第3話
ナセル王国とグラディア王国の国境から離れること数日。
街道沿いの街ティラメルに、ケイル達三人はいた。当初、どことなく遠慮していた三人だったが、数日の旅がケイルを同行者として受け入れていた。
「ケイルは、こうした旅をするのは始めてなの?」
宿に落ち着いた時、シルビアはケイルに尋ねる。
「女性二人と旅をするのは、初めてですよ。それに旅と言っても、わたしの場合は近場が多かったですね」
「そうなのですか? 旅慣れているように思えたものですから」
「そうですね。慣れていると言えば、慣れているのかも知れませんね。単独行動が多かった事も事実ですし……それより気になっているのですが……」
宿自体がざわざわとしている。
いや、街そのものが穏やかとは言いがたい空気を纏っている事に、ケイルはティラメルに入った時から気になっていた。
「どう言う事なのでしょうね。この空気は?」
「さあ、何かあったのでしょう」
「あんたら、旅人かい?」
宿の女主人がいつの間にか、傍に立っている。
「ええ、そうですが……」
「悪い事は言わない。早めに部屋に引き上げた方がいい」
そう言う女主人の目は、シルビアとグレイスに向いていた。
「えっと、つまり。若い女性はいない方がいいと?」
「さあね」
肩を竦める女主人に、ケイルは少し考えてから尋ねる。
「流れ者が多くなっているんですか、この街に」
「いいや。流れ者じゃなく、兵隊がね」
溜め息が女主人の口から洩れてくる。
「まったく困った事さ。女王さまの命令かも知れないけど、あんな兵隊をのさばらせておくなんて、街にはいい迷惑さ」
「旅人にも嬉しくない事ですね、それは」
同意するように頷いたケイルは、テーブルの上の食べ物を指差して尋ねる。
「初めて口にしますが、美味しいですね。何と言う食べ物なのですか?」
「フィイゲさ。この辺りじゃ家庭料理の代表見たいなもんさ。フィイゲを知らないとは、お客さん、どこから来たんだい?」
「ああ、ナセルからですよ」
言った途端に女主人の顔が引き攣っていた。同時に酒場の空気までもが凍りつく。
「ん?」
酒場の空気に気が付いたケイルの首が傾いた。
向かいで片手を顔を押さえるグレイスと、困ったような顔になっていたシルビアである。
「えっと、わたしは何か変な事を言いましたか?」
「馬鹿か、おまえは!」
グレイスにしては珍しく叫んでいた。
「ここがどこか、理解していないのか! しかも、この辺りに兵が来ている事は、ナセルと事を構えるかも知れないと言う事だ!」
「なるほどですね。戦争になるかも知れない相手の国から来たのなら、警戒をすると言う事ですか」
「おまえ、旅慣れているとか言ってなかったか」
「まあ、そうですが。困りましたね」
「何を困る」
「わたしがナセルで生まれたのは確かな事ですし、どこの生まれかと聞かれたら、ナセルとしか答えようがないのですが……」
「お……まえ……何を……聞いていた……」
搾り出すような声が、グレイスの口から漏れてくる。
「グレイス。ケイルはわかっていて言っているわ。それに、間者ならわざわざナセルから来た、とは言わないわ」
シルビアは笑って言った。
それはグレイスだけに言っているのではなく、酒場にいる客全てに向けて言っている事に、ケイルは気がついていた。余計ないざこざを起こさない為なのだが、無理ではないかと思う。
旅の道ずれの二人は、美しく存在感がありすぎた。
目立たないようにしていても、二人の持つ空気と言うか、纏う雰囲気と言うべきか。とにかく普通以上に人目を引くのである。
幸い、ここは酒場である。
ケイルは席を立つと、酒場の中を見渡して言った。
「女主人。みなさんに、エールを。わたしの奢りです」
気前良さは酒場では好まれると、知っていなければ言えない言葉である。そして、ケイルは片目をつぶって見せた。
「まあ、口止め料ってことで」
「安いぞ」
「では、もう一杯。いかがです?」
「遠慮なくもらう」
再び酒場は、とりとめのない喧騒に包まれて行く。
が、長くは続かなかった。
粗雑に扉が開かれ兵士が数人入ってくると、ざわめいていた酒場が静かになり、兵士と顔を合わせないように誰もが下を向く。
酒場を見渡していた兵士達の顔が、口笛でも吹きそうに変わった。
にやにやした笑みを顔に張り付けて、ケイル達のテーブルに近付くと女主人の顔が、言わない事じゃないと、言いたそうになっていた。
テーブルに片手を着いて、代表格らしい体格の良い兵士が言う。
「見かけない顔だな。不審者として拘束する」
「なんの嫌疑があって、ですか?」
ゆっくりと立ち上がったケイルの顔には、笑みが浮かんでいた。
「我々は国境を守る任についている。不審者を拘束して、尋問する事も職務だ」
兵士も身体を起こしている。
「国境から離れていますよ、ここは」
「国境を越えて国内まで入り込むやからもいる。最近はおまえ達のように、旅人に紛れる者が多くなっている」
「建前は、どうでもいいですよ。はっきり言ったらどうです。わたしの連れが目当てだと」
「何を勘違いしている。我々は……」
「やめなさい。そんな下卑た顔では、何を言っても無駄です」
ケイルの声は穏やかではあったが、話す内容は辛辣だった。まるで挑発しているようにしか見えない。
酒場は水を打ったように静まり返っていた。途中でグレイスが動きかけたが、テーブルの下でシルビアに止められる。
「やれやれ、若造はすぐ調子に乗る。少し痛い目に会わなければ、世間というものがわからないらしいな」
男は首を振ると腰の長剣を引き抜いて、反対の手の平の上で跳ねさせた。
それをケイルはぽかんと見てしまう。
ケイルの態度を、怯えたと勘違いした男が言った。
「痛い目に会いたくはないだろう。まあ、若者に礼儀を教えるのも、年長者の務めでもあるから教えてやろう。なに、死なない程度にしておいてやる」
「シルビア……」
「なんですか?」
「これがグラディアの兵ですか……」
呆れたような声質で、ケイルは呟いてしまう。
「全て、とは言いませんが。こういう兵はどこにでもいるはずです」
「そうですか……表に行きましょう。酒場に迷惑はかけられません」
兵士達が笑う。
「てめぇの心配をしな!」
言葉と共に兵士の一人が長剣を振りかぶる。
大振りで隙だらけの動きだった。
兵としても練度の低さが窺えるほど稚拙であるが、剣を手にした事の無い者であれば、それだけでも十分恐怖を与えられるはずだ。
ケイルの右足が一歩前に出ると、左手で鞘ごと長剣を突き出していた。
長剣を振り上げた男の鳩尾に、ケイルの長剣の柄が吸い込まれて兵士は声もなく白目を剥いて、前のめりに崩れ落ちる。
「き、きさま!」
その兵士の顎に、引き戻したケイルの長剣の鞘が逆手で振り抜かれた。
「がぁ……」
呻いて顎を押さえる兵士の後頭部に、容赦なくケイルは長剣の鞘を打ち落としている。
瞬く間に二人を悶絶させたケイルは、相手に立ち直る時を与えずに、残る三人に襲い掛かった。
抵抗される事も、反撃を受ける事も頭になかった兵士が、本気で迎え撃つ用意ができるはずもなく、反射的に長剣を構えるだけに留まった。
「遅い」
言葉と共に構えた長剣を払われた兵士は、ケイルの体当たりを受けて隣の兵士を巻き込んで床に倒れ込んだ。
起き上がろうともがく二人の兵士を、鞘で悶絶させたケイルは、残る一人の足を鞘で払って、怯んだところを一気に距離を詰めていた。
目の前にケイルの姿を見た兵士の顔に怯えが走る。反対に表情も変えずに、ケイルは剣の柄を兵士の鳩尾に打ち付けていた。
ケイルは奥歯を噛み締める。長剣を握る手にも力が入っていた。
静まり返った酒場で、近寄りがたい気配を纏わせたケイルは、恐怖を与えるものがある。
誰もが固唾を呑んで動く事が出来なかった。
ケイルの左手が温かいのもに包まれる。優しく添えられるように重ねられた手は、シルビアである。
「未熟ですね、あなたも」
ゆっくりとケイルは、シルビアを見た。
「剣は力で……守る事も奪う事もできます……」
「そうですね」
「そして、怖い物です……」
「だから、抜かなかった」
「無闇に抜く物ではありません」
大きく息を吐くとケイルは、シルビアに頭を下げる。
「すみません。目立たない方が良かったのに、目立つ事をしてしまいました。あなたの言う通り、わたしはまだまだ未熟です……」
シルビアはケイルが、内に抱えている焦りと言うものがあると感じていた。自分とは違うものではあるが、似ている事でもあるのではなかいと思えた。
「お客さん達、今すぐここを出た方がいい」
酒場の女主人が声をかけてくる。
「そのようですね。これ以上は迷惑になりますね」
息を吐いてケイルは女主人に頭を下げていた。その肩をグレイスは、軽く叩いている。
「何事なのか、説明が欲しいのだが?」




