第20話
王都に入ったところで、フィゲルはライを振り返っていた。
「挨拶がまだであったな。私はグラディア近衛騎士団の長フィゲル・オステアだ」
「ナセル王国、銀月の騎士団飛龍騎士隊ライ・シードです」
「噂に聞く漆黒の騎士どのか。なるほど、ケイルどのに似ているな」
「ケイルがわたしに、ではなく?」
首を傾げそうなライに、フィゲルは笑って言う。
「私は漆黒の騎士どのとは会ったばかり、その前にケイルどのに会い、その豪胆さとしたたかさを見知ってしまったゆえ、な」
これには目を丸くしたケイルであった。父と比べられる事はあっても、自分が主として言われる事はない。同じように思ったのか、ライの目も丸くなっていた。
「ケイルどの」
フィゲルが真正面からケイルを見た。
「貴殿は、我らとともに戦う意思はおありか?」
「あります」
フィゲルの真意は測りかねたが、ケイルは迷う事もなく即答している。満足そうにフィゲルは頷くと、ケイルに向けて頭を下げて言った。
「グラディア王国近衛騎士団は、現時点をもって飛龍騎士ケイル・シードの指揮下に入る事を宣言する」
「フィゲル将軍!」
驚いた声を出したのはシルビアである。自国の近衛騎士団が、他国の騎士の指揮下に入るなどあってはならない事だった。
「殿下。ケイルどのとシーリィどの、お二方がこの時期にグラディアにいなければ、グラディアは二日前に滅んでおりました。我らはケイルどのが指摘されなければ、グラルの叛意さえ気が付かないままであり申した。さらに仕えるべき女王陛下の無気力さ、にもであり申した」
静にフィゲルはシルビアを見て答えている。情けなさと悔しさと贖罪が混然と同居する顔だった。
「この状況を作り出した元凶は、シーリィです」
「殿下。ただ一人の人間の思惑で国が滅ぶようであれば、グラディアは当の昔に滅んでおります。この二日の戦闘指揮は、全てシーリィどのが執っておりました。残念ながら我らだけでは、ここまで持たせる事はできなかった事でありましょう」
「将軍……」
「ここまでグレディア騎士団が戦えたのは、ケイルどのとシーリィどののお二人がいればこそでありましょう。小国には小国の誇りがある、と申しておりましたが、我らはその誇りさえ無くしておりました……」
「でも、でも……」
「もう良いのではありませんか。グラディアの民の事をお考えになさるのなら、グラディア王国を無くされても」
近衛騎士団の長たる者が、言うべき言葉ではなかった。間違っても騎士たる者が、口にすべき言葉ではない事をフィゲルは口にしている。
ケイルやシーリィ、ライやフィアンナ達ナセル王国の者は、フィゲルとシルビアの話に口を挟まなかった。
「将軍は、降伏しろとでも言うの」
「はい。民の事を思えば、それが最善かと思いまする」
「出来ない! このまま降伏する事など!」
「殿下。わたしはこの数日でグラディア王国は滅んだと、思い知らされました」
「では! なぜ今まで戦った! 篭城戦までしても戦ったのは、国を守りたかったからではないのか!」
激しいシルビアの言葉に、フィゲルはきょとんと首を傾げ、思いついたように頷いていた。
「殿下。勘違いをしております」
「降伏する事が、か」
「いえ。私は命が尽きようとも、ゼンアだけには屈しませぬ。一方的に侵攻してくるやからなど、信用もなりませぬ。ゆえに、ゼンア以外の国に降伏すべきと思っております」
そこでシルビアが見たのは、ケイル達ナセル王国の者である。
「ナセルに降れ。そう言うの、将軍」
「それも選択肢の一つでありましょう」
そう答えたフィゲル自身が、すでにナセル王国に降っている事に気が付いていなかった。飛龍騎士ケイルの指揮下に入る事が、ナセル王国の軍門に身をおくと、言っている事と同意語である。
「殿下。今のままならグラディアを存続させたとしても、また同じ事が起こりましょう。それは、民を苦しませるだけであります」
フィゲルの言葉を、誰よりも強く感じているのはシルビアだった。
民あっての国、よく言われる言葉だったが、それは建前でしかないのが現状である。それでも、降伏すると言えないのは、祖国を滅びさせたくないからだった。
それが、ただの延命措置でしかない事も知っている。
「少し、考えさせて……」
搾り出すような声になってしまった。答えの出ている事に、考える必要はないと人は言うが、それはそう言う状況に陥った事のない者の言葉だ。当事者なら、答えがでていても迷うものである。
そんなシルビア達グラディアも者とは別に、ケイルは頭を抱えたい状況がまわりで起き始めていた。
「シーリィ。一族を連れてナセルへ来て下さい」
「ケイルにも言われました」
「そうですか」
笑って頷くライと、笑って答えるシーリィがいる。
和やか過ぎる事に、ここが戦場である事を忘れそうになる。さらにはバルクやルークまでが、ケイルの肩を叩いて言い出すしまつだった。
「なんだ、おまえに足りない物とは、嫁さんの事か」
「中々な人のようだね、ケイル」
「羨ましすぎる。おまえ、どこで知り合った」
「あ。それ、僕も聞きたい」
二人の言葉は喜んでいるために出たものだと、ケイルは思っていた。
「くそっ。俺も父さんに頼んでみるぞ。あんな嫁さんなら俺も欲しい」
「そうだね。僕も欲しいよ」
「あーくそ。なんか腹が立ってきた。なんで、おまえなんだ」
ぎろりとバルクは、ケイルを睨む。苦笑を浮かべながらケイルを見るのは、ルークだった。ここにいたって苦笑を抑えていたケイルは、片手で顔を押さえてしまう。
「何を、聞いていたんですか、二人とも。わたしの足りないものは、妻ではありませんよ」
「うそだ」
一言のもとに斬り捨てたバルクに、ケイルは深い溜め息をついてしまった。
「あのですね、バルク。それからルークもです。わたしはまだ『ミカズキ』を振るえませんよ。妻が足りないのであれば、わたしは『ミカズキ』を振るう事ができるはずです」
「まさか……」
「本当なの?」
半信半疑な二人に、ケイルは再度溜め息を付いてしまう。
「本当です。それに『ミカズキ』を振るえるなら、父上に助けを求めなくとも、ここでの戦闘は終っていますよ」
「出し惜しみ、じゃあいだろうな」
「バルク……この状況で、それだけは絶対ないと言えますよ」
「しかしな……」
まだ信じていないバルクであった。
「どうしたのですか、ケイル。そんな困ったような顔をして」
首を傾げて問いかけてきたのは、シーリィである。
「シーリィ、あなたからも言ってください」
「?」
シーリィは困ったような顔でケイルを見た。それだけでは、わかりませんと言いたそうな顔である。
「あなたも、聞いた事があると思いますが『ミカズキ』をわたしは、まだ振るう事が出来ないのに、それを信じないのですよ。この二人は」
「……『ミカズキ』……振るえるのですか!」
「だから、まだ振るえません」
「そう、ですか……」
なぜか少し安心したシーリィであったが、次の瞬間には目を見開いてケイルを見てしまった。ケイルの言葉は、いずれ『ミカズキ』を振う事ができると、言っている事に気が付いたからである。
少し考えてからシーリィは、ケイルに言った。
「ケイル。ゼンア騎士団の陣まで、私を連れて行ってくれますか?」
「いいですよ」
と受けるケイルは、どうしてとは尋ねない。
すでにグラディアとゼンアの戦闘は、飛龍騎士が現れた事でゼンア騎士団が撤退するのは時間の問題でしかなかった。あえてシーリィが、ゼンア騎士団の陣まで出向く必要はないはすである。
疑問もはさまずに、即答したケイルにシーリィは微笑んでいた。
が、さすがにすんなりとはいかない。
反対したのは、フィゲル将軍である。
「シーリィどの。ゼンア騎士団が撤退するのは、時間の問題ではないのか? わざわざシリルどのが、ゼンア騎士団の陣まで出向く事はないはずではないか」
「確かに将軍の言われる通りです。私が出向かなくとも、ゼンア騎士団は撤退するであしょう。ですが、私はゼンアに対して、いえグラディアに侵攻してきた騎士達に対して決着をつけなければならない事があります。どんな、とは尋ねないでくださいね、将軍」
先手を打ってシーリィは、フィゲルの追及を止めていた。
「まさか、死ぬつもりではあるまいな?」
唸るように尋ねてくるフィゲルに、シーリィは微笑んで答える。
「とんでもありません。フィゲル将軍、私は良き人と出会えました。死ぬなんてもったいない」
真意を探るようにフィゲルはシーリィを見ていたが、表情を変えずに微笑んだまま見返してくるシーリィに少し不安があった。
「では、ゼンア騎士団を追い返したら酒宴を開きますので、ケイルどのと共にご出席いただけますかな?」
「はい。喜んで」
あくまでも微笑みを絶やさないシーリィに、フィゲルは根負けしたように溜息をついてしまう。
「城門を開けろ! 使者が出る!」
シーリィとケイルは、フィゲルに一礼をして背を向けた。その背にフィゲルは声をかけていた。
「お二方、酒宴を楽しみにしている。お二人と飲む酒は、さぞ美味いであろう」
ケイルが片手を上げて答えていた。
一頭の馬に乗りケイルとシーリィは、ゼンア騎士団の陣へ向かう。
ナセルの飛龍騎士が現れた事で、ゼンア騎士団に動揺が走っていた。対飛龍戦を想定していなかったゼンア騎士団に、対抗する術はない事も拍車をかけていた。動揺が恐怖に変わるのに時間は要らない。
瓦解しなかったのは、ビイザ将軍の采配があったからである。
馬を降りた二人は、ゼンア騎士団の陣幕まで近づいていた。
「ビイザ将軍にお話があります。取り継いでください」




