第8話
グラディア王都は向かう道は、街道と山越えの二つの道があるが、ケイル達は山越えを選んでいた。これまでの事から街道沿いには、追っ手がいると予測される。
そうは言っても山越えが安全とも限らなかった。街道でケイル達に会えなければ、当然のように山越えの道しかないと彼らも知っている。
「結局は、誰も味方には出来なかった……自分の力の無さがいやになるわ……」
「シルビアさま。それはシルビアさまに力が無いのではなく、グラデイアの貴族達が日和見だからなのでしょう。実権はグラル公が握っており、女王陛下がグラル公を諌める事もない。貴族達にとって、どちらに付く方が得策か。あるいは何もしない方が得なのか、そう考えているのでしょう」
「私が男なら、違っていたでしょう」
「そうとも言えませんよ」
ケイルがそう言うと、シルビアとグレイスが顔を向けてきた。どう言う事かと、尋ねたい顔である。
「あなたが男として生まれたら、今のあなたとは同じではない。という事ですよ」
理解できないように、首を傾げるシルビア達にケイルは言った。
「今と同じ状況になったとしても、男ならわたしと出会う事もなく、グラディアで死んでいた事でしょう。そして、国を出る事など考えもしなかったと思います。そのグラル公は男であるあなたを、野放しにするような甘い人ではないと思いますよ」
「そうね、その通りかも知れないわ。女だから対応が甘かったのかも、だから私は生きている。か」
納得したようなシルビアは、次の瞬間には笑い始めている。
「女である事を幸運と思う事にするわ」
「それがいいですよ。わたしが……」
ケイルが口を閉ざした。
「ケイル?」
不審そうなシルビアに、答えなる事もなくケイルは前を見ている。
少し先に吊り橋があり、右側は急斜面で木々が生い茂り、左側は切り立った崖で下は水の流れる川になっていた。
「シルビア。戻りましょう」
「ケイル?」
静か過ぎた。
川の流れる音、木々のざわめきは聞こえている。が、動物の声が、鳥のさえずりが聞こえてこなかった。
ケイルは自分達のいる場所が、待ち伏せに最も適していると、遅まきながら気が付く。橋の向こうは開けた場所ではなく、見通しの悪い曲がり角になっている事で気が付くべきであった。
ケイルは臍を噛む。
判断が遅かったと知るには時間は要らなかった。
三人が立ち止まってすぐに、右側に木々の間から兵士が走り出てきたのである。その数、およそ五十。これでケイル達は退路を絶たれた事になった。
「ケイル!」
「待ち伏せです!」
「橋を渡りましょう」
「だめです。向こう側は、もっと居ます」
「こっちを蹴散らしますか」
「それしか……」
「待ってください」
ケイルが止める。
現れた兵士は盾を並べ、道を塞いでいるが前進してこない事で気が付いた。
「後ろです」
ケイルの言葉で、シルビアは振り返る。
「なっ……」
吊り橋の向こうから渡ってくる騎影が見えた。逆光にもかかわらず、先頭の騎士の顔がシルビアには分かってしまう。
「グラル……」
吊り橋を抜けた騎馬は、シルビアの近くで対するように止まった。左側には若い騎士を連れている。
「探しましたぞ。王女殿下」
「グラル、どう言うつもりです」
「お迎えに上がりました。陛下も殿下の事をことのほか、ご心配されておりますゆえ、私がお迎えに上がったしだいです」
丁寧な口調ではあったが、端々で勝ち誇ったような優越感が含まれていた。対してシルビアは唇を噛み締めている。
「なぜ、ここで待ち伏せが……」
グラルは笑って言う。
「私にはキリルと言う有能な者が配下におりましてな。街道よりも山越えで王都に戻られると、進言したのですよ。もっとも、半信半疑でしたが」
「キリル?」
問い返すようなシルビアに、グラルは右側の若者に目をやる。精悍さの滲む若者は、苦笑らしきものを浮かべていた。
ケイルにはそれが、余計な事は言わなくて良いと、言っているように思えてしまう。
そして、首を傾げた。
どこかで見た事のある顔だった。大事な事だとわかっているのに、どこで見たのか思い出せない事に、ケイルは唸りかける。
反射的に違うと、思ってしまった。
グラディアの者ではない、そう分かった時、ケイルは馬ごと一歩二歩と横に動いてしまう。
「ぐっ……」
焼け付くような痛みが、脇腹から這い上がった。
「あなたは、危険だ」
声はグレイスである。
なにが起こったのか、把握できなかったシルビアは目を見開いて見てしまった。把握しても認めたくない思いが、シルビアの自由を奪う。
ケイルはグレイスに刺されたのだと知り、次に何が起こるか予想ができていたが、身体は上手く反応してくれなかった。
グレイスの手が振り上げられる。握られているのは、鞘に収まった長剣だった。
「グレイス!」
シルビアの叫び声が上がる。
そして、グレイスの手が振り下ろされた。
長剣の鞘がケイルの身体を叩き、反動で身体が横に流れて馬から落ちる。その下は地面だったが、斜面でありケイルの身体は、停まる事もなく崖下に転がり落ちて行った。
「ケイル!」
崖下へ落ちて行くケイルを見たシルビアが、馬を降りて走る。寸前でグレイスの長剣が、シルビアの足を止めていた。
「グレイス! なぜ、ケイルを!」
見あげてくるシルビアに目を向けずに、グレイスはグラルを見ていた。
「グレイス・ヴァイス騎士団長。殿下の護衛、ご苦労であった」
労うようなグラルにもグレイスは答えずにいた。
王都へ連れ戻されたシルビアは、旅装を解かれてドレスを身に付けてから、謁見の間に通されていた。
並み居る諸侯の目は哀れむようであったが、シルビアは昂然と顔を上げて母であり、女王でもあるシュレイアを見ている。
無言の対面だった。
先に折れたのはシュレイアで、溜め息をつくと口を開く。
「無事で何よりです。シルビア」
「無事? どこが」
冷めた声がシルビアの口から出てきた。そして、一歩踏み出すと言い放つ。
「何もしないあなたは、今すぐにでも退位するといい。今のグラディアに、ナセル王国に勝利するだけの力はないと知ろうともしない。無駄に騎士や兵士の命を散らす事が、女王たる者のするべき事ではないはず」
あまりに強い言葉だったが、居並ぶ諸侯達は失笑を浮かべて、近くの者と囁くだけである。誰もがシルビアの言葉を本気にはしていなかった。
「いかに王女殿下であっても、今の言葉は聞き捨てにする事はできませんな」
首を振ったのはグラルである。
「しかし、長旅の疲れが、世迷い事を口にさせたのでありましょう。王宮にお戻りになられて、すぐに陛下の謁見を受けましたゆえ。旅の疲れを取られると良いかと」
なるほどと諸侯が納得する中で、こうも周りが見えなくなるのかと、キリアは心の中で呆れ返っていた。
これなら二年も掛けずに、他国がなんと言おうと、一気に攻め込めば良かったのではないかと思ってしまう。
「グラル……」
唇を噛み締めて睨みつけるような顔は、悔しさからかとキリルは冷静に観察する。
「陛下。殿下の旅の疲れが取れるまで、殿下には東の離宮で休んでいただいては、いかがでしょうか」
「そのようである。グラル公の言う事も一理ある。我が娘ながら、なんと軽薄な事であるか」
孤立無援をこれほど身に沁みた事はなかった。自分の力の無さが、これほど恨めしく思った事はない。
「ケイル……私は……」
呟く言葉は誰にも聞こえなかった。それでも、肩を落とす事だけはせずに、シルビアは顔を上げている。
シルビアは謁見の間を出て行くまで、入ってきた時と同じ態度を貫き通した。
それが崩れたのは、東の離宮に戻ってからである。
「私は、なにも出来なかった。私は……」
嘆く思いからではなかった。心にあるのは、悔しさと後悔である。それが口から溢れていた。
「ケイル、すみません……巻き込んでしまって……私は、何もできなかった……」
あの高さから落ちれば、助からないと思えた。しかも、落ちる前に短剣で刺されている。血を失い過ぎれば、助かる事はないと知っていた。
「私は……何も出来ないの……何か……」
いつの間にかシルビアは、何か手はないのかと考え始めている。
諦め切れないのではなかった。
生きているのなら、何か方法を考えなければならないと思い始めていた。それが王女(すでに名ばかりかもしれないが)の責だと分かっていたのである。
王座を手にすれば簡単な事でも、孤立無援の自分に王座は手に届かない。簒奪しても、簒奪者には何も与えられない。
何も出来ないのなら、全てを捨ててしまえばよかった。それが出来なかった自分だから、今の状況になっている。
「くっくっくっ……あははは……」
結局は堂々巡りになると、わかったシルビアは笑い始めた。
ひとしきり笑った後、シルビアは昂然と顔を上げる。その瞳には強い思いが、宿り始めていた。
「いいでしょう。何も出来ないのなら、全てを捨てればいい。私がグラディアの最後の王女になればいい」
動きようがなければ、動けるようにすればいい。どんな小さな事も逃さないように、全てを見ておく事だ。 誰が味方で、誰が敵かは、もうどうでもいい事である。
時間はあまりないとシルビアは、感覚的に理解していた。
シルビアは立ち上がり、侍女にグレイスを呼んでくるように言いつけた。
まずは、自分の足元からである。




