第15話
グラディア王国近衛騎士団の将軍であるフィゲルにとって、今の状況はいつか起こりうる事だと思っていた。
女王の動向、グラルの席捲、なによりも回りの国々全てが、グラディアよりも大国である事。小国が大国に対抗する術は、属国になるか滅ぼされるまで戦うかしか無いと分かっていた。
しかし、それがこの時とは、思ってもいなかった。しかも、いつの間にか主導権を握り、グラディアはいやおうなく存亡の時を進んでいたのである。
これは、フィゲルにとっても予想外の事であり、不運なのか幸運なのかと考える事もあっが、ただ回りだした歯車は、すぐには止められないと知っていた。
その歯車の一人が、国境にいるグラディア騎士団を呼び戻すため飛龍で飛んで行き、それもナセル王国の飛龍騎士が、である。
歯車のもう一人は、頭の切れる男と思っていたが、実は女性であり攻めてくるゼンア王国の軍師を勤めるほどの者だった。
グラディアと直接関係のない者達が、どちらかと言うと敵対関係にある者達が、グラディアのために行動している。なんともはや、おかしな状況であった。
だからこそ、出来る事をするべきと思う事にしたのである。
その女性軍師は、王宮の城壁の上から城下を見ていた。
「ここにおられたか」
近付くフィゲルにシーリィは振り返った。
「何か、ありましたか?」
「いや、何もない。尋ねたい事があったゆえ」
「なんでしょうか」
「ゼンア騎士団は、いつ来る?」
「早くて明日。遅くとも明後日ですね。将軍、城下の避難は終りましたか?」
「今日中には終る」
「グラディアが今後どうなっても、この地を立て直すためには民は必要ですからね。時間があるのなら、避難させておく方がいいです」
「貴殿は、いいのか?」
シーリィは首を傾げてしまう。
「グラディアに手を貸す事は、祖国を裏切る事と同じ事。まして貴殿は女性であろう」
シーリィは微笑んで、フィゲルを見上げて言った。
「この格好では女には見えませんね」
「いや、そうではなくてだな……」
とぼけた答えが返ってくるとは思わなかった。
「将軍。わたしは誰にも、必要とされていませんでした。自分を欺き、人を欺いて生きてきました」
「……」
それがどう言う事か、フィゲルには分かるとは言えない。黙ったまま、聞いているしかなかった。
「私は私である事が、私を必用としてくれる事が嬉しいのです。だから、私を必要としてくれるケイルのためなら、全てをかけます」
微笑んでいたシーリィは、顔付きを引き締めて言う。
「フィゲル将軍。騎士隊長を集めてください。今後の策を伝えます」
「良いのか?」
「はい」
頷くシーリィに、フィゲルは溜め息を付く。
王宮の一角に集められたのは、部隊を率いる騎士隊長である。二十人ほど居る騎士隊長の中にはグレイスもいた。
どの顔もシーリィを不思議そうに見ている。シーリィがグラディアを滅ぼすために、ゼンアから来たと聞き及んでいたからだった。
居並ぶ騎士隊長達を前に、動きやすいドレスに付け毛をしたシーリィは、軽く頭を下げる事で挨拶をしていた。
「私はシーリィ・オディス。元ゼンア王国の軍師で、もうすぐケイル・シードの妻になる者です」
「あなたは信用ができるのか?」
そう言うのは、グレイスである。騎士隊長全員を代弁した声だった。
「信用しなくて結構です。私はグラディアのために、ここに居る訳ではありませんし、ゼンアのために、ここに居る訳でもありませんから」
そのはっきりとした物言いに、グレイスは言葉に詰まってしまう。隣に立つフィゲルの顔には、苦笑が浮かんでいた。
「では、なんのためにここにいるのかな、シーリィどの」
「ケイルのためです。ケイルは、この状況を何とかしたいと思っています。ナセルの者なのに」
シーリィは微笑んでいる。
「なら私は、どうにかするために全力を尽くします。それが、妻となる私の役目です」
「飛龍騎士どのは、間に合うのだろうな」
「正直な所は、微妙ですね。戦闘になっていなくとも、すぐにグラディア騎士団全軍が、王都まで戻れるとは思えません。ナセルの押さえに三千は残しておくでしょうし、どんなに急いでも十日はかかると思います」
フィゲルに答えながらシーリィは、もう一つの可能性があるとわかっていた。
それは、今の段階では言うべき事ではない。
予測が当たれば、ゼンアとの戦闘中に起こるはずで、当たればグラディア騎士団が戻る前に、ゼンア騎士団を撤退させる事ができるはずだった。
「その十日間を、持ちこたえさせる策はあります。それをこれから伝えます」
シーリィは、騎士隊長達の顔を見て頭を下げる。
「みなさんに、私は死ぬ事を強制します」
ざわりと、騎士隊長達に動揺が走った。
シーリィの言葉で、ざわめかない方がおかしいといえる。それがわかった上で、シーリィは言う。
「いかに篭城戦とはいえ、死傷者が皆無と言う事はありません。そして、私の策ではほとんどの方が死ぬ事になります。ですが、必ずゼンア騎士団は撤退させる事が、できるでしょう」
「おもしろい。私の命でグラディアの誇りを見せられるのなら、軍師どのに命を預けましょう。策を聞かせてくれ、軍師どの」
フィゲルは笑ってシーリィに頭を下げていた。将軍の心遣いに、シーリィは軽く頭を下げる事で返していた。
「何も難しい事ではありません。王都は城壁に囲まれた城下と、城壁に囲まれた王宮の二重の城壁になっています。まずは……」
シーリィは、卓上の図面の王都の外側を指す。
「城下の門のうち、東側を残して全て閉じます。そして、ゼンア騎士団のある程度の兵を城下へ入れます」
「篭城戦ではないのか?」
「篭城戦です、将軍。ゼンア騎士団は、一万五千の兵力です。まともな篭城戦は無理があります。そこで、二千前後の兵を城下に誘い込み、これを叩くのです。ある程度が城下へ入ったら東の城門を閉ざし、後続を城内に進軍できないようにするのです。城内に残ったゼンア騎士は退路を絶たれる事になり、少なからず動揺する事でしょう。篭城戦の第一段階は、東の城門附近。そして……」
王都の内側、東門の先にある両脇の建物を示した。
「弓兵を両側の建物の二階に配置し、目の前を通り過ぎた後で、弓による攻撃を開始します。さらに……」
今度は三つほど先の建物の両脇を指している。
「フィゲル将軍率いる近衛騎士団を両側に伏して、弓による攻撃後に一気に突撃し、これを殲滅します」
ここでシーリィは顔を上げて、騎士隊長達の顔を見る。理解したか確認するためである。概ね理解したようだと見ると、シーリィはフィゲルに言った。
「将軍。私に騎士隊の一部を預けてくれませんか?」
「いいでしょう。マックバーンの隊を、軍師どのに預けましょう」
問答もなくフィゲルは、シーリィに騎士隊を預ける事を約束する。その事にシーリィは、少し目を見張っていた。
「いいのですか?」
「なにがでしょう。軍師どの」
「普通、理由ぐらいは尋ねるのではないでしょうか? まして私は、グラディアの者ではありません」
するとフィゲルは笑う。
「軍師どの。この戦はグラディアの戦いではない、と思っておるのだ」
「将軍?」
「この戦は、ゼンアとナセル。グラディアが、どちらの国に併合されるのか、決する戦であろう。ゆえに、グラディア騎士は、グラディアの誇りのために戦う」
騎士隊長達の間に、動揺が走った。
フィゲルの言葉は、グラディアが滅ぶ事が前提になっていたからである。反論の声が上がる前に、フィゲルは続けていた。
「併合された時、グラディアの民は一筋縄ではいかない。そう知らしめる事が、我らグラディア騎士の誇りであろうな」
そして、フィゲルはシーリィに真剣な顔を向ける。
「軍師どのは、そのために動かれている。ならば、ゼンアの者でもナセルの者でも、関係はあらぬ。我らの誇りを、ゼンアとナセルに見せ付けるには、飛龍騎士どのが言ったように、あなたの知略が必要なのだ」
シーリィは微笑んでしまう。ケイル以外にも自分を必要としてくれる人がいる。それはシーリィにとって、心が温かくなる事だった。
謝意を伝えるため、シーリィはフィゲルの軽く頭を下げると、マックバーンを見る。
「マックバーン隊長。前面で戦う事は騎士の誉れなれど、あえて裏方に徹していただきます」
不満を見て取ったシーリィは、マックバーンを真直ぐに見る。
「城門を閉じ、王都の外側に残るゼンア騎士団を、一度退かせるためにマックバーン隊長には、私と一緒に城壁に残ってもらいます」
「残ってどうするのだ?」
「城門を落とす事、城壁の上から火矢を射る事。すべき事はあります」
「消極的ではないのか?」
「いいえ、違います。城門を落とす絶妙な機会を逃さないためで、篭城戦の一番大事な役目です。機会を逃せば、フィゲル将軍以下は殲滅されるでしょう。これが上手くいかないと、篭城戦ではなく消耗戦になります。そうなれば、グラディア騎士団が戻る前に王都は陥落してしまいます」
「むう……」
唸るようにマックバーンは、黙り込んでしまった。それを了解の代わりと受け取り、シーリィは続ける。
「城門を落とした後は、全騎士隊を三つに分け、三交代で城壁からの攻撃を続けていきます。長丁場になりますので、休息と攻撃隊を分けます。また、残る時間は城下のいくつかの場所に、櫓を組んでいただきます」
「軍師どの。櫓は何のために作るのだ?」
「篭城戦の第二段階で、必要になります」
「第二?」
「城門が壊され、ゼンア騎士団が城下へ入った時のためです。王宮までの撤退戦を城下で行なう事になりますので。グラディアは二重の篭城戦ができるために、それを有効に使うのです。数で劣る我々でも、ゼンア騎士団と対抗できるのです」
もっとも、そこまで攻め込まれると、グラディアの命数は尽きたと言えるはずで、良くて三日もてば良い方である。
「他にはあるかな、軍師どの?」
「いいえ。以上が、対ゼンア戦の策の全てです。あとは皆さんの行動しだいになります」
シーリィが答えると、フィゲルは頷いて騎士隊長達を見渡した。
「第一段階の弓隊には、右側にグレイス隊、左側にマリル隊を配置する。否はなしだ、二人とも。マックバーン隊以外の残りは、私とともに突撃隊に配置する。無理にゼンア騎士団を殲滅する事はない。投降する者は武装解除の上、捕縛すればいい」
フィゲルは全員に確認しながらそう言うと、にやりと笑っている。
「以上、解散」
隊長達は、フィゲルに一礼すると、その場を離れて行った。




