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ともに歩は 漆黒の騎士~フリオニア大陸物語  クナーセル編~  作者: 樹 雅
第2章 ともに歩は 飛龍の騎士
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第10話 


 翌朝、ケイルはベッドを抜け出して庭に出ていた。

 手入れの行き届いた庭で、手近な木の幹に背を預けて座る。昨日、レイダールに見せられものは、グラディアで起きている事の結果だろうとわかった。

 考え込みそうになるケイルではあったが、晴天に恵まれた朝日と、背を預ける木に止まる小鳥の囀りは、ケイルに笑みを浮かべさせていた。

 久しく味わっていなかった穏やかな朝は、忘れかけていた感覚を思い出させる。

 まだ、ほんの八年前の事なのに、大昔の事と思える事が懐かしくなっていた。目まぐるしい変化があった八年であり、思い返せば走り抜けてきた日々である。

 今のようにのんびりとした時は、剣を教わる前にしか味わっていなかった。本当に久し振りなのである。


「ここにいたのですか、ケイル」


 息を弾ませたシーリィが、ケイルの前に立っている。目を細めてケイルは、シーリィを見上げ思う。

 美しい人だと、そして頭の切れる人だとも。

 だからわかってしまった。

 自分と同じような矛盾を抱えているのだと。

 それを抱えてもなお、前に進む強さを持っている。好ましいと思う心が、シーリィを腕の中に入れてしまいたいと言う欲求になり、腕を上げかかけていた。

 行動に出れなかったのは、身体がまだ本調子ではなく腕をあげる事ができなかったからである。その動揺を内心驚きつつもケイルはつとめて平静につとめていた。


「おはようございます。シーリィどの」

「まだ、動かれてはいけません。無理をする事は身体に良くはありませんよ」

「無理はしていません。ゆっくりと動きましたし、外の風と日の光に当る事は、身体に良い事なんですよ」

「そうでしょうか?」


 疑わしそうなシーリィに、ケイルは笑って頷いていた。

 ふとシーリィはケイルを見て首を傾げる。

 昨日とは顔つきが違っていると思えたのだった。意志の強そうな瞳は同じだったが、全体的に柔らかな感じがしている。


「それにしても、何を見ていたのですか?」

「空です」

「空?」

「ええ。わたしは昔から気が滅入った時や、疲れた時は空を見ていたんです。何もない大きな、ただそこにある空を。ね」

「そうですか……」


 シーリィはケイルの横に座ると、木の幹に背中を預けて空を見上げる。

 ふとシーリィは、ケイルの肩に頭を乗せようとして止まる。

 動揺が心臓の鼓動を早くした。自分が、人を欺き利用してきた自分が、こんなにも小娘のようになっている事が信じられない。それを隠すように、シーリィは雲一つない青く澄んだ空を見ていた。

 ただの空なのに、不思議とシーリィの心に染み込んできた。


「おかしいですね。ただの空なのに、なんだか穏やかになってくるようです」

「それが自然と言う大きさなんでしょう……」


 二人してしばらく空を眺めていたが、ケイルは呟くように言う。


「シーリィどの……」

「なんでしょうか?」

「グラディアは滅びます」


 とうとつなケイルの言葉にも動じずにシーリィは、尋ね返していた。


「なぜ、そう思われますか?」

「王女が殺されかけた事、女王が何もしない事、一公爵であるグラルが国の政事を好き勝手にしている事。そして、ナセルへ戦争を仕掛けようとしている事。まわりの国にとっては、グラディアが邪魔でしょう……」

「だから、グラディアは滅ぶと?」

「ナセルはこの八年で、ゼンアと並ぶ中堅国になっています。対してグラディアは小国のままです。このままナセルと戦争になっても、グラディアに勝機はありません」


 二人とも空を見上げたまま、静かな声だった。


「小国には小国の誇りがあります。ナセルが攻め込むようなら、迎え撃たなければなりません。」

「そうですね。国の誇りは民の為でもあります。それを忘れて、己の私欲に走るのなら、国は滅ぶべきです」

「ケイル?」

「グラディアは、いった誰に滅ぼされるのでしょうね……」


 真直ぐ静かな瞳で、ケイルはシーリィを見ている。


「あ……」


 その瞳に耐えられないように、シーリィは顔を背けてしまった。

 あまりにも静かな瞳が怖かった。

 感情の起伏が少ないのではなく、ただありのままに受け入れる事が、できる人間なのだと気が付く。

 底が見え無いのではない。ありのままに受け入れられるからこそ、底が無いように見えるのだ。

 だから、シーリィにもわかってしまった。

 ケイルも自分と同じような矛盾を内に持っていると。

 人の行動を予測し制する事に慣れている自分が、ケイルの行動に驚かされている。

 そして、もっと驚かせて欲しいと思い始めている事に胸が高鳴る思いがする。初めてこの男の事を、もっと知りたいと欲が出てきた事に戸惑い始めていた。


「あなたは……何者ですか……」


 再びシーリィは、ケイルに顔を向けると尋ねていた。


「昔、ただ護られるだけの子供が居ました。その子供は純粋に護るための力、武力が欲しくて、ある剣の使い手に弟子入りを願い出ました」


 苦笑のような笑みが、ケイルの口元に浮かぶ。


「力と言うものを知らなかった子供は、その剣の使い手に『護る事は奪う事と同じ』だと教えられました……」


 ケイルは自分の手を見た。


「剣を学び始めてすぐの事でした。わたしの師は、その事を目の前で実践したのです。いえ、そう言う状況が起きてしまいました。初めて目にした師の剣技は、師の本気の姿は、衝撃的でした……」


 あの時の事を思い出すと、今でも身体が震えてくる。あの時の恐ろしさは、生涯忘れることはないだろう。

 震える身体が、そっと抱きしめられた。


「護るための力は手にしましたが……」


 苦笑らしきものがケイルの顔に浮かぶ。そして、シーリィに抱きしめられている事で、身体の震えが治まり始めていた。


「わからなくなりました……何のための力なのか、何を護るのか……」

「騎士は国のために戦うのではないのですか。あるいは民のために」


 震えるケイルを抱きしめている事に、優しい声が出ていた事に、シーリィは内心驚いている。こんなにも自分が、女らしい行動ができるとは自分でも知らなかった。


「そうでしょうね。騎士なら、その通りでしょう。ですがわたしは、それすらも信じられなくなっていたんですよ。国や民の為に戦う事が騎士なのか、わからなくなり……だから、師はわたしに騎士資格を返上させたんです。わたしに、もう一度……」

「もう一度……?」


 間近にシーリィの顔がある。


「何のために力を手にしたのか、思い出させるために」

「それで、思い出せましたか?」

「まだです。まだ、わかりません」


 優しい微笑を浮かべるシーリィに、ケイルは答えていた。


「わからないから、わたしはここに居ます」


 そして少し笑う。


「おかしな事ですね。なぜ、わたしはこんな話をあなたにしたのでしょう。あなたは、不思議な方です。シーリィどの」

「私に心が惹かれているからでしょう。私にご自分の事を知って欲しいという事でしょう」


 抱擁を解いてシーリィは言った。

 逆なのは、自分でもよく分かっている。ケイルなら、ありのままの自分を受け入れてくれるのではないか、と言う思いが湧き上がってきた。


「そうなのでしょうか……」

「そうですよ。そして、私も少し嬉しく思います」

「?」

「ケイルが私に話すことで、少しでも心が軽くなるのなら。私でも誰かの役に立てる事が嬉しいのです」


 シーリィは、誰にも必要とされていない事を知っている。

 必要とされていないからこそ、シーリィは矛盾を抱えていた。そのシーリィをありのままに受け入れてくれそうなケイルに、心が跳ねる思いがしている。

 それがまた、矛盾している事に気が付いていなかった。


「ここにおられたのですか、お二方」


 笑いを含んだ声で、テイガンが近付いてくる。


「天気も良いですし、朝食は外にしましょうか」


 そう言うとテイガンは、屋敷にとって返した。

 ケイルとシーリィは黙って見送ったが、あっという間にテーブルと椅子が用意され、食事の用意が整い始めると、笑い始めてしまう。


「ケイル。たまには外での食事も楽しいでしょう」

「同感です」


 シーリィは立ち上がって、ケイルが立ち上がるのに手を貸すと、支えるように歩いて用意されたテーブルに近付いた。


 青空の下での食事は楽しいものだった。

 その余韻は、優しい時が流れていくようである。が、それは長く続く事はないと、ケイルもシーリィも知っていた。

 今この時だけ、そう思うのはケイルもシーリィも同じである。


「シーリィどの。王都より四日、東に行くと何がありますか?」

「何、といわれましても……」


 ケイルの問いかけに、シーリィは困惑を隠せない。


「街や村はありますか?」

「リラハリと言う街があります。あとは草原が広がる静かなところですが、それが?」

「草原、ですか……」

「それが、どうかしたのですか?」

「概算で一万と五千ほど、ですか。ゼンアの騎士団がいますよ」


 瞬間的にシーリィは凍りついた。

 時間的にそのあたりに、ビイザ将軍率いるゼンア騎士団がいるはずだった。ケイルに、知りえる方法は無かったはずである。

 動揺が口を滑らせた。


「なぜ、ゼンア騎士団と……」

「南から西にかけて国境を接しているのはナセル。北は山岳でどことも接していません。東はゼンアと接しているからです。西のナセルはグラディアに兵を進めたとしても、王都の東側にはなりません」

「回り込めば、ナセルでも王都の東側になりますが」

「意味がありません」

「意味が、ない?」

「侵攻戦は速度が重要です。わざわざ周り込んでまで、移動する事ではないですよ。そして、そんな指揮官なら、苦戦する事はないですね」

「……」


 静にケイルはシーリィを見ている。


「これが、グラディアが滅ぶ理由です」

「理由が無ければ滅ばない?」

「いいえ。理由が無くとも、いつかは滅ぶでしょう。ナセルやゼンアも、例外なく。ただそれは、人の手で早める事はできます」

「ケイルはゼンア騎士団が、どう動くと見ていますか?」

「二通りは考えられます」

「それは?」


 シーリィは微笑んで尋ねていた。

 どこまでケイルが、近付いているのか知りたいと思うからである。ケイルが知りえている事が、それでわかるはずだった。心惹かれそうになっている男が、どれほどの者か知りたいと思う。


「一つ目は、グラディアがナセルに侵攻する為に、ゼンアと手を組んだ。数で劣るグラディアには、心強い援軍でしょう」

「もう一つは?」

「もっと簡単です。ゼンアが、グラディアを滅ぼすためです。どちらにしても結局、グラディアは滅ぶ事になるでしょう」

「それで、ケイルはどうするのです?」

「さあ?」


 肩を竦めたケイルに、シーリィは呆気にとられてしまう。

 ここまでわかっているにも関わらず、何の行動も取らない事が不思議に思えた。


「何もしないのですか?」

「どうなんでしょうね」


 他人事のようなケイルに、シーリィはなぜか苛立つ思いがしてくる。


「どうして、なにもしないのですか! あなたは、そのための力を手にしているのでしょう!」

「シーリィどの?」


 強い口調のシーリィに、ケイルは戸惑い、シーリィは口を閉ざして顔を伏せていた。


「すみません……」

「気にしなくてもいいですよ」 


 ケイルは立ち上がると、空を見上げる。


「あなたの言う通りです」

「ケイル……」


 顔を戻したケイルは笑っていた。


「わたしにも、まだ出来る事がありました」


 思い出す。

 何のためにグラディアに来たのか。

 シルビアとグレイスの真意を、まだ聞き出していない事。何をどうするのかは、その後でも良かった。

 それが自分の探す道になるかはわからないが、今のケイルにとっては、立ち止まったままよりは意味のある事に思える。


「ありがとうございます、シーリィどの。午後にここを立ちます」

「早すぎます。せめてもう一日休んでください」

「おかしな方ですね。動けと言ったり、休めと言ったり」


 微笑んだケイルに、シーリィは顔を赤らめてしまった。

 それで自覚してしまった。

 ケイルに惹かれ始めているのではなく、惹かれているのだと。

 シーリィをシーリィとして見てくれる男は、今まで誰も居なかった。だからかもしれない。気が付けばシーリィは尋ねていた。


「ケイル……私があなたの敵であれば、どうします?」

「あなたがそう望むのであれば、戦うでしょう。ですが……」


 シーリィを見て、ケイルは続けた。


「望まないのであれば、攫って行きましょうか?」

「意味が分かっていて、言ってるのですか?」

「もちろんです」


 真面目に頷くケイルに、シーリィは。


「ふっ……ふふふ。あなたは……」


 笑ってしまった。

 予測していた答えのどれでもない答えを返す男に、始めて出逢った気がする。


 自分の予測を裏切る男は、敵にはしたくは無かった。なぜなら、勝てる自信が無いと知っていた。



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