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38・素晴らしい、素晴らしい、なんという素晴らしさだ!


「澄佳っ!」

 澄佳の体が、胸元から引っ張られるような、エビ反りの形で上昇していっていた。

 俺の背丈ほどの高さだ。全力で走って、地面を蹴り上げ、力任せにジャンプをする。届かなかった。伸ばした手は、澄佳の足を擦っただけだ。

「くそっ!」

 地面に両足を付ける瞬間、激しい強風が俺を襲った。巨大なトラックにはねとばされたかように、後方へと大きく飛んでいった。

「ヤクザっ!」

 瞬時に、美桜の横をすれ違う。彼女は振り向いて、俺にむかって叫んだ。

「平気だ!」

 壁に叩きつけられる前に、体を前に倒して、両足を伸ばす。地面に足を付けて、ブレーキを掛けていく。

 だが、止まる寸前に俺の体は、巨人に背中をつままれたように、高々と上昇していった。屋上をあっさり通過して、山の頂上に近い位置まであがっていく。

 澄佳のいる高さで止まった。

「イッヤーソンだな」

 ニヤっと笑った。

 澄佳の無邪気で可愛い顔を台無しにする、悪意にみちたニヤリだ。

 澄佳、いや、イッヤーソンは、曲がっていた体を垂直にして、右の腕を前に伸ばし、俺に向けて手をパーにする。

 彼女の真上は、渦巻き状の暗雲ができあがっていた。夕焼けで赤みのかかった空が隠れている。

「澄佳から出て行け」

「嫌であります」

 澄佳の声。だが口調は別人だ。

 年老いた男が交じったような、だみ声になっていた。

 イッヤーソンはさらに口を横に開いて、ニヤっと気味の悪い微笑を見せる。

 手を、くいっと下げた。

 命綱を失ったように、俺の体は一気に降下した。

 地面には激突しなかった。ふわっと柔らかいものが俺を助けてくれた。

「大丈夫?」

 姉貴だ。両腕で俺をキャッチすると、ゆっくりと地面に降ろしてくれる。

「助かった」

 助けられてばかりだ。

 大人に太刀打ちできない子供のような無力さを痛感する。

「無茶はしないで。アンタは人間なんだから。人間として生きてほしいの」

「ゾンビになるぐらいなら、死んだほうがマシだ」

「死んでもだめ、生きなさい」

 切実な思いが顔にでていた。弟を心配する姉の顔だ。そして、イッヤーソンに取り憑かれた妹の心配をする顔も見せている姉は、敵を見上げてキッと睨み付ける。

 イッヤーソンの上空は、雷が連続して落ちていっており、エネルギーで出来た巨大なボールが浮かんでいた。

 エネルギー弾からは、ピリピリとした電光が走っている。

 人差し指をこちらに向けた。エネルギー弾がゆっくりと、指さす方向へと落ちていった。

「たあっ!」

 姉が飛んだ。拳を下から突き上げて、エネルギー弾を真上に飛ばす。花火のように上がっていった弾は、雲の上で大きく爆発をする。

「なっ!」

 今のは目くらましだった。姉に向かって、野球ボールほどの小さなエネルギー弾が次々と襲った。ガードをする。何十発もの弾が、姉貴にぶつかっていった。

 彼女の周りに、煙があがっていく。

「菜穂香っ!」

 響歌さんが、イッヤーソンの後方にきて、パンチをぶつけようとする。

「ひびねぇ、やめて」

 澄佳の声。

 ピタッっと、手が止まった。

「なんちゃって」

 渦巻き状の雲が落雷した。響歌さんはまともに当たった。普通の人間なら一塊の炭となっただろうが、彼女はその場で浮いている。髪の毛を少し焦がしたぐらいのダメージだ。

「お久しゅうございますねぇ、伝説の魔法少女、フランジェルカ」

「あなたと会った覚えなんかないわ」

「さっさと澄佳から出て行きなさい!」

 姉はイッヤーソンに指を向けた。

「何度かお会いしておりますが、忘れられていたとは、悲しいことであります」

「ふん。どーせ、ザコどまりだったんでしょ。思い出す気もないわよ。ごめんなさーいって謝っても、許す気ないから。あたしたちが守ったこの町を荒らし回って、人だって死んでんのよ! しかも澄佳まで! 徹底的にあんたを殺すわ」

「できますかねぇ。この体の主まで殺すこととなりますよ」

「卑怯よっ!」

 澄佳の体だ。攻撃したくても、できないでいる。二人はどうしようもなくて、その場で睨み付ける。

「なにか良い策はないのか?」

 美桜は、指を向けた。

 十メートル先に、木村の死体が落ちている。心臓の部分に、エイリアンが生まれたかのような穴ができていた。

「心臓か?」

「ええ、イッヤーソンが取り憑いているのは脳みそじゃない。ここなのよ」

 彼女は、ぺったんこな自身の胸を親指でつつく。

「……脳みそじゃなかったんだな」

「自分の弱点を晒すバカはいないわ。イッヤーソンは、ゾンビの弱点が脳みそなのを利用して、そのようにミスリードさせていた。そして、取り憑いていた人物もね。まったく、騙されたわ。狼谷会の組長でも、姐さんでも、優秀な部下でもない。下っ端中の下っ端のなかに潜んでいたなんて。だけど、狼谷会を意のままに誘導させるのに格好な素材ではあったわね。気が弱いから、簡単に取り憑くことができたでしょうし」

 気がつかなかった自分を悔やんでいた。

「ハッキングして情報収集したり、探知機で全員の居場所を確認したり、リモコン式の爆弾を作ったり……」

「ネット生放送も、木村の脳みそからいただいた知恵でしょうね」

「奴の狙いは澄佳だった」

「木村は、わざとゾンビに噛まれて、脳を撃たれて、死体となった状態で、チャンスを待っていたというわけ。澄佳の体を乗っ取るチャンスを」

「イッヤーソンの勝機は、澄佳の体ってわけか。澄佳は、そんなにも強いのか?」

「そうといえるし、そうでないとも言える。ゾンビとなった澄佳は、光と闇、両方の力が備わっているの。イッヤーソンは、それと澄佳の眠る潜在能力を引き出して、巨大な力を使おうとしているわけ。尤も、イッヤーソンが持つ闇の力をパワーアップさせているもきだから、澄佳自身は使うことができないものよ。澄佳がその能力を引き出すには、精霊たちによって、魔法少女に変身させることね」

 つまりは、イッヤーソンの持つ闇の力で、澄佳を無理矢理に魔法少女化させている、ということのようだ。

「澄佳の潜在能力はどれぐらいだ?」

「分からない」と小さく首を振った。「赤沢先生の妹だから、素質は十分にあるのは分かっている。その素質がどこまでかは不透明。さすがに、全盛期の赤沢先生ほどはないでしょうけど」

 ヘリコプターの音がした。UH―1J。人質になっていた生徒を、緑で広がる山並みを抜けて、安全な場所に移している最中だ。

 コテンパーンは、クックックと、悪役らしい笑い声を出す。

 腕を横に伸ばした。人差し指と中指がくっついている。指しいている方向には、生徒たちが乗るヘリコブターがあった。

「ぱーん」

 クイッと、二本の指を下に曲げた。イッヤーソンが作り出した暗黒の雲から、雷がヘリコプターのある方向に落ちていった。

 フランジェスカが動いた。自らの体を盾にして、ヘリコプターの直撃を防いでいく。

 その真上にイッヤーソンがいた。

 体を傾けて、姉貴の頭をサッカーボールのように足蹴りする。姉は、数メートル下に落ちたぐらいだ。空中でブレーキをかけている。

 響歌さんが、イッヤーソンにパンチする。威力が弱く、その手を掴まれた。姉も拳をイッヤーソンにぶつけるも、もう片方の手で受け止められた。

 力と力の押し合い。フランジェルカのほうが勝っていて、イッヤーソンの手が後ろに下がっていく。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!」

 イッヤーソンは口を開いた。真っ黒い光線を発した。俺がみた三種類のコテンパーンの以上の、巨大なエネルギー波だ。

「きゃあ!」

 それをモロに食らった二人は悲鳴をあげる。

 普通なら避けられたはずだ。そうしなかったのは、攻撃を避けたら、流れ弾が街を襲うからだろう。わざと食らうことで、イッヤーソンの光線を掻き消した。

 世界を救った二人とはいえ、ダメージは入っている。並んで飛んでいる二人は、はぁはぁと、荒い呼吸になっていた。

 イッヤーソンは、休憩を与える気はなかった。瞬間的に二人の前に来ると、両拳をぶつけた。すべて顔だった。

 衝撃。姉貴と響歌さんは後方に下がっていく。さらにパンチを連打する。目では確認できないほどのスピードだ。その全てを、手で受け止めて、素早く体を動かしながら、後ろに下がっていった。

 イッヤーソンは、パッと後ろに下がった。僅かな距離。両手を重ねて、エネルギー弾と雷を同時に放った。

 姉と響歌さんの体が吹き飛んで、地上にぱさりと落ちていった。

「素晴らしい!」

 フランジェルカが転落する姿にイッヤーソンは、両手を仰いで恍惚となる。

「素晴らしい、素晴らしい、なんという素晴らしさだ! 伝説の魔法少女、フランジェルカをも凌ぐ圧倒的なパワーっ! これほどのパワーだとは、想像以上でありますよ!」

 イッヤーソンの目がこちらを向いた。

「赤沢くん! お姫様! 最高のっ! 最高の! 最高の体を、ありがとうございますっ!」

「やった覚えはねぇ、さっさと返せ」

「といって、返すバカはいないわね」

 美桜は、気に食わぬ様子で顔をあげる。

「私はまんまと、あなたの手の上で踊らされていたようね。見事だったわ、イッヤーソン」

「お褒めいただき恐縮であります。どうでしょう。お姫様は、偉大なるガディス様の娘。共にフランジェルカを倒して、ガディス様の仇を討ち、地上界を滅ぼそうじゃないですか」

「ご免こうむるわ」

「やれやれ、あなたさまが、憎たらしきフランジェルカの味方につくとは思いませんでしたよ」

「私は誰の味方でもない」

「ガディス様が泣いておりますよ」

「あなたのような小物とタッグを組む方が、お父様は悲しむわよ」

「ならば、わたくしのような小物に殺されるのは、さらに悲しませることとなりましょう」

 イッヤーソンは、伸ばした右腕を、ブンと横に振った。

 雷光が襲った。俺と美桜の両側に、次々と雷を落としていく。付近にある立木が燃え上がる。ゾンビに当たると、一瞬で黒こげとなった。

 これが自分だと思うと背筋が凍る。

「どうです? いまなら、許してさしあげますよ」

「ごめんなさい、イッヤーソン。私が悪かったから、さっさと澄佳の体から出て、フランジェルカに殺されなさい」

 美桜は態度を変えない。

「本気で死にたいようですねぇ。リクエスト通り、永遠の眠りにつかせてさしあげましょう」

「俺は見逃してくれると嬉しいんだが」

「死ぬときは一緒よ」

「できれば白馬の王子様の役をやらせてくれ」

「残念ながら、キスの目覚めはありません。二人仲良く殺して差し上げましょう」

 さらに手を振った。激しく雷を落としていく。今のところ、直撃させる気はないようだが、ビリビリとした痺れが痛かった。

 チャンスを伺うが、一歩でも動けばおじゃんだ。

 無力だ。

 生身の人間である俺には、どうしようもない。雷が来ませんようにと祈るだけだ。

 雷が止んだ。火事が起き、地面は黒こげのラインが出来上がる。巻き沿いを食らったゾンビは、消し炭のようになっていた。付近にいるのは全滅したのだろう。ノーミソと唸る声は聞こえない。静かなもので、遠くから銃声が聞こえてきている。

「姫さん、主役は譲るから、この状況を解決してくれ」

 小声で聞いた。

「できるならさっさとやってるわ」パサパサとなったストレートの髪を、うざったそうにしながら、独り言のように言った。「私も死にたくはないから、賭けに出るしかないないわね」

「賭け?」

「イッヤーソン、いつまで遊んでいるの。殺すなら、さっさと殺したらいいじゃない。それとも、あなたは私たちを殺すことができないのかしら?」

「魔力を失ったお姫様に、人間でしかない赤沢くんをですか? たやすいことですよ」

 イッヤーソンは、ニヤニヤとする。

「それはどうかしらね」

 美桜は挑発で返す。

「いいでしょう。ご希望通り、さっさとくだばりなさい!」

 口を開いた。パッと光った。光線だ。一秒もなかった。避ける判断もできないまま、俺たちは音もなく光を浴びた。

 だが。

 ささやかな風を感じるだけだった。

 光が止んで、瞼の向こうが黒くなった。

 俺は、目を開いた。あの世が広がっていることはなかった。美桜はなにもなかったようにそこにいて、イッヤーソンは宙を浮いたままだ。姉貴たちが助けたというわけでもなさそうだ。

「おや?」当てたつもりだったのだろう。イッヤーソンは不思議そうにする。「ラッキーでしたな。力がありすぎて、コントロールが効かなくなっているようです」

「それはどうかしら」美桜は一歩前にくる。「イッヤーソン、あなたは外したのではない。外されたのよ」

「なんですと?」

「たしかに、澄佳に取り憑くというあなたの企みは成功した。小物の悪巧みしかできないみみっちい頭脳で、良くやったものだと賞賛するわ。でも、計画は上手くいっても、それ自体に大きな穴があることに気付いていなかった。さすがは万年小物界の大物だと嘲笑を送らせてあげるわ」

 笑いもせずに、美桜は言った。

「なにを言っておられるのです。私がどんなミスをしたというのですか。全ては上手くいった、上手くいっているのです。その減らず口を消してさしあげましょう!」

 雷を落とす。太く、強烈な光だ。

 落ちた場所は二十メートルほど後ろ。当たることはなかった。

「くっ、これならどうですかっ!」

 上向けた手から、野球ボールほどの光の弾を作った。俺たちに投げる。ストレートに向かってきた弾は、途中でヒュンとカープする。校舎の壁を貫通して、穴ができあがった。

 イッヤーソンは、次々と黒いボールを作って投げていく。急がしそうに、両方の腕を動かして、何十発もの弾を俺たちに飛ばしていくが、一つとして当たらない。ダメージは砂煙での、咳き込みぐらいだ。

 両手をあげると、雲とイッヤーソンの間に、太陽のような大きな球ができあがった。

「これでおしまいですっ!」

 両手を振って、巨大なエネルギー弾を落とした。

 ゆっくりと動いたそれは、中間で、音もなく消滅した。

「なぜですっ! なぜっ!」

 イッヤーソンは唖然とする。

「そんなの決まっているじゃない」

 奴の後ろに響歌さんがいた。

 ゆっくりと上がって、イッヤーソンと同じ高さで止まる。

「フランジェルカ! あなたの仕業ですかっ!」

「私の? まさか」

 不敵な笑みを浮かべる。

「ブッブーの不正解! あたしたちは、なんもしちゃいませーん!」

 姉が校舎の屋上から飛び下りた。俺たちの近くに着地すると、イッヤーソンに指をむける。

「澄佳は、あたしと響歌の子も当然! あんたなんかに支配されるほど、弱っちい子に育てたつもりはないわっ!」

「攻撃が当たらないのはまさか!」

「まさかもなにもないわ。澄佳が止めたに決まっているじゃない」

「そんな、そんなそんなことが、ありえるわけがありませんっ!」

「ありえるわよ」と美桜が淡々と言った。「澄佳の計り知れない力は、その中にいるあなたが一番よく分かっているんじゃない? 魔法少女に相応しい素質を秘めた少女が、イッヤーソンのようなザコ相手に負けるなんてありえないことよ」

「そうよ澄佳! いつまで眠っているの!」

「さっさと目を覚しなさい!」

 母親が布団の中にいる娘を起こすように、姉と響歌さんは叫んだ。

 胸元が光り出した。

「う、うっ、うぎぁぁぁぁぁーーーっ!」

 大きな叫びをあげる。イッヤーソンがいる心臓部分が爆発しそうに光っている。

「いやです、そんな、そんなバカなことが、いやだ、出て行ったら、わたしは、フランジェ、ルカに、ころさ、れる、ぐぁはぁ……」

 舌を飛びださんばかりに出して、唾液を垂らしながら、苦しげにもだえている。体内から追い出されそうなのを、心臓部分を鷲づかんで、必死になって押さえ込む。

「でません、でない、でるわけには、いかない、が、ガディスさま、の、た、ためにも……」

 意地でも出ようとしなかった。澄佳の体から出れば、スタンバイをしている響歌さんと姉にやられてしまう。

 だから出れない。なにがあろうとも。

「こうなれば……」

 澄佳の体にヒビが入った。細かな裂け目がどんどんと増えていく。

「自爆する気っ!」

 体ごと吹き飛ばして、澄佳を道連れにする気のようだ。

 そうはさせない。

「姉貴、俺を投げろ!」

 姉がこっちを向いた。

「あんたたちがイッヤーソンを攻撃したら、澄佳の体まで消し飛んでしまう! 俺なら平気だ、心臓目掛けて勢いよく投げろ!」

「で、でもっ」

「忘れたか! 澄佳はゾンビだ! 心臓を刺しても平気なんだ!」

「分かった!」

 他に手はないと判断をしたのだろう。姉が俺の体を両手で掴むと、「いっけぇぇぇーーーっ!」と投げていった。

 俺は、大砲の弾丸のように飛んだ。

 直ぐにイッヤーソンに激突した。

 落ちかかったイッヤーソンの首を掴んだ。日本刀を振り上げていく。

 澄佳が「ありがとう」と笑った気がした。直ぐに楽にしてやるからな、と俺も同じように静かに笑った。

 そして日本刀を、煌煌と光る澄佳の心臓へと突き刺した。

 突き刺した……はずだ。

 なのに、イッヤーソンには当たらなかった。

 その寸前に、イッヤーソンは体から出てきていた。触覚の先端にある大きな目玉が、俺の目の前にやってくる。

 ニヤリと笑い、奴は俺の心臓に入っていった。


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