第14話
グラルの長剣を受け止めたケイルは、そこで止まらない。グラルの長剣を打ち払い、足を払って床に転がせた。
「あなたが私を護るとは……」
背中にシーリィの声を聞きながらも、ケイルはグラルにカタナを突きつけている。
「いけませんか?」
「私は敵ですよ」
「誰のです?」
「……」
答えるのに、シーリィは躊躇した。
「それにまだ、聞きたい事があります」
「それは?」
「シルビアを亡き者にしょうとしていたのに、なぜ方針を変えたのです?」
「失敗が多かったからです。あれ以上は、逆に諸侯が嫌疑を抱く事になります。それに、あなたがシルビア王女を守っていたのでしょう」
「それで、シルビアを生かした本当の理由は?」
ケイルは本気にしていなかった。肩を竦めてシーリィは答える。
「グラディアを滅ぼした後、グラディアの王族によってゼンア王国に、降伏したと宣言する者が必要ですから」
シーリィは、女王とグラルを見て再び肩を竦めていた。
「女王は無気力で、グラルはただの野心家です。それでは民は納得しないでしょう」
ケイルとシーリィの問答のような受け答えを、誰も口を挟まなかった。いや、挟めなかったと言える。
諸侯のほとんどが、信じられない思いで聞いていたのだった。
「それで、私を捕らえますか」
「決めるのは、わたしではありません」
「では、誰が決めるのですか」
女王やグラルは論外と、シーリィは見ている。この状況で女王やグラルが、何を言っても誰も動かないと分かっていた。
「シルビア。どうしますか?」
ケイルが尋ねたのは、シルビアである。
「私にどうしろと言うの。ケイル」
「このままでは、グラディアは滅びるしかありません。国境にいる騎士団を呼び戻さないと、グラディアはゼンア王国に滅ぼされます」
「今からでは、間に合わないと思いますが?」
ケイルの後ろからシーリィが言うと、ケイルはシーリィを振り返って言った。
「本当に、そう思いますか?」
「王都から国境まで、早馬でも四日はかかります。そして、グラディア騎士団がナセル王国に攻め込むのは、二日後ですよ。その指示が、グラル公爵の名で出されています。さらに言うと、ゼンア騎士団が王都に着くのは、早ければ二日後、遅くとも三日後です」
「間に合う方法がない、と?」
「ありません」
きっぱりと頷くシーリィに、ケイルは笑って言う。
「では、わたしと賭けをしませんか?」
「賭け?」
「ええ。グラディアの騎士団全員を、一人として欠ける事も無く王都に連れ帰れば、あなたがゼンア騎士団を追い返すと」
「それだと、あなたが不利ですが?」
「賭けに乗りますか?」
ケイルの言葉にシーリィは笑う。
「あなたも賭ける物がないと、公平ではありませんが?」
「そうですね……」
ケイルは考えるように、言葉を止めていた。
「ケイル!」
シルビアが叫ぶ。
自国の存亡を賭けの対象にされては、黙ってはいられなかった。
「ふざけないで。グラディアを……」
「シルビア。ゼンア騎士団を追い返すのには、彼女の知略が必要です。祖国を裏切らせるには、賭けにする方がいいんです」
「だからと言って、グラディアを賭けの対象にしないで」
ケイルが彼女と言った事を、シルビアは聞き落としていた。
「それで、あなたは何を賭けるのです?」
シーリィが尋ねてくる。
「何がいいですか?」
「そうですね。私が勝てば、あなたが私の物になる。反対に私が負ければ、あなたの物になる。それでどうですか」
不利な条件にも関わらず、賭けを提案してくるケイルにシーリィは、興味を持ったと言えた。早馬を乗り潰して急いでも、国境までは三日はかかるはずであり、ケイルの強気の意味を知りたいと思う。そして、答えを知りたいとわくわくしていた。
「それでいいですよ」
「騎士さま。一つ聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「私が必要ですか?」
試すつもりでシーリィは言った。答えによっては、国を捨てる気になっていた。
「キリアは必要はありません。わたしに必要なのは、シーリィです」
予想と違う言葉で答えたケイルに、シーリィは思わず笑ってしまう。
ケイルは再びシルビアを見た。
「あなたは、賭けの対象にされて不満かも知れませんが、言うだけで何もしないのですか?」
「なっ……」
「いえ。シルビアだけでなく、今この場にいる人達は自分の国の事なのに、なぜ動かないのですか?」
ケイルは並み居る諸侯を見渡していた。
「ゼンア騎士団が王都を攻めグラディアを滅ぼそうとしている事は、もうわかっているはずです。戦わずグラディアを明け渡すのなら、それもいいでしょう。ですが、小国には小国の誇りがあるのではないですか? それでもまだ、動かないのであれば……」
ケイルの腰が落ち、カタナを水平に構える。
「わたしが今ここで、グラディアを滅ぼし、ナセルの属領を宣言します」
「たった一人で、できるものか」
「出来ますよ」
気負いも無く、ケイルは言った。
「その通りですね」
同意したのは、以外にもシーリィである。
「この場には、グラディアの中心人物が揃っています。ナセルの騎士さまの強さは目にしたばかりですから、可能といえば可能ですね」
「戦いようがあるというのか。ナセルの騎士」
フィゲルが一歩前に出ていた。
「ありますよ。篭城戦に持ち込むんです」
「篭城戦?」
「ええ。ゼンア騎士団は、簡単に王都を落とせると思っています。つまり、城門が開いていると。だから、攻城戦の用意はしていません。篭城戦に持ち込めば勝機はあります。さらに言うと、ゼンアの軍師どのもいますので、国境から騎士団を連れ戻す時間は作れます」
「もし、ナセルの騎士さま。どうして私がグラディアに手を貸すのですか? 私はまだ、あなたの敵ですよ」
「あなたがわたしの敵になる事を、望んでいるようには見えませんが」
「そう見えますか?」
「わたしとの会話を、楽しんでいるようにしか見えないのです。だから、賭けです」
「意味がわかりませんが?」
「言いませんでしたか。あなたが敵でも望まないのであれば、攫って行くと。あなたは簡単に攫えませんので、賭けにするんですよ」
「本気で言っていたのですか。私を攫って行くと」
「ええ。あなたを連れ去るには、こういう方法しかありませんからね。それに、あなたの知略がなければ、グラディア騎士団を連れ戻すまで、王都は持ちこたえられないでしょう」
ふわりとシーリィは笑う。
なんと言う人だと思った。自分の予想外にいるケイルに、答える術は一つしかない。
「いいでしょう。あなたがグラディア騎士団を連れ戻せるのなら、私はあなたの妻になりましょう」
「えっと、シーリィ?」
「私を攫うのでしょう。なら、責任は取ってくださいね」
わかりました。そう言うしかなくなったケイルだった。
「近衛騎士団の指揮官どの。篭城戦の用意を始めてください」
「信用しろと言うのか、ゼンアの軍師を」
「出来ますよ。わたしの妻になる知略に長けた人です。そして、わたしは間違いなく、グラディア騎士団全員を、王都に連れ帰る事ができます」
ぽかんとフィゲルの口が開く。
「ケイル……人の趣味趣向をとやかくいう気はありませんが、その人は男ですよ」
全員の心を代弁するような声が、シルビアの口から出ていた。
「おや? 気が付いていないのですか。シーリィは女性ですよ」
「はい?」
再び全員がシーリィを見てしまう。中性的ではあったが、どう見ても男性にしか見えなかった。
そのシーリィは楽しそうに笑って言う。
「気が付いたのは、あなただけですよ、ケイル。ゼンアでも知っている者は、ごく僅かしいません」
笑いを引っ込めたシーリィは、ケイルを見て尋ねていた。
「それで、ケイル。私を妻にするのなら、間に合わない事を間に合わせないといけませんが、どうするのです?」
「聞こえませんか」
「?」
巨大な旗を打ち振るう音が響いてくる。少しずつ大きくなって行く音に、シーリィは首を傾げた。
「何の音ですか?」
「大変です!」
衛兵が一人、血相を変えて謁見の間に駆け込んでくる。
「飛、飛龍が! 降りてきます!」
謁見の間が騒がしくなって行く中で、平然としているのはシーリィである。
「ナセルの飛龍騎士、でしたか」
半ば呆れるようなシーリィに、ケイルは笑って首を振っていた。
「いいえ、今は違います。ナセルを追い出されましたので、ただの飛龍騎士ですね。と言う事でシーリィ、賭けはわたしの勝ちでいいですか」
「いいですよ。飛龍なら、間に合うでしょうから……まったく、あなたは策士ですね」
「そのぐらいしないと、あなたに対せませんよ。どうしても、あなたが必要なんですから」
ケイルは、シーリィに近付くと耳打ちしていた。
「一族郎党を連れて、ゼンアから脱出してください」
「本気なの?」
「あなたを妻にするのなら、あなたに連なる者も引き受けます」
ケイルはシーリィと離れると、シルビアに近付いている。
「シルビア。一緒に来て下さい。グラディア騎士団を止めるにはわたしではなく、あなたでなくては無理です」
真直ぐにシルビアは、ケイルを見ると頷いた。
今自分がするべき事を、何か理解していた。だがそれは、グラディアを滅ぼす事になるかも知れないと言う思いをはらんでいた。
それまで、なんの動きも見せなかった女王が、王座から立ち上がっていた。
「近衛騎士に命じる。その者達を捕えよ」
それが誰を指すのか、フィゲルにはわかっていたが、すぐには行動が起こせなかった。なぜ今この時に、そんな王命を出すのかと思ってしまう。
「陛下! なぜゆえあの者達を、捕えなければならないのですか?」
「グラディアの王たる我の命が聞けぬと申すか!」
「そうではありませぬ。陛下、あの者と飛龍がいなければ、いらぬ戦いで死者が出る事でありましょう。今、彼らの力はグラディアに必要なのです」
「それがどうした。グラディアの敵である事は明白。敵に頼るがグラディアの誇りか!」
「笑わせるな!」
叫んだのはシーリィだった。
ゆっくりと、シーリィは女王に近づいて行く。
「何も決めず、グラルの言う事を否定せず。流されるままにしたのは誰だ」
シーリィの冷たい声が女王を打つ。
「この状況を作り出したのは私ですが、私がいなくとも、グラディアはすぐに滅ぶ事になっていたでしょう」
シーリィの顔に冷笑が浮かんでいた。
「もはや、あなたが治めるグラディアはどこにも無い。その事さえ分からないのなら、女王を名乗る資格は無い」
何もいえなくなったのは女王だけではなかった。フィゲルでさえ、シーリィの気魄に気圧されたように黙ってしまう。
「グラディアもゼンアも、私にはどうでも良い事ですが、私はケイルが戻ってくるまで、グラディアの地を護りましょう」
さらにシーリィは一歩目に出た。
「シーリィ・オディスは、誰にも必要とされなかった。必要とされたのは、私が演じたキリアと言う人物。ゼンアでもグラディアでも! シーリィは必要とされなかった」
シーリィが自分の胸に手を当てる。
「私はシーリィ」
顔を上げると微笑んだ。
「私を必要としてくれるケイルのためなら、私の全てを持って答えるわ」
ゆっくりとシーリィは、ケイルを振り返っている。
「シーリィを必要と言ってくれて、受け入れてくれたのは、あなたよ」
「わかっています。わたしがそう望みました」
「後悔しないでね」
「しませんよ。ああ、そうでした。ちゃんと名乗っては、いませんでしたね」
ケイルは笑っていた。
そして、なんと言う女性だと思う。だから、自分が賭けを持ちかけてまで、傍に欲しかったのだと知ってしまう。
「わたしはケイル・シード。ナセル王国、銀月の騎士団所属の飛龍騎士です」
「シード……」
目を見張ったシーリィは、次の瞬間には微笑んでいた。
夜色の髪と瞳を持つ騎士の顔が、脳裏に浮かんでくる。その笑みは、ケイルと良く似ていた。
「あなたは、お父上に良く似ているわ」
「そうでしょうか?」
「はい。そう思います」
シーリィは頭を下げると言う。
「お帰りをお待ちしています」
それを聞いたケイルは、シルビアを促して飛龍レイダールの待つ中庭へと向かった。




