第6話 王子
リソリア城にナセル王都からの援軍が到着したのは、その日の夕刻である。
緊張感が少ないリソリア城に、援軍を率いてきたケイオス王子は顔を曇らせていた。
弛んでいるのではないか、こんな事ではクランの侵攻を止める事は出来ないと思う。それは笑顔で出迎えるエンパートとフィアンナに向けられた。
「エンパート! フィアンナ! 弛んでいるぞ! 戦闘も終らぬ内から何をやっている!」
きょとんとしたフィアンナと、そう言うだろうなと思っていたエンパートである。
「ケイオスさま。クランは今朝、撤退しました。我が方の勝利です」
信じられないだろうなと思いつつエンパートが報告した。自分でもまだ不思議に思えていたのである。
「寝言は寝てから言え! 攻防戦が始まったのは昨日の事だと聞いている。しかもクランは七千の兵力だ。一日もかからずに退くか!」
「退きました」
「こちらの被害は?」
「二十六名だけです」
こめかみに青筋が立ちそうなケイオスが、ギロリとエンパートを睨む。
「二十六名が戦死しただけで、クラン七千が退いたとでも言うのか!」
「はい。その通りです」
「エンパート!」
ついにケイオスは怒鳴っていた。
「事実です」
そう答えるしかないエンパートである。
「ケイオスさま。お疑いでしたら、飛龍でクランの陣までお連れいたします」
論より証拠とフィアンナが進言した。
「いいだろう」
答えたケイオスは副官ロックスを呼ぶ。
「では、わしがロックスどのをお連れしましょう」
進み出たのはロンバルだった。
そのころライは、バリスタを造った城の職人を訪ねていた。
ライの注文を聞いた職人は呆気に取られてしまう。
「出来ますかって、あんた……」
「無理ですか?」
集まった職人達は一様に無言になってしまった。しばらくそのままであったが、やがて一斉に息を吐く。代表らしい壮年の刀工の親方が答えた。
「出来る。が、その必要があるのか?」
「ありますね。ナセルは小国の割には豊かです。他国が手に入れたいと思わないのは変ですよ。それに飛龍は貴重な戦力にもなります。自国に加えられれば戦力の拡大にもなりますから。そなえは必要でしょう」
「あんたはこの国の者でもないのに、この国の事を考えてくれるのか」
ライの容姿はこの国にないもので、誰が見ても他国者としか見えない。夜色の髪と瞳、珍しいというよりもおかしな組み合わせだった。
「フィーに命を救われましたから、恩人の住む国が滅ぶのは見たくありませんよ。わたしに出来る事なら、恩返しのためにもやっておきたいと思いましてね」
風変わりな容姿と違い、物腰と口調は柔らかいものである。
「よかろう。あんたの頼みを聞くとしよう」
請合った親方はニカッと笑った。
「しかし、面白い事を考えつくものだ」
「そうでもありませんよ。わたしでなくとも、バリスタの使い道を考えれば、おのずと考えつくものです。何か一つの方法しかないと言うのは、変でしょう。他の使い道があれば、そうすればいいと思いますから」
笑って言ったライだったが、ああと声を上げてしまう。
「もう一つ。これはわたし個人が頼みたいことなのですが、片刃の長剣を打ってもらえませんか?」
「片刃の長剣?」
親方の首が傾いた。
「ええ。幅が騎士の使う長剣の三分の二ほどで、刀身に少し反りが入っているものです」
「ふむ……」
親方の顔が考えるようになる。形を想像している事が良く判った。
「ちっと、待っていろ」
そう言うと親方は工房の中に入り、しばらくして一振りの長剣を手に携えて戻ってくる。
「こう言う物か?」
差し出された長剣の鞘と柄は漆黒だった。幅は普通の長剣の三分の二ほど、ライの言っていた通りの物である。
「抜いてみても?」
頷いた親方にライは軽く頭を下げると、五歩ほど離れた。そして、ゆっくりと鞘から刀身を引き出す。
縦にして刀身を上から下まで眺め、水平にして刀身を見ると手首を返してみねを見た。
鞘を吊るして腰を少し落とすと、静かに瞳を閉じて剣を振るう姿を、剣の型を思い起こして片刃の長剣を両手で構えた。
閉じていた瞳を開くと、一歩踏み込んで片刃の長剣を振り下ろす。返すことはせずに、そのまま踏み込み突き出した。更に一歩踏み込んで振り上げる。
一連の動きは滑らかだった。まるで、その長剣を振るう事に慣れているようである。
固唾を呑んで見守っていた親方の口から感嘆の吐息が洩れた。
刀身を鞘に収めたライは、少し困惑したような顔で親方に近付く。
「良い物だとは思いますが……」
「?」
「どうして、これがここにあるのです?」
「あった方がおかしいか?」
反対に尋ねる親方だった。
「ええ。これを打つ技術は、両刃の長剣を打つ技術とは違うはずです」
ほうと感心したような吐息が親方の口が出る。
「それはな。俺が昔、まあ、若気の至りで打った物だ」
今度はライの首が傾いた。
「片刃の長剣を打ってみようと思ってな。始めは片刃にした長剣だったが、扱いにくくてな。試行錯誤して、刀身に反りを入れてみた。扱いやすくなったが、騎士には不評を買ってしまった。使えない長剣では意味が無いとまで言われたよ」
「こんなに扱いやすいのに?」
驚いたライである。
名刀とまではいかないが、それでも十分に良い物だと感じていたからだった。
「あんたは、片刃の長剣を扱い慣れているようだな」
「ええ、騎士達の両刃の長剣よりも、わたしにはこの方が扱いやすいですよ」
笑って頷いたライは続ける。
「わたしの国では、片刃の長剣の事をカタナと言います。両刃の剣は扱った事が無くて、少し扱いずらいのです。ぜひ、このカタナを譲って欲しいのですが」
「カタナと言うのか」
一人頷いた親方はニカッと笑った。
「カタナはあんたに譲る。もう一振り打ってあるから、それも持って行くといい」
「ありがとうございます。ここでは手に入らないと思っていましたので、嬉しいです」
礼を言ったライに親方も嬉しそうに頷いている。
「ライ。ここにいたのですか」
振り返ったライは、ほっとしたような顔で立つフィアンナに気が付いた。
「どうかしましたか?」
「一緒に来てくれますか」
「かまいませんが、何か問題でも?」
ライは親方に頭を軽く下げてからフィアンナに近付く。
「少し起こっています。私やリソリア卿がいくら説明しても、ケイオスさまが納得されません。あなたから攻防戦の説明をしていただけますか」
「解かりました。そのケイオスさまと言われる方は誰ですか?」
「我国の王子です。援軍として騎士団を率いてお起こしになられました」
「そう、ですか……」
なんとも嫌そうな顔になるライだった。
それに気が付いたフィアンナが、首を傾げてしまう。
「どうされたのです? 何か嫌そうな顔ですが」
「わたしは王さまとか、王子さまとかに受けがよくないのです。いえ、違いますね。長と名の付く絶対者に反発してしまうようなのです」
苦笑していた。
思い出したのは一族の長老達の事である。一方的に決定して、個人の意思を無視するような者達であり、ライは一度も従った事がなかった。
「そんな事はなさらずにして下さいね」
少し心配そうなフィアンナにライは、再び苦笑してしまう。
「努力はして見ますよ」
この地で王や王子に反発すれば、どんな事になるのかは容易に想像がついた。それでも相容れない場合は、どうする事も出来ないとライは思っている。
フィアンナが案内したのは城の広間である。王宮とは違いリソリア城には謁見の間は無く、代わりに広い部屋が作られていた。
そこにエンパートを始めとした武将格の者が集まっている。居並ぶ武将達を前に、ライはフィアンナの隣りまで足を進めていた。
「おまえは何者だ」
眼の前に若いが目付きの鋭い男がいる。精悍さを滲ませてはいるが、苛立つような気配が台無しにしていた。
この男がケイオス王子と言うのはすぐに分かる。この集まりで王子を差し置いて、発言するような者はいないはずだ。
威圧的な態度、ライを見る瞳に不審感がありありと浮かんでいる。
「おまえこそ何者だ」
返すライの言葉にざわめきが起こった。
「フィアンナ! こいつは何者だ! 答えろ!」
怒鳴る声にライは、一歩前に出てフィアンナを背に入れる。
「礼儀知らずに名乗る名は無い」
「きさま、無礼だぞ!」
「何たる口の利き方。不遜すぎる!」
「分をわきまえろ! 下郎!」
ケイオスの周りからそんな声が上がった。
それらを無視して、ライはケイオスだけを見ている。
フィアンナは、目を丸くしてライの背を見ていた。物腰と言葉遣いが、今までの柔らかいものとは違っている。その変化に戸惑ってしまった。
奥歯を噛み締めているようなケイオスにライは続けている。
「名乗る礼儀も知らずに、俺に何者かと問う。笑わせるな。礼儀知らずに敬意を払う者はいない」
「きさまぁ!」
若い武将の一人が抜刀していた。
「我らの主を侮辱して、ただで済むとは思うな!」
エンパートとロンバルは頭を抱えたい思いである。少しは周りを見て物を言えといいたかった。エンパートの副官クライブまでもが、目を丸くして見ている。
今にも打ちかかってそうな若い武将を止めたのは、以外にもケイオス本人だった。
「おまえは、自分が何を言っているのか理解しているのか?」
「ありまえだ。俺はそこまで馬鹿ではない」
ライの言葉に呆れたのはフィアンナである。自覚があるのに、なぜ出来ないのだろうと思った。
「お待ち下さい、ケイオスさま! ライはリソリア城攻防戦の功労者です。お願いいたします。寛大なお心でお許し下さい」
許しを得なければならないと、フィアンナはライのために懇願する。このままではこの場にいる者全てを敵に回すはずだった。それは、何としても避けなければならない。
「ライ。あなたも、もう少し考えて言葉を使ってください」
「無理ですよ。あなたはわたしに自ら名乗ってくれました。人として最低限の礼儀です。それさえも出来ないような者に、わたしは払う敬意は持ち合わせていませんよ」
正論ではあるが、この場合は相手が悪いとしか言いようが無かった。誰もが知る王子である。礼儀うんぬんで済むわけがなかった。
「人に名を尋ねる時は、先に名乗る事が礼儀と教わっていないのか」
再びライは、ケイオスを見ている。
血気に逸る若い武将が一歩前に出て、長剣の剣先をライに突きつけていた。
「殿下! 私はもう我慢が出来ません! 度重なる暴言。これを許すのはナセル騎士の名折れ!」
「笑わせてくれる」
「きさまぁ!」
「ふざけるな、なにがナセル騎士の名折れだ。こんな事で折れるような誇りとは、恥ずべき誇りだな」
瞬間、ライの頬にフィアンナの平手打ちが飛んでいる。
「あなたは! あなたは何を考えているのです!」
肩を震わせてライを見るフィアンナの瞳は哀しそうだった。
「私に惚れろと言いながら、死ぬようなまねをする。それでは、私が惚れられないではないですか!」
なぜ自分がここまで怒り、哀しく思うのか、惹かれていると自覚しているからなのか。
ライがナセルに敵対するのであれば、ライを救った自分の責は、こうする事だろうと思った。すらりと長剣を抜き放って、フイアンナはライの首筋に当てる。
「そんなに死にたいのであれば、私がここで、今、この場で首を落としてあげます」
「あなたに拾われた命です。わたしの首を落とすのであれば……」
どうぞとでも言うようにライは、微笑んで首を差し出していた。
「卑怯ですよ……」
静かな声がフィアンナの口から出ている。
解かってしまった。
ライは、この人は命を軽く見ているのではない。誇りのために命を捨てる事を知っているのだ。特に自分の命は初めから捨てている。
だから、一人でもクランの陣に夜襲をかけようとした。
この地に生きていない。
そう思うと、急にライの存在が希薄に思え、フィアンナは長剣をライの首から離してしまった。フィアンナの哀しい瞳がライを見ている。
「なぜ、ですか……」
「どうやらわたしは何者にも従いたくはないようです。そして、何者にも屈したくないと思っています」
口元に笑みを浮かべ、昂然と顔を上げたライはケイオスを見る。
「今、貫くと決めた」
「いいだろう。縄を打て!」
ケイオスが言った途端、ライの右手がカタナの柄に掛かり身体が少し沈んだ。
「ケイオスさま! 『乙女』の名においてお願いいたします! お名乗りください!」
フィアンナが振り返って叫ぶ。
その言葉は、ケイオスとライの動きを止めていた。
「フィアンナ、本気で言っているのか」
「はい。お名乗りください。お願いいたします」
ケイオスは、フィアンナの真意を確かめるように見ていたが、やがて椅子から立ち上がると言う。
「俺はナセル王国の王子ケイオス。おまえは何者だ」
ケイオス配下の武将が思わず振り返っていた。特に長剣をライに突きつけた若い武将は、信じられないような顔である。
「俺はライ・シドウ。異邦人だ」
名乗られたら名乗り返すのが礼儀、見本のような返しだった。
「シード……」
「ライでいい。そう呼ばれている」
「おまえは俺を知らないのか」
「初めて会う相手を知っている方がおかしいだろう。現にあんたは、俺の事を知らなかった。お互い様だ」
肩を竦めるライにケイオスは苦笑する。
「その言い方は何とかならんのか?」
「悪いな、王子。敬意を払えない相手に払う敬意は持っていない」
「それで死ぬ事になってもか?」
二人とも静かな口調だったが、その間には緊張がはらんでいた。この場に居合わせる者達全てにそれが判り、誰もが口を挟めない。
二人を止めたフイアンナでさえ黙っていた。口を挟む事が、良くないと思えたのである。
「それがどうした。言ったはずだ。貫くと決めたと」
笑みを浮かべるライにケイオスは、それが虚勢ではない事がわかった。
「それともあんたは、腹で見下して上辺で敬われるのが好みか。それで良ければ、そうするが?」
「いやみな奴だ。俺がそんな事を望んでいるとでも思っているのか」
「違うのか? そこの奴……」
とライが指差したのは、騎士の名折れと叫んだ若い騎士だった。指差された若い騎士は、憤慨したような顔になる。
「なんか、典型だろ」
「俺はおまえが敬意を払うに値しない男か?」
「今はな」
「今は、か?」
「ああ、今はだ」
本来は許されるべきでは無い事だが、ケイオスは半ばライを許していた。
フィアンナに言われたからではなく、ライの存在自体が不思議に思える。
一言で言えば。
『異質』
それに尽きた。
これ以上この男と話をするには、他の者は邪魔である。
「リソリア、フィアンナ。おまえ達は残れ。他の者は解散しろ」
「ケイオスさま! こんな事をお許しになられるのですか!」
否を唱えたのは先ほどの若い騎士だった。
「俺は解散しろと言った」
二度も同じ事を言わせるなと言外に含んでいる。
それを汲み取れないようでは、ケイオスの配下には必要が無い事は、騎士達には身に染みて分かっていた。何か言いたそうではあったが、騎士達は一礼をして広間から出て行くしかない。
残った中には、言われなかったロンバルと、当然のようにケイオスの副官ロックスがいた。二人に眼を向けたケイオスではあったが、何も言わずにいる。
「場所変える。エンパート」
「どうぞ、ご案内します」
六人では広間は広すぎると思っての事である。
エンパートが案内したのは、リソリア城でも身分の高い者が逗留するために作られた部屋だった。
部屋に入った途端にケイオスは、苦笑交じりにフィアンナを見てしまう。
「フィー、あれはないぞ。おかげで俺の株が下がった」
「申し訳ありません、ケイオスさま。ですがあのままであれば、いらぬ死者をお出しになられた事と思いましたので、お止めいたしました」
軽くケイオスに頭を下げるフィアンナだった。
「まあ、その通りだろうな。この男はそれなりの使い手だろう」
ライを見るケイオスの顔付きが先ほどとは違っている。鋭さが影を潜め、人懐っこさが出ていた。
その変化にライが戸惑う。
「おまえも、もう少し言い方があるだろう。出来ないわけではないんだろう」
首が傾いて行くライだった。
「それにしても変わった奴だ。それに気骨もある」
「あんた……」
ため息のようなものが出る。
「さっきと全然違うぞ」
「騎士達の手前、ああするしかなかったからな。今はフィーの事を知っている者と、俺の事を理解している者しかいないからな」
で、とケイオスはライに向き直っていた。
「話せ。何をどうやってクラン七千を撤退させた」
再び息を吐くと、ライはリソリア城攻防戦のあらましを話し始める。
ライが話す間、ケイオスは一言も口を挟まずに聞き手に回っていた。話の腰を折っても意味は無く、話しが終わってから不明な事は、問いただせば良いと考えているように見える。その事からもケイオスが、ただの王子ではない事が窺えた。
「――と言う事だ。それでクランは撤退した」
「で、そのバリスタか。それはどのぐらいまで矢を飛ばせる?」
「ざっと見て、弓の十倍ぐらいだろう」
「バリスタは移動させる事はできるのか?」
思わずライは眼を見張ってしまう。
「どうした?」
「いや、なんでもない。ここの職人達に、台車を付けたバリスタの製作を頼んだところだ」
「もう一つ聞くが、バリスタは矢を打ち出す事しか出来ないのか? 油壺や火矢を打ち出す事は出来るのか?」
攻防戦の事ではなかった。
さきほどからケイオスが尋ねているのはバリスタの事である。
有効的に用いるには、どうすれば良いのかを考えている事に他ならなかった。頭が切れると言うのだろうとライは感心してしまう。
「矢を載せるための溝がある。そこに入る大きさであれば、矢以外でも打ち出せるが……」
それもライが職人達に頼んでいる事だった。矢以外の物を打ち出せるようになれば、バリスタの利用価値は増える。そのために改良出来ないかと考えていた。
同じように考えているかと、思わずライはケイオスに尋ねている。
「本気で、そんな事を考えているのか?」
「おまえは違うのか?」
反対に聞き返されたライが言葉に詰まった。ライとケイオスの会話を、あまり理解していない他の四人は首を傾げそうになっている。
「フィー。感謝するぞ。よくぞこんなおかしな奴を拾ってくれた」
「はぁ……」
分かっていないフィアンナの首が更に傾いた。
「おまえ達の言う通りだ。この男を他国へ渡すわけには行かない」
「俺がどこに行こうと、俺の自由だ」
「そうだ。おまえの自由だ。しかし、俺はおまえを俺の客人にするからな。王宮にも招待してやろう」
「一方的だな」
「その通り。で、それのどこが悪い。そのくらいの力はあるぞ」
真顔で聞き返すケイオスにライは笑ってしまう。
「それにな。おまえを他国へ渡せない理由は他にもある」
「それは?」
「おまえ。飛龍は貴重な戦力と考えていても、脅威とは考えてはいないだろう」
ため息が出てしまった。そこまで考え付くとは思ってもいなかったのである。
「飛龍は脅威ではない。と言うよりも脅威にはならない」
ライの答えを聞いたエンパートとロンバル、そしてロックスまでもが驚いていた。フィアンナは、それ以前にライから聞いていたので平然としている。
「なぜ、そう思ったのか。聞かせてくれないか、王子」
「バリスタ。あれがあれば飛龍は落とせる。飛龍の進行方向に大量に並べて、一斉に打ち出せば飛龍は避けられない。点で狙うのではなく、面で狙えばいい事だからな」
呆気に取られたライではあったが、徐々に笑い始めていた。
「あなたは……」笑ったままケイオスを見る「人前では、それなりの言葉遣いで話す事にしましょう。面白い方ですね」
「俺に敬意を払わないのではなかったのか」
「今はまだですが、それなりの言葉遣いで話すぐらいは敬意を払いますよ」
「ふむ。そうしてくれると俺も助かる」
「そう言える方だとは思っていませんでしたので」
ライの言葉遣いが変わった事で、エンパートとロンバルはほっと息をなでおろし、首を振ってしまう。なぜ、安心したのか自分でも判ってはいなかった。
「でだ、ライ。今回の攻防戦の勝利は、おまえの功績によるところが大きい。本来なら、多大な恩賞を与えるべきなのだが、俺に対する暴言で相殺と言う事にする。いいな」
「えっと、ケイオス王子……」
少し困ったような顔のライにケイオスは首を傾げる。
「恩賞と言うか、褒美と言うか。わたしはすでにフィーから貰っていますが……」
「貰った……?」
「はい。口付けを……」
ぽかんとケイオスはライを見た。何を聞いたか理解していないようだったが、段々と顔つきが変わって行き、フィアンナを振り返っている。
「フィー! なぜそんな事をした!」
「ライが褒美として望みましたので」
ケイオスがライを見た。
「おまえも、なんて事を望んだ!」
「悪かったのでしょうか?」
「あたりまえだ、馬鹿者。フィーがただの飛龍騎士なら、良くやったと褒めてやる。妻に娶ると言うのなら後押しもしてやる。だが、フィーは……」
「『銀月の乙女』だからですか?」
ケイオスが凍りついたように止まった。
そればかりかエンパートやロンバル、ロックスまでもが凍りつく。
「しっ、知って……」
言葉が続かないケイオスにライは言った。
「良く似合う文様なのに、額飾りで隠すのはもったいないと思いますよ」
ケイオスの口が開くが言葉が出てこないようである。言葉もなくケイオスの首が動いてフィアンナを見た。
「ライは何も知りません。『銀月の乙女』の意味を」
「知ら……ない? なぜ?」
「何も聞きませんでしたので、何も話してはいません」
どさりとケイオスは椅子に沈み込んだ。
エンパートとロンバルは何も言わずに頷いている。反対に目を剥いていたのはロックスだった。
一人意味が判らないライだけが不思議そうである。
「フィー……何も知らない相手に祝印をみせて、口づけまでしたのか……」
疲れたような顔で、ケイオスはフィアンナを見てしまった。
改めて他人から言われると、とんでもない事をしてしまったと顔が火照ってくる。
「その通りです……」
「軽率だったな」
「返す言葉がありません……」
消え入りそうな声で返すフィアンナと、ため息を付いたケイオスだった。
「おまえが見た物は他言無用。口にすれば、ナセル王国全騎士が相手になる。いや、ナセル王国そのものが、おまえの敵になる」
「それはフィーが『銀月の乙女』と言う事を話すなと言う事ですか?」
「そうだ」
「話せば?」
「今言ったように、おまえを殺すために全騎士に命を下す」
「では、他言無用を貫きましょう」
あっさりと言って右手を胸に当てたライを、ケイオス達は呆気に取られてみてしまう。
「なぜだ?」
「なぜ、とは?」
「訳を聞かないのか?」
「必要がありますか。あなたが本気なのは分かります。それで十分でしょう」
ここまできても『銀月の乙女』の意味を尋ねてこないライを、ケイオスは不思議そうに見ていた。
「馬鹿なのか、おまえは」
「あのな、王子」
再びライの口調が変わるが、それは先ほどの広間の時とは違いもっと砕けたものである。
「人には言えない事の一つや二つはあるぞ。それを俺の興味半分で聞いてしまってどうする。俺が知っていた方が良いなら、王子やフィーが話してくれるだろう。俺から問い質すような事ではないはずだ」
「おまえは気にならないのか?」
とはケイオスだった。
反対にフィアンナは少し悲しく思ってしまう。
「俺が気にしてどうする。フィーはフィーだろ。それとも何か『銀月の乙女』なら、フィーではなくなるとでも言うのか」
呆れた顔がライを見返してきた。
「あのな、俺は俺以外の何者でもない。人は自分以外の何者になれない。そう俺に教えてくれた奴がいる。俺もその通りだと思っている」
くすりと笑い声が聞こえた。
「ライ。あなたは、やはり怖い方です」
微笑みながら言うフィアンナに、ライはため息を付いてしまう。
ケイオスはライの功績を認め、自分に対する数々の暴言は相殺すると、リソリア城に集まった騎士達に宣言した。
ライの暴言を聞いていたケイオスの側近達は、許しがたいと思っていても功績と引き換えならばと、渋々納得したのである。
ケイオス達の引き上げと同時に、フィアンナ率いる飛龍騎士隊も王都へと向かった。
ライはフィアンナの飛龍エンダルアの背で、おかしな事になったものだと苦笑が浮かぶのが止められない。
自分にとっては物語のような世界で、飛龍の背に乗って空を翔るというのは思ってもいなかった事だった。
それでも一つだけ理解した事はあった。
この地で人の生き死に関わってしまった自分は、この地を離れる事はできないと言う事である。この地で生き、そして死んでいくのだろうと感じていた。
フィアンナの右手が上がってライの頭を引っ張る。
「ライ。あなたはどこに行くの」
風に消える声が届いた。
「わかりませんね。わたしは、ここにいたいと思いますが……」
今、手にある重みと温さが欲しいと思う。
どうやら自分は戦う事を知る女性を、内に強さを持つ女性を好むようだと、この時分かってしまった。すでにフィアンナに心惹かれていることを自覚するライである。