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4・いでよ、コテンパーン!


 ロビー内は、黒紫色の霧に覆われていた。毒を連想させる嫌な色だ。

 拳銃を両手で構え、五感を敏感に働かせて、音を立てずに進んでいく。

 段々と視野が広がってきた。細めていた目を大きくして、辺りを見回す。

 フロントカウンターに人がいた。カウンターの上に頭を倒し、長い髪を下におろしている。

「生きているか?」

 一応聞いてみた。反応はない。手で触れたら、噛みつかれる恐れがある。日本刀で、顔を動かしてみる。三十代ほどの女。目と口を大きく開け、驚愕の表情のまま固まっていた。左側の頭蓋骨が割れている。脳がドロッと出てきた。死んでゾンビとなり、もう一度死んだ。そんな所だろう。

 突然、獣の叫びが聞こえた。声がする方向に、素早く銃を構える。

 待合い用のテーブルで、男と女が絡み合っていた。興奮しきった男の雄叫び。喘ぎ声を機械音にしたような女の悲鳴。

「のうみそぉぉぉぉぉ! のうみそぉぉぉぉぉーっ!」

「ああああああ、のうみそぉぉぉーーっ! あたしののうみそぉぉぉーーっ!」

 乳繰り合っているのではない。男も女もゾンビだった。男の歯は、女の腹から引っ張り出した内臓が引っかかっていた。女は、男の腕に焼きトウモロコシのように食らいついている。互いの肉を食い合っているおぞましい光景だ。胃の中にあったおむすびをもどしそうになる。

 においがしたのか、二人同時にこちらを見た。共に四十代ほど。人間であったときは、夫婦だったのかもしれない。

「のうみそだぁぁーーっ! のうみそだぁぁーーっ!」

「くわせてちょうだぁぁぁぁぁぁーーいっ!」

 襲いかかってくるが、互いの臓器が絡み合ったままだ。バランスが取れず、すっころんで大理石の床に頭をぶつけた。

「たらふく食えよ」

 二人の脳みそに銃弾をプレゼントした。ピクリともしなくなったが、弾切れになるまで撃ち続ける。

「目指すは七階だったか」

 弾倉を外し、実包を詰める。銃弾は、篠崎の屋敷からかっぱらってきた。45口径の弾は三十個ほど。ゾンビとの戦いで使ったのだろう。弾は至る所に落ちていた。おやっさんの形見となったニューナンブM60リボルバーもズボンに忍ばせているが、そっちは四発しかなかった。

「のうみそだぁぁぁぁーっ!」

「人間だぁ、脳みそがあるぞぅ、くわせろーーっ」

「ノーミソたべたいいいいい」

 銃声を聞きつけたのか、生きた人間のにおいをかいだからか、ロビー奥にあるレストランから、わらわらとゾンビがやってきた。ホテルマン、コック、宿泊客。サラリーマンの中年男性が多い。腐敗した体で、俺の脳みそを求めるべく、ノロノロと歩いてくる。

「ちっ、いくら弾があっても足りないぜ」

 戦えばの話だ。ゾンビの動きは遅い。律儀に一人ずつ殺していくよりも、逃げたほうが早いし、安全だ。

「ひっひっひ、そうはさせません」

「誰だ?」

 エレベーターの隣。ストッパーが付いて開けっ放しとなった非常用階段のドアから、腰のひん曲がった、杖をついた老人が歩いてくる。ゾンビよりも僅かに速いといった足の速度だった。

「人、という訳じゃなさそうだな」

 ゾンビたちの前に来ると、片方の手を横にかざした。それを合図に、ゾンビたちの足が止まった。

「のうみそぉぉぉ」

「くわせろぉぉぉ」

 その場で、ちぐはぐな踊りをする。

「赤沢くんの考えることは、手に取るように分かりますよ。逃がしはしません。屋敷で怖い目を見たのに、ここにも現れようとは。血は争えませんな」

「篠崎か?」

「かつては」

「イヤラシマンと言ったっけな」

「イッヤーソンです。良く名前を間違えられますが、そのように呼ばれたのは初めてです」

「人の体を操れるっつーのは本当らしいな。俺なら喜んで若い女を選ぶぞ。あんたが姫さまと呼んでいた少女なんか最高じゃないか。なんで身動きがろくにできない年寄りなんだ?」

「姫さまはピチピチの健康体ですからな。乗っ取るには、精神力を極限まで弱らせなければいけないのですよ」

「篠崎黒龍はどうだったんだ?」

「ガンで蝕まれておりました故、楽に入ることができました」

「そいつはラッキーだったな」

 あの篠崎はゾンビでなかったということか。

「ご老体は、ゾンビに近い位置におりますので、とても居心地が宜しゅうございますよ。死にかけは、私の好物であります」

「ろくに動けないだろ。楽に死なせてやるよ」

 発砲する。銃声と衝撃とともに、銃口から火を放った。

 年降りの顔に当たったはずだ。

 なのに、篠崎の時と同じく、相手はケロリとしている。

「化け物め」

「ひっひっひ、姫さまから色々と聞かれたようですね」

 上前歯が二本だけある口で笑った。

「あの姫さまはなにものだ?」

「姫様は姫様でございますよ。私のような貧しい身分ではお目に掛かることもできない、とても高貴なお方でございます」

「にしては、敵対してるじゃないか」

「意見の食い違いがございまして」

「会ってもいただろ」

「私ごときとお会いになるとは、大変光栄の至りであります」

「食えない奴だ」

「そうです、私は食えません。食いたいのは赤沢くんの方ですよ」

「上手いこといったつもりか」

 イッヤーソンの手が横に伸び、肩の位置まで上がった。合図すれば、ゾンビが一斉に襲ってくるのだろう。

「どうです、私の部下になりませんか? そうすればゾンビに食われなくて済みますよ」

「お断りだ」

 日本刀を構え、奴に目掛けて素早く突き打ちした。避けられた。続けざまにもう一刀。それも避けた。老体が嘘のような動きだ。

「のーみそだぁぁぁっ!」

 ゾンビの手が見えた。上体を反らし、それを斬る。腕が飛んだ。さらに斬る。首が飛んだ。周囲にいるゾンビたちがひるんだ。俺は体を後ろに回し、上体を下げると、イッヤーソンの懐を狙った。

「おっと」

 杖に当たり、刀を弾いた。

 イッヤーソンはその杖を振り、俺の右肩にぶつけた。

「くっ、杖は武器だったのかよ」

 肩がじんじんと痛む。スーツを脱げば、打撲傷が浮かび上がってきているだろう。だが、ゾンビに噛まれてないだけマシだ。

「形がなっておりませんな。殆ど力任せじゃないですか」

「今日まで実戦経験ゼロだからな。当然だ」

「初めてならば、思わぬ素材というべきでしょうな」

「初めてで歓迎されるのは女だけだぜ。それも惚れているな」

 俺のセリフが気に入ったのか、大口あけて笑った。

「では、経験をさらに増やしてさしあげましょう」ゾンビが来るのかと構えていると、「赤沢くんも、ゾンビをやっつける作業に飽き飽きとなさっていることでしょうし、いい刺激をプレゼントしてさしあげます」

「なにをする気だ?」

 イッヤーソンは杖を持ち上げた。

「いでよ、コテンパーン!」

 杖のグリップが黒々と光った。

 輪っかが広がっていき、一体のゾンビの体の中へと入っていった。それに導かれるように、他のゾンビたちが、光を吸収したゾンビを中心にして次々と重なり合った。粘着剤に捕まったゴキブリのようにじたばた五体を動かしながら、もつれていき、ゾンビの肉塊ができあがっていく。

 丸い塊だったものに、足が生え、手が生え、胴体の半分近くはある巨大な顔ができあがった。

 何本かの毛が生えているだけの、でこぼことした頭、サッカーボールほどに大きい目、穴だけが開いている鼻、口はアゴが外れたように開きっぱなしだった。

 頭頂部が、ロビーの高さに到達した。

 頭突きで天井の壁を壊す。シャンデリアが落下し、コンクリートの破片がボロボロと落ちていく。上階にあった室内植物の植木鉢が大理石に叩きつけられ、割れていった。二階でうろついていたゾンビがその上に落ちてくる。そいつも、巨大化するゾンビに吸い込まれていった。

 二メートル以上ある大きな頭に、体が支えきれなくなった。ハンマーを振り下ろすように床へと落ちていく。大地震のように、地面が振動し、俺の体が軽く飛んだ。

「のぅみそぐぁあぜろぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 雄叫びをあげる。

 腐った肉のにおいが襲った。食った物を全て吐き出したくなる強烈な臭いだ。

 それで、ショックのあまり立ち尽くしていた俺は、現実に戻ることができた。

「なんだ、これ」

 やっと発することができた言葉がそれだった。

「ひっひっひ、闇の力を発動することで、物体を、コテンパーンという怪物に変貌させることができるのです。我々闇の世界の魔物にとって、光の戦士と戦わせる相手を作る手頃な方法なのです」

「見かけと違って、ダサいネーミングだな。ゾンビガゴンにでもしておけよ」

「そちらの方がダサいと思いますよ」

 弾切れになるまで銃を撃つ。

 コテンパーンという巨大ゾンビに小さな穴がいくつか開いた。それだけだ。粘土に穴が開いたようなもので、ダメージを食らった様子はないし、直ぐに元通りになった。

「コテンパーンは、闇の力で創り上げた、一時的な戦闘用怪物ですので、ペットというわけではありません。これという名前は無かったのですけど、こいつらと戦っていた光の戦士が『コテンパンにやっつけてやるから、コテンパーンよ!』とネーミングを付けてしまい、それが我々にも定着してしまったのですよ」

「そいつに、ネーミングセンスゼロだと伝えてくれ」

「それは、あなたさまがするべきでしょう」

「なんだと?」

「ほんと、なにも知らないのですねぇ」

 コテンパーンは這いずりながら、こちらへと向かってくる。後ろに下がりながら、銃弾を込めた銃を発射させる。

 脳みそ、目玉、心臓、どこを撃っても、効いた様子はなかった。

 弱点はどこだ? どうすれば倒せるんだ。そうこうする内に弾切れとなった。

 下がれなくなった。背中には壁。追い詰められていた。

「ついに赤沢くんの最後の時がやってきましたね。実におしいことであります。コテンパーンよ、遠慮なく食べてしまいなさい」

 口の奥から光が溜まっていき、それが大きくなると、真っ黒い光線を発射した。

「くっ!」

 横に避けた。巨大な爆発音。爆風で体が吹っ飛び、壁にぶつかった。

 悲鳴が聞こえた。

 ホテルの壁に穴が開いている。その奥から黒々とした煙が立ち上っていた。さらなる爆発音。さきほどよりも大きな悲鳴が上がり、それは尽きることはなかった。

「車が爆発した!」

「駅が滅茶苦茶になってる!」

「救急車を呼べ!」

「大丈夫か、しっかりしろ!」

「あそこに何があるんだ!」

 コテンパーンの攻撃は、外界にいる人間を巻き込んだ。このときになって、ホテルの壁の向こうでは、平和をエンジョイする人々が生活しているという、当たり前のことを思い出した。

「おやおや、ビームが結界の外に出てしまったようですね」

 コテンパーンは壁の穴から、パニック状態となった外の様子を眺めている。

「のぅみぞだぁぁぁぁぁぁっ!」

 ホテルの壁を体当たりで破壊して、奴にしてはすばやい動きで、生きた脳みそを求めて外に出てしまった。

「化け物だぁぁぁーーっ!」

「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」

「なんだこれは!」

「気持ち悪い!」

 突如現れた怪物に、阿鼻叫喚となって、人々が逃げまどう。恐怖のあまり腰が抜けている女を、コテンパーンは食った。

 女の顔がちぎれて、首から血が噴出した。美味そうにごくりと飲み込んで、残りの胴体も口の中に入れた。

 食べ終えると、体がさらに大きくなった。

「のうみぞだぁ、のうみぞがいっばいだぁっ!」

 携帯で撮影する男を食い、拳銃を発砲する警官を食い、車の中に隠れていたカップルを食い、駅に逃げようとする男を食った。

 駅前の道路を、人間の血で染まっていった。

「こら、コテンパーン。食事は後にしなさい。今は赤沢くんと戦う時間ですよ」

 コテンパーンの理性を失った行動は、イッヤーソンにとって予想外だったようだ。

「たりない、のぉみぞたりなぁい! のうみぞがくいたいようぅぅぅぅぅぅっ!」

 命令を聞かず、脳を求めて人間たちを追いかけている。

「戻りなさい。戻らなくてはあの女が来るではないですか。今は、戦うときじゃないです。死にたいのですか」

「死ぬのはおまえだ!」

 その隙に、イッヤーソンの首をはねた。

「くっ、不覚……」

「脳みそだ。食っていいぞ」

 転がった頭を蹴った。

 宙高く飛んで、コテンパーンの口の中に入れた。

「安心しろ。コテンパーンは俺がコテンパンにしてやる」

 ダッシュ。コテンパーンの丸太のように太い腕を日本刀で切った。右足を失ったコテンパーンは、肩から倒れていった。

 次は首を狙おうとするが、斬る途中で、コテンパーンの口の中が光っているのが見えた。

 光線だ。

 俺は、全力疾走で後ろに下がる。

 発射した。光線は音もなく、真上に放たれた。電信柱を砕き、カラスを灰にし、ビルを貫通した。

 煙がもくもくと上がっていく。

 プツンと、周りが暗くなった。街灯や、建物の電気が切れた。今の攻撃によって停電になったようだ。

 逃げまどう人々の悲鳴がさらに大きくなる。まるで怪獣映画の1シーンに入り込んだかのようだ。

「攻撃すればするほど、被害が大きくなっちまうな。なにもしないほうがいいんじゃねぇか?」

 横向きに倒れていたコテンパーンは、胴体を起き上がらせる。両手を地面に付け、顔を持ち上げた。俺が切ったはずの腕は、いつの間にか再生されていた。

 両目がこちらを向く。瞳孔のない、真っ白でひび割れれた、カサカサに乾燥された目であるけど、物を見る機能はなんとか果たせているようだ。

「赤沢くん。最悪で最高の体をありがとうございます」

「オーマイガー」

「私の能力を忘れましたか?」

「おいおい、敵に塩を送っちまったか」

 食われたことで、コテンパーンに取り憑いてしまった、ということか。

「さすがはゾンビの集合体で出来上がった肉体だけあり、脳みそが欲しくて、欲しくて、たまらなくなりますな。特に赤沢くんの脳みそは、最高に美味そうですよ。私の身体の一部となれば、あの女を倒せるほどの力が生まれそうでワクワクしてしまいます。どうです、一度食われてみませんか?」

「一度食われたら、二度はないじゃないか。百度あろうとも、俺は自分の体が大好きでね、遠慮するわ」

「そうですか、それは残念です。力づくでいただくしかないでしょうね」

「治った腕の調子はどうだい?」

「最高潮ですよ。お見せしてさしあげましょう」

 手を振り上げると、グーを作った。それを俺の下にぶつけた。血で汚れたアスファルトの地面が潰された。運の良いことに、俺は潰されなかった。

 コテンパーンとなったイッヤーソンの手が上がった。パラパラと石や土が落ちていく。地面は隕石が落ちてきたように、大きな穴が出来ていた。

「粘土のように、切っても切ってもくっつくんだな。その回復ぶりに、ヘドがでるほど嬉しいぜ」

「おや、お逃げになったのですか。赤沢くんのすばしっこさは、金メダルものですな」

「すげぇだろ。もっと逃げてやるぜ」

「いつまで逃げられるか楽しみです」

 グーパンチが来た。高速道を走行するダンプカーのような巨体とスピードだ。横ジャンプして、体を回転させながら避けると、もう片方の握り拳が俺の真上にあった。そのまま下に落ちた。避ける。間一髪、スレスレだ。刀を振り回し、イッヤーソンの手を僅かに切った。

 三発目が来るまえに、ホテルアプロディーテの中に戻った。

「隠れても無駄ですよ」

 ロビー内を、イッヤーソンの拳が襲った。何発も拳が入っていき、建物を破壊していく。俺はすでに、イッヤーソンの手に届かない場所に来ていた。だが、ホテルが崩壊する恐れがある。

 急がなければ。

 エレベーターが並んだ廊下に進む。停電なので、機能していなかった。螺旋状になった非常階段を駈けていく。

「どこですか、赤沢くんはどこですか」

 ミサイルが次々と打ち込まれているような破壊音。グーパンチで、ホテルの壁を壊して、俺のことを探していた。人を食い、ゾンビを吸収した影響で、コテンパーンの体は、三階の高さまで膨れあがっている。両手両足を万歳と伸ばせば、六階まで届きそうだ。

 四階を駈けている途中、イッヤーソンの手が突如、俺の前に現れた。登っていた階段が破壊される。三秒早ければ、潰されるところだった。

「赤沢くん、みーつけた」

 出来上がった横穴から、イッヤーソンの目が覗いた。

「どこにいく所だったのでしょうか? 見付けたからには、私がおいしくいただくとしましょう」

「ざけんな!」

 日本刀を振り、指を切った。イッヤーソンの大きな手に乗った。握り潰そうとするが、指を失っている。俺は腕に乗って、五階に続く階段に向けてジャンプした。

 七階を目指して駈け足で登っていく。立ち止まったら死ぬ。

 息切れする暇はない。


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