第13話
謁見の間で、並み居る諸侯を前にグラルは熱弁を振るっていた。
ナセル王国への進軍の準備が整い、戦いようによっては勝機は十分にあり、絶対的な兵力差があったとしても、負ける事もなくナセルの土地を手に入れられる。
小国のまま、他国からの侵略に怯える必要はないのだと。グラディアも小国のまま終る事は、絶対ないとまで言い切った。
反論が上がったのは、近衛騎士団長からである。
「戦いようによってとは、いかようにして戦うのか、具体的な策を教えていただきたい。具体的な策もなく、ただ勝機があると言われても、兵に失笑を買うだけであろう」
「私の言葉が信じられぬと、将軍は言われる。猛将と言わしめるフィゲル将軍の言葉とは思えぬほど、弱気ですな」
「詭弁だな、グラル公。戦いには、勝機と言うものがあると、ご存知か? 策を知っておれば、それを見極められる」
一歩前に出るフィゲルは、口先だけで誤魔化せると思うなと、全身で言っていた。
「将軍は、戦いたくないと言われる」
対してグラルは溜め息をついていた。
「なら、良いでしょう。将軍を近衛騎士団長の任を解きましょう。戦いたくない者が指揮官では、兵が無駄に死んで行く事になりますゆえ」
「なっ! グラル! きさま、初めからそのつもりだったか!」
「さて、諸侯においては、またとない機会を……」
フィゲルの言葉を無視したグラルの声が止まる。
蹴破られるように、謁見の間の扉が開いた。
振り返ったグラルは、そこに若い男とシルビア王女がいるのを目にする。若い男は、シルビアの手を引いて謁見の間を歩き、女王の前で止まった。
「門番が通してくれませんでしたので、少々手荒な真似をいたしました」
それだけ言うと若者は、一歩下がってシルビアを前に出している。
「母上! ナセルに攻め入る事はおやめ下さい。どんなに策をめぐらせようと、グラディアでは、ナセルに太刀打ちする事はできません……」
歯を喰いしばるような声で、シルビアは叫ぶ。
「グラディアは! 哀しいほど小国です!」
口を閉ざしたシルビアを、回りは冷ややかに見ていた。
「王女殿下は、心が弱っておいででありましょう。また、戦いと言う事の真理を知らないでおいでだ」
口元に笑みを浮かべながら、器用にも溜め息をついたグラルは言う。
「母上! お考えなおしを!」
グラルを無視して、シルビアは更に言い募っていた。無視されたグラルのこめかみと口元が、ひくひくと震えている。
女王はただ、シルビアを見ているだけでなにも言わなかった。その姿をシルビアは、悲しげに見た後、公然と顔を上げて言う。
「何も答えず何も決めないのであれば、女王としての責を放棄したとみなし、即刻の退位を要求する。グラディアの危機を見逃すような……」
「それではだめです」
ケイルがシルビアを止めていた。
「ケイル?」
「やっと納得しましたよ……」
ケイルはグラルの横に立つ若者を見ている。
「なぜ、グラディアなのか……また、会えると言いましたね」
「そうですね……」
答えた若者は、少なからず動揺していた。
分かるとは思っていなかったのである。しかし、ケイルの言葉は、自分の事を分かった上での言葉としか思えなかった。
まだ身体は本調子ではないはずであり、王宮に捕えられもせずに入り込んでくるような不思議な男である。
「ここに現れるとは、思っていませんでしたが?」
グラルは、思い出したように誰何した。
「何者だ。ここは許しがなければ入れない場所だ」
「あなたがここにいる事で、疑問が解けましたよ」
グラルの事は、初めからケイルの眼中になかった。
「そうですか。私はあなたに手懸かりを与え過ぎましたか?」
「キリル。その男は何者だ」
「いいえ、何も。ただ、あなたが何かしらの矛盾を抱えている事はわかりました。それも、今わかりましたよ」
ケイルもキリルもグラルの事は、眼中になかった。二人から無視されたグラルが、震える怒りとともに叫ぶ。
「衛兵! その男を捕らえろ!」
六人の衛兵が謁見の間に駆け込んできた。
眼の端に、その姿を捉えたケイルの口元に笑みが浮かぶ。
「舐められたものです。たかが六人程度で、わたしを止められると思っているとは……」
不遜までの言葉とともに、ケイルは自ら衛兵に向かって行った。
「わっ、馬鹿!」
影に潜んで状況を見ていたディアナは、思わず呟いてしまう。同時に短剣を引き抜くと、襲ってきた剣を受け流していた。
「誰、と聞くのは野暮ね」
襲撃者は、ディアナと同じような黒尽くめで、覆面で顔を隠している。
つまり、ディアナと同種の人間である。
一合二合とする間に、この男はそうとうの手練れであると気がついた。おそらく自分よりも場数を踏んでいる。
「ちっ」
舌打ちが洩れた。
とんでもない者が闇に潜んでいたものだと思う反面、ディアナの瞳が楽しそうに細められている。それを認めた相手が、感心したように瞳を細めた。
「踊りましょうか」
守りではなく攻めにディアナは転じていた。
滑るような足運びと、軽快な足運びが繰り返される。それはまさに踊るようであり、足の動きと手に持つ短剣の動きが見事に一致していた。
「名のある踊り手と見えるな」
初めて男が口を開く。
「特等席で観られる事を光栄に思いなさい。あたしの全力の踊りは、まずお目にかかれないわよ」
「腰を据えて観て見たいな」
「残念ね。この場では無理ね」
「では。止めて、改めてお願いしよう」
「なかなか魅力的な言葉ね」
ディアナの声が弾んでくる。
「止められるものなら、止めてみなさい!」
ディアナの動きが一気に加速して行った。男は目を丸くしながらも、ディアナの連撃を受け流し、あるいは受け止めて動きについていく。
影に潜む者同士が熾烈な戦いを繰り広げていた頃、ケイルは六人の衛兵を床に沈めていた。腰の剣さえ抜かずに体術のみである。
ゆっくりとケイルは、キリアに近付いて行くと回りを見渡していた。捕えられるはずの者が悠然と立っている事に、謁見の間は静まり返ってしまっている。
そんな中で、笑い声が聞こえた。実に楽しそうにくすくすと笑う声は、グラルの隣から聞こえている。
呆れてしまう強さを見せ付けたケイルに、もう笑うしかなかった。
「常識はずれの強さですね」
「一対多は慣れていますから」
とケイルは肩を竦めていた。
「そんな事よりも、ゼンアの騎士団が近くまで来ているのに、ここにいてもいいんですか。ゼンアの軍師どの」
前に一度、会っていた。
その時は父の護衛としてゼンア王国に同行していたのである。護衛であるため、キリアと直接話した事はなかったが、不思議と印象に残っていた。思い出したのは、シーリィと話している時である。
その時は気が付かなかったが、目の前に見て理解した。
「問題はありません。私だけなら、どうとでもなります」
「影に潜む、ですか。確かに彼なら、あなた一人ぐらい連れていても、ここから問題なく脱出できますね」
「……」
キリアは目を見張る。
キリアがシーリィであると分かっていると確信したと同時に、哀しく思えてくる。キリアの姿で、ケイルと会いたくなかったというのが本音だった。
誰も、ゼンアでもグラディアでも、キリアとシーリィが同一人物とは気がつかなかったにも関わらず、ケイルは気がついたと言う事である。
「ケイル。どう言う事ですか?」
シルビアが戸惑いつつケイルに尋ねていた。
すーとケイルの手が上がり、グラルを示すと言う。
「ゼンアに躍らせられた人です」
「え?」
「自分がグラディアを滅ぼす事に、手を貸しているとは思っていない。考えてもいないでしょう。グラディアを手に入れられるとでも、思っているのでしょう」
「何を言っている。私が踊らされている? グラディアを滅ぼす? 馬鹿な事を言うな」
「ケイル。何の事を言っているの」
「三日ほどで、ゼンアの騎士団が王都に着きます」
覚えていますかと、ケイルはシルビアを見た。
「グラディアの兵力のほとんどが、ナセルとの国境付近に集結している今、王都の守りは近衛隊のみでしょう。ゼンアにとってはまたとない機会です」
「どこでゼンア騎士団の事を知った。まあいい……」
忌々しそうにグラルはケイルを見ると、謁見の間を見渡して言った。
「ナセル攻略の援軍として、私が秘密裏にゼンアと交渉して派遣してもらった。これこそが、ナセルに勝つ策です」
その姿がケイルには、滑稽にしか見えない。
「馬鹿ですか、あなたは」
呆れた声が出てくる。
「ゼンアがグラディアに手を貸す利がありませんよ。いえ、ありましたね……」
「それは?」
尋ねたのはシーリィだった。
「ナセル攻略の橋頭堡の確保。つまり、グラディアの地を手に入れるため、ですか」
「よくわかりましたね」
「誰でも分かりますよ。ゼンア騎士団がいなければ、ただの王座を狙う内紛です。兵力が王都にいない時を狙うかのように、ゼンア騎士団が王都に近付く。わたしが指揮官でも、この機を逃す事はしません……いえ、違いますね」
ケイルはシーリィを見た。頭の切れると分かっているシーリィがここにいる事で、これがゼンアにとって好機と言う事ではないと感じる。
「初めから計画されていた事、ですね」
「否定はしません」
「ケイル!」
強い口調でケイルを呼んだのはシルビアである。
「これが」
とケイルはシルビアを振り返った。
「今、グラディアに起こっている事です。シルビア」
「きさま! キリア、私を裏切ったのか!」
グラルがシーリィを振り返っていた。
心外とでも言うように、シーリィは肩を竦めている。
「裏切ってはいませんよ、グラル公。私は公を利用しただけです。ゼンアが望むように」
「きさま!」
グラルが腰の長剣を引き抜いた瞬間、ケイルも腰のカタナを引き抜いていた。グラルの抜き打ちを、ケイルは抜き打ちで受け止めている。
「ちょっと、待て」
黒ずくめの男がディアナを止めた。
「それで止まるとでも?」
「状況が変わった。あんた、あの男と関わりがあるのなら少し待て」
「どう言う事?」
「俺はあの男の後ろにいるお方の影だからさ。あの男があの方を守るのなら、俺は手を引く」
短剣をかまえたままのディアナは、用心深く男を見る。ディアナが戦闘態勢のままにも関わらず、男は短剣を納めてしまった。
「死にたいの?」
「いいや。ただ状況をみたいだけだ。それによっては、グラディアから脱出する」
「あんたをここで倒しておいた方が、後々面倒がないように思えるんだけど?」
「そうかもな」
そういうと男は、顔を隠す覆面を取って名乗った。
「俺はオディス家を主と仰ぐ影の一族『オルディ』のテイガン」
ぽかんとディアナは、テイガンを見てしまう。
影に潜む自分達が素顔をさらし、一族の名とともに名乗る事は無いと言えた。
「あんたも影の一族なら、この意味がわかるだろう」
「馬鹿なの」
「それはひどいな。あんたを信じさせる自信が無いから、身を明かした」
苦笑を浮かべるテイガンに、ディアナは短剣を納めて近づいた。
「なかなかいい男ね、オルディのテイガン」
その言葉を承諾と受け取ったテイガンは言う。
「では少し待ってくれ。どうなるか見ておきたい」
「いいわ。休戦しましょう」
ディアナとしても、気にはなっていたのである。
「まったく、あの騎士さまは何を考えているんだか……」
「同感だな。なかなかの手練れとは思うが……」
「テイガン」
ディアナが呼ぶ。顔を向けてくるテイガンに、ディアナは笑って見せた。
「あたしは『闇の幻影』のディアナ」
「……」
答えようが無い。
『闇の幻影』は、どこの国にも属さない影の一族として有名だった。このクナーセル全土に拠点を持つとまで言われる一族である。
テイガンが答えられなかったのは、その事に驚いたからではなく、ディアナが素顔を晒していたからだった。
「この意味、わかるわね」
意味深な言葉が、テイガンを戸惑わせる。
影の一族が素顔をさらすのは、相手に降伏を意味する。が、相手も素顔を晒す事は、ともに行動すると言う事に他ならなかった。




