第2話
銀月の騎士団の陣で、手当てを受けたシルビアとグレイスの二人は、そのまま休息を取ることとなり、疲れた身体を休ませる事になった。
手当てを受けた後、すぐにでも立とうとする二人を、騎士団の癒し手は強引に反対して、少々手荒な真似をしてまでも休息させると、二人に言い聞かせた。
これには反対も出来ずに、二人は従ったのである。
二人が目覚めたのは翌日の昼近くで、自分達が疲れ切っていたのだと知って、頭を抱えたくなる思いだった。あのまま無理にでも出発していれば、途中で倒れていたはずである。
昼前に目覚めた二人はケイルの案内で、陣内で昼食を済ませると、天幕の一つに連れて行かれた。
天幕の中では、四人の男女が待っていた。
四人はそれぞれが対なすように、男は二人とも漆黒の衣服を身に着け、夜色の髪と瞳を持っていた。二人の女は、同じような長い銀髪を頭の後ろで縛り、額には同じ文様の額飾りを付けている。
外見は違うが男と女は、それぞれが似た雰囲気を持っていた。
「ああ、来ましたね。身体はもう大丈夫ですか?」
柔らかい物腰と、優しい口調で右側の男が言えば。
「まあ、なんにしてもたいした怪我でなくて良かったな」
砕けた口調で左側の男が言う。
「わたしはライ・シードです」
右側の男が名乗れば、左側の男も名乗っていた。
「シグだ」
「あいかわらず短いわね、あんたは。あたしはサラ、これの相棒」
左側の女が笑いながら、シグを指差して言う。
「お二人とも、どっちもどっちですよ」
くすくす笑いながら言うのは、右側にいる女だった。
「私はフィアンナ・シードです」
ぽかんと見ていたシルビアとグレイスは、我に返ったように同時に頭を下げていた。
「私はシルビア。こちらは護衛のグレイス。危ない所をケイルどのに救っていただき、そのうえ手当てまでしていただきまして、ありがとうございました」
「気にする事はありません。今、この辺りは何かと不穏ですから、なにかの時のためにケイル達を見回せていたのです。間に合って良かったですね」
噂に聞く漆黒の騎士と、目の前の男がどうしても同一人物には思えなかった。
残虐非道、女子供まで惨殺したと云われる人物に見えない。確かな事は、目の前の四人が只者ではないと感じられる事だった。
「お二人は、これからどちらに行かれます?」
ライが単刀直入に尋ねる。
「……」
答えられなかった。
迂闊な答えは、変に勘ぐられてしまう事は分かりきっている。
「ふむ……もし、グラディアへいくのなら、止めておいた方がいいでしょう」
「なぜ、でしょうか?」
「いま、グラディア国内は揺れています。それゆえ、わたし達が国境まで出向いているのです」
なぜそれを知っているのか、疑問を感じていたがそれをおくびにも出さずに、シルビアは尋ね返していた。
「グラディアに、攻め込むためですか」
「いいえ。グラディアがナセルへ攻め込まないように、です。わたし達は……」
苦笑がライの顔に浮かぶ。
「わたしの名は、攻め込むには躊躇する事でしょう。言わば保険です」
「漆黒の騎士ライ・シード……」
「おや、知っていましたか。他国にとって、わたしの名は忌避したいでしょう」
「それでも攻めてくれば?」
「叩き潰します」
不敵な笑みと共に宣言したライの隣で、同じような笑みを浮かべるシグの姿に、シルビアは背筋が凍る思いがした。
不遜過ぎるほどの自信と取れる態度のはずが、そうは見えなかったのである。
この二人なら、言葉通りになるのではないかと言う確信がしていた。
「それでも……」
シルビアは一度言葉を止めて、顔を伏せてしまいそうになる。が、すぐに顔を上げていた。
「わたしは、グラディアへ行かないといけないのです」
なぜとは問わない。代わりにライは、ケイルを呼んでいた。
「ケイル。今この時を持って、騎士資格を返上しなさい」
「父上?」
なぜとはケイルも問わない。ライの真意を測るように呼びかけていた。
「お二人だけでグラディアに向かうのは、今の状況を考えると不安があります。また、あなたがナセル騎士のままだと、グラディアに向かわせる事が出来ません」
「わたしに二人の護衛を、ですか?」
「ええ。今のところあなたが抜けても、こちらに問題はありませんから」
他の者ならこの言葉で、自分が必要ではないと思ってしまう。しかし、ケイルはそうは思わなかった。何か思惑があると分かっていた。
漆黒の騎士と呼ばれる父が単純な事で、こんな事を言うはずがないとケイルは知っている。伊達に八年もの間、教えを受けてきた訳ではなかった。
黙って聞いていたシルビアが口を挟んだ。
「護衛はグレイスだけで十分です。ケイルどのの護衛は……」
「必要です」
遮ってライは言う。
「あなたが、なにをしようとしているのかは尋ねませんが、ケイルは役に立ちますよ。連れて行きなさい」
「死ぬ事になっても、ですか?」
尋ねるシルビアにライは笑う。
「あなたは死ぬつもりですか?」
「死ぬ気などありません。私は生きます」
「それなら何の問題はないですね。それにケイルを連れて行って欲しいのは、わたしの都合です」
「どういうことでしょう?」
「親馬鹿と思われるかも知れませんが、ケイルはわたしやシグの剣技を、一番良く受け継いでくれています。そのあたりの騎士が相手なら、まず遅れを取る事はありません。しかし、わたし達の剣技は、技を受け継ぐだけではだめなのです」
「確かにな。技は教えられても、それだけではなにもならないな」
シグが頷いて肯定した。そして、ライを見る。
「にしても、早くはないか?」
「シグ。わたし達が剣技を受け継いだのは、ケイルよりも若かったと思いましたが?」
「だったな」
苦笑するシグである。
「父上、叔父上。私に足りないものがあると?」
「ええ」
「ああ。おまえは、まだ一番大事な事を受け継いでいない。ああ、そうか。だからか……」
妙に納得したようなシグに、ケイルは首を傾げた。
「叔父上、なにか?」
「そうだな……口で言うのは簡単なんだが……理解は出来ないだろうな……」
「なんですか、それ?」
『深く強く思いを載せ一点に。さすれば全てを打ち砕く刃、いずる。其の銘、ミカズキ』
その言葉をケイルは始めて聞いた。
「これが、おまえに足りないものだ」
シグの声に厳粛なものが含まれている。
言葉の意味は理解できるとケイルは感じたが、シグの言う理解できないと言う意味は、言葉の意味を理解するだけでは、何も理解していないと同じ事だと、漠然と感じ取れた。
更に首を傾げたケイルに、シグは困ったようにライを見た。
「それをあなたは、見出さないといけません。そのためにも、お二人について行く事です」
「そうすれば、わたしに足りないものが分かりますか」
「おう。思い知らされるぜ。確実にな」
にやっと笑って頷くシグとライの二人だった。
「やれやれ、あんたら二人は似た者同士だわ。やっぱり」
肩を竦めるサラと、微笑んでいるフィアンナである。
「それこそが、漆黒の騎士と呼ばれる由縁でしょう」
「だね」
このやり取りをシルビアとグレイスは、呆気に取られて見ていた。
仮にも、銀月の騎士団の長と思われる者達の会話ではない。
これは身内の会話だった。それを陣幕内でする事が信じられなかった。
「わかりました。騎士資格を返上します」
あっさりと言ったケイルを、シルビアとグレイスは信じられない思いで見てしまう。
騎士資格を返上する事がどう言う事か、理解していないのではないかと思ってしまった。
一歩前に出たケイルは、腰のカタナを剣帯ごとはずすとライに差し出している。カタナを受け取ったライは、ケイルの肩に手を置いて言った。
「あなたが受け継ぐものは、すでにあなたの中にあります。ケイル、迷いそうな時は、自分がどうしたいのか見つける事です」
「父上?」
ところでと、ライは声を潜めて呟いた。
「どちらか一人をものにしなさい。二人ともいい女ですよ」
「なっ、ちっ、父上!」
何を言い出すんだとケイルは慌てる。
「おや、気に入りませんか? もったいないと思いますが……」
実に残念そうな顔と声で言うものだから、ケイルとしては言葉が返せなくなった。
「馬と旅に必要な物は、こちらで用意しましょう。それと少しばかりの路銀も用意します」
こうしてケイルは、騎士団を辞したのである。
陣幕を出たケイルは、シルビアとグレイスを振り返って頭を下げていた。
「お二人とも、これから宜しくお願いします」
「いいのですか?」
「はい。かまいません」
「私は反対だ。シルビアさま、彼はナセルの人間です」
「そうですね。そして、ここはナセル王国内です」
「ぐっ……」
「あー。そうではないのですが……」
「はい?」
「私は騎士団を追放されましたので、ナセルにいても日の目を見る事はない、と言う事です。あ、待ってください」
瞬間的に振り返って、陣幕へ戻ろうとしたシルビアを、ケイルは慌てて止めていた。
「なぜ、ですか?」
「父だったら、わたしを素行不良と、騎士である資格無しと、とまわりの者に言うでしょう。そうしなければ、わたしが騎士団を出る理由にならないからです」
「それでいいのですか?」
シルビアはケイルを見上げていた。頷いてケイルは、歩くように促している。
「いいのですよ。わたしは自分に何が足りないのか分かってはいません。父や叔父の言う足りないものを探さないとなりません。そのためには、騎士でいる事は足枷にしかならないと、父は判断したのでしょう」
騎士団の陣幕から離れた雑木林まで行くと、バルクとルークの二人が馬を連れて待っていた。
「バルク、ルーク」
「話は聞いたが……」
苦虫を潰したようなしかめ面で、バルクはケイルを見ていた。
「俺から父上と、叔父上に……」
「バルク。わたしはこうなって良かったと、思っているんです」
「そんな訳があるか! 俺達は父の一番弟子で、剣技を受け継ぎ……」
「バルク」
静かな声がバルクを止める。
「わたしには分からないのですよ。父や叔父の言う足りないものが、それを意味するのもが。それを知るためには騎士である事が不要と、騎士のままならわからないと言う事なのでしょう。だから、わたしは騎士団を離れるべきなのでしょう」
バルクの口から溜め息が洩れた。
「おまえは真面目すぎる。そんなに大したものじゃないかも知れないのにな」
「そうかもしれませんね。でも……」
とケイルは笑っている。
「美女二人と旅ができる機会なんて、めったにないと思いませんか?」
「くっくっ、確かにな。その点は、羨ましいぜ」
バルクがシルビアとグレイスを交互に見て、ケイルの首に腕を廻した。
「で、どっちが本命なんだ?」
「あなたも、父上と同じ事を言うんですね」
今度はケイルが溜め息を付いている。良くも悪くも、ライやシグを受け継いでいる良い証拠である。
「ケイル。必要ならいつでも連絡をして。ばくらは家族だからね」
三人の中で一番小柄なルークが、手綱を渡しながら言う。受け取ったケイルは、笑って頷いていた。
「わたしにとって、その言葉がなによりも嬉しいですよ」
「昔のように三人一緒、とはいかないものだな。わかってはいたが……おまえが一番初めとはな……」
しみじみ言うバルクに、ケイルは笑っていた。
「どうしました。あなたらしくもない。豪快さがバルクの売りでしょうに」
「ふん。言ってろ」
三人が手綱を受け取った所でバルクが言う。
「旅に必要と思える物は入れておいた。足りない物は自分で調達しろ」
「わかりました」
馬に乗ろうとしたケイルの動きが、近付いてくる人影に気が付いて止まった。
「母上……」
フィアンナとサラが近付いてきた。
「ケイル。これを持って行きなさい」
差し出されたのは、剣帯である。
左側に長剣が吊るされ、右側には剣の柄としか見えない物が吊るされていた。
「これは?」
「『ミカヅキ』です」
柄だけの物を見てケイルだけでなく、バルクやルークまでもが目を見張ってしまう。
「ですが、それはまだ、ただの柄です」
「?」
疑問を貼り付けた三人がフィアンナを見た。
「三人とも、覚えておきなさい。『ミカヅキ』は、すでにあなた達の中にあります。『ミカヅキ』を振るう事ができるかどうかは、あなた達しだいです」
そう言ってフィアンナは、ケイルを優しく抱きしめる。
「ケイル、忘れないで。シードの名は、国に囚われる事はないと。そして、私達は家族です。だから……」
抱擁を解いてフィアンナは微笑んでいた。
「頼りなさい。家族を」
「ケイル。こっちに来な」
少し離れていたサラが呼ぶ。
「なんでしょう」
ケイルがサラの元に向かうと、フィアンナはシルビアとシーリィに頭を下げていた。
「ケイルをこき使っていただいて、かまいません。どうか、あなたの目的のために役立たせてください」
ぽかんとフィアンナを見るシルビアである。
母親の言う言葉ではないと、そう思ってしまう。本当の母親なら、こんな言葉を口にしなはずだった。そして、侮れない女性だと思う。
「それが死ぬ事になるとしても、ですか?」
ライの時と同じで、試すつもりで尋ねてしまっていた。
「そう簡単に死ぬようには、鍛えてはいませんよ。たとえ死ぬようなことになったとしても、あの子が満足していれば、それで良いと思います。私達は哀しいですが」
その眼差しは間違いなく母の思いがあった。
シルビアは、ゆっくりとフィアンナに頭を下げる。再び頭をあげた時には、真直ぐにフィアンナを見て言った。
「ケイルが亡くなっていれば私が、そうでなければ二人で、またあなたに会いに来ます。銀月の乙女」
ふわりと微笑んでフィアンナは頷いていた。
「楽しみに待っています。シルビア――」
これには笑うしかないシルビアと、目を見張るしかないグレイスである。




