37・島
――あなたを愛していました。
引き金を引く前に、良子に伝えた。
聞こえても、聞こえなくてもよかった。
どちらにしろ返事は無かっただろう。死ぬ前に、自分の想いを伝えたかったという、島正のエゴでしかない。
良子の体が、組長に重なって横たわっている。こめかみに、小さな穴がひとつ空いていた。
即死。
美しい寝顔だ。苦しまずに、安らかに眠ってくれたに違いない。
これが彼女にとっての幸せなのかは分からない。
けれど、死ぬことによって、良子は狼谷敬司という悪魔から解放されたのだ。
亡くなってからも一緒にいる必要はなかった。
島は、良子の体を抱きかかえる。
顔を見つめて、そっと唇を重ねる。まだ柔らかく、温かかった。
「申し訳ありません」
――あなたを守れなかったことに。
「島っ! 島っ!」
敬司に乱暴されたとき、良子が助けを求めようとも、動くことができなかった。狼谷会の組員として、どんな悪事だろうと、組長の息子のすることに刃向かうことが不可能だ。
それが、惚れた女が強姦されていようとも。
上の命令は絶対だった。
「なんだ、バージンだったのか」
そのときのショックは、感情を殺すのにたやすかった。
島は、笑えなくなった。なにをしても楽しめない、女も抱けない、生きる喜びを失った。ある感情といえば、敬司ではなく、何もできなかった自分への殺意だ。
敬司は女を見る目があった。だからこそ、犯すだけでは飽き足らず、良子を愛人にした。妻にした。本人の意思など無視して。
そして良子は、己の運命に立ち向かうかのように、極道の女として、実力を開花していった。
島は、そんな良子の背中に居続けた。
自分の人生を、彼女を守ることに全力を尽くすと決めていた。
それが島の償いだ。
一度として手をださず、ずっと傍にいて、彼女の背中を見守ってきた。
狼谷会のナンバー2になっても嬉しくなかった。多くの舎弟に慕われても嬉しくなかった。良子が実質、組長以上の権力を持とうとも嬉しくはなかった。自分が守っているのは良子ではない。
彼女自身が理想としていた未来から、遠く離れてしまった。
極道の女だ。
島に感情というものが込み上げてきたのは、篠崎黒龍によって敬司が殺されたときだった。
ゾンビという非常識な化け物が襲いかかってきて、組員の数が減っていこうとも、復讐心よりも、もしかすればもしかするかもしれない、という希望が浮かんでいた。
自分と良子がこの地獄を生き残ったら、極道から足を洗い、二人で暮らすことができるのではないか、と。
だが、そんな淡い期待は、気のゆるみを与えてしまった。
結局、島は良子を守れなかった。
狼谷敬司の落とし前を付けて、ゾンビになりかけた彼女の脳に、銃弾を捧げることになった。
愛する女を殺し、島はただ一人生き残った。
そこになんの意味があるのだろうか。なにもない、あるわけがない。
グラウンドを過ぎて、町を一望できる見晴台に来ると、生徒が作ったらしき木のベンチがあった。良子の遺体を下ろし、島も隣に座った。
真上の空は薄暗く濁っているが、地平線の向こうは、降り掛かった夕陽が野乃原市を赤く染めていた。
ビルの群から煙があがり、消防車やパトカーのサイレンに、ときどき銃撃の音が聞こえてくる。荒れているというほどではない。ゾンビの数は減っており、事態は収束に向かいつつあった。
体重がかかった。良子が寄りかかってきた。島は、彼女の肩に手を回し、彼女と共に町の景色を眺めていく。
美しい。
心からそう思った。忘れかけていた笑みがこぼれてくる。
「島さんって、そうやって笑うんだ」
舎弟が声をかけてきた。他の舎弟たちも、島の顔をのぞき込んで、「レアですね」「記念に写真撮っていいですか?」「あ、やっぱ、笑わないほうが似合ってます」と、好き勝手に言ってくる。
「俺だって、笑うときはある」
島は、さらに笑ってみせた。
「それ、不気味です」
「そうか? 笑ったつもりなんだけどな」
狼谷会の組員は笑った。島のような不器用なものではない。みんな、いい笑顔を見せている。
その中には良子も、組長の姿もあった。
「煙草ないか?」
無性に一服したくなった。
「あるわけないですよ」
組員たちの笑い声がいっそう大きくなった。同じようには笑えなかった。彼らとの間に隔たりを感じ、島は、取り残された気分になった。
煙草は持ってなかったが、代わりになるものはあった。タバコ以上に楽になれて、狼谷会の家族に近づけるものが。
島は、拳銃を取りだすと、口の中に入れて引き金を引いた。




