウェイターがアイスミルクティーを運んできて店内観察は中断となった。僕は女性客の孤独と、二人組の配慮を打ち砕いてしまわないように空気に溶け込んでから静かにミルクティーをすすった。
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ではでは