第2話 ライの策
「どうですか?」
問いかけてくるフィアンナにライは笑っていた。
「楽しいですね」
流れて行く眼下の景色、身体が感じる風を切る感覚、新鮮であり楽しく感じている。
ライは、飛龍の背に乗って空を飛ぶ体験をしていた。
「それは良かった。少し振り回しますから、しっかりと捕まってください」
フィアンナの言葉でライは、後ろから抱きしめるように腕を回す。
途端に天地がひっくり返り、大地に向けて落ちて行った。
降下から水平に移り再び上昇して行く途中で回転を加え、上昇が終わると旋回に入りゆったりとした滑空になる。
飛龍が飛ぶ事を楽しんでいるようだった。
一夜明けて、フィアンナはライを連れて移動を始めた。
ライをそのままにして別れる事は、見捨てるようでできなかった。さらに言えば、このまま別れてはいけないと、フィアンナは感じていたのである。
ライを連れて行く事にロンバルは反対したが、フィアンナは自分の直感を信じてライを連れて行く事を頑として譲らずに、自分の飛龍の背に乗せたのである。
フィアンナ達が向かっているのは、国境に近いリソリア城だった。
ナセル王国の飛龍騎士は、現在六十人ほどで二十人ずつの三隊に分かれている。各騎士隊は交代で国境付近の城へ遠征する事が慣例となっていた。他国への牽制と、万が一にも他国が侵攻してきた時の備えでもある。
リソリア城は、隣国クランとの国境に造られた防衛の城であり、ナセル王国のリソリア騎士団七百人が常駐していた。
城主は団長も兼ねるエンパート・リソリアが勤め、王国の騎士団長の中では若手に入り三十を超えたばかりである。
ナセル王国の城には、他国には無い施設が造られていた。飛龍が舞い降りるための広い中庭と飛龍舎と呼ばれる建物がそれである。
城外に施設を造れば、攻撃の目標にされる事はわかっていた。それを避けるためでもある。戦闘ともなれば、飛龍は稀有な戦力になるからだ。
二十騎の飛龍が舞い降りると、城内の騎士達から歓声が上がる。
「よくぞお越しくださった。フィアンナさま」
飛龍の背から降り立ったフィアンナに、城主でもあるエンパートが近付いていた。笑顔ではあったが、その瞳は少しも笑っていない。
何かあるとフィアンナは感じ、城内も少し張り詰めたものが伺えた。
「お疲れのところ申し訳ないが、ロンバルどのとこちらへ来ていただけますか」
解りましたと頷いてフィアンナはライを見る。
「ライ。あなたも来てください」
フィアンナと同じものを感じていたライが驚いた。なぜ自分までもが呼ばれるのか、理由がわからない。
「部外者がいてもいいんですか?」
「あなたは良いのです。それに、この場に残っても戸惑うだけでしょう」
「おっしゃる通りですが……内輪の話ならわたしが居る訳にはいかないでしょう」
ライの言葉にフィアンナは、やはり気がついていたと思う。隣のエンパートは驚いて、ライを警戒するように見てしまった。
「それが解っておいでなら、一緒に来てください」
「フィアンナさま?」
エンパートが問いかけるように見る。
「感の良い方をそのまま出来ますか、リソリア卿」
「わかりました。そうおっしゃるのなら、許可しましょう」
フィアンナ達が通されたのは、城の奥にある一室で四方を石壁に囲まれ、光を取り込む窓が高い所にあった。
「ここで見聞きした事は他言無用」
念を押すようなエンパートにライは黙って頷いた。
「クランの軍勢が、我が国に向けて進軍を始めたとの報告が、昨日ありました」
「クランが……」
「ここに現れるまで、あと二日です」
「宣戦布告はありましたか?」
「ありません。現在、防戦の準備を始めているところです」
「この時期にクランが侵攻するのは、どうしてでしょうか?」
フィアンナの問いかけにエンパートは首を振る。
収穫期前の暗黙の了解とも言えるこの時期に、他国への侵略が行われる事は今まで一度もなかった。
それを押してまで侵攻して来る事はそれなりの覚悟がいる。
問題は、どれほどの兵力で侵攻して来るかだった。
「クランの兵力は判っているのですか」
「およそ七千になるかと」
「七千、ですか。クランの兵力の三分の二に近い……」
国内の兵力を全て侵攻に向かわせる事はない。
つまり、動員できるクランの全兵力とも言えた。
それだけの兵力を用いてまでナセルへ侵攻して来る事は、何がなんでもナセルを陥落させる気である事は、疑いようの無い事である。
「増援は要請していますね」
「昨日の内に早馬を出しています。が、到着するのは早くても、戦闘が始まって二日後になるでしょう」
わかりましたと頷いてフィアンナは言った。
「飛龍騎士隊は、リソリア城防衛戦に参戦します」
「ありがとうございます。飛龍騎士隊の参戦ほど心強い物はありません」
エンパートはフィアンナに目礼をしていた。
「篭城戦になりますね」
「その通りです。敵は我々の十倍、厳しい戦いになるでしょうが、リソリア城が壊滅したとしてもクランの侵攻は止めて見せます」
「落とされるわけにはいきません。その事は陛下もご存知でありましょう。必ず援軍は来ることでしょう。その間、クランの足止めが出来れば我々の勝ちです」
二人の話を黙って聞いていたライは目を丸くしてしまう。
十倍と言う兵力差を、篭城戦と飛龍で乗り切ると言うのだ。
篭城戦において十倍の兵力差は、運が良ければ勝てるといえるほど、篭城側が不利なはずである。そして、増援がくるまでの二日間をしのげば勝てると言うほど、戦いは甘くない事も知っていた。
どうするかと考えていたライを、フィアンナが呼ぶ。
「あなたは馬に乗れますか?」
頷く事で肯定するとフィアンナは言った。
「では、馬を一頭差し上げますので、リソリア城から離れてください。私達の戦いにあなたを巻き込む事はできません」
「できませんよ」
自然とライの口から、その言葉が出てしまう。
「わたしはあなたと、あなたの飛龍エンダルアに命を救われたんですよ。言わば命の恩人です。そのあなたを置いて、わたし一人が逃げるなんて無理です」
「せっかく拾った命です。無駄に散らしてはよくはありません」
少し呆れたようなフィアンナの言葉に、ライは苦笑してしまっていた。
それは、全滅しないまでもほとんどの騎士が、死ぬ事になると判っているからこそ言える言葉である。フィアンナを死なせる訳には行かないと思っていた。
そして、ライは少数で多数を相手にする方法を知っている。飛龍と言う稀有な戦力があれば、より有効的になるはずだった。
自分がそこまで関わっていいのか、それが判断できない。
しかし、言葉が出ていた。
「篭城戦を行えば、そうなるでしょう」
「えっ?」
一度口に出した言葉を止める事はできない。
「フィー、篭城戦はだめです。篭城戦では増援が来る前に全滅します。十倍と言う兵力差はそう言えるはずですよ」
「ライ……あなた……」
「兵法ではなく、誰もが知っている単純な事です。相手を倒すのなら、相手よりも圧倒的な物量を持ってあたることです」
優しげな物腰と口調だが、そこに含まれているのは、戦う事を知っている者が見せるものと同じだった。
「篭城戦は後でいいはずです。まずは、打って出る。そして、相手の数を減らす」
「バカな事を言うな! 相手は七千だぞ! たかが七百では数を減らすどころか、あっという間に全滅する」
「篭城しても全滅。打って出ても全滅。勇猛さを示すのなら、打って出て全滅すればいい。わたしは勇敢に命を散らすのが、騎士と言う者達と聞いていましたが」
「ぐっ……」
エンパートが言葉に詰まる。
「無駄に命を散らすのは騎士の名折れになります」
真正面から見つめてくるフィアンナの顔は怒っているようだった。
「命を惜しむのは、名折れにはならなのですか」
「ライ!」
「きさま! 騎士を愚弄するのか!」
叱責を含んだフィアンナと、奥歯を噛みしめて、怒りを押し殺すような声のエンパートだった。それでも押さえきれないのか、右手が腰の長剣の柄にかかっている。
「では、七百で七千を討てますよ」
あっさりと言われた言葉に、フィアンナとエンパートの顔が怪訝そうに変った。
「本気で言っているのですか?」
「ええ、もちろんです」
「どうやって?」
「七千を相手にすれば、七百程度ではあっという間に呑み込まれます」
「そんな事は言われなくとも解っている!」
エンパートの叫びに、ライは笑って言った。
「では、七百ならどうです?」
「ふざけているのか、きさまは!」
「別にふざけてはいませんが?」
首を傾げたライは続ける。
「戦闘において勝利を手にするには、相手よりも多数でかかれば良いと言う事です。何も七千を一度に相手にする必要はないはずです。自分達よりも少数を相手にすれば、敵が多くても時間はかかりますが勝てます」
淡々と言うライに、フィアンナとエンパートは呆れそうになった。
同数の戦闘なら、敵を分断し各個撃破に移る戦法はあるが、それを十倍の兵力差で行う事は物理的に無理がある。
不可能な事を口にしているとしか思えなかった。
「バリスタは用意できますか?」
「バリスタ? 何でしょう」
聞いた事の無い名称に、フィアンナとエンパートが首を傾げた。
「人の背丈の三倍ほどある弩なんですが……知りませんか?」
「聞いた事はありません」
うーんと頭に手をやるライは、どう説明すればわかりやすいか考えているようである。
「構造的には……弩を巨大にした物と同じと思ってください。で、それで打ち出す矢も巨大になると」
「それだと誰も引けなくなるのでは?」
想像しているようなフィアンナは、首を傾げるように言った。
「弦に縄をつけて巻き上げるんです。城門の落としを上げる方法と同じ方法と思ってください。それで巻き上げて止める。打ち出す時は止めを外せば、一気に弦が戻って矢が放たれると言う事です」
「巨大な弩の事をバリスタと言うのですね」
納得したように頷いたフィアンナである。が、すぐに聞き返していた。
「それで何をするつもりです?」
「クランが侵攻してくる前に、最低でも四つほど作れませんか?」
フイアンナの問いかけに答えずに、ライは尋ねていた。
フィアンナがエンパートを振り返る。
「リソリア卿、どうでしょう?」
「作れといわれれば作りますが、そんな物が役に立つのか?」
半信半疑というより、疑わしそうなエンパートだった。
「必要です。出来なければ全滅するだけの話です」
肩を竦めるライだった。そして、フィアンナを見る。
「フィー、飛龍はどのぐらいまでの重さなら運んで飛べますか?」
問われたフィアンナは、意味が解らずにまた首を傾げてしまった。
「網に石を詰めて、どのくらいまでの重さなら飛べますか?」
「石を詰めて、ですか……」
まだ理解していないようである。
「拳ほどの大きさの物なら、どのくらいの量まで運べますか」
考え込んでいたフィアンナは、しばらくそのままであったが、やがて首を振って答えた。
「解りません。かなり重い物でも運ぶ事は出来ますが、実際には試した事はないので……」
「あとで試してください。それから、油はありますか?」
「油は常備品だ」
憮然とエンパートが答える。
では、とライが笑った。
「こんな方法はどうです?」
バリスタと飛龍が石を運べる事を前提に、ライは防衛戦の戦術を話し始める。話を聞くにつれ、フィアンナとエンパートの顔が真剣になっていた。
「と、言う事です。どうでしょう?」
一通りの戦術を聞いたフィアンナとエンパートは、呆れ顔でライを見てしまう。よくもまあ、そんな方法を思いつくものだと感心していた。
「飛龍は戦場に姿を見せるだけで脅威になります。だから、それ以上の事をすればいいんですよ。より脅威と思える事をすればね」
「リソリア卿、ライの策を実行しましょう」
決断したフィアンナが、エンパートを振り返っていた。
「ですが、一歩間違えばクランを足止めするどころか、こちらが一瞬で全滅します」
確かにその危険性はあると、フィアンナも同意していたが……。
「それでも、このまま篭城戦に持ち込むよりは、試す価値はあると思いますが」
ライの策を実行すれば、援軍が到着するまで持ちこたえられると思えた。
「それは、そうですが……」
渋るエンパートの心情がよく解っていた。
今まで試した事の無い方法であり、上手く行くとは限らない。それに、篭城戦の方が経験も実績も豊富にあるからだ。
なによりも、どこの者とも知れない男が示した策を、あっさりと認める事は誰にも出来ないはずである。これが名のある者の示した策ならば認めていたはずだった。
自分もそうだったとライは思う。
素人に毛の生えた程度の男が行動でそれを示し、それでも認めるには時間がかかった。
しかし、その男の事を認めれば、その男の違う面が見えて、面白い男だと思うようになったのである。それだけは一族に感謝すべき事だった。
その男の戦いに、最後まで付き合えない事は残念ではあるが、今の自分がそれを言っても意味が無い事は理解していた。
だから、ライは肩を竦める。
「認められないのは、自分の矮小さを示すだけですよ」
「きさまぁ!」
「愚弄されたと思うのなら、わたしの示した策を実行してください。それだけの度量を、わたしに見せてください」
「よかろう。きさまの策を実行してやる」
フィアンナは、頷いたエンパートを呆れるように見てしまった。そして、上手くエンパートを乗せたライを不思議そうに見てしまう。
それからのエンパートの行動は早かった。
すぐにライの言うバリスタの製作を始めさせる。フィアンナもまた、飛龍が運べる重さを調べるために行動したのだった。
一日もあればバリスタは出来上がる。
城壁の上に設置されたバリスタの試射は、ライが思っていたよりも飛距離が短く、改良するには時間的な余裕が無かった。
そこでライは、もう一つ小細工なる物をエンパートに示す。
今度は問答も無く、すぐに実行された。
準備が終った夜更けに、フィアンナがライの休む部屋を訪れる。
「ライ、少しいいですか?」
「かまいませんが、こんな夜更けにどうされました?」
「少し尋ねたい事がありましたので……」
「何でしょう?」
部屋へ招き入れながらライは言った。
「あなたは……」
そう言ったきりフィアンナは、少し迷っているように言葉を止めている。
何者なのかと尋ねたかったが、それを尋ねても意味の無い事であると理解はしていた。しかし、知りたいと思う心はある。なぜそう思ってしまうのか、自分でも気になっていた。
黙って見つめてくるフィアンナに、ライは何を思ったのか近付いて抱きしめる。
「なっ、なにを……」
驚くフィアンナの唇を奪っていた。
あまりの事にフィアンナの身体が硬直する。が、次の瞬間、ライを押しのけると平手打ちを放っていた。
ほほを押さえたライは苦笑を浮かべる。
「夜更けに男の部屋に訪れるのは、こう言う事ではないのですか?」
「私は、私はそんな女じゃありません!」
叫んでフィアンナは部屋を出て行った。
残ったライはほほを押さえたまま、ベッドへ腰を降ろすとため息を付いてしまう。
「まいったな。惚れてしまったようだ……」
呟くライの顔は笑っていた。そう思える女性と今まで出会った事はない。そう思える事がライには嬉しかったのである。
部屋の外の壁に背中をつけて、フィアンナは自分の唇をそっと押さえてしまう。胸の高鳴りと、キスされた事が嫌ではなかった事に気がついて愕然とした。
さらには、はぐらかされたと言う事に気が付く。
尋ねる前に出て行かなければならないようにした。あのままではライの傍にはいられなかった。
「私は、とんでもない男性を、助けてしまったのかも知れない……」
呟くフィアンナは、それが事実を示している事に気がついていなかった。そして自分が微笑んでいる事にも気が付いてはいない。
ではまた、次回をお楽しみに